●リプレイ本文
●広大
孤独の感じるほどの大広間に、リンドヴルムの排気音が響く。
「調整は完了、と」
騒音対策などはるか彼方。相棒のエンジンを切って。ドリル(
gb2538)は、傍らの工具箱の蓋を閉じる。幼い頃に得た技とはいえ、娘子にこのような名前を付ける親なのだ、これくらい出来なくては話にならない。
「すみませんね。なにぶん、外と内で同じチューンにしておくわけには」
「承知しております。当方としても、そこまで気を遣って下さるのは嬉しい限りでございます」
そう言って笑うのは。細い身体をぴしりと伸ばした、黒服の老紳士。
「こちらこそ。そういえば、他の方の姿が見えませんが」
「主の居ない屋敷に、従者は必要ありません」
ユーモアのつもりなのか、白髭をたくわえた口で微笑む老執事。その時代錯誤さに、ドリルは思わず苦笑して。
城門のような扉が開く音に、二人は視線をそちらに向けた。
「これは‥‥さすが」
目を丸くする女性の背は、老執事よりも高い。薄紫の直衣を身にまとった木花咲耶(
ga5139)は、しずしずと、装飾の施されたタイルの床に足を進める。
「これだけ広いと、維持も大変でしょう」
「掃除は完璧にしております。主に不都合を見せるわけいはいきませんので」
そう言う老執事の足下で、うっすらと綿埃が舞う。もはや、その余裕も無くなったのだろう。咲耶の目に、憂いの色が浮かぶ。
こつり、と足音がしたのは、その直後だった。
「いや、申し訳ない。少し遅れてしまいました」
あまり申し訳なさそうな、にんまりとした笑顔を浮かべ。斑鳩・八雲(
ga8672)は、屋敷の中に足を踏み入れる。
一礼する執事に軽く手を振って。八雲は、ふとあごに手を当てる。
「壺の中の化生、とはまた‥‥バグアも風流を気取っているのでしょうか」
「さあ。わたくしには、敵の思惑については‥‥」
首を振る執事を見つめる八雲。その目に、一瞬だけ鋭い光が宿り。
「敵。ええ。敵ですね。敵はさっさと倒してしまいましょう」
「はい。他の皆様は、既に部屋でお待ちでございます」
老執事が見上げる先。階段の上に、一つの部屋があった。
●牢獄
封印された部屋に、三人の人影。
「体の一部を失ったって事は、食べられた可能性もあるわね‥‥」
低く呟くアズメリア・カンス(
ga8233)が見やる先。そこに、古びた一つの壺があった。
今回の事件の現況は、この、どう見てもゴミいしか見えない壺らしい。美術品にそれほど興味のないアズメリアにとっては、この壺に、文字通りに命を賭ける人々の頭の中が、不思議でならないのだった。
嘆息するアズメリアの隣では。赤い瞳の青年が、天井を見上げて苦笑していた。
「これは、どこを撃ってもかなりの値になりますね」
ハンドガンをくるくると回しつつ。紫壇卯月(
gb0890)は、壁、床と視線をすべらせ、やれやれと首を振る。屋敷の主に許可を取りたいところだが、彼は今、どこか遠く、天の果てへと旅行に行っている。
そんな彼の隣で。銀髪の青年が、壺に視線を注いでいた。
「呪いの壺ですか‥‥幾多の命を奪ったのでしょうね‥‥」
夜月夢幻(
gb2705)はそう呟きながら、そろそろと壺に近づく。見れば見るほどみすぼらしい壺に、どこか漂う神秘的な雰囲気。彼はそれに、少しずつ魅了されていって。
瞬間。夢幻の視界に火花が散った。
「あだっ」
「気をつけて。魅入られたら、がぶり、ですよ」
とはいえ殴ることはないじゃないか。そう思いつつも、先輩である卯月には逆らえない夢幻であった。
門扉が開く音がしたのは、ちょうど、その時だった。
「皆様。お連れの方が参りました」
老執事に続くように、室内に現れる三人の能力者。皆が揃ったことを確認して、老執事は部屋の扉を閉め、鍵をかける。
「この部屋は、自由にして下さって構いません」
そう呟き、部屋の隅に陣取る老執事。彼にしても、事の結末を見届けたいのだろう。
役者は集った。後は、主演の登場を待つのみである。
●飛翔
「それでは」
目線で礼をした咲耶は、手にしていた長く太い鞘から、巨大な刃を抜き出す。
「お気をつけ下さいませ」
皆が身構える中。咲耶は、刀の刃先を、壺の中へ静かに差し入れ。
瞬間。壺の口が、刃を軸に激しく回転した。
「くっ」
思わず、咲耶が刀を引いた瞬間。
――キキッ!
