●リプレイ本文
戦争終結――その宣言が為されてから、しばしの時が過ぎ。
それでもまだ。人々の顔は明るさを取り戻した‥‥とは言い切れなかった。
宇宙にも地上にもまだバグアの残党は存在し、警戒と迎撃が続けられている。永き戦いの爪痕は深く、復興の道のりは遠い。まだ、平和の訪れを実感しているものは一握りだ。
LH本部も、慌ただしさを残している。そんなときに張り出された依頼‥‥あるいは、告知。
「まだまだ破片の処理とかが残ってはいるけど、ひとまず決戦は勝利っ! ってことでいいんだよね?」
見上げて、確かめるように声を出したのは、美崎 瑠璃(
gb0339)。ふむ、と腰に手を当てて、見つけた依頼の内容を再び確認する。
「で、で。崑崙でパーティーやるの!? ついでにお菓子屋台の出店者募集中!? はいはい、あたし参加するっ!」
身を乗り出すようにして張り紙をしっかり見直してから、くるりとターン、そのまま急ぎ足で受付へと向かっていく。
彼女のテンションが目を引いたのか、ミシェル・オーリオ(
gc6415)も、何気なく足を止めて。
「月面ね‥‥。しっかり見るのは初めてかも知れないわ。ふふ。楽しみね?」
悪くないかも、とポツリと言う、彼女も参加に前向きなようだ。
そうして、他にもまばらながらにぽつり、ぽつりと参加者が集まり始めた、その中に。
「【崑崙】までの、物資輸送の護衛、ね‥‥」
小鳥遊神楽(
ga3319)も、加わっていた。
「‥‥まあ、バグアとの戦争も一段落したことだし、こんな機会でもないと【崑崙】に来るのも一苦労だから、良い口実が出来たわ」
どうやら彼女には、崑崙に向かうのに別の目的があるようだ。‥‥なんて勿体ぶった言い方をせずとも、分かるものには今更かもしれないが。
「‥‥ん。材料は。私が。死守する。任せて」
ちょうどその時、最上 憐 (
gb0002)もまた依頼参加を表明していた。淡々とした声に並々ならぬ決意を感じるのは気のせいだろうか?
憐の様子に、神楽は小さく笑う。そうだ、一番の目的は別にあるとして、依頼はしっかりとこなさなければ。
「‥‥女の子にとって甘いものは心の栄養源だから。間違いなく届けないといけないわね」
気持ちを引き締め直すように呟いて、彼女も手続きに取り掛かる。
一応の護衛任務ではあったが、やはり破片回収なども含めて、宇宙は大規模な作戦が成功したあとだ。今回は、ひとまず大きな問題はなく、一行とパーティに必要な物資を積んだ宇宙船は、無事月面基地へとたどり着いたのだった。
●
「さて、と。好きなだけお菓子を作れると聞いて」
無事崑崙へと到着した一同。移動の疲れも取れたころ、さっそく準備に取り掛かるのはユーリ・ヴェルトライゼン(
ga8751)だ。ぐるりと調理場に積まれた材料、その量にはひとまず満足して。
「あ、生の果物は難しい? じゃあまあそこは何とか考えるよ」
一通り確かめた後、作業開始。バイキング、となれば、常時提供するためには前日から出来るだけの準備はしておきたい。
さて、ユーリの準備するメニューは?
