タイトル:【AC】Project.マスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 11 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/09/05 08:21

●オープニング本文



 例えば今、人類とバグアとの間に停戦協定が結ばれたとして。
 果たして地球に在る人類はそれを鵜呑みにして、平和として受容する事が出来るだろうか。

 無意味な問いかもしれない。
 根底にあるのは不信か、憎悪か。理解不能な種としての壁か。
 兎角、多くの人間が、それが恒久的な物たり得ないとするだろう。
 そうして、いつ停戦協定が反故にされても困らぬよう備える筈だ。

 ただでさえそうなのだから、バリウスが停戦を呼びかけて軍の上層部がそれを受け入れた所で、エジプトが未だ脅威として存在し続けている現状でアフリカでの物の動きは変わらない。まして、それがエジプトにほど近いテベサにおいては――停戦が結ばれた今でも、防衛のための準備が進められる事は、仕方が無い事と言えるかもしれない。

 テベサは、増援の見込みが断たれた状況で、最大10名からなる傭兵戦力と基地に在る戦力のみで敵の強襲を凌いだ。
 凌いで、しまった。

 その事はアフリカのバグア軍も知る所であるだろうし、何より人類側が、その事を無視するわけにはいかなかった。
 何故なら。
 テベサはただの基地ではない。
 ただの軍事拠点では、ない。

 そこには街があった。
 そこは、アフリカに在った人達にとって、自身の故郷を捨てた果てにようやく得た新たなる故郷であり。
 そこに居る軍人達にとっても、護るべき土地で、護るべき人々だったから。

 いくらかの戦死者を出したとはいえ、十分な防衛能力を示し、バリウス要塞に近い同基地が今後要衝としてバグアの脅威に晒される可能性が高い以上、これまで以上に、その備えを十全にこなす必要があった。


「って、いうのは解ってるんだけどさー」
「‥‥はい?」
 レイヤー・ロングウェイ少佐は司令室の窓から外を眺めながら、言った。
 副官であるメイ・コットン中尉が今後の補修案やその実行を傭兵に依頼する旨、その費用対効果に関して報告に来ていた最中の出来事で、メイは突然の呟きに対応しきれずに気の抜けた返事をしてしまう。
「それだけ、っていうのもね」
「‥‥しかし、命令では」
 メイが言っているのは、言ってしまえば『態勢を建て直す時間ができたから基地だけでなく街を護れるようにしろ』とする軍の命令の事で。
 レイヤーが言っているのは、『この際だから悪巧みしたいよね』という隠す気のない提案だった。
 そも、メイは常々、テベサにいる五千人を護るべき人達としながらも、同時に『あのままじゃ駄目だよ』というレイヤーの愚痴を聞いてきているから、思い至るのは一瞬だった。でも、予算にも限りがあるのだ。そんな我侭だけでは基地だけではなく軍組織もまわらない。
「‥‥私が、兵站やコスト、テベサ基地の懐事情について講義すれば宜しいのでしょうか?」
「座学は嫌だなぁ。君が文武共に成績優秀だった事は知ってるけど、僕だって事務畑の人間だからさ」
「ですが」
「いや、こういうのも、何だけどさ」
「‥‥はあ」
「僕はやっぱり、予算が同じならサービスに期待したい」
「――ひょっとして、セクハラですか?」
 語り口が、なにかあれば安っぽくて卑猥なジョークを飛ばす部下の男共と同じでメイはつい反駁してしまった。
「い、一般論だよ」
「‥‥はあ」
 とりあえず、メイは心の中だけで罵る事にして、続きを待った。レイヤーは咳払いの後に、言った。
「パイロット達は怪我をしていたり、基地の拡充や補修に忙しいから、どの道市街地を急いでどうにかするには、人の手を借りなくちゃいけないしさ」
「そう、ですね」
 そもそも、傭兵達に手を借りる事は軍からも承認された事だったし、彼女はそのための報告に来ていたのだ。
「――だから、さ」


「‥‥と、いうわけですので」
 照明が落とされた暗い室内には、プロジェクターが白い壁を煌煌と照らす灯りだけが在る。居並ぶ傭兵達の前で、テベサそのものとテベサにおける戦闘経過、今後の展望などを簡単にメイ中尉が説明していた。結い上げられた金髪が、僅かな照り返しの中で映える。
「傭兵の皆さんにお願いしたいのは、市街地に外周部に壁を立て、簡素な物ですが地下シェルターの拡充を行う事、です」
 住民が避難する時間と場所を、かつてより確保するための措置だった。用意された壁材とシェルター用に改修されたコンテナを所定の場所に打ち込んでいくのが大まかな作業になる。かつての戦闘で、既に利用されていない外周部の建築物とバリケードを利用した遅滞戦術が功奏したのを踏襲していく形だ。市街地での戦闘が避けられない時に対する備えでもある。
 
 そうして。
「‥‥ここから先は、余談になるのですが」
 夫々の説明を終えた後、テベサ基地に集まった傭兵達に向け、メイは極めて申し訳無さそうな表情を隠す事無く、言った。

