タイトル:鳥葬マスター:桃谷 かな

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/05/20 16:33

●オープニング本文


 夕暮れ時の観光農園に、カラスの鳴き声が高らかに響き渡る。
 オレンジ色の光が真っ赤なイチゴを照らし、キラキラと宝石のような輝きが畑を埋め尽くす。
 その日最後の観光客を送り出したイチゴ畑は、山間の穏やかな空気に包まれ、静かに一日を終えようとしていた。


「ああ、琳さん、ちょっと停めてくれるか」
 農道を走る軽トラックの助手席に座り、作業服を着た初老の男は、不意に声を上げた。
 彼の名前は、井上 敏夫(イノウエ トシオ)。この地域でイチゴ狩りをメインとした観光農園を経営しており、まだまだ現役の65歳である。
 運転席に座るのは、中国からの農業研修生、琳 思海(リン シーハイ)。彼は、去年から井上観光農園に住み込みで働いており、日本の農業を学んでいる青年である。
「スマンなぁ、畑に上着忘れてもうたわ。ちょっと戻ってくれんか?」
 敏夫は、片手を上げて申し訳なさそうな表情を作り、そう頼んだ。それを見た琳は、嫌な顔一つせず、朗らかに笑ってハンドルを切る。
「いいデスよ。畑のドコにアリマスか?」
「いや、入り口んとこや。明日は雨や言うからな。置いといたらえらい事なるやろ?」
「奥サンに怒ラれますね〜」
「せや。それがえらい事やって言うねん。ほんまにスマンなぁ!」
 ガハハ、と豪快な笑い声が農道に響き、二人を乗せた軽トラックは、デコボコ道をゆっくりと進み、イチゴ畑へと引き返して行った。


「おお、あったあった。あそこや」
 あぜ道の途中に紺色の上着を見つけた敏夫は、その場に琳を待たせたまま、小走りにイチゴ畑を横断して行く。
「なんや? えらい騒いどるのぅ」
 ギャアギャアと騒がしい鳥たちの声に敏夫が見上げると、茶褐色の羽根に白い模様、黄色い嘴のムクドリの群れが、彼の真上をグルグルと旋回し、威嚇するように大きな口を開けていた。
「ほれ! どっか行かんか!!」
 敏夫は、空を仰いで大声を上げ、ムクドリを追い払おうと、足元の小石を拾って投げ上げた。
「んん?」
 思わず、敏夫は自分の目を疑い、眉をひそめる。
 たまたま群れの中央にいた一羽の腹に小石が当たり、一瞬、ぼんやりと赤い光がその体を覆うのが見えたのだ。
 ムクドリたちは、敏夫の上を大きく旋回しながら、先程にも増してギャアギャアと攻撃的に喚き始める。
 それは、どう見ても普通の鳴き方ではなかった。
「なんや‥‥? 琳さん、早よ帰ったがよさそうやで」
 不穏な空気を感じた敏夫が、一歩を踏み出した、その瞬間。
 ギャアッ、と一際耳につく鳴き声を上げ、一羽のムクドリが急降下をかける。
「うわあああッッ!?」
「イノウエさん!!」
 目にも留まらぬスピードで飛来したムクドリが、その鋭い嘴を、敏夫の左目に思い切り突き立てたのだ。
「あああッ!! やめろ! やめろや! ぎゃあああッ!?」
 その悲鳴を合図に、上空を旋回していたムクドリの群れが、一斉に急降下をかけ、敏夫目掛けて殺到し始めた。
「やめろ! 来るな! 来るなぁぁぁッ!!」
「イノウエさん! コッチ! 早く!!」
 左目から夥しい血を流し、鳥たちの襲撃を防ごうと手にした上着を振り回している敏夫の腕を、駆けつけた琳の手が掴み取った。
 腕で目を庇いながら敏夫の腕を引く琳の体にも、群がる鳥たちの嘴が襲い掛かる。
 鼓膜を震わす甲高い鳴き声が二人を取り囲み、肌が露出している部分が、あっという間に鮮血に濡れた。
 琳は、自分の体がついばまれ、抉られていく激痛に耐え、何とか敏夫を軽トラックの助手席に押し込む。そして、服と腕を振り回して、彼に殺到する鳥たちを払い除けると、素早くドアを閉めた。
「り、琳さん‥‥あんたも早よう‥‥!」
 左目を押さえ、顔を上げた敏夫の視界に、夥しい数のムクドリの集団に顔面を埋め尽くされた琳の姿が飛び込んでくる。
「琳さん! 早よう‥‥早よう中に‥‥っ」
 車のフロントガラスに手をつき、必死に運転席を目指す琳。
 しかし、どんなに彼が頭を振ろうが、腕で払い除けようが、その度にムクドリたちの体の周囲に赤い光が現れ、打撃に弱ることなく何度でも襲ってくるのだ。
「琳さん! 琳さん!!」
 やがて、全身をムクドリについばまれた琳は、敏夫の見ている目の前で、力尽きて地面に崩れ落ちる。
「‥‥琳さん‥‥死んだらあかん! 早よう来るんや!」
 敏夫の声に、琳の片腕が上がる。

