タイトル:【HD】大森VS岡本マスター:みろる

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/11/03 12:31

●オープニング本文


 岡本は、社内にある診療所へ向かい廊下を歩いていた。
 体調が悪かった。脳の中にどんよりとした黒い泥でも流されているかのように思考が働かない。体も重く、何をするにも億劫という重量が圧し掛かっているようだった。それでも朝から仕事をこなし、錆びた螺子を回すように頭を働かせ、こつこつと事務的な作業を行っていたのだけれど、お昼過ぎくらいに、ふら、と来た。目の前が突然黒くなり、気付いた時には景色が傾いでいた。
 慌ててデスクに手を突き、詰まっていた息を吐き出す。おい岡本、大丈夫かよ。お前、熱でもあるんじゃないか。何だかめまいがするんだ。だったら薬でも処方して来て貰ったらどうだ。そうか、そうだね、じゃあそうするよ。
 同僚とのそんなやり取りも、本当にあったのかなかったのか、どうにも曖昧だったのだけれど、とにかく、今まさしくその診療所に到着し、中に入ろうとしている。休診日と診察日が記載されたプレートを三秒くらい眺め、ドアノブを捻った。今日が休診日だったのか、診察日だったのか、意識する前にドアが開いていた。ということは、診察日だったんですよね、と勝手に納得する。
 白衣を来た男が背中を向けて座っていて、向かいの空いた椅子に反射的に座った。他に人の姿はない。
「はいはい、どうされましたー」と、デスクに向かっていた白衣の男が振り返る。「何だか、体調が悪くて、ここ数日なんですけど」と、話出して顔を挙げて、自分の見た物が何か信じられなくて、一旦顔を下ろし、それから、また、上げた。
 相変わらずそこには、端整な顔立ちをした、変人だけど優秀、と評判のあの大森が座っていて、彼は医者ではなく科学者だったはずだったから、何かの見間違いかとも思ったけれど、何処からどう見てもそれは大森で、何なのこれは夢なのか、むしろ悪夢なのか、と問える人が居たら問いたかったけれど、誰もいない。
「あのー、何でこんなところに居るんですか、大森さん」
「何でって、診療するためだよ。先生に、ちょっとの間お願い出来るかなって頼まれて、ほら、大学の同期だったから」
「いや知りませんよ」
 だいたいそんな医者が居るものか、モラルがないにも程があるじゃないか、と思った。
「体調、悪いんだってね」
「むしろ今、もっと体調が悪くなった気がします」
「可哀想に。じゃあ、ズボンとか脱いでみて。診察するから」
「いや、出来ないですよね。しかもズボン関係ないですよね」
「知らなかった? 俺、少しの間、あれだよ、医学部に居たんだよ」
「知りませんよ」
「じゃあ心音聞きますので、服めくってくださいー」
 聴診器を耳に取りつけた大森が言うので、岡本はしぶしぶニットベストとカッターシャツを同時にめくりあげた。疲れている上に、ごちゃごちゃと面倒臭いことを言われるのはもっと面倒臭いと思ったからで、岡本君は本当に押しが弱いね、頼りないね、と言われれば全くそうで、だからどーした自分は今しんどいんだ、と、逆に怒ることだってできそうだった。
 ふむ、と唸った大森が聴診器を耳から外す。手慣れたしぐさで、真剣なのかいい加減なのか、カルテのような物に何事かを書きこんだ。
「これはあれだね」
「何か分かりましたか」
 どうせ何も分からないんですよね、と思って聞いたのだけれど、そしたら案の定、「うんまだ、分からないな」という返事が返って来た。
「まだっていうか、ずっと分からないですよね」
「検査、してみようか」
「え?」
「検査だよ、検査」
 とか言う目はもう、物凄い研究者の目っていうか、興味深い新種の生物でも見るかのようで、検査とは一体どういう事を指すのか、一体何がなされるのか、想像すると、怖い。
「いやしませんけど」
「怖がらなくても大丈夫だよ、そんなに痛いことしないし」
「すいません、そんなにっていうところが凄い気になるんですけど」
「ほら俺ってちょっと何いてうか、自分で言うのもあれだけど、趣味が偏ってるところあるから、もしかしたら、少しくらい無理なところを押し通してしまったりするかもしれないし、嫌がる岡本君の顔は嫌いじゃないし、保障はできないからね」
「そんな事言ってるのに体を預ける人が居たら、それはよっぽど大森さんが好きって人ですよ」
「あじゃあ君は」
「分かってると思いますけど、違います」
「俺は以前からあれだよ、岡本君の肉体に興味があったんだよ」
 そんな言い方をされたら、まるで未成年には言えない別の行為を求められているかのようだった。
「大森さん」
「うん、何だろう岡本君」
「あの、言い方をもう少し、気をつけた方がいいと思うんです」
「うん分かった頑張ってみるね」
「分かってないですよね」
「それで検査なんだけど」
「しつこいですよもう、やらないって言ってるじゃないですか」
「じゃあ、こうしよう」
「どうもしないですよ、大森さん。いいですか、どうもしないんです、大森さん」
 疲れている為か、多少、きつい口調で言った。自分の身に危険が迫っている気がするからでも、ある。
「逃げなよ」
「はー?」
 とその勢いで立ち上がったら、余りの腹立たしさに頭突きを通り越して何だったらキスしてしまいそうでも、あった。「何ですか」
「いやだから、逃げなよ。俺、追うし。あれだよ、多少手荒なことするかもしれないけど、いいよね?」
「いいよねって、良くないですよね?」
「これはもう、俺が検査を断念するか、君が観念するか、って、そういう話だから。早く逃げた方がいいよ。二分間は待ってあげるから」
 この無茶苦茶過ぎる展開はきっと悪夢だ。
「助けを呼んでもいいし、歩いてる誰かを巻き込んでもいいよ。何とかして、君は逃げなきゃ、俺はどうにかして、君を捕まえなきゃ。シンプルでしょ」
 悪夢はきっと寝て起きたら覚めるのだ。きっと、きっと、と、自分を励ます声がする。
「はい、よーい、どん」


