タイトル:【彷徨】Isolation.マスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/05/01 14:13

●オープニング本文



 蕭々と草花を撫でる音が、石造りの壁を超えてその室内へと届いている。
 風の音。
 それ以外は深々としていて、沈黙が室内を彩っていた。
 自然音の中、幾つもの窓や絢爛なステンドグラスから散乱した柔らかな光が、静寂をそのままに照らし、白塗りの壁が光に焦がされるように淡黄色を放っていた。
 そこは、教会だった。
 だが――そこには十字架はない。彷徨える子羊達が座す椅子も無い。
 ただ、紅く彩られ、幾何学的な模様が描かれた巨大な鏡だけが高くに掲げられていた。

 その直下。音の無いそこで静かに膝をついている一人の少女がいた。
 時間の流れに取り残されたような姿で、ただただ静かに祈りを捧げている。
 艶やかな銀髪に、曇りの無い透き通った肌。細い眉も、その下で降ろされた瞼も、睫毛も、何れも人ならぬ者の手によって配されたかのように整っている。

 人外の如き精美さを誇るでも無く、少女はただ、待っていた。

『そう命じられたから』、彼女はただただ、待っていた。

 だから‥‥その名も無き教会の扉が開かれる事も、声が降る事も――待ち望んだ人物の隣に、見慣れぬ者が立っている事も、彼女にとっては了解していた出来事だった。
 声は、気楽に、気安く。
 そして――極めて愉しげに、こう告げられた。

「ただいま」


『‥‥ただいま』
 彼女は知る由もないが、奇しくも同じ時、違う場所で。
 アトレイア・シャノン(gz0444)はそう言った。
 そこは彼女にとっては生家ではなかったが、数少ない帰るべき場所ではあったから、悩みながらもそう言う事にしていた。
 平素であれば、老人の声が返る筈のそれは、この日は無言で迎えられた。
 見れば、履き物の類いも特に無く、彼女の影だけがそこに落ちている。

 買い物か、何かの用事か。
 殺しても死ななそうな老人だが‥‥あるいは。などと。

 待つよりは、一通りを探して回ろうと思い、彼女は和風の屋内を歩いて回った。
 ――だが、老人はどこにも居なかった。
 あらゆる物はいつも通りのままなのに、老人の姿だけが無かった。

『‥‥』

 嘆息の音が、僅かにノイズとなって響く。
 別段、寂しかった訳ではないのだが、何処か落ち着かず。
 アトレイアは、どこか浮ついた気持ちを覚えながら、こうして『帰る』のがいつも突然だからだろうかと、そう結論付け‥‥待つことにした。

 彼女は自室へと戻ることにした。

 そこには――。


「ねえ、久蔵。人類の敵になった気分はどう?」
 小僧の声で、己は『施術』の終わりを知った。
 己は固く目を瞑る。敵。敵か。
「望んだ力を得る事ができて爽快かな? それとも、後悔しちゃってたりする?」
 言い募る小僧――いまはプロードと名乗っているのだったか。
 ほんの数刻の邂逅でも、忘れはしない。だが、こうなる事をあの時の己は予想すらしていなかった。
 なんという皮肉か。
 かつて、娘を取り戻そうとした己が。
 ――今、こうして、囚われているのだから。
 己には極限に近しい自由が与えられるようだった。
 だが、奴の掌の上で転がされているのは不快な事に、事実でもあった。
「‥‥己が望んだ事だ。それ以上でも以下でもない」
 身を起こしながら、そう言った。身体の変容は、それだけで厭という程に知れる。
 両の手を見つめる。巌の如き両の手を。
 斬れる。そう思った。
 何を、というわけではない。ただ、斬れると。
 老いて、朽ちていくだけだった己には不可能な筈だった領域まで、手が届くと。

 ああ。
 ――アトレイア。歪んでいるか、己は。

「そ。一応、喜んでくれているのかな? 皺っぽい顔じゃよく解んないケド」
「‥‥アリサには、いつ会える?」
 無垢をかざして、陰湿に愉悦に浸るこういう手合いは、斬るか無視するしかない。
 己は、後者を選んだ。
 僅かに面食らった小僧は、だが――口の端を釣り上げて、笑った。

