タイトル:其は老兵、声よ響けマスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/05/21 22:53

●オープニング本文



「流石に、ちぃと堪えるな」
「元より高負荷の強化を施していたのですから、無理もないでしょう」
 凝り固まった身体を解すようにして言う老人、バルタザルに対して、傷だらけのアトオリの返答は奇妙な抑揚で告げられた。
「カカ。ま、このくらいはしておかんとな。為すべきも為せん」
「‥‥だからこそもっと早期に撤退すべきと言っていたのですが」
「お前は相変わらずだな、アトオリ。ここは別れを惜しむのが定石というやつだぞ」
「賛成1、拒否9。‥‥その定石に価値があるとは言えませんね」
「ハ。たまにはしおらしい所を見せたかと思えば」
「なんの事でしょうか」
「‥‥まあいい。世話になったな」
 くつくつと笑いながら、バルタザルは過日を思った。

 それは、彼等にとって深く印象に残る一日。

 別れの、初めの一日だった。




 ――あの日以来、大事なものは増える一方だ。

 眉間に皺を寄せながら、ウィル・パーソンズはいつものように考え事に耽っていた。
 たまに乞われて――初めは口がさない連中の悪戯のようなものだったが、バグア陣営の中でも人間の体を持つ者達――料理を振る舞う以外は、これと言って何かをしないといけない事もなく、戦いに駆り出される事もなく、何も強制される事はない。
 奇妙な関係だ、とウィルも思う。
 いつだったか。
『バグアは人を食い物にするがな。本質的には美食家の集団よ』
 少し料理の腕が立つ少年など眼中に無いのだと。いつだったか老人は笑っていた。彼に言わせれば、その程度の事らしいが‥‥。

 追想に。傭兵から零された言葉が、暗い底から浮かんできては、泡が弾けるように響く。
 結局、弱いが故に選ばざるを得ない。その程度の人間なのだ。
 ‥‥でも。
 そんなウィルでも、助けてくれるという人が、いる。
 じく、と。胸に滲むその痛みの名前を、ウィルはまだ知らない。
 凄く苦しいのに‥‥凄く、暖かい、その熱の名前を。

「‥‥ここにいたのか」
「おぁっ?!」
 そんな風に物思いに耽っていたから、突然に落ちた声に少年は奇声をあげた。

●WILL
 それを見た。
 椅子に深く背を預け、痛む身体を休めるエドガーの姿と――それよりもなお酷いのが、鏡面の身体の随所が泡立ち、ひび割れたアトオリの姿だ。
 そう広くはない部屋には、あとはバルタザルとケヴィンだけ。
「アトオリ‥‥おい、傷だらけじゃんか! エドガーも!」
 俺はアトオリに駆け寄り、重症‥‥といっていいのか解らないけど、重症っぽいアトオリの装甲に手を伸ばした。あんなに泰然としていた姿を知っていただけにこの姿はなんていうか、ショックで――。
「‥‥バルタザル、これ、手当とか出来ないのかよ」
「見れば解るだろう、儂らにはお手上げだ。こやつが勝手に治るのを待つしかない」
「見ても解んねえって! おい、返事しろよ」
 無言のアトオリの装甲を叩く。泡立つ装甲を肉で打つ鈍い音が響く。
「‥‥‥‥‥‥負傷をするリスクがあります。推奨される行為ではありません」
 暫く沈黙していたアトオリは、奇妙に明滅しながら、そう言った。
「‥‥そか。治んのかよ」
「時が経てば」
「そ、か。‥‥エドガーは?」
「治療用の設備はある。だが‥‥その時間が無い」
 低く重みのある声で、エドガーが言う。
「時間って‥‥」
「動き出さねばならん。このまま戦域を広げて防戦を続けるのは最早困難だ」

 言葉の意味は――何故だろう。エドガーが全てを告げる前に、それが解った。
 エドガーだったら‥‥この風変わりなバグアだったら、どうするか。
 どうするのが‥‥彼等にとっての、最善かが。


