●リプレイ本文
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出発の刻。早朝にも関わらず基地は喧噪に包まれていた。
空気には燃料の残り香が漂っている。それは多くの輸送機や車両がこの時間から運転している事を示していた。
女性の移送を見送る者は、少ない。
傭兵達が見ている前で女性が車両へと運ばれていく。
リズィー・ヴェクサー(
gc6599)は、それをただ見送った。
抱いた自己嫌悪が犇めき、胸中で踊る。
それに敢えて名前をつけるのであれば――後悔。彼女が今まで殆ど抱く事のなかった苦い想い。
彼女は半ば衝動的に、作業を終えた医師を呼び止めた。
「ひとつ‥‥教えて欲しいのよ。あの人‥‥は」
――このまま、いつまで‥‥生きていれる、の?
医師は眼前の少女を見つめた。推し量るような静かな眼差し。
「結論から言えば、解らない、さ。でも」
今すぐでは無い。だが、終わりは必ずやってくる、と。
少女はその意味を噛み締めた。
――ボクのせいかな。
医師は会釈をし、医療車へと乗り込み始めた。リズィーは慌てて彼を呼び止める。
「あと! ‥‥あの人の名前。判るなら、教えて欲しいのね」
「『しの』、とだけ聞けたよ。姓か、名かは、分からなかった」
それだけを言い、彼は車内へと乗り込んだ。
●一日目・昼
搬出用のゲートを抜け、四台の車両は徐々に加速する。
先頭を行くバイクには、白鐘剣一郎(
ga0184)が。続くジープにはエクリプス・アルフ(
gc2636)が軍人と同乗し、医療用車両には医師と女性、軍人と、明河 玲実(
gc6420)が。最後尾をシーヴ・王(
ga5638)のジーザリオが務め、御鑑 藍(
gc1485)とリズィーが同乗している。
車両が走り出して暫くして。
玲実は、気がつくと助手席で景色を茫と眺め、物思いに耽るようになった。
――『救い』って、何なの?
その思考は、嘆きや怒りに近い。回想されるのは、先ほどの問答。
「彼女の回復は‥‥もう見込めないんですか?」
「打てる手は、全て打った。だから‥‥」
瞬間、彼が感じたのは望みが絶たれた、閉塞感だ。極北の地で感じたものと同じ。
「もし、そうなら‥‥『救い』なんてないじゃないですか」
「救い、か」
零れた言葉を掬い上げるように、医師は反復し、続けた。
「君がそう思うのであれば‥‥そうかもしれない」
玲実は、医師の言葉に突き放されたように感じた。答えが欲しかったんじゃない。それでも。
「――ッ!」
苛立ち――あるいは羞恥をどこかにぶつける事も出来ず。ただ、呑み込むしかなかった。
――私に出来る事は知れてる。そんなこと、判ってるよ。
でも、生きてほしいんだ。
私にとって‥‥それこそが、『救い』だから。
‥‥なのに。
想いはただ、ぐるぐると滓のように。
‥‥そこから逃れるための答えを、彼はまだ、持っていない。
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長閑で見通しの良い道が続く。
シーヴが駆るジーザリオの助手席に藍。後部座席にむくれた表情のリズィー。二人は窓から周囲の警戒をしていた。
「護送先で、治療が進むと‥‥良いのですが」
ぽつりと。零すように、藍が言う。
基地では出来ないような治療が出来れば。そう、願わざるを得ないが故の言葉だった。
「どーかなー」
応じるリズィーの言葉はどこか冷めたもの。そこにいつもの明るさは見受けられない。かつて依頼を同道した事がある藍はそれに気付けた。
――悔いてるの、かな。
表面上は不機嫌を装っているが、思い当たる理由などそれしかなかった。藍は、どうしたものかと、窓の外を眺める。
梅雨に洗われた晴天は、美しかった。
――彼女には、心も感情もちゃんとあって。助かって‥‥生きて欲しい。
いつか彼女が、この空の下を歩けるようになれたら。そう感じさせる空が、そこにあった。