「彼女はまだ、眠っているよ。‥‥でも、そうだね。君が来たんだったら、起こしてあげてもいいかな」
 くつくつと、愉しげに。
 泥の底から響くような、不快な笑い声だ。
「‥‥そうか」
「うん、そうしよう。時間かかるから、今のうちに『慣らし』をしてきたら?」
 言葉こそ丁寧だったが――。

 そこには、辞す事を許さぬ、傲慢な意志が満ちていた。

「刀は」
「フィーに渡してあるよ。教会の入口で会った、あの子ね。慣らしには、あの子と一緒に行ってきなよ‥‥君もまだ、慣れない事も一杯あるだろうしね」
 フィー。
 あの少女の様相を、思い出す。

 ――嫌悪しか抱けぬ、あの姿。

「‥‥‥‥そうか」

 それだけを言って、背を向けた。
 歩く足下に、泥を錯覚した。底なしの泥だ。歩けば歩くだけ、足掻けば足掻くだけ深淵へと沈み込んで行く。
 背中に、声が響いた。

「そうそう。言い忘れていたよ」
「‥‥」

「ようこそ、バグアへ」








 その老人は、ナイトフォーゲルをも斬って捨てた。



『プロードに、祖父が攫われた』
 アトレイアがそういう依頼を出したのは、彼女の自室に、そういう旨の手紙が置かれていたからだった。日時と場所が、そこには示されていて。
 ――アトレイアは、傭兵達に依頼する事を選んだ。
 そして、それを見る事となる。

 先の大規模作戦以来、大局的には戦線を押し広げている北米軍。
 その先鋒の一つが壊滅した事を、付近を通りがかる事となったアトレイアと、彼女の依頼に応じた者達が知ったのは――果たして、偶然だっただろうか?

 最初に見えたのは、墨で引いたような黒々とした煙。
 警戒しながら近づいて、最初に知ったのは、遠目に見えるそれが割段されたKVだという事。
 二台のKVがそれぞれにやや離れた位置、だが同じような姿で、『割れていた』。
 今なお炎上し続けるそれぞれの断面は、明らかに断ち切られたそれで。

 KVだけではない。沢山の車両が、戦車が、人が、煙に撒かれるなかで、物言わぬ調度品のように朽ちていた。
 その奥に、さらに二機のKV――スピリットゴーストが断ち切られている姿が目に入った。

 全滅では、無いのかもしれない。みれば、明らかに多数の車両の走行の痕がスピリットゴーストの彼方へと続いていた。
 だが。
 炎上するスピリットゴーストの”向こう”。



 爆炎の向こう。微かに揺れる人の影はまるで、幽世の鬼のように見えた。
 その中で、私は動けないでいる。

『‥‥‥‥なんで』

 口の渇きを覚えながらも、抑揚のない言葉は十全に紡がれた。

「成る程な。‥‥あいつの、差し金か」

 そういって、彼は刀を肩に掛けた。身の丈程はある刀を、軽々と。
 だが、その表情は沈鬱に満ちていた。

「なんで、か。‥‥見ての通りだ、アトレイア」

 そう言って、彼は顎を撫でて――こう言った。
 それは。

 ‥‥それは。

「己がな、人類の敵になったからよ」

●参加者一覧

狐月 銀子(gb2552
20歳・♀・HD
御鑑 藍(gc1485
20歳・♀・PN
リズィー・ヴェクサー(gc6599
14歳・♀・ER
黒羽 拓海(gc7335
20歳・♂・PN
月野 現(gc7488
19歳・♂・GD
大神 哉目(gc7784
17歳・♀・PN

●リプレイ本文


 そこは枯れた街だった。
 風に撫でられ摩耗した乾いた街。
 屍体や炎上した機体、そこからあがる黒煙はその光景に不快な彩りを添えているが――その根底には孤独があるように大神 哉目(gc7784)は思った。
 物言わぬ者達が沈黙の中にある。その事が、哉目の胸の深くに溶け込んでいった。
 ――ああ。
 並んでいる屍体が掠り‥‥彼女の思考を鈍らせる。
 ――なんて、色褪せてるんだろう。

