●リプレイ本文
「――っう‥‥ひくっ‥‥」
行きかう人ごみの中で、小さなすすり泣き声が零れ出ている。当てもなく、おぼつかない足取りで移動する少女の視界に、突然、小さなものが飛び込んできた。
「やあ、リトルパンダさんだよ? どうして泣いているのかねー?」
少女の、文字通り目の前で、ぴょこぴょことパンダが揺れていた。
「う‥‥う゛ぁっ‥‥えっ‥‥おがぁ‥‥ざ‥‥」
混乱する少女は、それでも胸の内を吐露しようと口を開くが、嗚咽でまともに言葉にならない。
「ゆっくりで大丈夫だよー。おじょうちゃんも、リトルパンダさんにお名前教えてくれるかなー?」
流れゆく人々の中。ぽっこりと、小さなパンダの人形と少女のたどたどしい会話が、小喜劇のように繰り広げられている。
『‥‥からお越しの、――ちゃんのお母さまー』
やがてそんなアナウンスが場内に流れたのは、それからもう少ししてのこと。
賑わうデパートの中では、良く在る光景。
「さて、もう大丈夫かな?」
七市 一信(
gb5015)は、先ほどまで泣いていた少女を見送ると、やれやれとパンダの人形をポケットにしまいなおす。
そうして改めて、周囲を見回した。先ほどのようなハプニングも含めた上で――おおむね、幸せそうな人たちが行きかっている。そして。
「さてはて、ホワイトデート、君と二人でホワイトデートーン」
一信自身、その中にいた。思わず鼻歌などを歌いながら、待ち人を待つ。
特別な日。彼も今日くらいは、信念を少しだけ曲げて、いつものパンダのきぐるみではなく、おしゃれをしている。
‥‥やがてゆっくりと姿を現す、彼の待ち人。幸せな、デートの始まりは。
「スーツに、サングラスとか、売れない、芸人が、調子に、のらないで、ください。じゃなかったら、ただの、ヤクザ、です」
k(
ga9027)、間違いなく彼の待ち人であり恋人の、冷たい一言だった。
――何はともあれ、ホワイトデーである。
「久志とデート♪」
口からハートマークが飛び出しそうな口調でキョーコ・クルック(
ga4770)が呟く。
彼女もまた、本日のデートに向けて並々ならぬ気合で挑んでいた。
「よしっ、これでOK♪」
しっかりおめかし。鏡の前で恥ずかしくない格好だと確認して、一声。
‥‥とはいえ、その服装はいつもどおりのメイド服なのだが。
まあ、そんなことはたいした問題ではないという風に、うきうきした足取りで彼女も待ち合わせ場所へと向かっていく。
「おっまたせ〜♪ きょうは誘ってくれてありがとね♪」
そうしてキョーコは、狭間 久志(
ga9021)の姿を認めると、飛びつく勢いでその腕に抱きすがる。
久志は少し照れつつも、微笑んでその手を取り直す。
今こうして、彼女が明るい表情を見せてくれることにほっとする。
デリー戦以降、落ち込む様子を見せることが多かったキョーコ。バレンタインのお礼もある。今日はたくさん喜ばせてやりたい‥‥と、思っていた。
「そうだな‥‥服を見に行くとか、どう?」
前に、彼女がメイド服以外の服をあまり持っていないというのを聞いたのを思い出して、久志は何気なく提案する。
「選んでくれるの? 楽しみ♪」
普段着とかよく分からないんだよね‥‥といいながら、本当に嬉しそうなキョーコを見て、久志も嬉しくなる。
男が女に服を贈るのは、それを脱がせるためだという俗説もあるが‥‥まあ、いいじゃないと久志は内心こっそりつぶやいて。
そうして二人も、そのまま手を取り合ったまま、フェアに湧くデパートへと足を向けていく。
そしてこの日。やはり並々ならぬ気合でデパートの前に立ちはだかる男が、一人。
「どうか、彼女が喜んでくれる贈物が見つかりますように‥‥」
必死さの漂う呟きと共に、彼の瞳孔に変化が現れる。金色に変化したそれが縦に裂け、左頬から首に向けて黒い炎のような痣が出現。服によって隠れてはいるが、それは鎖骨の辺りまで伸びていることだろう――覚醒特徴、である。
そのまま念じる。よりよきものにめぐり合えるよう。祈りはエミタへと伝わり、幸運を呼び起こす力へと変わる。そのままカっと目を見開いて店内へと一歩を踏み出し。
「‥‥いかん、店内で覚醒するなどと‥‥スキルに頼らず探さねば」
一瞬で覚醒を解く夏 炎西(
ga4178)であった。
「覚醒変化を抑えながら歩くより、普通に歩いた方が良く物が見えますよね‥‥」