「彼女は既に、死んでいる筈‥‥って言ってやがったですが」
運転をしながら、シーヴが言う。
「その死を迎えた躯で、シーヴ達にいろんなモン伝えてくれやがったんですね」
「――そう、ですね」
彼女の言葉は、同乗する二人の心の裡に静かに沁みた。
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細かい襲撃は重なったが、白鐘が時に先行し偵察を果たし、必要時は足を止めて迎撃することで苦労する事なくキメラ達を撃退する事ができた。
人類圏である西へ進めば進むだけ、襲撃は少なくなっていく。そうして、予定された行程を進み切る頃にはもう日は落ち、着実に夜を迎えつつあった。
「それじゃ、この辺りで休みますかっ」
エクリプスが疲労感を押しのけるように、努めて明るい声で告げた。
運転していた軍人達は、瞼を目で押しながら凝った身体をほぐしている。いつ襲撃が来るとも知れぬ道程は、神経を使うものであったのだろう。
「お茶、どうぞでありやがるです」
そんな彼らに、シーヴが茶を勧めた。シレットティーの仄かな香りが、ふわりと届く。軍人達がそれを受け取った後も、盆の上には二つ、カップが残っていた。視線を巡らすが医師の姿は無い。医師は車にいるのだろうか。そう思い、彼女はそちらへと向かい扉を軽く、ノックした。
「どうぞ」
応答の声に彼女は扉を開く。
「お茶、持って来たでありやがるです」
「あぁ‥‥どうもありがとう」
彼は差し出されたカップを受け取り、口へ運んだ。
「‥‥上品な味だね」
言葉の後、車内に静寂が満ちる。
彼は、女性をじっと見つめていた。シーヴは残るカップを女性の隣に置く。せめて、香りだけでも届くようにと。
「いつまで‥‥生きていられるのか。シーヴ達に出来るコトはねぇのか」
彼女も、女性の姿を脳裏に焼き付けるように見つめながら言った。
「黙って何も出来ねぇのが悔しい、です」
「君達は十分良くやってくれた。きっと、彼女もそう言うさ」
優しい苦笑を浮かべながら、彼は言う。
その表情に感じる所があった。だから彼女は、尋ねる事にした。
「治療は不適っつーコトだったですが、それは‥‥彼女が、戦闘訓練で人を殺めてきたから‥‥そういう意味?」
将校の言葉が、燻っていた。それを聞くのは今しかない。そう思い、彼女は疑念を言葉にした。
「それは違う。訓練とはいえその力を長くに渡って使ってきたから、だ。それを重ねる程、エミタによる治療は効かなくなるそうだ」
半ば慌てるような返答。
「意に添わず人を殺した、その罪ゆえじゃない。決して」
「そうでありやがる、ですか」
返答は、想定していた最低なものではなかった。だが、望まぬ立場に置かれた者が救われ難い現実には違いはなく。
湧きあがった感傷は、酷く、苦い。
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傭兵達は三交代制で周囲警戒を行っていた。今はエクリプスとリズィーが哨戒にあたっている。他のメンバーは白鐘が用意したテントで休憩中だ。
夜の静寂にエンジン音が小さく響いている空間を、玲実が持参したランタンと月明かりが茫と照らす。
二人きりの哨戒だが、リズィーが不機嫌そうなので雰囲気は堅い。彼が何度か話題を切り出すが、いずれも長持ちはしなかった。
――やれやれ。
苦笑が浮かぶ。
溜息と共に、空を見上げた。丸い月がこちらを見下ろしている。月に籠められた兎が、ここが日本である事を示していた。
――また、来てしまいましたねぇ。
彼はこの地に思い入れがあった。彼が傭兵として戦うようになった、始まりの地だったから。
「‥‥あなたにも、傭兵になるきっかけがあったんですよね?」
「‥‥うん」
――同じく能力者である姉を、護るため。
妹である彼女は、彼女の脆さを知っていた。それに、彼女に贖わなくてはならない、罪があったから。
罪。