 立ち尽くすアトレイア・シャノン(gz0444)を、老人は見つめている。深い皺の刻まれたその貌、その瞳の色は渾然としていて判然としない。
 だが。
 訣別の意志だけは、重く横たわっていた。
「攫われたということでしたが‥‥どうも少し違うようですね」
 御鑑 藍(gc1485)はその意志をひしと感じながら、言った。
 疑問は山ほどある。何故老人が今、自分達で対峙しているのか。老人の目には、深さがある。アトレイアを見つめていると解るのに、藍は同時に被視の感覚を覚えてもいた。
 ――強い。
 彼女もまた武を修めた者だったから、感嘆に似た憧憬を感じないでもなかった。だが、それよりも現状が苦く、胸の裡に落ちる。
「近しい者との対峙、か」
 声が、風の流れに添うように流れた。黒羽 拓海(gc7335)の声だ。
 その感覚は彼にとって馴染み深い。
 ――人類の敵。
 己の体験との相似にざわつくものを感じる。彼にとっては乗り越えた事だとはいえ、彼自身はその重さも良く知っていた。
 アトレイアは果たして立っていられるか。男の視線が女の元へと泳ぐ。
 そこでは。
「アトにゃん、大丈夫?」
 リズィー・ヴェクサー(gc6599)がそっと、アトレイアの手を取っていた。力なく震える彼女の手が軽く感じられて――どこかに消え入りそうで、少女の胸の裡が掻き乱される。
『‥‥何とか』
 だからこそ、絞り出すような応答に少女は笑った。安堵させるように、心配ないよと言うように。
「生きている人がいるかもなのよ。手伝ってくれる?」
 返事を敢えて聞かないままに、リズィーはアトレイアの手をひいた。今は時間が必要だと思ったからだ。


「時間は稼ぐ。今此処で本心を語らないと、一生後悔するぞ」
 二人の去り際、月野 現(gc7488)の声を聞きながら、狐月 銀子(gb2552)は思った。
 ――強くは‥‥なれたのかしら?
 久しぶりの再会だった。かつての、憎しみに駆られているだけのアトレイアと、今の彼女は‥‥彼女の目にはどう映ったか。
 ただ、その心中を示すでもなく。リズィーの、この場を託すような視線に気付くと銀子は不敵に笑んで、軽く手を振った。尤も、その表情はAUKVに覆われていて見えはしないのだが。
「さって」
 陽気な素振りだが、心中には暗澹を感じていないでもなかった。周囲は事切れた軍人の遺体に溢れている。
 ――感情に流されて、それに溺れるだけ。
 それでも、今の銀子は自らを律する事が出来た。だから、告げられた言葉は軽やかに。
「‥‥君は、あたしらの敵で良いのかしら?」
 泰然と構える老人に、太々しく言う。不躾な言葉に、老人はしかし――嗤った。

「応とも」

 くつくつと、地の底から響くような声は、風に溶けて消えた。
「‥‥ふざけるな」
 現が沈黙を掬い上げるように、嗤う久蔵へと反駁する。
 ――家族なのに、なぜこんな事になる。
「家族とは、捨てられるものなのか」
 彼には、家族と呼ぶべきものは居なかった。たらい回しの果てに、家族というものが解らないままに生きてきた。逆説的だが、彼にとっては聖域に近しいものなのかもしれない。ましてや、それが長らく傍らで共に戦って来たアトレイアの家族であれば。
「答えろ久蔵! どうして家族を手放した!」
 問うた瞬間。
 大気が、凍えた。
 抜き身の刃の如き殺気が溢れる。意識は清明で操られている様子もない。なのに、こんなにも殺気が真っ直ぐに届く事が現の心を冷えさせた。
「己の答えが、聞きたいか?」
 老人は、嗤っている。その笑みに、藍は感じる所があった。

