●リプレイ本文
「しかし、ここまでの状況は言わば『母を訪ねて三千里』かね、くっくっくっ‥‥」
重い沈黙の帳を破るは、錦織・長郎(
ga8268)。
表情も、体温すらも持たぬ蛇のように、腹の内の読めぬ男だ。
「何よ?」
含むように零れた彼の笑みに、愛梨(
gb5765)は低く、掠れた声で問い、睨んだ。
長郎は笑んだまま軽く首を横に振り、視線を物ともせずに受け流す。
「持とうか?」
リアム・ミラー(gz0381)は普段通りの表情で背後のトリシアを振り返った。
彼女は、ウサギのような瞳で彼を見上げ、何度も首を横に振る。
「リアム」
風に銀髪を揺らして、ラウル・カミーユ(
ga7242)が紫煙を上げる煙草を袋状の灰皿に押し込んだ。
「ごめんネ」
「え?」
「プリマヴェーラのコトだケド、もしこのまま生き延びて欲しいとしても、ゴメン。僕は応援出来ナイよ」
どうしてかは、わかるよね?
仲間たちは、それぞれが抱く感情のままの視線を、二人に向けていた。
「――はい」
数秒の沈黙の後、リアムは頷いた。
ここに居る者達は皆、程度の違いはあれど、プリマヴェーラ・ネヴェ(gz0193)の殺害を望んでなどいない。
捕縛を最良と思わぬ者も勿論存在するが、それでも、状況が許せば、誰かがそれを望むならと、心揺れる。
生涯の伴侶と友人の母、その因縁に挟まれたラウルが、聡く、冷酷な判断を迫られるのは、当然だった。
(‥‥けれど)
リアムを見詰めるケイ・リヒャルト(
ga0598)。長い睫毛が緑色に暗い影を落とし、瞬かれる。
理解と納得は同義でなく、思考と感情――心もまた、別個の存在だ。
(プリマヴェーラ‥‥貴女の望みは何? 貴女は未だに何を欲し、何を想い、何を怯えているのかしら‥‥)
空を、仰ぎ見る。
思考ではない。彼女の心に、触れたかった。
「――時間だな」
時計を見、鈍名 レイジ(
ga8428)が顔を上げる。
差し込む陽の光に目を細めて振り向けば、視界の端に水色が映り込んだ。
リアムのポケットから覗くターコイズの輝き。彼の幸運を願い渡したそれを見詰め、これまでの出来事を思い出す。
(‥‥死刑は免れない、並の囚人と同じ待遇は期待するな、か‥‥)
プリマヴェーラの捕縛後の処遇を尋ねた相手の、苦い表情が脳裏に浮かんだ。
そして今、彼女の捕縛について、彼女の視点から考え、最も厳しい姿勢を取っているのは漸 王零(
ga2930)だっただろう。
(母の想いに子の願い‥‥それが合わぬもまた人の性か‥‥)
例え母子であろうとも、想いを違える事はある。誰もが願いを叶えられる世など、幻想に過ぎない。
消え行く者と未来へと歩む者、相容れぬ願いだったなら、前者の願いを優先するだろう。彼女を生かすのであれば、彼女自身が納得し、自らそう願う状況でなければならない。
「あの時の「必ず連れ帰る」という誓いを今日こそ果たします」
逆に、彼女の捕縛を最も強く願うのは、赤宮 リア(
ga9958)だ。
耳に、心に響く彼女の叫びを、誰よりも多く聞いてきた彼女だからこそ、諦められない事がある。
王零の考えは、妻の願いを裏切る結果になるかもしれない。
だが、人一人の命の行く末を決める時、それは欠かせない事なのだ。
「行きましょうか‥‥」
終夜・無月(
ga3084)が、穏やかな口調で言い、剣を抜く。
彼は、何時如何なる時も平静のままで、しかしその実、リアほどに自身の意思を固めてはいない。
自身が良と思う選択は心にあれど、母子に――特に子に、それを強いるつもりはなかった。
「行いの‥‥言葉の‥‥責任を果す事‥‥。其れが俺の役目です‥‥」
呟くように言葉を紡ぎ、密林へと分け入って行く無月。久志は一度だけ、リアムを顧みた。
