タイトル:おのぞみの結末マスター:凪池 シリル

シナリオ形態: イベント
難易度: やや易
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/02/03 20:56

●オープニング本文


「‥‥あれ?」
 会議を終えてデスクに戻ってきた孫少尉は、一言つぶやいてから腕時計を確認した。折を見てきっちり合わせるようにしているそれは、いまも大きくずれていることはないはずだ。そうして時計の針は、会議の終了は決して予定より早くない、むしろ少し遅くなっていることを示していた。
 改めて、孫少尉は机の上を確認する。
 離席する前と全く変わらぬ状態であることをしっかりと確かめて。
「‥‥徐さん?」
 軽く顔を上げ、いずこへともしれない空間に向けて孫少尉は呼び掛けていた。

 徐 海麗、という隊員がいる。
 都市部に生まれ、初級中学の段階から才媛として期待されていた彼女は、エミタ適合が発覚すると半ば強引にUPC軍に配属された。
 ‥‥が。もともと引っ込み思案であった彼女は、軍隊という場所に馴染めずに人見知りを加速させ、挙句覚醒すると完全に悪化させて引き籠るというどうしようもない特徴を見せた。扱いに困った挙句エミタ摘出も検討されたが、すぐにそうするのもなんとなくみっともないということでとりあえずどうにかしてみろ、ということで今孫小隊に居る。

「――あの。遅れているなら遅れているでいいので。怒りませんから。とりあえず返事してもらえませんか」

 それで孫少尉がどうしたかというと、無理に出てくることに慣れさせるより、出てこなくてもいいからと先に仕事を割り振ってみた。自分や、周囲の人間が会議や訓練で不在となる時間を告げ、この間にここに成果物を置きに来てくれればいい、と。
 暫くは慌てた感じで書類だけが放り出されているという無言のやり取りが続いたが、少なくとも書類仕事に関しては上等以上の成果を上げているために少尉は何も言わなかった。
 だが、指示のメモに謝礼や挨拶の言葉を添えておくと、だんだんと書類にも返事のメモが挟まれるようになり。やがて。
 他の隊員からは、全くその姿が見られないために、本当にそんな子いるのか、天井裏の妖精じゃないのかとか更には隊長が忙しさのあまり生みだしちゃった脳内キャラクターじゃないかとと言うヒデエ見解(by謝副長)まであった彼女が、とうとう天井裏越しではあるが声を出し会話するようになったのだ。

 のだが。
 今日になって、しばらく呼びかけても返答がない。孫少尉は、少し緊張を感じながら、一度深呼吸。その後に覚醒して‥‥周囲に意識を研ぎ澄ませる。
「あ、ああぁあ‥‥もしかして‥‥ここにきて、久しぶりに発作ですか!?」
 そこからなんの気配も察することが出来ずに、少尉は痛恨の呻きを漏らした。

 そんなふうに、わりと本気で言葉通り影ながら小隊の力となっていた彼女だが、時折、覚醒した瞬間の衝動に耐えきれず本気で姿をくらましてしまうことがあるのだ。
 外に出られることはない彼女だから基地内のどこかに隠れているのだが、それでも熟練の引きこもりである彼女に全力で隠れられると、孫少尉の能力じゃ探せないのである。
「‥‥あ、副長! 徐さん探すの手伝って下さい!」
 それでもひとまずは探してみようと部屋の外に出ると、見つけた副官に声をかける。
「徐さん? て、誰だっけ」
「‥‥いや覚えてないんですか!? いくら姿現さないからって一応副隊長でしょうあなた!」
「姿‥‥あー。あー。もしかしてにゅいのことですか。やだなあにゅいのことはにゅいって言って下さいよ紛らわしいなあ」
「なんでそっちが正式名称みたいな扱いなんですか!」
「でーなんですか。彼女久々にやらかしたんですが。このところ調子よかったのにねえ。へー。‥‥まあいいんじゃないっすか。ほっとけばそのうち錬力切れて出てきますよ」
「‥‥困りますよ。その間に予定してた仕事が滞るんですから」
「それこそいいじゃないっすかちょっとくらい。今なら」
「『天雷』のようなこともあったばかりで、まだ情勢は不安定です。むしろ今が一番気を抜いてはいけない時期でしょう‥‥」
 知らず吐息とともに吐き出していた言葉は、副長にというより自分に言い聞かせるためだったのだろう。
「とにかく。声かけて回るとかだけでもいいですから、お願いします。‥‥もしかしたら、それこそどこかで急病でも起こしてるかもしれないんですし」
「へーい」
 とりあえずひょこひょこと歩きはじめた副長の背を、もう一度溜息をついて見送ってから、孫少尉もまた逆方向へと歩きはじめた。



