●リプレイ本文
リザが辿り着いたと思われる、小さな町。
彼女の行方を追ってこの町にやって来た傭兵たちは、情報収集と買い出しを済ませ、再び町の入口へと集合していた。
「んー、やっぱり噂は噂だネ。大抵、友達の友達が〜、てトコ」
ワゴンに乗り込み、ラウル・カミーユ(
ga7242)は、町に流れる『森のキメラ』の噂について、そう結論づけた。聞き込み調査の結果、得られた証言のほとんどは抽象的で、又聞きのような話ばかりだ。
「嬢ちゃんの服装だが、恐らくグレーのニットワンピースだそうだ」
施設へ確認の電話を入れたのは、高遠・聖(
ga6319)だった。
『よろしくお願いします』と、そう言った施設の職員の声は、どうしようもなく震えていたように思う。
「では、集合はこの場所に致しましょう」
森の地図を広げ、その中央付近を指し示したのは、ジェイ・ガーランド(
ga9899)だった。
キメラの噂が流れるまでは、町の人間にとって気軽に森林浴が楽しめる場所だったという、道路脇の小さな森。一応、幾筋かの散策路があり、その中央に、休憩所のようなものがある。ジェイは、そこを集合地点と決め、皆に伝えたのだった。
◆◇
森の中は薄暗く、漂う湿った土の臭いが鼻腔を刺激する。
ざわざわと揺らめき、嗤う木の葉が陽光の下で影を落とす。
「外は寒いから、凍えとるやろなぁ」
秋の色濃い森の中、散策路の脇を流れる小川に視線を落としながら、志羽・武流(
ga8203)が、ぽつりと一言、言葉を洩らした。
彼の前を行くジェイが振り返り、一拍置いてから、言う。
「幼子が背負うには、少々辛う御座いますね‥‥この現実というものは」
踏みしめた落ち葉が、乾いた音を立てる。
季節は移ろい、時は流れる。
変わらないもの、変わりゆくもの。受け入れられずに歩みを止めた者は、時を止めてただ佇むしかできない。
「私のように、ならないで欲しい」
布に包まれた小銃を携え、ただ前を向いたまま、九音(
gb3565)は言った。世が世なら、子どもが何を言うかと一笑に伏されたかもしれない、そんな台詞を。
けれど、ある日突然、何の理由もなく子が親を、親が子を失うようなこの世界で、一体誰が彼女を笑えるのだろう。
「日暮れ以降は、こちらも危険になる。それ以前に見つけたい」
小さな体。大人とは違う歩幅を伸ばし、歩みを早める九音。ジェイは、自分を追い越して行く彼女の背中を見つめ、僅かに息を吐き出した。
「‥‥早く、見つけ出さねばなりませんね」
「こんな暗い森の中に、いつまでも一人でおらすわけにはいかへんな‥‥」
志羽の肩に掛けられた、ココア入りの水筒。
その温もりが冷めてしまわないように、三人は森の奥へと歩を進めた。
不意に揺れた茂みに目を遣り、須佐 武流(
ga1461)は、咄嗟に身構えた。
だが、走り出てきたのが有り触れた小動物であったのを目にして、彼は、再び静かに歩き始める。
「ふぅむ‥‥どこに行ってしまったのだろうか‥‥?」
「お腹空いてるだろナ。怪我してないとヨイけど‥‥」
すぐ隣を行くラウルは、暗く染まった髪を手で触れながら、散策路の周囲に視線を巡らせていた。
(「‥‥あれから三ヶ月も経つのか‥‥」)
道のところどころに転がる木の実と、秋の匂い。
一体何の切っ掛けで森に足を踏み入れてしまったのか、その理由はわからないまでも、無人の森に幼子が一人で入るなど、どんなに整備された場所であったにしても危険すぎる。
「道のそばにいてくれればヨイんだケド」
全神経を研ぎ澄まし、僅かな音も聞き洩らさぬよう、周囲に気を配るラウル。
須佐は、とにかく何かリザの痕跡が残っていないかと、地面を中心に捜索していた。
