タイトル:彼方からの呼び声マスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 7 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/12/25 18:16

●オープニング本文



 エドガーからは、暫く自由にして良いと言われた。
 ――考える時間を、くれたのかな。
 配慮だろうか。それとも単に無関心なのだろうか。
 茫、と辺りを見渡してみる。決して狭くはない、それでいて無機質かつ簡素な室内。
 不満げに口元を歪ませたまま椅子にだらしなく座っている老爺が頭の後ろで腕を組み、天井を見上げていた。
 ウィルには老爺の姿がエドガーよりも遥かに人間らしく見え、心無しか安堵を抱く。
 そのときだ。

「ね。君はどうしてこっちに?」
 唐突に沸いた声と気配に、最初に抱いたのは恐怖に近い何かだった。
 ――緊張してんだな。
 エドガーについて来たものの、此処が敵地であるという現実はそう簡単に馴染む物でもない。
 それでもウィルは緊張をねじ伏せ、口を開いた。
「‥‥助けたい人が居るんだ」
「へぇ、それで、強化人間にでもしてくれってわけ?」
「‥‥」
「現実に夢を見てるわけじゃないよね。エドガーが優しく見えたのかな」
 笑んだ金髪の少年――プロードに対してウィルは応えない。迂闊な言葉がエドガーの立場を傷つける事へと配慮しての事だったが。
「現実を見ておかないと、あとあと辛い目に遭うかもよ?」
「‥‥あんたが、それを言うのかよ。隙あらば噛み付きそうな目をしてるくせに」
 ――やべ。
 少年の呆然とした表情を見て爽快感と同時に動悸を覚えた。
 でも、不思議と胸に溜まった何かがすっと抜け落ちたような気がした。
 悪意をそれと気付かせる事なく注ぐような視線が、嫌だった。
 バグアは決して善良ではない。それでも、だ。
「あはは、そう見える?」
 呆気に取られた少年は、しかし数瞬の後には平静を取り戻し‥‥。
「そっか。やっぱり‥‥邪魔だなぁ、君」
 言葉のまま、隠そうともしない真意が蛇のようにウィルの背筋を這う。冷たい予感に、四肢が強ばった。
「正直、エドガーの事とか、ちょっと解ってはいるんだよね」
「‥‥何がだよ」
「ヨリシロに毒されてきてるのかな。ふふ。らしくない‥‥いや、ある意味らしい拘り、かな?」
「らしい?」
「ふふ。エドガーが本当に護りたいモノは何だろうね。どうしたら‥‥何を失ったらあのカタブツは変わるんだろう。仲間達? 君? それとも家族かな?」
「お前!」

「その辺にしておけ、小僧ども」

 反駁の声を断ち切ったのは、それよりも太い老爺の言葉だった。
「プロード。寄り道してる身分で太い事を言うとるなぁ」
「君だって、たかが強化人間のくせに不敬だと思わない?」
「敬意が欲しければそのように振る舞え、小僧。お前さんが自分の庭でどんな悪巧みをしようと気にはせんが、此処はエドガーの庭だ。今回は不問にしておいてやるが‥‥そろそろ、帰り時じゃあないか?」
「‥‥はぁ。老人の相手はメンドクサイなぁ」
 プロードは問答を厭うように、退室していく。その去り際、彼は思い出したように言った。
「そうだ、予言をしてあげるよ、迷える子羊さん」
 言って、咳払いの後に、彼は続けた。

 ――君が助けたい誰かを助けられるまでにきっと、エドガーは死ぬ。

「それまでに、願いを叶えられるだけの何かが出来たらいいね」
「‥‥!」
 不吉な言葉に再度抗議の声をあげようとした所で、大きな手に肩を掴まれ、言葉を呑み込んだ。少年の笑い声だけが静かな部屋に響いて、消えた。
「相変わらず口が悪いな、彼奴は」
「‥‥」
「にしてもエドガーも面白い小僧を連れて来たものだ。小僧、名前は?」
「‥‥ウィル」
「ウィルか」
 言葉とともに差し出されたのは、岩のような掌だった。ウィルが握り返すと力強く、暖かい握手となる。
「儂はバルタザル。腑抜けた小芝居に暫くウンザリしていたが、小僧の啖呵のおかげで気が晴れた。礼を言おう」
 上機嫌そうに言う老爺にウィルは暫く呆とした後、照れくさげに笑い、言った。
 気にかかる事があった。自分には何も出来ない。でも――この老爺にはなんとかしてもらえるかもしれないと。