 当てもなく歩くのも気が進まずに、ふと足を止めて窓の外を見る。
 その方角の先に、北京がある。
 それは、過酷な任務に。先の見えない戦いに。俯きそうになる度に見据えてきた場所。
 いつか、あの場所を取り返す。
 そうすれば、この戦争は少しは楽になるはずだから。‥‥だから、この戦いは決して無駄じゃない、と。
 ――願い続けた「いつか」は、とうとう「今」になって。
 問題は山積みだ。復興支援やその他の環境整備。北京方面への予算や人手はこれからいくらでも必要になるだろう。
 それでも。バグアとの激しい戦闘の予兆は、目に見えて減った。
 望んでいた、通りに。
 だからと言ってこれで全てが終わりじゃないと、分かってはいるのに――今、気を抜いたら、そのまま自分の中の何かが全部抜け落ちていくんじゃないか。そんな恐怖が自覚しないままどこかにあって。

(――‥‥疲れた、な)

 その言葉は、彼の意識に浮かび上がる前に消え続けている。
「早く‥‥見つけないと」
 やることが急になくなると、落ち着かない。



 再び歩きはじめると集い談笑している傭兵たちの一団が目に入った。様子をうかがっていると、依頼の詳しい報告を聞くために集められたが、高速艇の都合がつかずに時間が余っているらしい。
「あの。すみません。‥‥もしよかったら、人を探すのを、手伝ってもらえませんか」
 躊躇いがちに、孫少尉は声をかけた。

●参加者一覧

/ ドクター・ウェスト(ga0241) / 小鳥遊神楽(ga3319) / 夏 炎西(ga4178) / 秋月 祐介(ga6378) / 美崎 瑠璃(gb0339) / 流叶・デュノフガリオ(gb6275) / ヘイル(gc4085) / 鳳 勇(gc4096) / 那月 ケイ(gc4469) / 犬坂 刀牙(gc5243

●リプレイ本文

●あんな真面目な人に限って

「――ふむ。にゅい探しに僕にも協力してほしい、ですか」
 ヘイル(gc4085)に声をかけられた謝副長は、静かに、抑えた声で答えた。
「‥‥ですがヘイルさん。貴方は一体何を探しているつもりなのでしょう」
「‥‥え?」
「会話をしたとはいえ僕はまだにゅいの姿を見たことがない、つまり僕の懸念は完全に解消されたとは言い難いのですよ。ならば‥‥我々は一体何を探すというのでしょうか。もしかして見つかるのはいるはずの隊員などではなく、知り得ても誰も幸せになれない真実かもしれない――その覚悟を踏まえたうえで! 貴方は! 探すというのですか!」
「え。いや。おい?」
 妙な迫力を伴って語る謝副長にヘイルは思わず後ずさった。
「――ふむ」
 代わりに答えたのは秋月 祐介(ga6378)だった。
「相当忙しいみたいですし、ストレスも多いみたいですからねえ‥‥仕方ないのでしょうが」
 しかし中国軍とのコネクションを確保しておきたい祐介としては孫少尉に完全に壊れてもらってしまっては困る。腕組みして考えて。
「今度良いギャルゲーでも貸してあげましょうか。妄想に完全に取り込まれる前になんとかしないと‥‥」
 祐介の同意に、ヘイルが完全に沈黙し、妙な空気が流れた。
「‥‥あー。っていうか」
 そこで口を開いたのは牛伍長だった。
「副長、この前隊長いないっぽいタイミングで海麗に普通に話しかけてなかったか?」
 ‥‥‥‥。
 謝副長、悔しげな表情でしばらく沈黙。
 本気で不安になってた人。「【LP】大丈夫なのかな」を読んでこよう。
「‥‥馬鹿な! 牛伍長のくせにそこに気付くだと! くそ、こんなことがあっていいはずがない! ヘイルさん牛伍長に何をした!?」
「い、いや知らないが‥‥っていうか待て。とりあえず一度落ち着いて考えよう。つまり謝副長は今までのはわざと言ってたのか」
「ええまあそうなります。僕はどちらかといえば暫く見つからない方がいいので。その方がさぼれるじゃん」
 しれっと言った謝副長にさすがに不安になるヘイル。
 のっけから、ぐだぐだのスタートである。

