タイトル:デビューを飾れ!マスター:桃谷 かな

シナリオ形態: イベント
難易度: やや易
参加人数: 18 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/05/19 23:44

●オープニング本文



「何の用?」
 牢の中、ただベッドに寝転がっているだけに見えた女が、不意に目を開けた。
 瞑想から覚めた彼女の表情は引き締まり、面倒臭げな声音とは裏腹に、纏う空気は武人そのもの。
「聞きたいことがあるんです」
「母親の事?」
 一目で自分の正体を見抜いた強化人間、本城恭香の言葉に、リアム・ミラー(gz0381)は一瞬、たじろいだ。
 死んだらしいわね、と、仰向けのまま呟く彼女からは、何の感情も感じ取れない。ただひたすらに、諦念と倦怠感だけを纏わりつかせたような女だ。
 それでも、生前の母を知る人間の、その記憶に触れられる時間は、リアムの心を落ち着かせた。
「母の事じゃありません。アナクララ・ヒサイシっていう、今で5歳ぐらいの女の子を探してるんだ」
「ああ‥‥」
 南米バグア軍時代、プリマヴェーラ・ネヴェ(gz0193)やソフィア・バンデラス(gz0255)と行動を共にした事のある本城には、リアムの言う少女に心当たりがある。プリマヴェーラが何処からともなく連れて来て、ソフィアの子供――ユウの遊び相手にしていた少女の事だ。
「その子、まだ見つかってないんだ。探してるんだけどさ」
「何故、探すの?」
 拗ねるように、甘えるように言ったリアムに、本城は顔を向けた。
「なんでって‥‥」
 明確な答えが浮かばないまま、口籠るリアム。
 本城は暫く沈黙し、ふっと息を吐いて上体を起こす。
「確か、グアヤキル決戦の早朝に逃がされた筈よ。その後は知らないわ」
「そっか‥‥生きてるなら、いいんだけど‥‥」
 会話の終了と同時に、再び静寂が落ちた。窓から聞こえる鳥の声が、無機質な牢に甲高く木霊する。
「‥‥それだけのために、この基地まで?」
 沈黙を破ったのは、意外にも本城の方だ。リアムは首を横に振り、明るい表情で口を開く。
「ううん。護衛依頼なんだ」
「誰の」
「ユウの」
「‥‥?」
 またしても知っている名だ。本城は、珍しく怪訝な目でリアムを見返した。
「軍の研究施設にいるけど、今日初めて外出許可が下りたんだ。だから、コルテス大佐が護衛をつけるって」
「‥‥大袈裟ね」
 小さく息をつく本城。
 ただ、その唇の端は僅かに、上を向いているように見えた。



 ユウ・バンデラス。2011年1月1日生まれ。男の子。
 南米、クルゼイロ・ド・スゥル基地近郊の研究施設で育てられている以外は、ごくごく普通の1歳児である。
 実は母親が元ミス・ボリビア、UPC南中央軍准尉のソフィア・バンデラスであったり、妊娠中の彼女が死ぬ間際にグローリーグリムというバグアと約束を交してヨリシロとなった以後は培養液で育てられていたり、更にその後はソフィアだけでなく複数のバグアや強化人間の庇護を受けて育ったり、本城恭香らの手で人類の元へ帰った時に父親がUPC南中央軍のジャンゴ・コルテス大佐だと判明したりという点は、正直、言われなければわからない。そんな、ちょっと母親似で人より美形なだけのチビッコである。
 なお、世界で戦えるレベルの美女・ソフィアは死亡時22歳、コルテス大佐は当時50歳ほどであったと思われる。それだけで、南中央軍の若い衆の絶望は深いのだが、それはまた別問題だ。

 1歳を過ぎてからのユウの成長は、中々に目覚ましいものがある。
 高速ハイハイを経てヨチヨチ歩きを始め、柔らかくすれば大人と同じ食材の料理が食べられるようになった。意味のある単語をいくつか発するようになった。一人遊びの時間が増えた。『イヤイヤ』をするようになった。
 失敗して癇癪を起こすことはあっても、何でも自分でやろうとし、大人の真似をする様は、世話係の研究所職員達に「この子マジ天才じゃね?」と思い込ませるぐらいに、まあ普通の1歳児である。
 彼は現在、バグアによる肉体改造の有無や、胎児期を培養液内で過ごした事による弊害の有無などを調べるため、研究施設を仮の住居として過ごしている。今のところ、それらの問題は確認されていない。

 しかし、コルテス大佐や研究所職員らの一番の懸念は、まだ彼が『公園デビュー』を済ませていないことであった。
 研究施設内の庭で遊ばせることはあるが、人類の元へ帰ってからというもの、それ以外の世界を知らないのだ。
 彼の社会性を育てるため、もっと多くの人々に出会い、外の世界に何があるのかを、もっと知らなければならない。コルテス大佐らはそう考え、彼に対する『育児』の方針を切り替えた。

 ‥‥とはいえ、やはり彼は『バグアの子』。
 彼を利用しようと企むバグアがいないとは限らず、また、世間には、バグアに恨みを持つ人間も多い。
 初の外出は安全性を考慮し、ついでに大勢の人間との交流も図るため、ULTの傭兵をベビーシッターに雇うことを条件に認められたのである。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
●依頼内容
 ソフィア・バンデラスの息子、ユウ・バンデラスの、お出掛けデビューを手伝ってください。

●参加者一覧

/ ケイ・リヒャルト(ga0598) / ラウル・カミーユ(ga7242) / 百地・悠季(ga8270) / 鈍名 レイジ(ga8428) / 遠倉 雨音(gb0338) / マイケル=アンジェルズ(gb1978) / 赤崎羽矢子(gb2140) / トリシア・トールズソン(gb4346) / 愛梨(gb5765) / 天原大地(gb5927) / ラナ・ヴェクサー(gc1748) / 美楚歌(gc3295) / 繪(gc8800) / KIRAKIRA(gc8802) / 恵真(gc8804) / ジャック・O(gc8805) / 与那城尊(gc8806) / 直記(gc8807

