●リプレイ本文
●石動 小夜子(
ga0121)が見た夢。
――朝、目を覚まして。最初に目に入ったのは、愛しい人、新条 拓那(
ga1294)の横顔だった。
(‥‥え。どうして拓那さんが傍に‥‥)
(ああ。今日は休日でした‥‥拓那さん、お疲れでしょうか)
疑念と理解が同時に浮かんで、消えたのは疑念の方だった。そう、この人は愛しい旦那。共に寝ているのは当たり前だ。小夜子と拓那は、まだ新婚ほやほやの夫婦なのだから。
時刻を確認して、小夜子は拓那を軽くつつく。
「ん‥‥うぅ〜」
拓那はまだ起きたくないようで、少しぐずるように身をよじる。
共に時間を過ごしたいのと、疲れた様子の拓那を無理に起こしたくないのとで、小夜子の顔に逡巡が浮かぶ。小夜子は少し考えて。
(‥‥これで、起きないようでしたら‥‥)
そう決めて、そっと拓那に寄りそっていく。
(夫婦、ですもの。普通、ですよね‥‥)
己を勇気づけるように内心囁くと、拓那の頬に口付けをした。
直後、拓那の目がぱっちりと開かれる。
少し驚いた顔をしてから、それから小夜子に微笑みかける。
「ん‥‥やぁ、おはよ、小夜子。今日も綺麗だね。うん、ありがと♪ いま起きるから‥‥っと!」
そうして、ぴょん、と起き上がるなり拓那は小夜子に軽くハグをする。
「あ、あの‥‥すぐ、朝ごはんに、いたしますね‥‥」
恥ずかしいのはキスしたことか抱きしめられたことか。まだ初々しさを見せながら、小夜子は台所に小走りに入って行った。
トーストと目玉焼き中心の朝ごはんを軽く平らげたら、洗濯、掃除。面倒な家事も、二人でやればレクリエーションだ。
「こんな感じでいいかな?」
シャツを干して笑いかける拓那に、小夜子は少しだけ申し訳なさそうに笑って、裾のしわを伸ばす。
「やっぱり、小夜子の方が手際はいいよね」
「そんな‥‥拓那さんが手伝って下さると‥‥とても、はかどります‥‥」
作業の間も、談笑は絶えない。
そんなことをしながら、ここぞとばかりに日々の雑用をこなしていると、時間はあっという間に過ぎて。
「もう‥‥お昼、ですか」
一仕事終えて、小夜子が呟く。昼ごはんもやっぱり、二人で協力して作ったパスタになった。
午後は、二人で買い物。
決して大げさなものではない。歩いていける、近場のショッピングセンターだ。目的も、主には夕飯と日用品の買いだし。
ただ、専門店が立ち並ぶ通りを何とはなしにぶらぶら歩くうちに小夜子の目に留まるものがある。服であったり、あるいは小物であったり。
「こっちもいいけど、これも捨てがたい‥‥。いっそ両方買っちゃおうか」
そうして小夜子がふと視線をさまよわせる、その度に。拓那は機敏にそれを察して彼女に話しかけてきてくれる
そんなふうに二人で歩いて。
(折角の機会ですもの‥‥)
そう思って、小夜子はそっと拓那の腕をとり、寄りそった。
‥‥せっかくの、機会?
おかしな話だ。夫婦なのに。いつもの休日なのに。特別なことなど何もない、ただの日常の買い物なのに。
どうして、こんなにも幸せなんだろう。
どうして今、こんなにも胸がいっぱいになるんだろう。
どうして――?
気がつくと、家のソファでくつろいでいた。
あれ? 買い物は? ‥‥終わった。そうだ、夕飯の買い物もちゃんと済ませて、拓那が荷物を持ってくれて‥‥と、ちゃんと認識はつながっているのに、なんだかやたらあっという間に過ぎてしまったような感覚。楽しい時間とは、そういうものだろうか?
