タイトル:【追想】キンセンカマスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: 易しい
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/03/28 18:36

●オープニング本文



 戦場に立てなくなった事を、僕は悔やむようになっていた。
 あの雨の日。エミタが無くなったあの時。戦場から突き放されたあの日。

 僕が意識を取り戻した時、息子の声が遠くに響いていた。
 白い天井がやけにぼんやりと朧げに見えて、まるで夢の中にいるようだったけど、とても温かな何かが、掌を通じて僕の中に満ちていた。
 ――帰ってこれたんだ。
 息子の言葉よりも、妻の声よりも、視界よりも先に、その熱がその事を教えてくれた。
 でも、同時に、胸の奥が痛んだ。
 もう戦場に立たなくて良い、と。妻が囁いていた。
 ――その通りだ。
 元より戦う事を望んで傭兵になったわけではなかった事実が、ちくりと胸を刺した。
 幾人もの死を見て来て、助けて来て、失って来て‥‥未だ戦っている友人や、顔も知らない仲間達がいるのに、そこから死なずに離脱せざるを得ない事が、哀しかった。
 ――ごめん。
 慚愧に堪えなかった。仕方が無い事だと思う反面で、自分だけがそこから離れている事が。

「‥‥もう、戦わなくていいのよ」
 優しい言葉だったのに、とても辛く響いた事を、まだ覚えている。



 リハビリは過酷を極めた。
 何故生きているのかが解らないと医師に言われる程度には状態は悪く、僕自身もそれを聞いて首を傾げる程の有様だったから仕方の無い事なのだろう――などとどこか他人事のように受け取っている僕を、何故か妻の方が説教していた。
 そう、妻が湿っぽかったのは最初の頃だけで、妻はリハビリに取り組みだした僕を厳しく激しく応援してくれていた。彼女は、控えめに言ってもあまり優しくはなく、医師や技師が苦笑する程のスパルタぶりだった。今思えば、僕自身が複雑な思いに囚われている事を見抜いていたのかもしれないが‥‥。
 僕が必死でリハビリをしている時間帯には息子を連れてこない事を夫婦で決めていたから、息子と会う時はいつもベッドの上だった。ただでさえ片腕を無くしてしまった僕を、息子が哀しげに見ている事は僕ですら解っていた。そんな僕が必死にリハビリをしている姿をみたら、息子は何と思うだろうか、と思っての事だった。
 時折、家では静かに泣いているらしいと妻に聞いていたのもある。
 ――自罰的にならなくていいのに。
 僕は息子が生きてくれている事をこんなにも喜んでいるのに、と思う反面で、息子の胸中は解らないでもなかった。
 ただ――こういう時に、何と言えば良いのかだけが、解らなくて。
 だから、兎に角早くリハビリを終えよう、と。それだけを思って、必死に励んだ。元々、能力者として身体を動かす事自体は苦ではなかったから、リハビリ自体にも前向きに取り組むことができた。
 次第に弱った筋肉は徐々に力を取り戻し、歩行が出来るようになり、義手のトレーニングと並行して日々の生活に必要な動作が出来るようになってくると、退院しても良いと医師に言われた。
 僕は迷わず退院を選んだ。
 家族には黙って退院日を最短な日に決め、こっそりと家へと潜り込むようにしてうちに帰った。

 最初に帰って来たのは息子だった。
「おかえり」
 学校から帰って来た息子にそう言うと、息子は全力で体当たりをしてきた。息が詰まり、息子共々倒れ込む。それは息子が日常的にしていた儀式みたいなものだったが、結果は大きく違っていた。
 痛いし苦しい。
 その時初めて、ああ、そうだよなぁ、と思った。能力者じゃ、無くなったんだ。
 息子も、そうだったのかもしれない。物言わず震える背を、僕はそっと撫で続けた。

 暫くして帰って来た妻には、全力で説教された。
 何の準備もしていないとか、スタッフの人達にお礼もしていないとか、よくもまぁこんなに怒れるなぁと思いながら叱られているうちに、じわじわと暖かいものが込み上げて来た。
「ただいま」
 その想いをなんとかして言葉にすると、そんな感じだった。
「‥‥おかえり」
 その後少しだけ、二人で泣いた。