いいながら、彼もまたホワイトデーフェアの一角へと消えていく。
ホワイトデーという以上に、大切な人の誕生日という意味を持つ日。失敗できないプレゼント選びへの意気込みがそこにあった。
かといって、デパート全体が甘く白い空気に包まれているかというと、そうでもなく。
「‥‥そう言えばそんな日もあったな」
あちこちに掲げられる文字を見て酔うやっと思い出した、という風に呟いたのは時枝・悠(
ga8810)である。
「駄目だよトッキー! 世間に興味をなくすところから引きこもりの道は始まってくんだからね!」
冗談めいた口調で、めっとたしなめるのは同行の紫藤 望(
gb2057)である。
友人同士の二人、今日は望が誘う形で二人でお出かけ、という体である。バレンタインは友チョコという形で交換を済ませており、実のところお返しは済んでいる。そんなわけで、今日誘われた理由というのは、ホワイトデーとはそれほど深く関係があるわけでなく。
(戦争後は全力でニートするって言ってたのが駄目だったらしい)
内心で思う悠。つまり、望曰く、「トッキー定年おとーさん回避計画の一貫」としてのデート、とのことらしい。
(働きたくないでござる)
もしかしたら悠は余計な口を滑らせるんじゃなかったと少し後悔しているかもしれない。だが、望と連れ立って歩く様子はまんざらでもない風ではあった。普段の、他者に対するぞんざいな口調も、多少はましになっている。
望のほうは、戦争終わった時に燃え尽きて定年サラリーマンみたいにならないよーお姉さんのうちが一杯ラブラブしてあげなきゃ! と多少気合の入った様子で、うきうきと歩いている。
半ば無理やりデパートに引っ張ってきた望に対し、春物の服でも見るか、と結局付き合う悠。日付に深い意味は無くとも、楽しそうな空気は確かにそこにあった。
大氣都比売(
gc8749)も、ただぷらぷらするのが目的で偶々今日ここに居ただけだった。そりゃあ、別にホワイトデーフェアをやっていようが、ホワイトデーに用事がない人間がデパートに来てはいけないなんてことは断じてないのだから当たり前のことではある。そうして、何か面白いものでもないか、と、その辺のものを物色しつつあちこち眺め回っていると‥‥一つ、目に留まるものがあったと言えばあった。
ホワイトデーフェアの一角。セールワゴンの一つに僅かに身を隠すようにして、何か様子をうかがっているらしい小柄な姿。
その正体は高槻 ゆな(
gc8404)。ゆなの目的は本来は、花見用のお菓子を買うこと。ホワイトデーともなれば、限定商品も含め美味しそうなものがいっぱい並んでいるというわけだ。だがすでにその手元には、購入済みの菓子折りが確保されている。すでに目標は達成されているわけだが、ゆなはまだこのコーナーにとどまり続けていた。
好奇心に満ちた目で何かを観察しているらしいゆなに、比売は何をやってるんだ? と気になって少しずつ近づいていく。
やがてそれとなく耳に入ってくるのは、
「あの挙動、自分のセンスに自信が無いと見た! どうするんだろう‥‥」
とか
「‥‥へー、あれにするのかな? あ、違う?」
とかそんな呟き。
そうして視線を送った先には‥‥明らかにプレゼント選びに迷ってると思しき挙動不審男がいたわけで。
●
そんなわけで、挙動不審男こと孫 陽星のプレゼント選びはなおも続いていたわけである。
うろうろと彷徨っては気になってた場所に戻り‥‥を何度か繰り返したところで、変化の一つ目は現れた。
「‥‥陽星、さん?」
意外そうに――というか、実際彼を知る者からすればこんなところで出会うなど以外そのものであろう――声をかけてきたのは、那月 ケイ(
gc4469)。
様子を察したケイは、苦笑交じりに話しかける。
「お返し、悩みますよねぇ」
悩む、といったケイの手には、すでにプレゼントの包みがあった。ふと陽星はそこへ視線を向ける。
「俺もやっぱり、不安はありますけどね‥‥でも、自分を想って選んでくれたって事が一番嬉しい贈り物かもしれませんよ? 少なくとも、俺が貰った時はそうでした」
言いながら笑顔がこぼれるのは、自然と自分が受け取った時のこと――バレンタインの日を、思い出すから。
「そう‥‥でしょうか‥‥」
