タイトル:【LP】とある犠牲者の姿マスター:凪池 シリル

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/01/12 23:02

●オープニング本文


 ――風のうわさに、弟のいる部隊が今済南市の近くにいると聞いた。
 同時に、済南市が、少しずつ周囲との交流を広げると発表して‥‥会いに行けないか、行ってみることにした。

 私たちは、両親をキメラに襲われて亡くした。
 やがて、弟は徴兵で戦争に駆り出されることになった。
 臆病な弟はそれをとても嫌がって‥‥でも、どうにもならなくて。
 ある日、弟の部隊がとある戦闘で敗北したと聞いた。
 奇跡的に生還した弟を‥‥それでも軍は返してくれなくて。
 別の部隊に配属されると聞いて、私の、ただ祈るだけの日々はずっと続いていた。

 ――久しぶりに、数時間だけ会うことが許された弟は‥‥きっと暗い顔をしているだろうと思っていた弟の顔は、驚くくらい穏やかだった。
 どうしたの? 後方勤務に配置換えになったの? 希望を込めて聞いた私に、弟は首を振った。
「いや‥‥相変わらず、前線だよ。むしろこのところ、凄い戦い続きでさ」
 言って弟は‥‥苦笑。
 笑っている。弟が。恐ろしい戦争のことを口にしながら。
 どうして笑っていられるの、と、私は思わず聞き返す。
「言われてみれば驚きだな、僕も。でも‥‥そうだね、最近、なんとかなるかな、って思うことが、増えてきた気がするよ」
 ――何を言っているんだろう、この子は。
 みしりという音とともに、私の心に不安と言う亀裂が走った。

「はっきり思い始めたのは、山西省での戦いのときかな。もう駄目だ、って思ったら、傭兵たちがわーっときて、一気に押し返してさ。世の中にはこんな凄い人たちがいるんだな、って」
 ‥‥だったら、その人たちに任せてればいいじゃないと、私は思う。言葉には、ならないけど。

「‥‥僕が出来ることなんかは、とてもちっぽけだけど。でも最近、そのちっぽけでも、何かはできるのかもって、思い始めてる。ちっちゃいキメラ一体倒すだけでも」
 やめてよ。貴方は臆病だけど優しい子だった。キメラとはいえ、生物を殺して誇らしげになるような、そんなことができる子じゃなかったでしょう?

「だから僕も、いつまでも臆病じゃ駄目だ、って、少しずつ思い始めてるよ。怖い気持ちは消えないけど‥‥でも、逃げちゃだめだ。諦めたら、駄目なんだ、って」
 やめなさい。諦めればいい。逃げればいい。誰かの役になんて立たなくていいの、私の為に、貴方が生き延びることだけ考えてくれればいいのに。

 この子は何を言っているの。
 この子は何を言っているの。
 はっきりと理解する。この子は、私が知ってる弟じゃ、ない。

 どうして。

「うん、改めて考えると、自分でも本当変ったなー。やっぱり、凄い人たちを見てきたからかな。先日の傭兵たちもそうなんだけどさ」

 どうして、そうなったの。

「んー、思い返すとやっぱり、変わり始めたのは、今の隊に配属されてからなのか、な。隊長も結構、凄い人なのかも」

 ――そう。
 その人の、せいなの。


 ――‥‥死んじゃえばいいのに。


 思いながらも、私は何も口に出来ずに。
 ただ、そうなの、と、微笑んで頷いていた。



「――‥‥もしもし? そこのお嬢様」
 弟と別れた後、ふらふらとさまよう私に、そんな声が聞こえてくる。
「そう。貴女でございますよお嬢様」
 振り向けば、執事姿の男性が、私に向かって傅いていた。
 ぎょっとして、私は後ずさる。
「おやおや。驚かせてしまったようで申し訳ございません。わたくしはスワロウテイル――貴女様のように、切実なる想いを抱える方、そのような方の思いを叶えるべくお仕えすることに無上の喜びを見出すものでございます」
 執事服の男性は、すっと立ち上がると、再び恭しく礼をする。
 そして。
「抱えている想いがあるのでございましょう? 是非ともお聞かせください。そしてわたくしが、そのお手伝いをいたしましょう――」
 知らない人。
 知らない人だったのに。
 誰にも言えない、どうにもならない想いを、聞いてくれると言ったその人に。
 気がつけば私は、抱いた気持ちのすべてをその人に語っていた。

