●リプレイ本文
美しく輝くイルミネーション、どこからともなく聞こえる華やかなメロディー、海辺で愛を語らう恋人たち――
いつもであれば当たり前に見られるはずのその風景も、今となっては、もうどこにも存在しない。
波打つ暗い海に、沈黙したまま浮かぶ白亜の船。
月の光に照らされた豪華客船『天舞』は、その巨大な体躯を闇へと沈め、ただ、静かに能力者たちを待っていた。
「うわあー! すげー! でかい船だな!」
「出来れば‥‥お客さんとして乗りたかった、ですね‥‥」
港に停泊する天舞を見上げ、生まれて初めて乗る豪華客船の迫力にはしゃぐ火茄神・渉(
ga8569)。その隣では、藤宮紅緒(
ga5157)が、来たるべき戦闘に備え、ちょっと震える膝でストレッチに励んでいる。
「別の依頼で乗ったことはありますが‥‥こうも雰囲気が変わるとは」
ほとんどお遊び状態だった『天舞』の警備依頼を思い出しつつ、綾野 断真(
ga6621)は、軽く顎に手を当てて息を吐いた。
「ふふん。キメラは親バグア派が運んできたと言ったな。‥‥キメラにある程度の知性があるのならば、単体で船に入り込み、出航するまで身を潜めていただろう。‥‥察するに、奴らの知性はそう高くない。‥‥まさに『人形』だな」
それまで無言で船を見つめていた御巫 雫(
ga8942)が振り返り、不敵に笑って見せる。すると、すぐ側にいたアセット・アナスタシア(
gb0694)が、両手を胸のあたりで握り締め、呟いた。
「どんな敵だろうと人を殺して回ってるんだ‥‥許せない」
「うん‥‥辛い戦いになると思うけど、みんな頑張ろうね!」
アセットの肩に手を置き、皆を見渡しながら、ファイナ(
gb1342)が言う。
「そうですねぇ‥‥お土産に貰ったこの船のペナント、過去の遺物にはしたくありませんし」
「‥‥と、言う訳で頑張ろうか?」
苦笑混じりに言ったラルス・フェルセン(
ga5133)と陸 和磨(
ga0510)の二人に、一同は深く頷き返すと、従業員用の通路を渡って通用口の前へ移動した。
今回の作戦は、広い場所での戦闘を極力避け、無線機を設置して5階通路に敵を誘き寄せる待ち伏せが主体である。
無言で皆に合図をし、先行組のラルスと断真が、鉄の扉に手を掛けた。
「お、お邪魔しま〜す‥‥」
重い音を立てて、扉が開く。
紅緒が小さな声で挨拶した、次の瞬間。
『うふふふ‥‥』
「――!」
ラルスは、とりあえず一旦扉を閉めた。
「まさか、ここで出ますか‥‥」
「少し見えたけど‥‥結構積荷が置いてあったね」
幸い、中の電気は点いているようだったものの、高く積まれた積荷に視界を遮られ、キメラの姿を確認できた者はいない。断真とアセットは、まさかの展開に嘆息した。
「扉に体当たりして開けられる程の力も無いはず。脅威になるのは素早さと体の小ささ、飛行能力。それに冷気攻撃‥‥で、あるな」
「そうだな。なんとか上の階に誘き寄せたほうがいいかもな」
雫と渉はそう言い合い、先頭の二人を見遣る。確かに、積荷を飛び越えて来るキメラを相手に、船倉での戦闘は厳しいだろう。
「では、積荷に隠れて迎撃しながら、船尾側の階段を目指しましょう」
各々に武器を構えて覚醒し、ラルスが再び扉に手を掛けるのを見つめる一同。
そして、視界内に敵が見えないことだけを確認し、八人が船内へと雪崩れ込む。
ゴォン、と扉の閉まる重い音を背中に聞きながら、積荷の間を一気に走り抜けた。
『うふ、ふふふ‥‥』
