●リプレイ本文
「船、船‥‥!」
傭兵らしいラフな服装で乗船したアーサー・L・ミスリル(
gb4072)が、ドタバタとデッキへ駆けてくる。
「久しぶりだな〜、大西洋渡って北米に行って以来かな? こんだけでかいの動かすのは楽しいだろうな! いつか操舵してみたい♪」
「よお、あんたも乗ってたのか」
「あっ、こんばんは!」
横合いからの声に振り向くと、そこには黒のスーツに身を包んだ鈍名 レイジ(
ga8428)の姿があった。彼はアーサーに会釈を返すと、感慨深げに神戸港へ――そして、黒く聳える中国山地の向こう側へと視線を移す。
「夜景‥‥綺麗ね‥‥」
黒のタキシードを着崩し、片側のポケットに手を掛けた格好の冴城 アスカ(
gb4188)が二人の背後に歩み寄り、まるで宝石箱のような輝きを放つ街の風景を、その瞳の奥に映し込む。
「不思議だなぁ。こうして、皆と解放した街を見るっていうのは」
「少なくとも、今こうしていられる程度には、兵庫は落ち着いたってこった」
アーサーとレイジが見上た兵庫の空に、戦闘機の光は無い。そこにはただ、静かに降り注ぐ白い雪があるだけだ。
「自分達が戦う事で何かを得る。この世界じゃ得るモノのスケールが大き過ぎて、いつも実感薄かったが‥‥こういうのは解り易いぜ」
「戦場になった場所にまた人が暮らして生活する、そういう結果を、俺達が作ったんだ‥! ‥‥こそばゆいなぁ〜」
もぞもぞと肩を動かしながら笑うアーサーに、レイジとアスカもまた、思わず笑みを溢して顔を見合わせた。
「あら、南波くん 祝勝会だっていうのに浮かない顔してるわね」
「ん〜? そう?」
静かにその場を離れようとしたアスカが、琳 思花(gz0087)を伴ってデッキを歩いて来たヴィンセント・南波(gz0129)を呼び止め、その肩を軽く突く。
「今日は祝宴よ。私にとっても、あなた達にとっても、色々思うところはあるけれど、ね」
「‥‥うん。そうだね‥」
彼女の目を見つめ、ただ何度か頷いた南波の傍らで、思花が囁くように呟いた。アスカは彼女のストールについた雪粒を払い、ふっと口端を引き上げる。
「何か取って来るわ。南波くん、またね」
「‥‥また後でね」
靴音を響かせ、颯爽と歩いていくアスカ。デッキにたむろする兵士たちの口笛が飛び、にわかに喧騒が増した。
「レイジー、アーサー! もーすぐ花火上がるってー」
「花火!? どこどこ、ハーバーの上?」
二人の間に割り込むようにして、南波が手摺に上体を凭れかける。アーサーは慌ててカメラを取り出して、ファインダー越しに神戸の空へと視線を巡らせ始めた。
(「何で私、来ちゃったのかな‥‥」)
トリシア・トールズソン(
gb4346)は、音もなく降る雪に頬を濡らし、ただぼんやりと兵庫の空に視線を遣った。
(「ここは‥‥リアムのお母さんが居た場所。ゾディアック山羊座が居た場所‥‥」)
見えない何かを手繰り寄せるかのように、兵庫の地へやって来た。掴み取らんとするものが一体何なのか、それは自分の為か友のためか、それすらも、解らぬままに。
「なんばりーーーーーん!!! 誕生日オメデトーーーー!!!」
「おお! ラウルーーー!! 俺はまた大人の階段上っちまったぜーーーー!!!」
一際テンションの高い声が響き渡り、トリシアはそちらを振り向いた。
スーツに身を包んだラウル・カミーユ(
ga7242)が駆けてきて、どういうわけか南波とハイタッチを交わしている。
「ラウル、レイジ‥‥と、琳、さん? 三人とも正装で素敵だね」
知り合いを発見したトリシアが皆に駆け寄ってそう言うと、ラウルは思花の腕を取りながら、首を傾げてニコッと笑って見せた。
「そかな? トリシアのワンピも、かわいーヨ!」
「本当?」
ラウルに褒められ、照れ臭そうにマフラーを弄るトリシア。
「トリシアさん、寒くないか? 花火見終わったら、中入って何か食おうぜ」
白い息を吐くトリシアの肩にロングストールを掛け、レイジが言った。
その背後には、思花の頬に片手を当て、微笑むラウル。
「天舞に乗るの、二回目なんだヨ。ケド、今回は思花サンも一緒だし、前より楽しみカナ」
「‥‥久しぶりだね。何か月ぶりかな‥‥」
そして、思花とラウルが盛り上がれば盛り上がる程。
「チィッ!」「リア充が!」「もげろ!」等という、兵士の皆さんの魂の叫びもまた、勢いを増すのであった。
早速飲み始めている兵士たちに混じり、 アルヴァイム(
ga5051)と百地・悠季(
ga8270)もまた、アナウンスに従って夜景と花火を見に外へ出てきていた。
「アル、コート持ってきてくれたの?」
「神戸は雪と聞いていたのでな」
スプリングコートでは寒かろうと、アルヴァイムが妻のために密かに持ち込んだのは、白いファー付きのコートであった。柔らかな生地よりも温かな愛情に包まれ、幸せそうに微笑む悠季。
