●リプレイ本文
陽射しは高く、暖かだった。蒼天を彩るのは眩い程に白い雲。北米の中でも栄華を誇っていたボストンも、郊外ともなればその影すら無い。溢れんばかりの自然の中に建築物がそっと在るそこには、現代を生きる者にとっては安らぎを与えるものだったであろう。
――平時であれば、だが。
今。その光景を貫く音があった。
強く、高く響くアレックス(
gb3735)のAU−KVが奏でる駆動音。瑞々しく、猛々しいそれは吼声にも似ている。同乗し至近からそれを浴びる那月 ケイ(
gc4469)には頼もしく響いていた。
道無き道を越え、彼等は今、道路を走っていた。
広々とした道路に障害物は無かった。エミタにサポートされた完璧な制動で、最短距離を最高速度で往く。
「‥‥無茶、するよなぁ」
ケイの言葉は、騒音の中でもはっきりと紡がれた。
――しっかり掴まって喋るなよ、舌ァ噛むぞ!
走り出し際にそう言った友人の言葉におっかなびっくりと言った体ではあったが、逸る心を抑えるような声で。
「まぁ、な」
籠められた意味を察したか、アレックスは真っ直ぐに前を向きながら応じる。
そうして、僅かな沈黙が落ちる。
危うい無茶をする。そう思いながらも、二人が二人ともそれ以上に言葉を継げずにいるのが、現状だった。
――どうせ、俺も同じ事をしていただろうな。
この二人、在り方はともかく――根の部分は酷く似ていた。
「一分一秒でも速く、助けにいかねェとな」
「――うん」
彼等に遅れる事少し。
大泰司 慈海(
ga0173)の運転するランドクラウンが、同じように長閑な田舎道を疾走していた。
ハンドルを切りながら、慈海は『情報伝達』を使ってメッセージを送ったものの、当然のことながら反応がない。
元、能力者。その不便を、慈海は想像するしかない。かつてと比べ余りに動けぬ身体に、彼はどれほどの苦痛を覚えたか。どれほどの不安を感じたか。
‥‥だからこそ、慈海は賞讃を覚えずにはいられなかった。もどかしくても、悔しくても、動かぬ身体をおして立ち向かう事を選んだ彼をただ無謀と断じる事は出来なかった。
どうか、無事で。
そう思いながらも、これ以上踏込めぬアクセルがもどかしい。
それは、鐘依 透(
ga6282)にしても同じで。
――救えなかった。
過る景色に、過日の出来事が重なった。救おうと足掻いて、それでも果たせなかった願いを。
戦闘の名残で身体に残った熱と疲労感を確かめるように透は堅く、手を組む。
抉るような痛みが、胸の奥でだけ響いていた。
彼にとって原点と言うべき痛みは、時折こうして脳裏にちらつき、焦燥感と自己嫌悪を募らせる。
――くそ。
同行者に聞こえぬよう、胸の裡でのみそう言って。彼は両の手に力を込めた。苦さを払うように、堅く。
つと、ミッキーの説明の中で、ある名前が紡がれた。
「ん? エマちゃん?」
「‥‥ジェファーソン君、ですか」
慈海と同時、ラルス・フェルセン(
ga5133)がそう呟いた。急を要する現状。乗り付けてきたバイクではランドクラウンに速度で劣っていたため、彼もランドクラウンに同乗する形になったのだが、思わぬ名前に座席からわずかに身を乗り出す。
――動き始めたのですね。
想起したのは、かつての邂逅。あの日から、一年近くの時が過ぎている。
今。向かう先には、能力者の為に何かをしたいと言っていた彼女と、誰かを助けるために危険に飛び込んだ元傭兵がいる。
「‥‥ふふっ」
状況に不思議な縁を感じて、金髪の青年はつい、笑んでしまう。
「笑ってる場合じゃなくないっ?」
そんなラルスに、Letia Bar(