※このシナリオはハロウィンドリームシナリオです。実際のWTRPGの世界観に一切関係はありません。



●参加者一覧

御巫 雫(ga8942
19歳・♀・SN
エクリプス・アルフ(gc2636
22歳・♂・GD
毒島 風海(gc4644
13歳・♀・ER
緋本 かざね(gc4670
15歳・♀・PN
リズレット・B・九道(gc4816
16歳・♀・JG
神羽 魅雪(gc5041
18歳・♂・FC

●リプレイ本文


 気がつけば岡本は、社内の廊下を歩いていた。
 見慣れた廊下の壁や柱に、見慣れない貼り紙が貼ってあるのを、見つける。社内仮装日とあった。ガラス越しに見えるオフィスの様子を、窺う。
 コピーを取っていた彼女が顔を上げた。ガラス越しに、目が合う。
 銀色の髪の彼女は良く見ると、どう見ても、コピー機の方がでかいのではないですか、というくらい小柄で、十歳程度の少女にしか見えず、これはおかしい、とか何か思っていたら、彼女が目の下辺りを赤く染めながら、小さく会釈した。
 ああ、そうか、彼女は、確か、リズレット・ベイヤール(gc4816)だ。
「リズレットさん、どうして、こんなところに」
 リズレットはちら、と岡本を見つめ、それからまた、目を逸らす。
「個人的にお手伝いを頼まれたので、来ました。皆様にお飲み物を淹れたり、コピーした書類を運んだり」
 控えめに、ぽつぽつと、相手の顔色を窺うようにして、言う。相変わらず目元は赤い。「岡本様は、大森様と、遊んでらっしゃるん、ですね」
「え」
 予想外の方向から、予想外の名前が出たので、岡本は驚いた。「大森さん、ですか」
「本当は、何だかんだ言って、仲が宜しいんです、ね。今だって、仲良く追いかけっこを、してらっしゃいましたし」
「追いかけっこ?」
 何を言われているのか一瞬分からず、それから、そうか、と思い出す。そうだ、自分は大森から逃げていたのだ。悪夢はまだ続いている。何ということだ。
「でも廊下は走ると危ないと思うのです。気をつけて、遊んで下さい、ね」
 か弱い笑顔を浮かべ、彼女はまたコピー機の操作に戻る。途端に物凄い真剣な目で、出てくる用紙を眺めた。
 とかいうのを何となく中途半端な気分で眺めていたら、「何してんだ、早く逃げないとまずいぞ!」といきなり、手を引かれた。神羽 魅雪(gc5041)がすぐ傍に立っている。
「さあ、共に行こう桃太郎!」
「もも、いえ、岡本です」
「私もお供しますよ、桃太郎様」
 桃太郎でも何でもないのだけれど振り返ってみたら、見知った姿があった。緋本 かざね(gc4670)だ。
 頭には、魔女っ子が被るようなとんがり帽子があり、腰元にはカボチャを顔の形にくりぬいて作られたランタンがぶら下がっていた。可愛らしいと言えば確かに可愛らしいのだけれど、あれはもう、かざねさんというより魔女っ子だった。
「その格好は」
「ほら今日は仮装の日ですからね、桃太郎様」
「いえ、岡本です」
「さあ、さあ、鬼から逃げるんだ! 大森から逃げるのを、手伝ってやるぜ!」
 腕を引かれる。景色が、揺れた。
「こちらかざね、ただいま、目的と合流しましたー。今から、西側の階段を降りますー。風海ちゃん、聞こえますかー」
