タイトル:【AS】luxuriaマスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 7 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/12/02 08:52

●オープニング本文


●luxuria

「――――‥‥ッ!」

 快楽こそが私の望み。
 血と痛みで、空白を埋めましょう。
 苦痛こそが、最高に生を実感させてくれるでしょう?

 だから。
 ねぇ。

「‥‥まだ、死ぬには早くてよ、坊や?」

 アカい部屋で、私はツヅキを乞い願う。
 悲鳴と酸鼻で彩られた光景に、私は満たされる。

 どこまでも優しくない神様がくれた最高の贅沢に感謝を。
 ねぇ。神様。
 賛美歌が、聞こえますか。

 カワイイこの子達の、貴方を呪う声が、聞こえますか?

「あ、ぁ、‥‥最、高」

 アカイロに染まった世界で、私は今日も悦楽に耽り続ける。


 生けとし生ける物に神が宿ると、人は言う。
 なら、その生を研澄ました先には、なにがあるのだろう。
 目の前の老人はそういった傑物だった。

 その構えを芸術に例える事は容易いのだろう。
 だけど、対峙すると解る事がある。
 少なくとも私は、完成された武人の前に立った時、畏敬の念を覚える事はない。
 ――ただひたすらに、怖い。
 刃先を潰した二刀小太刀を、握る。覚醒していないとはいえ、基礎的な能力は私の方が優れている筈だ。自惚れじゃなく、厳然とした事実として。
 それでも、鍛え上げられているとはいえ痩身の老人は、どこから手をつけたら良いのか解らない程に大きく、また、とらえどころが無かった。

「鍛錬にならん」

 正眼に構え、ゆらゆらと剣先をゆらす老人の短い言葉に行くしか無い、と悟る。
 そして。

  ○

 結果は‥‥いつも通りの、完敗で。
 汗を流して身支度を整えてから、私はスポーツバッグを手に道場から戦場へと向かう。
 いつも通りの別れ方で。行ってきます、と手話で伝えると、玄関に立つ老人は鷹揚に頷いた。
「おう」
 北米にあるこの道場に――あるいは、この老人に世話になり始めてから、長い。
 傭兵になってからも、北米での依頼がある時はこうして彼の元を尋ねては戦場へと向かう事が多い。今回も、激化する北米戦線に向かう前に顔を見せにきて‥‥結果は、この通りだった。
 もう少し積もる話とかもしたいのだけど‥‥って。去り際になるといつも思うくらいに彼の対応は常に味気ない。これでいいのかなって申し訳なさを覚えるほどだ。
 一礼して、戸を開く。
 日の光は柔らかで、木造の香りとは違う、瑞々しい香りが肺に満ちるのを感じた、瞬間。

「‥‥死ななかったら、また来い」

 唐突な声に、私は慌てて頷いた。
 じわ、と沁みる感情に笑みが浮かぶのを隠すために私は再度頭を下げて、そこをあとにする。
 ――素直じゃないなあ。
 去りながら、私自身と、あの人に向けるように頭の中で言葉にした。


 惨状の刻まれた部屋での会話は短かった。
「新しい腕は、どう? 気に入った?」
「最、高‥‥」
 あの日。
 赤い女は死の淵の昏さに、囚われた。
 無くした腕の結末は、より深く、より破滅的な快楽への渇望。
「そう、良かった」
 北米戦線の前線で痛みを望み、兵士を襲い、攫い、痛みを与え、嗜虐と苦痛の両方を貪る女の姿には、かつてのような理性と悦楽の間での均衡は無い。
 ――そろそろ、かなぁ。
 徹頭徹尾嗜虐的でいて、脳器質的な被虐性。
 悪魔に憑かれていると言われる程に破綻の際で均衡していた女を、少年の姿をしたバグアは気に入っていたのだが‥‥その終わりが、見えていた。
 ――君の最後は、どういう風になるんだろう? 何を、見るんだろう。
 ヨリシロ候補として選んだ者達の中で、真っ先に欠けて行く者達が予想通りだった事が少年にとって愉快ではあった。
「それじゃあ、僕はもう行くよ。このままじゃ、戦線は持たないだろうしね」
「‥‥えぇ」
 壊れ切った玩具達を前に余韻に浸っている女は、息も荒く淫らに答えるが‥‥返答に、意味は無い。その事に少年は口の端を歪める。
 少年は、彼女を少しだけ後押ししただけだ。
 望む物を与えて、指向性を深めて。
 ‥‥それが、どうだろう。
 どす黒く花開くその姿に、少年は深く感じるものがあった。
「君も、一緒に行く?」
「‥‥壊れない玩具を、探すわ」
「そう。‥‥じゃあね」
 少年の言葉には、執着の色は無い。
 粘着質な床を抜け、離れて行く。