「落葉さえなけりゃ、足跡が見つかったかもしれないんだがな‥‥」
散策路の脇に積もった、柔らかな落ち葉のクッション。何か落ちてはいないかと須佐が目を凝らしたその瞬間、落ち葉の一部が小さく動いた。
「! 危ねぇ!」
「――!」
須佐が覚醒し、空中目掛けて蹴りを放つ。
洋弓に手を掛けたラウルが身構えながら見ると、落ち葉の隙間から跳躍した何かが、須佐の足爪に貫かれ、地面に落ちたところであった。
「――蛇?」
落ち葉の上に横たわり、のたうち回っていたのは、体長50cmほどの茶色い蛇。鋭い牙の生えた口を大きく開き、喉の奥から空気が漏れるような音を立てて威嚇している。
「ああ、コイツはキメラだ。普通の蛇はあんなに跳ばないだろ?」
忍刀を持ち、暴れる蛇の頭を躊躇いなく切り飛ばす須佐。一瞬、赤く光るフォースフィールドが蛇の体を包み込むのが見えた。
「道理でキメラを見たってヒトが居ないワケだよネ。小さいし、瞬発力もあるみたいだし」
なるほどね、とラウルは頷き、自分たちの周りの地面を見渡した。ところどころの落ち葉が動き、しゅうしゅうと蛇の威嚇音が聞こえてくる。
「相手してる暇はねぇよな。行こうぜ、ラウル」
「そだネ。撒いたほうがヨイかも」
凶悪な目でこちらを睨みつける蛇を一瞥すると、須佐、そしてラウルの二人は、武器を手に全力で森を駆け抜けたのだった。
「リザの目撃情報があった。つまり、この森には少なくとも人が近づくことがある。‥‥キメラを倒す、もしくはキメラの有無だけでも確認しておいた方が良い」
小鳥が囀る木々の下を行きながら、御巫 雫(
ga8942)は、前方を歩む二人にそう声を掛けた。
「まあ、確かに」
道のそばにあった岩陰を覗き込み、聖が返事を返す。
「このすぐ前は道路が通っているし、今でもたまに、肝試し気分の若者が近付くことがあるようだがね」
リザと思しき声を聞いたというのは、大抵、そういった類の人間であった。もしくは、偶々車の窓が開いていて、通りすがりに何となく聞こえた気がした、そんな程度の情報である。
そういった者たちから隠れようとしているうち、リザはこの森の中に入り込んでしまったのかもしれない。
「俺はリザを守りたい‥‥俺は、俺自身やリザのような子を増やさないためにも能力者となったのだから‥‥」
堺・清四郎(
gb3564)は、これが初任務だった。
本来、傭兵の仕事とは、戦うことだ。戦い、敵を打ち倒すこと。
初任務にそれとは真逆のものを選ぶことになるとは思わなかったが、それでも、清四郎にとっては、命を賭すにも相応しい任務と言えた。傭兵としても、人類のために生き、そして散った父の息子としても。
「‥‥ひとり残されるというのは辛いことだ。私も‥‥そうだった」
雫が、小さく呟く。
しばらく周辺を捜して、声を上げたのは、沢に下りる道沿いで、大木のウロを覗いていた聖であった。
「‥‥これは?」
残りの二人が近付いて見てみると、樹の幹に何かが擦れてこびり付いている。
「毛糸、か?」
清四郎が手に取ったそれは、引っ掛けて千切れた跡のある、細いグレーの毛糸だった。
「――リザ!」
沢の方に視線を遣り、弾かれたように、雫が走り出す。
――大人の背丈ほどの小さな崖の下に倒れていたのは、グレーの服に金色の髪をした、幼い少女であった。
リザが目を覚ましたのは、森の中に据えられた休憩所の、ベンチの上だった。
「怖かったな、リザ。‥‥もう大丈夫」
起き上がった彼女を、すぐ目の前に立っていた雫が抱き締める。それは、聞き覚えのある声に感じた。
「もう大丈夫。怖くない」
雫の手を離れたリザに防寒シートを掛け直し、聖は、リンゴジュースを差し出す。