妻の瞳に映る光を見つめ、アルヴァイムはそっとその肩を抱き寄せた。
「零さん、見て下さい。夜景が海に映って‥‥綺麗ですね」
船首に近い手摺の前で、赤宮 リア(
ga9958)が夫の漸 王零(
ga2930)を呼ぶ。
「FRは取り逃がしたが、神戸は奪還できたか‥‥。これでリアも、少しは気が楽になるな」
「はい。山羊座と決着を付けられなかった事は心残りですが‥‥今はただ、勝利の美酒に酔いしれる事に致しましょう」
神戸には、夫と同じくらい大切な両親の家がある。バグアの侵攻を防ぎ、家族の平穏を守り切ったという事実は、リアにとって何にも替え難い戦果であり、誇りだった。
「私も、兵庫も、あの頃とは、何もかも違いますが‥‥」
この船は変わらない‥‥リアがそう言いかけた、その時だった。
空が明るく輝き、重低音が皆の体を震わせた。
暗い空にキラキラと咲き乱れた白い花火が、天舞の船体を光で満たす。
「わぁい! 花火だぁ〜!! 綺麗ですぅ♪」
正規軍兵士に囲まれていたセーラー服の女子高生――熊谷真帆(
ga3826)が、嬉しそうに飛び跳ねた。
夫婦やカップルの能力者が目立つ中、明らかに一人で、人懐っこそうな彼女は、南波を探しているうちに兵士たちにつかまり、引き留められまくっているのだ。
「うわぁ‥‥白い花火って綺麗ですねぇ」
「ULTも上層部も奮発しちゃって」
ベンチでグラスを合わせ、乾杯する平坂 桃香(
ga1831)と小田垣 舞。
「あれ? 舞さん、ちょっと顔変わってません?」
不思議そうに首を傾げ、まじまじと見つめる桃香を振り向いて、舞は少しだけ声をあげて笑って見せた。
「わかった? 鼻と目をちょっと弄ってね、頬骨も少し削ったわ」
「次の諜報任務のためにですか?」
「まあね。けど、任地は変わるわよ。南米に行くかもね」
諜報員も大変だなぁ、と心の中で呟き、グラスに口をつける桃香。花火の音が、ジュースとグラスを小さく震わせた。
「「「うおおおおおお!!!」」」
――と、彼女らの正面、デッキの中央で、何やら正規軍兵士の集団が一斉に騒ぎ始める。主に男子が。
舞と桃香は何事かと彼らの様子を伺い、その中心に立つ赤毛の女性を視界に捉えて、納得した。
「あんまし上手くは出来てねぇかもですが、バレンタインチョコ、です」
手作りのミニチョコを兵士たちに配っているのは、正装とまではいかないがシックなワンピースに身を包んだシーヴ・フェルセン(
ga5638)である。
「おおお‥‥これぞまさしく天の恵み‥‥!」
「母ちゃん以外に貰う日が!! とうとう!!」
「シーヴたんハァハァ!!」
うすら寒い台詞を吐きながら、正規軍非モテ男子の皆さんは、一様にチョコを見つめてむせび泣いていた。
◆◇
煌びやかな船内を彩る音楽は、ややアップテンポなクラシック。
オーケストラが奏でる美しいメロディに包まれ、レストランには歓談の声が溢れていた。
「っし! メシも酒も調達完了! 今夜はトコトン呑もうぜ!!」
「「「よっしゃあああああああああああ!!!!」」」
『神戸牛のローストビーフ』『淡路島産たまねぎサラダ』『明石蛸の和風パスタ』『瀬戸内海あなご寿司』、さらに、県北部が戦地となったことから幻の食材と化した『但馬牛のサイコロステーキ』『出石そば』『松葉ガニ/たらばガニのボイル』等、これでもか! という位の料理をドンドンドンとテーブルに置き、乾杯を交わすレイジと正規軍の面々。
「香住の時はどっちの部隊だ? 俺も出撃したんだぜ」
ドボドボと酒を注いだグラスを渡し、圧し掛かるように肩に手を掛け声をかけてくる若い兵士。
「あん時の爆撃機乗りか!? 俺は護衛班のディスタンだ。覚えてねぇかも――」
「マジで!? 俺の機の前にいた奴じゃねぇか! 俺を狙ってたHWを墜としたのがディスタンなんだよ!!」
「本当か!? すげ、真後ろの機体かよ!」
レイジ達がそんな話で盛り上がっている内に、香住基地爆撃に参加した兵士たちが集まってきた。そして、下戸なレイジの前に容赦なく酒が置かれていく。
「あ、皆さん爆撃部隊の方ですか。私は前の方を飛んでた雷電なんですけど。お世話になりました〜」
「シーヴは岩龍で参加しやがったですよ」
乾杯の後、それぞれどの機体に乗っていたか説明する桃香とシーヴ。
「覚えてる覚えてる! 香住に着くなりK−02ぶっ放した機体だろ!?」
「あの硬ぇ岩龍!? 俺の機体庇って被弾したんだよな‥‥マジありがとう!」
香住基地爆撃の際、目の前で護衛を務め、HWやTW、果てはFR相手に装甲を削っていった傭兵機の姿は、彼らの心に強烈な印象を残しているようであった。
「姉ちゃんもあの作戦に?」
少し速いペースで楽しげに呑むリアに、一人の兵士が声を掛ける。