●リプレイ本文

「‥‥ねえ愛梨、赤ちゃんって触ったことある? 私、初めてなんだ」
 施設の玄関に停められたワゴンの前。自信なさげに笑うトリシア・トールズソンに対し、愛梨は「うーん」と眉を寄せて肩を竦めた。
「あたしは護衛に回るわよ。扱い方、全然わかんないし。トリシアは世話したいの?」
「えっと‥‥あのね」
 ワゴンに両腕で凭れかかったまま、何やらモジモジと口籠った後、金髪の隙間から顔を覗かせて、トリシアが言う。
「‥‥少し、練習しておきたいな、って‥‥」
「やだ、何その幸せそうな顔っ!」
 愛梨は、大袈裟に飛び退いてみせた。
「まったく、いいわよねー。良い相手がいるんだもの。いいわよいいわよ、好きにしなさいよー」
「もうっ、やだ、やめてよー!!」
 からかいながら逃げる愛梨を、頬を真っ赤に染めたトリシアが追いかけて行く。
 鈍名 レイジとラウル・カミーユは車体に凭れながら、その平和な光景をぼんやり眺めていた。
「そういや、ラウルさんもリアムの名前見て参加したクチか?」
「そだヨー。ユウのコトはよく知らナイし、直接の動機はソレ」
「あの二人も、そうなんだろうな。あれからもう半年、か‥‥」
 南米の眩しい太陽。湿った風。
 プリマヴェーラ・ネヴェが死んだあの日も、ちょうど似たような天気だった。 
「一人で塞ぎ込んでたトカじゃなければヨイケド」
「今朝は一人で基地に寄るって連絡があったらしいぜ。どんな用かは察しがつくが‥‥俺が気になるのは」
 心の整理を急ぎ、無理をしているのではないか。
 レイジは溜息混じりにそう話した。
「僕も、そんな気がスル。だカラ、ちょと話したいナ」


    **
 リアムと羽矢子(赤崎羽矢子)は、あたし達より、少しだけ遅れて来たわ。
「久しぶり、元気してた?」
「それなりかなぁ。愛梨は?」
 半年前の事なんて忘れたみたいな顔で、何も無かったみたいにそう言うから。
 踏み込んで来るなって、そう言われてるみたいな距離を感じたの。
「あのね、久しぶりにリアムに会いたかったから、南米に来たんだ。そしたら、この依頼を受けてるって聞いて」
 ‥‥素直に「会いたかった」って言えるトリシアが、羨ましくて。
「そ。リアムはどしてるのカナ、って。 ‥‥と、今カラ育児べんきょーしとくのもヨイと思って!」
「へぇ。その分じゃ、ラウルさんと琳さんは上手くいってるみたいだな」
 ちゃんと話題を振れる大人が、羨ましかった。
「じゃ、あたしはここで見送るよ」
 車に乗ろうとしない羽矢子に、リアムが言ったわ。
「羽矢子さん。アナクララのこと、何かわかったら僕にも教えて?」

 アナ・クララ。
 あたしの心臓が大きく脈を打つ。半年前の、あの人の前で暴走した感情が蘇る。

「‥‥愛梨」
「え? ‥‥あ」
 ラウルに眉間を突かれて、そこに寄せてた皺に気がついた。
 レイジもラウルも、トリシアも。きっと皆、あたしと同じ事を考えたのね。
 リアムも、さっきより神妙な顔をしてたけれど。
「‥‥半年間、リアムも色々あっただろうし、皆も気になってるだろうな。俺も気になるさ」
 施設の玄関から悠季(百地・悠季)や美楚歌が出て来たのを見て、レイジが言ったわ。
「まあ、とりあえず、だ。依頼と割り切って今は少し表情を崩してみようぜ。子供ってのは感情に敏感だって言うしな。あんまり渋い顔してたら嫌われちまうぜ?」
「さんせー! そだ、最初はドコから回る? 着ぐるみショーは外せナイっしょ!」
 レイジにラウル、トリシア。彼らがここに居て、本当に良かったと思う。
 また皆と一緒に過ごす事で、リアムが一瞬でも悲しみを紛らわせたら。 
「愛梨、先に乗るよ?」
 リアムはまた、何事も無かったみたいにそう言ったわ。
 だからあたしは、いつもみたいにこう返すしかないの。
「乗らないわよ。あんたも護衛なんだから、先行して危険がないか確認する事ぐらい考えたら? じゃあね!」
「はぁ!?」
「ちょ、ちょっと! 愛梨〜!!」
 困ったみたいなトリシアの声。それを背中に受けながらバイクを走らせた。

 ずっと、自分でも不思議なくらい、彼に会いたいと思ってたの。
 けど、彼が傷ついてるって思えば思う程、顔を見るのが怖かった。

「‥‥だけど」
 一緒に過ごすのは、リアムのため?
 それとも自分の‥‥?