 妻と、将来の事に関して話した。少なくない保険金は貰っていたけれど、とにかく僕は、働きたかったのだ。
 僕は軍に入ろうと思う、と言った。
 妻は一瞬哀しげな顔をして、しばらくして、きつとした表情で断固反対すると言った。
 戦いに行けない身体で、そんな所でいつまでも軍人達を見送っていたら、あなたは絶対に後悔する、とのことだった。
 僕は唸るしかなかった。
 義務感とか後悔とか、そういうものに突き動かされて、それだけで軍に入る事を選んでいる事を見透かされてしまったからだ。
 唸る僕を見て、妻は言った。
 暫く悩め、と。お金の事は、私が働くから気にするなと。
 どれだけ男前なんだ。思ったままに伝えると、妻は胸を張ったのだった。

 そして、僕はいま、家族皆でLH内にある集団墓地に来ていた。
 妻の言う通り、気持ちに整理を付けなければ前に進めそうもなかったのだ。
 墓地は静かで、風の音が草花を揺らしている音がそよそよと届いている。
 その中で僕達は手を合わせ、黙祷した。
 顔も、名前も解らない者達がそこで眠っている事を、肌で感じた。
 僕は幸運だったのだろう。
 ――すまない。
 そう念じた。返る言葉は無い。当然の事だけれども。
 ――僕は生きるよ。悔いのないように、そう生きていきたい。
 ただ幸せを噛み締めるには、この世界には未だ色んな傷痕が刻まれている事を僕は知っていた。それを防ぐために戦っている人達がいることも。戦場にいた時の記憶は褪せることはない。
 ただただ溢れてきて――それ故に、溺れて、もがくしかなかった。
 どうしたら良いんだろう。何をしたら。君達のために、彼等の為に。
 ‥‥僕の、ために。
「おとーさん」
「ん?」
「このお墓、きれいだね」
「‥‥そうだね。誰かが大事にしてくれているんだよ」
 そういうと、息子は笑った。 
「きもちよく、ねむれているかな!」
「‥‥ああ、きっとそうだよ」
 言いながら、僕は息子の頭を撫でる。息子は心地よさそうに目を細めていた。
 ――邪魔したかな。
 何かがひらけた気がした。ひらけただけで、何かを見つけたわけではないけれども、それでも。
 もうちょっとだけ、調べて、考えよう。
 我が家には頼れる妻と可愛い息子がいるのだから――もう少しだけ、家事に追われるのも悪くないだろう。

 そう、心の中で呟いて。僕達はその場を後にした。

 ――ありがとう。
 最後に、そう添えて。

●参加者一覧

ハンナ・ルーベンス(ga5138
23歳・♀・ER
椎野 こだま(gb4181
17歳・♀・ER
ファリス(gb9339
11歳・♀・PN
夢守 ルキア(gb9436
15歳・♀・SF
杉田 伊周(gc5580
27歳・♂・ST
クローカ・ルイシコフ(gc7747
16歳・♂・ER

●リプレイ本文

●カルマ
 ラストホープに在る集団墓地では、風がそよそよと草花を撫でていた。
 子供の声が響くのを聞いて、杉田 伊周(gc5580)は眩しげに目を細める。かつて見た顔が、そこに在ったからだった。
 生死の際で手をとる事が出来た相手が今、幸せを噛み締めている。
 これに勝る喜びが、あるだろうか。
 これに勝る救いが、あるだろうか。
 男は空を仰いだ。口元には笑みがある。
 ――急な休みを持て余していたけど、こういうのは悪くない。

   ○

 彼等の姿を横目に、ボクは胸ポケットに差したペン型の超機械へとそっと触れた。
 傭兵になって以来、常に持ち歩くようになった。
 能力者になって得た力‥‥特に練成治療は、延命や治療には実に便利な能力だった。科学的ではないし、原理も理解できないコレに頼るのは不満が無いと言えば嘘になる。特に、外科医であるボクからすれば、なおのこと。ただ、汎用性が高いのだから仕方が無い。
 折り合いもつけ、経験も積んで、この在り方にも慣れてきている。
 でも‥‥一年以上経つのに、未だに戦闘は苦手なままだ。
 果たして、ボクは能力者として、外科医として務めを果たしていると、胸を張って言えるだろうか。
 自問する。
 視界の端で、彼と、彼の家族は笑っているのを見ながら、あても無く歩き出した。
 彼等のように助けられた者だけでは無い。自分は神様じゃない。無力を噛み締めた事は何度もある。
 目の前の患者を須く助けたいと願う事は――願ってしまう事は、不相応なものなのだろう。
 ――でも、それすら願えなくなってしまっては、自分は外科医とは言えないだろう。
 救えなかった患者達の分も。彼等の為にも――自分の為にも、救い続けなければいけない。それがボクを縛る業だとしても、だ。
「この手の届く限りの患者を救い続ける‥‥それしかないね」
 胸に満ちるこの感情は――なんだろうか。自分では今ひとつ判別しかねるが、それでもそうやって生きると決めだのだ。
 ‥‥そういう性分なのだから、仕方ない。

