タイトル:境界は、青く清らかでマスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 7 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/08/17 10:13

●オープニング本文



「ふーむ」
 ラムズデン・ブレナーは、深く息を吐いた。
 自宅の庭先におかれた、個人用にしては大きな天体望遠鏡。
 彼はそこから見える景色に違和感を覚えていた。確証は無い。
 だが、その違和感が随所に募るとなれば、話は別だった。

 彼は、学者だった。それも、此のご時勢には珍しい宇宙の専門家だ。
 だが、やはり時勢故か、バグアの来襲以来、宇宙に関する研究に光が当たる事は殆どなかった。
 何故か。
 それほどまでに、人類は地球上での戦いに手一杯で、資金、人員、資源、その多くがそこに集中していたからだ。
 宇宙開発に携わっていた多くの学者は、自身の専攻を変え、人類のため、戦争の為に、他分野の研究にシフトしていった。

 しかし、その中でも図抜けた研究者だったブレナー博士は、未だ宇宙の研究を独自に続けている。
 かつてはスチムソンに師事し、ブレスト博士の兄弟子にすら当たる彼は、宇宙をあきらめきれなかった。
 深く、取り憑かれていたのかもしれない。恋焦がれていたのかもしれない。

 だから。彼が『それ』を見つけたのは、当然の帰結だったとも言える。
 夜天の向こう。
 宙空に見える、それと気付かない程の微細な『揺らぎ』を。

 その意味するところまでは彼には解らなかったが――。

「備えあればなんとやら、じゃのぅ」
 望遠鏡ではなく、その両の目で空を見据え、肥えた腹を叩きながら、言う。
 その表情は喜色に満ちていた。

 新たな発見だ。
 重大な兆候かもしれない。
 それを、見つけた。

 それだけでも、彼にとっては幸せな事なのに。

「ほほ。ロスに連絡しなくてはの」

 解放されて久しい、ロサンゼルス。その近くの山中に、彼は私財を投げ売ってあるものを建造していた。
 当然のように足りなかった予算は、知人達が奔走して集めてくれた。
 どうにも彼はその辺りが苦手で無軌道な計画ではあったのだが、周りが上手い事気にかけ、手をまわしてくれたおかげで、何とかそれを為す事が出来たが、その際に蓄えは尽き、今は私塾めいたものをしながら、日々の研究を進めている。

『ラムズデン天文台(仮)』
 出来たてだから、名前は未定だ。
 名前も周りが勝手に付けてくれたもので、ブレナー自身はどうにも違和感を覚えていたが、代案も無いのでそのままに放置している。
 兎角。彼処の機材を使えば、より精緻な計測が可能だったから、確証を得るのにも、それを有効利用するのにも絶好の機会だった。
 彼は意気揚々と自室へと戻り、天文台へと電話をかけた。

 ――。

「む?」

 かけた。

 ――。

「むお」

 かけた。

 ――。

「ぬぅ」
 受話器を置く。
「繋がらんとは‥‥何故じゃ」
 ブレナーは豊かな顎をさすりながら、唸った。
 戦時下で、有線電話は不安定になる事が多いにしても‥‥それでも。
 彼が再度受話器をとり、ダイヤルを回そうとした、その時だ。

 リン、と。黒電話が鳴った。
「もしもし、ブレナーじゃ。大変申し訳ないのじゃが、おかけになった電話はこれからダイヤルを回すために切らねばならん」
『は、博士! たた、大変です!』
「む?」
 電話の主は、ブレナーにとっては聞き慣れた、彼の助手の声だった。気骨ある若者だが、ブレナーの世話を焼く事も多い苦労人でもある。
『て、て、天文台が――』
「まあ、待て、待て」
 平素に増して余裕の無い助手の様子に笑みを深めながらも、ブレナーはとりあえず、助手を落ち着かせる為に冗句の一つでも飛ばす事にした。
『は、はい!』
「天モンダイが大モンダイなのじゃな!」
 ブレナー、会心の駄洒落。
『‥‥はい! その通りです、博士!』
 だが、それと知ってか知らずか、助手はさして落ち着く事も無く、荒い語調で続けた。

 ――天文台が、キメラに占拠されました!