「あー。気を取り直して、だ」
 こほんと咳払いして、ヘイルが言いなおす。
「まあ一つ提案があるんだ。協力してもらえないか」
 言ってひそひそと謝副長に相談するヘイル。面倒くさそうだった謝副長の顔が、だんだんと笑みに変わっていく。
「ふむ、まあそういう話なら。っていうかそういうネタなら。ただ僕は手伝うだけで実行はしませんよ」
「うむ。俺も今後を考えると少尉の機嫌を本気で損ねるわけにはいかないな」
 と。なると。
 二人の視線が向かう先は牛伍長の元。
「伍長、君にしかできない緊急かつ重大な極秘の作戦があるのだが、協力してくれないか」
「‥‥? な。なんだよ」
 反応した牛伍長にヘイルから渡されたのは多機能ツールと無線機。訝しむ伍長にヘイルが告げたのは。
「少尉の部屋に侵入して、何か私物を入手してきてほしい」
「‥‥‥‥おい?」
 にこやかに言うヘイルに牛伍長はぎろりとした目を向けた。
 よく暴走が問題にされる伍長ではあるが、その根本は強すぎる正義感によるものだ。単純ではあっても良心的な男なのである。
「‥‥ああ。危険だ、危険な任務だ。それゆえに勇気ある君にしか頼めない。俺だってこんなことしたくない、しかし徐隊員がこのままでいい訳がないだろう? 彼女の為、これは必要悪なんだ」
 そのほか適当な事を言って、牛伍長を乗せていくヘイル。
 まあつまり――言いかえると、いい奴だが馬鹿。それが牛伍長である。

「というわけで伍長。何かいいものはありそうか」
『‥‥いや‥‥っつーか隊長の部屋、ドン引きするほどなんもねえなー。安旅館だってもうちょいなんか置いてあるんじゃねえの? なんつーか‥‥完全に帰って寝るだけの場所って感じだなこれ』
 無線から、声をひそめて返ってくる牛伍長の声。
『洗濯物とかはやばいだろさすがに‥‥てかこれ干しっぱなし? 意外とズボラなとこ発見――ってうおぁああ!?』
 その声が、急に焦ったものへと変わる。そのまま、しばらく沈黙。微かに、無線を持つ手が震えているのではないかという気配だけは伝わってくる。
「どうした伍長。頑張って状況だけは伝えてくれ」
 少尉にばれたなら証拠隠滅にこの無線捨てるから。そんな内心はもちろん口に出さないヘイルだが、次いで聞こえてきたのは予想外の言葉だった。

『いや‥‥隊長のベッドで‥‥知らない女の子が寝てる‥‥』

 一同、再び沈黙。
「‥‥徐隊員、か?」
「だとしたら引きこもりどころか相当大胆なお嬢さんですねぇ」
 ヘイルの問いかけに祐介が答える。
『いや、俺も見たことねえから分かんねえけど‥‥でもうちの隊員なら一応軍服なんじゃねえの? 普通の服着てるけど‥‥』
「じゃあなんだ? 少尉の部屋に知らない女の子が入り込んでるのか?」
「むしろ隊長が連れ込んだ可能性?」
「む‥‥清濁併呑出来る方ならなお好ましいとは思っていましたが‥‥それじゃあ本気で犯罪者じゃないですか」
 好き放題言ってから、しかし我に返って凍りつく一同。
 ――見つかるのは知り得ても誰も幸せになれない真実かもしれない。
 冗談だったはずの謝副長の言葉が重くのしかかる。
『どうすんだよ。俺もう帰っていいか? ていうか帰りたい』
「‥‥分かった。とにかく、徐隊員かどうか、それだけは確かめてこよう」
 やがて意を決したようにヘイルが言った。慎重に少尉の部屋へと侵入し、状況を確かめる。
 成程そこには、ひらひらのワンピースを着た女の子が、少尉のベッドで布団を抱えるようにして幸せそうな顔で眠っていた。ごくりと息をのんでから、少女の肩に手をかけて、軽く揺する。
「う‥‥ん?」
 やがてゆっくりと目を開けた少女は、
「あれ? ‥‥ヘイルさんなんだよ?」
 知らないはずの少女に、名前を呼ばれて‥‥その声と姿に僅かに聞きおぼえがあることに気がついて、ヘイルは相手をマジマジと見た。
「犬坂 刀牙(gc5243) ‥‥君、か?」
 以前依頼で一緒になったことのある‥‥少年、少年である。だったはずである。の名前を呟いて、ヘイルは聞き返した。
 で、その格好はなんなのかと問えば。
「いなくなったのは女の子って聞いたから、女装したほうが話しやすいと思ったんだよー」
 で、なんで少尉の部屋で寝ていたのかと言えば。
「どこ探したらいいのか分からなかったから、関係者の部屋から探そうと思って‥‥だって心当たりがないんだからしょうがないよね? で、最近疲れてたみたいで、ベッドが見えたからつい寝ちゃったんだよ?」
 それは本当についなんだろうな。
 最初から最後まで、突っ込みどころしかないような話だった。