「――成程‥‥」

 聞き終えた相手――スワロウテイルは、とても、綺麗に綺麗に微笑んでいた。



 今。
 私は、街を出る輸送バスの中に居る。
 もうすぐ出発。私はそれを。膝を抱えて待っている。
 残響が、耳の奥で木霊している。

『宜しいですか、お嬢様。
 貴女が帰りにつかう輸送バス。それを、この街の比較的近いところで襲わせましょう。
 ああ、心配はございません。お嬢様と、その弟君には危害が及ぶことなどないようわたくしめが計らいますので。
 ――そう。そのことによって、今この地付近に居る軍が動くことでございましょう。
 お嬢様は、避難民に紛れ、討つべき相手にお近づきになり、望みをかなえてくださいまし――』

 今私の手には、スワロウテイルからもらった武器がある。

 悪くない。
 私は悪くない。
 掠奪者から、奪われたものを取り返す、だけだもの。
 私は、ただ。臆病でも、優しかった、弟を返してほしい、だけ‥‥。
「『その人』が。あなたをそそのかしたなら‥‥居なくなっちゃえば、元のあなたに戻って、くれるわよ、ね‥‥?」

 木霊する。
 声が、耳の奥で、木霊している。


「――『いってらっしゃいませ。お嬢様』」

●参加者一覧

小鳥遊神楽(ga3319
22歳・♀・JG
夏 炎西(ga4178
30歳・♂・EL
守原有希(ga8582
20歳・♂・AA
常 雲雁(gb3000
23歳・♂・GP
カルブ・ハフィール(gb8021
25歳・♂・FC
八尾師 命(gb9785
18歳・♀・ER
荊信(gc3542
31歳・♂・GD
那月 ケイ(gc4469
24歳・♂・GD
イオグ=ソトト(gc4997
14歳・♂・HG
北斗 十郎(gc6339
80歳・♂・GP