「ええ。赤宮リアと申します。夫と共に護衛班としてお世話になりました」
料理が並んでいるスペースの横で飴細工の準備をしている王零を指差し、リアは彼らに微笑みかけた。
「ああ! すぐ前にいたアンジェリカと雷電だろ!?」
「あ、あら? 言わなくてもお分かりになるのですね‥!」
夫の機体まで言い当てられて、何だか嬉しいような恥ずかしいような表情でシャンパンを口にするリア。
「でも、先行班がいやがったから、シーヴ達も任務を達成できたですよ。アーサー達も飲みやがれ、です」
「え〜、何か恥ずかしいな。俺はあんまり役に立てなかったかなぁ、って思ってたし」
通りすがりにシーヴから酒を渡され、ポリポリと頭を掻くアーサー。
「そんな事ないでしょ。貴方とアルヴァイムの先行爆撃、中々のものだったわ」
謙遜気味のアーサーの腕を軽く小突き、ブランデー入りのグラスを片手にアスカが微笑んだ。自然と輪に入っていく彼を微笑ましく見つめ、自分は人気のないテラス席へと歩いて行く。
すると、入れ替わりでやってきたアルヴァイムがアーサーの隣に立ち、彼や他の傭兵、正規軍兵士たちに向けて杯を掲げて言った。
「我々だけで成功させた事ではない。周囲の協力あってこそ、だな。感謝する」
「うんうん。皆で成功させた作戦って気持ちいいよな〜! 乾杯!!」
再び起こる乾杯の声。和気藹藹と歓談する皆の間で、悠季は正規軍の面々に挨拶して回り、「夫がお世話になりました」と丁寧に頭を下げていく。
「真帆も先行班に参加してたです♪ でも真帆は雷電で上の方を飛んでたから、正規軍のみんなは覚えてないかもなのです」
アルヴァイムが取ってくれたオレンジジュースを唇につけ、眉をハの字に下げてもじもじと会話に入る真帆。だが、「基地到着前に、一機だけ上の方を飛んでた機体があった気がする」など、正規軍の中でもそれを記憶している者が話に入ってきた。
「まーしかし、ULTの傭兵ってのは軍隊と違って華やかでいーよなぁ」
「女の子の方が多いもんな‥‥」
周囲に集まってきた傭兵たちを見回し、ボソリ、と小さく、しかし相当本気で羨ましげに呟く正規軍非モテ組。
「そうですかねぇ。たぶん男女比は半々ぐらいだと思いますよ?」
「半々!」
「半々!!」
「半分いりゃ充分だし! 数の上では全員カップルになれるし!」
「‥‥。早く春が来るといいですねぇ」
桃香は一言そう呟き、まだ雪が降り続けている外の風景に目を移した。色んな意味で、春は遠い。
「アル、食事の前に、あなたが参加した作戦の担当士官に挨拶がしたいのだけど、いいかしら?」
「直接関わった指揮官は、南波大尉だな。紹介しよう」
夫婦の会話を交わしつつ去っていくアルヴァイムと悠季の後姿に、何となく越えられない壁的なものを感じて涙する正規軍男子の群れ。女性傭兵に声も掛けられないチキンな奴らの慰めは、レイジやアーサーといった男性傭兵しかいなかった。
「おいもっと呑め呑め! 戦友の酒が呑めんとは言わせねぇぜ!!」
「そーれ一気! 一気!!」
ドンドコ注がれる酒を体内へ流し込むレイジとアーサー。アーサーは余裕だが、レイジの方はかなり一杯一杯で、酔い潰されるのも時間の問題である。
「‥‥っと、トリシアさん。そんな隅っこにいねぇで輪に入ろうぜ!」
早くも若干気持ち悪くなってきたレイジだったが、ふと、壁際で一人料理をつついていたトリシアを見つけ、手招きをした。
「でも‥‥私、神戸の作戦には参加してなかったから‥‥」
「みんなで食べるご飯はおいしいですよ♪ 遠慮したら負けなのです!」
真帆が彼女の手を引いて、みんなの輪の中に彼女を迎え入れる。「真帆も高校生だから、豪華なパーティーで実は緊張してたです」と、こっそり耳打ちなどしながら。
「兵庫戦線って、激戦だったって聞いたんだ。HW鹵獲も、すごい戦果だよね」
「俺らを悩ませてくれた敵将が三人もいやがってよ」
「鹵獲HWは、そのうちの一人が乗ってたヤツだ」
トリシアに兵庫戦線の話を聞かせる正規軍兵士たち。
もう一度乾杯をしようと、真帆とトリシアが杯を掲げた、その時。
「あー! 待って待ってー! 僕たちも乾杯スルー!!」
思花の手を引いたラウルが輪の中に駆け込んできた。どうやら、『ラウルが料理を取ってあげていて、思花の好きな揚げたて春巻が出てくるのを待っていた』という、実に幸せな理由で出遅れたようだ。
「カンパーーーイ!!!」
もう何度目かわからない乾杯の音が、会場に響き渡る。
「‥‥どっかで見たような気がすんだよなぁ」
「城崎とかカナ? 生身の作戦にはいくつか参加したからネ」
ラウルを見つめ、暫し考え込む一人の兵士。どこかで会ったのは確かなようだ。
「長い戦いだったケド、兵庫もコレで落ち着いたカナ?」