突然前方の物陰から顔を出した洋人形に、ラルスは狙いを定め、影撃ちで強化された矢を放つ。その一撃は、宙に浮かんで避けようとしたキメラの左手首から先を、見事に吹き飛ばした。
「一匹だけ、かな?」
片手を失っても動じることなく、一直線に向かってきたキメラを、和磨は、氷雨を構えて迎撃する。凄まじいスピードで虫のように飛び回る相手に一・二撃目を外してしまった彼は、目を細め、気を静めて、急所突きの三撃目をなんとか命中させた。
腰のあたりの関節を突かれたキメラは、ギャッと声を上げて天井近くまで舞い上がり、大きく口を開ける。
「あ、危ないです‥‥冷気が‥‥!」
紅緒、ラルス、ファイナの三人は、虚闇黒衣を発動させ、危険を感じた周囲の者もまた、転がるようにして積荷の陰を目指した。
「‥‥アセットを危険にしてはいけない‥ッ!」
そして、ファイナがアセットの体を庇って、冷たい床に倒れ込む。
『うふふふふ』
小さな身体からは想像もつかないほどの猛烈な冷気が吹き下りて、闇の衣を纏っているはずのファイナの背中が、少しずつ凍り付いていく。比較的キメラの間近にいた和磨、やや逃げ遅れた渉、雫の三人もまた、背後から冷気を浴びて膝をついた。
「オイラのエミタが教えてくれる! この銃の使い方! だからオイラはキメラ! お前たちを倒す!!」
背中から脚にかけて酷い凍傷を負った渉が、咄嗟に活性化を連続で発動させて立ち上がり、M−121ガトリング砲を天井へ向けて掃射する。
「今のうちです、早く!」
断真の声が、掃射音と重なって船倉に響き渡る。
嵐のように吐き出された弾を浴び、キメラが積荷の陰へと消えて行ったその隙に、一同は、階段室目指して全速力で駆け抜けたのだった。
◆◇
「今のところ気配はなし‥‥ですね」
他の者たちより少し先行して歩きつつ、ラルスは、階段室の入口から4階通路を覗き込んでいる断真に向け、声を落としてそう言った。
「それでも、一匹は背後から来る可能性がありますからね。気をつけていきましょう」
陽動に使うため、出力音量を上げた無線機を床に置き、答える断真。
そう、先程撃退したキメラは、結局、階段室で待ち構える一同を追って来ようとはしなかったのだ。
まさか死んだとは思えないため、それ相応の傷を負って隠れたか、単純に彼らを見失って別方向へ行ったか、どちらかが理由ではないかと思われる。
ともあれ、立てた作戦通りに事を進めることは重要である。恐らく、それが彼らにとって、最も有利に戦える状況を生むであろうからだ。
一同は、当初予定していた作戦に則り、5階を目指していた。
「洋人形に豪華客船。‥‥まさかキメラ以外にも人形が置いてあったりしないよね」
「このまま隠れてるようだったら、それはすごく辛いけどね‥‥」
後続の集団の中で、暗い物陰を懐中電灯で覗きつつ怖いことを口走ったのは、ファイナだった。隣を行くアセットが、「それは嫌だな」という表情で、苦笑する。
「確かに人形のように見えたのだが、あれは一体、どんな仕組みで動いているのだろうな?」
「さあ、ね。突いた感じじゃ、中身はそう硬くなかったかな?」
雫の素朴な疑問に、うーん、と考えながら答える和磨。
船倉を繋ぐ無機質な階段室に、皆の足音と無線機の声が飛び交っていた。
「誰もいない船‥‥す、少し怖いです‥‥」
彼らの立てる音以外は無音の空間に、紅緒は、キョロキョロと周囲を見回しながら、何かキメラ以外の脅威が出るのではないかと不安な様子である。
「わはー、すげー! ホテルみてー!」
先行の二人に呼ばれ、後続から率先して階段を駆け上がった渉が、4階の廊下を覗き込み、豪華な絨毯やズラリと並んだ扉に、小さく感嘆の声を上げた。