「‥‥アリガト」

 去り際に、女の言葉を聞いて少年は笑みを深めた。
 童女のように素直で甘い言葉が、彼にとっては好ましく思えたからだ。


 キメラに奇襲されているという通信を受け、近くにいた私は速度を重視して駆け――廃ビルの隙間の通路に至った。
 前線とはいえ、人類側に深い地点だ。
 なのに、そこで私は、惨劇を目の当たりにしていた。
 血の池の中で、沢山のヒトが転がっている。
『大丈夫ですか』
 一番近くで倒れている兵士に声をかけ、様子を伺う。でも、答えはない。
 全身を樹枝が這うかのように紅く染まった肌が印象的で、苦しげな表情で胸を抑えて息絶えていた。随所で歪に曲がった腕で心臓を深く、強く、掻きむしるようにして死んでいるその姿は、根源的な恐怖を沸き起こさせる。
 恐怖を呑みこんで、一人ずつ生死を確認していくが――殆どが同じようなもので。
 最後に一人、目を見開きながら、祈りを捧げるように何らかの印を抱いて事切れていた人の目を閉じながら、状況を整理していく。
 戦線の隙間を縫うように兵士達が消えて行っている事は、知らされていた。
 ――ゲリラって言っていたけど‥‥関係がある?
 着想は、直感に近い。でも、だとしたら‥‥何故敵は、ここに至る事が、出来たのだろうか?
 解らない。
 ただ、一つ明らかな事は――ここに居ない、敵の存在。
 ――誘い込まれた?
 理由と正解を求めながら、私は粘稠なアカイロの中、後ずさる。
 離れなきゃ――合流、しなきゃ。
 指針を定めた、刹那。

「‥‥あらぁ?」

 響いた声は、

「貴女、見た事ある顔ねぇ」

 ――私の、知っているものだった。

「‥‥能力者、みぃつけた」

 視線を向けるそこには、あの日と趣の違う深紅のドレスに身を包んだ、金髪の女がいた。
 失われた筈の右腕は、複雑に絡み合った構造の機械質で無骨な腕と変じ、力なく垂れ下がっている。
 そして、女の傍らの壁に貼り付くようにして、ヒトの形をした異形達がいた。
 純白で、異様に手足の長い痩身に、背には縮れた灰白の翼。顔の無い頭部が私を見据えている。
 脊髄を貫いた悪寒は多分、間違いじゃない。
 それらを確認した瞬後には、纏わりつく殺気と湧き出る弱気を振り切って、彼女達に背を向け疾走した。後方へと流れていく風景の中、幾つもの足音が背に追従するのを感じながらも、私は落胆は覚えなかった。あの女の速さは、知っていたから。
 それでも――合流を図るくらいなら、できるかもしれない。
 ひび割れた電子音声で無線へと状況を告げながら、全力で駆ける。
 女の狂笑と。
 壁を奔る異形の足音を、背中で感じながら。

●参加者一覧

時枝・悠(ga8810
19歳・♀・AA
ウラキ(gb4922
25歳・♂・JG
御鑑 藍(gc1485
20歳・♀・PN
リズィー・ヴェクサー(gc6599
14歳・♀・ER
アイ・ジルフォールド(gc7245
17歳・♀・SN
月野 現(gc7488
19歳・♂・GD
大神 哉目(gc7784
17歳・♀・PN