●ショッピングセンター
 彼女は、母を知らない。
 硝煙の臭いがする父の背中。彼女にとっては、それが親の全て。
「そうよ、トリシア。しっかり膝に座らせて頂戴ね。緊張しているようだから」
 ショッピングセンターのイベント広場。腰掛けた膝にユウを託されて、彼女はオロオロとその体を抱き止めた。
 ユウは、目を丸くして微動だにせず、悠季や目の前を行き交う人々を見詰めている。
「初めて施設の外に出た故、固まっているだけでありますよ」
「う、うん‥‥」
 プロのベビーシッターだと言う美楚歌に言われ、彼女はおずおずとユウの顔を見下ろした。
(大丈夫。大丈夫‥‥だよね)
 母親を知らずとも、子を産み育てた者は大勢いる。だが、好きな人が出来て、いつか訪れるだろう幸せな将来を想像する反面、彼女はいつでも不安に駆られていた。
「じゃ、買い物に行って来るわね」
「ショーは30分間か。終わる頃には戻るさ」
「うん‥‥」
 美楚歌やリアム、ラウルが傍に居るとはいえ、悠季とレイジが離れてしまうのは心細く感じる。愛梨もまた、広場に隣接したカフェに入ったきりだ。
「ユウ、見て。お姉ちゃん達がバイバーイって」
 引き攣った笑顔でユウを抱く彼女の前で、ラウルが悠季達に手を振ってみせる。
「あっ‥‥!」
 その時、緊張して固まっていたユウの体が急に動き、膝の上でバランスを崩しかけた。
 彼女は思わず声を上げ、両腕に力を込める――が、
「ばいばーい」
 それは、ただ手を振っただけだった。初めて幼児を世話する彼女には、その僅かな体重移動でさえ、危なく感じたのだろう。
「すごい、バイバイできるんだっ!」
「えらいネー。他に何が言えるのカナ?」
 ほっと息をつくと同時、彼女は、驚きとも、感動ともつかない感情が生まれるのを感じた。
 ラウルが顔を近づけて褒める様子を、どこか温かい気持ちで見守る。
 それと同時に、ユウの緊張も解けてきたのか、モソモソと動き始めた。
「床に降りたいのカナ?」
「あー! そっか。よしっ、靴履こう! それから床に降りてみよう!」
 靴を履かせて、しっかり抱き上げて。
 彼女はそっと、ユウを床に立たせた。
(子供を産んだり、育てたり。お母さんって、きっと大変)
 軽くなった膝を片手で撫でながら、彼女はもう一方の手で彼の手を取る。
 離れないように。転ばないように。

 きっと昔、父が彼女にそうしてくれたように。
 
 
    **
 着ぐるみショー開始直後のユウは、再び硬直していた。
 人混みの中に不審な者が居ないか、一行から少し離れた席に座すジャック・O、与那城尊、恵真が警戒に当たる。
「ユウ、楽しいヨー♪ ダンスダンス♪」
 ラウルのテンションも高い。固まってしまったユウを楽しませようと、着ぐるみに合わせて踊るのだが‥‥、
「イニャニャイ! ヤッ!」
 怖がっているのか、ユウはトリシアの脚にしがみついてイヤイヤをするばかり。
「困ったナー。ホラ、僕と一緒に踊ろ? みんな踊ってるヨー!」
 その時だ。
 踊るラウルの背後に忍び寄る、灰色の影。
『OH〜汝はベリーベリー舞踊がお上手デスネ〜!』
「えっ‥‥喋ったヨ!?」
 尻をリズミカルに振りながら、謎口調でラウルに話しかけてきたのは、ステージから降りてきたネズミの着ぐるみだった。
『HEY、GIRL! 若いお母さんデスネ〜。汝にそっくりデース!』
「わ、私っ、お母さんじゃないよっ!」
 トリシアと親子に間違われたユウは、ただひたすらポカンとしている。
『お母さんに似て美人デスネ〜! きっと大きくなったら、そこら中のBOY達がほっときマセンネ〜♪』
「ユウ様は男の子なのであります。そして、我々はただのベビーシtt」
『HAHAHA! 汝もお母さんも一緒に踊りまSHOW!♪』
「ひ、人の話を聞くであります!」
 ネズミのスルースキルの高さは、もはやこちらの話を全く聞いていないレベルであった。
 一瞬、ショーに紛れ込んだ敵かと思って身構えたジャックだったが、奴は話が噛み合わないだけで敵性はないと判断し、剣にかけた片手を下ろす。
「紛らわしい‥‥それにしても、思い切ったアクターがいたものです」
 身構えている尊、恵真に目配せし、再び席に着いた。
『HAHAHA! ビューティフルなGIRLの舞踊をSHOW MEデスネ〜♪』
「あ、ユウ! 踊る? ちょと楽しそうカナ? いいヨー、ねずみサンと踊ろ♪」
 とはいえ、心の垣根お構いなしで強引に踏み込んで来たネズミのお陰か、徐々にユウがショーに興味を示し始めたようだ。
 手でリズムを取るユウに、手を差し伸べるネズミ。
 だが、
「イニャニャイ! アッチ!」
 ユウは、ネズミよりMCの南米美女が気に入っていた。


●ラナ・ヴェクサー
 石畳を踏みしめて、明るい太陽の下をゆっくり歩いた。
 基地が近いために軍人向けのバーが多く軒を連ね、午前中はその殆どに準備中の札が掛かっている。
 ラナの歩みに目的地がない事は傍目にも明らかで、彷徨う視線は何を探しているようにも見えなかった。
 若い女性が所在ない様子で一人歩いているにも関わらず声を掛ける男が現れないのは、単に時間帯の問題だろう。
 ニューススタンドで買った新聞には、南米や世界各地の戦況が大きく掲載されている。
 戦時下であることは認識できるが、町には人が行き交い、花が咲き、歌が流れていた。
 ふと不動産屋の前を通って、立ち止まる。
「この時代に、引っ越して来る人なんているんでしょうか‥‥」
 賃貸アパートメントの広告に視線を落とし、独り言を漏らした。
 ガラスの向こうの営業マンと目が合いかけて、ラナは無言でその場を後にする。
 適当に入ったカフェの窓際に座り、適当な注文をした後、ラナはぼんやりと、物想いに耽った。
 店内には、本を読んでいる老人が一人と、非番の軍人と思しき男女が数名。
 周辺国が次々と人類圏に色を変えたこの地域は、軍事色こそあれど、十分に生活の場としての落ち着きを感じさせる。
「静か‥‥だな‥‥」
 ぽつり、と。
 ラナは小さく、呟いた。
 濃い緑の臭いと、鉄と硝煙の臭い。血で血を洗う地獄のような光景は、この南米で幾度も目にし、経験してきた。
 死んでも不思議はない程の傷も、何度も負った。
 死を覚悟して、敵に見逃された事すらある。
 浴びるように、貪るように薬を飲み、それでも生きていた。
 それらは全て過去の出来事。今、目の前にある静かな日常が、それを物語る。
「‥‥受けた傷は残る。だけど‥‥」
 運ばれてきた料理に手もつけず、ラナは自らの体を両腕で掻き抱いた。
 かつて抱いた復讐心は落ち着き、自身がこの南米に戦場を求めているわけではない事も、わかっている。
 ただ、過去の全てが夢幻のように思える今が、寂しかった。
 エドゥアール。ゼーファイド。ティルダナ。アリスン。クリスト。徐。マクレガー。
 それで全部か。もう、誰かを忘れてしまったのではないだろうか。
 散っていった彼らの顔が、名前が、いつか記憶の中で薄れて消えてしまうのではないか。
 本城に面会するつもりはない。ただ‥‥忘れたくない。
「‥‥夢じゃない‥‥」
 沢山の敗北と屈辱と、勝利と。そこから続く道の先が、今だから。