長い通路の奥には、開け放たれた大きな扉が見える。劇場の1階にあたる部分であろうか、中には、多くの椅子が両脇に並べられていた。
「‥‥待って下さい」
不意に、5階目指して階段を上り始めた断真を、ラルスが腕を出して制止する。
そして同時に、後続組の中にもざわめきが広がっていた。
「聞こえる‥‥?」
「うむ。聞こえるな‥‥下からだ」
アセットと雫は、耳を澄まし、口元に指を当てて皆を沈黙させる。
階段室を伝い、階下から響いてくる微かな笑い声。
不気味なその声は、まさしく、先程のキメラのそれに間違いなかった。
聞こえる、ということはつまり、相手が階段室内に侵入したということだ。
それを聞くなり、後続組の六人は一気に階段を駆け上がり、ラルスと断真の待つ4階へと移動する。
「‥‥で、では‥‥囮になります‥‥!」
「仕方ありませんね。少し早いですが、作戦開始としましょうか」
5階まで移動する事自体は可能かもしれないが、待ち伏せとなると隠れる時間が必要だ。
断真の合図で一斉に4階通路へと入った八人は、背後を気にしながら一直線に駆け抜け、やや劇場側の部屋の前で足を止める。
「よし、じゃ、気をつけていこうか?」
「は、はい‥‥」
雫・断真・ファイナが奥の部屋に、アセット・ラルス・渉が階段室側の部屋に滑り込み、扉を閉めたのを見て、通路に残された和磨と紅緒の二人は、それぞれに武器を取った。
耳が痛くなるほどに、シーンと静まり返った豪奢な通路。
白く滑らかな壁が、天井からの灯りに照らされ、薄いオレンジ色に染まる。
紅緒は、壁を叩き、音を出しながら、間もなく階段室を上がってくるであろうキメラを誘った。
『うふふふ‥‥』
「き、来ました‥‥!」
階段室の入口に現れたのは、やはり、先程片手を吹き飛ばされたキメラであった。
視界に入るなり、一瞬とも言えるほどの凄まじい速度で飛来してきたキメラに、紅緒は、即座に虚闇黒衣とファング・バックルを発動させて、刀を振るう。
「夜の海は静かなもの‥‥あんまり暴れたらダメ、ですよ‥‥!」
一撃目をかわし、すぐに方向転換をかけてきたキメラを、再び迎え撃つ紅緒。一直線に飛んできたキメラの軌道をなんとか目で追い、紅の一閃で片足を斬り飛ばした。
「さあ、退散かな?」
至近にあった客室扉を開け、和磨が紅緒を中へと引っ張り込む。
そして、侵入しようと突進してきたキメラを氷雨で牽制し、急いで扉を閉めた。
「もう逃がさない‥‥!」
次の瞬間、二つの部屋から飛び出してきた六人が、キメラの背後を取って前衛と後衛に分かれ、通路を塞ぐ。
しゃがんで前衛についたアセットのショットガンが連続して火を噴き、六発の散弾が空中のキメラを直撃した。
「‥‥連携重視、キメラにも隙は必ずあるはずです‥‥」
と、ファイナが武器を構えた、その時だった。
『キャハハハッ!』
突然の甲高い笑い声に気付き、後衛が背後を確認すると、そこには、階段室から飛来するもう一体のキメラの姿。
「来ました!」
ラルスは、前衛に注意を促すと、まず弓を引いて二体目に矢を放つ。そして、肩のあたりを射抜かれて一瞬相手が減速した隙に、方向を変えて影撃ちを発動させ、一体目を射落とした。
「――! 冷気が来ます!」
床に落ちて痙攣している一体目の生死を確認する間もなく、断真の声にそれぞれ部屋に転がり込む六人。ラルスとファイナの二人が、再び虚闇黒衣を発動させる。
二体目が吐き出した真っ白な冷気は、瞬く間に通路を覆い尽くし、扉を閉めようとした瞬間に部屋へと流れ込んできた。
