タイトル:【崩月】気色悪いキメラマスター:凪池 シリル

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/05/10 23:51

●オープニング本文


「月面基地『崑崙』、か」
 ウォルター・マクスウェル少将はそう一人ごちた。奉天社と一部科学者の提案をアジア軍がバックアップしている計画については、実験段階であると報告はされていた。しかし、L2を目指した艦隊の壊滅を考えるに、バグアは月周辺にそれなりの戦力を配置していると考えられる。
「‥‥護衛を増強するように。それから、輸送艦を優先配備。特殊作戦軍にも連絡を取れ。おそらく、バグアも月にいる事がバレたとは判っているはずだ。すぐに、動き出すぞ」
 キメラなり、無人機なりの展開はこれまで報告されていないが、おそらくは息を潜めていたのだろう。敵の正体を探るのも重要だが、情報を集める間、手元に残るカードを守りきることも重要だ。
「こちらが先か、あちらが先か。時間との勝負だ。急ぐように」
 そう指示を出して、少将は静かにティーカップを傾けた。



 月面基地へ向けて進む輸送艦。そこに、敵の反応が現れる。レーダーから読み取れる敵情報は、「中型キメラが多数」というものであった。

 ここに護衛として集められた傭兵の中に、今日、一人の少女がいた。
 14歳という年齢を、戦場に出るに「若すぎる」と咎める者は、昨今では一部だろう。
 それほど珍しい話でもないし、彼女も能力者適正が見つかったその時に覚悟は決めていた。
 そう――覚悟は決めていた。
 傭兵としての経歴は、まだ浅いほうの側の人間だろう。それでもこれが初めての戦場というわけではなく、命のやり取りをすることも経験し、‥‥陰惨な現場を全く見たことがないわけでも、ない。
 力あるものとしての覚悟と責任感は、ある‥‥つもり、だった。
 今回も、話を聞いた限りでは。まだあまりなれない宇宙とは言え、中型キメラならば。KVならば、よほど不覚を取らねば大丈夫なはず。
 何が来ても、極力冷静に‥‥そう、思っていた、はずだった。

 先に言っておくならば、彼女だけが特別弱かったわけではないのだろう。
 宇宙空間に躍り出て、KVカメラのモニタを通じてはっきりと敵影を捉えた時。
「げぇっ!?」
 そう叫んだのは、彼女ではなかったのだから。

 目の前に、広がる光景。それは。


 宇宙空間で。笑顔を浮かべた少年少女が、こちらに向かって走り寄ってくる、というものだった。


 ――可哀想で撃てない?
 いいや。微塵もそんな感情はわいてこない。
 なにせ背景はあくまで漆黒の広がる宇宙空間だ。
 誰もが思う。
 【こんな場所で、宇宙服も着ないで駆け足できる子供がいるか】
 実際問題『ソレ』らは脚で前に進んでいるわけではない。傭兵たちからは見えないが、背中にきちんと宇宙用の推進機関があった。それで進むのに合わせて、ご丁寧に手足をそれっぽく動かしている、それだけだ。
「キ、キメラだっ! 撃てっ!」
 いち早く我に返った誰かが叫んだとき、即座に数機のKVが反応して、敵群に向けて砲撃を放つ。

 所詮キメラ。あっけなく打ち崩され‥‥そして、ばらばらになった手足が宇宙空間を漂っていく。

「あ‥‥ぅ‥‥」
 そして少女は、苦悶の声をあげていた。
 人間を撃っているみたいでいやだ?
 違う、それなら、頑張って割り切れる。言い聞かせればいい。アレは人間じゃないんだと。
 でも、すでに自分は目の前の相手を間違いなくこう思っている。「こんなのが人間であるはずがない」、と。
 なのに網膜が写す光景は、間違いなく「砲撃で吹き飛ばされる少年少女」でしかなくって。