 その手は、逃げろ、と言っていた。

 そして、かろうじて動いていたその腕も、やがて、力なく折れて地に落ちる。
「琳‥‥さん‥‥」
 敏夫は、群がるムクドリたちが琳の体をついばむ様を、ただ見ているしかできなかった。
「琳さん‥‥スマン‥‥!」

 咽の奥から搾り出すような声を上げ、敏夫は、何度も何度もダッシュボードを叩き続けた。 


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●依頼内容
・日本の近畿地方、井上観光農園内に現れたムクドリキメラを退治してください。
・依頼人は、経営者の井上 敏夫さん(入院中)と、地元の農協です。

●参加者一覧

白鐘剣一郎(ga0184
24歳・♂・AA
平坂 桃香(ga1831
20歳・♀・PN
ラウル・カミーユ(ga7242
25歳・♂・JG
鈍名 レイジ(ga8428
24歳・♂・AA
御崎 緋音(ga8646
21歳・♀・JG
斑鳩・八雲(ga8672
19歳・♂・AA
御凪 由梨香(ga8726
14歳・♀・DF
レジーノ・クリオテラス(ga9186
25歳・♂・EP

●リプレイ本文

「凶暴な鳥が一般人を襲う‥‥。やれやれ、今度は本当に映画そのものですねぇ」
 むかしなつかしの名作映画を思い出しつつ、斑鳩・八雲(ga8672)は、畑の向こうの大木を見つめ、ポツリと呟いた。
「バグアめ、今度はオールドムービーの影響か‥‥」
「やっぱり観たんですかねぇ。バグアが、あの映画」
 『新型キメラ開発会議と称して、勤務中に映画鑑賞するバグアの図』を思い浮かべ、苦笑いの平坂 桃香(ga1831)と白鐘剣一郎(ga0184)。
「うーん、早速だけどワクワクしてきたぞ?」
 その後ろでは、物陰に大量のぬいぐるみを座らせ、ニコニコと練乳缶を抱えているレジーノ・クリオテラス(ga9186)の姿があった。
「キメラの卵って、目玉焼きにしたら美味しいのかなあ? むしろあのキメラも焼き鳥にしたら美味しいのかなあ?」
 彼の一番の懸念は、イチゴの有無であったのだが、ざっと見た限り、まだそれなりに残っているようであった。それどころか彼は、イチゴ以外も気になっているらしい。
「ラウルさん、どうですか?」
「んー‥‥」
 背後から御崎緋音(ga8646)に声を掛けられ、双眼鏡を覗いていたラウル・カミーユ(ga7242)は、振り返って頭を捻った。
「葉っぱでよく見えナイ。でもガサガサしてるから、いるんじゃないカナー?」
「ともかく! あんな鳥はきっちりと駆除しないとね!」
 同じく木の様子を窺っていた御凪 由梨香(ga8726)が声を上げ、双眼鏡を下ろす。その視線の先には、農道の隅に横たわる、琳の亡骸があった。
「犠牲の上に成り立つ、か‥・・わかっちゃいたが嫌な仕事だぜ‥‥傭兵ってのは」
 受付の机の下から、貸出用のレジャーシートを一枚引っ張り出すと、鈍名 レイジ(ga8428)は、それをポケットに押し込み、溜息をつく。遺体を野ざらしにしておくのは、いくらなんでも忍びなかった。
「確認しましたが、琳さんの遺体の収容と遺族への引渡しは、軍警察が行うようです」
「そうですか‥‥じゃあ、あまり触らないほうがいいかもしれませんね‥‥」
 軍警察が遺体を収容してくれるのは有難いが、そうすると、肉親でない敏夫に琳の遺品を渡すのは、難しいだろう。斑鳩の言葉に、御崎は、複雑な表情で琳の遺体の方を見遣った。
 白鐘は、聳える大木とイチゴ畑を見回し、一同を振り返ると、真剣な面持ちで深く頷き、口を開いた。
「――では手始めは打ち合わせ通りに、以降は臨機応変だ。始めよう」


