●リプレイ本文
出発地点、スイス。
ドイツと隣接するためか天気は芳しくなく、空はうっすらとした灰色で翳っている。
雨こそ降っていないものの、晴れ晴れとした青天など拝める筈もなく、日の射さない天蓋はとても昼とは思えない。見えるのが薄く濁った水色なら、まだ秋らしいといえたかもしれないのに。
「イヤな天気‥‥薄暗くて気持ちが滅入るわ」
マイクロバスの窓際で頬杖をつき、ナレイン・フェルド(
ga0506)は物憂げな吐息を零した。
内心の憂鬱を示すように、更に首を傾ければ揺れる髪が頬にかかる。
視界が揺れても、そこから何かしら気を晴らすようなものが見つかる筈もなく、諦めて視線だけを前方に戻す。
車内には運転手である曹長と、傭兵が自分を含めて四名。最後尾には別途傭兵が二名、先頭にも二名傭兵がそれぞれ自前の車両で護衛についていた。
今の所何か起こる様子はなく、クラウディア・マリウス(
ga6559)が尋ねた結果、目撃は――時間で言えば本日の午後から明日一日に通る地域が範囲として該当し、今はまだその手前。
体力温存のために、クラウディアと夏目 リョウ(
gb2267)のバイク組は現在車内にて待機し、警戒組に加わっていた。
出発少し前の事。場所はやはり曇り空なのだが、能力者達の雰囲気は明るさを湛えていた。
チーズや人の心はスキルじゃ治療出来ないもの。曇り空も吹き飛ぶような皆さんの笑顔の為、無事にチーズを届けたい。そんな思いを香原 唯(
ga0401)は抱く。
そんな彼女に「頑張りましょう」と声をかけ、バスの方に重箱弁当を差し入れて。福居 昭貴(
gb0461)は準備が完了したとばかりに先頭、如月・由梨(
ga1805)の車に乗り込んだ。
‥‥花かご、洒落た呼び名ですね。
収穫祭のために頑張ろうと意志を固め、出発の合図を待つ。
その思いは傭兵の間に共通しつつあるもので、由梨は落ち着いた様子でバックミラーを窺い、リョウはバイク移動に備えてAU−KVの点検を行っている。
‥‥こんな世の中だからこそ、祭りを楽しみにしている人はきっといるだろうから。
思いは二つ、『是非とも成功させませんと』と『力になりたい』。ナレインもまた思う、立派な花かごにしてあげたいと。
クラウディアが中尉と曹長に「よろしくお願いしますっ」と挨拶する後方、ファミラーゼの助手席に乗車し、月森 花(
ga0053)は当の輸送車を前にややそわそわしつつあった。
「ん〜‥‥やっぱり、収穫祭当日まで我慢‥‥だよね」
しっかりと封をされているそれらからは当然匂いも漏れず、様子も窺えない。それ以前に扉に阻まれ、中のコンテナの姿すら見えない。
「キメラなんかに邪魔されるわけにはいかないよ!」
食べ物の恨みはコワイのだと――チーズを護衛するのは当然。拳を握って気合を入れつつも、そのチーズがいかなる味か興味を隠し切れていない。
が、しかし。出発時間は迫り、中身を拝む事は出来そうになかった。
視点は路上に戻る。
一行の進行は比較的緩やかで、由梨のジーザリオは速度を抑えつつも、緊急停車時に備え、余裕を取ってやや先行気味に。
スピードを控えめにした分、事故らない程度に傭兵達は周囲に注意と警戒を割いていた。
「あー、本日は曇天なり、と。通信状態、良好でしょうか?」
宗太郎=シルエイト(
ga4261)の状況を確認する無線が響く。各ペアから返答が返り、通信と周囲の状況を報告し合う。
傭兵達の事前準備は万全で、士官含めて全員無線機を持参しているため連絡に問題が発生する事もなく。
妥当な人数配分であらゆる方向をカバーし、路上の安全を確実に確認していった。
初日の半日が過ぎ、昼ごろ。