●その頃の少尉

 裏でそんな会話やら何やらが行われているとはつゆ知らず、その頃の少尉は。
「行方不明の隊員の捜索、ねえ。まあ、あたしと少尉の仲だし、喜んで協力させて貰うわ」
 苦笑しながら言う小鳥遊神楽(ga3319)と。
「徐氏について知らないのでな。良く知っている少尉が一緒だと心強いのだがどうだろうか?」
 そう申し出た鳳 勇(gc4096)と共に、三人で徐隊員について話しながら歩いていた。
「‥‥本当に少尉の部下は人材が様々ね。ちょっとくらいの人見知りなら、笑って済ませるのにね」
「まあ、今回のこればかりは本当に‥‥。でも、優秀なところもありますから。少しずつ慣れてくれればいいとも、思ってたんですけどね」
 確かに厄介なところもある隊員たちだが、それぞれに見るべきところはあると孫少尉は言う。
 例えば牛伍長なんかも。今はまだフォローが必要だが、少しずつ周りを見るようにもなっている。もう少し考えて動くようになれば、その勇気と責任感は切り込み隊長としての働きには期待している、とか。謝副長は、あれで全体的に能力は高いので頼りになるのだとか。
「‥‥最近、特に感じるようになっています。おそらく貴方がたと共に闘ってきたことの影響だ。‥‥成長、させてもらっているのだと思います、私たちも。貴方たちのおかげで」
 言って孫少尉は勇と神楽を見て微笑う。
「話が逸れました。徐さんのことでしたね」
「しかし、これほど人前に出るのを嫌がる人というのも珍しいな。自分の姿にコンプレックスとかでもあるのか?」
「んー‥‥私が直接お会いした回数はそれほど多くないのですが‥‥そんな、コンプレックスを持つようなことはないと思うんですけど‥‥」
「‥‥つまり、可愛いってことかしらね?」
「まあ、そうなるんじゃないかな、と思いますけど‥‥私の感じとしては」
「なんにせよ、悩みがあるのなら壁越しにでも相談に乗るのだがな」
 勇の言葉に、孫少尉はまた二人に視線を送り、軽く頭を下げる。
「お二人とも、そこまで徐さんのことを気にかけてくれて有難うございます」
 穏やかに言う孫少尉に、神楽は知らず苦笑を洩らした。
 彼女が気にかけているのは徐隊員より孫少尉の方だ。今だって。どうせ『休め』と言っても聞かない性格だと、短い付き合いの中でも判っているからこそ、これ以上無理をしないように同行しているという面が大きい。
 ただ、そこまで孫少尉を気にかける理由はといえば、彼女自身でも良く分からないものだった。