●リプレイ本文


 音が響く。
 生存のための逃走。狂奔の如き追走。駆動する機関音。

 内包した謎は秘されたままに鮮やかな色欲の花が、咲こうとしていた。

「――あぁ」
 遠ざかって行く女達の背を見下ろす少年の姿を目にする者は、いない。
「思い出したよ‥‥アトレイア」
 笑みの滲んだその声もまた、拾う者は無く。

 北米の片隅で小さく響いて――消えた。



「アトレイア‥‥その情報は本当か」
 届けられた報せに、ウラキ(gb4922)は僅かに眉をひそめた。
 ――あそこで討っておけば。
 無線機から響くアトレイア・シャノン(gz0444)の返答の声よりも、ひび割れた銃声が何よりも男の記憶を色鮮やかに蘇らせ、馴染みのある感覚が鈍く臓腑に満ちた。
 ――分かっている。この苦さが、兵士として二流だという事は。
『すいません‥、』
「お互い様だ。この状況で真面目すぎる、君は。‥‥E通りを走れ。合流しよう」
 言い募ろうとする女の声を遮りながら男は苦笑した。彼女の悔恨も、責任感も‥‥彼にとって馴染みのある物だったからだ。

 ジーザリオを合流地点へと走らせながら幾つかのやり取りを終えた後、ウラキは仲間達に知り得る限りの情報を伝えた。
「知った顔か?」
 時枝・悠(ga8810)が手にした銃に弾を籠めながら言う。
「ああ」
「戦闘狂のような方‥‥でした」
 同じ戦場に立っていた御鑑 藍(gc1485)が後部座席から言い添えた言葉に、悠は面倒くさげに息を吐いた。
「そういう手合は、会ったその場で潰しとけよ」
「返す言葉もないね」
 アクセルを踏みながら生真面目に応じるウラキの声に、悠の溜息の音が続く。それを聞きながら、藍は敵の動き方に疑問を覚えていた。

 ――なんで今、単独で動いているの‥‥かな?


 傭兵達は二手に別れる事にしていた。合流を急ぐウラキ達と、罠を張るべく動く傭兵が四名。
「‥‥頼む、アトレイアを無事に連れて来てくれ」
 月野 現(gc7488)が祈るように、言う。彼はドレスの女のことを知っていた。それ故に、最悪の可能性をどうしても無い物と断じる事が出来ない。
 自分一人ではどうする事も出来ない彼岸の出来事に、心が急いていた。
 大神 哉目(gc7784)は流れる風景を注意深く見渡しながら、余裕無さげな現の姿をちらりと横目で捉え呟く。
「さっさと合流してスマートに片付けたいもんだけど」
 縁と言えば響きは良いが、腐れ縁と呼ぶに相応しいだろう。何度となく戦場で肩を並べた事もある現の追いつめられた様子が、状況の窮迫を表しているように見え、哉目は小さく息をつく。
「罠は今の所無さそうだけど‥‥」
 哉目と同じく、待ち伏せや他の罠を警戒していたアイ・ジルフォード(gc7245)が言う。
 通信で聞いた敵の性質。発見された遺体の様子が相手の嗜好を裏付けているように見え気にかかっていたのだが‥‥。
「ついたのよっ」
 予定していた地点へとリズィー・ヴェクサー(gc6599)がジーザリオを止める。その声には、緊張の色が滲んでいた。現と同じような――喪失を恐れる声。
 もう、失いたくはない。それ故の焦りだった。
 ――ボクの前で人の死は、起こさせないのよ!
 決意を胸に、少女は往く。


 アトレイアにとって待ち伏せの存在が誤算であったように、彼女の足の速さはドレス女にとっても誤算であった。だが、自分達から逃げようと――生きようと足掻く細い背がどうにも女の心を掻き立てる。
「ぁは、あははっ!」
 堪えきれず弾けた狂笑に続き、幾重にも重なる銃声の内一つが回避に揺れるアトレイアの右上腕へと喰らい付いた。
 路地に注ぐ雨の如き銃弾の中、脚だけは射抜かれぬように痛みを堪えながら、アトレイアは紫電を曳きながらただ走るしかない。