(本当は‥‥リアム君や誰かを苦しませる決着にはしたくない)
ただ、あの人にはあの人の意思があるはずだ。
◆◇
考え付く限りの捜索手段を駆使して、傭兵達は密林を巡っていた。
野生動物に紛れ、稀に襲い来るネコ科のキメラも、声を上げる間もなく片付けられていく。
「親子だけの会話の時間を設けたいわ‥‥」
未発見。他班からの連絡を聞きながら、ケイは視線だけを少し上に上げて言った。
「逃げられナイ事が、大前提だケド」
「ええ。逃走経路は断つわ。その後で‥‥二人が何を望むかで、その後のことを決めたいの」
「わかった。この時が少しでもマシなモノになるように、手を貸してやろうぜ」
それから、と。
レイジは、ラウル、ケイ、久志の目を順に見詰め、表情を引き締めた。
「山羊座には、間違ってもリアムを手にかけさせやしない」
「‥‥強化人間とバグアの間にある境界線、か」
「何の話です‥‥?」
王零の漏らした呟きに、無月が問うた。
「あいつに取り込まれた『彼女』は、人類側としての思考を取り戻すことができなかった。ネヴェは、それを取り戻したのだろうかとね」
蟹座の事であろうか。遠い目で語る王零を見返し、リアは毅然と言い放った。
「わかりません。彼女の洗脳や人類への憎しみが、どこまで軽減されたのかは。ですが、子を想う心だけは、何時も彼女が持ち続けていたものの筈です」
自ら死を願った彼女は、それを子の為だと言った。勝手な話だ。
(投降しても辛い現実が待ってる。でも簡単に死を選べる? あたしだったら、どちらを望む?)
愛梨は自分を捨てた父を、思い出す。二度と顔も見たくない。罰してやりたいとさえ思う。
愛されなかった自分と、愛さなかった父に憤る。
だが、もし彼が死んだとしたら、この強い感情は何処へ遣ればいいのだろう。
「リアム、絶対にお母さんを見つけてあげようね」
母を知らぬ少女。言葉少なな彼が、トリシアには幾度か言葉を発し、気に掛けている。
「リアム。あたしは、あんたの思いを否定しない。絶対にね」
彼は不器用に笑って、ありがとう、と返した。それが愛梨に出来る、精一杯だった。
長郎は若者達と一定の距離を置いていた。。
彼は彼自身の為に、ここへ来たのだ。
無論、人の情愛は尊重すべきもので、母子を取り巻く事情も環境も、全く知らぬという訳ではない。むしろ、彼らの邂逅の場に居合わせた回数で考えるなら、関わりは浅くない方だろう。
それでもなお、彼には追求せねばならないものがあった。
◆◇
「‥‥其処に居ますね。プリマヴェーラ‥‥」
無月が大樹を仰ぎ、静かに声を掛けた。
「赤宮リアです! ここへ降りて来てください!」
リアの声に、木の葉が僅かに揺れた。
「そちらが危害を加えない限り、こちらにも戦闘の意思は無い。汝の話を聞きたい」
「結果が如何成るにせよ‥‥此の侭逃げて彼に選ぶ機会すら与えないのはずるいですよ‥‥」
三人が大樹の周囲を取り囲みかけたその時、不意に、追い求めた声が頭の上から降ってきた。
「‥‥っさいなぁ。超しつこい。何なの馬鹿なの?」
悪態をつくその声は、プリマヴェーラのそれに間違いなかった。
「貴女はあの時「あの子の為に」と言いましたよね‥‥このまま一人で死ぬ事が「あの子の為」なのですか? そんなの間違ってます!」
リアの声が響く。リアムがここに来るまで時間を稼ぎ、そして、自らの想いを彼女に伝えておきたい。
「母親の気持ちなんて今の私には解りませんけど、子の気持ちなら解ります。親の死を望む子なんて居ません! お願いです! これ以上あの子を悲しませないで!!」
気付けばそれは、もはや絶叫に近かった。
