●リプレイ本文
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赤茶けた荒原の中、ぽつりと浮かぶ小舟のような姿で目的のプラントは在った。辺りにはキメラの影も無い。D―29と称されたプラントは、地下へ地下へと続いているのだろう。
荒い風に吹かれながらD・D(
gc0959)はその胸の裡に緊張を抱えていた。
依頼の要項を思い返す。あれは――ウィルの事をさしているのだろう。もし少年が居たとき、自分達が何を突きつける事になるかを思えば、ダリアは決して覗き込んではいけない淵に手をかけているような錯覚を覚えていた。一つだけ、心当たりがあったのだ。
ダリアが静かに入口を見据えていると、傍ら、市川良一(
gc3644)が口を開いた。
「‥‥なーんか、誘ってるみたいだねぇ」
良一はどこか楽しげに笑って、言った。見れば、ぽっかりと口を開くようにして開いたその扉の奥は――明るい。制圧されることを、侵入される事を待っている感すらあった。
「‥‥チ。キメラもいねェなんて詰まらん事は無いだろうな」
ナスル・アフマド(
gc5101)は煙草に火をつけながら、言う。紫煙が泳いで行くと、錆びた香りが辺りに満ちた。大神 哉目(
gc7784)がその煙を厭うように顔を背けた事に気付くと、男は愉快げに顔を歪めた。
「軍の人的には、この手紙の相手を引き込んでしまいたいのかな‥‥はぁ、色々と面倒くさいなぁ‥‥」
溜息をつきながら、哉目は言った。仕事だから仕方ないとは了承しているが絡みあった構図はできるなら遠慮したいものだった。
哉目の言葉に、錦織・長郎(
ga8268)もまた肩を竦めて応じる。
「状況を見れば、依頼の興りには野心が溢れてみてとれるね。こういう輩は多分において味方の実行者を切り捨ててでも自分だけ利益を得ようとするものだ」
身に覚えがあり過ぎる状況に、長郎は皮肉げに笑った。
「ちんたらしてても始まらねぇ――行くぞ」
荊信(
gc3542)の言葉で、状況は開始した。進む。
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良一の言葉通り、施設内は明るく、よく整備されていた。特別な苦労を感じる事は無い。見通しの良い構造は、逆に傭兵達に罠を警戒させる程だったが――じきに、敵の方からやって来た。
一つではか細い鳴き声も、幾重にも重なると太く耳障りなものとなる。声の主は、この場にいる多くの者にとっては馴染みの深い鼠型キメラ達だった。
ただ、数が多い。床一面を覆うようにして、真っ直ぐに突っ込んでくる。
「良かったぜ、もぬけの殻なら興醒めだったしな」
言って、ナスルは歯を剥いて笑った。噛んだ煙草の感触が舌に沁みるのを感じながら、駆ける。同じくして、荊信も前に出ていた。
「‥‥居ない方が楽だったんだけど」
愉しげなナスルとは対照的に哉目はやはり面倒くさそうにそう呟いて、そのやや後方から、壁寄りに走って行く。残るダリア、良一、長郎は銃撃で対応する形だった。
先手は、射程に勝る人類側が取った。
「馬鹿正直に来られるとはね。数で押せるだけの粒でもないだろうに」
伏兵や罠の類いを警戒しながら、長郎は引金を引いた。罠の類いはない。余りに稚拙。長郎は嘲るように笑う。言葉通り、キメラの数は多かった。だが、そこにダリアと荊信の制圧射撃が重なって身動きが取れなくなると、その多くは最早烏合の衆になっていく。
「狙わなくても当たるね、ハハ」
良一が後方からライフルで撃てば、容易く血が咲き、鉄錆の香りが通路に満ちる。
後衛の射撃からさして間をおかずに、ナスルが切り込んだ。
「へっ、こいつらとも何回目だよ!」