昼に仕込みも済ませておいたし、夕飯の準備まではまだ時間がある。
することもなくて、小夜子と拓那はただ二人でのんびりと過ごしている。
他愛のない会話をしながら並んで座っていたら、そっと拓那が小夜子の肩を抱き寄せてきた。
ドキン、と小夜子の心臓が跳ねる。
軽口が止まり、互いに無言になる。
両肩に手を置かれて、そのままそっと向き合うように促されて。
真剣な拓那の顔が、そこにあって。
ドキドキと小夜子の鼓動が速くなる。
別におかしなことはない。
別におかしなことはない。
夫婦なんだから。
夫婦なんだから、普通のこと。なのに。
(‥‥何故こんなに‥‥ドキドキしてしまうのでしょう‥‥)
なぜかとてもとても不慣れな感じがして、頭がくらくらしてくる。
拓那の顔が近付いてくる。ゆっくり、ゆっくりと。
(‥‥ああ、拓那さん‥‥)
小夜子はそこで、目を閉じる。
目の前が真っ暗になって、ふわふわしたような意識で、
それから、天にも昇るような心地になって――
小夜子はそこで、目が覚めた。
景色が目に入ってくる。見なれた兵舎。自室のベッド。
現実を認識するとともに、夢の記憶は淡雪のようにはかなく溶け消えていって。
それでも、胸に残るものがある。ほんの僅かに、幸せと。
「な、何か恥ずかしい夢をみたような」
何故か覚える気恥ずかしさに、赤面する。
そんな小夜子の目覚めだった。
同じころ。似たような夢を見る女性が、もう一人。
●流叶・デュノフガリオ(
gb6275)が見た夢。
朝目覚めて、目をこすりつつ最初に思うことは、「朝食を作らなければ」、ということだった。
自然な足取りで台所に向かって、冷蔵庫から卵を四つ取り出すと、
(――四つ? なんでそんなに必要なんだ?)
手慣れた手つきでかき回し、ふわふわのオムレツを作り上げて、
「おはよー!」
「おはよーございまーす!」
そこで、どたどたと元気な声で、少年と少女が台所に突撃してくる。
(‥‥誰だ? この子たち。どこかで見たことある顔のような‥‥)
流叶はにっこりと微笑んで、
「ん、おはよ。ご飯すぐだからもう少し待ってね」
ごく自然に、そう返している。
「こら。走ってたら危ないよー」
続けて、まだどこか眠気の残る声でそう言って入ってきたのは夫のヴァレス・デュノフガリオ(
ga8280)だ。
そこで流叶はふと気がついた。男の子の方はどこか自分に、女の子の方はヴァレスにどこか似ているんだ、ということに。
「はーい、ご飯出来たよー」
頭の隅に疑問が常に浮かびながら、体は自然に動き続けた。オムレツとサラダを盛り分けた皿を順にリビングへ運んでいく。
「手伝うー!」
「僕もー!」
子供たちがそう言って、きゃいきゃいと、台所から皿を取って持っていく。流叶はそれを微笑みながら見守っている。
「「「「いただきます」」」」
挨拶は、四人みんなが席についてから、一緒にして。
男の子はがっついて食べ始めて。
女の子は、料理そっちのけであれこれと話しかけてきて。
「こらこら、こぼしてるぞ」
「ほら、おしゃべりもいいけど、ちゃんと食べないと」
ヴァレスと流叶は、それぞれに子供たちを見守りながら、和気あいあいと食事する。
洗濯機が終了を告げて。
籠に洗濯物を入れて庭に出てみれば、ヴァレスが子供たちをくるくると回して(回されて?)遊んでいた。
流叶の姿を見れば、皆また手伝うと駆け寄ってくる。
「お母さんのパンツー!」
大声で言って何かを手に走り回る男の子を、ヴァレスが追いかけていて。
お母さん。
そう呼ばれたことに流叶はもう、疑問を感じなかった。
ああそうだ、この子たちは私の、私たちの、子。
いつしか流叶は自然にそう、受け入れていた。
午前中は家事、その間に夫は子供と遊んでいて。
お昼を食べたら午後は出かけて。公園で駆けずり回る子供たちを夫と二人、ベンチで眺めて。
夕方。夫と一緒に風呂に入る、子供たちの騒ぐ声を聞きながら夕飯の準備をして。
夜は、寝床で夫と共に本を読む。この子たちが幸せな夢を見ますように、と。
‥‥優しい響きで絵本を読みあげるヴァレスの声が、流叶の耳にも心地よい。