「テベサには、産業がありません」
 と。

「人口は五千人。彼等を今賄っているのは、テベサ基地の倉庫――ピエトロ・バリウス要塞からの支援物資ばかりです」
 軍――テベサは、五千ものマンパワーを調達するかわりに、これを養ってきていた。
 彼らアフリカの民の希望を、費用対効果で勘案しながら。
 アフリカは広く、軍人の数も兵器も有限だ。事実、住民達がテベサの復興や機能の拡充に大きな寄与を果たしているという側面はある。レイヤーが住民達に便宜を図り、友好な関係を築いて来たのは、ただ情にほだされての事ではない。

 それは、本音と建前の話だった。極めて現実的で、混在している部分はあるにしても。

 その意味が、果たして傭兵達に伝わったか否か。

 メイはやや緊張した面持ちで、続けた。

「‥‥軍としては、現状のまま不確定な安全を担保に彼らのマンパワーを借りる方針です」
 ですが。
「実体があれば、状況は変わり得るかもしれません。――傭兵の皆さんの『余力』で、住民達に個人的な助力や便宜が図られたとしても、『軍』としてはそちらに関与する事はありませんし」
 できません、と。小声で付け足した。
 本音と建前。状況が凝り固まったら引っ込めざるを得なくなるのは、果たしてどちらだろうか。
「テベサに対して大掛かりな動員の末に働きかける機会は、今後長らく訪れないでしょう。その為の集中運用でもありますから。ただ」
 こほん、と小さく咳払いの末、彼女は傭兵達一人一人の目を見つめながら、言った。
「『私達』としては、その機会を逃がすのは‥‥その、勿体ないなぁ、と思ったりも‥‥する、わけで‥‥よ、予算が同じなら、さ、サービスに期待したい、なぁ、とか‥‥なんて‥‥」
 僅かに、語調にアクセントを置き、対比。
 形式から離れた話題やあまりにあざとい切り出し方が、心苦しいのだろう。彼女の語気は尻すぼみで、どこか萎縮したようで。
 だから、真面目そうな彼女は、もう辛抱ならぬ! という風に最後にこう言って、ブリーフィングを終えた。

「い、以上! よ、余談でした!」

●参加者一覧

/ UNKNOWN(ga4276) / レーゲン・シュナイダー(ga4458) / アルヴァイム(ga5051) / 緋沼 京夜(ga6138) / ガイスト(ga7104) / 番場論子(gb4628) / ヤナギ・エリューナク(gb5107) / 南桐 由(gb8174) / 鈴木悠司(gc1251) / ユウ・ターナー(gc2715) / クリスティン・ノール(gc6632

●リプレイ本文


 夏は暮れようとしていても、それでもなお、アフリカの熱気は凄まじいものがある。
 しかし、夜闇と涼風によって冷やされたテベサの早朝は存外心地よく、人によっては肌寒さを覚えるほどだ。
 節電の為に照明が落とされていた街が、陽光によって漸く輪郭を映し出し、朝焼けが滲みんだ豊かな雲が焼け爛れて見える頃には、テベサの街は慌ただしく動き始めていた。

 そこに住まう彼らにとって、今日は特別な日だった。
 ひょっとしたら、傭兵達と軍の粋な計らいに、心躍っていたのは彼らだけではないのかもしれない。
 傷ついたテベサの街そのものが、変革を喜ぶように朝日に照らされ、輝きを返していた。


 種々の打ち合わせをしていたレイヤーとガイスト(ga7104)だったが、ふと、思い出したようにレイヤーが言った。
「あー‥‥そうだ。やっぱり家畜は、すぐには無理だったよ」
「ふむ‥‥そうですか」
 細々と支配下で暮らして来たアフリカ内で畜産を盛んにしている土地はなく、入手が容易ではなかった。数を揃える為には軍に対して申請が必要になるという事を、テベサ基地司令は申し訳無さそうに説明。
「購入にかかる費用も捻出するのは可能だけど‥‥こればっかりは、可否の問題じゃないしね。や、君が羊達を寄贈してくれるんだったら、話は別なんだけど‥‥そこまでは、ね」
「や、仕方が無い事でしょう」
 元空自の救難員であるガイストに対して、軍人であるレイヤーが軍に関する悪巧みをしているその構図は、どこか奇妙なところがあったが‥‥兎角、羊達を現時点で揃える事は不可能だった。
 申し訳無さそうにしていたレイヤーは、直に人好きのする『イイ』笑みを浮かべ、続けた。
「でも、羊に関しては住民達の正式な要望があれば調達は可能だと思うよ。まぁ、無茶ぶりだと思って断ろうとした事務方が悲鳴を上げる感じで仕上げてくれたら、だけど」
「はは。‥‥それはお任せ下さい。腹案はありますよ。そのかわり、風土に耐えられる、頑強な種をお願いします」
 悪戯っぽく笑んでそう言う黒髪の司令に、ガイストもまた笑みと共に応じた。
「頼もしいね! うんうん、そっちの方は任せておいてよ。じゃ、そう言う事で、よろしくね」
 ガイストの幅広の胸に拳をあて軽く小突くと、司令はご機嫌な様子で去っていった。
 ガイストからすれば、小さい背中だが、軍服に身を包んでいる割りに、リベラルな思想の持ち主だ。
 そのおかげもあり、住民の協力が得られるなら――持ち込んだプランは、十分達成可能に思えた。
「‥‥さて」
 そろそろ、レイヤーに頼んでおいた者達が集まる筈、だ。
 どれだけの者が、どういう表情で集うのか。
 仕事ではあるが――少し楽しみに感じている事もまた、事実だった。