「‥‥なんじゃと!」


 事のあらましは、単純な事だった。
 助手と、警備の人間がその広い敷地内でバーベキューをしていた所に、それは現れた。
 大量の、ネズミ型キメラ。
 地を覆う灰色の波は、鈍い大合奏を伴って迫ってきた。
 音に気付いて彼等がそこを離れたと同時、ネズミ達は食料へと群がり、あぶれたいくらかのキメラが彼等へと追った。
 何とか彼等は車両へと乗り込み、そこから逃れる事に成功したが、遠景に灯る赤い、赤いキメラの目に畏れを抱きながら、山を下るしかなく‥‥キメラ達が天文台の倉庫に侵入していったのを最後に捉え、そのまま、天文台を後にした。

 傭兵達を乗せた車両が、鈍い音を上げながら山道を登っていく。ロサンゼルスにほど近いこの山道は、陽射しの熱こそあれ、湿気が無いために心地よい。木陰を行けば、遮られた日の下は涼しく、緩やかな風の運びが暖められた肌をゆっくりと冷ます。

「倉庫には、食料の蓄えがあるんじゃが‥‥それは良い。じゃが、それが無くなった後で天文台の施設が損なわれていたら事じゃ」
 移動中の車両の中で、肥えた身体にジャンプスーツを纏ったブレナー博士が、そう言った。
 どうしても天文台の様子が気になったのか、傭兵と同行すると言って聞かなかったのだ。
「重要な機材や配線は、そうそう見つからん場所にあるが‥‥万が一の事もある」
 そこまで言って、彼はかぶりを振った。
「気弱になっても仕方ないの。まあ、勝手を言ってすまんが、なるべく施設には傷がつかぬようにしとくれないか。すぐ使わなくてはならんくての。‥‥どうか、頼む」
 そう言ってブレナーは、傭兵達に対して頭を下げた。

●参加者一覧

エマ・フリーデン(ga3078
23歳・♀・ER
時枝・悠(ga8810
19歳・♀・AA
月島 瑞希(gb1411
18歳・♀・SN
ドニー・レイド(gb4089
22歳・♂・JG
サンディ(gb4343
18歳・♀・AA
ハンニバル・フィーベル(gb7683
59歳・♂・ER
杜若 トガ(gc4987
21歳・♂・HD

●リプレイ本文


 蒼い、蒼い空だ。陽射しは痛い程だが、不快には感じない。乾いた大気がそこにいる者達を優しく抱きとめている。
 やや沿岸部から離れた山間部であっても、それはロス市内と変わらないようで。

 ――久しぶりのLA。
 良い思い出だけではなかった。それでも、望郷の念は不意に訪れる。
 車中、朧 幸乃(ga3078)が呟いた。小さな身体を運転席に収め、外の様子を眺めながら。
 今は谷間にある天文所からではその景色は見えないが――良い眺めだった。
 彼女も知らないLAが、道中にあった。

(‥‥今は依頼を、ですね)
 敵の姿が見えず、気候が緩やかだったからつい、思い耽ってしまった。
 視線を後部座席に巡らせれば、ブレナーの姿がある。茶目っ気に富んだ人物だが、今は窓を開き、戦場に向かう彼等の背を真摯な瞳で見送っていた。


 その視線の先。時枝・悠(ga8810)は空を眺めていた。
 前に空を眺めたのはいつだったか。仕事で空は飛ぶ。そうじゃなくて、昔みたいに、ただ。
 ――なんて。
 嘆息で、感傷を吹き飛ばす。
 見れば、倉庫の扉は地面に接した所で喰い破られていた。チョコが手元で空しく揺れる。戸の向こうからは何の反応もない。そっぽを向かれたようだが、仕方ない。何となく床に撒いておく。

 戸に近い所では月島 瑞希(gb1411)と杜若 トガ(gc4987)が待機していた。
「――ククッ、空を夢見るねぇ。元気な爺さんだ」
 心配そうなブレナーの視線に気付いたトガが、AUKVの中で口角を捩じ上げ、嗤う。
「そうかな。昔は‥‥人類の夢、だったんだよな」
 宇宙に侵略者が居なかった頃の話だろうから、実感は湧かないけど。
 手にした閃光手榴弾のピンを抜きながら、月島が言う。
「僕は、手助けしたいかな」
「そうかい? ‥‥まっ、嫌いじゃねェが」
 ――所詮、野良犬。空には興味はないんだがねぇ。
 戸の向こうには予感だけがある。僅かに溢れるのは濃密な生物の気配。日常であれば遠慮被りたい予感は。しかし、野犬にとっては都合が良い。
 じゃ、いくぜ。
 声を残して戸が開かれる。同時、AUKVのライトが内部を照らすと。

 そこは、くすんだ灰色と赤い瞳で満ちていた。耳に届くのは敵への大合奏だ。
 だが、瞬後には光が満ち、音が破裂した。
「これは可愛くない!」
「クク、臆病風かぃ?」
 苛立たしげな月島に愉しげなトガが応じる。トガと月島は後退を開始。追って灰色の波が溢れ、雪崩れた。
 後退は、時枝の向こうまで。何故なら。