手にするは男の身の丈に近しい長大な和槍。男がそれを薙ぎ払うようにして振るうと、柔らかな肉の感触が伝わり、弾いた先で爆ぜた。その感触に男は再度笑みを深める。
つと。視線の端。ちらりと滲む仄明るい赤色が滲んだのを見て、ナスルが後方へと飛び退ろうとした、瞬間。
その鼠を踏みつけ、鼠達の後方へと一息に飛ぶ影があった。
哉目だ。速度を殺さず壁を蹴り、黒波のようなキメラ達の背に辿り着くと、振り向き様に旋棍を打ち込む。
「‥‥あれ、こんなに柔らかかったっけ?」
手応えに、哉目は僅かに眉を顰めた。だが、その動きは止まらない。哉目の方へと振り向いて口を開いた鼠の顎を蹴り上げながら、逡巡。
――詰めるか、離れるか。
加速した思考の中で、哉目は前者を択んだ。
最小限の動きで一歩。二歩目は地を強く踏み、踏込みは余さず振るわれた旋棍に伝わり、鼠を文字通りに散らした。
その傍らで、口を開いた鼠型が火焔を放つ――刹那。
銃弾が、鼠を貫いた。通路を叩く銃声が遅れて響く。
「サンキュ」
呟きは、射撃の主――良一に向けてのもの。視界の端に、こちらへと向けて狙撃銃を構える良一の姿を目にしていた。呟きが届いた訳ではないだろうが、飄々と笑って良一は親指を立てた。
少し歪とはいえ、挟撃に近しいカタチ。前後から喰いやぶられる鼠達の火焔は前方では荊信の掲げた盾に遮られ、哉目には届かず、空を切る。
「間違いねぇな」
火焔に晒されながらも荊信は呟いた。手応えの温さを、唾棄するように。
「こいつら急造の間に合わせだ。こんなモンじゃ、煙草に火も付けられねぇ」
FFの存在に数もあるため、能力者でなければ脅威足り得ただろうが――。
「ふーん‥‥なにか意図はあるのかな。これじゃまるで護る気なんて無いみたいだ」
良一の疑問に応えたのは、ダリアだった。じっと殲滅されていく鼠達を見据えながら、言う。
「――ただの兵士には来て欲しくなかったのかもしれないな」
「はー‥‥なんだってまぁ」
「さぁな。だが、用事があるから向こうから呼んだんだろうよ」
嘆息する良一に、今度はナスルが依頼に際して受け取った手紙の事を指摘しながら言う。
「あの手紙――闇雲に出す類いのモンじゃないだろうしな」
「キナくさい事にね」
状況と先行きにナスルはくつくつと笑うが。長郎もまた、裏に潜む含意を汲んで頷いている。現状、自分達はただのメッセンジャー。だが、組み上がった状況は愉快だった。
「‥‥だったら表に傭兵歓迎って札でも貼っといてよ‥‥めんどくさ」
男達の笑い声を押しのけるように吐息と共に告げられた言葉は、キメラ達を挟んで反対側から。
鼠達の亡骸を踏まぬように言う哉目は、言外にさっさと渡ってこいと告げていた。
戦闘の音は、実に呆気なく止んでいた。
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似たような戦闘がいくつか続いたが、いずれも傭兵達には大した脅威にはならなかった。
「こういうのは、地下とか中心部にあるのが普通じゃない?」
という哉目の言に従って――という程でもないが、キメラ達との戦闘を行っていくうちに傭兵達は奥へ奥へと進んでいった。
まるで、導かれるように、確実に。
「ここまで来ると、いよいよ誘われてる感じが出て来たねー」
「――まぁな」
良一は周囲の様子を興味深げに見渡しながら暢気に構えているが、応じた荊信の声は僅かに固い。
男は、もしウィルが現れたら問おうと思っていた。だが、あの少年がどういう形で現れるのか。どうなっているのか。全ては暗中に在った。
ただ――戦闘が続くうちは現れないだろうという予感だけはあった。
だが。
いま、眼前には巨大な構造物がある。その部屋自体も広く、反響した声は遠くまで響く程。その中を、培養槽と配管が幾重にも重なり巡っている。