直撃ではないものの、ラルスは右足に、渉は左腕に、アセットを突き飛ばして部屋に入れたファイナは左肩から脇腹にかけて、凄まじい痛みを覚えて呻きを上げる。
『キャハハハッ!!』
キメラの嘲笑を掻き消すかのように、真っ先に通路へと飛び出してきたのは、雫であった。
凍り付いて開かない扉を、両断剣を込めた貫通弾で撃ち抜き、蹴り倒して出てきたのだ。後には、ファイナとアセットも続いている。
「ふふん。‥‥悪いが、もう人形遊びをする歳でもないのでな」
低空で飛んできたキメラをかわし、劇場側に移動させると、雫は手にした小銃で敵を撃ち抜いた。そして、被弾して空中で一瞬停止したキメラを狙うのは、ファイナのエネルギーガンである。
「強いキメラと思っていましたが、ここまでの強さとは‥‥ですが、もう逃げ場はありません!」
発射された二条の光が、キメラの隙をついて顔面を直撃する。見る影もなく顔を灼かれたキメラは、悲鳴を上げ、逃げ出そうとでもいうのか、滅茶苦茶に通路を飛び回った。その間にも、凍った扉を破った残りの三人が、通路へと飛び出してくる。
「これ以上、この船は独占させませんよ」
「チョロチョロ鬱陶しいな! オイラが落としてやる!」
皆の頭上を飛び越え、再び階段室へ戻ろうとするキメラを、前衛についた断真の小銃が狙い撃ち、後衛から渉が放ったガトリング砲の弾が襲う。
「人形は大人しいのが1番です」
細く長い悲鳴を上げ、劇場方向へ逃げ出した敵を追いかけながら、ラルスは、床に転がるキメラの死骸に向け、静かに一言言い捨てた。
ステージを囲み込むように、丸く配置された沢山の座席。
2階席設計ではなく、船の5階から緩やかな傾斜を描くその劇場は、キメラが自由に飛び回れるだけの広さを有していた。
‥‥ただし、傷を負ってさえいなければ。
『ギッ‥‥ギュ、ギャハハハハアァァァ!』
顔面をやられ、壊れた玩具のように気味の悪い声で笑いながら、キメラは、天井の高い劇場内を低速で飛行していた。
それでも、一同が劇場に姿を現すなり、真正面から接近してこようとする。
「そろそろ終わりそうだね‥‥」
敵を射程内まで近付け、アセットは、ショットガンの引き金を引いた。火薬の破裂する音とともに炸裂した散弾がキメラの全身を捉え、右肩から先を完全に吹っ飛ばす。
そして、絞め殺された鳥のような声を上げ、空中で何度も回転し続ける敵に、ラルスは、無言のままで素早く狙いを定め、矢を放った。強烈な一撃がキメラを襲い、激しい衝撃とともに、キメラの下半身のほとんど奪い去る。
「これで止めです!」
半身を失い、キョトン、とした顔で一同を見た、無残な姿の洋人形。
ファイナの放った一条の光が、その小さな喉を完全に焼き切った。
◆◇
夏が過ぎ、少しだけ涼しくなった神戸の港。
美しく整備された波止場に立ち、雫は、キメラの死骸を触ってみた時の感触を思い出し、うーん、と眉根を寄せた。
「しかし‥‥まさかあれが、本当に人形キメラだったとはな」
人形の中に虫か何かが入っていて動かしているのかと思っていたのだが、間近で見て、触ってみると、それは、人形の肌に似た外殻のようなものに覆われた、人型のキメラであったのだ。気色悪いが、一応、透明な血か体液のようなものも出ていたようである。
「ちゃんと天国にいけますよーに!」
彼女の後ろでは、渉が海に小さな花束を投げ、目を閉じて犠牲者への祈りを捧げていた。
海に浮かんだ花束は、波に揺られていつまでも、神戸の港を離れようとはしない。
白く輝く太陽の下、豪華客船『天舞』は、ただ静かに、再び海へと漕ぎ出す日を夢見ていた――。