「離れろ!」
 時枝が、灰色の波に呑まれる。瞬間。


「む!」
「安心してください。天文台は必ず無傷で取り返してみせます」
 ――私達の仲間を信じてください。
 溢れた灰色の波にブレナーが驚嘆の声を零した。応じたのはサンディ(gb4343)の声だ。
 直後に、それが起こった。
「おお!」
「‥‥わぁ」
 遠くでは数多の鼠達が大地に刻まれた破壊の後と共に弾けて飛んでいく。
 コミカルな光景につい、サンディと幸乃すらも声が溢れた。
 天文台は無事だ。でも、地面に刻まれた衝撃の痕は‥‥。
「‥‥後で、埋めますね、ごめんなさい」
「おお、構わん! 派手にやるのじゃ!」
 スイッチが入った老人が拳を振り上げる姿に苦笑をしながら手にした散弾銃を、一応構えておく。
 初撃から溢れたキメラはトガが潰し、月島が制圧射撃で留めていた。

 ――宇宙、か。
 優勢に暫し、彼女は空を仰ぎ見た。
「すごいな」
 感嘆が声となって零れる。
 空を見上げる事はある。でも。この空が宇宙に繋がっている事を意識したことは、一度もなかった。
 ――このおじいちゃんは、ずっと宇宙を見上げてきたんだ。
 後ろで喝采を上げている老人は、彼女が生まれる前から、ずっと。

 ――一生懸命な人が、好きだ。
 だから、彼女は老人の事が好きになっていた。守りたいと思う。それは宇宙とか発見とか、権威とかじゃなくて、ただ。
 彼が、一生懸命だから。

「どうしたネズ公ぉ!」
 トガの咆哮に追われるように、逃げる鼠が迫っているのが見えた。
 彼女が視線で大丈夫、と告げるとAUKVが頷く。直後、散弾銃の銃声と老人の歓声が傭兵達の耳朶を打った。


「‥‥派手にやってるな」
 ドニー・レイド(gb4089)が、外から届く爆音にそう言った。仲間達の事は信頼している。不安は無いが、老人の喝采に苦笑が零れた。傍らでは筋肉質な男、ハンニバル・フィーベル(gb7683)がポリ袋から生々しい肉様の何物かを取り出している。伝統的なフォルムだが、それ故に存在感は凄まじい。
「まあ、大丈夫だろ」
 男がそれを置くと天文台の中に濃密な肉の香りが漂い始めた。上手に置けました。
 漂う香りに鼠が釣られてくれば上々。男達は暫し待つ事にした。

「‥‥俺は、能力者になる前は天文学者でね」
 空いた時間を埋めるようにドニーが言う。ブレナーは今や希少な同業者で、先達だ。だから、彼の依頼に対する思い入れは強い。
「ここには、できれば別の仕事で来たかったな‥‥」
 ない交ぜになった感情はどれも切なさを伴う。此処は、彼に取っては奪われた未来だった。
「――そうか。そうだな」
 それは能力者以前から土木・工作畑に身を置くハンニバルにとっても共感できる想いで。だから、彼は感傷を笑い飛ばすようにして言った。
「ま、なんだ。叡智の結晶たる機能美を壊すネズ公は、断じて許さん、ってな?」
「‥‥そうですね」
 男の冗句に、男は笑った。
 二人の手には簡易な地図がある。鼠達の掃討の後、確認すべき諸々やがそこに記載されていた。彼等にとってはそれは仕事というよりは、ご褒美みたいな物で‥‥だからこそ、鼠達の襲撃を心待ちにすらしている。幸い、照明は生きていたから見通すには難くない。二人は夫々に、鼠達を待つ。

 じきに、遠く。
 鼠達の音が聞こえた。忍ぶ事など知らぬように、彼等が待つ通路へと向かってきている。
 物好きな鼠か、あるいは、倉庫からあぶれた鼠か。その数は、さして多くはない。脅威度もそれに比しているだろう。
 交戦の予感に、銃把を握る手に、力が籠る。緊張は無い。心境ゆえだ。
「この場所は渡せない。地を這う鼠等には‥‥」
 灰色が見えたと同時、銃声が、響いた。