それでも、返す陽星の言葉は、まだ戸惑いが残っていた。
「っと、しまった遅れるっ!?」
だがここで、ケイが慌てて声を上げる。彼の恋人との待ち合わせの時間が迫ってきていたようだ。
「すみません、俺もう行かないと。健闘を祈りますっ!」
背中を向けて慌てて去っていく彼に、
「ありがとうございます。貴方も幸運を!」
手を振って、陽星は見送った。彼も、ここにきてようやっと、少しだけ、笑っていた。
日付が日付だけに、偶然の出会いはこれだけにとどまらなかったようだ。
とりあえず、贈られたものに関しては返さなければ、と適当に――なんでVDはチョコでほぼ固定されてるのに、WDは飴やらマシュマロやらクッキーやら諸説あるのか。製菓各社の陰謀か、などとぶつくさ言いながら――買い物に来ていたヘイル(
gc4085)もまた
「む、アレは‥‥。――ば、かな。少尉が私服、だと‥‥!?」
かくして衝撃(?)の出会いを果たした一人であった。
だが彼もほどなくして、視線の先に居る相手の様子から目的を察すると、近づき話しかけていく。
「‥‥ああ、成程。――こんなところで奇遇だな少尉。ホワイトデーの贈り物か?」
「あっ? こ、こんにちはヘイルさん。えっとあの‥‥その‥‥はい、そうです‥‥」
一瞬で見抜かれること二人目。誤魔化しても無駄なのだろうと悟ると陽星は素直に認める。
「‥‥少尉の場合だったら何かしらペアになる装身具とかでも良いような気がするな。髪留めとかどうだ?」
「へっ‥‥ぺ、ペア、ですか? いきなりペアというのはその‥‥馴れ馴れしすぎないでしょうか‥‥それに‥‥髪留め、ですか‥‥」
思わず毛先を指先でいじりながら陽星。いまいちピンときていない様子である。悩み続ける様子の彼にヘイルはふと、別の問いを発する。
「ところで少尉。まさかとは思うが、私服はもう少し良い物はあるよな? 無いなら買うぞ、今すぐにだ」
「へ。あ、その‥‥もう少し、なら、ない、訳ではないですが‥‥」
「つまり誤差の範囲か」
「‥‥」
「黒しか着ない俺が言うのもなんだが、もう少し何とかした方が良いな。これから先、デートなどした時に一緒に居て恥をかくのは女性だぞ?」
押し黙るしかない陽星。そんなわけで一度紳士服売り場のフロアへと連行されるのだった。
まあ、程よく弄りがいのある素材に店員から気合を入れてあれこれ薦められたり試されたりさせられた、結果。
「‥‥服を買うって‥‥こんなに過酷なんですね‥‥」
「いやまあ‥‥ある程度、自分で方向性を定めておけばそんなに大変ではないと思うが‥‥まあ、こうした機会に色々勉強しておけばいいんじゃないか」
なお、接客のプロである店員にほぼ丸投げする形で選ばせたおかげで、無難かつシックながら良質なものに纏まっている。念の為。
ただし
「帰ったら伍長や副長辺りにも聞いてみろ。こういう事でももっと他人に頼った方がいいぞ」
この意見については。
「あの‥‥二人にですか‥‥? いやそれはちょっと」
思い切り怪訝な顔しかされなかったという。
さて、そんなこんなで一旦脱線しつつも、再びのホワイトデーフェアコーナー。次なる巡り合いを果たすのは。
「クリスマスの後にバレンタインがあって、その一ヵ月後にホワイトデーがあって‥‥最近はコンスタントに一緒できて、幸せだよっ♪」
「いつも思いますけどもっと一緒がいいですね」
そう言って手を繋ぎラストホープを歩き回る守原有希(
ga8582)とクリア・サーレク(
ga4864)の二人だった。
「基本部分は完成してるし、後は飾り付け用のマカロンにマシュマロを、と‥‥」
あちこちを回りながら、ホワイトデーのプレゼント用の食材探し。その過程すら楽しいというふうに、明るい声を零すクリアに。
「内緒にしたい物を買う時は言って下さい。うちもありますから。お互い見るまで内緒です」
やはり、嬉しそうに声をかける有希。
(女性に弱かったうちが最愛の人と結婚を考えるとこまできたって思ったら‥‥)
しみじみと感慨にふける有希。
そうしてラストホープをめぐるうちに、二人も自然とフェアへにぎわうデパートの中へ。
そして。
「休んでる!?」
戦慄の邂逅三号となったわけである。
「あ、も、守原さんもこんにちは‥‥いや、なんですか。私だってたまには休みくらい取りますよー‥‥」