「どこに、行くんだよ」
「‥‥メトロポリタンXだ。知っているか」
「知ってる。そこの爺さんに教えて貰った‥‥なら。『皆』も、連れて行くの?」
「全てとは行かんだろう。北米内でそれを望むバグア達を保護し、合流しながら撤退する事になる」
「‥‥そっか」
 考え込む少年を前に、彼等は言葉を待った。奇しくもエドガーが考え込む時の姿と同じような姿勢で、少年は思索していた。

 誰も彼もが、少年の言葉を待っていた。
 少年が、その拙く、幼い手で掴んだ答えを。

 長い、長い時間が過ぎた。
「俺」
 紡がれた言葉は。



「‥‥この事を、あの女に、流そうと思う」



 裏切りの、予告だった。



「‥‥ごめん」
 そう言って、少年は頭を下げた。それっきりウィルは押し黙る。
 何かを待つように、そのままの姿で。
 ‥‥その身体は、震えていた。

 謝意故か。己の不義故か。力無き自身への悲憤故か。
 それとも――死を畏れての事か。

 誰も彼も‥‥平素から少年を慮っていたバルタザルですらも、言葉を掛けるのを躊躇っていた。
 なぜなら、そこには――エドガー・マコーミックがいたからだ。
 決断は、彼が下すべきものだった。
 だから――。

「謝る事じゃない」

 言葉の主がケヴィンだった事に、その場の誰しもが驚愕に包まれる事となった。

「派手な撤退になる。人類も見逃しはしないだろう。‥‥だが、その中で流れてきた情報に万金の価値があれば、人類はそこに食い付かざるを得ない。そして」
 ちらりとエドガーを横目で眺めながら、ケヴィンは紫煙を吐き出して、言う。
「‥‥少なくとも、リソースの多くをそこに割かれる事になる。これは、僕達にとっても都合が良い。流す情報は‥‥バルタザル、君が選定すればいい。それで、Win―Winの出来上がりだ。‥‥問題はないだろう」
 ――準備がある。開きにしよう、と。
 落ち着き払った言葉で、ケヴィンはその場をそうやって締めた。



 その時のアトオリの反応といったら――。


 思い出し、呵々、と老人は嗤う。
「お、おお、おおお―――ッ?!」
 悲鳴はウィルのものだ。
 裏切る事を決めた少年だったが、強化を受けなかった身では競合地域を超えて離脱など夢のまた夢。『裏切り』を敢行したあとも、彼は老人と行動を共にしていた。
 バルタザル曰く、『ワシの傍が一番安全』との事だったが――。
 バルタザルの傍。
 銃弾が、砲弾が飛び交い、少年の悲鳴が響くそこは、戦場以外の何物でもなかった。


 北米で現状もっとも分厚い戦線と言っても過言ではないだろう。
 そこは、血にまみれた撤退戦の最中に合った。
 構図としては、至極シンプルだ。

 突如撤退を始めたバグアに対して、尋常ならぬ兵を動員して人類は喰らい付いていった。猛攻を食い止めるべく、殿にエドガー率いる一団が立ち、人類の動きを削いで行く反面で‥‥もう一つ、動きがあった。
 それが、撤退するべく延びるバグア軍に対する横撃。
 これを読んでいたバルタザルがその対応に当たっているのが、ウィルがいる戦場だ。
 老人は無人ワームとキメラを巧みに配し、人類の動きを削がんとしていた。実際、戦線は膠着し、着々と撤退は進んでいるのだが――じきに形勢は傾いて行く。

 傭兵達が軍人達の援護の元に数多のキメラを抜け、そこに辿り着いたのは――そんな折りの事だった。

●参加者一覧

ORT(gb2988
25歳・♂・DF
D・D(gc0959
24歳・♀・JG
シクル・ハーツ(gc1986
19歳・♀・PN
荊信(gc3542
31歳・♂・GD
ミリハナク(gc4008
24歳・♀・AA
ナスル・アフマド(gc5101
34歳・♂・AA