●リプレイ本文

 高速艇から降りた傭兵たちが現場に駆け付けると、兵士たちがキメラたちをどうにか食い止めているところだった。苦境を見て、傭兵たちはさらに足を速め、切り込んでいく。
「行きましょう、軍は市民の安全を!」
 守原有希(ga8582)が全体に向かって叫ぶ。
「‥‥援軍がきました! 第三分隊はこのまま傭兵と共に戦線の維持に! 他は市民の護衛と避難に集中します!」
 声に、傭兵たちに目を向けた孫少尉が、ひとまず視線と軽い頷きだけで謝意を伝えると、応えるように兵士たちに指示を飛ばした。
 道を譲るように動いた兵士たちに変わり、まず前衛となる常 雲雁(gb3000)、那月 ケイ(gc4469)、イオグ=ソトト(gc4997)、北斗 十郎(gc6339)がそれぞれ一人ずつ、担当するキメラに取りつく。
「あにきぃぃぃぃ」
 傭兵とキメラとの本格的な交戦が開始されると同時に、天地が裂けるかと言うほどの重低音な叫びが轟いた。
 イオグのものだ。鍛え上げられた筋肉がみちり、と盛り上がると、その筋肉でもって軽々と扱われるアサルトライフルから銃弾が吐き出される。
 幾つかはキメラの纏う金属に弾かれるが、その弾幕は兵士が下がるのに合わせ前に出ようとしたキメラの動きをけん制する。
「結構固そうですね〜。では柔らかくしてみましょうか〜」
 非常時に、どこかのんびりとした八尾師 命(gb9785)の声。同時に、彼女の手にある超機械が作動する。それはキメラの鎧のような部分に干渉し、弱体化させていた。
 雲雁と十郎は、相手の動きの鈍さを利用して側面に回り込み、継ぎ目や弱体化した部分を狙って攻撃する。金属の隙間を縫ってもキメラの皮膚は強固だったが、それでも手傷を負わせ意識を引き続けることには成功している。
 ケイは、その防御力の高さをもって一体のキメラを正面から完全に抑え込んでいた。
 足止めされたキメラたちを、遊撃に回る傭兵たちが叩く。
「‥‥幾ら体表を強化しても生き物であるからには薄い部分もあるわ。ならば、そこを狙い撃つのみね」
 呟きの通り、小鳥遊神楽(ga3319)の放つ弾丸は次々とキメラの皮膚に食い込み血飛沫を上げていく。
 有希は、そうして仲間が負わせていった傷を狙い撃ち、傷口を広げる形でダメージを深めていく。
「ふんっ!」
 再び、イオグが筋肉と汗を躍動させながら放った銃撃が、目の前のキメラにとどめをさす。
「正に筋肉愛の勝利だな」
 びしっとポージングをしてイオグが宣言する。反応を返す者はいなかった。憧れる伝説の人にはまだ遠く及ばないのかと思いながらも、まだそれどころではないのだろうと判断して彼は再び銃を構え直した。
 作戦の通り、キメラたちを市民の方へは向かわせないまま、一体、二体とキメラが倒れていく。
 そのさなか――
「これほど‥‥で、ございますか。また、予定の時間に狂いが生じてしまいますね」
 声は、低く、穏やかなものであるのに、染み広がるように伝わってきた。
 ゆらり、と、奥から黒い影が現れた。
 その姿に、夏 炎西(ga4178)と荊信(gc3542)が強い反応を見せる。
「よう、手前か‥‥」
 荊信が、怒りと、どこか楽しさをにじませて呟く。
「貴様は‥‥! 基地を獲られた腹いせか!」
 睨みつけながら炎西が言うと、現れた黒い影‥‥スワロウテイルは優雅に首を横に振る。
「腹いせ‥‥で、ございますか。そのような底の浅い話のつもりはございませんが」
「何‥‥!」
「雑草駆除は、きちんと、根元まで丁寧に抜くことでございますよ? あなた方が刈ったのははたして、草でございますか根でございますか‥‥それを確かめに、でございますかね」
 ぞっと、炎西の背筋に寒気が走る。許昌西空軍基地の時のことを思い出し、炎西は振り返った。
「気をつけろ! こいつには、一般人を操る能力がある!」
 警告の叫びを発すると、スワロウテイルはころころと笑い声を上げた。
「それは逆に、かいかぶりでございますね。わたくしめごときにそのような大層な能力はありませんよ。わたくしはただ‥‥皆さまの、切実なる想い。それを確かにし、遂げていただく手伝いをしているのみで」
「戯言をっ‥‥」
 不快感に、呻くように言って炎西は超機械ザフィエルを操る。怒り任せにも見える攻撃はしかし、それでも強化人間の接近を僅かに鈍らせる。
 そうして出来た隙をついて、躍り出てくる人影があった。
「姓は荊、名は信、字は壮蒼! 皆遮盾たぁ俺の事だ! 手前も名乗りやがれ、それとも名乗る礼も名も持ち合わせちゃいねぇか?」
 銃の連射と共に叩きつけられた叫びを、スワロウテイルは銀盆を掲げ静かに受け止める。
「これはこれは、失礼いたしました。わたくしめはスワロウテイル‥‥と名乗らせていただいております。以後お見知りおきを‥‥」
「見下してんじゃねぇ!」
 一気に距離を詰め、接近して貫通弾に切り替えての再度の射撃。だがそれも弾かれる。
 スワロウテイルからの反撃を、荊信は盾を掲げ、エミタのサポートと己の技術をフル活用して凌ぐ。無傷とはいかなかったが、スワロウテイルの表情にほぉ、と感心の色が浮かんだ。
 その余裕の表情を横手から機械剣の一撃が薙いでいく。天剣ラジエルに持ち替えた炎西の攻撃。首筋を掠め浅くその皮膚を焼くものの、有効打には程遠い。だが、そうしてスワロウテイルの気を引いた更に死角から、有希が二刀流で襲いかかる。
 三名の、多方向からの連携攻撃。個々の能力としては相手の方が上手かもしれないが、傭兵たちは強化人間を押しとどめることに成功する。
「‥‥成程。最後の希望、でございますか」
 感嘆を込めたようで、どこか馬鹿にするようなスワロウテイルの言葉に。
「最後? 解っとらんな」
 刀を振り上げながら、有希が応える。
「うちらは、明日へ最も新しい希望ば続かせるLHの傭兵だ!」
 有希の言うそれは、形容詞ではなく動詞のLast。
 決意を乗せた交差する斬撃に、スワロウテイルは大きく飛びのいて。
「‥‥ふむ」
 思案するように呟き――視線をどこかへ向ける。
「そろそろ、時間的にもよろしゅうございますか」
 わざとらしく懐中時計を取り出し呟くと、さらに大きく後方へと飛ぶ。
「ちっ‥‥逃げやがって‥‥と言いてえとこだが‥‥生憎とこっちも限界か」
 荊信が、一歩前に踏み出しながら呻く。正面で攻撃を受け続けた彼は、体力も錬力も限界だった。‥‥それでも、強化人間相手に良く持ちこたえたと言えるが。
「あの野郎が出たって事ぁ、おそらくこれで終わりじゃ無ェ‥‥。悪ィが後は頼む‥‥少しばかり気張り過ぎた‥‥」
 言うと同時に、荊信の瞳の色が真紅から青へ――元の色へと変化する。覚醒が解けたのだ。
 その言葉に、炎西は振り返る。
 彼自身も荊信の言うことは分かっていた。相手の動きは本気ではない。単に、人手と、時間を割かせるためのもの。ならば‥‥それによって、何が起きた?
 振り向き理解できたのは、遊撃班が向かったことでキメラの殲滅も遅れたということ。決して後れをとる相手ではないが、やはりその防御力は厄介だったようだ。