ga6313)。彼女にとっても女性の名は懐かしいものだったが‥‥語気には、反駁の色が強かった。男の素性を聞いて、そちらに対する焦りの方が強かったからかもしれない。
ちらり、と。思い出したのは‥‥果たして、誰の姿だったか。
言葉に、レティアへと視線を移したラルスは、彼女の様子を見てむしろ安堵させるように笑みを深めた。
「大丈夫ですよ」
大丈夫、と。ラルスは柔らかな笑顔で、言い添える。
繋がれつつある、”縁”。
これを結ぶことができたら、どうなるのか。その事に対する期待と高揚の方が大きかったし‥‥確信めいたものを、感じなくもなかった。
「‥‥んー‥‥っ!」
レティアはそんな風に言いながら、窓の外へと視線を巡らせた。
目紛しく変わる風景の、その先。
――空は、どこまでも蒼かった。
それを見て、レティアは深く息を吐いた。長く、確りと。
「‥‥今回も絶対、助けるんだから」
彼女の言葉には、以前のような悲壮感は無い。それこそが、この一年における彼女の変化かもしれなかった。
車内に落ちた言葉に、ちくりと透の胸が痛んだ。
そうやって、真っ直ぐに言葉にできる事が――酷く、羨ましかった。
ふと。
『こちら那月!』
無線から連絡が届いた。轟々と唸る風の音と共に、ケイの声。
『車両と‥‥その奥に、キメラもいる!』
・
視界の端の景色は凄まじい速度で流れた。対称的に。アレックスの背の、その向こうの橋の上に見えるキメラは、急速に大きくなっていく。
横転した車両を越えた時、視界の端で老人が車両の影から顔を覗かせているのを、ケイは見た。
――老人の真剣な目が、一瞬で交差したケイを確かに捉えているのを。
振り切る。彼の事はきっと後続がカバーしてくれる事を、ケイは知っていたから。
「‥‥アレク!」
「おう!」
速度ゆえに、振り切った直後には、二人を乗せたバイクは犀キメラの至近へと至っている。
バイクの排気音が何よりもその存在を誇示していたからか、犀キメラは真っ直ぐに突撃してくるAUKVに対して、待つ事を選びはしない。
―――――ッ!
咆哮とともに、キメラはブレードを構えながらの突撃を、選んだ。
機龍と犀キメラの交錯が迫る、その刹那。
「舌ァ噛むなよ‥‥っ!」
アレックスが全力でブレーキをかけながら、愛機を傾ける。左脚のブーツと強引に固定された両輪で地面を噛み、焦がしながらの急制動。
「お、おわ‥‥っ」
予想していても勢いは凄まじい。浮遊する感覚に声を零しながら、後方の座席から殆ど投げ出される形でケイは犀キメラと相対、接近――衝突した。
「‥‥っ!」
カミツレの名を関した刀が、犀のブレードと噛み合う。浮きかけた身体を、無理矢理に足を伸ばして地面を踏み、堪えた。
敵は、まっすぐに此方を見ている。後方にはミッキー氏。マカベの姿は無いか。
『お前の相手は、こっちだ!』
アレックスがAUKVを着装する駆動音を背景に、声に力を込めて、ケイは叫ぶ。
――誰かが傷つくくらいなら、自分を狙わせる方が。
優しい彼は、そう思った。思うと同時、キメラが再度、地を踏みしめてケイへと飛び込んでくる。
咆哮に、思考の焦点が戦闘へと絞られる。
瞬間。
「‥‥らァッ!」
声とともに、冗談めいた勢いで犀キメラの巨体が弾かれた直後、入れ替わるように金色の炎を纏ったAUKVが、両の足と拳からスパークを散らして立っていた。
「那月! 一度、場所を移すぞ!」
「オッケーっ!」
弾かれた犀の傍らを抜け、二人は走る。行く先は、自然と決まっていた。
横転した車両の、反対側。
丘の、向こうへ。
――――ッ!