いつしか、子供の声が、動きが小さくなっていくのに気がついて。
目を閉じた子供の頬を優しく撫でて、毛布をかけ直しながらおやすみなさい、と囁く。
そうして、自然にヴァレスと視線を合わせて。今日も終わったね、お疲れ様、と、視線だけでお互いを労い合って‥‥身を寄せ合う。
愛おしい。
今ぬくもりを感じる存在も、傍らで寝息を立てる存在も、その全てが。
本当に、本当に愛おしく、思う。
(夢‥‥なのだろうけど)
気がついて、しまったけれど。
そうだとも、これは夢だ。現実には、己とヴァレスの間にはまだ子供はいない。いたとして‥‥これほどに穏やかな日々が、過ごせるかどうか。
夢だろうと、分かる。己が見ている夢だとしたら、何もおかしくない。
これは、己の中で描いたことのある光景だから。
景色が遠ざかっていく。ぬくもりがぼやけていく。
そう、これは夢――
ああ、でも。
覚醒を感じながら、彼女は思う。
こんなに鮮明に描かれるほどの想いだったのか。
己の中に築いた、築き上げられていた『幸せ』の形は。
それを教えてくれた。
それを創ってくれた。
かけがえのない、その存在に、もう一度。
――あなたを、愛おしく想う。
だから。幸せな夢は、ここで一度、終わるけど。
目を覚ますと、ヴァレスが上半身だけ起こし、流叶を見下ろしているところだった。
ヴァレスが先に起きている、ということは流叶は今日、少し寝坊したのだろう。
‥‥夢の形は、はっきりと覚えている。
その夢を、望んでいたことも確かで。
のぞきこまれて、顔が紅潮していくのを止めることは出来なかった。
「どうしたの?」
不思議そうにヴァレスが聞いてくるのを、流叶は大丈夫だといって必至で首を振って誤魔化そうとしていた。
で、そんな流叶の横で、ヴァレスがどんな夢を見ていたかというと。
●ヴァレス・デュノフガリオが見た夢。
ヴァレスの夢の始まりもまた、朝起きるところからだった。
まどろみの中うとうとしていると、「ほら、朝だよ」という声と共につんつんとつつかれる気配がする。
けだるげに眼を開けば、そこに居るのはもちろん愛する妻、流叶・デュノフガリオだ。
ただし、その服装はいつもと違う。
Yシャツ姿だった。男のものYシャツ一枚。身につけているのはそれだけである。特に肩のあたりが明らかにぶかぶかなそれは胸元がはだけられていて、上からのぞきこめば見えるであろう、しかし正面からはきちんと隠れているという絶妙な隙間を生んでいる。そうして、やはりぶかぶかな袖口からは指先だけがちょこんと出ている状態で、その指でヴァレスの頬やらを突ついてきている。
この流叶を以降、流叶(Yシャツ)、と表記することにする。
え? なんでって?
のそりとヴァレスが起き上がると、リビングへと向かう。いい香りに誘われて台所の方へ視線を向けると、「おはよう、もう少し待ってて」と声がした。そこに居るのはもちろん愛する妻、流叶・デュノフガリオだ。エプロン姿でいつものように、手際よく朝食を作り上げている。
いつの間に着替えていつの間にそこに居るのか、などという疑問はヴァレスは抱かない。なぜって、流叶(Yシャツ)は変わらずヴァレスのそばに居るからだ。その上で、別の流叶が今朝食を作っている。この流叶を以降流叶(エプロン)と表記することにする。
ソファに座って朝食を待っていると流叶(Yシャツ)が膝の上に座り甘えてきた。抱きしめてよしよしと愛でていると、「むぅ‥‥わ、私には?」とふてくされた声と共に近づいてくる者がいた。顔を上げるとそこに居るのはもちろん愛する妻、流叶・デュノフガリオだ。白のチューブトップと黒のスカート。リボンやフリルがたっぷりとあしらわれたそれは流叶が良くしている服装だ。そしてだからこそ、流叶(Yシャツ)をにらみ、そういうのが好きなのか、私じゃ駄目なのか、と視線でヴァレスに訴えてくる。この流叶を以降流叶(普段着)と表記することにする。
「そんな事無いよ♪」