「ああ。またバグアに奪われるような馬鹿はしねぇ。ここで死んでった仲間も大勢いるんで、な」
「‥‥‥。‥そだネ」
彼の言葉に、ラウルは笑ってグラスを差し出した。
「思花さん、こんばんは。いつまでこちらに居られるのです? お仕事が終わったら、また北米に戻ってしまわれるのですか?」
と、相変わらず早いペースでグラスを開けながら、リアが思花へと歩み寄り、尋ねる。
「こんばんは、リア‥‥。もうこっちの仕事は‥終わったんだ。もうすぐ‥‥帰るよ」
「また暫く会えなくなってしまいますね‥」
しょんぼりと肩を落としながら言うリアに、思花は「北米でも依頼を出すかも知れないから」と言葉を掛けた。すると、リアも顔を上げて微笑み、同時に少しからかうような表情を浮かべてみせる。
「彼との時間を大切にして下さいね♪ ふふり。お邪魔致しました〜♪」
「えっ‥‥ち、ちょっとリア‥!」
ラウルの背に視線を遣り、意味ありげな台詞を残して去るリアに、思花は、ちょっと頬を紅潮させて靴を鳴らした。
「お、まず一人? よーし、誰か俺と飲み比べる人いないか〜!」
「アーサーさん酒強ぇんだな。‥‥覚醒したらマシに――なるわけないか」
「もー。レイジ、飛ばしすぎだよ。大丈夫?」
正規軍の若者を一人倒し、上機嫌のアーサーが二人目に勝負を挑む。その隣では、スタートダッシュをかけすぎたレイジがジュースで一休みしており、トリシアに心配されていた。
しかし、
「はい、思花サン♪ あーん」
「ら、ラウル‥‥? 今‥?」
「久し振りに会ったのに、ダメなの!?」
「‥‥。あ、あーん‥‥」
会話の最中にチョイチョイ挟まれるラブシーンは、「神戸は俺らが守るZE!」と燃える兵士たちのガラスのハートを、別な意味でも激しく燃え上がらせたのだった。
「大尉。兵庫戦線ではお世話になりました」
上官への挨拶を終えた南波が料理をパクついていると、騒がしい集団の中からアルヴァイムと悠季の二人がやってきた。
「おー。アルヴァイムー」
アルヴァイムは何となくサラリーマン時代を思い出しながら、会釈をしつつ妻の方を片手で指す。
「妻の悠季です。悠季、兵庫UPC軍の南波大尉だ」
「百地・悠季と申します。この度はお互いに大変お世話になった様で有難うございます。何れの機会には叉宜しくお願いしますね」
ドレスの前で軽く両手を揃え、深々とお辞儀をして挨拶する悠季。南波は、考えるようなそぶりで彼女を眺めていたが、あっ、と思い出して手を叩いた。
「どっかで聞いた名前だと思った。南の島で『怖い人』と戦った時に、いたよね?」
あらそういえば、と、悠季は顔を上げ、クスクスと笑ってみせる。
「南波大尉、こんばんは♪」
「おお? リア、なんか酔ってない?」
「そんな事ございませんよ〜」
アルヴァイムと悠季と別れ、再び料理を物色しに向かった南波に声を掛けたのは、ちょっとほろ酔いのリアであった。
「まず、兵庫戦線では本当にお世話になりました。最後まで、この戦いに関わってこれた事を誇りに思います」
「こちらこそ、だね。最初から最後まで、本当にありがとう。それから‥俺個人の事でも心配してくれて、嬉しかった」
南波は笑って、そう言葉を返した。
すると、リアは少しだけ酔いの醒めた表情で、悲しいとも、悔しいともつかない表情で目を伏せ、言う。
「山羊座‥‥彼女はこれから、どうなるのでしょう。彼女は人類に敗北したのです‥‥バグアから切り捨てられ、たった一人で復讐の鬼となって戦うのでしょうか‥」
バグアは――山羊座は悪であると信じ、戦ってきたリア。しかし、人類を子の仇と信じ復讐を口にする彼女の姿に、リアの心境は複雑さを増していた。
「彼女を‥‥救ってあげたいです」
ポツリ、と呟くような声を洩らすリアに、南波は暫く口を閉ざした後、長い瞬きと共に、ある事実を話し始める。
「‥‥リア。ひとつ、思花から教えてもらった事がある。報告書もあるし、機密ではないけど」
「? 何でしょう?」
「山羊座の3人の子供のうち、1人は北中央軍にいるよ。会ってみるのも、いいかもね」
「――え?」
南波はそれ以上何も言わず、またね、と言ってその場を離れた。
夜景の見える窓際の席に座り、アスカは一人、物思いに耽っていた。
咽を焼け付かせるような、きつい酒。
少しだけ窓を開けると、潮の匂いが彼女の鼻をくすぐった。
下心とともに声を掛けてきた若い兵士を、乾杯と軽い会話で受け流す。
彼らと共に勝利を祝いたい気持ちもある。しかし、一人だけで考えたいこともある。
アスカは、そっと視線を落とし、自分の胸を見た。
あのHWの持ち主――上月奏汰の爪に貫かれた、その場所を。
(「力及ばず‥‥だったわね」)
対峙した者の半数以上を生命の危機に至らしめた敵将。
真っ先に倒れてしまった自分は、果たして戦力と言えたのだろうか?