犀キメラがケイを追うべく、吼えながらついてくるのを感じ、アレックスは一応の安堵を抱いた。彼にすれば、相手はたかがキメラ。多少頑丈だったとしても、戦術的にも、戦略的にも安寧は崩れない。だから。
「‥‥へェ」
視界の先で溢れた景色に、アレックスは目を奪われた。
それは陽光に照らされた、彩りに溢れた光景だった。
遠く。ならされた土壌には、広々とした畑が広がっていた。瑞々しい緑と金色の連なりがAUKV越しでも鮮烈に、響いた。
視線を巡らせれば、近くには一層の彩りに満ちている。ここを訪れた人々を歓迎するように、花々が植えられていた。それらが、戦場の風に煽られて揺れている。
――花屋、か。
悪くない、と。自然とそう思えた。家族達と、店をもって。
‥‥あの街で。
少年は、そう思った。
数年前までは、考えもしなかったことだった。戦争の、その後の事だなんて。
少年は、凍えた街を想った。いつか、還ろうとすら想うあの街を。
そこで学んだ事が、沢山ある。
例えば――戦争で荒れ果てた世界には。人の心には、花が、誰かの為にという気持ちが必要だ、とか。
「凄いね、アレク」
「ああ」
同じ物を見て、傍らの友人は何を思ったのだろうか。声に似たものを感じて、少年は応じながら敵の方へと振り返る。
昂る心を示すように、拳が、鳴った。
・
横転車の傍らに、ランドクラウンが滑り込むように停車するや否や、乗っていた傭兵達は一斉に飛び出した。
「ミッキーさんは診とくから!」
慈海がひらひらと手を振ってそういえば、ラルスと透は凄まじい速度で駆けていく。
レティアが車両へと駆け寄れば、車外に出ていたミッキーがひょこ、と顔を出す。
「ミッキーさん、大丈夫? 助けに来たよっ」
「この通り、ピンピンしてらぁ! ‥‥アデデ」
美人を前にガッツポーズした老人は、腰を抑えて立ち上がれないでいた。何とか外へと出たのだろうが、無理をしたのだろう。
二人は老人の腰を刺激しすぎぬように後部座席へと運び、緩やかに車を再発進させた。
彼方ではまだ、戦闘が続いていた。
・
ラルスと透は、ほぼ同時にその光景に辿り着いた。
「聞こえますか、マカベ君。私達が戦う間、そのまま隠れておいて下さい」
言いながらラルスが小さく笑んだのとは対称的に、透は真剣な面持ちを崩さなかった。彼には辺りをみる余裕が無かったのだろう。
先行した二人が激しく戦闘を続けるそこに、透は更に踏込んだ。
「‥‥っ!」
側面から魔剣を振るう。犀キメラの足先へ、叩き付けるように。堅い皮膚を通して確かな手応えを感じながら、透は。
――強くなりたい。
そう思った。
心の底に、深い後悔が横たわっていた。友を見捨てて逃げた過去が、今も彼を縛っている。
救いたい、と思う。あの時の後悔故に。その為に死んでも構わないとすら。
それでも、透には大事な人がいたから‥‥胸に刻まれた後悔は彼の背を押し続けるにも関わらず、死ぬ訳にはいかなかった。
だからこそ、強くなりたいと、透は思うのだ。強くなるしか、ないのだと。
それ故に‥‥この手応えは愛おしくもあった。
救えるという実感と、敵よりも強いという実感は――弱い自分を赦せない彼にとって、この上ない安堵の種だった。
僅かの後、慈海とレティアが合流する頃には、犀キメラは既に満身創痍だった。更なる攻撃がキメラを包むや否や、キメラは息絶える。
頑健である事に特化した所で――能力者である彼等の猛攻を前に、敵う由もなかった。
戦闘を終えて、マカベの探索に移るべく傭兵達が息をついた頃。
「‥‥ぃ」
「ん?」
遠くから、声が届いた。ミッキーのものではない。微かな声が。
「マカベか?」
「みたいだけど‥‥どこだろう?」
アレックスとケイが辺りを見渡すが、見つからない。ただ、色とりどりの花が小さく揺れているのみで。
「‥‥ぉ、ぃ‥すけ‥‥!」
「「あ」」