 彼らが生きていた過去を、忘れはしない。


●百地・悠季
「‥‥南米の基地に出向いてのベビーシッター依頼って、何だろうなと思ったけれど」
 ユウ達一行に合流した悠季は、リトミック教室の外のベンチに座り、ポツリと呟いた。
『〜♪ 〜〜♪』
 室内では、先生達と3歳以下の幼児達が、音楽に合わせて楽しげに動き回っている。
 その中で、一際大きい身振りで踊っている幼児が一人。
「アワワワ〜♪」
 ユウは、楽しげにキャッキャッと笑いながら時々歌い、初回ということで隣に付き添っているラウルや周りの幼児を見ては若干のドヤ顔をしてみせる。
(出身が出身だもの、大袈裟なのは無理ないわよねぇ‥‥)
 まだ他の子供に近づこうとはしないものの、着ぐるみショークリア後のユウは御機嫌である。買ったばかりのベビーカーや玩具、外出着の値札を切る作業をレイジに任せ、悠季と美楚歌は、フロアガイドを開いて昼食を選び始めた。
「うーん‥‥時雨より大きいのよね」
 最初の子育ては誰しも不安で、手探り状態。それはコルテス大佐も、生後5カ月の娘を持つ悠季も同じである。勉強はしているが、やはり、実際に1歳4ヶ月の子供の食事を考えるとなると、迷いが生じた。
「施設からの事前情報では、ユウ様は大人の食事でも小さく切れば食べられるそうであります。薄味で硬すぎないメニューを選ぶでありますよ」
「なら、取り分けでも構わないわね。ファミリー向けのレストランはどれかしら?」
 個人的に世話になっているベビーシッターの美楚歌と相談しながら、レストランを探す悠季。
 施設から預かった成長記録と今日の行程表、フロアガイドを見比べながら答える彼女は、とても頼もしく見えた。
「ねえ、美楚歌。先月、家出していた間の事だけれど、改めてお礼を言うわね。荒れてた心を落ち着かせる為に時間が欲しかったから、助かったわよ」
 周囲には聞かれないタイミングで、悠季は美楚歌に、そう言葉をかける。
「美楚歌はプロであります。礼には及ばないのですよ。それに、時雨様は中々理髪なお子様で、美楚歌の方も色々助けられたであります」
「有難う。今日も頼りにしているわよ」
「美楚歌も、ヨリシロのお子様のお世話は初めてでありますが‥‥」
 一曲目が終わり、マグから水を飲みつつ教室内を見回しているユウを振り返って、美楚歌は思わず口元を緩めた。
「親の因果は子供には関係の無い事なので、ユウ様には色眼鏡抜きでお世話するですよ」
「‥‥そうね」


●クルゼイロ・ド・スゥル
「大佐も子煩悩だね。ユウは父親に似なくて良かったってとこかな?」
 クルゼイロ・ド・スゥル基地に到着した羽矢子は、そこで出会ったケイ・リヒャルトにユウの素性を問われて説明し、最後にそう言って笑った。
「けれど、今は幸せに暮らしているということ?」
「うん。でも」
 澄んだ緑の瞳を瞬かせ、尋ねるケイ。
 羽矢子は、僅かに視線を落とした後、小さく言葉を継いだ。
「‥‥でも、ソフィアの遺した子供だもんね」
「‥‥‥」
 羽矢子の想いは、その一言に集約されていた。
「高円寺と鉄木‥‥って言ってもわかんないか。兎に角、その二人の軍人を殺してグローリーグリムが逃げた時、あたしは、ソフィアの子供が本当にいるんじゃないかって気がしてた」
 太陽が眩しくて。羽矢子は下を向いて、目を細める。
「あのクリスマスに、プリマヴェーラが連れてたのがその子かと思ったけど、違ってた。けど、彼女はアナクララの事を『遊び相手』だって言った。だから、あたしは確信したんだ。ソフィアの子が生きてるってさ」
 羽矢子は行動し続けた。鉄木と高円寺が祝福し、ソフィアが全てと引き換えにして護ったその子を、取り戻すために。
 それが叶ったのだから、もう何も言う事は無い。それどころか、父親も判明し、その庇護下にいるというのだから、羽矢子の望んだ以上の結果が得られたと言っても良い。
「‥‥今日は、ユウに会いに行かないの?」
「もう、会って来たよ。‥‥車に乗って、あたしを見てた。それで十分」
 ソフィアに良く似た色の瞳で、施設の玄関に残った羽矢子を不思議そうに見つめていたユウ。
 もう大丈夫だと、羽矢子は確信した。
 だから、安心して次の事を考えられる。
 街へ行くと言うケイに別れを告げ、羽矢子は歩き出した。