「己はな、醜く、情けない事にな」

 久蔵は『人類の敵になった』と言った。何の為に?
 藍は老人の思考を辿る。
 
「孫娘に――嫉妬しておったのよ。エミタと、力を得た彼奴にな」

「その力の為に、バグアに」
「‥‥己がどれだけそれを望んでいたのか、貴様らには解るまいて」
 最も近しい結論を藍が言葉にすれば、久蔵はそういって笑った。
「――人質では、ないのか?」
 拓海の問いに、幽鬼のような笑いが返る。心底愉快げに嗤っていながらも、そこには深い情念がある。
 ――本当に、それだけ?
 押し黙りながら‥‥藍は胸中でそう、呟いた。
「ふぅん」
 そんな藍の疑念を、銀子も抱かないでもなかった。その疑念‥‥銀子はこんな風に紡いだ。
「もう一つ。君は、アトレイアちゃんの敵なの?」


 リズィーはアトレイアを連れて、生存者を探して歩いていた。
 辺りは屍体に満ちていた。乱雑に、彼方此方に転がっている。
 人の死に触れる事は初めてではないが――リズィーはそっと、アトレイアの様子を伺う。
 言葉は無い。この惨状は久蔵の手によるものだ。翳るその奥で何を思っているかは‥‥。
「アトにゃん」
『はい』
「あの人の事、聞いても良い?」
『‥‥‥‥』
「酷い事、聞いていると思う。だけど、本当の事を知る為には‥‥だから‥‥っ」
 何がどうなっているのか。リズィーには解らない。
 アトレイアすらも、そうなのかもしれない。眼前で、リズィーの視線から逃れるように遺体の連なりをそっと眺めたアトレイアは、まるで‥‥迷い子のようで。
 だからこそ、助けになりたいと少女は思った。こんなにも残酷な場所で、酷い事を聞いていると思っても。
「‥‥お願い」
『‥‥』
 掠れた嘆息が、響いた。
『何から、話せばいいんでしょう』
 紡がれた声には抑揚はなく、目には翳りがある。それでも彼女はそう言った。
「ありがとなのよっ! あの人は‥‥アトにゃんのおじいちゃんなのよね。どういう人で‥‥どういう関係だったの?」
『そう、ですね』
 痛む記憶を追想しながら、続ける。
『父が死んで、母が居なくなって‥‥私の周りに誰もいなくなった時、病院に迎えに来てくれたのが、彼でした』
 ――不器用で。最初は言葉も通じなくて。
『厳しい人でした。家族というよりは‥‥』


「敵か、か。上手い事を言う」
 銀子の問いに、またしても久蔵は笑った。今度は心底、愉快実に。
「そうかもしれん。己はな。彼奴の――師よ。己は彼奴らを愛せず、師である事しか出来ん。だからこそ、己の前に立つというのなら‥‥斬る。師を越えられぬ弟子など、要らぬさ」
「‥‥そう」
 はぐらかされているのかもしれない。
 バグアの元に娘がいるのだという。そこに今、久蔵自身が下っている。
 なら。
 ――ずっと彼女を支えて来たのは、何故?
 思考しながら、銀子は両の拳を掲げた。これ以上の問答は不要だろう。
「ま、良く解んないけど。KVと一緒に君等の絆も切って行くって言うんなら‥‥敵として認めてあげるわ」
 腰を落とす。臨戦の構えに、挑発の言葉。傭兵達の間に緊張が走る。その視線の先で――老人は大笑した。
「小娘が言いよる! ‥‥気が変わった」
 老人は抜き身の日本刀を両の手で掲げ、僅かに身体を開く。構えは八相。
「来い。貴様らが己の敵足り得るか、見てやる」