    ◆◇
 イチゴ畑を迂回し、一行が木に近付けば近付くほど、ギャアギャアと耳につく鳴き声は大きく響き、敵の接近に色めき立ったキメラたちが、しきりに枝を移っては木の葉を揺らした。
「ったく‥‥ギャーギャー煩いんだよ」
 片耳に人差し指を突っ込んで顔を顰め、鈍名は、少し苛立った声を漏らす。
 ガサガサと激しく擦れ合う新緑の下、先頭の白鐘が頭上を見上げると、梢を飛び交い、大口を開けて威嚇するいくつもの小さな影が目に入った。
「さぁ、遠慮は無用だ。掛かって来い!」
 言うや否や、白鐘は、目の前にある木の幹を、力の限り蹴りつける。
 驚いて飛び立ったキメラたちは、遥か上空に逃れながらも怒りの声を上げ、木の枝と葉に隠れた一同が見渡せる位置まで、旋回しながら素早く移動を始めた。
「速くて数が多いのが厄介だけど、一体ずつ倒していけば、だよね」
 空を仰ぎ、スコーピオンを構えた御凪の言葉に応えるかのように、木の幹を背に陣形を組んだ能力者たちが、次々に覚醒を始める。
「見切った」
 翼を畳み、頭を真下に向けて高速で降下してきたキメラを、白鐘の蛍火が一閃した。
 悲鳴を上げる間もなく斬り飛ばされたキメラの胴と首が地面に着くその前に、彼は、自分の耳元を掠めて飛び、再び上昇の軌道に乗ったもう一羽に視線を向ける。
「逃がさん‥‥天都神影流・虚空閃!」
 右手の月詠が空を薙ぐと、発動したソニックブームがキメラの背中を襲った。キメラの小さな体は、その衝撃に耐えきれず大きく吹っ飛び、遠くの地面に落下する。
 白鐘の隣では、長い髪に青白色の輝きを湛えた平坂が、疾風脚に強化された敏捷性でキメラの襲撃を巧みにかわし、天に掲げたS−01で上空の敵を正確に撃ち落としていた。
「なかなか速いですけど、やっぱり、丈夫ではないみたいですねぇ」
 二つの死骸が平坂の両脇に音を立てて落ち、目を狙って真上から襲撃をかけてきた一羽もまた、彼女の振るった刀に正面から突っ込み、落下する。
「来やがれッ! ‥‥片っ端から叩き落としてやる!!」
 鈍名は、自身の背丈をも超える大剣を両手に構え、全身から火花を散らして叫び、敵を挑発した。ツーハンドソードの刀身が一瞬赤い光を纏い、豪破斬撃が発動する。
 すると、彼の挑発が効いたか、甲高い声を上げ、二羽のキメラが垂直降下し、突撃をかけてきた。一羽のキメラが、彼の振るった大剣を紙一重で避け、腕まくりをした肌に細い傷をつける。
 だが、鈍名は不敵に笑い、かわされた武器の重みを利用して体を一回転させると、大剣の刃の向きを変えた。
「肉を切らせて骨までブッた斬る! ってなぁ!!」
 大剣の刃ではなく、面が、恐ろしい速度と重量でキメラにぶつかり、一瞬でその体を遥か彼方へ吹っ飛ばす。鈍名は、返す剣でソニックブームを発生させ、迫り来るもう一羽を木端微塵に斬り飛ばした。
「ホームラーン! なんてネ♪」
 後列のラウルが、鈍名が吹っ飛ばしたキメラの行方を目で追いながら、おどけた歓声を上げる。
 彼は、両手に構えた銃を上空に向け、弾幕を張ると同時に、影撃ちを発動させた。二丁の小銃から吐き出される無数の銃弾がキメラたちを襲い、貫かれた二羽が真っ逆さまに落下する。
 すると、頭上を旋回するキメラたちの影が、太陽の下で一瞬大きく散らばり、ギャアアッ、と一際耳につく鳴き声を上げて、急激に集束を始めた。
「一斉攻撃、ってコト?」