 振り返って銃弾の軌跡を捉え、脳裏に描いた地図と照らし合わせながら、ただ。
 ――もう、すぐ。

「あらぁ‥‥お出迎え?」

 女の声が後背から届くと同時、女の物とは異なる銃声が前方から響くのを知覚すると、アトレイアは最後に迅雷となって疾った。
 瞬後には、車両から降り立った藍達の傍らに、アトレイアが速度を殺しながら並び立つ。勢いに弾かれるように赤い雫が咲いた。
「無事、ですか?」
『はい、戦えます』
 心配げな藍の声に、頷く。此処に立つ三人の姿に、状況を理解しての言葉だった。
 互いに出方を見据える束の間の静寂。それを破ったのは、女の艶かしい声だった。
「あなた‥‥会いたかったわぁ」
「‥‥今日は最後まで付き合って貰うぞ」
 憎しみと悔恨の籠ったウラキの言葉に、蕩けた声を奏でた女の白い喉が、鳴る。
「――ええ。一杯ちょうだぁい」
 淫靡でありながら、まるで生娘のような純粋さが籠められた言葉を切欠に。

 戦場が、動いた。


 人類とバグア、双方から銃弾が吐き出される。
「‥‥存外、痛いな」
 ドレス女の銃撃は最前に立っていた悠へと注がれた。狂弾が鎧を貫き肉を抉る。だが、悠の声に恐れの響きは無い。
 地獄なら、これまでに幾つも潜り抜けて来た。
 悠は活性化して傷を塞ぎ、後方へと距離を取りながら銃口を向ける。同じく後退する後衛へと走るキメラ達へと一射、二射、三射。
 重なり続けるドレス女の銃撃が重い。衝撃にぶれる照準を無理矢理に押さえつけながら、一匹のキメラの腕を削ぎ、白濁した体液をまき散らす。
 次いでもう一匹と狙った所で――悠の視界に鮮やかな赤いドレスの裾が踊った。
「頑丈‥‥ね、連れて帰るなら貴女かしら?」
「‥‥や、そういう趣味はないんだけど」
 後退速度よりもバグア側の脚の方が遥かに速い。
 息が届く程の至近で交わされた言葉。瞬後には殴打の快音が路地に響いた。
 振り抜かれた機腕の一撃は重く、尋常ならぬ膂力を秘めた悠をしても拮抗は一瞬。受けに構えた刀ごと後方へ弾かれた。その隙間を縫うようにしてキメラ達が壁を這い、地を駆けて後方のウラキ達へと走る。
「その馬鹿力は、その腕のせい?」
「ふふ、教えてあげなぁい」
「‥‥だろうね」
 嘆息する悠の怖じぬ態度が気に入ってか喜悦の表情を深めた女に、悠は気味悪げに顔を顰めつつも、積極的な攻勢には出ずに後退していく。

「さすがに‥‥速いですね」
「‥‥そうだな」
 後方、キメラが抜けた先。壁を蹴り、縦横無尽に動くキメラ達を前に藍が短く呟く声に、その動きをはっきりと捉えながらウラキが応じた。
 それでも、今はただ後退を選ぶ。
 彼等へとキメラが至らぬよう片腕で小太刀を振るうアトレイアを支えに、二挺拳銃を構えたウラキが銃撃で脚を止め、藍が放った影撃ちの弾丸がアトレイアへと死角から飛び込まんとするキメラを牽制しながらの、緩やかな、じりつくような動き。
 バグアは追い、人類は重圧を厭うように距離を取る。
 悠が戦線を支えなければ、間違いなく勢いに呑み込まれていた程の圧力。劣勢を装うまでもない。後退は、必至だった。

『――状況は把握した。そちらが通るルートの安全は確認しておく』
 戦闘の音は、凄まじい。
 故に――バグア達には、その音を拾うものは居なかった。


 アカイロのドレスが風を切る。銃声と、破壊が響く中で不思議と男の声は良く響いた。
「‥‥そうだ、背の傷はどうだ?」
「もう消えちゃったわぁ。痛みも‥‥みぃんなぁ」
 女の言葉に不快さを隠す事なくウラキは紅色の瞳で女を睨みつけ――言った。
「それは残念だね‥‥次は、どこに欲しい?」