 そう、思ったから。

「あのさ」


 過日のエドガー・マコーミック(gz0364)の一件、そしてウィルの失踪があってから、基地ではパティの情報を元にした動きが生まれつつあった。
 バグアへの諜報対策の一環として基地内でも彼女の生死は極力秘されたまま、軍人や傭兵を送り出し、調査を行う。
 少女はこちらの状況を知ってか知らずか決して知り得る全てを語らず、確認を要する内容を小出しにし続けた。
 ――まるで、自分はまだ生きている、とエドガーに伝えるように。
 こちらがウィルの行く末を握っていると信じ、それでも活路を見出そうとする必死の抵抗は、しかし女性士官の思惑通りでもある。
 エドガーの執着。その行く末を、女は確かに見極めようとしていた。
 だから、と言うべきか。注意深く網を張っていた所に飛び込んで来たその報せは、彼女に判断を強いさせる事となった。
「ウィル名義での、情報?」
「ええ、通信によるもので、逆探等の調査は行えなかったのですが‥‥」

『エドガーの家族が狙われているかもしれない。気をつけろ。―ウィル』
 ――家族。エドガーがまだ、人類側だった頃の?
 彼には娘がいた。そう聞いている。だが。
 それは、現状から予想できる範疇を越えていた。
 ‥‥誰が、何の為に?

 思考が巡る。

 ――そして。

「あの近辺の調査に送った傭兵達が、いたはずです。‥‥彼等をまわして。追加で報酬は支払います、と」


 UPC軍から少なくないお金をもらってから。
 家政婦と二人で暮らすようになってから。
 ‥‥父さんが、居なくなってから。

 初めての、冬だ。

 父さんは海上で戦死した、と。そう聞いている。
「寂しい、なぁ」
 窓の外は、雪。
 今年はクリスマスツリーを飾る事はなく、夜の暗さを引き立てるような純白の雪が深々と降り積もっていた。
 屋内に居ても刺すような冷気が窓を越え、こちらへと届いていた。
 見上げれば、厚い雲が夜闇を覆っている。
「‥‥寒いよ、父さん」
 言葉にして、再度、庭先を見下ろす。

 そこでは。

 先程まで誰も居なかった筈の庭で、奇妙な格好をした少年が手を振っていた。
 その傍らには、小さな、

「え?」

 瞬間、反射的に目をつぶってしまうほどの明るい何かが庭を覆った。同時に、低い唸り声のような音と同時に、明かりという明かりが落ちる。
 映画みたいだ。そう思った直後には、轟々と、勢いを増していく低音が耳に届いた。
 炎‥‥?
 火事だと気付いた頃には私は階下へと駆け下りていた。階下から、聞き慣れた声で悲鳴があがる。
「マーサさん!」


「メリークリスマスにはちょっと、早いかな?」
 プロードはそう言って嗤う。老婆の悲鳴を。少女の声を無駄だと言うように。
「セシリア・マコーミック。パパの所に連れて行ってあげる」
 ――わぁ、僕って優しい。

 だが、そう言って笑みを深めた少年の耳朶を打つ音があった。
 劫火の音に、微かに響く人の気配。

「‥‥おかしいな、早すぎない?」

●参加者一覧

鷹代 朋(ga1602
27歳・♂・GD
D・D(gc0959
24歳・♀・JG
御鑑 藍(gc1485
20歳・♀・PN
秦本 新(gc3832
21歳・♂・HD
ナスル・アフマド(gc5101
34歳・♂・AA
月野 現(gc7488
19歳・♂・GD
大神 哉目(gc7784
17歳・♀・PN