    **
「‥‥本城さんたちとの会談から、もう半年近くが経つのですね」
 基地の廊下を歩きながら、遠倉 雨音は、隣で沈黙する天原大地に声をかけた。後から来た羽矢子もまた、ただ静かに歩みを進めている。
 執務室の扉を潜ったその先には、4人分の昼食が並んだテーブルとソファ。そして、ジャンゴ・コルテス、その人が居た。
「よく来たな。まあ座って、昼飯でも」
 白髪交じりのオールバック、整えられた軍服。日に焼けた顔を僅かに綻ばせ、歴戦の戦士は節くれだった手で傭兵達を招き入れる。
「お気遣いありがとうございます、大佐。以前の南米戦では大変お世話になりました」
「久し振りだな、大佐のオッサン」
 丁寧にお辞儀をして席に着いた雨音とは対照的に、ドスッと音を立てて腰を落とすなり、目の前のサンドイッチに手を伸ばす大地。
 羽矢子は軽く肩を竦め、コルテスに会釈をしてから席に着く。
「【JTFM】と‥‥俺は個人的にも傭兵の世話になった。楽にしてくれ」
 依頼時とは違い、随分と砕けた調子で、コルテスは豪快に笑った。
「質問がさ、何個かあるんだわ。オッサン、ちゃんとユウに会えてんのか?」
 背中を完全にソファに預け、大地が問うた。コルテスは、眉間に深い皺を作り、唸る。
「ノー、だな‥‥」
「‥‥大佐はお忙しいでしょうから‥‥」
 残念そうに呟く雨音。さすがに、普通の父親のようにはいかないのだろうか。
「ちゃんと息子として思えてんのか? そこんトコ、確認したいんだわ」
「実感は少しずつだがな。身に覚えだってある」
「あっはっは、そりゃナンもなしにガキは出来ねェさ!」
 肩を竦めて見せたコルテスに、大地は上機嫌に笑い返す。男達の会話に雨音は眉を顰めたが、同時にユウを語るコルテスの表情を見て安堵もしていた。
 彼はきっと、ユウをより良い未来へ導いてくれる。
 理屈ではなく、雨音はそう感じた。
「あの‥‥、あれから半年、ユウはどんな風に過ごしていたんですか?」
 コルテスが答えるには、基地に連れ帰って以降は現在の研究施設に保護されており、様々な検査を受けながら保育スタッフの手で養育されているという。いつか彼が施設を出た時の事を考え、一般家庭を意識した養育環境にはしてあるようだ。
「オッサン」
 それまで背凭れに両腕を載せていた天原が、前屈みに姿勢を正す。
「『ユウに必要とされてたから生きることを選んだ』本城のコトは見てる筈だ。アイツにユウを託せるか?」
「‥‥‥」
 誰もが押し黙る中、マイペースにジュースを啜る羽矢子。
 ただ、彼女の鳶色の目は冷静に、大地とコルテスの間を行き来していた。
「――それが養子縁組という意味ならば、難しいと言っておこう。本城恭香が仮に今後生き延びたとしても、彼女の経歴が消えるわけではない。子を養育するに十分な生活環境を彼女が用意できるかどうかもわからない」
「‥‥そうかよ」
 チッ、と。小さく大地が舌を打つ。雨音は何も言えず、ただ手元のコップを握り締めるしか出来なかった。
 しかし、
「だが、まあ‥‥そう暗くなるな」 
 不意に、コルテスの口元から白い歯が覗く。
「俺も歳だ。現役引退する気もねぇし、誰かの助けがなけりゃ寂しい思いをさせる一方だろうさ。わかるだろ?」
 ポカン、とした顔で聞く雨音を真っ直ぐに見詰め、コルテスは言葉を継いだ。
「俺が言うと、甘えに聞こえるかもしれんがな。あの子に繋がる誰かが、この情けない父親の子育てを助けてくれるってんなら、断る理由があるか?」
「‥‥お話しできて、よかったです」
 自嘲気味に口端を緩めるコルテスに、雨音は微笑みを返す。視界の端に、幾分柔らかくなった大地の表情を見ながら。
「――周りの人間、って流れで質問したいんだけど。アナクララという子供の行方が分からないかな、大佐」
 と、そこで、それまで黙っていた羽矢子が口を開いた。
「いや‥‥本城から多少は聞いているが、消息は掴めていない」
「じゃ、その子に家族はいたのかな?」
「少なくとも、その町に『ヒサイシ』という苗字の日系人は居住していなかった。‥‥それ以上はわからんな」
 彼女の背中が、彼女が乗ったビッグフィッシュが遠のいて行くのを。
 羽矢子はただ、黙って見ている事しかできなかった。
 だから。
「あの、さ。もし家族が見つからなかったら、ユウの遊び相手として保護してやってくれないかな? ユウの周りに軍人でない子もいた方がいいだろうし‥‥いや、自己満足なのは分かってるけど」
「‥‥ケースバイケース、だな。仮に家族がいなくとも‥‥普通の子供として然るべき里親を探した方が幸福だと判断できたなら、その方が良いこともあるだろう」
「そっか‥‥でも、まずは見つけてあげないとだね。午後はグアヤキルに行ってみるよ」
 もし今日成果が挙がらなくとも、現地の兵士に協力を頼めれば、今後何かしら情報が入って来るかもしれない。羽矢子はそう考えた。
「なぁ、オッサン。ソフィアの話、聞かせてくれよ。知りてェんだ。彼女を葬った者の一人としてはな」
 再びサンドイッチをパクつきながら、大地が言う。
 雨音と羽矢子もまた、興味深そうにコルテスを見詰めていた。
「そうだな‥‥一言で言えば、頑固で正義感が強かった。ボリビアの体制が嫌で単身亡命してくるような女だ。仕事はできるが、小うるさい副官だったな」
 ははは、と力なく笑う軍人。懐かしそうに、昔を振り返る。
「俺とは真逆の性格だ。だから‥‥」
 空を見上げて、コルテスの語調が少し弱くなった。
 呟くように、言葉を零す。