車の運転は得意なのだが、速度が出せない事を由梨が残念に思う以外は道中特に何もなく――。
腹が減っては戦など出来ぬ――という訳でやや早めのお弁当タイム。
仕事はまだ本腰前ではあるが、遭遇地域に入ってから慌しく食べるのは宜しくないだろうとの事で。
クラウディアが携えたのはチーズとハムとオリーブのサンドイッチ。唯は節約生活のため日の丸弁当、おやつにバナナ。
と、思えば。車に乗る前、昭貴の重箱弁当を見て驚き、我が助手ながら料理の上達っぷりは感心ですと唯が無邪気に笑っていた頃。おかずをたっぷり食べて下さい‥‥と、昭貴が豪華弁当を唯に手渡していた。
ナレインのお弁当は同居人にお願いして、一緒に作って貰ったもの。
「一人で作ってたら、いつになるか分かんないからね」
と彼は僅かに苦笑する。
後はリョウなのだが‥‥弁当が見当たらない。
弁当が隠れるような大掛かりな荷物が傭兵達にある訳もなく、その荷物をひっくり返し、落ちてないかと座席の隙間も確認してみたのだが‥‥。
「しまった、レインコートを入れた時だ‥‥おやつもあの時」
リョウの冷や汗交じりの呟きを聞き取ったクラウディアが慌て始め、少しで良ければ自分のを食べるかと問い、唯が「あっくんの差し入れとかいかがですか?」と、自分の分とは別に差し入れられた昭貴の弁当を持ち出す。
ちなみにこの警備は三日続くので、‥‥忘れた弁当を代わりに誰か食べていてくれてたら万々歳といった所だろう。
そんな騒ぎを、いつの間にかオンになっていた曹長の無線を通じて耳に入れつつ、中尉は自分の無線もオンにして声をかけた。
「‥‥如月?」
「は、はい」
「フランスに入る前に、一時間ほど休憩を取る。昼はその時に食え」
今回、唯一の落とし穴は実に些細な――ある意味割と大事ではあるかもしれない、由梨は交代する運転手がいないから、お昼を食べる時間がないと言う事。
体を解す休憩くらいは元々挟むつもりだったが、それでは如月の体調に宜しくないだろうと休憩時間は三十分延長。
曹長の無言の問いには答えず、由梨の礼にも見える事のない頷きを返し、中尉は「問題ない」とだけ短く告げた。
‥‥後方、宗太郎・花のペア。
宗太郎は昼食は携えず、花にその辺を一任していた。
期待する気持ちは信用が先か、嬉しさが先か。味についての覚悟はしているものの、不思議な事にその辺は余り問題とは思えていない。仕事の事を忘れている筈もなく、しかしどこかピクニックに似たような感覚が気持ちを助長しているのだろうか。
そんな暢気とも言える宗太郎の傍で、花は微妙に落ち着きがない。
‥‥車に乗る前の由梨さんの視線、とか。
キメラに会うよりこっちが心配‥‥かもしれない。表面こそ少しそわそわしているだけなものの、内心はドキドキ。
「バスの方は食い終わったみたいだな」
笑み交じりの遠まわしな促し。それに普段よりはやや弱気に花が頷き、可愛らしいお弁当箱を差し出した。
――恐らく常識だが、食事をしながらの運転は大変危険である。
「悪い。手離せないから、頼む」
手づかみで食べられるものならともかく、運転しながら箸を使うなど論外。つまりは――同行者に食べさせて貰うとかそんな事。
彼が浮かべる微笑は今回どこか意地悪に見えて、ドキドキはいつの間にか別のそれになっている。
恥ずかしさ交じりの嬉しそうな笑顔。
宗太郎が手にするのは形が揃わず、やや不恰好な梅干のおにぎり。油揚げの砂糖と塩を間違えた稲荷寿司と違って味くらいは普通‥‥の、筈。
「ご、ごめん‥‥宗太郎クン‥‥もっと努力するよ」
おかずは結局即席に頼る事となり、信号に車を止め、もう少しは動く気配がないのを見るや、花はおずおずと弁当箱を開けて、中身を箸に銜えた。