●リプレイ本文



 奈落へと落ち込んだかのように、町並みから灯りが掻き消えた。
 明らかな異変。それは、予兆としては十分に過ぎた。

「護衛対象は、セシリア‥‥マコーミック」
 不吉を噛み締めながらの秦本 新(gc3832)の呟きは、淡く白い息と共に消えて行く。
 ――バグア。肉親を奪うだけでは、飽き足らないとでも言うのか。
 義憤に近しい感情が新を覆う。バグアの非道は幾つも見てきているが、それでも、心は騒ぐ。
「追加の支払いをしてまでの要請‥‥か」
 事の経緯は不透明だが、その事実と暗転した街並が現在のこの状況を色濃く縁取っている事をD・D(gc0959)は唐突に意識した。理解と同時に、疑念が沸く。
 何故だ、と。
「何故狙われる‥‥のかな?」
 応じた声は、御鑑 藍(gc1485)のもの。ヨリシロになった大佐の娘というだけの、力無き少女の筈だ。
 それだけじゃない、何故、自分達は此処に間に合ったのか。ダリア達の思索に答えは無い。
「‥‥護ろう」
 現状で答えは出ないからこそ、鷹代 朋(ga1602)はそう言った。
 答えのでない問いが無意味とは思わない。だが、目的は明確だ。
 何より。
「俺はその為に、ガーディアンになったんだから」
 護りきらなくてはならない。己にそう任じる。
「ま、面倒だけど、拾える命は拾っておこうか」
 ――お腹すいたから、早く帰りたいけど。
 まぁいいよねと大神 哉目(gc7784)が頷く。面倒に思いこそすれ、その事自体に異論は無かった。
「結局の所、人が良いんだろうな」
 哉目のその姿に、並走する月野 現(gc7488)が苦笑と共に呟く。哉目とはそれなりに付き合いがある。
「現、何か言った?」
「‥‥いいや?」
 怪訝そうな哉目の視線は強引に断ち切って、現は前を向いた。

 そうして。彼等の両の目が、夜闇を見通すべく順応が果たせた頃。
 視界の先。家屋に火焔が弾け、次いで燃え盛り始めるのを目にした。

 今更、言葉を募る事はない。ただ、傭兵達の気が逸る。その中に誰よりもその赤色に心が踊った者がいた。
 ナスル・アフマド(gc5101)。
 平素は平穏のただ中にあるであろう街中が、今、こうして燃えている。
 ――やはり、こうでなくっちゃな。
 言葉にする事はない。だが、浮かんだ笑みだけは消し得なかった。


 火の手が巡る。
 煌々と照らされる一方で、黒々とした煙がセシリアの視界を覆いつつあった。
 ――燃えていく。
 マーサの影を探しながら少女は姿勢を低くして走る。
 ――父さんとの思い出が、燃えていく。
 その虚脱感を否応なく突きつけられながら、少女はマーサが咳き込む声を頼りに、彼女の元へと辿り着く事が出来た。
 逃げなくてはいけない。そう思う。だが、正面へは行けない。
 火勢の強さもあるが、あの少年の不吉な姿が何よりも彼女の心を縛った。
「マーサさん、動けますか!」
 火焔に負けないように声を張ると頷きが返って来た。少女はその事を確認すると、老婆を伴って外へと急いだ。
 彼女にとっても大きい戸口は未だ燃える事なく残っている。
 二人はそこを開いて、そして――。


 辿り着いた頃には最早マコーミック邸は炎獄のただ中にあった。
 そして――迎える者も、いた。

「ねえ君達、どうしてここへ?」

 轟々と燃え盛る家屋の前で、少年の姿をしたそれは小首を傾げて問うた。
 傍らには炎を吐く小さな鼠達もいる。白塗りの仮面の上で、笑みが浮かんでいるが――気配には、不快が滲んでいた。
 その佇まいと、少年の声が、記憶に掠めた者がいた。
「その声、お前はまさか‥‥」
「‥‥ん? 誰だい、君?」
 怒りに震えた現の声に対して、人を喰ったような応答。それを聞いて、現は確信を深めた。
 アイツだ、と。
 ともすれば狭窄しかける視野を、現は無理矢理に押し広げる。
(‥‥俺が感情に呑まれてどうする)
 今は、救うべき者達がいる。
 その事が現を辛うじて立ち直らせた、その瞬後。
 いくつもの動きが生まれた。