自然、視線が女性の方へと向けられた。
「ごめんなのよ、ちょっとここ、お願いなのさねっ」
それだけ告げて、彼女は医療用車両へと駆け出す。
「はい。行ってらっしゃい」
彼は、少女の心中を察し、笑みと共に見送った。
「‥‥やっぱり、助かってほしい、ですね」
それを聞くものは無いが‥‥言わずにはいれなかった。
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女性は静かに眠っていた。呼吸苦を感じぬよう、医師の投薬により鎮静がかかっていたからだ。
その姿は、リズィーに罪悪感を伴って響いた。
――ごめんね。
「あんたは」
始まりは、静かに。
「バグアで、僕の敵、だけど‥‥っ」
湧きあがるのは、割り切れないが故の情。自然語気が強くなるが。
「生きていたのは、よかったのさね‥‥」
終わりもまた、静かに告げられた。
ビスクドールを握る手に、力が篭るが。‥‥彼女はそのまま、そこを後にした。
眠っている彼女を自分勝手な罪滅ぼしに付き合わせるつもりには、なれなかったから。
「‥‥おやすみ、『しの』」
●二日目・昼
此処までくると、襲撃は殆どなかった。行程にも若干の余裕が生まれていたから、道中で食事休憩を挟む際に白鐘は医師に問いかけた。
「エミタで巻き戻しを掛けて強化人間の状態を回帰させるという手段は判った」
治療する手段がある、その意義は彼も分かっていた。
「だが、強化人間の体調維持や回復を図る方法については、チューレの施設で得られた中には、無かったのか。‥‥そちらでは何か聞いていないか?」
今回の女性に関しても‥‥記憶の中、衰弱していった『彼女』にしても、自分たちは、まだ、見守ることしか出来ないのか。
その現実はまだ、変わらないのか、と。
「公表されている事でもあるけど、方法が一つある事は、確かに分かったよ。強化人間の調整は、バグアの細胞で再強化を施すようなものだ、と」
それは人類では手が届かない手段。ならば、エミタが使えない者の末路は未だ、変わっていないという事でもある。
「‥‥そうか」
白鐘は、ようやくの思いでそれだけを告げた。
他方、エクリプスは軍人達と話をしていた。
「あなたは、我々能力者を、どう思ってるんですか?」
「どう、って言われても‥‥なぁ?」
レーションをつつきながら、軍人のうちの一人は傭兵の突然の問いに戸惑い、傍らの同僚に言う。
視線と共に返答の権利を押し付けられた彼は、嘆息しながら言った。
「何が聞きたいか分からんが‥‥そうだな、嫉妬が半分、申し訳なさが半分、だ。俺の場合、な」
「そうですか‥‥」
考え込むようなエクリプスの言葉に、彼らの戸惑いは、深まるばかりであった。
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夜が来る。体感でそれを自覚する。
ぼやけた視界で彼が再度注射を用意しようとしているのが、わかった。
それは、呼吸の苦しみを除くためのもの。それは私も知っていた。けど。
知っている声が、聞こえていた。
声はでないから。想いが届くように、彼を、見つめる。
そして――。
●二日目・夜
白鐘と藍が周囲の警戒をしていた時、医師が車両から降りて来た。
「どうか、しました?」
「彼女が君達に会いたいんじゃないか、って思ってね」
藍の問いかけに医師が答える。
彼の目は少し、赤い。眼鏡の下から彼は瞼を揉むと、歩き出した。
「僕は少し、君達のテントに邪魔するよ」
白鐘が見張りに立つと言ってくれたので、藍は車両に乗り込んだ。その足取りは、密やかなもの。
「お邪魔します」
律儀にそう言うが、答えはない。
ただ、短く細かい呼吸の音だけが車両に響く。
顔を動かすのも辛そうだったから、成る可く、彼女が視界に捉えやすいように位置を取る。視線が重なった。その表情は苦しげではあるが、再会を喜ぶような色がある。
どれだけ、そうしていただろうか。