 視界と、それに対する感情が、完全に噛み合わないと言う猛烈な違和感。

 私は今何を殺してるの?
 今の自分は何をしてるの?
 もう何にも分からなくなる。

 ヒトガタのものを倒して、胸が全く痛まない。
 それなのに。
 そのことが。
 ただ。
「気持ち‥‥悪いよぉおおおおお‥‥?」

 吐くように零した瞬間。
 新手のキメラが見えた。
 半透明に透けた肌から、蛍光グリーンに明滅する肉がみえている。
 細長い身体からは脚とも触手ともつかない器官がうねうねとうごめいており、膨れた顔から横一文字に開く口内はコードがひしめき合うような機械じみた不気味な様相を覗かせている。
 まさに、宇宙怪物然とした。
 グロテスクな。
 生理的嫌悪を催す、それがを見た瞬間。
 少女は思わず、安堵の笑みすら浮かべていて。
「お願いっ! アイツは私にやらせてぇっ!!」
 ひとまず、目の前のことから逃げられる場所が出来た。咄嗟に少女はブーストをかけて、新手のキメラへと向かって言った。

 ‥‥そしてそのキメラは、メキョメキョと気色悪く身体を変形させ、現れたプロトン砲の口を、飛び出してきたKVへと向けようと――





●参加者一覧

威龍(ga3859
24歳・♂・PN
クロノ・ストール(gc3274
25歳・♂・CA
荊信(gc3542
31歳・♂・GD
フール・エイプリル(gc6965
27歳・♀・EL
ピエール・アルタニアン(gc8617
20歳・♂・FT
入間 来栖(gc8854
13歳・♀・ER

●リプレイ本文

「っ‥‥一人で飛び出すなんて」
 一機のKVの突出に、クロノ・ストール(gc3274)が思わず漏らす。同時に、クロノの機体、リヴァティーもブースト加速して、先に出たKVをフォローすべく大型キメラへと向かう。
「ッたく‥‥覚悟も決まりきらねぇガキまで戦場に出て来るご時世かよ」
 同じくぼやいた荊信(gc3542)の声には、はっきりと不愉快が混ざっていた。
 荊信は気に喰わない。命のやり取りの場である戦場に、覚悟の決まらぬものがいることに。
 そして。
「間に合わせろッ! 病飛騅ッ!」
 己の愛機の名を叫び、彼もまた、少女のフォローに動く。
 ――ここにいることが許せないからこそ、無駄に命を散らすことも認められない。
 ロケットランチャーで弾幕を張り、眼前の敵の動きを止める。そこへ、ブーストをかけて少女のKVの下へ。
 同時に、入間 来栖(gc8854)の機体、ラスヴィエートのククルーがホーミングミサイルを発射した。照準最適化機能にも導かれて、奇麗な軌跡を描いて大型キメラへと着弾する。キメラから姿を見せていた砲台がぶれて、一瞬キメラは立て直しのために動きを硬直させた。
『このままでは直撃は免れない! 早く射線上から離れるんだっ!』
 そこに、ピエール・アルタニアン(gc8617)の声が通信に乗せられる。
「射線じょ‥‥えっ‥‥?」
 熱い、想いのこもった言葉は、それまでの傭兵の行動もあって少女に耳に届いた。少女は反射的にモニタに目をやると、プロトン砲の先に僅かに灯り始めた光を認識する。
 荊信機が人型に変形、受防最適化機能を起動すると同時に機盾を掲げる。いざとなれば突き飛ばしてでも庇う予定だったが、その前に少女の機体は旋回して離脱行動に入っていた。すでに荊信機とは僅かな距離が生まれている。
 そして、荊信の眼前を、プロトン砲の圧倒的な光量が、薙いでいく!
 光が消え去ったその後、一行は固唾をのんでレーダーとモニタで少女の機体を探す。レーダー上の少女の機体を示す光点はふらつくように不規則なブレを見せていた。
 荊信が舌打ちする。
「直撃は免れたか‥‥運のいい奴だ」
 モニタ上で少女の機体を確認して呟く。傭兵たちのフォローと警告はかろうじて間に合ったのだろう。プロトン砲は、僅かに掠めた程度。ふらついたのは衝撃に流されただけなようだ。荊信は、幸運を引きよせることを命じた己のエミタに感謝する。もっとも、皆の前では出さないが。
 だがまだ安心するには早い。再び発射の構えを取るキメラ。しかし、その時すでにそこにはクロノ機が肉薄していた。勢いを消さぬままキメラの横手へと回り込み、人型に変形。
『牙をむけリヴァティー、穿て銀甲弾拳!』
 勢いを乗せてアグレッシブ・ファングを乗せたシルバーブレットの一撃を叩きこむと、キメラの砲台は明後日の方を向く。
「ブーストの燃費が向上している? 流石人類の英知達、いい仕事をするね。これなら」
 ブーストにスキルと、フルに使った結果を確かめるべく視線を落とすと、燃料メーターは思ったよりは余裕があることを示していた。気を良くして、そのまま目の前の相手の撃破に取り掛かる。
『しっかりしろ! 動けるな? なら、とっとと退がれ!』
 状況が持ち直したところで、荊信が再び少女に呼び掛けた。
『え。あ‥‥ごめん、なさ‥‥』
 たどたどしい言葉が返る。ある程度正気に返ってはいるようだが、まだ割り切っていない、といったところか。声は、明らかに戸惑いを含んでいた。
 ――背後には、まだ中型キメラたちが、ひしめいている。
 ‥‥下がれと言われてどこに下がればいいのか。少女の表情は、まだ、蒼い。