「よいせ、っとぉ!」
 トガのAUKVが脚部に閃光を散らして加速。恐らく、下水でもあるのだろう。本能のままに時枝の反対側へと逃げようとしたその背を脚甲で蹴り潰す。
 AUKVの挙動に、武器に纏う幻影が、揺れる。
「粗方片付いた?」
 同じく脚甲で踏みつぶしながら時枝が言う。何気ない所作だが、鼠達は痕跡すら残さず、大地に還っていく。
 時枝の初撃、月島の制圧射撃の成果もあり、鼠達の駆除に大きな支障はなかった。
 時折、気骨ある鼠がよじ上っては剥き出しの部分に噛み付くが、次の瞬間には払い落とされ、蹴散らされる。余談だが、彼女の周囲に撒かれたチョコレートは無駄にはならず、しっかりと勤めを果たして消えた。
「意外と、何とかなるもんだね!」
 射撃しながら、空色の瞳の月島が応じる。最初でこそ溢れた鼠の群れに目眩に似た何かを覚えたが、流れさえ掴んだあとは気楽な物だった。
「ンじゃまぁ、頃合いだな」
 トガは言いながら、無線機に告げる。
「爺をとっとと天文台に連れてきな」
『ええ』
 割れた音声に続いて、遠景で車内からブレナーが肥えた身体を揺らしながら降車するのを、幸乃が手をとり、支えているのが見える。老人はどことなく嬉しそうだ。
「‥‥やれやれ、元気なもんだね」
 時枝は苦笑しながらも眼前の敵を圧殺。単純作業に、身体が半ば自動的に動く。
 専門的な事は解らない。けどまぁ最低限依頼は果たして、どこか憎めない博士も無事に済ませたいとは思う。のだが。
「お前さん達は最高じゃー!」
「‥‥」
 老人が喝采をあげながら、サンディ達に引きずられるようにして連れて行かれるのを尻目に、彼女達は掃討を続けた。
「ククッ、楽しい爺さんだ」
「はは。そうですね」
「‥‥まぁ、なあ」
 煮え切らない時枝の返事は、蒼天に染み込むように消える。掃討を終えたら、外部の調査がある。まだまだ、仕事は続きそうだ。


 幸乃が先行してみると、内部は既にキメラの脅威は除かれた後だった。
 濃密な肉の匂いは健在で、幸乃はバッグの中のレーションはそのままにしておく事にした。多分、不要だろう。
 ――すぐ使わなくては、って‥‥なにか、あるのかな‥‥?
 門外漢の自分には解らないが、素人目には立派な施設に見える。これで、何を見るつもりなのだろうか、幸乃は少しだけ、気になったが。
「お疲れ様、です。‥‥怪我は、ありませんか?」
 そのまま、彼女は屈んで配線のチェックを行っているハンニバルに声をかける。
「ああ、問題ない。ドニーが先行してるから、博士を連れて行ってやってくれ」
「ええ、わかりました」
 見れば、漸く老人が天文台へと足を踏み入れる所で。
「凄いな! 能力者は!」
 興奮している老人の後ろを、サンディが笑みを浮かべながらも警戒を払いながらついて来ている。
 ブレナーは大きく深呼吸を一つすると、肉の匂いと、施設の真新しい建材の香りを味わいながら、一つ手を叩く。
「さて!」
 笑みと共に見渡す。その中にはハンニバルと、通路の向こうから顔を覗かせたドニーの姿がある。まるで気心の知れた同志に対するような親しみと共に、彼は言った。
「お楽しみの時間じゃな!」
 居並ぶ傭兵達は夫々に笑みを浮かべ、作業に取りかかった。種々のチェックに天体望遠鏡の調整。やる事は山積みだったが――楽しい一時になりそうだった。


『博士、もう鼠達はいないみたいだけど、見とくべき所とかはある?』
「む。ご苦労さん。送電線がイカれてなければ問題はないじゃろう」
『了解。じゃあ穴でも埋めとく』
『僕はもう少し見回りをしてきます』
『一服してぇが‥‥ちぃ。俺はちょっと倉庫でも見てくるわ』
「博士、替えの配線はあるかね?」
「おぉ。どこじゃったかの」
「ああ、それなら、資材室にあったよ」
「お。そうか」
「蓋はつけ直しましたけど、他にする事、あります?」
「あ。じゃあこの螺子を留め直してもらえるかな」
「ええ」
「すまんのぅ‥‥」
 蓋をあければ、ブレナーは肥えた身体故に閉所や屈んでの作業が致命的に不得手だった。彼は椅子に座り端末上での作業や、質疑応答に従事し、専門的な作業はドニーやハンニバルが行い、簡単な作業は幸乃がする形で作業が進んでいく。

 外部で作業をしていた月島や時枝、トガが天文台に入って作業の手が確保できると、入れ違いに幸乃は買い出しに出かけていった。
 すこしLAに顔を出したかったのもあるが、詰み上がった作業が多かったのもある。
 何より。
 ――あんなに楽しそうですし‥‥きっと、天体望遠鏡を覗くまで、帰らないでしょう。
 そういう予感もあったから。