 かざねが、可愛らしい色味のスワロフスキーで装飾された無線機に向かい、話している。
「え、かざねさん、それは何を」
「これはあれです!」
 物凄い真面目な顔で勢い良く言ってから、彼女はちょっと唇を震わせた。笑いたいのに、笑ってはいけない、と頑張るかのようだった。「応援を呼んでいるんです! 岡本様を無事、逃がす為に!」
「いや今物凄い、微妙な顔しましたよね」
「気のせいです!」


「聞こえていますよー、かざねちゃん」
 無線機を片手に毒島 風海(gc4644)は、にやついた。それはもう人様に見せられないような、物凄い悪いにやつきだったけれど、ガスマスクに覆われた顔がどうなっているかは、周りからはまるで、見えない。
「いやあ、何か、悪いね」
 風海から渡された、警備員用の制服に身を包んだ大森が、帽子を被り直しながら、言った。「ほら、俺って、何ていうか、ちょっと偏ってるから」
「ええ、ええ、分かりますよ、分かります。私も、いえ、私は違いますけど」
 岡本ら一行が通ると思しき廊下が見えるよう、一階給湯室の影に二人は隠れていた。手前で大森が手配したらしい、何人かの不良研究員みたいなんが現れ、ちょっとした足止めをする手はずとなっていた。
「こういうのはやっぱり、ちょっと焦らして、怖がって逃げてる岡本君を楽しむのが良いと思うんだよ。弱ってる岡本君を追いかけるなんて、ぞくぞくするでしょ」
「ええ、ええ、私もそう思っ」
 とか何か、物凄い悪い顔で頷きかけて、風海はちょっと停止した。ガスマスクを被った風海が停止すると、まるで電池の切れた玩具みたいだったが、本人は気付いていない。「いえ、違うんです、そうです、私はあれです、岡本さんの体が心配なんです。ちゃんと大森さんという信頼のおける人に検査して貰った方がいいと思うんです、それだけなんです」
「そうね、俺ほど信頼のおける男とか、居ないと思うし。だいたい検査だって言っても、岡本君の体に、他の男が触れるとか、嫌でしょう」
 本当に興味あるんですか、みたいに言った大森は、腕組しながら「それにしても三人はまだかしらねー」とか、のんびり呟く。
 そんな給湯室の前を、それって何かの法律に違反してるんじゃないですか、大丈夫ですか、というような、扇情的なデザインの浴衣を来た一人の女性が通り過ぎて行く。見覚えがあるな、と大森は思い、それから彼女は確か、御巫 雫(ga8942)ではなかったか、と思い至った。
 そこで、ばらばら、と貧弱な足音が聞こえた。大森の用意していた三人の男が、緊張に押し出されてしまったのか、雫を岡本達と間違え、その場に出て来た足音のようだった。
 馬鹿だな、とか思ったけど、とりあえずその場を見守る。隙を見て、逃げだそう、とか、思った。
「何だ、貴様らは」
 雫が不審げに顔を顰めた。瞬間。
「どけどけー、桃太郎一行のお通りだー!」
「いえあの岡本です」
 後方から突然、そんな声が聞こえてきた。雫がそちらを見やり、三人の男もそちらを見やった。
「くらえー、洗剤攻撃ー」
 社内の何処かから調達してきたらしい、床掃除の青色の洗剤を神羽がぶちまける。廊下一面が青色に染まった。