『‥‥さすがに悪趣味すぎだろ、これは。こんな光景を見て、動揺しない方がおかしいってもんだ』
 眼前に展開する、中型のキメラたち。それを改めて見まわして、威龍(ga3859)がぼやく。
『これ‥‥これ‥‥が、キ‥‥キメラなん‥‥です‥‥か?』
 威龍の言葉に、却って現実に意識を戻されたのか、来栖の声は、少女と同様に震えていた。
『‥‥こういう汚れ仕事は年長者の役目だ』
 呟き返して、威龍機、タマモの蒼龍が先陣を切る。ミサイルポッドの攻撃を、少しずつ標的をずらしながら、より多くの敵に当てるように万遍なく。
 吐き出された大量のミサイルが少年少女の姿たちに降り注いでいく。直撃したキメラは原形をとどめぬほどに砕け散っていく。誘爆に巻き込まれた個体は、肌を焦がし、一部を欠損させ‥‥そして、それに対し何の感情も向けぬまま前進を続けてくる。
 威龍もまた躊躇わず、撃ち漏らした個体を殲滅すべく、ライフルの照準を向けた。

「セベク神よ 私に加護を与えたもう」
 嫌な空気の漂う戦域の中、フール・エイプリル(gc6965)がコックピットで発した声は深く、静かだった。
 祈りの言葉と共に、静謐な儀式のように、フールの指が操作パネルを滑って行く。
 彼女の機体、ラスヴィエートのクロコダイルもまた淡々とそれに応じた。ロケット弾が8発、連続して吐き出される。撃ちこまれた砲弾はキメラの身体左半分に大穴をあけ、あるいは、上半身を丸ごとえぐり取る。
 凄惨な光景に、フールの様子には、全く動揺というものが見られなかった。そのまま彼女は、まずは接近される前に数を減らそうと再びトリガーを引く。再度、ロケット弾ランチャーが弾幕を吐きだす。
「少年少女の姿‥‥神への生贄に相応しい」
 静かな声。仮面の下の表情は分からない。ただ確実に、彼女の『儀式』は続いていく。

 別の一群へ、ピエール機のリヴァティー、リベルテ・ムスクテールが斬り込んでいった。
 長距離機銃の弾幕を放ち牽制しながら接近。
 弾丸とはいえKVのばらまく物。喰らったキメラたちは腕に肩に、大きな赤黒い孔を穿たれもがく。
 ピエール機は一気に群れに接近、人型キメラの一体にブーステッドランスを突き立てた。ランスは深々と、一気に根元近くまで少年の身体に潜り込む。串刺しにされたキメラの身体は、そのまま二つにちぎれて宇宙に流されていく。
 KVに伝わる衝撃は僅かなものだ。はっきりと貫く感触を感じることはない。が。
「くそ、キメラだと分かっていても後味が悪い!」
 呻かずにはいられなかった。そして、接近してきたKVへとキメラは殺到してくる。KVから見れば小さな体が、腕に、足に。まるでだっこをせがむかのように、まとわりつく。カメラモニタに、光のない瞳をした少女の笑顔が、大写しになる。
 ミシリ。
 僅かに軋む音が響いた。どんな姿をしていても、やはりキメラ。その膂力で締めあげ続けられればいずれKVもダメージを受ける。
「おの‥‥れ‥‥」
 ピエールは機体を急旋回。まとわりつくキメラたちを弾き飛ばす。
「決して、貴様の思惑通りに行くと思うな、バグアァッ――!」
 吠えて、トリガーを引く。そうしてピエール機は、また手近にいた新たな一体に、ランスを突きこんだ。