「やっぱ傭兵はぁ‥‥殺し合いしてナンボだよなぁ!」
 軋んだ笑い声をあげながら、全身に金色の紋様と傷痕を浮かべた男――ナスルが走る。
 手には鳴神。先手の一撃が鼠の身体を抉り、短い悲鳴と爆炎を生んだ。その刺突に沿うように放たれた新の銃撃が鼠を絶命させると、槍から伝わるその感触にナスルは一層笑みを深めながら次に狙いを定める。
 だが、遅い。
「僕、野蛮な人は嫌いだなぁ」
 死んじゃえ、と。少年の言葉に継いで火焔が舞った――刹那、銃弾が奔る。
 ダリアの放った制圧の一射に劫火が遅れた。その間を辛うじて縫う様にナスルが鼠達から距離を取る。

 深く切り込んだナスルの動きに引き出されるように、傭兵達は大きくその立ち位置を変えていた。
 ダリア、新、哉目が炎上する家屋を背にするように立ちナスルもまたそこへ至る。
 その一方で、現と朋、藍は裏口へと走った。正面のバグア達を四名に任せ、救出を優先する形だ。
 その事を仮面越しに確認した少年はつまらなそうに肩を落とし、深い息を吐いた。
「君達が来なかったら、最高のショーになったのに」
 その声色は、傭兵達の後背で響いた声――少女の悲鳴と火焔の音を聞いても変わる事は無い。
「‥‥伏兵は、あちらでしたか」
 少年が連れているキメラの少なさに伏兵を意識していた新が、連なった音を聞いて僅かに顔を歪ませて、言う。その意図が読めつつあったからだ。
「折角のかわいい悲鳴も、恐怖も、そのための演出も、君達のせいで台無しだよ。‥‥エドガーも、変われたかもしれないのに」
「‥‥良く解んないけど、趣味わるいよ、それ」
 残念だなぁと。そう呟く少年に対し、哉目が気色悪げに答える。

「はぁ‥‥少しだけ遊んであげるよ。ただで帰るのも、癪だしね」


● 
 悲鳴。それと同時に戸が閉まる音を聞いた直後、藍達はそれを目にした。
 火元が正面だけだったからか、火の手は巡りつつあっても火勢は未だ側壁の半ば程だという事は確認できていた。裏口に火の手は回っていなかった筈だったが‥‥そこは今、炎に包まれていた。
「‥‥ちぃ!」
 込み上げた怒りごと唾棄するような、朋の舌打ちの音が響く。
 下手人は容易に解る。鼠型のキメラ達がそこにいた。その数五、六。鼠達は、戸を押し開いて中へと至るつもりは無いようだが、今も火焔を吐き出しつづけている。
 暗闇を照らす火焔が、黒々とした煙を照らす。悲鳴は、火勢に呑まれ、戸に阻まれるようにして消えて行った。
 傭兵達が居なければ、少女達は追い立てられるように、家屋に閉じ込められていた筈だ。そうして、煙か、あるいは炎に巻かれ‥‥。
「‥‥行ってくれ、此処は俺が抑える!」
 綯い交ぜになった感情が籠められたその声は、咆哮に転じ、鼠達の視線が朋へと募る。
 想定は大きく外れては居ないだろう。そして、今も状況は変わらない筈だ。そう判断したが故の、言葉と咆哮だった。
 火の手は強い。猶予はそう長く無いだろう。突入して彼女達を救う必要があったが‥‥誰かが、鼠達と相対する必要があった。
「‥‥御願い、します」
「頼む!」
 その事は、藍と現にしても了承できる事柄だった。だから、二人は駆ける。戸口はキメラ達が犇めいているから、二人は能力者の膂力で壁を砕き、道を拓いた。
 崩れた壁の裂け目から熱気が溢れる中を藍と現が往く。朋はその背を見届けると、小さく息を吐いた。
 眼前には、鼠達。ただの鼠ではない事は、先の任務から百も承知。
 緊迫に、両の手に握る小太刀が、鳴る。
 ――積極的に戦うのは、あまり好きじゃない。
「‥‥でも、守るためなら話は別だ」
 言葉と同時――火焔が、迫る。