「‥‥あいつがその性格を曲げてまで守った子供だ。不幸になんて、できねぇさ」


    **
「――御無沙汰しています。お変わりはありませんか‥‥というのは、この場合は不適当ですね」
 困ったような苦笑を浮かべる雨音を、牢の中の本城はゆっくりと振り返った。
「本城さんは、いつもここで?」
「まあね。特にする事もないけど、怠惰に生きるには不自由してないわ」
 頑丈な扉の、目線の位置に開いた格子の窓。その中には最低限の家具と生活用品以外、何も無い。
「本城、手前ェに会いに来た理由は3つある。嫁に様子を伝えてやりてェのと、ユウの為だ」
 雨音と本城の会話に割り込むように、仏頂面の大地が口を開いた。
「そう。御苦労様」
 それが本心か否かはともかく、本城の返事は実に面倒くさそうであった。
 しかし、
「エミタ治療、受けんのか?」
「受けないわ。諜報部は私を人間に戻して拷問でもするつもりだったんでしょうけど、冗談じゃない」
 大地の問いに、目付きが変わった。
 拷問を恐れているのではない。人類側に降伏し、諦観に満ちた彼女とて、守りたい過去の絆はある。
「では‥‥死ぬつもりですか‥‥?」
 毅然とした口調で返した本城に、雨音は鉄格子を握り締めて、訴えた。
「私がこんな事を言うのも変な話ですが――生きて下さい、本城さん。だって、ユウが大きくなった時‥‥彼の母親のこと、彼の運命のこと。それを誰よりも正しく伝えられるのは、もう貴女しかいないのだから」
 本城はベッドの縁に座したまま、微動だにしない。
「烙印を背負って生きろ‥‥死に際に、エドゥアールはそう言いました。その烙印はただ罪というだけのものではなく、ユウに対しての責任も含まれている筈です。だから‥‥」
 だから治療を受けろとは、言えなかった。
 本城へのエミタ治療が認められた理由を思えば、それ以上は望めない。
「‥‥この辺で帰るわ。邪魔したな」
 言葉を選びきれない雨音の腕を、大地が引いた。彼女は牢の中に今一度視線を遣り、何か言いたげに大地を見上げるも、結局彼に従って歩き出す。

「――別に死にたいわけじゃないわ。大佐のお節介もあるしね」

 振り返った雨音の耳に、溜息まじりの声が飛び込んで来た。
「‥‥能力者を生む必要のない時代が来れば、エミタが余る可能性があるらしいわ。それまで生きてるかは、賭けでしょうけど」
 パッと顔を上げ、大地を見上げる雨音。大地はガリガリと頭を掻くと、
「ったく‥‥ユウが気になってんだろうが! 素直にそう言いやがれ!」
 大きく声を張り上げて、苦笑した。

 
●公園
 ショッピングセンターを後にしたユウは、それぞれ移動して来た雨音とラナもパーティーに加え、いよいよ公園デビューの時を迎えていた。
 広い園内のパトロールを担当するのは、繪、KIRAKIRA、直記の3名。そして、
「HAHAHA! 護衛依頼なら拙者にお任せあれなのデース☆」
 なんか知らんが、SCの駐車場で会ったネズミの中の人、マイケル=アンジェルズもまた、付いて来ていた。どうやら傭兵らしい。
「1時か。昼も終わって、子供が増えてくる時間だな」
 重いマザーズバッグを肩に掛けて、レイジが腕時計を確認する。
「ユウ様は車内で少し眠り、今はとても元気であります。休憩は後にして、砂場へ向かうでありますよ」
「駐車場の横断は危険デスネー☆ 拙者が車を引き付けておきマース!」
 ガイドよろしく先頭を進む美楚歌と、別に来てもいない車と戦う意思を見せるマイケルの後ろを、ベビーカーを押しながら違和感なく付いていく悠季。
「最近は、ヨーロッパに居る事が多いんだー。リアムは最近どう?」
「ヨーロッパって行った事ないよ。けど、南米なら結構回ったかも。貯金は減ったけどさ」
「貯金って正規軍の時の? ちゃんと貯めてたんだ。あ、ラウルは最近、どこに行った?」
「僕? 僕は北米、アフリカ、ヨーロッパ、沖縄トカ色々カナ。貯金額はナイショ♪」
「言わなくていいよ!」
 トリシアとラウル、リアムは談笑しながら。ラナと雨音は少し離れ、静かに付いて行く。


    **
「コンニチハー♪」
 砂場には、0歳〜6歳位までの幼児が10名程。傍で談笑していた6名の母親達に声を掛けたのは、ラウルだった。
「こんにちは。あら、可愛い赤ちゃんね」
 大勢いた傭兵達は適度に散り、少し遠目に見守っている。母親達は、ユウを抱いたラウルを父親、その隣で日傘を差し掛けているラナを母親、その後ろに居るレイジを叔父か何かだと思ったのだろう。
「ちょと遠くカラ来たんだケド、砂場遊びに混ぜてもらってもヨイ?」
「いいわよ。うちのサンドラとマリオがあっちにいるわ」
「アリガト♪ よーし、ユウっ、行くヨー!」
 キョトン、とした顔のユウを地面に下ろし、手を引いて歩いていくラウルは、傍目に見ても非常に気合が入っている。
 その理由はレイジも十分察しているので、とりあえずこの場は任せることにした。
(二人一緒に公園に行っテ、子供を遊ばせテ、ママさん達とお喋りしテ‥‥)
 ラウルの妄想トリップは続く。
 彼の婚約者は色々とややこしい機関に勤めているので、滅多に会うこともできず、結婚の話はしていても、その後の人生設計についてはあまり話した事がない。
 しかし、婚約から日が経ち、さらに、悠季のように子を持つ傭兵達が周囲に現れ始めると、やはり考える機会が増えてくるものだ。
(思花サンは子供嫌いじゃナイと思うケド、研究職は続けるのカナー?)
 遠くない未来だと信じているからこそ、具体的に何人ぐらいだとか、そのへんまで妄想してしまうのは仕方のないことだろう。
 ラウルは、砂場の片隅で遊んでいた1歳と3歳位の姉弟に歩み寄って行った。
「サンドラ、マリオ! コンニチハ♪ ユウも一緒にお山作ってヨイ?」
「「‥‥‥」」