可愛いなあと思いながら流叶(普段着)の頭を撫でてやると、「まて、そういうことならほら、私の方が‥‥!」という声と共にバーンとリビングの扉が開かれた。バニーガール姿と言う、これまた大胆な姿でそこに居るのはもちろん愛する妻、流叶・デュノフガリオだ。ヴァレスはほほう、という顔をすると共にバニー姿をじーっと観賞する。「そ、そんなに見られると恥ずかしいじゃないかっ」。自分で登場しておいて、見つめられれば恥ずかしがるのだった。この流叶を以降流叶(バニー)と表記することにする。
なんだかんだで朝食も終えると、ヴァレスは流叶の部屋へと向かった。確信をもって扉をあけると、パジャマ姿で、たくさんのぬいぐるみを抱えて幸せそうに転げる人影があった。流叶の部屋の部屋に居るのだからそこに居るのはもちろん愛する妻、流叶・デュノフガリオだ。ヴァレスが微笑みかけると、少し名残惜しそうにしながらも一体の兎のぬいぐるみをぎゅ、と抱え、ヴァレスの方に歩み寄ってくる。この流叶を以降流叶(パジャマ)と表記することにする。
そんなこんなで、ぞろぞろと複数の流叶ズをひきつれてリビングに戻ってみれば。
「‥‥で、どの私が一番好き?」
当然、こうなるのであった。
一瞬火花を散らし合う流叶ズ。そして。
流叶(Yシャツ)は膝立ちの体勢からヴァレスに近寄り、見えるか見えないかの胸元をちらちらさせながら上目づかいでアピールしてくる。
流叶(エプロン)は料理を片手にヴァレスの隣に座り、「こ、こうなったら‥‥ほら、あーん‥‥」そう言って、恥ずかしそうにしながら料理をスプーンで一掬い、ヴァレスに差し出してくる。
流叶(普段着)はただ、静かにヴァレスの前に立った。ときどき身を翻しながら、ちらちらと視線を向けて、(ほら、いつも通りの私を見て、受け入れてよ)と訴えかけてくる。
流叶(バニー)は少し離れて、くねくねと扇情的な動きを見せる。あえて離れることで全身をもって色気を表現する作戦なのか。気がつけばバニースーツの布地面積が減って臍丸出しになっている。
流叶(パジャマ)は改めてもふっと兎を抱え直し、ぬいぐるみを愛でることで女の子的可愛らしさを見せつけてくる。普段気の強い少女が、ふわんと緩んだ顔など見せたりして、そしてその後ヴァレスをちら見して恥ずかしがったりなどして見せる。
そんな流叶ズに、ヴァレスは満面の笑みを浮かべて。
「大丈夫。俺は流叶達皆、愛してるよ♪」
そう言って、一人一人に軽いキスを与えてたしなめる。
その言葉と態度に、流叶ズも皆、最高の笑顔を浮かべて――
ヴァレスは目を覚ました。
ゆっくりと身を起こすと、傍でもぞもぞと動く気配がする。そっと視線を下ろすと、そこで寝ているのはもちろん愛する妻、流叶・デュノフガリオだ。
自分が先に起きるとは珍しいな、と思いながら、しかしその寝顔を見ているととても満ち足りた気持ちになる。
‥‥良く覚えていないけど、なんだかとてもいい夢を見た気がした。そうして、傍らで寝息を立てる存在を改めて見下ろすと、きっとそれは、流叶が出てきた夢なのだろうと確信する。
愛しさがこみあげてきて、そうして、眠る流叶にヴァレスはそっと、いつもありがとう、と呟いていた。
目を覚ました流叶は、何故か赤面して恥ずかしそうにしていた。変な夢でも見たんだろうか? でも、そんな姿も愛おしかった。
‥‥いや、もしかしたら「何いい話にまとめようとしてやがる」とか思う人もいるかもしれないが、ハーレムとはいえ全部一人の人物、しかもどんな姿も受け入れるというのはこう、ある意味、いやいろんな意味で男らしいんじゃなかろうか。
男らしいと言えば、同じ星の同じ空の下同じ日に、こういう夢を見る男もいて。
●ザ・殺生(
gc4954)が見た夢。
「誰かオレ様ちゃんの童貞要る!?」
とりあえず、ザ・殺生が夢の中で意識した最初のことは、獣のように吼え猛る己のそんな言葉だった。
目覚めた野生(いや、夢だけど。寝てるけど)に相応しく、舞台は草原。彼の声が響き渡ると、草むらや木々の合間から複数の気配が震えるのが感じられた。