●リプレイ本文


 周囲は音に満ちていた。
 KV、あるいはワームが爆ぜ、気声と怒声がない交ぜになったそこは、荒れ狂う大きな領域の只中であり、自身の存在が酷く小さく感じる程に渾然として捉えどころが無い。
 その戦場は大き過ぎた。だからこそ、それを奇異と捉える者も少なくない。
 D・D(gc0959)もその一人だ。この局面。人類は撤退戦力に喰らいつくばかりか横撃を可能とするほどに展開速度に余力がある。
「何故、だろうな」
「どうでもいいさ」
 直後、言葉が返った。和槍をキメラへと突き立てたナスル・アフマド(gc5101)の憎憎しげな言葉が。
 彼は戦争の中でこそ生の実感を感じる人間だった。渇いた世界でしか生きられないからこそ――バグアが撤退していく現状に深い落胆を覚えている。声の色は怨嗟に近しく、どこかに深い毒を流し込まずにはいられない昏い影があった。
「大の大人が辛気くせぇ声出してんじゃねぇよ」
 盾をかざす荊信(gc3542)が銃弾を放ちながら言うと、ナスルは舌打ちを返す。剣呑な空気が満ちた、その時。
「〜♪」
 愉しげな鼻歌と共に、ナスルの視線の先でキメラが斬り飛ばされた。凄まじい衝撃に、傷口が大きく挫滅する程だ。
「やるねェ」
 小さく口笛を吹いて武を称える荊信の、視線の先。爆ぜたキメラのその爆心地で、ミリハナク(gc4008)の滅斧が轟、と揺れていた。
「心躍る戦場ですわねっ」
 そんなミリハナクの姿の先に、ナスルは空隙を捉えていた。破壊の後に開かれた道を。
 予感がした。その先にあるものに。
「行くぞ」
「ああ」
 ナスルとダリアが駆ける。ミリハナクの傍らを抜けようとした時、それに気付いた彼女もまた軽やかに滅斧を掲げ、続いた。
「強者の香りがしますわ」
「そりゃァ良い」
 声には、戦闘に身を浸した者の確信が込められていた。そんなミリハナクに、荊信もまた楽しげに応じる。奇妙な女だが、傍らで戦う段では悪い気はしなかった。

 他方。シクル・ハーツ(gc1986)もまた、同じ戦場の違う場所で彼らと同様に駆けていた。双眸の蒼い残影が、彼女の軌跡をなぞる。分厚く堅牢だった敵陣も、彼女一人ならば突破できるようになってきていた。
 ――綻びつつあるな。
 そんな実感と共に、交戦の間隙を抜け――辿り着いた。開けた視界の中、彼女はそれを見る。

 ひとつは、彼女の同業者達。
 もうひとつは、彼等と対峙している一人の老人だ。巨大な大鎚を手にした、巌の如き重厚な存在感を有する古兵。

「‥‥敵将、か?」
 少女の唇から疑問の声が零れた。疑問の理由は、敵将の傍らに一人の少年の姿を捉えたからだ。何故かは知らぬが、安堵するような表情を浮かべる少年に、シクルには一目でこの少年は、戦士では、武器をとる者ではないと解る。
 不意に。
 くつくつと、低い笑い声が響いた。
「ガキが戦場に、か。一人前に?」
「あんたとはもう会いたくなかったけど」
 心底楽しげに嗤うナスルにウィルが顔を顰めて言うと、ナスルは一層笑みを深めた。
「ま、このザマだがな」
 及び腰な少年の背を、老人はむしろ誇るように叩いた。力強い一打に少年は堪らず倒れ、咽せ込みながら抗議の視線を飛ばすが老人は斟酌せずに笑みを深める。