はあはあと肩で息をするリア。声を荒げずには居られなかった。
ガサッと大きな葉擦れの音が耳に届き、瞬後。
「アンタの言いたい事は、親なら誰でもわかってることなの。けどね」
「――!」
茶髪の女が、王零とリアの背後に立っていた。薄い微笑みを、その唇に湛えた表情で。
「親はね、子供の今を見てんじゃないの。子供より先に死ぬ存在でしょ。だからさ、未来を見んの。子供の幸せな未来をね」
後退しないリアを、王零が手で制して退がらせる。無月は側面に移動し、互いの間合いの外から言葉を掛ける。
「親は子の為と思うかもですが‥‥子は親の予想以上に強く成長し、決して守られるだけの存在ではありません。貴方の子で在るなら尚更です‥‥」
「‥‥」
無月に視線を向け、不機嫌そうな、しかしどこか寂しげな表情を見せるプリマヴェーラ。
「もうじき、汝の息子がここへ来るだろう。我らは、汝を捕えるか、討つかの選択肢を与えられているが、汝の生き死には、母子で決めるべきことだ。息子と話し、その上で出した汝の結論を、我は支持するよ」
王零の言葉に、彼女は僅かに眉を動かした。息子の前に姿を晒すことを、嫌ったのかもしれない。
「母子の対面だね。まずは親子の触れ合いという事で『Shall we dance?』は如何かね? 勿論はお相手は君の息子だ」
最も早く姿を現したのは、長郎だった。
彼なりの目的の為に気を利かせたつもりであったが、相手は怪訝な表情で見返してくるのみ。
「今、そんな気分じゃないんだけど。何のつもり?」
「おや、お気に召さなかったかね? 会話より簡単に、親子の情愛を交わす機会を与えたかったのだがね」
引き換えに、グアヤキルで感じた違和感――バグア軍内部の情報を得るつもりであったのだが、と正直に告げた彼に、相手は意外と面白がるような素振りを見せるも、
「あのさ、あっち側にもそれなりの恩とかあるから。ダンス1曲であげられる情報なんかないし」
キッパリと拒否した。
或いは、その態度こそが、総司令官の人望の厚さを物語っているのか。
ともかく、長郎はそこで黙り、傍らの少年を前に押し出した。
「リアムは貴女の息子‥‥もう知ってるハズよ」
「戦う事を躊躇っちまうよ。俺がつけるべき決着なんてのはないし、全てを都合よく回す術も知らないしな」
続いて木々の間から現れたのは、ケイ、そしてレイジだ。
ケイの細い右手が指し示す先には、金の両瞳で母を見詰める、リアムの姿があった。
「火傷の痕を見るのが怖い‥‥?」
距離を離したままで、互いに視線を合わせ続ける母子。ケイは、彼女が強化人間であることを忘れたかのように、小麦色の肌に手を触れ、気遣うように尋ねる。
「‥‥ううん」
何かを諦めたように、小さく微笑って首を振るプリマヴェーラ。
その視線の先で、リアムは唇を引き結び、静かに上着を脱ぎ捨てた。
「僕、嘘言ってなかったっしょ」
リアムの、左肩から背中にかけてを覆う、古い傷痕。
それから目を離さず、遅い瞬きを繰り返す彼女に、ラウルはやや明るい口調を作って声を掛けた。
「前に覚えてナイって言ってたケド、インヴィも記憶ないんだヨ。‥‥でも不思議だネ。記憶なくてもお母サンには会いたいって感じるみたい」
「あいつはさ、最初に会った時よりずっといい顔になったんだぜ。そりゃもうパッと見、見違えるくらいにな」
ラウルとレイジ。兵庫、南米とプリマヴェーラを追い、その一方で、運命に迷い悩み続けて来たリアムを支え、見守ってきた二人だ。
「あいつは、多くを乗り越えてココに辿り着いた。手を差し伸べる人も沢山いたさ。それでも、あんたを求めているんだ」
二人が話して聞かせたのは、母と別れ、記憶を失って以降、リアムが辿って来た長い道程。