度重なる驚きの顔に、さすがにちょっと傷つきながら、己の身の振りを改めようと思った陽星である。まあどれほどの時間覚えているか分かったものではないが。
「あ、えっと、それより、なにやらお悩みのご様子でしたけど‥‥」
場を取り持つように、クリアが問いかけた。初対面ということで一瞬悩んだ陽星だが、逆に返って話しやすいところもある、それに女性の意見は聞きたかったこともあり、素直に己の懸念を伝える。
「恋人が選んでくれたプレゼントなら、きっと、社交辞令でなく喜んでくれると思うけど‥‥」
返ってきたのは先ほどのケイと似たような答え。それでいいのだろうか、と訝しがる陽星に、しかしクリアの言葉はまだ続く。
「それより、その人となるべく一緒に居てあげる事の方が大切なんじゃないかな? 普段一緒に居られないなら、こういう機会こそ特に」
愛する人と一緒に居る時間って、どんな贈り物より幸せなんだよ、と、言いながら有希の腕にぎゅーっとしがみつくクリア。
陽星ははっとした表情で、暫く固まる。
と、そこで有希が、改めての挨拶とともに口を開く。
「ご無沙汰です。此方婚約者のクリア・サーレクさん」
と、改めてともにいる相手を紹介し、互いに会釈を交し合う。そうして、「プレゼントの内容に迷うのでしたら」と、有希は軽く腕を伸ばして、己が身につける腕輪を見せる。瑠璃のはまった見事な細工のものだった。
「月の他に365日の誕生石や誕生花もあり本とかで解ります。3月14日に因む、花言葉石言葉が良い物に絞る手はどうです?」
ちなみに瑠璃は「愛」「永遠の誓い」ですと説明しながら有希は薦める。
‥‥ふと見てみれば、二人の装飾品にはそうした、特別な日に互いに贈り合ってきた物であろうものがさりげなく見て取れた。
交わされる想い。その度にその日は、ただの世間の習慣ではなく、本当に二人とっての意味のある日になる。その意味を添え記念する品。
――積み重ねてきた、二人の姿。
「‥‥羨ましいお二人ですね」
嫌味でも蔑みでもなく、ただ純粋に賞賛の思いを、思わず陽星は零していた。二人とも、少しはにかんで、でも少し誇らしげに微笑みあう。
「確り自分で伝えんばですよ? うちも最初はメールでしたが最後は真直ぐ自分の言葉でした」
最後に、有希は陽星にそう告げる。
「ありがとうございます。お二人のお話、とても参考になりました」
改めて一礼すると、二人はまた、己の買い物の為に去っていく。
そうして、二人の言葉を陽星が深く刻み込んで。早めに実行できるように頑張ろうと気持ちを新たにしようとしたところで――。
エスカレーターから、小鳥遊神楽(
ga3319)があがってくるのが見えた。
偶然だった。
まだ決意は固まりきってなかった。
「陽星さん?」
そうこうしているうちに神楽も気付いて先に動いた。
「あ、え? あ。はい。その。あれ。どうしてこちらに」
結果、多いにキョドった。所詮これがボンクラクオリティである。
「服でも買いに‥‥と思ったのだけど、そちらもかしら?」
さりげなく陽星の様子を確認しながら問いかける神楽。彼女が服を買いに来たというのは本当だった。もともとは男性との付き合いとか意識した事なかった神楽はハレの時に着るフォーマルなドレスは持っているが、ちょっとした時に着るような女性らしい装いは持っていない。さすがにそれは女性としてどうかと思い、一念発起して、ここにやってきていたのだ。
「は。まあええと、そんなもので。はっ! あの、何か、変でしょうか?」
「いえ? 決まってると思うわよ? その、いかにも店員に選んでもらったからよく分からない、みたいな落ち着きのなさがなければね」
たった今買い換えて着替えたらしきあの袋の中は、どういった服装だったのだろう? ‥‥まあ、予測はつく気がする。少し意地悪な口調になってしまうのは、出遅れたことを理解したからか。シックな感じに纏まった服は、多分自分が選んでも似たような感じに見立てたと思う。‥‥だからこそ選んでみたかった気もするから。
「それじゃ、せっかくだから一緒に居てもいいかしら」
何はともあれ、こんな機会はめったにない。そのままデートに持ち込もうとする神楽。
「あ。それはその。むしろ嬉しいですけど。あ。いや、えっと‥‥」