香住基地爆撃作戦。自分がそこに存在した事に、意味はあったのだろうか?
アスカは、知らず知らずのうちに飲み過ぎていた。
ついウトウトと自分の腕に頬を預け、周囲の音が遠くなる。
「ありがとうね、冴城」
若い男の声がぼんやりと響き、アスカの肩に、何か上着のようなものが掛けられた。
「肉まんもチゲ鍋もおいしいです♪ リクエストしたものが全部あって幸せなのです〜」
そろそろデザート、という頃、真帆は、デザートコーナーの横で作業中の王零と、彼に甲斐甲斐しく料理を運んでは食べさせてあげているリアを発見した。
「零さん、あーんしてください♪ おいしい神戸牛ですよ〜」
「ああ、さすがリアが勧めるだけのことはある。それにしても、今日は羽目を外しているね」
「そんなことありませんよぅ。ハイ、あ〜ん」
大変甘い空気だが、真帆が興味を惹かれたのはそこではなく、王零の手で捏ねられている物体のほうだ。
「あー王さんの『王ダーメイド混む』だぁ☆ 真帆にも世界唯一の飴ちゃん作って〜」
「おや、いいだろう。まずは奪還記念の兵庫県を作ろうか」
無邪気に喜ぶ真帆の目の前で、王零が素早く両手を動かし始めた。空気を含んで白くなった飴を延ばし、ハサミを上手く使いながら、複雑な形を完成させていく。
きゃあきゃあと喜ぶ真帆の声に、集まってくる正規軍兵士と傭兵たち。あっという間に、王零の前には人だかりができていた。
「すごいです〜! じゃあ次は、え〜と‥ポ〜トタワ〜とパンダとキンシコウとゾウさんとキリンさんといかり山と諏訪山の‥‥」
「ははは、そんなに気に入ってもらえたか。まあ待て、ひとつずつだ」
次々とリクエストする真帆に、王零は笑いながら手を動かし続ける。神戸には外国系の人が多いから、と、韓国系のスターみたいな人を作って!とせがまれ、彼も本気を出すことにした。
「悠季、記念に汝の主人を模した飴を作ろうかな」
「あら本当? でも、なんだか気恥かしいわね」
「照れることはない。折角の申し出だ。お願いしよう」
王零の見事なハサミ捌きで作り込まれて行く『アルヴァイム飴』。
もしここに自分たちの子供がいたら――と、何年後かの未来に想いを馳せながら、悠季はそれを見つめ続ける。
そんな中、彼らの後ろで飴細工を見物していた桃香が、ふと、すぐ傍に南波を発見して声を上げた。
「えっ、南波大尉?」
「えっ、何その反応?」
例の南の島で桃香に言われた事が若干気になり、ジロジロと自分を観察する彼女に青い動揺を見せる南波。だが、桃香はスタスタと彼に歩み寄り、じっとりした目つきでその片腕を――正確に言うと服の袖を掴み、こう言い放った。
「どうせ私服か軍服だと思ったのに。いつの間にそんなセレブになったんだこの裏切り者ー!」
「いやいやいやいや! 何の話っ!? ねえ何の話!?」
どうやら、『南波のくせに正装しすぎた件』について追及されているらしい。何故か、タキシードの上着は無いのだが。
「いやほら。悲しいけどレンタルだし」
「なーんだ。レンタルですか。じゃあ汚しちゃったら弁償とかですかね。やっぱり」
「ぎゃー! 今月課金ゲームにけっこう注ぎ込んでるからヤメテー!!」
微妙にワクワクした表情で蟹のマヨネーズサラダをチラ見する桃香を、南波は別に言わんでもいい私生活情報を垂れ流しつつ必死に止めた。
「‥‥私も、もっとマシな格好してくれば良かったなぁ」
思花さんとか綺麗だし、とか、何と言わないけどあるし、とか言いつつ、ワンピースに包まれた自分の胸元を見下ろして急にテンションが下がる桃香。
「なんで? 普段着の人、いっぱいいるよ?」
「まあそうですけど。‥‥あ、気にしないでください。ちょっと言ってみただけなんで」
パタパタと片手を振って、桃香は再び料理を食べ始めた。
南波は、何やら「むーん」と考えるような声を上げ、どこかへ行こうと一瞬足を動かした――その時。
「あ、南波さんですぅ、こにちわぁ♪☆」
「あ、えーっと。熊谷、だっけ」
ぺこりん、と大きくお辞儀をしたのは、ほぼ取り巻きに近い兵士数人を引き連れた真帆であった。彼女はセーラー服の裾をヒラヒラと翻し、ウサギのように跳ねながら彼に走り寄ってくる。
「祝賀会、真帆がリクエストしたら本当に作ってくれたの〜。南波さんありがたう〜♪♪ 今度こそ神戸の美味しい物を紹介してね!」
「あー、そっか。祝賀会やりたいって言ったの熊谷だったねー」