●にゅい発見

 流叶・デュノフガリオ(gb6275)は、どこかぎこちない様子で一人歩いていた。
 戦闘時ではない今、覚醒すると気弱な人格の方が表れる。それはちょうど徐隊員と似たように。
 そんな自分だからこそわかることもあるかもしれない。
 そう言って、幸運と感覚を鋭敏化させながら歩いていると‥‥ふと、何かを感じた。
 誰かが自分の様子をうかがっているような。それも‥‥上方から。
「徐殿‥‥かな」
 囁きかけると、微かに震える気配が伝わってきた。
『にゅ、にゅいっ‥‥その、あの、違っ‥‥! の、覗いてたとかじゃなくてですねあのっ! ち、近い年齢の方がいるから気になって、あああああの』
 やがて聞こえてきた声に、流叶はクスリと笑う。
「そう‥‥大丈夫。怖がらないで‥‥私は、流叶だよ」
 優しく話しかけて、まずは警戒を解こうと名前を名乗る。
『流叶‥‥流叶・デュノフガリオ、さん?』
 名前しか名乗っていないのにフルネームを返されたことに、流叶は訝しげな視線を向けた。
『あ、あああああの。違うんです、最近隊長さんが関わった依頼のまとめは大体私かかわってるからそれでお名前見ててっ! それで‥‥女性で、活躍してる能力者さんって、どんな感じなんだろうって‥‥気になって、て‥‥』
 最後はどこかしゅんとした様子だった。
「そうだ‥‥じゃあ、もう一人来てるよ、女の子‥‥。呼んでみようか‥‥」
 そう言って流叶はどこかへと連絡を取る。
「はいはい〜迷子の迷子のにゅい子ちゃん〜♪ アナタのお家はどこですか〜♪ ‥‥って、別に迷子ってワケじゃないんだっけ」
 呼ばれてやってきたのは美崎 瑠璃(gb0339)だ。流叶がこれまでの経緯を説明する。
「うんうん。そっか。あたしも話聞いてちょっとにゅいちゃんとお話してみたいと思ったんだ〜。あたしのこと怖い人だと思わないでくれるといいんだけどっ」
 天井に向かって呼びかけるが、暫く反応はない。
 がくっと瑠璃の肩が落ちる。
『にゅ、にゅいいぃい、あ、違‥‥怖いんじゃなく、て、その‥‥』
「遠慮‥‥しちゃうんだよね? 分かるよ」
 フォローするように流叶が言ってから、流叶と瑠璃、二人でしばらく話しかけて、時折、出てこれないかと誘いかける。
「もしかして、見つかったのでしょうか‥‥?」
 そこで、そっと様子をうかがいながらまた一人、近づいてくるものがいた。
 夏 炎西(ga4178)である。
「徐さん、いらっしゃいますか‥‥? LHの夏炎西と申します。傭兵ですが、孫少尉にはいつも大変御世話になっております‥‥」
 丁寧に言ってから、炎西は手にした箱を軽く掲げる。
「お腹は空いてませんか? 本日勤務後、飲茶をしようと思うんです」
『にゅ、にゅい‥‥』
 箱の外観からして入っているのは甘いものだろう。天井裏越しに、興味のある気配が伝わってくる。
『で、ででででも、わたし、ま、またやっちゃって‥‥隊長さんに迷惑かけて‥‥ど、どうしよ‥‥』
 出てこよう、という気に少しなったところで、不安がぶり返したのだろう。天井の一部がカタカタと震えて。
「徐さん? そこに居るんですか?」
 ‥‥そこに、孫少尉たちが合流した。
『にゅっ‥‥』
 委縮した声に、孫少尉もかける言葉が見つからないらしく、一度沈黙が落ちる。
「徐さん‥‥」
 そこへ、穏やかに声をかけたのは炎西だった。
「孫少尉に、一息ついていただきたかったんですよね?」
『にゅ、にゅいっ!?』
「――え?」
 思ってもみなかった言葉だったのだろう、徐隊員と孫少尉が、同時に声を上げて炎西を見る。
「孫少尉。確かに、これからも問題が山積みで大変な日々が続くかと思いますが‥‥だからこそ今は。少しだけ、徐さんの下さった時間と思って、ゆっくり過ごしてみるのはいかがでしょうか」
「‥‥‥‥」
 炎西の言葉に、孫少尉は一度言葉を詰まらせた。
「そんなに、無理してるつもりは‥‥ありませんよ? 食事と睡眠は気をつけていますし、ちゃんと休んで、いますけど」
 たどたどしく、孫少尉が答えると。
「全然、休めてないっすよ、多分」
 苦笑しながら現れたのは那月 ケイ(gc4469)だった。
「陽星さん、ときどき疲れた顔してるの自分で気付いてます? もう少しだけ周りに寄りかかってみてもいいかもしれませんよ。にゅいさんだって、実際。そこでなんとなく不安に思って、こうなったんじゃないですか?」
 ケイの言葉に、孫少尉は助けを求めるように視線をさまよわせた。この場に居る全ての傭兵の顔を見て。
 微笑するもの。苦笑するもの。心配そうに見つめる者など、様々な形ではあったが。その視線は一様に、ケイの言葉への同意があった。
 思わず孫少尉は天を仰ぐ。‥‥自分は本当に、そこまで心配、あるいは非難されるようなことを、したのだろうか?
「良く射る弓は偶に弦を緩めるものというわ。いつも張りっぱなしではいざという時に役立たないと言う事じゃないのかしら。偶には休むのも仕事のうちだと思うわね」
 神楽が、なるべく受け入れやすいようにと、諭すような言葉で言うと、孫少尉は今度は、しばらく俯いて考えて。
 やがて。
「‥‥徐さん。出て、来られますか? いえ。出てきてください」
 少し厳しい口調で、天井に向けて話しかける。
 む、と、見守る一同の空気に少し緊張が走って。
「――秋月さんからも、お土産をいただいています。‥‥皆でお茶にしましょう」
 続く言葉に、だれかが、あ、と息を吐いた。
「‥‥私にも、反省するところがあるようです。なら今日は、お互いに努力するということで‥‥それでおあいこにするのは、どうでしょうか」
 そうして、今度は一同は、見守る視線を天井へと向ける。
『にゅ、にゅ‥‥ぇと‥‥はい。今、降ります‥‥』
 たどたどしい声と共に、カタリと音がして。
 やがて、廊下の奥から。手にしたバインダーで顔の半ばを隠すようにしながら、小柄な少女が姿を現したのだった。