だがしかし、バレンタインのお礼のプレゼントがまだ買えていない陽星。どうしたものか。後で改めてと約束してここは一度別れるか。だがそれをするには先ほどのクリアの言葉が突き刺さる――何より彼自身、一緒にいられる時間は惜しい、と思う。
ならばいっそ何が欲しいのか聞いてしまうのがいいのか‥‥それもなんだか、つまらない気がした。なんだろう、自分でちゃんと喜んでもらえるものが選べないと、付き合う資格はないんじゃないか。そんなよく分からない空回りもしつつ混乱すること数秒。
割り込んだのはまた違う場所からだった。
「少尉! 小鳥遊さん! 今日は休暇ですか?」
えらく嬉しそうな声で二人に挨拶してきたのは炎西である。
「あ‥‥はい」
「‥‥こんにちは、ね」
陽星はまだ呆然としたまま、神楽は小さな苦笑とともに挨拶を返す。
「実は、私もプレゼント探し中でして‥‥小鳥遊さん、もし宜しければ、女性が喜ぶ贈物についてアドバイス頂けませんでしょうか?」
グッドアイディアとばかりに話しかける炎西に、神楽は少し困惑気味だ。さもありなん、なのだが炎西は無論分かっていない。ボンクラその2である。
「‥‥あ。その、じゃあ、すみませんっ! 私は少しだけその、所用がありますので、神楽さんと炎西さんはここで少しお待ちいただけないでしょうかっ! あの、本当にすぐですのでっ!」
そうして、陽星は陽星でこの状況に、何をどうテンパった回路が繋がったのか、炎西に任せて一旦この場を離れようとする。
そっと後ずさる陽星を、神楽は引き止めようとはしなかった。彼がこの階にいる理由はおおむね察していたのだ。彼がそうしたいなら、そうさせておこうと。
ただやはり、空気の読めない男×2、という構図には、やはり溜息も出る。
「‥‥じゃあ、あたしも代わりに聞きたいのだけど。中国人男性というのは皆こんな感じなのかしら?」
思わず炎西に聞き返す神楽であった。ちなみにここで注記するなら、断じてそんなことはないと思う。たまたまこの場にいる二人がこうなっただけである。
「なんでもないわ。忘れて頂戴。それより、私の意見で参考になるかどうか分からないけど」
そうして、ただ待つのももどかしいのか、神楽は素直に、今待つ自分の気持ちを踏まえて応えることにした。
「女性にとってプレゼントってね、ただ物の値段じゃない、そこに込められた意味こそが価値を持つと思うの」
どうしてその品物にしたのか。それによって感じる、自分への印象。だからこそ神楽はもともと、陽星のプレゼント選びに同行することになっても口出しはするまいと思った。彼の自分へのイメージを知りたかったから。
「‥‥どんな想いを伝えたいか。どんな印象を受けると思うか。それを考えて選んでみたらどうかしら」
曖昧な回答で申し訳ないけどね。そういう神楽に、炎西は感嘆の表情を浮かべる。
「どうも有難うございます、参考になりました」
そうして炎西は深々と頭を下げて、踵を返して催事場へ向かいなおす。
‥‥同時に、陽星がやや駆け足で戻ってくるのが見えた。
――悩む時間もなくなれば、結局、最初に目星をつけていたアクセサリを選んでひっそりと携えて。
●
さて、ボンクラ男の買い物も終わったところで、他の面々の買い物風景も見てみよう。
一信とkは、一信がkの車椅子を押しながらゆっくりと店内を回っている。
「おー、ピンクもわりかし似合うジャマイカ」
まずは一信がホワイトデーに、と、彼女の春服を選んでいた。一信がなんとか好みを聞き出そうとしていたのだが、kは終始、どこかつまらなそうな様子ではあった。
それでも、着替えた服に一信は満足そうな顔を見せる。
ただkにしてみれば自分の服よりも一信の服装をどうにかしたい気持ちがあったようだ。
「七市さんには、あまり、気取らないほうが、似合いそうです」
そんなことをいいながら、視線はむしろ男性物のほうへと向いている。
それでいて一信は自分の服には今日は一切興味がない様子なので、どこかちぐはぐながら二人は進んでいく。
ついでのおもちゃコーナーでは。
「これは在り来りだけど面白い見せ方が‥‥いやでもこれも‥‥」
一信は、真剣な目でお笑いネタに使えそうな手品グッズを見ていた。どれくらい真剣かというとふと気がつくと肝心のkをほったらかしにしかけたほどである。
「や、違うんだよ、こう、グッズの進歩ってかに見とれてて別に忘れてたわけでは!」