「はい、宗太郎クン。あ、アーン‥‥?」
昼もとり、体もほぐした所で走行は再開。
フランスへと入り、クラウディアとリョウの二人もバイク走行に移っている。二人乗りを想定していないためか、バランスは余り良くないのだが‥‥なんとかならないほどでもない。
空はやや翳るものの、雨は降っておらず、雨合羽はまだポケットの中。
「実は軍用レインコートって置いてあるんだな。‥‥カジノに、現金換算75000C」
我ながら驚いた。そう言わんばかりに中尉は首を竦め、学生はカジノに出入りし辛いこともあるだろうと、リョウの雨合羽貸し出し申請を受けてくれていた。
初日、つまり今日はフランス国内で滞在し、二日目は一日フランスで、夕暮れ前にドイツ国境へ移動する予定の模様。
傭兵たちの警備は進軍を順調にし、初日は何事もなく終了するのであった。
夜、ビジネスホテル。
豪華なわけではないが、シンプルで居心地のいい一室でナレインは窓から外を見上げていた。
空に星はなく、藍墨の空には灰色の雲だけが薄く翳っている。
「ふぅ‥‥星が見えないと寂しい夜になるわね」
スタンドの灯りが壁紙と調和し、部屋はぼんやりとオレンジ色に浮かび上がっていた。
バスでそうしたように、後ろ倒しにガラスを覗き込み、闇に沈んだ町と、ガラスに浮かぶ自分の顔を見つめる。
‥‥気持ちが沈みかけてると自覚して苦笑を浮かべ、額を当てて体を冷やす。眼下には相変わらず光の届かない街があり、また浮かびそうになる嫌な気持ちを追いやった。
(「平和な日々が続いていれば、星が見えないくらいじゃ不安にもならないのかな‥‥」)
――二日目。風は強く、霧雨が顔やウィンドウへと吹き付ける。
雨は極薄く、視界自体はそう悪い訳ではないが、天気は余り歓迎出来るものでもない。
バイク組は雨合羽を羽織り、車内組は絶えずウィンドウを拭って濡れた視界を確保する。
同じフランスでもPNの時よりは楽かなぁ、そうクラウディアは思いつつ、でも油断は禁物だねと心を引き締めなおしていた。
雨が降ったことによる唯一の利点といえば、車通りが少なくなり、当初の想定よりはやや広く車線を使えるようになったことだろう。隊列換えはやはり出来そうにないが、バイクの機動性は増す。
視界がやや悪化したため、二人はちょくちょく先行して道の様子を確認している。
万が一、何か起こった時の対応として傭兵達は運転手達に車内待機を依頼していた。
「絶対に守るから、安心して? 安全になるまで目を瞑っていていいから‥‥ね?」
ナレインは麗しい微笑で真剣な言葉を紡ぎ、何かあったらすぐ駆けつけますから安心してくださいと唯は微笑みかける。
「‥‥あれ‥‥?」
両端の木々は密集してて奥までは見えない、しかし何かが接近すれば影位は気づく。違和感に気づいたのは二人同時か、極僅かな空気の変化、それは或いは殺気と呼ばれるものかもしれない。
「掴まれ、マリウス!!」
『ヤバイ』、直感的に判断したリョウがアクセルを吹かす。クラウディアが慌ててリョウに掴まり、視界が目まぐるしく変わる中後方に何かを叩きつけた轟音。
前方へと加速したバイクがUターンして停止し、体をずらしてクラウディアが後ろから飛び降りる。
「前方、敵遭遇です、止まってください!」
勢いよく雨合羽を脱ぎ捨てるリョウの傍で、無線機にそれだけ告げ、自らも星のペンダントに手を添える。
「行くぞ烈火、武装変!」
「星よ、力を‥‥」
AU−KVが変形してリョウを鎧として覆い、星を繋いだ光のペンダントがクラウディアの腕に淡く浮き上がる。