 農業の朝は、早い。
 だから、というわけでもないが。
 緋沼 京夜(ga6138)、ユウ・ターナー(gc2715)、クリスティン・ノール(gc6632)は空が白んだ頃には既に、住民達と共にそこに居た。
 どこから持ち込んだのか。そこには、日本人の心を突くような、清々しい光景があった。
「じゃあ、始めるか」
 京夜の声に、
「精一杯お手伝いしますですのっ!」
 ノールの声と、
「頑張ろう!」
 ユウの声が弾んだ。
 彼らは一様に、京夜曰く『正装』――ドカヘル、ランニング、ニッカボッカを身につけていた。
 そこは日本かと見紛うような、良く言えば異国情緒。
 程よく焼けた京夜の肌は、じきに玉のような汗が滲むのだろう。実に男臭いが、そこが良い。
 同じ服装なのにも関わらず、少女達の姿は肌の白さが実に映えて、健康的なだけではない、どこか見るものを浮つかせる魅力を醸していた。

 でも、そこは農耕地だった。

「クリスの正装、似合ってます? ですの♪」
「‥‥うーん」
 ノールの声に、ユウはすこしだけ、首を傾げた。
 ――ホントにこれ、正装なの?
 彼女的にはランニングはもっとパンクな方が良かった。そういうベクトルが一切無いのは、どこか落ち着かないけど、正装なら仕方ない――のだろうか。
 怪訝そうな表情を浮かべながらも、彼女は颯爽とディアブロへと乗り込んでいった。
 京夜とノールも、KVでは退かすのに不向きなものを撤去する為に動きだした。住民達もまた、それに合流する。
 目を奪われていた一部の男達が女達に叩かれ、罵られながら後に続いた音は、京夜達には聞こえなかった。


 そこには、沢山の人がいた。
 四桁にも届こうか、という程の、人の波。その喝采や踏み鳴らす音が、それらを呑み込んでいた。


 それがどこか、京夜には頼もしく、ユウやノールにとっては楽しくて――自然、笑みが浮かんでいた。


「‥‥で、俺が呼ばれたわけ、か」
「そーゆコトっ」
 そこには、ヤナギ・エリューナク(gb5107)と鈴木悠司(gc1251)に加え、頭部に包帯を巻いた、そこはかとなく痛々しい姿の軍人の姿がある。

 男達は今、かつてのリン酸塩の発掘場付近へと訪れていた。古い採掘場だったが、かつては整備されていたであろうそこは今や影も形もなく、ただ荒廃だけがそこにはあった。ヤナギ達が連れてきた元関係者達はみな一様に息を呑み、言葉を無くし、彼等だけじゃなく、例えばガス採掘等に関わっていた男達もそこにいたが、畑の違う彼等も嘆息せざるを得ないような有様だった。
 それが、支配と、年月の代償。

 とりあえず指定された発破と資材を持って来た軍人もまた、途方にくれていたが――。
「これ、いるか?」
「‥‥いらねーかもな」
「いらなそーですねー‥‥」
 リン鉱石の採掘は、山を掘り進める類の物ではない、という事は、跡地の光景からもわかった。
 鉱床、というらしい。
 どちらかというと吹き飛ばしたいのは陰気な空気の方だったが、無駄に発破を散らして現場を荒らすのも、なんていうか、良く無い。
 気まずい沈黙は、しかし。
「わりィな!」
 ヤナギの笑みと、
「ごめんなさい!」
 悠司のお辞儀で、無かった事になった。
「別に、いいけどよ‥‥」
 基地でも、ろくな仕事にありつけていなかった軍人は、とぼとぼと帰路についた。
 小さくなる背中を追いながら、ヤナギと悠司はしばし頭を突き合わせて作戦会議を始める。
 といっても、やる事はさして変わらない。軍人が無駄足になったくらいで、彼等がやる事は決まっていたから。
「それじゃまぁ、始めましょうかっ!」
 悠司の快活な声が辺りに響いた。自失していた住民達はそれに引きずられるようにそれに応じていたが――直に、熱気に包まれた。
 彼等の陰気を吹き飛ばしたのは、他でもない。
 悠司の明るさと――ヤナギの操るディアブロだった。


 早朝から、UNKNOWN(ga4276) はテベサ周辺を巡っていた。
 とはいえ、その目的も違うし、別行動ではあったのだが。

「‥‥さて、と。史跡をみせてもらうとする、か」
 黒衣の男は土を踏み、水や大気の匂いを感じながら、その土地を五感で把握していった。
 気候や土壌には、どこか類似形を覚える。旅の残り香、だろうか。
 男の散策は、ローマ時代から受け継がれる史跡達にまで進められる。
 歩きながら、治水や各種工事に必要な要所を抑え、簡素な注意点を脳裏に挙げては、刻んでいく。
 その土地は広い。
 だが、男は悠然と歩を進めていた。
 やるべき事は明確で――急ぐ必要も、無い。
 男の遊歩は、昼半ばまで行われた。着実に、その土地を感じながら。