そうそう、と思い出し、頷く南波。
「俺は神戸育ちじゃないけど、甘い物ぐらいなら? なんか取ってこよっか」
「ああっ、ひとりで行っちゃ駄目です〜」
歩き出そうとした南波の腕をサッと掴み、真帆は満面の笑みを浮かべてピンク色の包みを差し出した。
それはどう見ても――バレンタインギフト。
「え? マジでくれるの?」
「今日の真帆は一日フィアンセ(の一人)です♪」
「‥‥え?」
大事なところを心の声で済ましてしまった真帆の言葉に、南波はプレゼントを受け取った姿勢のまま、色んな意味で固まった。
「えへへ。南波さんにエスコートしてもらうです」
「ひゅーひゅー」
照れたように両頬を手で覆う真帆と、わざわざ大声で茶々を入れ始める桃香。
何だ何だと周囲が注目する中、いきなり南波の首根っこを何者かが掴み上げる。
「うおぉおっ!? 元木中尉!?」
「はっはっは。良い御身分だなぁ、南波。数少ない一人参加の女の子二人も侍らせてなぁ?」
「ギャーーーー!! 誤解! 超誤解!!」
長身の南波より更に体格のいいその男は、こめかみに青スジなど立てながら、目が完全に座っていた。
「あ、なんばりんがシメられてる。あのヒト誰?」
「‥‥南波が新兵だった頃‥‥滅茶苦茶しごき倒した人、だったと思うけど‥‥」
あんまり助ける気のなさそうなラウルの問いに、思花は記憶を掘り起こしながら、そう答えた。香住基地爆撃作戦時は、爆撃部隊の隊長を務めていた、とも付け加えて。
「隊長、ってコトは爆撃機じゃなくてKV乗りでありやがるですね」
「そうそう。中尉は歴戦のファイターなんだぜ」
「階級だけ追い抜いたって、新兵時代の恐怖ってのは消えねぇからなぁ」
シーヴの周囲には、未だに彼女の結婚指輪に気づいていない非モテ兵士が数人たむろし、甲斐甲斐しく料理やドリンクを運びまくっていた。
「「「「海水浴ッ! 海水浴ッ!」」」」
「「「「投げろ投げろーーー!!」」」」
「イヤアアアアーーーーーーーッッ!!!! タスケテーーーーーーーーー!!!」
覚醒して逃げようとした南波に対し、まさかの豪力発現で対抗する元木中尉。
「お客様アァァァ!? 海水浴は危険でございますーーーーッッ!!」
「お、あっちは盛り上がってんな」
南波への制裁を『盛り上がり』と理解したレイジが、それに触発されたかのように復活を遂げ、呑めない代わりに周囲の兵士に酒を注ぎ始めた。
だが、
「楽しそうだなー。彼女も連れてきたかったかな?」
「そうだね。私も、彼と一緒に来ればよかったよ」
五人目を倒したアーサー、そして、トリシアの何気無い一言が、ピキーンと周囲の空気を凍結させる。
「お前‥‥お前は裏切らないよな‥‥!?」
「俺達、仲間だよな‥? 女なんかいらねぇよな‥?」
闘志を燃やし、本気でアーサーを潰しにかかる数人の横で、何やら恨めしげな顔でレイジに迫る非モテ男子の群れ。
「えっ‥‥いや、俺は別に‥‥」
レイジに向けて差し出される、無数の『同胞の証(杯)』。
抗う彼の咽喉を、大量の焼酎が通過していった。
「あー明石海峡大橋ー!! 綺麗〜」
アナウンスに従い、再びデッキへとやってきた招待客たち。
目の前には、暗い空に浮かぶ光の橋だ。
ライトアップされた明石海峡大橋に向って進む天舞のデッキで、真帆が歓声を上げる。
「大丈夫です?」
「死にそう」
桃香の問いに、結局軍服に着替えた南波が震えながら即答した。
海には投げられなかったが、お祝いと称してビールを頭から掛けられたらしく、髪が濡れている。
「はい。舞ちゃんからの借り物だけど。首に巻いたら普段着っぽくなくなるかも」
と、彼は桃香にシルバーのスカーフを手渡した。
「いいんですか?」
「帰りに返せばいいと思うよ」
借りてきてくれるとは、と驚きつつ、素直にスカーフを巻く桃香。そこへ駆けてきた真帆が、はしゃいだ様子で南波の腕を引いて行った。
「船の煙突の近くで見るとね‥‥煙の燃え滓の火花が流れ星みたいで綺麗の〜」
今にも橋の下をくぐらんとしている天舞。真帆は、夢を見るような瞳で空を見上げている。
「うおー、でか! 橋でか! ってか危ない熊谷っ!?」
「あわわ! えへへ‥‥お伽の世界みたい〜」
頭上に見入りすぎて尻もちをついてしまった真帆を、南波が笑いながら助け起こした。もしかしたら、本当に夢を見そうなくらい、眠気が来ているのかもしれない。