 唇の端をわずかに歪めて微笑ったラウルの台詞も終わらぬうち、もはや半分程度にまで数を減らしたキメラたちが、一斉に翼を畳み、次々と急降下をかけてきたのだ。
 自身の推進力と重力を利用し、目にも止まらぬ速さで前列に襲いかかるキメラを、ラウルのシエルクラインが正確に狙い撃つ。だが、残ったキメラたちは、それに怯むことなく、上から横から何度でも突撃し続けた。
「やらせないっ!」
 御凪のスコーピオンが火を噴き、白鐘の真上から急降下をかけていた二羽のうち、一羽の頭を吹き飛ばした。休むことなく引き金を引いた御凪の銃弾がもう一羽の翼の先を掠め、数本の羽根が空に舞う。
「御崎さん! 前!」
「――!」
 空を見上げ、前列の頭上に弾幕を張っていた御崎は、御凪の声に反応し、咄嗟に左手を上げる。一瞬遅れて、ガン、と鈍い音が響き、御凪の持つバックラーに衝撃が走った。
 左手を下ろしてみると、御凪の目の前には、盾に激突して地面に転がった一羽のキメラの姿があった。
「‥‥」
 御凪は、頭上に向けていたスコーピオンを下ろすと、静かにその銃口を、キメラの腹に押し当て、引き金を引く。
「犠牲者の痛み‥‥思い知れっ!」
 その蒼い双眸は、言い知れぬ冷気を湛え、原型を留めることなく弾け飛んだキメラの死骸を、ただ静かに見下ろしていた。
「あと少しですね!」
 自分に向かってきたキメラを刀で薙ぎ払い、斑鳩が上空を見上げて言う。
 前列から離れて上昇しようとする一羽の軌道を読み、彼は、すかさずその場で大きく踏み込むと、居合いの要領で空中を一閃した。不可視の衝撃波がキメラを襲い、衝突と同時にその翼を引き千切り、吹き飛ばす。
「痛っ!」
 その時、ゴーグルに気付かず突撃してきたキメラに激突され、平坂が頬骨のあたりを押さえて悲鳴を上げた。そして、慌てて方向転換したそのキメラを、斑鳩のデヴァステイターと、レジーノのスコーピオンが狙う。
 斑鳩の放った弾をかわしたキメラは、レジーノの銃弾を尾のあたりに受けながらも、さらに加速した。
「ちょっとばかし、狙い撃っちゃうからね!」
 瞬時に自身障壁を発動させ、キメラの軌道に割り込むレジーノ。
 左手のスコーピオンで迫り来るキメラを撃ち抜き、勢いそのままに突っ込んできたその小さな体を、ヴィアの一薙ぎが完全に斬り飛ばし、息の根を止めた。
「ようやく片付いたか。だが、もうひと頑張りだな」
 残るは、三羽。
 ギャアギャアと大騒ぎしながら上昇していくキメラたちを見上げ、白鐘が小さく息を吐いた。
「アイツらっ‥‥逃げる気か!」
 大空を大きく一周し、一同とは逆の方へと方向を変えたキメラたちを見据え、鈍名が舌打ちする。
「大丈夫! まだ届くよ!」
 飛び去るキメラにスコーピオンの銃口を向け、御凪は素早く引き金を引く。続いて、平坂、レジーノもそれぞれに銃を構え、キメラたちを狙い撃った。
 しかし、銃弾を逃れた一羽がさらに速度を増し、スコーピオンもS−01も届かない射程外へと、全速力で逃げていく。
 レジーノが歯噛みし、銃を下ろした、その時。
 耳をつんざく連射音が辺りに響き、逃げ延びたかと思われた最後の一羽が、空中で激しく錐揉みしながら地面へと落下した。
 それは、狙撃眼で射程を延ばし、影撃ちで命中力を上げたスナイパーのラウルが、キメラの飛行能力に勝利した瞬間であった。
「‥‥逃がすとでも思った?」
 彼は、誰にともなくそう呟くと、イチゴの香りのする煙を吐き出して、ふっと微笑を浮かべてみせた。