 そして、続けて分かったのは――戦闘に巻き込まれることのないよう、軍が誘導したのだろう。輸送バスが街の方へと移動し、戦線から大きく離れていたこと。

 傭兵たちの何名かは、比較的街から、軍が駐留する場所から近い場所で輸送バスが襲われたことに不自然を感じる者もいた。同じ懸念は孫少尉にもあったのだろう、離れすぎず、傭兵のフォローが期待できる位置を保ってはいる。だがそれでも、一瞬で駆けつけるというのは難しい距離。
 嫌な予感を覚えながら、傭兵たちの一部は覚醒を解かぬままバスの方へと向かう。

「離して! 離しなさいよ人殺し――弟を返して!」

 傭兵たちがたどり着いた瞬間――
 バスの中から、悲痛な叫びが響き渡った。



「触らないでよ化け物‥‥! 何一つ守ってくれないくせに‥‥そんなことに、弟を巻き込まないで! 何にも出来なくせに‥‥なら貴方だけ勝手に死ねばいいんだわ!」
 バスの中は騒然としていた。装飾の施された片刃のナイフを持つ女性の手を、孫少尉が押さえている。警戒はしていたのだろう、どちらも無傷で取り押さえられている。だが、押さえたまま、それ以上孫少尉は動こうとしなかった。無表情で、ただ視線は女性から離さず、手を押さえ続けている。目の前で起きた事件。女性の叫びの内容。そして少尉の対応に、見守る市民の不安な色は秒ごとに増していくようだった。
「あわわ、とりあえず皆様落ち着いて〜!」
 命がそう、周囲に声をかけて、女性の武器を取り上げる。どこか怪しげに光を反射するそれを、エレクトロリンカーの目で仔細に確かめた。爆発物など仕掛けられていないか‥‥だが、ひとまずはそんな細工は見つからない。
 女性は、有希が当身で気絶させた。手荒なようだが、こんな場所でこれ以上暴れさせ続けるわけにはいかない。孫少尉もそれについて何も言うことはなかった。