 久蔵は動かない。出方を待つか。
 傭兵達は包囲を選んだ。機動力に優れた四人が走り、現の銃弾がそれに勝る速度で放たれる。
 銃弾は微細な動きで躱された。銃弾の軌道を予見しているかのように。
 戦闘となるや否や、身体を嬲るような視線が深くなるのを現は感じる。不快感を振り払うように、叫んだ。
「何故それを選んだ! 誰が為の選択だ!」
「貴様も解らん奴だな。己の為よ!」
 戦闘に高揚しているのか、久蔵の声は強い。
 その声を貫くように、迫る影があった。
 拓海だ。
「そうまでして力が欲しかったか」
「応ともよ、だから己は此処に居る」
 大上段からの斬り下ろしと、脚爪が空間を切り裂く。何れも老人には紙一重分届かない。
 瞬間、僅かに泳いだ拓海の身体を、殺気が貫いた。拓海は迅雷で距離を取り、老人の側面へと逃れる。見れば、抜き身の刃は未だ八相に構えられたまま。
 ――斬れる、とでも言うつもりか。
 状況に理解が追いついた時、老人が呵々と笑い、言葉を紡いだ。
「悪くない」
 横目で嗤う老人の傍らから、藍と哉目が至る。藍が振るう抜き身の直刀もまた届かない。刀を構える腕や手を狙っての藍の斬撃はひとつ間合いを外される。拓海の時と同様に殺気が溢れる――だが、藍は畏れず、切り込んでいった。
「ほう」
 感嘆の声を他所に、藍は老人の手足の動きを知覚。振るわれぬ刃を畏れる必要はない。藍は研澄まされた感覚の中でその”見”に注心していた。
 少女の胸中には、焦りがある。
 ――今ならまだ、エミタで戻れる。
 喰らい付く藍を中心に、傭兵達が獲物を振るう。溢れる攻撃に、老人も無傷とはいかない。紙一重で躱していた攻撃が、紙一重分だけ届き始める。滲んだ血が細かな動きの度に流れては地に落ちた。
 劣勢。それでも、老人は見に徹していた。
「これでこそ、だなぁ。オイ」
「強がってるようにしか聞こえないけど?」
 銀子は軽い口調でそう言うが、装甲に包まれたその双眸は油断無く細められている。振るわれぬ刃の価値を、まだ見定めていないからだ。
「カカ。あんな木偶よりも、有象無象よりも、遥かに良い‥‥だがなぁ」
 老人が応じた瞬間。
 音が生まれた。

「――死にたいのなら、此処で殺してやろうか」

 音は、横合いから切り込んだ哉目の旋棍が切り捨てられ、地に落ちた音だった。

 そして‥‥その刃は、哉目の首へと据えられていた。


 傭兵達の動きが止まる。
 当の本人である哉目は首元の刃を爛々と輝く瞳で見据えた。
 ほんとうに、つまらなそうに。
「斬らないの?」
 ぽつ、と。言葉が落ちた。状況に頓着しない異質な言葉は、傭兵達に向けられているようにも久蔵に向けられているようにも響いた。恐らく、そのどちらも正しいのだろう。彼女自身、生死を賭して捨て石になればいいと思っていたのだから。
「‥‥」
 久蔵は沈黙していた。そんな老人に哉目は自嘲するように‥‥自分の生死すらも彼岸の出来事のように、嘆息する。
「ねえ、久蔵さん。何かを求めたとして、それでもその大切なものを失ってしまったら、どうしますか?」
 問いは、そんな風に発された。
「私は大事なものを失くして、それは二度と取り戻せない。あの子のいない世界で生きていくのは‥‥何ていうか」
 ――面倒くさいんです。
 懺悔するでもない。悔恨するでもない。
 淡々とした言葉には、諦観が籠っていた。確定した過去は覆らない。なればこそ、この執着には救いがない事を――恐らく哉目自身が誰よりも理解していた。
「答えをくれませんか。‥‥何も無くなった私は、これからどうすればいいんでしょう」
 声は。
 自死を望むように、その場にいる者の間に響いた。