タルトはナッツにチョコ、ベイクドチーズと桃缶。それからパウンドケーキは今日中に焼いてしまっていいだろう。
それから‥‥と、次の準備に材料のかぼちゃに手を伸ばしたところで、瑠璃と神楽と鉢合わせになる。
お互いに苦笑して顔を見合わせて。
「‥‥季節ものはやっぱり大切にしないといけないものね」
神楽がそう言うと皆で頷く。何気なく、かぼちゃを使ってどうするのか、とレパートリーを確認しあえば、ユーリはモンブランにプリン、瑠璃はシフォンケーキ、神楽はタルトと奇麗に分かれていた。かぼちゃ自体は、やはりハロウィンということで多めに用意されていることだし、問題はなさそうだ。
ミシェルはお菓子のほかに、なにやら準備を始めている。ちらりと見ればビラのような紙束が彼女の手元に纏められていた。
「はは。アタシがお菓子作りね。変わる物ね」
書かれた中身を確認しながら、ミシェルは笑う。
用意した趣向に、相手は喜んでくれるだろうか? 想像をめぐらせる。
楽しい会になればいい。勿論、自分も楽しめるよう。
パーティというものは、当日は勿論、こうした準備の時間も楽しいものなのだ。
南 十星(
gc1722)もまた、嬉しそうにケーキ作りにいそしんでいる。依頼である以上、気合を入れてこなさねばならないが、彼(誤植ではない。見た目もともかく、今の立ち振る舞いからすると間違えそうになるが十星はれっきとした男である)は本当に、お菓子作りが大好きなのだろう。様子からそれが伝わってくる。
キッチンに立ち込めていく甘い香り。ここに立つものの腕前は間違いのないものであるようだ。皆、手際よく作業を進めて‥‥。
「‥‥ん。味見しようか? しようか?」
憐がひょっこりと顔を出したのは、ユーリがちょうど、モンブランの上に絞り出すためのサツマイモペーストを作っているときだった。
「‥‥させて。くれないと。飲み干すよ?」
‥‥飲み干すって、まさか、これを? 思わずユーリは手元のペーストに目を落とす。
「は、は‥‥」
まさか冗談だろうと思ってユーリは憐の瞳を覗き込んで悟る。なるほどペーストを飲む気か、というのは彼の勘違いだと。
――憐の視線は、この場にある、現時点で実食可能なもの全てをすでに捉えていたのだから。そしてそのすべてが彼女にとって『飲み込む』対象となりうるのだ。
「え、ええと、はい。どうぞ」
本能的危機を察したユーリに咄嗟に出来たことは、手元のペーストをスプーンで1掬いして差し出すことだった。
「‥‥ん。美味しい。けど。流石に。これだけだと。くどいね。完成品が。楽しみ」
納得して立ち去る憐。ユーリは己の瞬間的な判断が誤りではないことをようやく理解してほっと一息つくのだった。
他の皆もその様子を見て、憐にはひとまず飾りつけの際の切り落としなどを渡すなどしてうまく対処する。
そんな感じで、準備のほうも、多分順調に進んでいき。
パーティは、いよいよ本番を迎えるのである。
●
「「雨宿り処『虹待亭』」・崑崙出張所! 本日限定で開店ー! ってね♪」
張り切った声を上げる瑠璃の屋台の中央を飾るのは色鮮やかなトライフル。
透明な器から見えるジュース、スポンジケーキ、カスタードとホイップクリームの層が美しく、そして白いクリームの上部にはフルーツが見事に盛られている。
その脇を飾るのは一口大に作られたスイートポテトと、切り分けられたかぼちゃのシフォン。
そして、ハロウィンだからと瑠璃自身も魔女ルックに身を包んでいる。
ユーリの出店には、前日から張り切って準備していただけあって、各種タルトにモンブラン、スコーンにクッキーと、様々な品が並んでいた。
彼の服装は、白と青を基調とした、派手さはないもののどこか神秘的な雰囲気をもつ衣装だ。コンセプトは「冬の王」とのことで、彼の、雪を思わせるような白銀の髪に良く映える。その冬の王が今、冷蔵ケースにかぼちゃプリンとチョコムースを並べているのが、ちょっと微笑ましい図になっていた。
「トリック オア トリート?」
彼らの屋台から、定型の挨拶を交しつつ、一つ、一つとお菓子が手にとられていく。
護衛をした傭兵の中には、供する側ではなく客として楽しむものたちもいて。モココ(
gc7076)もその一人だった。一人、何かを待つその動きは、どこかギクシャクしており、時折自分の姿をしげしげと見返している。
彼女も、せっかくなのでと仮装での参加。黒猫を意匠した、少しフリルの付いた黒のドレスは、やや露出が高めで。慣れない服装にはちょっと照れがあるようだ。この服、変じゃないだろうか。似合っているだろうか。それから、あの人は――