 住民達は、目の前で簡単に公衆衛生に関する講義をする黒子姿の男を見つめて、忍び笑いを零していた。

 昨日、街部での作業の間、アルヴァイム(ga5051)と彼らは多くの言葉を交わしていた。大多数の人間と言葉を交わそうとしていた彼は、今や、時の人だ。
 戦場、あるいは復興の為の地を転々としてきた彼は話題の引き出しが多く、彼自身の細心の注意もあって歓談はその都度大いに賑わった。その活躍ぶりを描くには残念ながら字数が足りないうえ、本人も望まぬ所かもしれないので、割愛するが。

 忍び笑いの理由は――その服装に関しては昨日多いに盛り上がった所でもあったが――彼が持参した物品にあった。
 傭兵達の中で彼だけが、『マイ蚊帳』を持参していたのだ。
 彼が普及に努めようとしたそれは、既に軍主導の元で広められていたものだったが――その事からも、公衆衛生への意識の強さが伺えて、その徹底ぶりが住民達に取っては好ましく受け取られた。
 恐らく住民達との交流の中で引出したであろう問題点や今後の改善計画を、集められた住民達は積極的な姿勢で聞いている。それらは全て、彼等の悩みや疑念に根ざしたものだったから、だ。
 アルヴァイムが聴取した情報は、産業面等の領域でもフィードバックされているが、公衆衛生面での寄与は特記すべきものがあった。
「今後、家畜や水源が整備されるに辺り、注意すべきは伝染病です」
 彼の言葉は平易で、挙げる注意点も簡潔かつ的を射ている。
 予備知識の無い住民達にも、染み込むようにして広がっていくのを手応えとして感じながら、彼は銃でも、機体でもなく、言葉を振っていた。
 ――押しつけでやる援助は、根を張らないでしょうしね。
 ここには、これだけの人がいる。彼らの多くは前向きだ。

 それは、彼の事前準備が身を結んだ形だったが――。
(しかし、何故彼等は笑っているのでしょうね)
 それだけが、想定外の事だった。


「テベサも‥‥大分平和になって、よかった」
 少女の声が、スピリットゴーストのコクピットに響いた。
 南桐 由(gb8174)だ。
 彼女は、この土地とは縁がある。市街地での激しい戦闘は一度きりだったが、それに参加していた少女にとって、殆どかつて見たままの姿が、そこにあった。
 暮らしぶりを抑えるため、荒廃したままの建物が残る街。
 それでも――こうして復興にこぎ着ける事が出来たのが、嬉しくて。
 愛機をこうして、復興の為に使う事が出来る事もまた、嬉しかった。

 住民達と共同して瓦礫を撤去しながら、発展途上国でも可能な範囲で下水道整備、その骨子を馬力で築いていく。
 テベサには金銭的余裕はなく、管理には労苦を伴うだろうから、その造りはシンプルなものが良いというアルヴァイムやレイヤーの提案の元で計画が練られ、彼女はその実施に当たっていた。
 他方、番場論子(gb4628)もまた、都市部のインフラ整備に当たっている。
 SESの補助を無くし、機鎚で土地をならしていく。
 ならしながら、視線を巡らせ、その土地のこれまでを想う。
 世界を騒がせたユダ増殖体。
 窮地を乗り越えても、住民達の未来は、未だ拓かれる事がないままだという。
 仕方が無い事だ、と。元軍人でもある彼女は思ったかもしれない。
 種々の不具合は見えている。それを打破するための小細工。そのために彼女は此処にいる。
「苦難を乗り越えてこそですが、ここの住人に何とか期待して貰えるように、ですね」
 彼女にとってのやり甲斐は、そこにあるのだから。

 番場は、動機も、行動も、実に清廉なものだ。
 だから、彼女には想像もつかなかった事かもしれない。
 彼女が今ならしている道路と機鎚の間に掛け算が生じている事や、瓦礫と何かとの前後で妄想‥‥むしろ空想を繰り広げている少女が至近にいて、時折腐った笑みを浮かべている事など。

 きっと、知らなくて良い事だ。


「あの、少し伺いたいんですけど」
 昼食時、作業の休憩中にレーゲン・シュナイダー(ga4458)はテベサの住民達に話しかけていた。住民達は、レイヤーの意向か百人単位で一つのグループを構成していたから、今、彼女の周囲には、それなりの数の人間がいる。四十を越える視線が自分に集まった事を確認すると、彼女は小さく問うた。

 不安な事は、なんですか。

「不安なこと‥‥?」
「はいっ、その‥‥この街で暮らして行く事とかで」
「‥‥んー。難しいな」
「そうだなぁ」
 しばし、沈黙がおちた。それぞれに、見えない何かを見つめているような、優しい、沈黙。
「‥‥元々俺達は欧州まで避難していたり、バグアのお目こぼしで細々と暮らしてたようなモンだからよ」
 ――生きる事が難しいとか辛ぇとか、知っているんだよなぁ。
 木陰でパンを食み、どこか茫とした青年がぽつ、と零した。