 解るか、と。

 安い芝居だ。傭兵達には直ぐにそれが知れた。少年の背に赤光が生じなかったという端的な事実が。
「そうか」
 ダリアが口を開く。再会を喜びながらも、声には静かな警戒が滲んでいた。此処は戦場で、眼前にはこの戦場の主がいたからだ。
「この図面を描いたのは、お前なのか‥‥ウィル」
「――うん」
 張り詰めたダリアの声に、ウィルは肯定を返した。誇るような、寂しがるような表情で。
 淡い表情にシクルは状況を理解した。それと同時に、再度疑問が湧く。裏切りを宣言したウィルを、老将は何故斬り捨てないのか。そればかりか‥‥護るように立っているのか。
 そんな疑問を吹き飛ばすように、声が響く。
「よう」
 低い声は、荊信のもの。何気なく、それでいて視線を少年に逸らさぬままに荊信は続けた。
「で、どうするか決めたのか?」
「決めたよ」
 即答に、荊信の心が沸く。その声、その表情、なによりその目から、皆まで聞く事もなく男にはそれが解った。
「‥‥そうかい」
 男の口の端に刻まれるのは、衝動そのままに、笑みの形。
「いつか約束したな、『ウィル』」
「うん。‥‥手伝ってくれんのか?」
「応とも」
 荊信は言葉と共に、盾を掲げた。己の存在を誇るように、力強く。
「皆遮盾の名にかけて、引き受けたぜ!」


 そんな声に周囲の反応は様々だった。
 例えば、シクルは戦場で交わされる奇異な会話を興味深げに眺めている。その一方で茶番と唾棄しながらも、ナスルは派手な動きが取れずいた。前科持ち故に、ダリアの猜疑の眼に晒されていたからだ。
「さて。無駄話は終わったか?」
 その視線に苦笑しながらナスルが嘯いた、その刹那。

 相対の横合いから。キメラの群を抜け、一つの黒影が迫った。

「目標確認。――攻撃開始」

 黒影の正体は、ORT(gb2988)。戦場にあって酷く異質で、人外ともつかぬ姿は大きい。
 髑髏をあしらったマスクに包まれていて、その表情は伺い知れない、が。男は一切の妥協を抱かぬままに、引き金を引いた。狙いは老将。そこで交わされていた言葉は勿論、その背にいる少年すらも感知しておらぬとばかりに銃弾が雨となって降り注いだ。



「狂犬が!」
 ナスルにとっても想定外だった。だが、事の運びとその無慈悲さをむしろ賛辞するようにナスルは敵へと走りながら吼えた。
 男より先行する影は、三つ。最先を往くのはミリハナク。荊信が続き、迂回し、老将の動きを見ながらシクル。
「ウィル!」
 叫ぶダリアの声には迷いがあった。その迷いを示すように揺れる銃口の先で、老将――バルタザルが銃弾に晒されながらもウィルをORTの射線から庇い立っている。老人が迎撃に動かないが故に、銃弾は依然として止まない。

 それでも、老人は笑っていた。

 心の底から戦場を味わおうとする武人の笑みで。それを見たミリハナクは、湧き上がる衝動のままに声を張った。
「私の名はミリハナク。この局面においての大将首と見受けますわ。戦人として、御相手していただけるかしら?」
 ウィルの存在が足枷になるか。ミリハナクはそう考えもした。だが‥‥近づけば、それが解った。
 何よりもバルタザルに動く気がなく――否、必要がないのだと。老将の背にはウィルが居る。それ故に銃弾に晒される老人は赤光に包まれながらも、衝撃を物ともせずに立っていた。
 それだけで老人の実力が見て取れたからこそミリハナクは滅斧を掲げて、そう言ったのだった。


 ORTの射撃に縫い止められた老将は動かない。自然、先手はミリハナクがとる形になる。滅斧に据えられたSESから高らかな駆動音が響くと、剣の紋章が浮かび。
「♪」
 気配だけは軽やかに、その紋章ごと叩き切るように全力、大振りの一撃が振るわれた。
 両断剣・絶。
 かたや大斧、かたや大鎚。長大な獲物が互いに噛み合った瞬間。