   ○

「‥‥おや」
 ふと、馴染みの顔を見つけ、伊周は足を止めた。
 見慣れぬ服装に身を包んだ椎野 こだま(gb4181)が、所在無さげに空を見上げているところだった。
 彼女は、彼にとっては医の道の後輩にあたる少女だ。だが、伊周は声を掛ける事無く、その場を後にする。
「願わくば、君が医療の正道を真っ直ぐに歩んでいかんことを」
 祈るように、期待するように残した言葉は、風に流れて消えていった。

●延べる手は、誰のため
 伊周の視線に気付くことはなく、こだまは空を見上げていた。
 密かな趣味であるコスプレの、小さなイベント会場から休憩の為に出て来た所だった。
 今回の衣装はアニメのウェイトレスを模したものだ。特別露出が多いという程ではないが、熱気から離れるとやはり肌寒い。
 身に籠る熱を、大気は容赦なく奪っていく。その感覚には、覚えがあった。
「‥‥あの日も」
 ぽつ、と。短く切った言葉には、苦さがあった。

   ○

 まだ、函館が人類ののものだったあの頃。
 函館近郊のうちの田舎にも戦禍が徐々に迫って来ていた。生活の中に、徐々に降り積もる危機感や焦燥を、誰しもが感じていた。
 ‥‥それでも、うちらは家族皆で仲良く暮らしてた。
 双子の姉と、両親と、うち。戦時でも、幸せは確かにあそこにあった。
 そんなある日、能力者の適性検査を受ける事になった。その日を境に、徐々に日常が傾いていく。
 うちの家族では、うちと、一番上の姉だけが適性がみつかった。
 そうして、気がつけば大阪へと疎開する事になっていた。
 逆らう間なんて、なかった。
 家族と離れて、うちと一番上の姉だけが大阪へ引っ越し、残る3人の家族はそのまま田舎で暮らす事になる。

 そんな中でも、ささやかでも日常を維持出来たのは、真ん中の姉のおかげだった。
 姉は、家事がまるでだめなうちらの為に、毎月手作り料理を冷凍して送ってくれていた。
 添えられた手紙と、確認の電話が家族の繋がりを感じさせて、確かな日常を感じさせてくれていた。

 でも。
 あの時。
 函館が占領されたあの日。

 日常が、壊れた。

 幾ら試しても連絡が取れず、移動する事も出来ず、ただ待つしか無かった。
 ようやく連絡をうけた時、姉が脱出できたと聞いた時はひたすらに嬉しかった。
 すぐに、姉が入院している街へと向かった。
 でも。
 姉は――心が、壊れてしまっていた。救えなかった事を、姉は悔いていたのだろう。
 時間をかけて心を取り戻してもかつてと同じようにはいかなかった事は、あの日の重さを感じさせるには十分だった。
 その時はじめて、うちは能力者になろうと決めた。
 そして――医者になろう、と。
 救えなかった事を悔いていたのは、姉だけではなくてうちも同じで。
 だから‥‥うちは誓った。
 救える命が‥‥心が有る限り、救いにいくと。


●祈りの日々
 静謐な空間と清冽な空気がハンナ・ルーベンス(ga5138)の身を包む。
 古びた十字架が見下ろすそこは、浮遊島にある教会の礼拝堂だ。
 仄かな照明が、ハンナの髪を柔らかく照らしている中、彼女は祈りを捧げていた。
 彼女にとってそれは変わる事なく続けて来た日常であり、大事な儀式であった。

「こちらでは、世界情勢も随分と変わりましたが‥‥小野塚さんと仲直り出来たでしょうか。‥‥リリア姉様」
 ――そちらは、どうですか?

   ○

 耳を打つのは、いつも通りの残響。
 柔らかな静寂の中で、私は今日も貴女の事を想う。

 始まりは、あの冬の日でした。
 とてもとても短い邂逅の中で垣間見た、翳のある微笑。
 その儚さに、私は手を伸ばそうと誓いました。バグアの手から、貴女を取り戻すと。
 そして、その誓いはあの最後の日――貴女が涙を流したあの時、適わぬ夢と終わりました。
 でも――後悔は、ありません。
 私は、あの結果こそが、貴女の生きた証だと思うからです。