 レグは、その問いに考え込む者達が皆、若者である事に気付いた。老人も、小さな子供も、非常に少ない。
 まだ、それに耐え得る土地ではないのかな、と。漠然と思った。
 それでも、彼等の表情は、抑圧された暗さは無い。不安の表出は、軍との交流の中で出来ているのかもしれないし――かつて叱咤されて立ち上がる事を覚え、彼等は彼等なりのやり方で、難局を乗り越えたのを思えば、飲み込みやすい事でもあった。

 色んな人に聞いて回ったから、肯定的、否定的問わず、意見は集まった。
 どれも、生活の悩みとか小さなもので――ただ生きるだけの苦労を知っている彼らは、贅沢に対してどこか抵抗を感じているように、レグは感じた。
 ――罪悪感、かな。
 彼等はよく働き、すごく我慢して、奉仕している。
 その根底にあるものが、すこし透けて見えた気がして――少し、悲しく感じた。


 日が照りだすと、灼熱の陽光が降り注いだ。
 小麦を作るための土地を、と言う京夜の提案の元、住民達も、傭兵達も良く働いた。
 元より、平地を選んでの作業だ。ユウのディアブロが馬力と巨体を活かして攫った土地から、人の列が連なり、順繰りにまっさらな土地にならしていく。
「えいっ」
 時折響く銃声は、少女が巨石を砕くためのもの。そこには戦場の匂いは無くて、どこか景気のよい残響が響いていた。

「クリスは小さいですけれども、一応傭兵ですの! これくらいは頑張って運べますですのっ」
 そう言って、巨木だったり瓦礫だったり、大人が数人掛かりで運ぶようなものを、埃にまみれながら一人で運ぶ少女の姿に、大人達の多くは唖然とした。
 陽気な若者達がそれに続いて発奮しながら荷もち駆け出すと、追い立てられるように少女が鈴の音のような悲鳴をあげる。そのさまを、どこか救われるような思いで京夜は見つめていた。
 復興の気配も、妹のような少女達の姿も、彼の心中を優しく縁取っている。
 彼は今、膝をつき、土地の性状を確認していた。
 植物には、種ごとに適性pHというものがある。多くの作物は弱酸性土壌で育つ、と言われており、酸塩基平衡は窒素やカルシウム、リン酸といった植物に必要な栄養の移行を助けるために、重要とされている。
「‥‥よし」
 幸い、下限ではあったが適性の範囲ではあった。土地柄、産生に傾く事が心配ではあったが‥‥今の所、小細工程度の補正しかできない所だったが、何とかなりそうだ。

「薙ぎ払えーーーーっ!」
 更地に、ユウの楽しげな声が響いた。
 もうもうと燻る煙を曳きながら、火炎が這い、少女は踊るように焼き畑へと変えて行く。
 役目を終えたKVは、じっと更地の片隅で眠るように静止している。それに見守られながら、火がおさまった所から順時住民達が耕していく。人手の多さに続々と更地は耕地へと変わっていく。
「ユウねーさま、いそいでーっ! ファイヤーっ!」
 見守るノールの声が、赤みを帯びてきた空に、遠くまで響いていった。

 他方、土地の性状を見て、井戸をKVで掘りあてたあと、土工の知識がある住民に任せて再度畑に戻って来た京夜は、農耕経験者に今後の農業計画や、軍への打診の仕方等、各種の打ち合わせを詰めていた。
 小麦を育てるための土壌は、一応は確保できた。小麦の種子は、まだ入手は出来なかったが――いずれは、それらが実を結ぶ筈だ。
 今後、農作業が進むにつれ、種々の問題が生じるだろう。
 その管理は経験を要する所だったが、今後は知識ある者に任せれば良い。
「まぁ、こんなものか」
 全ての段取りを終えた男は、そう呟いた。
 そう言って、隻眼に映るのは、陽光を背に、沢山の人々や佇むディアブロの影と、広大な大地がある。

 後光は、人の影を縫って、深々と大地を縁取っているように見え、京夜は目を細めた。


 ガイストの元に集まった者たちも、実によく働いた。
 かつては羊の畜産をしていた土地だ。牧草地として使える土地を経験者から聴取しながら候補地を定めていく。
 羊が用意できなかったために、当座の飼料に悩まされないのは不幸中の幸い、とも言えた。
 必要な分は、あの司令がなんとかしてかき集めるだろう。
「‥‥補給担当も、大変だな」
 僅かな、それでいて太い苦笑と共に、そう言った。

 必要なのは、言わば入れ物だった。
 家畜のための畜舎。外敵にそなえる為の物見櫓。資材や飼料を管理するための倉庫。
 そういった、新しいものを築き上げる際に重要なのは、要不要を見定める事と、明確なビジョンだ。
 ガイストはそこを、経験者達の知識と提言を元に組み立てていく。
「いきなり大規模に動かすのは無理だ。拡張しやすいのが良いな」
「拡張つってもなぁ‥‥」
「水回りや飼料はどう運ぶか、もだなぁ‥‥車はともかく、燃料もいるだろ?」
「そこまで世話になるのも、な」
「堆肥の準備もいるよね?」
「あー‥‥そうだな」
 かつての少年達や、かつての青年達が意見を連ねた。
 それらを元に、他の傭兵達の活動の中ででてきた資材を利用し、形にしていく事になる。