「モココー、トリックオアトリート!」
「きゃあぁっ!?」
ちょうどモココがそこまで考えたタイミングで、背後から勢いよく声をかけられる。びっくりして振り向いた先には‥‥マントにタキシード姿の吸血鬼――の、仮装をした、クラフト・J・アルビス(
gc7360)が居た。
驚きと、会えた嬉しさで跳ねる胸を、一つ呼吸して落ち着ける。
「トリック、オア、トリート!」
まずは元気よくそう返して、はにかみながら、軽く服のすそをつまみあげる。
「えへへ‥‥どうかな‥‥この服‥‥」
思い切って聞いてみるけど、やっぱりちょっと恥ずかしい。
「うん、可愛いよ。すっごく」
クラフトが笑顔でそう言って、凄い凄いと彼女の頭を撫でる。褒められて、モココもどこか緊張した顔から一点、顔をほころばせる。
そうしてクラフトが、自然にそっと手を差し伸べると、モココはその手を取り。吸血鬼と黒猫、二人は連れ立ってパーティ会場を歩いていく。数々のデザートに目を輝かせるモココに、クラフトは付き合う形。
「はいモココ、あーん」
受け取ったお菓子の一つを、手でつまんでそのまま彼女の口元へ。
「そ、それじゃあ私も‥‥あ、あーん‥‥」
彼女も、恥ずかしがりながらお返しをしてくれて。クラフトはあまり甘いものが得意ではないが、こういうのはやはり悪くないと、思う。
「や。モココにクラフトじゃない」
そうして会場内をめぐるうちに、彼らを呼び止めるものがいた。ミシェルである。彼女も出店組。その彼女の店は、今小さな人だかりが出来ている。
「アンタ達も作っていく? ‥‥なんてね。ふふ」
ミシェルは今、菓子の手作りをその場で実演していた。集う人々の手には、昨日用意していたビラ。今彼女が作っているもののレシピが記されたものだ。あえての簡単な菓子の選択と、実演。それは、彼女らが去ったあとも住民たちが自前でお菓子を調達できるよう、との配慮が為されたものだった。
「え、ええっと?」
「ん? あぁ、違う違う、こうやって‥‥こう。かな」
挑戦してみる人たちに、そっと手を添えて。ミシェル自身も、楽しそうに基地の人々と交流している。ミシェルとしては、モココに声をかけたのは半ば冗談で、二人の邪魔をする気はなかったのだが。結局モココが乗り気になったこともあって、しばし三人で過ごしていたようだ。
会場には、クラフトの姉であるアクア・J・アルビス(
gc7588)の姿もあった。
「スウィーツバイキングとかなんですか。私得じゃないですか!」
いっぱい食べちゃうですよー、と、ホールを練り歩く彼女は、明らかにはしゃいでいた。
衣装についたふさふさの尻尾は狼のものだろうか? 露出は多少ある位くらいがちょうどいいですー、とは彼女の弁だが、まあ、彼女の体型ならばそれを言っても差し支えあるまい。
クラフトと分かれたあと、知り合いはいないかときょろきょろと視線をめぐらせていた彼女が、誰かを見つけて、とてとてとそちらに小走りに向かう。
「優人さーん、お久しぶりですー♪」
「お、アクアさんだ。ちわっす」
そこに居たのは御武内 優人を初めとするリトルフォックス隊の面々だった。
「とりあえず〜トリックオアトリート〜♪」
「ん? じゃあ、トリックで」
「‥‥え?」
何気ない挨拶だったのにその返しは予想外だったのだろう。アクアは暫く困った後‥‥「どうぞ」と、用意した煎餅を差し出す。
「トリートじゃないですか」
「トリックですよ〜。ひとつは激辛のロシアンお煎餅なんですー」
「‥‥トリックおよびトリートじゃないですか」
ちなみに、外れにしたって何故か激甘であった。煎餅が。
そんな他愛もない話をしながら、「今までおつかれさまなのですよー♪」と、これまでの戦いを互いに労いあう。
「そういえば、優人さんはクラフトの事、どー思うですかー?」
そうして、世間話の合間にアクアが、何気なくそう問いかけると。優人は、「え‥‥」と呟いた後、明らかに不審な態度で身をくねらせる。
「どう思うって‥‥そんな‥‥クラフトのことはいい奴だと思うけど‥‥俺‥‥ゴメン、、やっぱり俺にははやみんがいるかゴファッ!?」
何やら明らかにおかしな方向にいった優人の言葉は、横手から入った衝撃で強制終了となった。わき腹から綺麗な一撃が入って、優人は勢いよく地面に転げた後激しくせき込む。
「ちょっ‥‥今マジで入っ‥‥ごふっ‥‥ほんの冗談っ‥‥」
「ああ分かってる。本気だったら覚醒して息の根止めに行ってるからな」