 正面。剣戟が鳴る。
 戦場は大きく二つに別れた。
 突出した少年の動きに呼応するように、新、ナスルがこれを挟撃するように迎え撃ち、哉目とダリアが鼠型に回る形。
 背にした燃え盛る家屋を灯りに、浅く積もった白雪を穿つように伸びる黒影が、舞う。
「ったく、面倒くさいなぁ」
 哉目がぼやきながら、キメラ達の後背へと迅雷の足捌きで至った。火焔を厭うての事だろう。
 哉目は浅く雪を踏みしめるようにして接近の勢いを流し、両の手に構えた旋棍で鼠の一匹を殴打。
 上段から背骨を砕く感触に哉目は眉を顰めながら、こちらにいち早く向き直り火焔を宿した鼠型に視線を向けると流れるように姿勢を低くし、その下顎を蹴り上げる。
 遅れて吐き出された業炎が前髪を炙るのを感じながら、哉目は側方へと短くステップ。間合いを外す。
「あっつー‥‥」
 距離を取る哉目を援護するように銃撃が連なる。ダリアの射撃。背に家屋を構える以上追いつめられる形になるが、キメラ達が家屋へと至る様子が無い事から二人は徐々に退きながら射撃を重ねていく。
 少年とキメラ達が綺麗に別れる戦場となった事と、初手でキメラを減らせた事も幸いした。現状、戦場を俯瞰、警戒する余力はある。
 火焔を盾で受け流しながら、ダリアは視線を少年へと飛ばした。
 ――エドガーの娘を、今更狙う事に何の意味がある。
 演出。ショー。あの少年はそう言っていた。
「‥‥独断か」
 どういった背景が有るかは不明だ。だが。
「何れにせよ、戦えぬ者を巻き込んでは欲しくないものだ‥‥」
 叶わぬ願いだとは知りつつも、そう独白せずにはいられなかった。


「ねえねえ、何で此処にいるのか、ちょっとくらいは教えてよっ」
 少年の言葉に、真っ向から相対する新は答えない。
 これ以上、バグアに奪わせる事は勿論。
「‥‥思い通りにさせるわけが、無いでしょう?」
「ちぇっ、つれないなぁ!」
 動向の読めない敵だ。それ故、新は慎重に槍の間合いを活かしながら接近を厭うように立ち回るが、少年の腕と新の槍が噛み合う度に躯に見合わぬ重さが四肢に伝わった。
 少年の動きは無遠慮な疾風のよう。手ぶらではあるが、その速度と膂力が十分に脅威だった。
 自分一人では、至らない。数合を経る事もなくそう感じた。
 だが、そんな事は新達とて百も承知。
 瞬後、軋む笑いを含んだナスルの気勢が、新の視線の向こう、少年の後背から響いた。
 振るわれるは新と同じく槍の一撃。
「おっと!」
 実力差故、少年自身には至らない。だが、僅かに赤いフードを切り裂き、回避の為に姿勢を泳がせる事は出来た。
 隙。そう感じた瞬間には、新の身体が動いていた。
「‥‥その仮面、顔が割れると困る訳ですか?」
 言葉と同時、突き込んだ槍が突き込まれた。突き上げるような挙動、そして言動で錯覚させ――狙いは、足への突き下し。
 届いた。
 鈍い音は赤光に阻まれるが、少年の姿勢が崩れる。刹那、一歩を踏込んだ新の石突き振り上げが、快音を響かせた。
「‥‥おー、お見事、お見事」
 顔を押さえ、茶化すように言う少年だが、その手から仮面が崩れ、落ちて行くと、仮面の向こうから零れるように咲いた笑顔が、新をまっすぐに捉えていた。粘度の籠った視線が、嬲るように、傲慢に新の全身を這う。
 一撃は入った。だが、有効打たり得ているか――その感触は鈍く、無遠慮な視線を前に新は歯噛みするように、槍の柄を握り締めた。
「ククッ‥‥よう、名前何て言うんだよ」
「‥‥プロード、さ。おじさん。良い名前でしょ?」
「墓に刻む名にしちゃ、ちぃと上等過ぎねぇか!」
 軽い足取りで距離を取ろうとする少年を、それでもナスルは獰猛な笑みと共に追撃。挟撃を為すように新も往くが。