 それが、合図だった。

 ――――ッ。

 銃声が連なり、風斬り音が高く響く。
 唐突に響いたそれは、キメラの一匹へと喰らい付いた。
 片手を失っていたキメラの頭部が壊損し、白い身体が痙攣しながら失速し、路地の壁へと叩き付けられる。
「伏兵はいないみたいね――なぁんだ」
 燐火の幻影が舞う中、燃えるような赤髪を靡かせたアイが手持ち無沙汰に弓を揺らしながら、言う。懸念は杞憂に終わったようだ。少女はちらり、と。視線を巡らせる。
 その遠景。
「‥‥久しぶりっ! 無事‥‥では、ないかも?」
『久しぶりです‥‥ありがとう』
 傷を負い、血を流しながらも形勢を保つべく戦場に留まったアトレイアの姿と、彼女に駆け寄り治療を施すリズィーの姿を見ながら、アイは近しい者の言葉を想起していた。
 ――前よりは自分の命を大事にしているという事だろう‥‥とか言ってたけど。
 無事に此処まで辿り着いた女の姿に、アイは暖かく湧きあがる物を感じながら次の矢を番えた。
「‥‥まずは、終わらせる」

 傭兵達が伏した毒。
 その事に誰よりも歓びの声をあげたのは――アカイロの女だった。
「ぁは、あはははっ! やってくれるわね‥‥!」
「なにあれ‥‥馬鹿じゃないの」
 けたたましい声に、絶対零度の声で哉目が呟いた。純白のキメラと相対している彼女は、走るその機動速度に目を馴染ませながら、両の手の旋棍を握りしめる。
 女もキメラも、面倒くささを駆り立てた。生理的に受け付けない。
「気持ち悪いなこいつら‥‥面倒だしさっさと片付けよ?」
「ええ‥‥援護、します」
 輝きを放つ目を僅かに細めながら言った哉目に、藍が応じる。
 刹那の沈黙。それを貫くように音が爆ぜた。藍の放った銃弾が、壁を蹴り哉目へと疾ったキメラへと放たれる。威力は十分とは言えない。だが――姿勢が崩れ、揺らいだ。
 それで、十分。
 ――ッ!
 短い気勢。加速して至る純白と、白色の髪を泳がせながら――交錯。
 地を踏込む低音と、打撃音とが路地中に響いた。
「さて」
 手応えに、哉目は戦況を確認。
 残る一匹は現とアイの射撃で深々と体液をまき散らしている。時間の問題。そう感じられた。
「‥‥となると」
 ドレスの女。尋常じゃない速度で動く女だが、ウラキの射撃を回避しようとすればする程に押し込まれ、リズィ―達が戦闘に加わった事で形勢が傾きつつある。
 隙だらけだ。そう感じた。


「いって、メリッサっ!」
 轟、と空間ごと削りとるように振るわれたドレス女の機械腕。その暴威から前衛達が逃れられるように援護射撃をするリズィーは依然鈍器として振るわれ続けているその腕部に懸念を募らせていた。
 圧倒的な劣勢にも関わらず歓喜に瞳を潤ませる女の思考が論理では紐解けず不安を感じていた。

 その時だ。

「硬くて不味そうな腕だけど」
 刹那の動きで哉目がドレス女の右側に機動。抜刀は光条を曳く。
「――いただきますってね!」
 ダガーが、意識を外していたドレス女の右腕の肘関節と思しき部位に差し込まれる。
 ぬ、と。鈍い感触を感じながら哉目は次いで引き抜いたエネルギーガンをダガーめがけ一射。
 走った光条が短剣を穿ち――。
 瞬後。
「危ないのよ、ガオガオ!!」
 唐突にあげられた声が自分の事を呼ぶ声だ、と気付いた時には。
「哉目、離れろ!」
 女の、機械の右腕が生々しい音と共に解け――哉目の視界に影を降ろしていた。

「ぁぁ‥‥ぁはは、痛い、痛い、痛いいたい‥‥!!」
 蕩けた目が、つり上げられた唇が、その先で現がこちらを向き声を張る姿が――隙間から見えた。
「ぁは、アハハハッ!」
 女の狂笑に続き――全身が軋む音。バグアの赤光。高く響いたのは、雷鳴に似ていて。
 痛みを抱くよりも先に、息苦しさに胸を鷲掴みにされ。
「哉目ぇ!」
 男の声を最後に、少女は意識を手放した。