 一日限りの仕事だ。柵などの簡素なものは兎も角、飼料を管理する倉庫などは大掛かりなものは人手があっても、中々完成には至らない。住民達にとっても、補修などは兎も角、一からの施工は慣れない建築仕事でもある。
 だが、着実に進みつつあった。KVによって大掛かりに整地された土地に、最初は歪だった大工仕事には徐々に工夫と検討が重ねられていく。
 広大な土地に、少しずつ、彩りが添えられる。
 陽は傾きつつあったが、ガイストにしても、住民達にしても焦りはない。今すぐ為さねばならぬ仕事ではないし‥‥何より、楽しかった。未来が、目の前で、自分達の手で築かれていく、その感触が。

(‥‥ふむ)
 彼等の表情は明るく、自身が依頼したリーダーも、サブリーダーも、よく機能していくように思う。
 あとは今後、彼等がどうこの入れ物を運用するかだ。長い道行きになるだろうが――それでも。
 彼等なら、やれるだろう。ガイストには、そういう感触があった。 


 鉱床での作業は、極めて単調なものだった。
 鉱床での作業は、ある程度掘り下げたら少しずつ広げていき、鉱石を集め、運ぶ事に尽きる。
 その為に必要なものは、確たる道と、効率的な動線が確保出来る造り、だ。
 むやみにKVの馬力で押し広げる事も出来ないので、鉱床内の整頓は住民達に任せ、ヤナギは周辺の樹々の伐採していた。
 そうやって切り出された資材は後々別な形で利用する事になるのだが、悠司はそのための準備をするために、鉱床内に入り、住民達と地均しに努めていた。
 聞く所によると、かつては車両による運搬をしていたらしく、目当てのものは見当たない、が。
「それじゃ、作りましょうかっ!」
 悠司は明るくそう言うと、ヤナギが切り出した、簡単に加工された木材を持って来ていた炎刀ゼフォンで裂いていく。住人達のうち幾らかもその作業に加わり、人手を活かしての作業となった。
 サイズの見本用に幾つかの木を用意し、それをもとに加速度的に作業は進んでいく。
 斬る。
 切る。
 伐る。
 単調な作業だが、積みあがっていく木材はそれだけで心が弾む。
「へへ、楽しいですねー」
 にこにこと、悠司が言うと、手伝いに来ていた奥様達も微笑んだ。
 その光景があまりに幸せそうだったので、つい。
「‥‥あー。その」
「あ、はいっ! どうしました?」
「これ、持っていってもいいか?」
「えっ!? ‥‥あ、はい! どうぞ!」
 一瞬、何かに驚いた悠司だったが、次の瞬間には笑顔で運ばれていく資材を見送った。
 これらは、先々、採掘された鉱石を運ぶための線路にするための資材だった。
 木製の、簡単な造りだから、丁寧に作り込むことが肝要。運ばれ、減って行く資材に急かされるように、でも慎重に削り込んでいく。
 ――ヤナギさんが何か小細工してるみたいだから、あっちは任せるけど‥‥。
 奇妙な、期待というか――そういう予感があった。

   ○

「カッコ良くねぇ?」
 にか、とも、どや、とも取れる笑みで、ヤナギは『それ』を披露した。
「いや、いやいやいや!」
 悠司は『それ』を前に、腹を抱えて爆笑していた。
「らしすぎて笑えるっ」
「だろ?」
 彼の傍らには、それなりに重厚で、ほぼ木製ながらも鉱石を運ぶには困らなそうな、しっかりしたトロッコがあった。
 普通のトロッコだ。
 ‥‥ペイント以外は。

 住民達が唖然としている横で、パンクな服装に身を包んだ男は、平然とそのトロッコを自慢げに叩いていた。

 黒く塗装された木目は、微妙な凹凸で『らしい』雰囲気を醸し、その側面では紅蓮の炎が踊っていた。陽光で照らされたそれは、奇妙に映えている。
 その正面には、オドロオドロしい髑髏が、笑っていた。
 なんてパンクなトロッコ。
「なんていうか‥‥トロッコ・エリューナクって感じ」
「なンだそりゃ」
 傭兵二人は、傾きつつあった陽の光を浴びながら、快活に笑い声を挙げていた。


「なぁ‥‥」
「‥‥いや、まあ、そっとこしとこうぜ」

 実際、助けてもらっているのは事実だったから、諸々を呑み込んで。
 住民達はそれが老朽化して壊れるまで、末永く使う事になる。
 余談だが、頑丈に組まれたトロッコは、なかなか壊れなかったそうだ。


 テベサは、正確には地中海気候からはやや離れている。彼の地で葡萄などの地中海性の農業が特に盛んになったのは、ローマ時代の事だ。砂漠化が進んだ現在では、十全に農業に適しているとは必ずしも言い難い。そういう点では、京夜たちのプランも、やや実用からは離れていた。ただ、可能な土地を最大限活かす事が出来た形だ。