「親子って理屈じゃナイのカナ‥‥キミはどう?」
振り返った先で、金の瞳が濡れていた。
先程と寸分違わぬ姿勢のまま、我が子の証を見詰めたまま、彼女は、ポロポロと涙を流していた。
ラウルは一瞬躊躇い、息を呑み込んで、彼女に向き直る。
「逃げれば軍は爆撃を始める。僕はキミ達の故郷を再び炎に包みたくナイ」
ここで決着をつけたい。二通りの意味を込め、彼は言った。
「お願いです! 彼女を連れて帰らせて下さい!」
リアが叫ぶ。彼女を仲間から護るように立ち、リアムと対峙した。
「今殺してしまったら、彼女はバグアのまま死ぬ事になります! 私達と一緒に帰り、罪を認めて裁きを受けてもらう事、それが彼女が人間に戻る唯一の方法だと私は思います」
「いいよ」
背後から肩に手を添えられて、リアは驚いた顔で振り返る。
「‥‥あたし、あの子を普通の子供にすら、してあげられなかったから」
「プリマヴェーラ‥‥?」
「今でも人は憎いよ。人間に戻るとか、戻らないとか、そんなことはいい。けど、あたしはあたしを善人だとも思ってない。どんな罰を受けるかって、想像はできるし。怖くない。けど」
わかってよ。
青と金の視線が、絡み合った。
「リアムのため? 勝手に決めないでよ!」
それまで黙っていた愛梨が、突如、感情を露わに彼女に迫る。
「理屈で心をねじ伏せて、自分自身に言い訳して、今更いい母親ぶらないでよ! 今まで離れてた分だけ、リアムを抱き締めてよ! 本当は生きたいんでしょ? 1分1秒でも多く、リアムと一緒に居たいんでしょ!!」
愛してよ。
その感情は、誰に向けたものだっただろう。
愛梨の両目から、熱い何かが溢れ出た。
「‥‥」
あまりの剣幕に、彼女は少し面喰らったような顔をして。
手を伸ばして、愛梨の頬を拭って、歩いて行った。
「インヴィ」
そう呼び掛けられた時、リアムの中で、何かが弾けた。
僕は、この人を憶えてる。
記憶は戻らない。
だけど、きっと、知っている。
「お母さん」
彼女は泣き出したリアムの両肩に手を置いて、涙目で笑った。
「ごめんね。何もしてあげらんなくて」
リアムはぐっと唇を噛み、首を横に振る。
「あたしの知らない友達が増えたね。こんな大きくなったなんて、信じらんないけど」
生きててくれて、ありがとう。
勝手を許して。
彼女はそう言って一度だけ、息子の体を抱き締めた。
「お母さ‥‥」
体が離れる。
リアが唇を噛んで、それを見守っていた。
「二人で話さなくても、いいの?」
「ありがと。でも」
あたしには、これで十分。
これから先も、インヴィの事、アンタ達に頼んでもいい?
ケイに微笑みと願いを返し、彼女はもと居た大樹の陰へと歩を進めて行く。
「貴女が撃墜したフェニックスの、彼から伝言だ。「次も楽しく生きよーぜ?」だって」
久志が掛けた言葉に、彼女はちらりと視線を動かし、明るく言った。
「そうね。いい人生だった。幸せだった。もし次があるんなら、次もそんなのがいい」
彼女が木陰に消えて、王零は泣き出したリアをそっと抱き締める。
「‥‥いいのか?」
「後悔、しないのね?」
棒立ちのリアムを見て、レイジが、ケイが、最後の問いを投げた。
「いいんだ‥‥」
彼は大樹を見詰めたまま、茫然と、しかし、何処か安堵したような口調で、小さく返す。
「ずっと‥‥家族のために一人で頑張って来た人だから。‥‥自分勝手でも、お母さんがそうしたいなら」
生きていて欲しいと、願わずには居られなくとも。
せめて最後だけは、母の勝手を、許してあげたかった。
小さな破裂音と、一発の銃声。
それが、プリマヴェーラ・ネヴェの最期を告げる終幕の鐘だった。