 リリア姉様。
 貴女は、他者との絆を望みながらも、絆の育み方を知らなかった。
 だからこそ、貴女はあの日、涙を零したのでしょう?
 溢れて、消えて行く光の中で、貴女は最後のその時まで、リリア・ベルナールその人として生きたのだと私は思います。
 確かに願いは適いませんでした。でも――あの涙に、後悔など抱きようがありません。
 だから私は、何度でも同じ選択をし続けるでしょう。きっと、何度でも。

 私は、私に与えられた命の限り生きて行きます。
 別離の悲しみが無いと言ったら嘘になりますけど‥‥いつか、遠く時の輪が接する処で巡り会えた、その時に‥‥胸を張って貴女に会えるように。
 ――貴女の妹として、恥じる事のないように。

 目を開けば、色鮮やかなステンドグラスから、陽が差し込んでいた。
「‥‥どうか、天上で御見守り下さい、リリア姉様」
 彩られた光のその先へ、私は囁いた。大事な眠りを、壊してしまわぬように。
 戦いの日々の中で出会い、奇跡のような偶然の中で心を通わせた、かけがえの無い、私の姉に‥‥祈りを捧げよう。

「今は会う事が適わずとも、心は‥‥私の心は、貴女と共に在ります」

●揺るがぬセカイ
 その少女には、夕暮れが似合った。
 濃紺と紅が入り交じる狭間。儚く侘しい光景は、危うい均衡を感じさせる。
 どこかとらえどころが無いくせに胸を掴む――夢守 ルキア(gb9436)はそんな少女だった。
 軽やかに遠景を眺める少女の表情には笑みが浮かんでいる。
 かつて、ある少年と出会ったラストホープの海岸で、何かを思い出していたのかもしれない。
「‥‥失くしたものの重み、得たもののカタチ、消えていく命の慟哭、生まれる命の喜び」
 整った唇で、少女は言葉を紡いだ。

   ○

 行き交う人々のそれぞれに、様々な『セカイ』がある、と私は思う。
 それと同時に、その一つ一つを、愛している。
 たとえ、どんな瞬間であっても、私は胸を張って愛していると言える。
 争い奪い合うヒトも、トリガーを引く瞬間も、ナイフで相手を抉る、その瞬間すらも、愛している。
 そこまで考えて、はた、とある事に気がついた。
「‥‥でも、尊敬する戦士って、全員殺しちゃうのかな‥‥?」
 指折り数えれば、たしかにそうだった。九州での、いくつもの戦場で。
「‥‥ま、仕方が無いよね。だって、私は彼等が大好きなんだもん」
 取られたくなかったら、切り取ってしまうしかないもんね。
 病気や、命令や、他の誰かになんて、渡したくなんて、無い。
「‥‥あ、でも、養父は尊敬じゃなかったな」
 ――彼は、ユイイツの銃だ。
 カタチを無くしてしまったケド、大好きで、私が殺したユイイツのソンザイで、ユイイツの戦士。
 私に刻まれた、たったヒトツの銃だった。
 でも、カタチを無くしてしまったら、モノになる。
 そうなればもう、裏切らないし、裏切られない。
 失くしたのは、きみ達のセカイ。
 ――それと引替えに得たのは、私の中に在る、有限の永遠のセカイ。
 消えたのは、きみ達の命。
 ――その代わりに生まれたのは、私の中に残る、永遠の命。
 無くして、失っていっても、私はそれを私のセカイに刻み込んでいく。
 そうすれば、哀しくなんてならないでしょう?
「争いが悲しいワケじゃない。犠牲が悲しいワケじゃない。悲しむから、悲しいんだ」
 だから私は、揺るがない。
 沈んでいく夕陽は、キレイだった。終わりを感じさせるそれは、明日も続く象徴で。
「‥‥きみ達のセカイを、私のセカイに刻むよ。忘れないように‥‥キロクするよ」
 弔いの言葉かもしれない。けど‥‥これは私の望み。
 これからも、セカイを望む。それが、私の生き方だから。


●涙
 照明が落ちた室内は、眠りに相応しい安らかで冷たい空気に包まれていた。
 にもかかわらず、ファリス(gb9339)は柔らかな布団に包まれ、眠りにありながらも‥‥美しく整った眉根を歪め、苦しげに息をしていた。傍らにあるイリーナと名付けられたうぎのぬいぐるみを強く抱きしめている彼女は今、独りだった。
 何人たりとも悪夢に抗う術は無く、少女はただ、かつての現実に夢で会う。
 忘れ得ぬ記憶。
 彼女にとっての喪失の記憶を。