「後ろの男は顔色が悪いようだが。貴様、どうした」
 神羽のぶちまけた洗剤を避け、近づいてきた雫に、「何か、気分が悪いみたいなんです」と、かざねが説明している。
 ふむ、と頷いた雫は、岡本の脇にしゃがみこんで来た。浴衣の胸元が目につき、慌てて逸らせる。そしたら今度は、びっくりするくらい短く切られた浴衣の裾から覗く生足が目に入り、しかもそのちらっと覗いてるそれは下着ではないんですか、いや、下着ではなく、ブルマだ。良かった。とかもう、ちょっと忙しい。
「ふむ。瞳孔が開いて、脈拍も早い」
 それはきっとあなたのせいなんじゃないかと思うんです、とか思っていたとしても、嫌らしい人だとか思われると恥ずかしい気もしたので、言えない。
「悪い事は言わない、医者に早く診てもらったほうがよかろう」
「に、逃がさねえぜ!」
 大根にも程がある、というくらい、大根な演技で、不良研究員Aが、言う。
「だから、何なんだ、貴様らは。いくら温厚な私でも、怒るぞ」
「くそー、かかれー!」
 物凄く弱そうだったけれど、襲いかかってくるからには容赦する必要もない気がしたので、雫は覚醒する。瞳の色がより深い闇に落ち、背中には美しい黒耀の石翼が現れた。それに驚いた男達は、一瞬ひるんだが、すぐさま岡本に狙いを定め、襲いかかってくる。
 庇うように、前へと躍り出た。岡本を突き飛ばす。けれど勢い余って、力を入れ過ぎたようだった。あーれー、と岡本が廊下を吹っ飛んで行く。まずい! 雫はすぐさま地面を蹴った。飛んで行く体に追いつき、衝撃を和らげるよう、抱きしめる。足に力を込め、その場にとどまろうとするも、ずる、と嫌な感触がした。見れば青い液体が、ヒール下駄の底を濡らしている。ああ、このヒールは良く滑るだろうなあ、とか、他人事のように考え、庭を望むガラス張りの壁に、そのまま、激突した。
 びし、と鳴った。嫌な予感がした。ばりいん、と弾けるように、ガラスは、割れた。
「まずいな」雫はその割に物凄い冷静な顔で、呟く。「割ってしまった」
「いやいやいやいや」
 何をどう言っていいのかも分からないのだけれど、とにかく何か言わなければ、と口を開きかけた岡本の耳に、バイクのエンジン音のような物が聞こえてきた。しかもそれは、ありえないことにどんどんと近づき、とうとう、耳をつんざくような音と共に、割れたガラス部分から巨大な銀色の昆虫にも見える、大型二輪自動車が乗りあげていた。どがあん、とも、ずいーんともつかない、大騒音が廊下に響く。
「ひー!」
 岡本はもう何かとりあえず、悲鳴を上げておくことにした。ぶるぶる、と唸り声を上げる獣のようなバイクが、目の前に止まる。
「いやあ、話はすっかり聞かせて貰いましたよ」
 エクリプス・アルフ(gc2636)がバイクにまたがった格好で、ライダーグローブをはめた手を上げた。「なんて一度言ってみたかっただけなんですけど」
「どうしよう、どしたらいいか分からない、バイクなんてもう、どうしていいか分からない」
「バイクで走っていたら、勢い余ってうっかり乗り入れてちゃいました。いやあ、びっくりですよね」
「わー岡本様、大丈夫ですかー」と、わたわた近づいてきたかざねは、意外にのんびりと、「あ、アルフ様こんにちは。立派なバイクですね」とか、言っている。むしろ、バイクに興味津々っていうか、バイクに夢中っていうか、若い乙女の顔になっていた。
「そうです、僕のバイクは立派ですよ。エンジンとかも、凄くて、ですね」
 カチャカチャ、と手慣れた手つきで、何事かを操作したアルフは、その場で思い切りエンジンをふかし始めた。ぎいいいいいん、と耳触りな音が辺りに響く。「いやあどうですか、凄いでしょう」ともう、彼はご満悦だったが、物凄い迷惑だった。
 きゃあ、と悲鳴を上げたかざねが、一体何を考えたのか、懐に刺していたブブゼラを取り出した。ぶおおおお、と対抗するように、鳴らす。
「木は森の中に隠せ、ですー!」とか言って、再度ぶおおお、とか、鳴らしてもう、「いやいやいやいや、隠せてないですって!」