●幕間:狂気の狭間

「ぬ。なんだ、見つかったのかね?」
 そのタイミングで、また一人、この場に現れる者がいた。
 ドクター・ウェスト(ga0241)だ。「お手数おかけしました」、と孫少尉が頭を下げると、ウェストはやれやれと肩をすくめた。
「‥‥バグアを全滅させるまで、我輩にはまだまだ多くやることが残っているというのにt‥‥」
 呟きは、ひっそりと零され。誰の耳に届くこともなかった。
 これから皆でお茶にしますがどうですか、と誘われると、ウェストは固く辞する。
「我輩はコノ情報を受け取りにきただけだからね〜、依然我々は能力者やSESに頼らねば戦えないのだ、やることは山積だね〜」
 そう言って手にした資料をひらひらと掲げる。もともと彼はただ、今回の大規模作戦で倒したバグアやキメラの情報、トマス・スチムソンの状態情報などの情報提供を申請に来ただけなのだ。
 ‥‥おそらく、大した成果は出ていないだろうが。一介の傭兵にすぐに渡せる情報ならば、すでにULTに回している。経由地が減ることによる信頼性の向上や、少々の時間の省略にはなったかもしれないが、その程度。
 一刻も早く研究に戻りたいというウェストに、孫少尉は強くひきとめようとはせず、ただ、それならば改めてきちんと礼を言おうとして近づいて。
 視線を合わせた瞬間、孫少尉は体をこわばらせた。
 ウェストの瞳には、平時においてなお失われぬ執念が宿っている。
 狂気と言ってもいいそれに、迂闊に触れてはいけないと思いながら‥‥それでも孫少尉はそこから視線が離せずにいた。執念の奥の狂気、そのさらに奥に何かを感じて。
「――‥‥ドクター・ウェスト」
 慎重に、孫少尉は声をかける。
 危険だということは分かっていた。分かっていてなお、その執着は強さでもあるということも。
「‥‥今日、ご助力いただいたこと、私は覚えておきます」
 それから、その先にあるものに賭けてみる気分で。孫少尉は、きちんと顔を合わせるのが今日初めてだという傭兵‥‥あるいは研究者である彼に、言葉をかける。
「あまり期待はしないでください。士官と言っても所詮少尉で‥‥私の立場は、その中でもかなり弱い、です。ご期待に添えることは少ないでしょうが‥‥それでも。今日のこと、私は覚えておきます」
 ウェストから特に言葉はなかった。軽い挨拶だけよこすと、用は済んだとばかりに背を向ける。
 ただ、通路の向こうで丁度そのやり取りを見ていた祐介が、興味深げな視線を孫少尉へと送っていた。

「目の前の現実から逃避できたらどんなに楽か、いやしかし、コレが我輩の選択だしね〜‥‥」
 完全に一人となってから、ウェストは呟く。
 成果を上げるためには観察対象を、実験体を必要とする研究者の業。時には自らや共に闘う仲間までをその対象とするまで深めたその業に、ウェストは信仰等との板挟みで悩んでいた。
 胸にかかる架は、歯止めは、もう、ないというのに。

「‥‥軽々しく、通じる、とか近しい、とか思ってはいけないのでしょうが‥‥」
 ウェストが過ぎ去った場所をしばらく見つめながら、孫少尉は呟く。
 分かったと思ってはいけない。ただ、感じるものがあっただけだ。