「もうすぐ仲間が来るからな。その後、ここを出よう」
無言のまま、ジュースを口にしたリザの頭を、聖は、言葉を掛けながら軽く撫でてやった。
「足が痛いか? 寂しかっただろう、もう少しの辛抱だ」
崖から落ちた拍子に捻ったらしく、リザの左足首は赤く腫れ、擦り剥けていた。リザが眠っている間に簡単な処置はしておいたものの、清四郎は、やや心配気に声を掛ける。
リザは、押し黙ったままだった。
雫は、そんな彼女の目を真っ直ぐに見つめ、柔らかな口調で切り出す。
「全く‥‥周りに心配ばかりさせて、困らせて‥‥。リザのそんな悲しそうな顔、リザのお父さんが見たら、どう思うか。‥‥お父さんは、リザが元気で幸せでいてくれるのを一番に望んでいると思うぞ?」
「いい子にしてたもん!!!」
お父さん、という言葉を耳にするなり、リザは、周囲が驚くほどの大声を上げ、手にしたジュースのパックを地面に叩き付けた。
「いい子でまってたもん!! パパがおむかえにこないのが悪いんだもん‥‥!」
小さな体をぶるぶると震わせて、リザは下を向き、声を上げて泣き始める。
この三ヶ月、ずっと我慢し続けて抑圧されてきた感情をぶちまけるかのように、何度も何度も同じ台詞を繰り返し言い続けた。
「‥‥私も、リザには笑顔でいて欲しいな。リザはとても笑顔が似合うのであるから」
悲しげに呟いた雫の言葉は、果たしてリザに届いたのであろうか。
暴れる彼女を抱き締めて、清四郎がその小さな背中を擦り続ける。
聖は、ただ静かに、彼女の気持ちが落ち着くのを、すぐ傍で待ち続けた。
やがて涙が枯れ、嗚咽すら出なくなった頃、清四郎は、リザの体を包む腕をそっと解いた。
「‥‥久しぶりだね。お兄さんの事、覚えてない‥‥かな?」
リザが顔を上げると、そこには、先程までいなかった顔が増えていた。自分の前にしゃがみ込んだジェイの目をしばらく見つめ、リザは、周囲に視線を巡らせる。
「僕、覚えてるかなぁ? リザ、パパとのお家へ帰る?」
涙で滲む視界の中で、見憶えのある人物がそう口にした。ラウルのその言葉に、リザは、戸惑うような視線を返す。
「一緒に、家に帰ろう?」
九音が覗き込み、小さな手を擦る。半信半疑のリザは、事態が飲み込めずに身を引いた。
「きみをおうちに連れていくよう、パパに頼まれたんや」
てっきり施設に連れ戻されるとばかり思って警戒していたリザに、志羽のついた小さな嘘は、これ以上ないほど大きく作用した。
「おうち行くか?」
「‥‥いく!」
顔を輝かせたリザを見て、志羽は、そっと彼女の体を抱き上げる。
森のどこかが揺れて、空気が漏れる小さな音が、皆の鼓膜を刺激した。
「ここは怖いな‥‥さ、森から出よう」
「大丈夫。早く行こう?」
ジェイと九音がリザに声を掛け、志羽を護るように両側について、森の中を駆け出す。
――戦闘など、彼女が見るべきものではないのだから。
「‥‥5歳の子供に現実が受け止められるとは思わないが‥‥悔いを残してしまうよりはマシだろうな」
枯葉の隙間から頭をもたげる蛇たちと対峙しながら、須佐は、そんなことを呟いた。
父の居ない家に帰り、彼女は一体何を思うのだろう。
それでも、それで彼女の気が済むのなら、そうするしかないのかもしれない。
「僕らには、ソレぐらいしか出来ナイしねー」
ラウルが弓に手を掛け、うーん、と小さく唸りながら、そう一言口にする。
――そして、残された5人は、武器を取った。
◆◇
『For Sale』
何一つ無くなったリビングに座り、リザは、ただ俯いて黙り込んでいた。
翳り始めた陽の光が、弱々しく一日の終わりを告げている。