壺から飛び出してきたのは、羽根をはやした龍の首。怖気のする叫び声を上げながら、大口を開け、咲耶へと飛びかかる。
しかし。それを予測できない咲耶ではない。
「それくらいの攻撃なら、大したことございませんわ」
無理に避けることはなく。手にした盾で、龍顔のキメラを受け流す。
勢いをそらされたキメラは、そのまま天井へ飛び出すと、次の獲物を求めて飛び回る。
その姿に照準を合わせ、卯月と夢幻が、ハンドガンの銃口を向ける。
「夢幻。コンビネーションでいくぞ」
「はい!」
小気味よく返事して。夢幻がハンドガンの引き金を引いた。
「我が一撃は――雨の如く!」
その台詞通り。視界を覆う勢いで放たれた弾丸が、キメラの肉体に傷跡を空けていく。
逃げ惑っていたキメラだったが、そもそも、逃げる場所などここには無いのだ。無数の銃弾を肉体に穿たれ、次第に、高度を落としていく。
「あと一息」
「はいっ」
次第に弾丸を集中させ。目も耳も鼻もつぶされ、ただの肉塊と化したキメラは、とうとう、床にぼとりと落ち。
「‥‥終わりましたか」
咲耶の声に、キメラが刃向かう様子はない。ほっと息をついた卯月と夢幻は、ハンドガンをホルダーにしまう。
「結局、ボクらの出番はなかったね」
「倒せるならそれにこしたことはない」
「いやいや、これからまた何かあるかも」
そう言う八雲の顔は、ほっとした笑顔で。その視線の端に、立ち尽くしたままの老執事が見えた。
「ご安心を。もう、キメラは現れません」
「‥‥あ、ありがとうございます」
能力者たちの勢いに圧倒されているのか、老執事は、憔悴した顔でうなずきを返す。
「これで、主も安心して神の御許へ居られるでしょう‥‥」
そう呟きながら。老執事は、そろりそろりとこちらへと近寄る。
その様子のおかしさに、皆が気づく前に。
「だから――この壺は、私のものだ!」
老執事は、壺を抱えて怒声を張り上げるのだった。
●沈静
「まさか」
「魅入られてしまったようですね‥‥」
そう呟く八雲の隣を、アズメリアが駆け抜ける。
老執事へ肉薄し、壺を奪おうと手を伸ばす。その腕が、老執事の手に捕まれる。
「ッ!」
瞬間、アズメリアの身体がぐるりと回転する。そのまま落ちるところを、身体をひねって足から着地。しかし、そこから攻めることができない。
「武術の心得あり、ですか」
「なんという執事」
視線を合わせて苦笑するドリルと八雲。どうにかしようとドリルが身構える時、アズメリアの視線に気づく。
「‥‥よし」
彼女の言わんとすることを理解して。ドリルは、ぐっと腰を落とし。
「ははははは!」
そう笑う老執事にしがみつくアズメリア。その細い目が光る。
「ッ!」
素早く体をかわし、老執事をドリルの方へと突き飛ばす。たたらをふんだ老執事の前で、ドリルがぐっと身体に力を込めた。
「うおおおおおおお!」
おおよそ女子として似つかわしくない声と共に。突進したドリルが老執事を押し倒し、そのままフォールする。女子プロレスで鍛えた肉体は、そう簡単には外れない。
動きを封じされた老執事の手。そこに握られた壺を、側から伸びた手が奪い取る。
「なるほど、よくよく見ればいい壺かもしれませんね」
「斑鳩さん!」
「はは、いやいや。冗談です」
にやりと笑ってみせ。八雲は壺を床に置き、腰の刀を抜き放つ。
「人を惑わす不埒な壺は、こうしてしまいましょう」
笑みを含んだ声と共に、振り下ろされる刀。
断末魔の音は、あっけないほど軽かった。
「あ‥‥」
ドリルの下で、そんな声が聞こえる。暴れていた老執事の身体から、力が抜ける。
これで、本当の終わり。それを実感して、能力者たちはほっと一息をつくのだった。
●悔悟
「本当に、申し訳ありません」
そう呟く老執事の顔に、壺に魅了された跡はない。ただ、消えない憔悴の色のみが、濃く残っているのみだった。
「お気を落とさずに。バグアの力は、あまりにも強いのですから‥‥」
優しく声をかける咲耶に、老執事は小さく礼をする。しかし、主を失い、自らも壺に魅了され、自信も希望も失っていることは、誰の目にも明らかだった。
依頼は達成したというのに、皆の間に漂う重い雰囲気。その中で一人、八雲は笑顔だった。
「大丈夫ですよ」
「え?」
振り向く老執事に、八雲は確かにうなづいてみせ。
「見たところ、あなたは能力者に比類しうる力を持っている。もしエミタに適正があれば、キメラに十分に対抗できるはずです」
「それは。わたくしに、バグアと闘えと」
はい、とほほえむ八雲に、仲間たちも視線を交わす。
その様子を見ていた老執事は、しばし、迷うような色を瞳に浮かべると。
「‥‥分かりました。まずは検査だけでも」
そう呟く老執事の顔に、再び、生気が戻ろうとしていた。
「執事ですかあ、大変そうな仕事ですね」
「いえいえ。貴方様方に比べれば」
次第に打ち解ける能力者たち。その姿を、割れた壷の破片が、茫洋と見つめていた。