ひょい、と兎のフードをかぶった少女が様子をうかがいに顔を出す。とたん、ザ・殺生の眼が獲物をとらえた肉食動物のそれに変わった。キュピーン! と、捕食行動を開始するザ・殺生。文字通り脱兎のごとく走り出す兎少女。どすどすと地を揺らしながら愉しそうに走るザ・殺生が、視界の隅に別のものを捉える。ウェーブのかかった茶色の髪を持つ女性。頭の横からちょこんと雌鹿の角を生やしている。ザ・殺生に向けて誘惑的な笑みを浮かべると、誘うようなステップで身を翻す。
そんなこんなで入れ替わり立ち替わりに現れる獣少女&美女。
手当たりしだいに可愛がらんとばかりに追いかけるザ・殺生。
やがて二、三名の女性を手中に収め――何せ夢だ。体格とか俊敏とか行動値とかそんなのどうでもいい。出来た以上は出来たのだ――。
抱きつく。
頬ずりする。
撫でる。
匂いを嗅ぐ。
甘噛みする。
それはもう、獣のごとくふるまって。
「ビジュアル系最兇ーーーーーーーー!!!!」
叫んだところで、己の叫び声で目を覚ますザ・殺生であった。
叫ばなければもう少しいい思いが出来たかもしれない。とにかくザ・殺生の初夢、終了。
‥‥近所迷惑になっていないことを、祈る。
・
・
・
さて、ここまで、幾つかの夢を報告してきたが。
最後に報告するのは、夢のまた夢――あくまで現実にはなり得ぬ、夢の中だけの、話。
●冴木 舞奈(
gb4568)が見た夢。
「あけましておめでとうございまーす」
そう挨拶して、舞奈はマンションの一室に上がり込む。
新年と言うことで、兄である樋口知己とその奥さんである加賀 弓(
ga8749)に挨拶に来たのだ。
(――加賀、弓?)
初めに思い浮かんだ名に、違和感を覚えてから舞奈は苦笑した。兄と結婚しているから、彼女は今樋口弓なのに。結婚前からの知り合いだからって、ボケてしまった。
リビングに入ると、下の方で何かもぞもぞしている気配を感じて、舞奈は視線を下ろした。
するとそこで、引き出しの取っ手を手掛かりにすっくと立つ小さな姿と目が合う。
それは――
「うっわ、澪ちゃん!? 立つんだ!」
それは確か、もうすぐ一歳になるという姪っ子――つまり知己と弓の娘――だった。
舞奈の声にびっくりしたのか、それとも人見知りをするようになったのか、舞奈を見つめる赤ちゃんの瞳が大きく丸く、見開かれる。やがて「ぁうわーー!」と泣き声を上げると、あらあら、と奥から弓と知己が現れた。はいはいで母親に向かう赤子を、弓が優しく抱き上げる。しばらく背中をぽんぽんと叩いて、おもちゃを小さな手に握らせてからからと音を立ててやると、あっさりと泣きやんでいた。そのままそっと床に置いてやると、また何事もなかったかのように遊び出す。
「いらっしゃい、舞奈さん。今コーヒー淹れますね?」
そこで、弓がそう話しかけてくる。
「ああいやそんな気を使わなくてもいいよ? 澪ちゃん大丈夫?」
「あはは。大丈夫ですよ。赤ちゃんって意外とほっといても勝手に遊ぶんですよ?」
笑って、弓はまた台所へと消えていく。
舞奈はそれを、なんだか弓君たくましいなあ、お母さんだなあ、とか思いながら見送っていた。
やがて、コーヒーカップを三つ、お盆に載せて弓がやってくる。一つを、ソファに座り子供を見守る知己に渡すと、二つはテーブルの上へ。
そうして、舞奈と弓、向き合って座りながら、会話を始める。
「仲良さそうだね、相変わらず」
「ええもう。そこはばっちりですよー」
「えー? じゃあ何よ。職場でもラブラブしてるわけ?」
「ええー? それなりに気は使ってるつもりですけど。‥‥でもどうでしょうね。私が能力者になったのは、知己さんとなるべく一緒に居たいからですし」
「それでUPCにまで付いて行っちゃうんだもんねー。‥‥ちょっと不純、とか思わないー? あはは」
「‥‥いいじゃないですか。実際それなりに力になってますし。そりゃあ、出産休暇を挟んだ分、ちょっと経験不足ですけど」
話しながら、なんだか本当、イメージ変わるほど弓君はたくましくなったなあと舞奈は思っていた。なんかこう、もっと赤面させたりするつもりだったのに、こんな手ごわかったっけ?