 UNKNOWNは、京夜たちとは別に、足でその土地を探し、そうして見つけたのが、この場所だった。
「‥‥良い土地だ」
 土を食みながら、言う。
 残念ながら、現代的な醸造施設の類いは見当たらず、ただ農耕地のみ、となったが‥‥。
 乾燥に強い葡萄は、土壌さえ確保できたら、良く育つ。

 一度街に戻り、リッジウェイをその土地に運ぶ際に、興味を示した住民達もついて来ている。
 彼等に葡萄栽培のイロハや、注意点などを伝えながら、リッジウェイで土地をならし、耕していく。
 出来ればワイン用の葡萄を育てたい、と男は思っているが、それには時間がいる事もまた、知っているのだろう。
 歴史が、味を作る、と彼は言う。
 幼い苗木は、絶対的な栄養が不足する為に甘みを含んだ実を結ぶには適していない。
 根を深くはり、しっかりとした木となってから初めて、味のある果実となり得る。
 そうなるまで、どれほどの時がかかるだろうか。
 そうなった頃には、どんな実が成るだろうか。
 そういった歴史の果てに、男は思いを馳せている。

「私も出来れば、最後までやりたいが――ね」
 時代がそれを許してくれそうにない、と。苦笑混じりに言う男は、だからこそ、というべきか良く動いた。
 住民達が、後をより容易く引き継いでいけるように、と。


 人の多くが出払ったテベサは、昨日の喧噪が嘘のように、静かだった。
 それがこの地で亡くなった者が集められ、弔われた墓地では一層深まったように感じられる。
 レグはいま、そこに居た。
 そこは、人生の終点だった。
 小さな墓碑に、名前と、生年と、享年、神に捧げられた祈りの言葉だけが、刻まれている。
 そこに、彼等の歴史は刻まれてはいない。
 ただ、遺された者にとっての、記憶の拠り所なだけ。

 彼女がそこにあえて来たのは――感傷かもしれない。不安、かもしれない。
 大事な人が、軍人で。
 だから‥‥無視する事は出来なかった。
 潰れてしまいそうなくらいに、不安になるけど、それでも。

 彼等にも、家族はいたはずで。
 自分のように、恋人もいたはずで。
 そういう、連なった人々の想いが集う場所が、ここなのだと感じる。
「‥‥頑張ります」
 一人の傭兵として。彼女はそう告げた。
 不安に苦しむ人達も、悲しみを呑み込むしかなかった人達も――そのこころが、休まるように。
 戦争が、少しでも早く終わるように。
 そう、この地に眠る人達に、結んだ。


 インフラ整備に一応の区切りがついた番場は、早朝のUNKNOWNと同様に、史跡の調査へと向かっていた。
 彼とは対象的に、番場の足は早い。
 バイク形態を取ったAUKVの高鳴りが、大気を裂いてあたりに響いていた。
 彼女は、予め調達しておいた地図と、そこに記された史跡の観光資源としての評価を下すために走り回っていた。
 種々の評価項目を定めては、その一つ一つを確認し、メモにまとめていく。
 彼女が往くその道は、不整だった。
 形あるものにとって道とは、古来より生物がならし、作っていくものだった。
 長い年月が、雨風と土でかつての道を歪なものにしている。
「‥‥ここは、改善点ですね」
 その事を感じながら、揺れる車両を姿勢で抑えつつ、番場は呟いた。
 テベサにある史跡は、多い。都市からの交通は自然、網のような構造が要求されるだろうが‥‥それにはしばし、時間がいるだろうと、彼女は感じた。

 辿り着いた史跡は、しかし、どれも壮美さを感じさせるものだった。
 石造りの、無骨な構造群は、作られた歴史を思えば、自然と感嘆を呼ぶに相応しい威容を備えている。
 風土で爛れている所はあるが、それを妙と捉えるも良し、手を加え、かつての在り方に近づけるも良し。
 ――それは、この土地の住民達がその時が来たら考えれば良い事ですね。
 立地と時勢故に、すぐに観光資源として活かすのは、望み薄だろう。
 それでもいつか、人類に過去を振り返る余裕が出来たら。
 その時、貴重な財産になる筈だ、と。
 彼女はそうして、夜半まで各史跡を巡り、その一つ一つを記録していった。

 それは後に、レポートとしてまとめられ、テベサに在る軍へと提出され、保存資料として残される事になる。


 夜が、更けて行く。
 見送るための酒宴は、大いに賑わっていた。
 中でも、アルヴァイムの話術は老若男女問わず広く受け入れられていたが、その活躍ぶりは、諸般の事情で割愛させていただく。距離感も、会話のために必要な物事も、黒子と自らを呼ぶ彼はよく解っていた。
 彼等の談笑の背景には、音楽があった。
 京夜は、静かにドラムキットに座り、ベースを持つヤナギと二人でリズム隊として。
 刻まれ、反響する低音とリズムに、豊かな、エレキギターの倍音が重なる。
 奏でるのは悠司。伸びやかな声が、それらの上で弾む。そこに、リズムに沿い、時に悠司の旋律に沿いながら、ユウのハーモニカが鳴った。音だけじゃなく、抑揚が感情を、音楽に添えて行く。
 住民達はそこにある物をつかって、思い思いに音を重ねていく。ある者は声を、ある者は手拍子を。ある物は家からわざわざ打楽器を持ち出して、音は厚みを帯びていく。レグやノールも、親しい人達の演奏に楽しげに手を合わせていた。
 それは、そこにしかない、その日限りの合奏だった。
 音楽には類型はある。だが、国境はないのだと感じる。そんな彩りにみちた、演奏だった。