    ◆◇
 白鐘が病院を訪ねた時、敏夫には、別の客が見舞いに来ていた。
 小一時間ほど待った頃であろうか、白鐘が待つ談話室の扉が開き、銀髪の女性に肩を支えられた初老の男性が姿を現したのだった。
「あんたですかいな? ムクドリどもを退治してくれはったんは?」
 そう声を掛けられ、白鐘は、驚いて顔を上げる。
「井上さんですか? わざわざ出てこられなくても‥‥」
「いや、ええんです。目ぇはやられても、体の傷は、大したことありませんのや」
 そう言うと、片眼と首、体のあちこちに包帯を巻いた敏夫は、大儀そうに白鐘の隣に腰を下ろした。
「キメラは片付きました。ところで一つご相談なのですが」
 白鐘が冷静にそう切り出し、木の伐採を提案すると、敏夫は何度か深く頷き、口を開く。
「そうしてください。畑の北側やし、ええかと思ってそのままにしとった木やけど‥‥もう見たくもありませんのや」
「わかりました」
 と、その時、廊下からガヤガヤと話し声が聞こえ、不意に談話室の扉が開いた。
「あれー? 剣ちー、ココにいた」
「捜しましたよ」
 ケーキの箱のようなものを持ったラウルと御崎が顔を覗かせ、他のメンバーもそれに続く。
「巣は全部落としたし、卵もなかったみたい」
「UPCへも連絡しておきましたので、間もなく軍警察が到着するでしょう」
 レジーノと斑鳩の二人が代表して白鐘に成果を報告し、敏夫もまた、静かにそれを聞いていた。
 元々、樹上のキメラの巣や痕跡の撤去は平坂、鈍名、レジーノ組が行い、UPCや敏夫への連絡は白鐘、斑鳩、御凪組が担当すると予め決めていたため、キメラ退治後の皆の動きは、実にスムーズなものであった。
「ほんまに‥‥ありがとうございます。琳さんのことも、ちゃんとしてくれはって‥‥」
 そう言って頭を垂れた敏夫の右目には、一粒の涙。
「ほんまに‥‥不公平やな。世の中は‥‥。こんな老いぼれ生かして、琳さんみたいに若いもん死んでもうて‥‥」
「‥‥淋さんは、貴方を助けられて悔いは無かったと思いますよ。だからそんなに自分を責めないでください」
 力なく肩を落とす敏夫の背中を擦り、御崎は、ゆっくりとした口調でそう言った。
「貴方が淋さんの分まで農業を頑張るのが、何よりの手向けになるのではないでしょうか」
 敏夫を気遣い、優しい笑顔を浮かべる御崎に続き、斑鳩が身を屈め、静かに言葉を掛ける。
「そうです。生意気な意見ですが、美味しいイチゴを作り続けることがきっと琳さんの供養にもなる、と思いますよ」
「大変だと思いますが、琳さんの分まで頑張ってください」
 隣に座る白鐘が、敏夫の目を見ながら言い、小さく頷いてみせた。
「‥‥」
 口を閉ざし、黙り込んだ敏夫の肩に、先程から付き添っている銀髪の女性が、そっと手を触れる。
 そこへ、ラウルが持ってきた箱を開け、中身を敏夫の前に差し出してみせた。
「自信作だから、食べてネ?」
 それは、窓からの光を浴びてツヤツヤと輝く、イチゴのタルト。
 琳と一緒に守り、育てた、大粒のイチゴ。
 それは、遺品捜しを担当していたラウルと御崎が見つけた、琳からの贈り物だった。
「生きる為には、食べるコトが必要だから」
「‥‥‥‥ありがとう。ほんまに‥‥ありがとうな‥‥!」
 微笑むラウルからイチゴのタルトを受け取り、敏夫は、声を上げて泣き続けた――。