見下ろし告げる速水 徹の目線と声音は氷点下だった。
「いちおー、クラフトは彼女いますよ?」
「うん知ってる」
アクアの言葉には優人はしれっと答えた。どうも、初めから冗談だったのは間違いないらしい。まあ、こんなふざけた会話も、パーティの楽しみということで。
秋月 祐介(
ga6378)は、コスチューム「ウィザード」で仮装して、菓子を配り歩いて回っている。
「トリックオアトリート。はい、どうぞお一つ」
パーティ会場にとどまらず、基地内を渡り歩くその様子は、祭りというより挨拶回りという風情を思わせた。
そうして。
「や、どうも。取り敢えずお一つ如何ですかな?」
戻ってきた会場内、その片隅に孫中尉を見とめて、手にした菓子を差し出しながら声をかける。
「‥‥ありがとうございます。いただきます」
中尉は、一礼して受け取り一口。微笑むその表情はしかし、心からパーティを楽しんでいる、というだけではないだろう。企画したものとして、現場を監督する任務がある、というのもあるだろうが。
「随分と大変みたいですな。補給に大分余裕が無い‥‥かといって、そのままだと士気にも影響する。なので、カンフル剤でも‥‥という所ですかね?」
それが、このパーティを奇貨に崑崙内を見て回った祐介の見立てだった。
「お見通し、ですか。貴方には‥‥」
「こんな時勢に、前線に補給が滞る様ですと色々と拙いですかねぇ。補給で潰れた軍はいくらでもありますからねぇ‥‥」
「皆さんの尽力のおかげで、カンパネラの機能は覚悟していたよりもはるかにましな状況です。このままなら、食いつめるほど干上がることは、無さそうですが‥‥」
賑やかな祭りの、喧騒から少し離れた場所で。
苦笑して、中尉は祐介の前で社交辞令の仮面を外し、正直な状況と心境を、彼ならば、と吐露する。
祐介としても完全に心中穏やかというわけではない。月面基地もそうだが、傭兵たちは傭兵たちで悩みがないわけではないのだから。
「こっちは報奨金で懐は暖まりましたが、今後がどこまで保証される事やら‥‥年金貰って、悠々自適の隠遁生活とでもいければいいんですがねぇ‥‥」
祐介の言葉に、中尉は気まずそうに苦笑することしかできなかった。
「すみません。有能な方には、もう暫く働いていただく必要がありそうだ、というのがこちらの本音ですね」
「おや? 支給額が今一つなのはわざとですかな。絞ればもう少し出ますかね」
「勘弁してください。UPC軍だっていっぱいいっぱいです。それも事実ですよ」
シビアな現実を見据えながら、それでも会場の空気か。少しずつ冗句と笑みもこぼれる。どちらともなくふう、と溜息をついたその時に。
「飛鳥将に尽きんとす、然れども定まるには未だ至らず‥‥」
どこか唄うように、祐介が言葉を紡ぐ。視線は遥か先。未来を見据えた言葉は相手に向けたものでもあるし、己を戒めるためのものでもあるのだろう。
「夫功者難成而易敗。時者難得而易失也。時乎時、不再來」
二つ目の言葉は、中国語で語られた。「‥‥本当に、よく勉強されていますね」、と、中尉が己を恥じ入るように呟く。
功は成し難く失敗しやすい、機は得難く失いやすい。時は二度とは訪れない。
まさにその通りで‥‥。
「‥‥と。長話をしてしまいましたな。忙しいでしょうから、私はこれで」
そうして、視線を遠くに定めていた祐介が、何かを見つけたような様子の後、突如トーンを変えて話を打ち切りに来た。
そんなに長く話していただろうか? 違和感を感じた中尉は、何気なく祐介の視線を追いかけ、そして。
「‥‥あ」
神楽が、こちらに向けて歩いてきているのを見つけたのだった。
呻くような声を漏らした後、緊張に身を強張らせた中尉。その隙に、祐介は去り、神楽は近づいてくる。
少しは時間があるかと尋ねる神楽に、中尉はぎくしゃくと頷くと、そのままそっと、連れだってホールを去っていく。
「せっかくの息抜きですから、楽しまないとダメですわよ」
宴会は続いている。ホールに入らず、遠巻きに見ていた男性に、ミリハナク(
gc4008)が声をかけて手招きする。
「え。あ、いや、自分はっ‥‥」
軍人と思しき男性がどもったのは、スィーツバイキングを見ていた、という気まずさだけではないだろう。今宵はハロウィン、ということでミリハナクが選んだ『仮装』はキャットスーツ。それはもう、ミリハナクのプロポーションの良さをこれでもかと強調するもので、耐性のない男性には相当に目の毒だ。
「楽しまない子は、セクシーなお姉さんがいたずらしますわよ?」