●お茶会→宴会

「はいそれじゃーご挨拶ー。みなさーん。今まで皆さんを陰で支えてきた『天井裏の妖精さん』のお披露目ですよー」
 ケイが肩に手を置きながら、集まった全員に徐隊員を紹介する。
 徐隊員が、相変わらず顔を半分かくしてもじもじしながら、徐 海麗ですと挨拶すると、おぉ、と小さくどよめきが上がった。
 小隊員に傭兵が加わった大所帯、持参されたケーキやお菓子では足りなくて、すぐに買い出し部隊が編成される。
 となると当然、お茶菓子だけではなくつまみやら食事やらも買い出されて、祐介が日本酒を、炎西が紹興酒を取り出すと、お茶会のはずがあっという間に宴会場へと変化していた。
 皆、幾度か共に死線を潜り抜けた同士だ。和気あいあいと話を始めるのに時間はかからない。
「『天雷』の時は世話になったな。これからも戦友としてよろしく頼む」
 そう言って少尉に話しかけたのは勇だ。会話しながら酒と煙草を楽しむ彼だが、孫少尉が禁煙パイプを取り出すのを見ると、悪かったか、と声をかける。孫少尉は苦笑して、マナーを守れば個人の自由ですよ、と微苦笑する。
「秋月さーん、なんか面倒くさいこと持ち込もうとしてませんよねー」
 違う場所では、謝副長が祐介に話しかけていた。
「ああいう人に上に行って貰うには、限界を知って貰って、それを超えるべき時か否かを選択できないと‥‥とね 」
 たくらむように言う祐介に、いいですけど僕にまで飛び火しないようにしてくださいね、と謝副長が肩をすくめた。
 皆の口に上るのは、初めはそうした、これまで関わった事件やこれからに関する真面目な話題も多かったが、だんだんと、たわいのない馬鹿話も混ざりはじめて。
「陽星少尉ーっ!」
 刀牙が、やけにハイテンションで叫ぶと孫少尉の背中に飛びついた。
「ちょっ‥‥とっ!?」
 いきなりのしかかられ、バランスを崩しながらもどうにか踏みとどまる。ふふふーんとやたら楽しそうにしながらよじ登る刀牙。
「あの。犬坂さん。未成年ですよね。飲んでませんよね! 酔ってませんよね!?」
 慌てて刀牙の持つコップを確認するが、入っているのは紛れもなくただのオレンジジュースだった。だが刀牙のノリは明らかにおかしい。所謂雰囲気酔いという奴なのだろうが。
「ふふふー、陽星少尉はやっぱりおいしそうなんだよー‥‥」
 不穏な言葉と共に、かぷ、と音がした。
「‥‥あの、なんでか分かりませんが。別に。実際に美味しくはありませんよね?」
 前のこともあって警戒が働いてたのだろう。咄嗟にガードして‥‥結果手首を噛まれながら孫少尉が刀牙に言う。
「ぁぅー?」
 確認するように刀牙は再びかぷかぷと手首を甘噛みして、どうだろ? と言うように小首をひねった。
「‥‥なんにせよ、私は食用じゃありません。噛まないでくださいね。いいですね。言いましたよ? 次からちゃんと怒りますからね?」
 強めの口調で言われ、仕方なしに刀牙はすごすごと離れる。
 はぁーっと深く溜息をつくと、流叶がそっと様子をうかがいに来た。
「大丈夫。却って疲れてない‥‥かな」
 流叶の言葉に孫少尉は苦笑する。まあ、楽しいですよと答えが返ると、流叶は微かに笑った。
「お茶でも‥‥点ててあげられたらゆっくりできたかも‥‥しれないけど」
 茶屋をやっているから、と流叶が言う。さすがに急な呼びかけで始まった会で、日本式の茶道具と材料をそろえるのは無理があったが。日本のそれは分からないが、何時か機会があったら楽しみにしてますと少尉が答えた。
 宴もたけなわ、という感じの周囲を見て、ああ、そうだ、と言って流叶が立ち上がる。
 余興に、と、日舞を舞い始める。
 賑やかだった空気が一瞬静かに。そしてゆっくりとしたものに変わり。ほぅ‥‥と何人かから感嘆のため息が漏れる。
 流叶が動きを止めると、拍手喝さいで迎えられ。
 次に、じゃあ、と立ちあがったのは、ギターを手にした神楽だった。