 老人の側面へと駆けるシクルの眼前で、世界が爆ぜた。

 その余波を感じながらも、シクルの双眸は『敵』を見据えている。鳴動する大気の先で、妖女の一撃を受け止めて立つ老将の姿を。無傷ではない。超大な威力に骨が軋み、肉が裂けている。衝撃とORTの銃撃で破れた軍服に似た装甲の隙間という隙間から血が溢れていた。
 しかし、その背にはやはり、無傷の少年の姿がある。
「裏切った少年を護りながら戦っている?」
 轟音に紛れた呟きを拾う者はいない。故にシクルは鳴動をその小さな体で切り開き、踏込んだ。最小限の動きで振り抜かれるのは長大な日本刀。剣閃が膂力でミリハナクを押返し一打を見舞おうとした老将の脇腹を抉ると、アカイロが咲く。
 同時。返り血すらも躱さんとする勢いで少女は身を低く下げた。
 老将の気勢が少女の耳朶を打つと同時、凄まじい蹴撃が大気を焦がした。シクルはそのまま転がるようにして、強引に距離を外し――。
 つと、視線に気付いた。乱戦の中でなおも立つ少年の視線。シクルの身も老人の身も案ずるような視線に‥‥少女の理解が、状況に追いつく。
 ――なるほどな。
 だが、少年の視線を振り切り、膝立ちになりながらシクルは再度老将を見据えた。先の交錯の中で見えた事実を確かめる為にだ。
 老将が纏う装甲の、その奥。交錯の瞬前、溢れた血の奥で泡立つように見えたそこは。
「再生している、な」
「‥‥上等よ。お楽しみは長いに越した事は無い」
 一対多。半包囲のような形で相対する傭兵達の中で、機を待つナスルはそう笑い飛ばした。



 構図はシンプルだ。正面から荊信とミリハナクが相対し、その間隙を突くようにナスル、シクルが側面へ。ORTの銃弾は止まない。その精密な射撃は、近接戦闘の隙間の中でもウィルを護るために軸を動かさぬ老将から逸れる事無く放たれ続けている。
 荊信は銃声に飲まれぬように声を張った。
「俺もあの女のやり口は好かんが‥‥気に喰わなくとも仕事なんで殺りあわなきゃならんな」
「カカッ! 同感よ小僧。だがな、そのツラが歪む様が儂には今から手を取るように解るぞ!」
 交わされるのは言葉と、攻防の連なり。荊信が盾となり、ミリハナクが矛として暴威を振るう中で、老将も装甲と自己再生に任せて大鎚を振るい続けている。滅斧と大鎚が噛み合った、瞬間。
 疾、と。
 鋭い気勢が飛んだ。伸びる影はナスルの手にした鳴神。それは違わず、再生の為に泡立つ傷口へと吸い込まれ――。

「貴様が派手な外見の割に詭道を好いとる事はもう知っとるわ!」

 ナスルの突き込みと絡み合うように伸びた老将の大槌の石突きが男の視界を覆った。ナスルは体を大きく逸らすが――到らない。衝撃は男の右眼に激痛と鈍い感触を伴って響いた。
 追撃に、ナスルはそれでも後方へ動くが、老人はウィルを蹴り飛ばし、悲鳴を背に無理矢理に軸を動かして間合いを詰める。
 ――間に合わん、か。爺め、俺を狙ってやがった。
「ッとォ」
 だが‥‥追撃は、止んだ。
「チ‥‥あの時の意趣返しとしてはまあ十分か」
「気持ちは解らんでもないが、それ以上は、な」
 その一打を留めたのはダリアの制圧射撃だった。声は苦さを孕んでいる。老将はちらりと大鎚を見やった後、横合いから追撃を防ごうと走るシクルと、距離を詰めてくるミリハナクと荊信、ORTとの位置関係を確認し、再度相対している、が。
 後衛の彼女からは、状況が良く見えていた。
 例えば、ORTの射撃の影響で老将が大胆な攻勢に出れずにいる事。例えば‥‥未だ、彼が戦場のバグア陣営に指示を飛ばし続けている事。戦闘が始まってもなお崩れぬ固い陣が、その事を示している。
 将として立ち続ける以上、老人が武人として十全に戦えずに居る事など彼女からは見え過ぎていた。