「えっ?」
むしろそれは一体どんな悪戯なんですか、と、鼻の下を伸ばす男性に、ミリハナクはにこやかに、傍に置いてあったかぼちゃの飾りを振り上げた。‥‥全力で投げつける、という体勢で。
「え、ええと‥‥」
「どうぞ、美味しいお菓子がいっぱいありますわよ? 苦手なら、コーヒー片手に雰囲気に混ざるだけでも楽しいものですわ?」
にっこりと。
あくまでにっこりと、ミリハナクは誘いをかける。決してこれは脅迫ではない、と本人の談。
えも言われぬ迫力、もとい魅力に、カクカクと頷いて一人ホールに入り込んでいく男性。
同じようにして、お菓子メインということで入りづらいと思われる男性に声をかけていくミリハナク。一見無理矢理なようでいて、だが、一人、二人と人数が増えていくうちに、自然と、誰もが入りやすい空気が出来ていて。
ゆっくりと腰を落ち着け、何気なくお茶を飲んでいるだけでも、会場の喧騒が肌に伝わってくる。それは、いざ飛び込んでしまえば中々に悪くないものだった。
‥‥ふと、ひょいひょいと軽快に移動する憐の姿が目に映る。普段通りの様子で、しかしその実素早い動作で各店舗を回り、それぞれの品を一個ずつ、手にとってはひょいぱく、とテンポよく口に放り込んでいく。
可憐な少女の、気持ちのいい食べっぷりに、何人かが思わず笑顔を零していた。
「‥‥ん。序盤は。我慢。我慢。我慢」
この時、この速度で、彼女がそんなことを呟いていたものに、気付いたものはいなかったようだが。
瑠璃は、菓子を手に取る人の流れが一度落ち着きはじめたところで、一旦ホールを出た。手には差し入れように纏められたスイートポテトの箱。
積今、基地内の全員がここに集まっているわけではない。極的にパーティを楽しむ者ばかりではないし、インフラ管理や警備の為、こうする間にも交代で働く者たちがいる。
暫く会場で待っていたが、彼女が会いたい何名かの顔が見当たらないのに気付いて、自ら会いにいくことにしたのだ。
‥‥まずは良く作戦を共にした、かつての孫小隊の面々。その中でも、引っ込み思案のあの子は、やはりまだ、こうした大々的なパーティ会場には出てこれないようだ。
「にゅ、にゅいっ。美崎さん、こんにちは‥‥」
突然の来訪に不快感を現すことなどなく、徐隊員は瑠璃を迎え入れる。「スイートポテト、平気?」と瑠璃が尋ねると、「大好きですっ‥‥」と、弾んだ声が返ってくる。そこから、雑談混じりの近況の交換会。どうやら、小隊の皆は相変わらず、仲良く元気にやっているようだ。
「‥‥とと、ゴメン。もっといっぱいお話したいけど‥‥他に行きたいところあるから、そろそろ行くね?」
女の子同士、お菓子を挟んでのおしゃべりは尽きないけれど。程よく盛り上がったところで、瑠璃がそう言って立ち上がる。
「にゅ、す、すみません‥‥その」
「ん?」
「にゅい‥‥ま、また、こんな時間があると、いいですね」
俯き加減に、少し恐々と呟かれる、願い。かつては天井裏にずっと引き籠るほどの引っ込み思案だった徐隊員にとって、随分な勇気だったのだろう。瑠璃はそれに、笑顔で答えて、別れる。
次いで瑠璃が向かったのは研究室エリアだった。
「お邪魔しまーす」
「ん? ああ」
遠慮がちに声をかけて中に入る。室長は瑠璃の姿を認めるとそれだけを言ってなにやら作業を再開した。そっけない態度だが、瑠璃の侵入をとがめることもない。むしろそこには「好きにして構わない」という信頼があった。
気になっていたのはかつて皆で植えた花壇のこと。そこに――その主役であった、シロイヌナズナの姿は、ない。花の命を考えればそれは当然のことだった。なんとなく視線を彷徨わせていると、研究員が近づいてくる。軽いやり取りのあと、経過資料を見せてくれた。
研究資料だから、難しいところは分からない。だけど、一つの命がここで懸命に役目を果たしたことを、瑠璃は感じ取っていた。それから、人類が宇宙に来た、その時間が少しずつ進んでいることを。
変わっていく。いろんな物が、これからも。
その渦中に、最前線に瑠璃たちはいるのだ。まだ。――そして、望めば手を伸ばし続けられる。
●
で、先ほどホールを抜けていった神楽と陽星である。
お互いどこかぎこちない態度で、無言で基地の廊下を歩いていく二人。
「この辺で‥‥どうでしょうか?」
ポツリと声を発したのは陽星だった。立ち止まり、窓の外を見やる。つられるように視線を移す神楽。そこは他のエリアの建物がよく見える位置なのだろう。宇宙空間というと、大体は強烈な孤独を感じるの殺風景なのだが、ここは中々悪くない。