 その合奏を他所に、会場からやや離れた所に、由はいる。喧噪が嫌いだったわけではなくて、ただ、あの時と同じ時間に、外を眺めてみたかった。
「ゴリッパ・サマーも、頑張ってくれたね」
 名付け親である由は、遠くで今もテベサを護る、砲塔を見つめながら、そう言った。
「そう、ですね。防衛装置としては癖が強いし融通は効きにくいですが‥‥うん、頑張ってくれました」
 答えたのは、宴会にレイヤーの『命令』で出頭したメイだった。サービスしろ、という事らしいが、喧噪を抜け出して、外にでた所で、由と出会った。
「でも、兵器だから――いつかは、壊されちゃうかもしれない」
 寂しいな、という由の言葉に、
「‥‥ええ。平和になれば、いつかは」
 仕方ないですよね、と、メイは遠くを見つめながら、言う。
 そのときが来ればいいけど、無骨な砲の存在は、メイにとっても小さくは無い。それに――使われない事に意味がある兵器でもあるのだ。静かに朽ちていくのを待つ。それは、そういう兵器だった。
「それでも由は‥‥ここにこれがあった事は、忘れないよ。‥‥だから、それまで、ずっとテベサの人達を守ってあげてね」
 結びの言葉は、遠く、巨大な砲へと向けられた。
 それは、彼の地を護るメイにとっても、沁みるものがある。
 アフリカの情勢は、危うい均衡の上に成り立っていた。軍は、住民達をそこに晒しているのだから。
「‥‥はい」
 だからメイは、生真面目にそう応じたのだ。
 でも。

「‥‥メイ中尉は‥‥ちょっと頑張り過ぎじゃないかな?」
「え?」
 由には、責任を全て呑み込み、背負って立つメイが痛ましく感じられていたから、メイの生真面目さが、少し引っ掛ったのだ。
 それに――今日はその為に、プレゼントを持って来ていた。
「頑張り過ぎじゃ、いつか疲れちゃうよ‥‥これ、もし良かったら‥‥息抜きに使って欲しいな」
「え。えっ?」
 差し出されたのは――『アネモネ』とタイトルの、薄い本。
「日本じゃ、こういうのもちゃんと市民権を‥‥得ているからね。中尉には、世話になったお礼」
「‥‥お礼、ですか?」
「うん」
「‥‥あ、ありがとうございます。本は、嫌いじゃないです。あとで、読ませてもらいますね」
「うん‥‥楽しんで」


 別れの時はしかし、ただ哀しいだけのものじゃなくて――笑顔に彩られていた。
 そこには、傭兵達が残した小さな種があったから。

 再生への萌芽は、これからも育まれていくのだろう。
 戦争が、どのような形で終わるかは解らない。先行きはどこまでも不透明だ。

 でも。
 傭兵達は彼等に示したのだった。テベサの、未来の姿を。

「いつか、また見に来てくれよ、この街を」
 見送る一人が、そう言った。
「あんた達が描いたもんより、ずっとデカイ街にするからよ」
 別の一人が言う。
 彼らに見送られ、その言葉を聞きながら。
「――良い土地だ」
 去り際、黒衣の男は再度、そう言った。

 まるで――見送られる者達の想いを代弁するように、深く。


「中尉、どうしたの。その顔」
「‥‥え? い、いや、バラ園のせいで、ねつけな‥‥」
 何故か疲れ切った表情で現れたメイを、レイヤーは怪訝そうな顔で迎えたのだが、メイは何かを言いかけて、慌ただしく首を振った。
「や、えと、なんでもないです、よ?」
「ふぅん?」
 それが、由の持ち込んだバラバラしく腐った薄い本のせいだという事を彼は知らないが、とりあえず気にしない事にした。その内容は、メイにとっては余りに衝撃的で、かといって捨てる訳にもいかず、彼女はその薄い本を、私室の鍵付き書棚、その奥深くに隠しはしたのだが。
 一概にセクハラとも言い切れず、やり場の無い感情を、メイは持て余していた。
 ――あれが、日本で、市民権?
「あの、司令」
「なんだい?」
「アネモネの花言葉って、知ってます?」
「あー‥‥なんだったかな。愛とか、恋とか、そういうのだよね。純愛みたいな」
「‥‥そうですか」
 ――日本、こわいな。
 結局の所、彼女がまだみぬ極東の地に想いを馳せる事になったのを含めて、全て余談なのだが。
「あ。そうだ。傭兵の皆がまとめてくれたレポートがあるんだよね?」
「‥‥は、はい、こちらです」
 テベサ基地は平素通りに回っていく。
 今後は、余力のある住民達が傭兵達が残していった種を、少しずつ芽吹かせていく事になるのだろう。
 どれだけの時間がかかるかは解らない。
 それでも、確かにこの日、テベサとそこに在る住民達は、それまでと違う道を歩み出したのであった。

(了)