「兵庫の南側は‥‥やはりインフラ整備が行き届いているようだな」
「やだ、アルったら。仕事より夜景を見ましょうよ」
明石の夜景を見つめて呟く夫に、くすくす笑いが止められない悠季。だが、彼のそういうところも‥‥嫌いじゃない。
頭の上をゆっくりと通過していく、巨大な吊橋。
この後は船室で少し休もう、と言うアルヴァイムの腕を、悠季の腕が抱き寄せた。
「大丈夫か? ‥まったく飲むのならちゃんと加減をしないとだめじゃないか」
「すみません零さん‥‥」
デッキの隅の椅子には王零が腰掛け、飲みすぎた妻を膝の上で介抱している。
二人の顔を明石海峡大橋の光が照らし、リアが眩しそうに、そして嬉しそうに、目を細めた。
「すぅ‥はぁぁぁぁぁ‥‥あの戦いが嘘のように静かだね‥‥今回もFRは逃がしたし、話に聞いた彼女の性格からすると‥これから大変だろう」
「はい‥」
戦場となった豊岡や香美町の方向を見つめ、煙管をふかす王零の言葉に、リアはぼんやりとした目で肯き返す。
「何はともあれ、散った命も残った命もお疲れ様‥‥この勝利が一時で終わらないことを願って、乾杯」
夜の海に、透明な液体が落ち、溶けていく。
空になったグラスをテーブルに置き、王零は、妻の体をしっかりと抱き締めた。
「あっちが淡路島‥‥あ、そうだ! えっと、南波大尉!」
「ん? 何〜?」
夜景と海の風景を楽しんでいたトリシアが、何かを思いついて南波の元へと駆け寄ってくる。
「淡路島に、LH行きのガリーニンがあって、傭兵を募集してるって聞いたんだ。私、乗って帰ってもいい?」
「あー、俺も俺もー!」
ガリーニンと聞いて、カメラ片手のアーサーも飛びついてきた。豪華客船の次は大型輸送機。いい土産話ができそうだ。
「アーサーと、えーと、トリシア? いいと思うよ。帰港したら、ULTの出張所で手続きしといてくれる?」
「本当!? よかったぁ」
「うわぁー! ガリーニンにも乗れるのかー!」
あくまでも仕事として乗るのだが、滅多にない機会に喜ぶ二人。そうこうしているうちに明石海峡大橋は遥か後方へと遠ざかり、船が旋回するポイントへと差し掛かった。
「‥‥今度は一緒に来れるといいな」
自分が関わって、命が吹き込まれた町を見てほしいから――。
アーサーは、感慨に満ちた表情で夜景を見つめ、何度も何度もシャッターを切り続けた。
◆◇
「「あの‥‥!」」
静かなラウンジ。長い沈黙の後、二人は同時に口を開いた。
「‥‥どうぞ」
暫く互いに譲り合うような仕草を見せてから、思花がそう促す。
ラウルは思花の方に体を向けて、真剣な表情で彼女の瞳を見た。
「手紙の話、もう一度言うネ」
「‥‥うん」
「今すぐじゃなくてもヨイから、将来僕のお嫁サンになって下サイ。‥‥気持ちとか仕事とかイロイロあると思うカラ、ダイジョブになるまで、待つからサ」
また暫く、薄暗い空間に沈黙と音楽だけが流れる。
「‥‥。いいよ」
ぽろり、と、思花の口から呆気なく零れ落ちる返事。
「‥‥ホント?」
「‥‥あなたは研究所に入れないから‥‥きっと大分先の話になりそうだけ――ど‥っ!?」
うちのお母さん手強いし、と言いたかった思花だが、急に抱きついてきたラウルに唇を塞がれ、それ以上は何も言えなくなった。
――そして10分後。
上機嫌なラウルと思花の前には、レイジ、南波、トリシアが座っていた。
誰からともなくここに集まり、出てくる話題は、一人の少年の話。
「琳さん。リアムは、香住基地での事を知ってるのか?」
「‥‥知ってるよ」
痛む頭を押さえながらのレイジの問いに、思花は、「手紙がきて」と一言答えた。
「ダイジョイブだって言ってたケド、元気カナ?」
「元気‥‥は元気。だけど‥‥除隊する、とは聞いたかな‥」
「除隊? UPC軍辞めてどうするの?」
驚いたように身を乗り出すトリシアを見ながら、思花は暫く考え、首を振る。
「そこまでは‥」
「どこに現れるかわからない相手を追っかけるなんて、軍人にはできないからね」
俺はその子をよく知らないけど、と付け加えて、南波が思花の言葉を継いだ。
「ねえ、プリマヴェーラってどんな人なのかな‥? リアムと‥親子に戻れる可能性は、無いのかな‥」
「他のバグアとあんまり変わらない。死人を冒涜して、誰かの大事な人を怪物に変える」
即座に返ってきた南波の答えに、キュッと唇を噛んで俯くトリシア。
だが、南波は彼女の頭に軽く片手を置いて、続けた。