「‥‥そうね」
神楽はそう言って、体の向きごと窓のほうに向け、縁に手をかけて軽く寄りかかるようにして外を見る。陽星も、同じく窓に向かう形で、その隣に並ぶ。
「あのさ、」
ややあって、神楽が口を開く。
「女の子にとってはプロポーズって一生に一度しかないかもしれないものだから、大切な思い出にしたいものなの」
そうして神楽が話題に出したのは‥‥やはりというか、この間の、突然のプロポーズの事、だった。
「‥‥だからさ、あんな唐突なのはいろいろ台無しだと思う。ムードもなにもなかったしね」
「そう‥‥ですか」
内容は決して好意的なものではない。陽星は、ただ沈んだ声でそう答えて俯くしかなかった。
「‥‥お互いに最善を尽くして、今ここにこうしているんだから、急ぐ必要はないと思う。だから、改めてきちんとした形でプロポーズしてくれると嬉しいわ。その時にあたしからの返事をさせて貰うからね」
「‥‥え? ええ、っと‥‥」
続く言葉の意図を、陽星は咄嗟にはつかみ損ねた。こないだの、溢れる想いに任せてしまったプロポーズはつまり駄目だったのだろう。だから、返事としては‥‥結局のところ、どうなのだろう。
「‥‥陽星さんが失望する答えにはならないと思うから安心しても良いと思うわ」
そっと呟くと、神楽はそっと、陽星に身体を近づける。並んで外を向くその姿勢のままで、ゆっくりと彼の肩に寄りかかった。
「あ‥‥の‥‥」
戸惑いながら、陽星はしっかりと彼女の言葉を考えなおす。
改めてもう一度。そうすれば、その時にちゃんと答える。それは決して、自分にとって悪いものではない。と。纏めると、こうなるのか。それはつまり‥‥。
ゆっくりと呼吸をする。彼女が、彼女なりに出してくれた「この間のプロポーズ」の答え。それを受けて。
「神楽さん。‥‥貴女の幸せが、私の望みです。――‥‥叶うならば、私の手で幸せにしたいです」
陽星は、ただ、今の想いを、言葉にする。
後半の言葉は、まだ願望に過ぎないのだろう。己はやはり、致命的に女心に疎いのだ。そんな自分が、本当に彼女を幸せに出来るのだろうか? ‥‥そう、思うからこそ。あの時からすぐには答えは出さず、ここでもう一度、チャンスと時間をくれる彼女で、良かったと思う。
「ええ。そうですね。焦る必要はありません。いつか日を改めて、もう一度。その時また‥‥貴女も、もう一度良く考えて、答えを下さい。貴女が最も幸せになるための、答えを」
我ながら馬鹿だな、と思った。先ほどの彼女の答え、それはもう、現時点の彼女の気持ちはほぼ分かったようなものだ。それをそのまま、受け入れてしまえばいいのに。なのに、もう一度考えて欲しい、と。
大丈夫。この条件で、彼女が出した答えならば、どんなものでも受け入れられるし、そのときこそ彼女の想いの、言葉の全てを信じられるだろうから。
だから。だけど。今は。とりあえず、間違いなく恋人でいられる今のうちは。
陽星は神楽の肩に手を添えて、互いの身体を向かい合わせる。そのまま身体を引き寄せて‥‥――
けたたましく、彼の無線機が異変を告げてきたのはそのときだった。
「は、はい。えっ!? ほ、ホールのほうで騒ぎですか? いやあの‥‥」
慌てて応答しながら、陽星は神楽へと視線を向ける。陽星は一度表情を悲痛に歪ませて、そうして勢いよく神楽に向けて頭を下げると‥‥上げた顔は、孫中尉のものになっていた。
「すみません。‥‥やっぱり今回の責任者として、見てこないわけにはいかないです。‥‥行って来ます。またいずれ!」
そうして、一息で一方的にそう告げると、名残を振り切るように走り去っていった。
一人取り残される神楽。
‥‥本当に、まだもう一度考える余地は、ありそうである。
●
「‥‥ん。後。10秒。経ったら。全力で。食べに。行くよ」
憐の、宣言。
騒動の開始は、言葉通り、そのきっかり10秒後。
以下、言葉とともに彼女に向き直ったとある兵士の証言である。
宣告より10秒後。視線の先で彼女の姿が陽炎のように揺らめくのが見えた。次の瞬間、傭兵ユーリ・ヴェルトライゼン殿の屋台のほうから呆然とした声。やがて報告されたのは冷蔵ケースに並べられていたパンプキンムースのすべてが消失したという俄かには信じがたいものであった。
「‥‥ん。バイキングは。弱肉強食。早い者勝ち。そんな。遅い動きでは。生き残れない」
声を認識すると同時に、会場中央にいたはずの最上 憐殿の姿が掻き消え、私はそれが残像であったことを理解した。だが、いつから残像であったのかはもはや完全に定かではない――