慌てて弁解する一信に対しkはどうでも良さそうな顔をしていた。何のことはない、彼女こそ一信をほったらかしてぬいぐるみを漁っていたのだから。
‥‥そっけなく振舞い続けるkの、最後に手に残っていたのはパンダのぬいぐるみだった。
「七市さんを、飼うみたいで、いいかも、しれません」
呟きを、一信が聞いていたかは不明である。
ただ、デートの感想をkが他人に聞かれたとすれば彼女は冷たくこう応えるのだろう。「つまらなかった」と。彼女は本気でそう考えていて――だから、何気なく持ちなおしたバッグ、その時小さく感じた違和感の正体も、このときは深く考えずにいた。
「わ〜♪ 可愛いね〜♪」
対し、キョーコと久志。これはもう対照的に、女性服のフロアに着いたときからキョーコのテンションは上がりっぱなしだった。
久志自身も自分の服装センスにはそれほど期待していないので、店員の意見も借りながら、たまに自分の好みを織り交ぜて、「あそこのマネキンが着てるのどお?」とか、「ベルト付きのカシュクール風のワンピースとかどう?」などと薦めていく。
キョーコはもう、久志が薦めるなら何でも着てみるっ! というテンションで、あれこれくるくると装いを変え。
「‥‥ぇと‥‥似合う‥‥かな‥‥?」
そうして、なれない服装の戸惑いと喜びに震えるキョーコを、久志はその度に堪能していた。
「これ‥‥買っちゃおかな‥‥」
久志が褒めてくれるのもそうだが、乙女心、変化する己自身が嬉しいのだろう。鏡を見て、どきどきしながらキョーコが時折呟く。
「ん。それにする? せっかくのホワイトデーだし、キョーコが一番気に入ったのをプレゼントするよ」
久志が言うと、キョーコは目をぱちくりさせる。「買ってもらっちゃって‥‥いいの‥‥?」と改めて聞いて、久志が頷くのを確認すると。
「‥‥ん。それなら‥‥久志が一番気に入ったの‥‥決めて欲しい」
はにかみながら、キョーコはそう答える。
「一番気に入ったの? それは‥‥。‥‥あー、いや」
一度いいかけた言葉を切った後、久志が選んだものは。キョーコが、着替えたとき一番楽そうに見えたワンピース。
たまにはメイド服より楽な格好をさせたい、という思いから選んだ品。それでも決して手抜きではなく、デザインも申し分ないもの。
そうして、それを購入することが決定すると。
「ありがと‥‥着て行っちゃおっかな‥‥」
そのまま試着室を借りて、買ったばかりの服を着て移動することにする。その足取りは本当に軽やかで‥‥決して、服をプレゼントされた喜びだけではないと、思う。
(メイド服のキョーコは、とても捨て難いんだけど‥‥)
その背を見守りながら。久志は、先ほどうっかり『一番』にもいいかけそうになったその思いを、やっぱり今日は内心にしまっておこう、と思った。
炎西は、その後催事場の色々なコーナーを回っていた。
まずはお菓子売り場。
「お返しぽくなりますかね‥‥」
そのまま流れで、うっかりと下着売り場などに踏み込んだりもして。
「いや。いやいやいやいや」
嫌われるプレゼントNo1とどこかで聞いた気がして。そもそも直視するには彼には刺激が強すぎて、あさってのほうを向きながらそそくさと退散していく。
‥‥そうして彼が最後に選んだのは、アクセサリー売り場で目を引いた、ホワイトゴールドのハート型ペンダントだった。
アラベスク模様に花弁のモチーフ。
――彼女を連想させたというのが、選ばれた理由だ。
「そーだ、絵を描こー。おっきいヤツ!」
そしてその時、ぶらぶらしたはてにたまたまたどり着いた画材屋で、望が唐突に閃いていた。
「絵? 絵なんかかかないぞ?」
どころか、字すらあまり書かない悠である。望も描くという話は聞いたことはない。何故そんな流れになったのかはなはだ疑問だった。だが望は「こーゆーのはインスピレーションだよね」と自信満々な様子である。
「絵具とブラシ買ってー、後大きな板を買おー」
はしゃぐ望の横で、しかしなぜか悠もとめることはなく画材の検討を始めていて。
作業着としてパーカーも二着買って。
汚れても、汚してもいいように広場に行こう。
いいお天気だ。人通りもある。
いい出会いもあるかもしれない。ほら。
「あ、ケイさんとエジーだよアレっ。良いなー羨ましいなー」
通りがかりを二人に目撃されたのは、まず、だあれ?