 輸送バスは、一度済南市に引き返すこととなった。
 気絶させた彼女は、話を聞く必要があるということで軍の施設へと運ばれることになり、傭兵たちも同席を申し出た。
 目覚めた彼女は‥‥取り乱すことはしなかったが、瞳に暗い色を宿したままだった。その目で、まっすぐ孫少尉のみを睨みつける。武器を取り上げた分、勢いは失っていたが‥‥淀む思いは、かすれた声で、噛みしめられた唇から漏れ続ける。
 概ねの状況、動機は察したところで、最初に口を開いたのは有希だった。
「ん、弟ばバグアの様に物扱いしとるぞ! 弟さんは、んの杖とかじゃなか! んば心配する優しか人、んの家族だ!」
 激昂しているのだろう、口調が長崎弁になっている。ん、は貴様、という意味だ。
 想いが昂るのは、自身が傭兵になろうとした時、姉四人から反対(しかも武力行使でもって!)を受けたことがあるからだろう。姉の想いも、自身の思いも知ってこその叫び。だが女性は一瞬だけ有希に目を向けただけで、すぐ視線を戻す。
「ふむ」
 そこで、十郎があごに手をやり、一つ考え。
「孫少尉とやら。今から一発殴るが避けるでないぞ」
 女性に目線を向けられたままの孫少尉のそばに立つと、そう告げた。返答を待たず拳が振り上げられ、そして孫少尉はそのままそれを受けて、倒れはしなかったものの二、三歩後退する。
 それから十郎は、あくまで優しい視線を女性に向ける。動揺は与えたのだろう。納得には程遠いが、眉をひそめた表情からは毒気が少し抜かれている。
「済まなかったの。なんなら一発殴ってくれてよいぞ」
 多少は落ち着かせたことを確認し、十郎が孫少尉に告げるが、孫少尉はゆっくりと首を横に振った。
「いえ‥‥私のふがいなさが招いたんだと思っていますから。‥‥感謝します」
 殴られた跡の残る頬を指先で撫でて、それから孫少尉は敬意をこめて十郎に頭を下げる。
「た、隊長‥‥」
 そこで、青ざめた顔で部屋に入ってくる青年がいた。半ば自失状態のまま、許しを請うようにふらふらと孫少尉に近づいて行く。
 十郎は青年を見やると、彼がお嬢ちゃんの弟さんかね、と女性に目線で問いかける。答えはなかったが態度でそれを察すると、ごん、と青年の脳天に拳骨を落とした。
「ちょっ‥‥」
「まったくおぬしは少し強くなったように感じて、姉の異変に気づかんとは」
 さすがに驚いて腰を浮かせた女性の言葉を遮り、十郎はは続ける。
「ほれ、自分が何のために強くなったのか一番守りたいものが何なのか言って来なさい」
 頭を押さえていた青年ははっと顔を挙げて、姉を見た。
「‥‥姉さん」
「‥‥やめて! 聞きたくない!」
「ずっと心配かけて、ごめん‥‥。姉さんの気持ちも、気遣うべきだったんだよ、ね。ずっと、僕だけが大変だと思ってて‥‥最近ようやく気持ちが楽になってきて‥‥言われた通り、調子に乗ってたんだと、思う。でも‥‥」
 そこで女性はきつく横を向いて視線をそらせて、青年もそこで言葉を止めた。これ以上、姉の望まぬ言葉をかけていいものか。そこで逡巡する様子で。
「せっかく、彼が自分が出来る範囲で他人の為に何かを為そうとしているのに、それを認めようとしないのは本当に弟のことを考えているのかしらね」
 青年の想いを繋ぐように、神楽が諭すように言う。
「弟さんの事、変わって欲しくない気持ちは分からないではないけれど、彼が変わろうとする理由とか気持ちとかは大事にしてあげて欲しいと思う。2人きりの家族なら」
 ――俺も妹には心配かけてる身だから偉そうな事は言えないけどね。
 雲雁が続けて、苦笑気味に、優しく声をかけると‥‥女性はとうとう、俯いて嗚咽を上げ始めた。彼女の弟である青年が、そっとその傍らにつく。
 少なくとももう、今すぐには敵意を向けられる様子は、なかった。

「孫少尉。彼女は親バグアとかではなく、たまたま強化人間に催眠誘導された可能性があります。ですから‥‥」
 炎西が、躊躇いがちに孫少尉に声をかけた。それでも濁る語尾に、ケイが続く。
「陽星さん、俺からもお願いします。‥‥あんまり、厳しい処置は勘弁してもらえませんか。その‥‥ある意味彼女も、犠牲者なんだって思うんですよ」
 申し出に、孫少尉は短く息を吐いた。
「未遂とはいえ、彼女は事件を起こしました。その背後関係はきちんと調べ、夏さんの言うことが事実なら、経過も見ていく必要があると思います。‥‥その結果次第ですね。私が約束できるのは、私の手と目が及ぶ範囲までです」
 答える言葉には、苦悩がにじんでいた。
 ケイは俯く。
「‥‥甘いのかねぇ俺は」
 溜息と共に、つい迷いがついて出る。
「‥‥それでも。貴方たちが言葉に、行動にあらわしてくれることに、私は勇気をもらっていますよ」
 言って孫少尉は視線を、姉に寄りそう青年に向けた。
「出来うることはするつもりです。それが、限られているからこそ。――市民のことはもちろん、私の部下も救っていただいたこと、感謝します」
 炎西に、ケイに、それから傭兵全員に視線を向けてから、孫少尉は改めて、深々と頭を下げた。

 少なくとも、バスに乗る市民全員に被害なくキメラを退けたことは間違いのない戦果だ。
 人々に残るものはまだ光の方が闇よりも強いだろう。
 だが‥‥禍根はまだ残されていることは、意識せざるを得なかった。