 それでも、老将が愉しげに笑っている事が、何故か苦かった。
 ――ウィルには、辛い物を見せる事になるが。
「‥‥男が決めた事、か。ウィル」
 


 若造共め、容赦がない。
「御爺様、最後の戦場を楽しんで下さると幸いですわ」
 金髪斧女がそう言った。何も考えていないように見えて狙いがある。骨の髄まで戦闘狂だ。
「カカッ、老骨を痛めつけおって。存分に味おうとるわ」
 終着は二つか。一つはこの体。傷は癒える。だが、失った血液は戻る訳でもない。
 そうしてもう一つが――この大鎚。斧女の攻撃は、須くこの槌をめがけて放たれていた。
「‥‥保つか?」
 絶え間なく念話で戦場に指示を飛ばしながら嘯く。痛快で、愉快だった。
「お前は、将として撤退が終わるまで此処を退くことは出来ない筈だ」
 側面から声が届く。動きが素早く、正面に対応せざるを得ず早々に対応を諦めざるを得なかったポン刀女だろう。
「――しかし、お前はその子のために戦ってもいる」
「何故だか解るか、小娘」
 正面から視線は逸らせない。今は、一刻でも長くこの戦場を保たせるのが儂の役目だからだ。故に、声のみで応じた。
「少しなら」
「少し、か。‥‥なら教えてやろう。それはな――こいつが、弱者だからよ」
「なに?」

「こいつには力が無い。武力に限った話じゃない。駒として利用する価値はあっても、相手にする価値が無い。こいつ本人には何も変えられんからだ」

 道が噛み合ったから面倒を見た訳じゃない。こいつは弱者であり続けたからこそ、赦され続けた。弱者だったからこそ、儂らの恣意に預けられた。
 だが。
「――今はな」
「此処で終わらせちゃ気に喰わねえしな」
 言って歯を剥いて笑うと、正面で盾たらんとする男が同じように笑った。
 痛快、痛快。
「‥‥そうか。要らぬ詮索だったな」
 ――行くぞ。
 そう言って、ポン刀女が更に加速した気配を感じた。だが、振り切る。

 眼前で斧女が大きく武器を振りかざしていた。初手の時のように愉しげに。

 だが、その間合いも動きも知っている。故に、この一打は儂の方が早い。
 赤い光が鎚に満ち――爆ぜた。
 だが。
「名乗りが遅れたな」
 ――皆遮盾、荊信。
 その声は、赤光の彼方から聞こえた。防がれたか、と悟ると同時。
「借りっぱなしは性に合わなくてな」
 声に続いた銃声に、右の視界が潰れ、膝の腱が断ち切られた。
「‥‥ッ!」
「あばよ、爺」

 ――終わりか。

 良い戦場だった、と。迫る斧を前にそんな事を思った。


 ウィルよ。



 お前は、





「見敵、必殺」
 ORTのそんな言葉と共に、戦場は終幕を迎えた。
 ミリハナクは敵将を討ち取ったその足でキメラの群へと突っ込んで行った。底無しの戦闘狂だ。右目を穿たれたナスルは、緊急を要する治療の為に後送されていった。
 他方、ORTの流れ弾から荊信に救われたウィルは、そんな妖女には眼もくれずに倒れ伏した老人にそっと手を延べている。別れの儀式だろう。だが、いつまでも続けられるものではない。ここは戦場なのだから。
「ウィル君。君はこっち側に来るという事でいいんだよね?」
 覚醒を解いたシクルが、少年に言葉をかけた。
「ああ」
「一応、拘束させてもらうよ。捕虜って形のほうが、安全だろうから」
 シクルの穏やかさに面食らいながらも、ウィルは両手を差し出す。そこに、ダリアが続いた。
「この先の事は、決めているのか」
「少しだけ。上手く行くかは‥‥まだわかんないけど」
「‥‥そうか」
 少年が無理をしている事は、ダリアにもシクルにも見て取れた。それでも、少年は前を向かねばならない。
「取り持てるとは言わないが‥‥然るべき場所まで届ける事くらいは出来る」
 行くか、というダリアの問いに。
「頼むよ」
 言いながら、ちら、と少年は振り返る。荊信が老人の亡骸のその傍らに酒を添えているのを見ながら――。
「‥‥行こう」
 再度、そう言った。


 分厚いバグアの陣容が、解けて行く中。少年と傭兵達は、歩き出す。
 軍人達の怪訝な視線に晒されながら、戦場の後方へ、と。