要するに、憐が覚醒、これまでは兵士のフラストレーション解消の為にセーブしていたのを、そろそろいいだろうとスキルまで駆使して全力で来たのである。
しばらくは皆、何が起きているのか理解出来なかった。分かるのはただ、何も出来ぬまま目の前でお菓子が次々と消えていく、その怪奇現象だけである。
‥‥が。ややあって。
「ちょ、ちょっと、私まだ食べ足りないんだからねっ!?」
それが人為的なものであるとようやっと気付いた一人が、慌てて声を張り上げ。そして慌てて、残るデザートに手を伸ばす。
アイシングクッキーは、掴んだと思った瞬間女性兵士の手をすり抜けて言った。
「‥‥ん。そっちは。残像。コレは。全て。頂いて行く」
その声だけを残して。
「こ、こ、こ‥‥このっ! 上等っ!?」
怒りの呻きとともに女性兵士も覚醒。憐の動きを阻めないかと試みる‥‥が、彼女の回避はおそらく能力者の中でもかなり上位の部類。やすやすと捉えられるものではない。というか‥‥。
「お、おい、落ち着けよ。子供相手だろ?」
「あんな動きする子供がいるかぁああっ!?」
「い、いやまあそうだろうけど‥‥だけど‥‥」
「やかましいっ! 今日はハロウィンっ! トリック オア トリートの精神でしょっ!? お菓子を奪うなら制裁するわよっ!」
‥‥憐の常人離れした動き。その非常さに当てられたのか、おかしな方向に火がついたらしい女性兵士。
「だ、だけど、あんな動きとめられないしっ‥‥」
「諦めちゃだめよ! 確かに傭兵の力は強大よ‥‥だけど、私たちには私たちの強みがあるでしょ!? 散開して! 機動力のある相手ならまず行動範囲を抑えにかかるわよ!」
女性兵士への誰かの呟きに応えたのはそう‥‥この件の発端となった、例の女性下士官だった。
バイキングパーティ。その場においては常に猛威を振るう憐ではあるが、今回は。
忘れていたわけではあるまい。今この場にいる多くのものが兵士であるという、その事実を。
――闘争をお望みか? ならばこちらにも迎撃の意思と能力がある。
「ケーキ新しく焼きあがりましたー‥‥え?」
皿を掲げ、にこやかに姿を現したのは十星。さらりとした流れる髪に白く透き通るような肌。細身の姿に、吸血鬼の仮装がよく似合う。
その、ヴァンパイアに向けられるのは‥‥飢えた人類のぎらついた目線だった。
かくして、新たに戦いのゴングが鳴らされる。
「動線確保! A班は行動範囲を誘導するわよっ! B班は目標へ!」
「‥‥ん。流石に。兵士。連携して。こられると。なかなか」
「目標確保ーーー!」
「‥‥ん。皿に。乗せたからと。言って。安心するのは。甘い。胃に収めるまでが。バイキング。頂いて行く」
パーティ会場は、文字通りの戦場と化した。
孫中尉が急ぎ戻って目の当たりにしたのは、そんな状況である。
慌てて、事態を収束させるべく、騒ぎに割って入ろうとした孫中尉を遮るものがいた。
「‥‥もう少し、様子を見ててもいいんじゃありません?」
「ミリハナクさん‥‥」
そんな悠長なこと言ってる場合ではないだろう、と孫中尉は現場に視線を戻す。めまぐるしい攻防戦。このままでは用意された会場が荒らされ、せっかくの菓子に被害がでて、和やかな雰囲気もぶち壊しに――‥‥?
なって、いない。
まず、菓子に被害が出る心配はなかった。一瞬たりとも気の抜けない争奪戦。『賞品』は追加された瞬間、誰かの手に、そして胃袋へと瞬時に消えていた。ひっくり返そうにも、ひっくり返す暇がない。
本気で取っ組み合っているように見える一同は、それでいて、直接手は下さない、周囲に被害は出さないと、互いに取り決めたわけでもなく、自然と暗黙の了解を成立させて、一定の節度を守って『勝負』をしていた。
その表情は、殺伐に満ちたものか? 否。菓子を奪われた怒りを、闘志を口にしながら、その様子はどこか楽しげで。
‥‥要するに皆、この状況をふざけあって、はしゃいでいるだけなのだ。
――ああ、この場で押さえつけられていたものは、基地での不便な環境への不満、それだけではなかったのだ。
長すぎた戦争。残された課題。
前線の兵士達の多くは、勝利を実感できずにいた。
それが。
こうして、仲間と笑いあって。
子供みたいな馬鹿騒ぎをして。
‥‥いいのか? こんなことしてて。
その疑問が、ゆっくりと。
‥‥いいじゃないか。だって私たちは。
自答から、実感へと、導いていく。
――勝ったんだから!