 ふと、少年が動きを止めた。
 その視線の先には、朋が戦いながら誘導してきた鼠型達がいる。
「あー‥‥もう終わりかぁ」
 その事を視認した少年は小さくそうぼやき‥‥そして。


 熱せられた大気は既に身体を蝕む程で、藍と現は気道の熱傷を避けるように口元を覆いながら、救助対象である少女達を探す。
「先程、裏口の方にいたから‥‥あっち、かな」
「‥‥ああ、急ごう」
 火の手が早く、黒煙の勢いも止まない。戦闘の音も火の手を越えて響く現状、急ぐ必要があった。
「聞こえますか! 助けに来た者です!!」
 声を張る現と、対象的に内部にキメラの影が無いかを探る藍。外観から間取りを想像しながら、先程少女達が消えた裏口のある方へと急ぐ。

 つと。
 藍が視線を巡らせると、それが見えた。
 並べられた、幾つもの写真。額に収められたそれは、恐らくこの家の元家主のものだろう。
 世界的に指名手配されることとなった彼の、生前の写真達。
 それが、物言わぬ死人のように、静かに燃えていた。
「‥‥」
 そこに籠められた想いと、それが失われていく事、その意味を感じて藍は静かに言葉を呑む。
 ――全てが終わったら、手をあわせよう。
 後ろ髪をひかれる思いを、振り切って。藍は捜索を再開した。

 そうして、その後間もなくして、二人は折り重なるようにして意識を無くしている少女と老婆を見つけた。
 脈拍も、呼吸も確認した上で、至近の壁を破壊する事で火に包まれたそこから脱出を果たす。
 急速に開けた視界。

 そこは、とても明るくて。

「‥‥あの、野郎‥‥ッ!」
 それを捉えた現は今度こそ激情を堪えられず、吐き捨てた。背にした少女は、その言葉を耳にする事もなく‥‥その光景も、目にする事はないが、それでも。
 夜の街。停電で暗闇に閉ざされていた街が‥‥燃えていた。
「‥‥急ぎましょう。助けなくては」
 藍の言葉に、頷きを返すのみで。二人は老婆と少女、それぞれを背に走った。この惨状を、終わりにするために。


 火災の原因は、金髪の少年――プロードが、傭兵達と交戦していたキメラ達を散開させ、四方に火焔をばらまいた事にあった。
「リリアの時よりは小さい花火だけど、悪く無いよね」
 そう言って、何処へかと去って行ったバグアを、散るキメラを倒し、燃え往く街を救わねばならなかった傭兵達は追う事は出来なかった。
 漸く到着した消防隊と共に火災に対して一応の決着をつけた傭兵達は誰もが煤にまみれ、汗だらけだった。
「‥‥帰ったら焼き肉にしようと思ってたけど、もう、火はお腹一杯だわ」
 そう零した哉目に、誰も言葉を返す事は出来ない。多くの者の心の影に這う疲労の影が、重くのしかかっていた。
 護衛対象も、街の人々も救うことができた。なのに‥‥こんなにも、苦い。

「‥‥花火、な。もっと大きくはできねぇもんかね、バグアよ」
 ただ一人、それを離れた所で眺め嗤う男――ナスルの姿を目にした者はいなかった。

  ○

 後に、依頼主に対して問い合わせの通信が響いた。
『警戒の枠では考え難い対応の早さ。‥‥情報源は、どこなのだろうな?』
 軍事的な拠点でもないあの場所に、バグアだけでなく自分達傭兵まで到れた事に対する、ダリアの懸念だった。
「答える義務は、ありませんね」
『‥‥そうか』
 続く一言がないことを確認した上で、士官は通信を切る。

 そうして、深い思索へと落ちて行く。この舞台‥‥どう、動かすか。
 そして、演者達がどう動くか。考えるべき事は、山程あった。