ここが、終着だった。
「‥‥じゃ、さっさと壊そうか」
言いながら、哉目は悠然と歩いては制御端末や配管を旋棍で破壊していく。
「一応、僕は罠が無いかだけ確認しようかね」
長郎が確認した部位を、良一やナスル、荊信が次々と潰して行くのを見ながら、ダリアは視界を巡らせた。広い室内には、ただただ破壊の音だけが響き渡っている。動くものは、朽ちゆく施設と傭兵達ばかり。
急いた自分を小さく笑って、ダリアもそこに加わっていった。哉目が言う通りだ。施設を先に破壊しておけば、他のことに集中できる。
長い間、破壊の音だけが施設に響いた。誰も彼も口を開く事なく、沈黙に等しい音の波はどこか重苦しい。
「‥‥そういやこれ、ドコまで壊せば良いんだろうね」
誰ともなく呟いた、その時だ。
つと。押し開くように新しい足音が響く。音の主は傭兵達が足を踏み入れた入口から現れた。
筋骨逞しい老人だ。その傍らには――。
「‥‥ウィル」
ダリアの呟きに、少年は気まずげに頬を掻いた。
「久しぶり」
実に数ヶ月ぶりの再開だった。
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「アレが件のガキか‥‥」
「あぁ」
少年を刺すような目線で眺めながらのナスルの言葉に荊信が頷く。
――ちぃとばかし、マシな面をするようになったか?
ダリアから手紙を手渡され、それを一心不乱に読み耽っている少年の様子に荊信はそう思った。短くない時間から、ウィルは何かを得たのだろうと。
そのウィルの傍らには老人が立ち、傭兵達の動きを警戒している‥‥かと思いきや、興味深げにウィル宛の手紙を覗き見ていた。
「‥‥趣味わる」
「まぁまぁ、言わないでおこうよ」
早く帰りたいのだがそうもいかず退屈そうにしていた哉目が老人の所作にそう言うのを、良一は小声で宥めている。その傍らで、ナスルは口を開いた。
「手前ェはウィルの子守りかなんかなのか。ご苦労なこった」
「ま、そんな所だな‥‥ほほゥ」
ナスルに興味無さげな老人の姿に男は舌打ちしながら、辺りを見渡す。現状、特に異常は無さそうだが。
「成る程ね」
――これならばよっぽど、敵の方があてになりそうだね。
現状に長郎は静かに笑った。なんとも皮肉的な状況だろうかと。
そこに、音が響いた。
「あんにゃろ‥‥!」
ウィルは吐き捨てると、手紙を破り捨てようとして力を籠めたが――やめた。
その姿に、ダリアは空虚な思いを抱かざるを得ない。渦中にある者は、流されたくなければ耐えなければならない。その事を、ダリアは今のウィルの姿に見ていた。だから。ダリアは自然と言葉を紡いでいた。
「良ければ、教えてくれないか。何が書かれ、何を御前に求められているのだろうか」
「‥‥そっか、あんた達も、知らないんだな」
言って、少年はてくてくとダリアの元に近づき、「ん」と短く言って手紙を押し付け、また離れて行く。ダリアはやや拍子抜けしながらもそれを受け取り、目を通した。傍らの傭兵達も、同じく手紙に目を通す。
戻り際、ウィルは額に手を当てて愉快げに笑っている老人に気付いた。
「何笑ってんだよ」
「ハ。何でも無いわ」
「へぇ‥‥」
――彼が大切にしている存在をだしにするか。
容赦ないなぁ、と。良一は嘆息し、ウィルを興味深げに見つめる。
彼は何を択ぶのだろうか、と。
――あの女、人の頭の中は何でも見抜く。
他方、荊信は胸中で吐き捨てる。この手紙はウィルの弱みと立場を巧みに貫いている。少年の怒りも宜なるかな。真っ向から受け止めるには、些か以上に脅迫的に過ぎる。
――だが、心までは読みきれんか。
じきに、荊信が口を開いた。
「覚えているか、ウィル。あの時、何故俺は『手を貸す』としか言わなかったか‥‥解るか」
「‥‥」
ウィルは答えない。