まだ喜んでばかりはいられないはずだと、無意識に押さえつけられていた、その想いを!
だから今は思い切り騒ごう。思い切り喜ぼう。
そのきっかけを、皆探していて。今ここに、そのはけ口が与えられたのだ。
まだやることはたくさんあるけれど。もうしばらくは大変だけれども。今日だけは。
仲間達と。馬鹿みたいに、騒いで、はしゃいで、祝ったって、いいじゃないか。
「ええっと‥‥止めない、の?」
動かない孫中尉に、ユーリが首をかしげながら問いかけた。
「ええ‥‥そうですね。もう少しこのままでも‥‥いいのかも、しれません」
どこか呆然と答える中尉の様子に、ユーリは少し考え込んで。だが彼自身も何か感じるところがあったのだろう。やがてふむ、と頷いて。
「よし、それじゃこうなったら‥‥作りまくるか!」
目の前で繰り広げられる、自分の作品の争奪戦。勝者は至福に満ち足りた表情を浮かべ、敗者は心底悔しそうに地に伏せる。その様子に、何かたきつけられるものがあるのか。
「うんっ! こうなったら、皆が満足するまで、作って作って作りまくってやろー!」
瑠璃もそれに同調するように両手でぐっ、と、拳を握る。
ちょうど、ミシェルが「こんなこともあろうかと」と、多めに発注していた追加の食材を引っ張り出してきていたところだった。
「ふふ‥‥それじゃあ、兵士の皆さんもあったまってきたところみたいですし‥‥私も混ぜてもらいますわね?」
そう言ってミリハナクは、愉しそうに、心底愉しそうに、『戦線』へと向かっていく。
「ほほう‥‥機動力の最上君に破壊力のミリハナク君が加わりますか‥‥。状況は今のところ兵士がやや有利と見ますが‥‥これは、面白い戦いになりますね」
祐介は、完全に悪ノリな顔で、ただ騒動を眺めていた。‥‥先ほど中尉と真面目な話をしていたときとは酷い落差である。
騒ぎの最中、ミリハナクはひそやかに、彼方へと視線をやった。
――決戦が行われた宙域へと。
「ごきげんよう」
亡くなった英霊達へ。
自分達は大丈夫だから後は任せてと、皆のこの笑顔を贈る。
ハロウィン。それは、死者の祭りでも、あるのだから。
●
「‥‥大丈夫、かなあ」
さて。騒動が起きて、暫く。
クラフトとモココは、ひそかにホールを抜け出すことにしていた。
心配そうにホールに視線を向けるモココを、クラフトはどうにか確保していたクッキーを手渡しながら、まあまあとなだめる。今日はモココにゆっくりしてもらいたいから、と。
「頑張ってたしね、モココ」
ぽん、とモココの頭に手を置きながらのクラフトの声は、なんだか泣きそうになるくらい優しい。
彼女にとって、一つの大きな決着が付いた後。そう言えば今日は、彼は随分と自分をいたわってくれた気がする。‥‥いつもみたいな悪戯も、なかったし。
きゅ、と胸が高鳴るのを感じて‥‥そうして、今、どさくさに紛れて二人っきりになったということに、モココは気が付いた。
「七夕から‥‥随分待たせちゃったね‥‥」
自然に、言葉が出る。それは、ずっと保留していた返事のこと。
ぴたりとクラフトが動きを止めて、真剣な顔で彼女に向き直る。
「‥‥これから先もずっと‥‥私をあなたの傍に居させてください」
精一杯に紡がれた、彼女の答え。クラフトはただ、ぎゅ、と彼女を抱きしめてそれに応える。
「もう一生離しちゃダメですからね?」
二人が抱き合う、その背景に、青い地球が輝いていた。
「やっと、終わったねー、や、一区切りか」
母なる大地を眺めながら、クラフトがふと、呟いて。
これからもまだ大変なのだろうけど、でも、腕の中の体温は確かなもので。
「俺が頑張れてんのもモココのおかげかなー」
そう言ってクラフトは‥‥予想する、厳しいだけではない未来を確かめるかのように、モココにしっかりと口付けた。
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それぞれに思うところはあるけれど。
これからも、笑っていられることばかりではないけれど。
それでも、今日このときは。
Happy Hallowe’en ?