かくて、お話はデパートの外へ。
●
そうして、気持ちのいい風の拭く中、談笑して歩くのはケイと喫茶店で待ち合わせていたエスター・ウルフスタン(
gc3050)である。
「誘ってくれてありがと。嬉しいわ」
少し遅れて現れたケイにエスターはそう答えて。その後も、普通に笑って大人しくしゃべって。
ケイは、それに合わせて、それとなく会話を続ける。喫茶店を出て、遊歩道を歩いて。公園を通りながら、ゆっくりと、穏やかな――そして、もどかしい、会話を。
「‥‥エスター?」
そうして呼びかける声に、エスターはまた、なんともなしという風に振り向いて答えようとして――出来なかった。振り返ったところ、声を出す前に、抱き寄せられていたから。
「‥‥何か、あったんじゃないのか?」
大人しい、まともな対応が、普段のエスターから考えるとおかしい。その変化をケイが見逃すはずがなかった。静かな、二人っきりの場所に出れば自分から話してくれるかと待っていて‥‥結局、痺れを切らした。
「何かあった、か‥‥何やってるんだろ、うち」
それでも、それがエスターの中の張り詰めた何かを弾いたのか。ぽつん、と零れ落ちてくる、彼女の何か。
そうして。
彼女は、言った。
「‥‥ねぇ。もう、傭兵なんてやめちゃおっか?」
――パパは、うちを護って取り返しのつかない怪我をした
――目の前で大事な人が酷い目に遭うのがいやで、だから頑張って、結果
――センパイが目の前で大怪我を負って、不用意な作戦で一般人を死なせて
「うちは二度と武器なんて持たなくて、スカートなんか穿いちゃって。髪も伸ばして、あなたの帰りを待つのよ」
――才能なんてない。ただ、ちょっと努力するのが得意なだけ
――それも役に立たないなら、諦めちゃっても
「ね、それってとても素敵じゃない?」
笑ってはしゃぐ、彼女の声。
――泣けずに言えない、彼女のコトバ。
彼女の声を聞いて、ケイはそっと目を閉じて、考える。
ああ、それは確かにとても素敵なんだろう。安全なところで学校に通って。そんな年相応の生活を彼女が送れるならどんなに安心か。そうして自分が疲れて帰ればそんな彼女が出迎えてくれる。次はいつ会えるだろう、無事会えるだろうか、そんな心配をすることはなく、家に帰りさえすれば彼女がいる。それは確かに、素晴らしい生活。
「‥‥それも、いいかもな」
さあ、後一押し。自分が後一押しするだけで、その、彼女にとっても自分にとっても平和な世界が待っている。ただ一言、例えば「いいんだよ。頑張ったね。大丈夫、不自由させないから」とでも言ってあげれば。簡単なことだ。
ケイはまた、口を開いて。
「けど、それで本当に後悔しない?」
でも、彼が口にしたのはそれだった。
「後悔なんて、そんな‥‥――」
エスターが口を開く。今日、これまでどおり普通に、笑って。言い切ろうとして、言葉が詰まる。
「‥‥するに決まってんじゃん」
ぼろり。何かが剥がれ落ちる音とともに。涙が、止めていた言葉が、溢れてくる。
「うちが今まで、どれだけ‥‥! 二度と、目の前で、でも、出来ないのに出しゃばって、それで、また!」
一気にあふれ出てきた言葉は、まるで纏まりがなくて、意味を成してなくて、その筈なのに。
「‥‥だったら、できるように一緒に頑張ろう? 大丈夫。何があっても、俺が守るから」
なのに、普段鈍いはずの目の前の男は、全てをわかったかのように言葉をつないで。‥‥守ってくれると、言って。
「‥‥こんなときだけ、厳しいんだから」
ちょっとは甘やかしたりとか、したらどうなのよ、ばーか、と悪態をついて、胸に頭突きをして。それをケイは、やっといつものエスターだ、と笑って受け止めて。
「もう少しだけ、このまま」
そのまま胸に顔をうずめたエスターを、ケイはエスターが顔を上げられるまでそのままにしていた。
そうして。
「そうだ。これ、ホワイトデーのお返し」
顔を上げられるようになったところで、渡す。
「ありがと。‥‥ありがと」
エスターは、まだ鼻をすすりながら、それを受け取る。
――ほんとにありがと。
――うちの挫折を望まない人がいるなら。もうちょっと、もう少し、今日はきっと、笑って過ごせそう、と。
望と悠のキャンパスには、相変らず気分で様々な色が景色が、人が描き付けられている。次にその要素となるのはなんなんだろう。時折望は、キャンパスに叩きつける何かを求め視線を彷徨わせ、そしてまた。
「あ、久志さんだー。なんか雰囲気変わったよねー、前はどこかフワっとしてた気がするかも」
久志とキョーコは、満足の買い物タイムを終えて、締めに一息つく喫茶店を探すところだった。
ゆっくりとお茶をしつつ本日を振り返り。
「さっき買った服は僕の趣味も兼ねてるんで‥‥こっちが今日の本題のプレゼント」
そうして、そこで久志はそっと、隼のペンダントを差し出していた。
「僕がハヤブサ乗りだからって訳じゃないけど‥‥隼の『つがい』って死ぬまで一緒だって言うからさ。僕らもそうなれるといいなって‥‥受け取ってもらえるか?」
キョーコはまたびっくりした様子で、それでもそっと受け取って。
「うれしい‥‥大事にするね‥‥」
大切に、包み込むように両手で持って。