●癒しの歌声

 神楽が幾つか披露したのは、概ね皆で楽しめるようなメジャーどころだ。
 有名どころ故に、ただ歌うのは簡単だが、皆を唸らせるほど上手に、と言うと難しい。
 その難しいことを、神楽は堂々と演りきって見せた。
「‥‥どう、少尉? 一応これでも現役で戦いの合間にバンド活動を欠かしていないから、ちょっとしたものでしょ?」
 ウィンクして、神楽が孫少尉に話しかける。孫少尉は、にこりと笑って、ええ、とても上手でした、と答える。
「傭兵と軍人とは違うと思うけど、何か心のゆとりというか拠り所を作るのも良いかもしれないわよ」
「拠り所‥‥ですか‥‥?」
 神楽の提案に、孫少尉は難しい顔で考え始める。真剣に悩む様子に、神楽が苦笑を洩らしたところで。
「じゃーさっ、少尉さんも歌ってみるとかどうっ?」
 急にそんなことを言い出したのは瑠璃だった。
「え、ええぇっ!? いえ私はそんなことっ‥‥!」
「少尉のキャラ的には難しいかもだけど、こういう時は何も考えずにぱーっと楽しもーよ。それが明日への活力になる! なんちて♪」
「い、いやそれはそうかもしれませんが‥‥」
「お、いいっすね。陽星さんの歌俺も聞いてみたいっす!」
 そこにケイが加わって、強引に孫少尉の腕をとるとずるずると神楽の隣まで引きずっていく。
「神楽さーん、そういうわけでなんか陽星さんが歌えそうなのないですかー」
 リクエストされて、神楽はきょとん、としてから少し考えて。
 そうねえ、と言ってから奏でられ始めた曲は、世界的に有名なアーティストのもので、孫少尉も知っていた。‥‥いい曲だな、とも思っている。
 歌う前に伝わるようにだろう、サビの部分を使って長めにアレンジされた前奏を終えると、無理に歌わせるつもりはないのか神楽は自ら歌い始めた。そうして――すぐそばで、好きな曲が心地よい歌声で流れていくのを聞いているうちに。
 酔いのせいもあったのだろう。最初のサビに差し掛かると、知らず孫少尉も口ずさみ始めて‥‥いつしか、そのまま歌い始めていた。
 ――静かに、穏やかに。だが確かに、平和への祈りとそのための意思を込めた歌。
 彼の歌声はと言うと、まあ素人の歌い方だ。音程はとれているが、表現色に乏しい。
 だがまあ‥‥声質は悪くないので、つまり、上手な人間の随唱と伴奏が伴えば、そこそこにはなる。
 まさかこの人が人前で歌うなんて付き合いの長い部下ですら思わなかったせいもあるのだろう。次第に盛り上がってき。少なくとも、サビの部分だけは知る人間が多かったのだろう。皆次々と唱和していく。
 やがて歌が終わって大歓声が上がると、はっとそこで孫少尉は我に返った。
「悪くなかったわよ。もう一曲いく?」
「か、かかか勘弁してくださいっ‥‥! もういいですっ!」
 悪戯っぽく神楽に言われると、孫少尉は真っ赤になって顔を隠すように口元を押さえる。
「遠慮することないじゃないか」
 笑いながら近づいたのはヘイルだ。
「やめてくださいよっ本当に! 大体、歌ならヘイルさんの方が得意でしょうっ!」
「‥‥俺が? いやそんなことはないが。大体そうだとしてなんで少尉が知ってるんだ」
「‥‥この間の調査依頼なんかの時に。たまに歌ってたじゃないですか。すごく上手いし、お好きなのかな、と思ってましたが」
 へ。と、ヘイルが本気で意外そうな顔をした。どうやら完全に無意識だったらしい。
 何か歌ってみる? あたしはいいわよ? と神楽が促すと、ヘイルが、曲名が分からないんだが、と数フレーズ口ずさんで見せる。すぐに神楽はああ、それね、と言って弾きはじめて。
 ヘイルが歌い始めると、どよめきの後、感嘆を込めた沈黙が生まれ、神楽までもが驚いた視線をヘイルへと向けていた。

 どうにか誤魔化せたと、孫少尉がするりと上座を抜けて席へと戻る。
 一息つくと、近づいてきたのは炎西だった。
「祖国の事、地球の事‥‥楽観はできませんが、未来はあると思います。私はそう信じます」
 しっかりと、炎西が孫少尉にそう語りかけると。
「そう‥‥かも、知れませんね」
 始めは、曖昧に答えたが‥‥その時に、先ほど、皆で唱和した時の感覚がふと、蘇ってきて。
「――‥‥いえ。そうですね」
 しっかりと、そう言いなおした。



 大丈夫。希望はある。
 まだこれからも、歩いていける。

 ――いつか来る、本当におのぞみの結末の、ために。