 事実、作業は夜中まで行われていたが、トガはひとり、屋外にいた。昼の温かさと対照的に肌寒さが滲む。
「‥‥やっぱ野良犬が空見上げてっと碌な事がねぇな」
 呟きが、空しく風に流れた。
 薬煙草も、薬酒もあろう事かLHに忘れてきてしまって、手元にはない。
 倉庫を漁ったが芳しい結果は得られず、身体的、精神的な依存に苛まれながら、ただ茫と空を眺めていた。
「帰りたいねぇ‥‥」

 屋内では、稼働した天体望遠鏡で代わる代わる夜空を眺めていた。
「‥‥んー、わかんねえな。ほんとにあんのか、『揺らぎ』なんて」
 能力者としてのスキルまで併用しながら、ハンニバルは『揺らぎ』を探すが、門外漢である彼には違和感の糸口すら掴めない。
「正直、専門家でも首を傾げるくらいだよ。言われて初めて、確信を持てるかどうかだね」
「成る程な。まぁ、綺麗な物が見れただけでも儲け物かね」
 彼より前に答え合わせをしたドニーが感嘆と共に言うのをハンニバルが気のない返事で応えた。
 ドニーが巡らした視線の先で、ブレナーは端末を操作しながらサンディや幸乃達との会話に興じている。
「昔からブレストは何かとワシに冷たくての。『太り過ぎです。そのうちコクピットに入れなくなりますよ』とか言いよるのじゃ」
「あは。でもおじいちゃん、今日は座ってばっかりだったよね」
「それを言われると弱い! ‥‥とにかく、ワシは言ってやったのじゃ」
「‥‥なんて言ったんですか?」
 しょうがないなぁ、という風に幸乃が続きを促すと、老人は女性達に向き直り、指を立て、こう言った。

「ワシに『スペース』の問題を語るとは、大きく出たのぅ、ブレスト! ‥‥とな!」
 どやぁ。

「‥‥だじゃれかよ」
 時枝の呟きは多分、博士には聞こえなかった。

「さて! 準備ができたぞ」
 ブレナーが行っていたのは、彼が見つけた『揺らぎ』と地上からの距離を計測する解析プログラムの設定だった。
 言うや否や、待ちきれぬとばかりに彼の太い指が、ぱち、と端末を叩くと、さして時間もかからずに結果が出る。
「むぅ」
「これは‥‥」
 横から結果を眺めていたドニーが信じ難い、という風に言葉を漏らす。それは、予想、期待していたよりも‥‥遥かに、『低い』。
 低軌道といわれる領域がある。揺らぎはそこに該当する位置にあった。何が隠蔽されているかは解らない。だが‥‥。
「ふーむ。嫌な予感がするのぅ」
 解説を求める面々に、低軌道上で高度と位置を保つにはそれに見合うだけの速度か、それに変わる作用がいると老人が簡単に説明をすると、にわかにその意味が浸透する。

「‥‥この空を、戦いのことなんて考えずに、ただ綺麗だなって気持ちで見れる日は‥‥いつか、来るのかな」
 月島の呟きは、居並ぶ者の心中に沁み入るように、消えていった。
 ただ、平和なだけの空じゃない。
 解っていた。でも‥‥今はその事実が、酷く、苦かった。


 別れ際。ブレナーは感謝と共に傭兵達と握手とハグを交わした。
 トガは早く出発したがっていたが、ドニーは最後にどうしても、言いたい事があって。

「ありがとうございます、博士」
「む。礼を言うのはワシの方じゃぞ」
「いえ‥‥此処は、かつて追いかけた道でした」
 ――貴方のお陰で、こうして僅かな間だけでも戻る事が出来た。
 男は笑みと共にそう言い、頭を下げた。幸せだった、と。

「ドニー、顔を上げるんじゃ」
 ブレナーは暫しの後、言った。見上げれば、老人は夜天へと指を立てている。
「空は、いつだってお前さんの上にある。なら、お前さんはまだ夢の途上じゃ」
 幾つになっても変わらぬ、夢追い人の表情で言う。
「物足りなくなったら、此処に来たらいい。ここのは、凄いぞ?」
 悪戯な笑みで。それは、言葉と共にドニーの胸中に滲んだ。
「‥‥貴方のような人がいてくれて、本当に良かった」
 彼は、漸くの思いでそれだけを言って。

 彼等は帰路についた。得た事実は苦い物だった。だが、それは先々向き合わねばならなかった事でもある。今までと、同じに。



 そうして。
 世界が、大きく、動き出す。