 スルー。

「う‥‥っ。ユウっ、ユウからもお願いシテみよっか♪」
「‥‥‥。ヤッ! バッチ!」

 砂が汚い、と言い返された。

「ぴーたん、ぴーたん!」
「そっか。人形がいいか? 鳥が好きなんだったか」
 若干のショックを受けるラウルを余所に、ユウはレイジから鳥の玩具を受け取ると、その場で一人遊びを始めてしまった。
「大丈夫。気長に待てば、そのうちお互いに興味を持つわ」
「そカナー‥‥」
 一旦引き下がって来たラウルを迎えて、笑い合う母親達。 
「そうよ。うち会社の託児所に預けたりするけど、すぐには馴染まなかったし」
「託児所か‥‥最初は大変だって聞くしな」
「そなの? ケド共働きだったら預けナイとだし‥‥」
 暫しの間、母親達の育児トークに耳を傾けるラウルとレイジ。彼女らの苦労話を適度に聞き、質問を重ねていくうちに、二人は難なく輪に馴染むことができた。
 その間、ラナが子供達の様子を見ていたので、安心していたのだが‥‥、
「駄目っ!!」
 突然、サンドラとユウが火が付いたように泣き出したかと思うと、ラナの大声が砂場に響いた。
 サンドラの腕に噛み付かれたような痕がある。慌てて駆けつけるラウルと母親。
「ラナっち、どしたの!?」
「す、すみません‥‥。この子もユウ君の玩具で遊びたかったようで‥‥急に人形を掴まれたユウ君が噛み付いて‥‥。本当にすみません。ごめんね」
 泣き喚くユウの手を掴んだまま、ラナは心底申し訳なさそうに、母親とサンドラに頭を下げた。
「ああ、大丈夫。うちの子が取ろうとしたんでしょ? ごめんね」
 母親がサンドラに説教を始めたのを機に、ラナは、イヤイヤをして逃げようとするユウを座らせ、厳しく叱り始める。
「嫌な事をされても、相手に痛い事をしては駄目! ユウ君も、噛まれたら痛いでしょう?」
 全面的に相手が悪いと思っているらしいユウは、癇癪を起こしてラナに人形を叩き付け、ギャアギャア泣き続けた。
(‥‥今回だけの依頼でしょう、嫌われても‥‥ね)
 レイジやラウルに助けを求めるも抱っこをしてもらえず、ますますラナに怒りをぶつけるユウ。しかし、ラナも甘やかしはしない。


「あら、偶然ね。どうかしたの?」
 10分後。ようやく泣き止んだものの、不機嫌なまま一人遊びを続行するユウに皆が困っていた頃、偶々公園を散歩していた一人の女性が、レイジに声を掛けて来た。
「ケイさん? 南米に来てたのか」
「ええ、基地のほうにね。ユウ‥‥という子の話は、少し聞いたけれど」
 周囲を見回し、少し離れた場所に見知った傭兵が何人かいる事を確認したケイは、砂場で不貞腐れている幼児が例の子供だと気付き、少し近付いて見た。
「ケイちー、久しぶりっ! 今はねー、けっこータイヘンなカンジ」
「ケンカでもしたのかしら? 機嫌が悪いのね」
 困り顔のラウルが苦い声音で力無く笑い、ケイは悪戯っぽい表情でユウの頬をつつく。
「いいわ。お姉さんがその子と話して来てあげるわね」
「‥‥‥」
 無言のユウを軽く撫でて、ケイは別の場所で遊んでいるサンドラとマリオのもとへと歩いて行き、砂山作りをさり気なく手伝いながら、優しい声で何事かを話し始めた。


 更に15分ほど経つと、ケイと一緒にサンドラが戻ってきた。
「おにんぎょう、ごめんね。あそぼ?」
 どうやら、ケイがサンドラ達の機嫌を直してくれたらしい。
「ユウ、レディの誘いは受けるものよ?」
 叱られた事と合わせて何か思うところがあったのか、ユウはサンドラとケイを交互に見上げ、何か言いたげな顔をしている。
「偉いぞ、サンドラ。さすがお姉さんだな。‥‥ユウ、どうする? 一緒に遊べるか?」 
「ユウ、サンドラ達とあそぼ? 仲直りシヨ?」
「‥‥‥むぅ」
 レイジ、ラウルが提案するも、大人が悩む時のような唸りを発し、「だがこれだけは貸さぬ」とでも言うように、鳥の玩具を握り締めるユウ。
 しかし、やはり子供は子供同士で解決するものらしい。
「あい。ユウたんコレ、ココほるの!」
「う?」
 突如、サンドラに握らされたスコップを不思議そうに眺めるユウ。
「こっち。おやまとかわにすゆのよ!」
「かわ?」
「ほるの。おやまのまわり」
 弟がいるサンドラは、気が強いが遊びの教え方も上手いようだった。そのうち弟のマリオも戻って来て、二人が適当に掘る砂をサンドラが山にして、何となく一緒に遊び始める。
「みんな上手ダネー! バケツ持ってきてあげよっか?」
「じょず、じょず!」
 褒められて悪い気はしないのか、スコップを振り回して喜び出すユウ。
 公園デビューとしては、まずまずの成果かもしれない。