    ◆◇
「イチゴ狩りだーーーー!!!」
「ちょ、ちょっと、洗ったほうがいいですよっ! 鉄の味がするかも‥‥」
 木の伐採も済んだ晴天の昼下がり、狩ったイチゴを練乳缶にドプドプつけて貪り食っているレジーノに、平坂が水の入ったボウルを差し出した。ちなみに、彼女と白鐘は、イチゴ遠慮組である。
「お疲れ。これも報酬の内だな」
 練乳がけイチゴを口に含んだ鈍名が、平坂と白鐘にお茶を淹れ、さらにもう一つ、イチゴを口に入れる。
「あんな事の後ではあるけど、楽しめるものは楽しまないとね」
「本当に大粒ですね。持って帰ってもいいそうですよ」
 食べ過ぎない程度に時々味見をしつつ、幸せそうな表情でイチゴをカゴに摘んでいるのは、御凪と御崎。
「イチゴの甘味の多くはキシリトールらしいですよ。虫歯を気にせず食べられますねぇ」
「うーん、甘い♪ 僕も持って帰ろー」
 斑鳩とラウルもまた、カゴ一杯にイチゴを摘み、大粒のイチゴを美味しく頂いていた。
 イチゴの糖度に酔い痴れ、イチゴ狩りを楽しむ一同。
 農道に腰を下ろし、イチゴ畑を眺めていた白鐘の目に、ふと、見憶えのある人影が映った。
「‥‥あれは‥‥?」
 イチゴ畑の向こう、反対側の農道に、喪服を着た女性が立っている。
 それは、病院で見た、あの銀髪の女性であった。
 しばらくして、白鐘の視線に気付き、皆もそちらを振り返る。

 彼女は、少しの間、そうして立ったまま一同を見つめていたが、やがて、静かに一礼した。
 そして、喪服の裾を翻し、ゆっくりと農道を歩いて行く。

「‥‥あの人、琳さんの身内の方じゃないですかね?」
 ぽつり、と平坂が呟き、白鐘は何も言わず、その女性の後ろ姿を眺めていた。

 ――降り注ぐ太陽の光を浴びて、無言のまま歩き続けるその姿は、一面の緑に咲く一輪の氷の花のように、暗く、冷たい色。

「なんにせよ‥‥戦争ってのは、嫌なもんだぜ」 
 イチゴ畑にしゃがみ、膝に頬杖をついた鈍名が、小さくなっていく人影をその目に映しながら、独り言のようにそう口にした。