 痛みと快楽に喘ぐ女の、その歪な腕の中で項垂れた少女を救助しようと動いた悠達を牽制するように、少女の身体が乱暴に放り投げられ、地を這った。
「まだ、ねむっちゃ」
 距離を取りながら、掲げられた銃に赤光が灯る。向けられた先は――哉目。
「だ、めぇ‥‥」
「ち‥‥っ」
 銃口を向けたウラキより僅かに先んじて‥‥秘められた暴威が、放たれた。
 撃ち抜かれたSMGは爆炎をあげる。

 次いで響いたのは――その音を切り裂く声だ。

「オォ‥‥ッ!」
 現。彼はドレス女の破壊の銃弾の前に身を投げ出していた。だが‥‥その威力を受け止めるには至らない。
 盾ごと貫かれた現は、口の端から溢れた血を拭うでもなく哉目の生存を確認し――目を閉じ、脱力に身を任せた。
 終わりが近い事は、予感していた。それを見届けられない事が、どこか――。

「うっちー!」
 ――死なせないのよ!
 流れた血に、想起するものがあり――リズィーの心が、掻き乱された。治療へと走るリズィーを見送りながら、藍が銃撃を再開する。
「機械の触手に‥‥電流、ですか?」
「‥‥面倒臭いのは性格だけにして欲しいね」
 時折響く粘稠な音に眉を歪ませながらそう評すると、気怠げに悠が続けた。
 痛みか‥‥快楽故か。触手を唸らせ始めてから明らかに動きが鈍っている。触手が銃撃を阻みこそすれ、当てる事は容易くなっていた。
 接近を図る悠達へとドレス女は嗤いながら触腕を振るい続けるが――元より、多勢に無勢。致命打は避けつつも射撃、斬撃に女のドレスのアカイロが色濃く深まって行く。それでもなお、女の狂笑は止まらない。
「‥‥」
 嘆息。掲げられた銃口に‥‥ウラキの口から告げられた言葉は、終わりの引金だった。
「――また、背中が良いか?」
「いやよぉ‥‥まだ、」
 言葉を聞かず。二連の射撃が鳴る。脳裏に刻まれた光景に、狂宴の終わりを拒む女の身体が動いた。
 銃弾はかつてと違う軌跡を描いて路地の彼方へと消える。その軌跡を、しかし女は辿る事はなかった。
 風切る音が、吸い込まれるように女の触腕、その根元へと届いた直後――爆風がドレス女を吹き飛ばした。
 アイの弾頭矢だ。放った当人は小さく拳を握り、趨勢を見守り‥‥その、先で。
「まだ、終わら、ないで‥‥まだ、まだなの‥‥」
「‥‥もう、眠っておけ」
 距離を詰めた悠が短く言って――。

 言葉が、止んだ。


「‥‥無事で、良かったぁ」
 覚醒を解いたアイの声は‥‥とても、優しくて。冷たく乾いた路地に仄かな暖かみを産んだ。
「強く触られると、流石に痛むんだが‥‥」
 横たわる現の抗議の声も控えめなものになっていた。
『――すいません、私のせいで』
「ううん、しょうがないのよ、アトにゃんが悪いわけじゃないし。‥‥こんな所で死んじゃだめ、だからにゃ〜。死ぬなら幸せの中で、なのっ」
『あ、うん‥‥?』
 治療を終えたリズィーは、緊張で滲んだ汗を拭いながら、笑みと共に片腕を差し出す。アトレイアが驚きながらも小さく指を交わし約束を結ぶと、リズィーは嬉しげに表情を浮かべた。
「‥‥アトレイア」
 その様子を、横たわりながら眺めていた現が口を開くと、女の表情に、小さく緊張の色が浮かぶ。
 告げられた言葉は‥‥
「問いの答えだが、俺はお前を死なせたくない。だから、もう一つの選択を選ぶよ。あれは、本心なんだろう? ならば‥‥全力で手助けさせて貰う」
 それは、彼なりの決意の言葉だった。その言葉。その意味を噛み砕くようにアトレイアは小さく目を閉じ――苦笑して、言った。

『‥‥そんな格好で言われても、なぁ』

 冗談めかした言葉だったが‥‥そこには確かに、赦しの色が籠められていた。