同じく床に腰を下ろした志羽と九音の視線を気にすることもなく、リザは、ただひたすらに父の帰りを待ち続けた。
そして、あの町の者のことを思い、森に残ってキメラを追った雫を除き、7人は、リザが諦める時を根気よく待っていた。
「寒くない? チョコ食べる?」
やがて日が暮れて、ラウルが差し出したチョコを口にしながら、リザは、ぼんやりとした目で顔を上げる。
「‥‥パパ、リザのこときらいになったの?」
「‥‥‥。違うよ。パパは帰って来れないんだ‥‥」
ラウルは、それ以上、何も言わずに彼女の髪を撫でた。そうするしか方法を知らなかったから。
床に置かれたカップ。志羽の淹れたココアから上がる白い湯気を見つめ、リザは、ぐっと拳を握り締める。
「リザ‥‥君のお父さんは‥‥少し遠いところに行っているんだ」
須佐の言葉が、俯いたままのリザの頭の中で、ぐるぐると渦を巻いて駆け巡った。
「そこに行くには‥‥君がもっと大人になって‥‥幸せになって‥‥それから、またお父さんは会いにきてくれる。だから、今は帰ろう‥‥。君は‥‥独りじゃない筈だ」
「リザは、昔の私に似てる。だから、私はリザの味方になる」
それまで口を閉ざしていた九音が、そっとリザの背中に手を触れる。
手の平に伝わる温もりを、しっかりと受け止めながら。
「困った時は、助けてと言うと良い。リザは独りではないのだから」
「‥‥‥‥‥」
リザはただ、下を向いて皆の言葉を聞いているしかなかった。
翌朝、リザが目覚めると、もといた施設のベッドの上だった。
「リザ! リザ、どこいってたの?」
「きゅうにいなくなったらダメなんだからねー!」
施設の子どもたちが、身を起こした彼女の周りに群がり、口々に言葉を投げ掛ける。
周囲を見渡すと、昨日出会った7人の傭兵たちもまた、彼女の目覚めを待ちわびていた。
「パパは‥‥?」
ぽつりと呟いたリザに歩み寄り、ジェイは、余計な刺激を与えないよう、静かに言い聞かせる。
「お父さんはお仕事でね、これからずっと帰って来れないんだ。だから、このお家で頑張れって、お父さんがリザちゃんに言ってたよ」
「‥‥‥」
再び顔を曇らせ、俯いたリザの膝の上に、ポン、と何かが飛び乗った。
それは、リザの背丈よりも大きな、ふわふわのクマのぬいぐるみ。
「嬢ちゃんの友達だ。新しい家の兄弟達と一緒に、仲良くしてやってな」
「‥‥いいの?」
上目遣いにそう訊いた彼女の頭を、聖は、何も言わずにポンポンと軽く叩いてみせる。
「わぁー! でっかいクマー!!」
「触らせてー!」
リザのベッドに飛び乗り、はしゃいだ顔を見せる子どもたち。
「‥‥ほな、俺はここでカウンセリングしてから帰るからな」
「ああ、あとは頼む」
子どもたちの傍らに座り、そう言った志羽に対し、清四郎は片手を挙げて応えた。
精神科医の彼がそうしたいと言うのだから、止める理由など何もない。
子どもたちの声が溢れる部屋を出て、6人は、静かに施設の玄関を出たのだった。
小ぢんまりとした、小さな建物。
吹き抜ける風にブランコが揺れ、軋んだ音を立てる。
「‥‥あのような子供を、これ以上増やしてはなりませんね。そのために、我々がいる‥‥そのはずで御座います」
リザがいるであろう部屋の窓を見上げ、ジェイは、神妙な面持ちで一言、呟きを漏らした。
自分たちの掛けた言葉は、一体どれだけ彼女の心に届いただろう。
彼女はこれから、幾年月ここで待ち続けるのだろう。
いつか全てを理解できる時が来たとして、彼女はそれを受け入れられるだろうか。
ワゴンに乗り込み、扉が閉まる。
皆が振り返ったその視線の先で、窓から身を乗り出したクマのぬいぐるみが、ぎこちなく片手を振っていた――。