「だけど、たぶん。母親だから、悔しかったのかもね。自分の子供が死んだ事が」
「そだネ‥‥歪んじゃってるケド」
ラウンジの中、物悲しい旋律が流れる薄暗い空間で、五人はただ、黙り込む。
一度だけ、天舞の汽笛が重い沈黙を震わせ響くと、レイジは両手で膝を打ちつけ、顔を上げた。
「俺は、思いあがっていたらしい。琳さん、南波さん」
「え?」
「俺が香住で訊ねた事。山羊座との因縁――ケリをつけるのは、あんた達とリアムのはずだ」
思花は南波と顔を見合せ、レイジのほうへと再び視線を向ける。
「‥‥でも、私たちは‥‥自由には動けな――」
「あんた達が行けないなら、俺が手伝ってやるさ。あの人を、あんた達の手が、声が届く所まで引き摺り下ろす」
きっぱりと言い切るレイジを見て、思花は言いかけた言葉を飲み込み、ただ小さく「うん」と答えた。驚きと喜びと、不安が入り混じったような、そんな表情で。
「思花サン。お願いダヨ。リアムはリアムだから‥‥」
今までと変わらず接してあげて、と。
それは、皆の願いでもあった。
◆◇
クラリネットのグリッサンドから始まり、管楽器、ピアノ、そしてオーケストラの全楽器が綾を成す狂詩曲。
間に挟まれる、ピアノの独奏。
クラシックとジャズを融合させたシンフォニックジャズでありながら、古典的なピアノ協奏曲の雰囲気をも併せ持つこの曲を選んだのは、今夜のピアニストでもあるシーヴだった。
指揮者がその両腕を下ろし、観客に向かって一礼すると、盛大な拍手の嵐が巻き起こる。
「流石プロ。シーヴに上手く合わせてくれやがったです」
駆け寄ってきたラウルと思花、そして南波の拍手に礼を言うと、シーヴは、小さなバッグからチョコの包みを取り出した。
「これ、三人の分でありやがるです。南波、思花‥‥香住基地爆撃のすぐ後に、シーヴ、結婚しやがったですよ」
少し照れながらそう言ったシーヴに、二人は少し驚き、
「おおぉお!? じゃあもうヒトヅマなの!? やっべぇ、チョコに危険な香りがする!」
「そうなんだ‥‥! おめでとう、シーヴ。‥幸せにね」
南波はありもしない香りを感じて騒ぎ、思花は素直に祝いの言葉を口にする。遠くのほうで、うっかり話を聞いてしまった正規軍兵士が勝手に打ちひしがれていた。
「Shall We Dance?」
「‥‥私、下手だよ」
ワルツの始まりと共に差し出されたラウルの手を、思花は先に弁解しながら、それでも素直に取った。
「‥‥折角だから、踊る?」
「『ヒトヅマ』を誘いやがるですか?」
ちょっとした冗談と意地悪を口にして、南波の手を取って踊り始めるシーヴ。
もうこうなったら男同士で踊ってやる! とダンススペースに躍り出た幾人かの兵士たちを見て、どっと笑いが巻き起こる。
「アル、踊りましょう」
船室で休んでいた悠季とアルヴァイムが会場へと戻り、ワルツに乗ってステップを踏み始めた。
「こういう遠出は身体が身軽な今の内よね」
「身軽‥‥?」
妻の口から出た言葉に、アルヴァイムは少し意図を測りかねて彼女を見返す。
すると悠季は、悪戯っぽい表情で夫を見上げ、
「来年の今頃だと、こんな未来予想図だからよ」
クスリと笑ってお腹の上で軽く半円を描いてみせたのだった。
ゆっくりと、静かに。
豪華客船『天舞』が、神戸の光の中へと還って行く。
眩い光を放つ街を目の前にして、それでも招待客たちは、この船との別れを惜しんでいた。
◆◇
神戸港へと帰港する、その間際――。
「もしもし、お父様ですか? リアです。ええ、はい‥‥お元気そうでなによりです! ええ‥お母様もお隣に?」
微かに響いてくるワルツに心躍らせ、リアは、受話器の向こうから、もっと心に沁みる懐かしい声を聞いていた。
「はい。もちろん元気ですよ♪ ‥え、零さんですか? ええ、代わりますね」
まるで自分を包み込んでくれるかのような、両親との会話。もし兵庫がバグアの手に落ちていたらと考えれば考えるほど、今のこの幸せが愛おしかった。
リアの手から受話器を受け取り、近況を報告する夫を見上げ、その腕に頬を擦り寄せる。
「ああ‥‥こちらは以前より睦まじく愛し合っているよ‥え? 孫? いや‥それはまぁ時の運だから‥な? リア?」
「えっ? ま、孫ですか‥っ? もうっ、お父様ったら‥‥!」
不意に王零の口から飛び出した単語に、リアはみるみる頬を赤く染め、恥ずかしそうに下を向いたのだった。