再度、先程よりも大きく響いた声に、一同は漸く、声の出所に気がついた。
『サムライ』ことマカベは橋の下にいた。骨組みの鉄骨に義腕を引っ掛けるような形で、ぶら下がっていた。
「助けてくれー」
困憊し自力では這い上がれなかった彼を傭兵達が引き揚げて、この救出劇は幕を下ろしたのであった。
ここから先は、そのエピローグであり――始まりの物語だ。
・
傭兵達に礼を言った後、マカベは橋の上に座り込んだ。ともすれば荒くなる息を全身で鎮めようとする姿を見て、レティアは手にしたペットボトルを差し出す。
「はい、水だよ。お疲れさんっ」
「‥‥あり、がと、う‥‥?」
手渡しながら、じっと見つめてくるレティアに、マカベは怪訝そうに首を傾げた。
「‥‥ぁ、そっか、覚えてないか」
その態度を見て、レティアは辺りに聞こえぬように小さく呟いた。
あの時は意識が無かったし、それ以降でも面識があった訳でもない。気付かなかったとしても、仕方ない事だろう。
「‥‥ほんと、強い人。『サムライ』、ぴったりじゃんっ!」
「えっ!?」
だから、レティアはそう朗らかに笑って、マカベの背を叩いてその場を離れた。
あの時とは違うマカベの生き生きとした姿に、心がふわふわと弾む。
人は、乗り越えられる。歩んでいける、と。その事を、暖かな感慨と共に感じて。
――私も、自分に出来る事をしよう。
レティアは薬指の指輪に、想いを馳せた。
「マカベ君、でしたねー」
戸惑いながらも、手渡された水をぐいぐいと飲むマカベがひと心地つくのを待って、ラルスが語りかけてくる。
「一つ、お尋ねしてもいいでしょうかー?」
「あ、はい」
緩やかな笑顔と雰囲気が、辺りに満ちる中。
「貴方はー、どうして、ジェファーソン君の花屋でー、働こうと思ったんですかー?」
ラルスはそう、問うた。結ぶ事が出来た縁を愛でるような、柔らかな声で。
「んー‥‥僕は元々、能力者でね。それでも‥‥いや、だからこそかな。戦う皆の為に、何かをしたいと思っていたんです」
そうして、苦笑した。
「エマさんは戦い続ける人の為にしたい、と広告に書いてました。‥‥だから、花屋がどう、っていうのは正直考えてなくて。でも、ね」
視線が落ちる。そうして、辺りを見渡した。
風に揺れる、色とりどりの花達を。
「キメラから逃げて、あの丘を越えた時、これを見て。花屋も悪くないなって‥‥そう思いました」
――尤も、面接はまだこれからなんですけど。
くすくすと笑いながら、マカベはそう結んだ。
(元、能力者‥‥か)
「ねえ、アレク」
「‥‥ん?」
何かを言おうと思っても何となく言えずに遠巻きに眺めていた所で、ケイ。
「この先、戦う必要が無くなったら、さ」
そこまで言いかけて、ケイは言葉を呑み込んだ。
「俺、何してるんだろうって、そう思って」
「‥‥ふむ」
ぽり、と少年は頬を掻いた。悩み相談とは微妙に趣が違うとはいえ‥‥なんとなく面映い。
ただ。
「何となく、那月は上手くやってる気がするな」
妙な確信があって、少年はそう言った。
「‥‥そうかなぁ」
「おう」
陽に照らされたそこはきらきらと黄金色の光を返していた。そのただ中に立って腰元の麦穂を撫でながら、慈海にはそれが眩くて、目を逸らした。
「エマちゃんは農業を始めたのかー‥‥」
遠くにはいくつものビニールハウスも見える。マカベの話も合わせれば花屋という事だったが、それがどうなっていくのかはまだ解らない。
「‥‥俺も雇ってもらおうかな」
笑いながらそう言うが、慈海の表情はどこか堅い。
――懊悩の末、ようやく誰かを護る為にと決めた命。
それを‥‥そんな自分を、平和な未来が来たとして、どうすればいいのか。ゆっくりとざわめく麦穂の音を聞きながら、慈海は己を持て余していた。
そんな男を慰めるように、静々と風が鳴っていた。
いつまでも、柔らかに。