 少女は、幸せに暮らしていた。
 戦時であることは、少女とて知っていた。
 だが、気の良い村人達や両親と同じように、寂れた田舎で過ごす彼女達にとってはどこか遠い世界の出来事だった。
 本当に、幸せだったのだ。
 だから‥‥それが覆された時には、もう、為す術など無かった。
 平和に耽溺し、備えの無い村がどうしてキメラの襲撃を凌げようか。
 人類の立場を一切斟酌しないバグアの襲撃は、その点において平等だった。
 振り下ろされた死神の刃を、少女は目の当たりにする事になった。


 逃げろ、と。少女の父は叫んだ。
 少女はその背に泣き叫びながらも、視界の中で父はどんどん小さくなっていった。
 母に抱きかかえられながら、それが村中で繰り広げられている悲劇である事を少女は知った。
 生きて走る者は誰も彼もが泣いていた。
 足を止めた者から、次から次へと命を奪われていく。多くの者が、幼い者達を生かすために、自ら足を止め、犠牲になっていった。
 それは――少女の母親も、例外ではなく。

 さようなら、と。少女の母は優しく少女の頬を撫でた。流れる涙を、赤らんだ頬を慈しむように。
 少女の母は、己の身をキメラの爪に貫かれながらも、綺麗に笑っていた。
 少女の無事に光を見て、安堵に笑っていた。
 それが、彼女が故郷で見た、最後の光景だった。

 目が覚めた時、傍らにはイリーナだけしかいなかった。
 その事が、何よりも強く孤独を意識させ――少女は、独りで泣いた。


   ○

 いつも通りの目覚め。イリーナをつよく抱きしめると、柔らかな感触が伝わってくる。
「ファリスみたいな想いをする子供は、居なくて良いの」
 ぽつ、と。想いごと、言葉にした。
「‥‥だから、ファリスはこれ以上哀しむ子供達が一人でも居なくなるよう、頑張るの」
 イリーナだけが、ファリスの声を聞いていた。
 泣きはらした目を擦り、布団を被り直すと、泣き疲れたせいかすぐに眠りが訪れた。
 ‥‥おやすみなさい。


●望むはセカイ
 夜が、深まりつつあった。
 クローカ・ルイシコフ(gc7747)は、自身が開いた喫茶店で小さく息を吐いた。
 新たな生活と――新たな居場所を確認するように、そっと静寂に身を置く。
 窓の外。遠くに瞬く小さな星々が見える。懐かしむように、少年はそっと目を細めた。

  ○

 いつからだろう。空を、見上げるようになったのは。
 記憶に残っているのは、真っ青な空だった。吸い込まれる程に広い空。
 その先の自由を夢を見てしまう程に綺麗な空だった。
 ――そう、夢。
 叶わぬ夢だと、知っていた。だからこそ、只管に現実は空虚だった。
 どうでもよかった。鬱屈した現実に、心が退廃していた。

 戦場で引金を引いた。泥に塗れ、命じられるがままにただ動いた。
 戦場はいつだって激戦のただ中にあった。薄暗い曇天の下で、誰かが死に、喰われ、裂かれた。彼等の死と同じように、自らの死を覚悟したあの日とて、どこか他人事のように感じていた。
「‥‥これで飛べるのかな」
 そのくらいにしか、思わなかった。

 だから、病院のベッドで泣いたのはきっと、生き延びれたからというだけではなかった筈だ。
 生きなくちゃいけないと知ると同時に、生きる事を選ばなくてはいけなかった。
 ただひたすらに、泣いた。終わらなかった事が、ただ辛かった。
 泣いて、叶わぬ夢でもせめてそこを目指そうと足掻く事を決めた。

 そうして、傭兵になって。ラストホープの海岸で初めて彼女に出会った時、深く心を揺さぶられた。
 彼女は個性的で、きまぐれで、自由で。
 僕には無い物、望んだ物を、全て持っていた。
 彼女は、セカイを愛していると言った。
 故に、彼女は揺るがないのだろう。
 その事が、少しだけ羨ましかった。

 だから、戦う理由を見つけた時、僕は初めて自由を感じられた。
 贖罪の為に戦う事は苦さを伴うけど、空の向こうへと誓った約束を、僕は叶えたいと思った。
 僕は、飛んでいる。飛ぶ事が出来る。
 愛しいとすら思えるようになったこの世界の為に出来る事がどれだけあるかすら、解らない。
 ただ、彼女のように知る事ができたらと願い、あの空を拓きたいと願うようになっていた。

 約束の空は徐々に、白さを増して来ていた。
 ほの明るい群青の空が、新しい、現実の一日の到来を告げていた。
「‥‥追想は、もうお終い」
 ここは、漸く手にした現実の、新しい居場所だった。
 前を向くには――最適な場所だった。