後方、連絡を受けた他の傭兵達が駆けつけ、奇しくも敵を挟み撃ちする形となった。
――戦術の勝利といえば、その通りなのだろう。
輸送車からはやや離れた場所なので、巻き添えの心配はない。花、唯がやや離れた後方に陣取って輸送車近くにつき、輸送車すぐ傍の事は中尉たちにお願いしてある。
走りは止まらず、駆けつけた傭兵たちはそのままゴリラキメラへと向かう。攻閃を示す複数の銀光が、両端からキメラへと襲い掛かった。
人間で言えば二人分はあるのだろう、ゴリラの頭部に弾丸が放たれ、その直後ナレインの蹴りが怯んだゴリラの足を強打する。
唯の強化を受けた武器がゴリラの足に食い込み、双方で軋み合い、拮抗を隔てた後にナレインの足が振りぬかれる。
姿勢を正して着地、どうやらゴリラが拮抗に耐え切れず後ろに下がったらしい。
が、挟み撃ちはそれを隙とするためにある。インサージェント、とどのつまりリョウが振り回すハルバードの規格外な重量が後方からゴリラに襲い掛かった。
血が吹き出し、刃が肉に食い込む鈍い感触。当然の様に、その攻撃は後方に毅然と立つクラウディアから強化を授けられている。
反撃を許さず、加速した由梨の攻撃が前方からゴリラを更になで斬りにした。
速度でモノを断つ刀がゴリラの分厚い筋肉を切り裂き、冷ややかに紅い瞳で敵を見据える由梨がもう一度刀を振りぬいた。
『‥‥後方――!』
遭遇から10秒も立たず、後方からの警告。言葉は最後まで続かず、代わりに何かを振りぬいた風音。
奇襲を察知した花がその場を飛びのき、代わりに宗太郎の攻撃が真正面から敵の拳と食い込みあっていた。
着地と同時に敵に向き直り、再開される花の射撃。
「汚ねぇ手で触んじゃねぇよ、このエテ公‥‥!」
力任せに敵の攻撃を押し返し、宗太郎が吼える。
一拍子ずれて駆けつけたナレインの蹴りが側面から入り、移動した花たちの代わりに昭貴が輸送車の傍につき、万が一の時に守る位置へとつく。
前をクラウディアに任せ、唯の援護は後方へとシフトし、三人に強化を施した後、自らも攻撃に加わる。
射撃を行いながら花は立ち位置を少しずつずらし、輸送車を背にしてその位置を固定した。
「指一本触れさせない‥‥」
傭兵達の追い込みでキメラは徐々に後退を余儀なくされる。何かで気を引くまでもなく、戦闘に釘付けにされたキメラたちに輸送車を襲う余裕がある筈もない。
宗太郎が力強く地面を蹴った。
槍が右腹を薙ぎ、勢いを捻って突き込み、深く突き入れた所で引き抜き、更に踏み込んで今度は左腹を凪ぐと、勢いを増してもう一度突きこんだ。
手ごたえの衝撃と共にランス「エクスプロード」が爆ぜ、体に強い――強すぎる衝撃を受けたキメラの巨体が鈍く揺れ、轟音を立てて地に伏せる。
「‥‥我流・鳳凰衝。悪ぃな、火加減きかなくてよ」
三日目の昼過ぎ、傭兵達は輸送車を伴って無事ドイツへと到着していた。
輸送車は護衛体制が上手く嵌った事もあって無傷、中尉は慰労の言葉を紡ぎ、そこに宗太郎が、
「オロールさん‥‥チーズ、味見ありませんか?」
と期待の眼差しを向けていた。
指を唇に、中尉は少し考え込んだ後、車を教会の方へと向ける。傭兵達に車内待機を命じ、彼女が敷地に踏み込めば、教会から数人の子供が飛び出してその周囲を囲む。
「‥‥頼めるか?」
膝を折り、話しかける中尉の唇はそんな言葉を作っていた。
一時間後、子供達に送られて戻ってきた中尉の手にはバスケットが八つ。中にはチーズを挟んだパン、ジャムを添えたヨーグルトに瓶詰めのミルクティー。
一人一つずつ貰った傭兵たちが、これが花かごかと中尉に問えば、彼女は首を振って本番はもう少し豪華だと言葉を漏らした。