「だけど、あたしたちは生まれ変わっても一緒だからね♪」
そう言って、にっこり笑った。
その様子を見て、久志は気が抜けたかのようにほっと一息つく。
「バレンタインのお返しって、気を入れすぎたかなぁ? ハズしたらどうしようって気が気じゃなかったよ」
そうして。
やがてそんな、喫茶店の一幕も終えて。
「きょうは、本当にありがと。これお礼♪」
そうして、キョーコは。人目を盗むタイミングで。
不意打ち気味に、熱い口付けを久志に押し付けていた。
「こんなあたしだけど、これからもよろしくね♪」
カオスとハッピーに満ち溢れた望と悠の芸術はまだ創作の限界を伸ばしているようで、その目と筆はなおも捉える先を求めて動き続けているのだった。
「ね、ね、あれパンダさんじゃない? パンダじゃないけどパンダついてるしレンちゃんいるし。初めて中身見たよー」
そんな、パンダさんこと一信と、k――レンというのは彼女の愛称だ。kという施設で付けられた記号ではなく。一信もずっとレンと呼んでいる――のデートは。
『さて‥‥ここからは夜のパンダさんとデート、なんてどう?』
という一信の誘いによりきちんとディナーコースまでエスコートされていたが、その間のkの様子はといえば始終つまらなそう、という一言に尽きた。
今その一日を、kは一人、まざまざと思い出している。きっかけは、バッグから出てきたプレゼントの包み。
――バレンタインに渡してないのにホワイトデーに貰って悪いからと、こっそりお手洗いに行くといって購入しておいたものだった。
それを、すっかり渡すのを忘れていたのだから、つまりこのデートがつまらなかったということなのだが‥‥しかし。
(ああ、そういえばあんな風にエスコートされたのは初めてかも。七市さんなりに頑張ってくれたのかな。なんか悪いことしちゃったな)
潰れた包装紙を見て、胸をよぎるのはこんな思いだった。
(でもスーツはありだけどサングラスはなかったな。あのセンスなおしてあげないと)
最後に改めてそう思い直す。‥‥だけどそれだって、再び二人で出かけなければかなわないことなのだが、はて。
‥‥真意はともかく。kはそんな風に振り返った、今日のデートだった。
筆が踊る。
絵の具が炸裂する。
悠が描く人物画は何故か劇画調になっていて。
はしゃぐキャンパスの上で、世界はでも、もっときっと踊っていて。
陽星と神楽は、今、神楽が案内した店の中で、乾杯のグラスを合わせている。
「‥‥約束していた感じの良い店への招待だけど、いつになるか分からなかったからLHでのあたしの知っている店になったけど良かったかしら?」
「‥‥随分、遅い約束になってしまって申し訳ありません」
九州戦のときだから、もう、下手すると一年近く前かもしれない。
「エスコートできないのはこちらの不手際で申し訳なく思いますけど‥‥神楽さんの好きな場所も、もっと知ることが出来たら嬉しいです」
改めて考えると自分は貴女のことを何も知らない、知りたいのだということを思い知ったと陽星は言う。そして。
「そんな自分が選んだものですから、その、気に喰わなければご自由に処分してください。換金でも突然変異のネタにでも」
そういって、緊張気味にプレゼントの包みを渡していた。それでも、自分なりに考えて。芯の強さと優しさが調和するような色合いが、貴女に似合うと思ったのです、と。
「‥‥渡せてよかった。‥‥いえ、でもそれ以上に、やはりこうしてお会いできたのが、嬉しいですね。今日は、思い切って良かったです」
ひとしきり酒と食事を堪能したところで店を出て‥‥すると生まれてくるのは名残惜しさで。こうしてゆっくり会うなど次はいつ出来るのだろう。そう思うと切なくてたまらないのに‥‥互いにそれを口に出来ないくらいには大人で。
だから最後に、どちらからともなくしっかりと抱き合って。口付けを交わした。
そして。クリアの部屋で、今は力作が完成している。
買ってきた食材でヘクセンハウスを飾り付けをして。
「ほら、バレンタインは鍵のチョコだったから、今度はそれで開ける家がいいな、って」
『ゆめのありか』と題したそれを、クリアは有希に、それを捧げる。
「すごいですね‥‥!」
できばえに、有希は素直に感激して‥‥お返しに足りるか分からないけど、と、これまたこっそり買っておいたカモミールティーを差し出すと、ちょうどいいね、とクリアが笑った。
「故郷の家にはまだ帰れないけど、将来には、こんな家で有希さんと一緒に暮らせますように、って」
‥‥それは本当に、ただのタイトルでなく彼女にとっての『夢の在処』なのだろう。たくさんの幸せで飾り付けられた、二人の居場所。
そしてこれは、ただの夢で終わらせてはならない。
「ずっとこうしていられるようにしましょう、うちら二人と皆で」
しっかりと手をとって、有希はクリアに誓う。
それこそが、何よりの。
「皆幸せそうだからー‥‥うちもっ」
そうして望は、芸術の最後の仕上げとばかりに、絵の具だらけになった互いの身体をお構いなしに、むしろ絵の具ごと悠に思い切り抱きついて。
悠にとっても今日が良い想い出になると嬉しいなと、願う。
完成した二人の絵。
皆が描いた幸せ。
ホワイトデーの日。