 キメラが分布する3方向、それぞれに向かった仲間たちを、来栖は少し下がった位置から見送っていた。
 仲間が。
 キメラと。
 少年少女の姿をした、異常な『ナニカ』と。
 戦っているのを、見ている。
 操縦桿を握る手が汗ばんでいるのが分かった。指先が、冷たい。
 気色悪さが支配する心を、来栖はもう一度問いかけた。

(護りたいもののために、今護るべきもののために)

 嫌悪の奥に浮かび上がる言葉はそれだった。己がここにいる理由。そのために。
「わたしはっ‥‥撃ちますっ!!」
 意を決するために声を出して、己の機体に命ずる。
 兵器は忠実にして無情だ。躊躇いがちにトリガーを引こうが、使用される火薬の量も撃ちだされる質量も変わりはしない。DC−66マシンガンは設計の通りに6発の弾丸を放ち、既定の威力をキメラへと叩き込む。腕を肩を顔面を、弾丸がめり込み撃ち抜いていく。
「はやくっ‥‥はやく終わってくださいっ!」
 涙目になって願いながら、来栖は立て続けにトリガーを引く。
 彼女のモニタの端に、先に飛び出した少女の機体が映った。まだ標的を定められずに宙域を漂っている。それでも、今はまだその姿が健在なことに安堵と、感謝をしていた。何かを守れるということが、今の来栖の心の免罪符だった。
 どうにか心も立ち直ってもらいたいと、来栖は少女の機体に向けて、回線を開く。

『だいじょうぶ‥‥だいじょうぶです‥‥』
 ふと流れてきた優しい声に、少女は身体を震わせた。
 それは、己と同じくらいか、あるいはもっと幼い声で。
 己と同じか、あるいはもっと震えた声だった。
 ――今の自分は何をしてるの?
 もう一度、疑問がわく。先ほどとは違うトーンで。
 モニタに映るのは、おぞましい姿のキメラ。
 それに立ち向かう、仲間たちの機体。
 自分と同じ、ラスヴィエートの姿もそこにある。
 ‥‥ラスヴィエート。操縦桿に目を落とす。己の愛機はまだ、コンディションに問題はないと告げるように、計器の光を明滅させて、己の指示を待っている。
 情けなさに震えて、少女は祈った。

 どうか動いて。
 このポンコツになった心。
 この戦場で、もう一度だけ。

「ラスヴィエート‥‥そうだね。‥‥この、私の、馬鹿っ!!!」
 そうして少女は、拳を握りしめて、己のこめかみのあたりを――
 斜め四十五度に、殴りつける。
『ゴメン‥‥なさいっ!』
 叫んで機体を翻し、彼女は再び戦場に舞い戻る。中型キメラ、ヒトガタたちのひしめく、その場所に。
 涙に震えながら、それでも彼女もまた、トリガーを引く。



 大型キメラとの攻防も続いている。長い身体をしならせて尾を撃ちつけてくる一撃を、荊信機の盾が防ぐ。キメラが次撃を準備する前に、先回りしてライフルで弾幕を張る。押し返され、身をのけぞらせるキメラに向かって、クロノ機がシルバーブレッドを立て続けに叩き込む。積み重ねたダメージに、のたうつキメラの動きが鈍り始めた。
『このまま一気に撃破と行こうか』
 プロトン砲のプレッシャーを考えると、時間はかけられない。クロノは告げて、荊信と合わせて一斉射撃を叩き込む。
『そろそろ終わるな‥‥俺も大型に向かう。後始末は任せて平気か?』
 一方、人型キメラの残りが少なくなったところで、威龍は呼びかけた。
『ろ、ロジャーですっ!』
 来栖が精一杯の元気で応え、残るキメラを確実に殲滅に向かう。
『了解、こちらももう少しだ! すぐ援護に向かう!』
 ピエールは、眼前の敵を撃破しながらそう答える。
 フールは、相変わらず落ち着き払った様子でキメラを撃ち砕いていた。‥‥少なくとも、この様子なら任せていて問題ないだろう。
 威龍機はアサルトライフルを携え、大型キメラの元へと向かっていく。背後を取ろうと各種兵器を駆使して、暫くは牽制の撃ち合い。だが。
『さあこいキメラ! 自慢の技を見せてやる!』
 ピエール機が、宣言の通りすぐに追いついてきてくれた。ブーステッドランスを携え、正面から立ち回る。
 ピエールが正面を抑えてくれたおかげで威龍機も狙った動きがとりやすくなる。回り込み、そしてウィングエッジの一撃を叩き込みにいく。