 
●基地
「ユウ、見て。大きな車が沢山あるわね」
 夕方のクルゼイロ・ド・スゥル基地。ベビーカーを押しながら、悠季は優しい口調でそう語りかけた。
 たっぷり遊んで、バナナを食べて、お昼寝も済ませたユウは、フェンスの向こうに並ぶM−1戦車の群れを食い入るように見詰めている。
(時雨の時はあと半年後ぐらいかなあ‥‥ほぼ一ヶ月放置したお陰で、人懐きと甘えが激しくなってきてるし)
「‥‥そこが可愛いんだけど」
 と、我が子の公園デビューに想いを馳せていた悠季だが、最後の親莫迦な部分はつい口から出てしまった。
「今日は、何事もなく終われそうですね。この子にも、楽しい一日だったと思ってもらえたでしょうか?」
「そうだと良いわね。これから先も、外出の機会を増やして貰えるといいけれど」
 今回が初依頼だったジャックは、気合いを入れ過ぎて凝り固まった肩をぐるぐる回しつつ、ユウに笑いかける。
 悠季は、少し離れた滑走路から離陸したばかりの偵察機を指差し、ユウの興味を誘っていた。
「間もなく17時であります故、美楚歌は大佐への報告書を作成するでありますよ」
「そう。あたしも手伝うわね。ユウをお願いできるかしら?」
「え、ええ‥‥」
 一日も終わりに近づき、美楚歌と悠季は報告書の作成に、ジャックは荷物を車に戻すため、ラナにユウを預けてその場を離れる。
「‥‥‥」
 戦車に興奮したユウは、ラナに叱られた事など忘れているようだ。
 ラナはそっとベビーカーのベルトを外し、彼を抱き上げる。
「ブーブ! ブーブー!」
 戦車を指差し、時々振り向いてはラナを見上げる彼を、純粋に可愛く思う。
(‥‥相手は、今は居ませんけど)
 いつかこんな未来が来るのだろうかと、そんな事を考えた。
 その時。
「よう」
 声を掛けられて振り向けば、そこには大地と雨音が立っていた。
「あ‥‥こんにちは」
「悪ぃな。‥‥一回、抱かせてもらえねぇか」
 大地の言い方はぶっきらぼうだったが、ユウを見る目は優しい。
 彼がここに来た理由が、ラナにわからない筈もなかった。
「こ、こうか?」
「ええ‥‥しっかり支えてあげて下さい」
 大地は雨音に助けられながら、不器用に、だがしっかりと、ユウを抱いた。
 ソフィアや本城――多くの者が守り、慈しみ、愛したユウという存在を、確かめるように。
「そう言えば天原さん、本城さんに会いに来た3つ目の理由は何だったんですか?」
「あ? あー‥‥アイツが前みてェな腐った目と性根をしてねェか、確かめに来ただけだ」
 腕の中のユウが動く度に若干慌てつつ、大地は雨音の質問に答えた。
「アイツはトニの仇だからな。許さねぇ。‥‥ただ、まあ‥‥人となりも何も知らずにただ恨み続けるコトも‥‥な」
 モゴモゴと口籠る彼に、雨音はラナと顔を見合わせ、少し笑う。
「‥‥優しいんですね」
「‥‥うるせェ」
 大地はもう、毒づいて目を逸らすしかなかった。

 
「リアムを育てられなかった分、ユウには幸せになってほしい‥‥そんな風に、プリマヴェーラは思ってたのかな」
 基地の階段に座り、遠くにユウやラナ達を見詰めながら、愛梨は問うた。
「アナクララを連れて行ったのも、ユウのため。だからリアムはアナクララを捜して、彼女と繋がるために、ユウに接するのかも」
 レイジはそれを、黙って聞いていた。彼女が話し終わるまで、ずっと。
「あたしが、ネヴェとリアムに、あそこまで強く感情を揺さぶられたのは‥‥?」
「‥‥特別な存在なんだろうさ。きっと」
「特別‥‥?」
 少し狼狽気味に振り向いた愛梨だが、そこでハッと口を噤んだ。
 リアムとトリシア、ラウルの3人が、飲み物を買って戻ってきたのだ。
「どうかした?」
「いや、何でもない」

 何かを言い出したくても言い出せない、そんな微妙な空気が暫く続き、ラウルは意を決して口を開いた。

「‥‥えと。プリマヴェーラのコト、無理に感情整理スル必要はナイと思うヨ。何が最善だったのカなんて、皆の自己中な判断でしかナイ」
「‥‥‥」
 リアムも予想はしていたのか、缶に口をつけたまま、静かにラウルの方へと顔を向ける。
「僕は、彼女がリアムを愛した結果だとゆーコトを覚えているコトが大切だと思うんダ」
 視線を落として、考え込むような表情のリアムを、トリシアが気遣わしげに見上げている。
「リアムは愛されていたんダヨ」
「‥‥それがわかるから、辛いんだ」
 ポツリ、と。リアムが言った。
「‥‥あの人が、どれだけ僕を愛しててくれたかも。なんで守ってあげられなかったのかも」
「リアム‥‥?」
「あの人が自分の意思で死んだことも、僕にもあの人にもどうしようもなかったことも、全部。わかってる。わかってるけど‥‥」
 愛梨の視線の先で、リアムは顔を伏せたまま。
「わかってるけど‥‥僕は、何も返してあげられなかったんだ‥‥‥」
 声だけが、歪んでいた。
「‥‥そんなこと、ないよ」
 彼の片手をぎゅっと握ったトリシアの、赤い瞳に睫毛が影を落とす。

「‥‥それでも幸せだったって、あの人は言ってたぜ」
「‥‥うん」
 一日を終えようとしている基地に、レイジは視線を巡らせる。
「これから思い出す事や、母さんの足跡を辿った先で知る事でも、きっといくらでも心は揺れる。後悔ってのは尽きないもんだ。だから」

「ゆっくり整理していこうぜ」

 穏やかな風が5人の髪を揺らし、通り過ぎて行った。