これは何を振っても惚気られる一方っぽいぞ、と考え、舞奈は別に話題がないか考えてみる。
「そう言えば、Impはどうして――」
言いかけて、言葉を止めて。弓が不思議そうに首をかしげていた。
何を言おうとしていたのだろう。UPC所属である弓が、傭兵アイドルであるImpと関わりがあるわけがないのに。
あれ。
なにか、おかしい?
「‥‥あ、いや。澪ちゃん、可愛い?」
何故か慌てて、とっさにすぐ出た話題をそのまま口に出していた。
「それはもう! 超可愛いですよ〜。知己さんの子ですし!」
そうきたか。
「あなたの子でもあるでしょ」
「そうですけど。でも、知己さん似ですね」
「女の子でそれは、問題じゃない?」
「えー。でも可愛いですよー」
あくまでにこにこ顔の弓。よおし、それならと舞奈は休まず口を回す。
「そんなに可愛いんじゃさー。二人目もすぐに、とか思うんじゃないの? どうよ、その辺の『仕込み』とか」
多少下世話さを出しながらそう言うと、ぶぅ、とコーヒーを吹く音がした。
‥‥ただし、目の前からではなく、ソファの方から。何を言っているんだと、知己が舞奈の方を見ていた。その足元に、不思議そうな顔の澪がまとわりついている。
「‥‥そうですねえ。私はいつでも、いいんですけど」
くすくすと笑いながら、弓が立ち上がる。
そうして弓は、舞奈と知己を交互に見やる。
「いいですよね。兄弟がいると」
弓がそう言うと――なんだろう、舞奈は急に、胸に空洞が出来たような感覚を覚えた。
まじまじと舞奈は、知己を見つめていた。
弓の言うとおりだ。兄がいて良かったと、舞奈は思う。真面目で責任感が強く面倒見もいいとほぼ完璧の兄だった。
目の前でゆっくりと弓が知己に近づいて行き、ソファや服にコーヒーがかかっていないか確かめている。知己は立ち上がりながら、澪を抱き上げていた。
舞奈は立ち尽くしたまま動けない。
どうして。
目の前にあるのは、赤ん坊を抱き上げて幸せそうに笑う夫婦。
それは本当に、とてもとても、見ていても幸せになりそうなほどの幸せな光景、なのに。
だけど。
景色が、ぼやけていくのを感じた。
「ねえ――幸せ?」
問いかけた舞奈に、知己がゆっくりと近づいてくる。
そっと手を差し出してくる、その表情がよく分からない。
それから。
「ええ‥‥とても幸せですよ。結婚して」
知己がそう答えた。
その光景が。
その声が。
遠ざかって、行く。
「‥‥舞奈さん、あなたも――」
最後の声が、よく、聞こえなかった。
そこで‥‥舞奈は目を覚ました。
覚えている夢の内容は‥‥どうしようもなく、夢だった。
兄君と弓君は結婚して、いない。
婚約して、そして結婚する前に、兄は亡くなっているから。
弓君は樋口弓にはならず、加賀弓のままだ。
(どういう無意識でこんな夢見たんだろう)
悩んでしまった。
罪悪感‥‥だろうか。結局弓君より先に舞奈が結婚したことへの。
それとも。
(兄君に、祝福してほしかったんだろうか。舞奈の結婚を)
分からない。
どうなんだろう。
――最後の言葉に続くのは、なんだったんだろう。
考えても仕方がない。所詮は、夢の話だ。