 そうして。
「静かになりましたね‥‥」
 ほどなくして全てが終わった戦場で、フールが感慨にふけるように呟いて。そして。
「ひ‥‥くっ、こん‥‥な‥‥こんなのっずるい‥‥っ、ずるいです‥‥」
 来栖はようやく、己の心の感じるままに。思い切り、一人コックピットで震えていた。




 悪夢のような戦いを終え、輸送艦に戻った者の表情は様々だった。まだどこか青い顔をしている少女に、最初に声をかけたのは荊信。
「‥‥こんな程度で取り乱してたら、保ちやしねぇ。今回は生き残れたかも知れねぇが、次も同じとは限らんぞ。――覚悟を決めるか、傭兵やめるかさっさと決めろ」
「‥‥っ!」
 厳しい言葉に、少女は言葉を詰まらせた。今回、自分が迷惑をかけたことは否定のしようもない。なら、どうするべきなのか。‥‥答えは中々口を突いて出てこない。
「‥‥動揺したのは分かるぜ。だが、戦場の空気に染まりきれとは言わねえが、今回の事はきちんと教訓にすることだな」
 ‥‥すぐに答えられないことが、答えを現している。威龍はそう感じ取って、アドバイスを告げた。
 『次』のための、アドバイスを。
「――さもないと自分が死ぬ前に、仲間の誰かを殺すことになる。そいつが一番辛いことだぜ。そんな想いはして欲しくはないからな、実際」
 優しいだけの言葉ではない。警告の言葉も、しっかりと発して。
「わた‥‥しはっ‥‥!」
 ぎゅ、と胸元をつかみながら、少女はしかし、視線を伏せた。決断の言葉はまだ出ない。
「自分を見失えば守るべき物も失いかねない。心を凍らせるんじゃない、強くするんだ。守りたいものの為にね」
 次いで言葉を発したのはクロノだ。少女はちらりとだけ顔をあげて、問いの視線を投げかける。
「僕の守りたいもの? そうだね、今は君の笑顔かな」
 そう、クロノが答えたのを聞いて、少女は一瞬ポッ、と顔を赤らめて、そして直後、溜息を吐いた。
 14歳。多感な年ごろ。だが大人への成長を始める頃だ。クロノの言葉が、庇護の対象へと向ける慈しみから発せられる種類のものであることを、理解できないほど子供すぎるわけではなかった。
 悔しい。ギュッと歯を食いしばって‥‥だけど気付く。悔しい、と思えるのは、まだここで終わりたくないからだ。
「あな、たは‥‥どうして、戦えるんです、か?」
 だから彼の言葉からは逃げてはいけない。少女は、荊信へと顔を向けて、問いかける。
「俺か? 戦いが愉しいし、してぇ事だけしてるからさ」
 あっさりと、彼は答えた。お前さんとは世界が違うんだよ、と、言い添えて。
「それにな‥‥こんなのは、もう本物で見慣れちまってんのさ」
 何とも言えない響きをもつ、声。それは確かに、彼と少女の生きてきた『世界』の違いを感じさせた。
 見てきたものが違う。触れてきたものが違う。知っているものが違う。彼のようになりたいと思っても、それはもう叶わないのだろう。だからきっと。
「私は‥‥貴方とは違う強さを、見つけないといけないんですね‥‥」
 囁きは吐息と共に。だが、それでもそれは、荊信の問いへの確かな答えだった。
 そのときすっと、彼女の視界の端に何かが差し出される。
「その‥‥少し気分が落ち着くと思うのだが」
 ピエールが差し出したのはココアの缶だった。無重力の輸送艦内ではすぐに飲むことはできないが、その心遣いが嬉しい。
 ほっと一息ついて、少女は大事なことを思い出す。
「皆さん、迷惑かけて本当にごめんなさい。助けてくれてありがとうございます」
 そうして、今日一番しっかりした声で、少女は全員に言ったのだった。



 輸送艦はこうして、月面基地に無事、全ての荷物と共に到着した。
 激しい戦いへの準備が、こうして、着々と進められていく――