迷いながら、彼女は口を開いた。
「施設は、ちゃんと、破壊してきました」
今はその報告を、と。
「全部、あなたの情報と‥‥あなたの想いの、おかげです」
「彼は。――皆は約束を守った。あの土地で次の犠牲者が出る事はもうない」
そこに、車両に入って来た白鐘の言葉が重なる。
彼は今日、此処にいない男の代わりにそれだけは伝えておきたかった。彼自身が、その立役者でもあるのに、それでも彼は毅然とした表情でそう言った。
女性は頷く事ができないが、そこに浮かぶ表情でその意思を察する事が出来る。
充足を感じ‥‥そこで初めて藍は他の皆の事に思い至った。
――彼が此処にいるということは、皆は外、かな。
だから藍は、今ここで、言葉にしようと思った。
「私は、あなたに生きてほしい‥‥あなたの過去は、あの場所と一緒に、無くなったけど」
その表情には、後悔に似た悼みの色がある。
「だからこそ、かな。その過去を塗り替えるぐらい、幸せに、なってほしいです」
そして彼女は最後にこう、添えた。
「完治したら‥‥名前、教えてください、ね?」
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医師の言葉に、皆は女性の所に向かって行った。
私も行こうと思ったのだけど――彼に呼び止められてしまって、今はテントの中で彼と二人きりだ。
「何か、用ですか」
自然、口調が厳しいものになる。そこには、道中の問答の影響も少なからずあったかもしれない。
「医療には、ね」
「はい?」
「文明が進んだ今でも、依然として限界はあるんだ」
「‥‥それで?」
「出来る事は増えてきた。今後もきっと、そうだろう。でもね。‥‥だからこそ」
彼は、真剣な眼差しで、私を見つめた。何かを伝えたい、その真摯さが伺える眼差し。
「『救う』事について、僕達は、考えなくてはならない」
――『救い』なんてない。
自分の言葉が、脳裏で反響する。
「目の前の救うべき人が、その時、何を最も『救い』としているか。何が最も『救い』になるのか」
予感がした。その言葉は、私を打ち付けるだろう。聞きたく、無い。
「それが僕達の望む形と一致しない事は、よく有る事だ。‥‥偉そうな口を叩いてる、僕にしても」
そういって彼は、こみ上げる物を飲み下すように、間を置き、再度、告げた。
「だから玲実君、そう悲しい顔をしないでくれ。君は確かに、誰かを救っているんだ。‥‥ただ、君が、それを許せないだけで、ね」
「でも、それじゃ――私はっ!」
聞いた直後には、彼の胸元に掴み掛かっていた。
それじゃ私は、救われない。
そう、言おうとした瞬間。至近で見た彼の目は、とても優しく――哀しい色をたたえていた。
その時。
遠く、車両の方から‥‥賛美歌が聞こえた。
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――下手でありやがるですが。
女性にとっては、異教の神の為の歌だ。それでも、彼女は真に祈りを捧げたかった。
彼女の道行きが安らかであるように、と。
車両の傍らで、彼女はただ、想いを歌にのせる。
女性が眠りにつくまで、それは夜の静寂に沁み入り続けた。
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翌日。女性は昨夜の無理が祟ったのか、終日を眠りの中で過ごした。
柔らかい陽射しが注ぐ、ULTの施設。そこは、彼女を安らかに包む揺籠になるであろう場所。そこに運び込まれる彼女を、傭兵達はずっと見つめていた。
「彼女、笑っていたね」
昨夜の事を思い返して、エクリプスが言う。
「と、当然なのよっ!」
慌て、拗ねるような言葉は、誰のものか。
彼らにとっては、幸せなだけの旅路ではなかった。だが、それでも。彼女は確かに幸せの中に在った事は感じられたから。
帰路につく足取りは決して、苦いものでも、無かった。