「‥‥似ているな、貴様」
 言葉と同時、刀の柄に据えられた奇妙な装置が高く駆動し、赤い光が零れ始めた。
「力を持ちながらも何も決めず、求めず、恣意を通さぬまま怠惰に身を沈める‥‥あの女に良く似ている」
 老人の言葉が、誰を指しているのかは哉目には解らない。
「嫉妬は周囲をも焦がすが怠惰は全てを塵芥に帰す。全てを、無価値にする。‥‥己はな、そういう手合いは好かん。反吐が出る」
 だから‥‥彼女は答えを待ち、目を閉じた。
「怠惰な死に損ない。貴様は此処で果てるのが‥‥の為よ」

 瞬間、大気が鳴動した。刃先から、赤光が奔流のように溢れ――。

 状況が、動いた。


 最初に哉目が聞いたのは、迅雷の加速で踏込んだ拓海の足音だった。
「‥‥ッ!」
 次いで気勢。
 振り抜いた刀は老人が振るう赤い刃――刃渡りにして、2、30mにも及ぶ長大なその根元の『腹』を打ち、流した。
「立てッ!」
 その軌跡上にあったビルが断たれ低く鳴動が響く中で拓海は叫ぶが、哉目は動かない。老人の動きが見えていたからだ。
 逸らされた筈の刃が拓海の刃を噛み、逸らし、袈裟切りに振るわれる――卓越した武人の妙技。
 引き延ばされた時間の中、拓海は判断を強いられた。己一人なら回避できるかもしれない。だが――哉目は。
 刹那。
 哉目は、それを見た。

 盾を掲げる、現の背。

 音が響く。刃が盾にぶつかり、切り裂く高く耳を突く音が。
 哉目は呟いた。
「‥‥馬鹿じゃないの」
 綯い交ぜになった感情の中で、それだけを。

 気付けば、刃は止まっていた。盾と、それを掲げる現の肉体にも届きながらも。
「止めたか」
「‥‥アトレイアの前でだけは、倒れられないからな」
 応答の直後。騒音が響いた。
「離れて!」
 銀子の声が、それを貫くように響く。久蔵が断ち切ったビルが崩れ、墜ちてくる音だった。

 騒音。そして、湧き上がるように粉塵が視界を覆う。
 銀子はその中で声を張った。老人が離れて行く気配を感じたからだ。
「彼女は預かっとくわよ?」
「――ならば、また見えるかもな」
 騒音の中。言葉はむしろ、柔らかかった。その柔らかさに、藍は――。
「‥‥アトレイアさんの為、なんですか」
 応答は帰らぬままに、老人の気配が遠のいて行く。

 ただ。
「次は、斬るぞ」
 哉目の耳に、その言葉を残して。



 駆け戻ったアトレイアとリズィーが見たのは破壊の痕と、溢れる血を留める現の姿だった。リズィーが駆け寄り治療を施す中、傷を痛ましげに見つめるアトレイアに対して現はこう言った。
「人類の敵になった訳を、せめてお前は理解してやれ。このままだと、奴の玩具で終わる。過去を受け止め、現実と戦う覚悟を持ってくれ」
『‥‥』
 玩具。
 その言葉が鈍く、女の胸に響いた。
「心中は察さんでもないが、な。‥‥だが、答えが欲しければ、歩き続ける事を勧める。それが茨の道でもな」
 拓海が現の言葉を継いだ。彼自身がそう生きて来たからこそ、その言葉には確信が籠められている。そんな光景を、AUKVの着装を解いた銀子は人好きする笑みと共に見つめていた。
 ――いやー。若いわね。
 そんな感慨とともに、言った。
「彼‥‥君の敵じゃないのかもね。答えは見えないけど‥‥在るものなら探せるわ」
 そういって、悪戯っぽく、こう付け加えた。
「そうやって『仲間』になったんでしょう?」
 気安く言う銀子の言葉は、暖かくて。アトレイアの凍えた心を溶かす熱があった。
『‥‥ありがとうございます』


 傭兵達はその廃墟から去って行く。
 その去り際、リズィーはアトレイアの手を取りながら‥‥一つの考えを、言葉にした。

「彼は‥‥元々アリサを、探していたんじゃない?」

 その答えは未だ、彼等には解らないが――次の物語は、じきに開かれる事になる。誰も彼もが光無き道を彷徨い歩く、その先で。