「何故お前の答えを待っていたか解るか」
だが、少年は真っ直ぐに荊信を見ていた。だから、荊信は続けた。
「コイツはお前の人生だ。お前が選んで決めねぇで何の意味が有る!」
――まぁ、そうだよね。
哉目は、荊信の強い言葉に小さく頷いた。勝手にしたら良い。好きにすれば良いと。
けど、哉目はこうも思う。
好きにするんだからこそ、自分の行動の結果はちゃんと考えた方が良い、と。
「俺はまだあの時の答えを聞いちゃいねぇ。‥‥もう一度聞くぞ、必要なら手は貸してやる。なぁ、ウィル。
――今、お前は何をどうする?」
荊信の言葉は、聞く者の胸を打つ熱さがあった。ダリアには、その熱がどこか羨ましい。
ウィルにはきっと味方が必要なのだと思いながらも、それを請けることがダリアには、出来ないでいた。
ただ。確信だけはあった。彼の決定で、必ず状況は巡って行くのだろう、と。
バグアという今の身内も、協力するのだという傭兵。何かを動かすには‥‥きっと、十分だと。
荊信の言葉に、ウィルは俯いた。手は青白くなる程に固く握られ、細かに肩が揺れている。
「‥‥なんなんだよ」
そうして、ウィルは言葉を紡いだ。
「なんなんだよ! なんで皆、そんな簡単に決めろって言うんだよ!」
強く。
「俺は、パティを、助けたいだけなのになんで!」
だが、声は、震えていた。
「どうしてこんなの択ばなきゃいけないんだよ――どうして、良くしてくれた人達を裏切って、傷つけなきゃいけないんだよ!
俺たちを護ってくれてきた軍も、パティも、エドガーも、バルタザルも、皆!」
バグアの元へと行ったウィルにとって荊信の言葉は、嬉しかった。
「どうしたいか? 決まってんだろ! パティを助けたい。謝りたい!」
でも、哀しかったのだ。酷く、悔しかった。
「でもさぁ‥‥!」
瞬間。
銃声が、響いた。
少年が衝撃に弾かれたと同時、場が一瞬にして固く張り詰めた。
「おいケヴィン。何故止めなかった!」
弾かれたウィルを抱きとめた老人が何処かへと向かって言うが返事は無い。ただ、冷笑的な気配だけが伝わって来た。
ウィルは片腕に手を当てている。掠っただけのようだが、SESによる銃撃だ。衝撃は重い。
「てめェ!」
荊信が問いつめる先――凶弾の主は、ナスルだった。男は皮肉げに口を歪ませながら言った。
「何でそんなのを選ばなくちゃならんか、教えてやる」
荊信に胸ぐらを掴まれ、ダリアから銃口を突きつけられながらもナスルは続けた。
――弱いからだよ。手前が。
くつくつと嗤いながら。着弾の瞬間、男はウィルの身体に赤光が無い事を確認していた。
「ハ。言いよるわ‥‥なぁ、ウィル」
つと、少年を抱えた老人。衝撃と驚愕に囚われていたウィルは、その言葉で我に帰る。
「ただの坊主に手を貸すという戯けがおる。濁流に身を投げ込む戯けがな」
――それもどうやら、独りでは無いらしい。
老人は呵々と笑ってウィルを抱え、去って行く。
「‥‥戯け、ね」
その背を見据えながら、ダリアは口を開いた。
「利用してみるのも良い。軍もバグアも、そして私達もだ。‥‥今持つお前の価値を切り札にできればね」
「‥‥利用しろって事かよ」
「ああ」
「‥‥っ」
言葉に、少年が老人の腕の中でもがくと、老人は渋く笑いながら立たせた。そうしてウィルは再度傭兵達に向き直って、こう言った。
「考える、から。決めるから‥‥その時が来たら、手伝ってくれよ」
――ありがとう、と。
言って、返事を待たずに少年は駆けて行った。
「くっくっくっ‥‥誰を本当に信頼するかで事を決められそうだね」
長郎の楽しげな声に応える者は居なかった。いずれ、大きく状況は動くのだろう。その時に何が起こるのか。少年はどういう決断を下し、どういう結末が訪れるのか。
今はまだ、想像する事しかできなかった。