 一方その頃、リズレットはお茶を汲むため給湯室に訪れていた。
 三人の不良研究員の撃退に忙しい神羽が、廊下に設置されている消化器噴射とか噴射し出して、やりたい放題やっているのを横目に、何だか、大変なことになってますね、とか、とぼとぼ横を通り過ぎる。
 ゆっくりと丁寧にお茶を淹れ、お盆に載せて、外に出た。
「とおり、ます」
 そろそろと、「ここで俺は岡本の信用を勝ち取って、大森に突き出すんだー」とか何か、ぶつぶつ言ってる神羽の横を通り過ぎる。
 がそこで、危うく、地面にまかれた洗剤に足を取られそうになった。転びはなしかったけれど、バランスを崩し、お盆をひっくり返してしまう。あ、と思った時には熱湯が、神羽の頭に降りかかっていた。
「うえ、あんだこれ、熱ッ、苦っ、痛、渋い!」とか何かもう、彼は、いろいろ、言った。
「あぅっ、あぁ、ごめ、ごめんなさい、か、神羽様、大丈夫、です、か?」
「大丈夫、だけど、大丈夫じゃない! 渋い!」
「あうあう、ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
「りぜー! 何でもいいけど、このお茶、渋すぎるよー!」



「なるほど。そういうことだったんですか。へえ」
 かざねから事情を聞いたアルフは、何を考えているか分からない顔で頷いた。それから同じ表情のまま、呟いた。「ヤらせればいいのに」
「え?」
「ん?」あれ何ですか、くらいの表情が、ほほ笑む。
「いや何か今、凄い不穏な言葉が聞こえたような、気が、したんです」
「そうですかー、それは変ですねー、何か、精神が安定してないんじゃないですか」
「はー、そうですね、精神は安定しないですよね、この状況では」
「じゃあまあ、水でも飲んで、一旦気を落ちつけるのも」
 と何かの瓶のような物を取り出したアルフは、それを差し出してくる。
「岡本さん、危ない!」
 どん、と背中を押され、うぐ、と壁に激突する。振り向いたらそこに、ガスマスクがあって、岡本は思わず、悲鳴を上げた。間近で見ると意外に、怖い。
「貴方をあらゆる害から守るこの私、毒島風海が思うに。これは明らかに、純米大吟醸「月見兎」です!」
「いや、はい分かってます」
「じゃあ、代わりに呑みます!」
「いやいやいやいやいや、飲まなくていいですよ」
「それでこれは、診療所に向かい歩いている、ということで良いのだな?」
 雫が場を落ちつかせるように、言った。六人の視線が、岡本に集まる。
「いやあの、やっぱり診療所にはちょっと」
「何だ、診療所には行きたくないのか? 馬鹿を言うな、命に関わるかもしれぬのだぞ!」
 今ここでその正論おかしくないですか、バイクとか割れたガラスとかまず突っ込まないですか、とかいろいろ思ったけれど、思うだけだった。
「でも、岡本様」と、笑顔のままにかざねが言った。
「はい、何でしょう、かざねさん」
「やっぱり大森様に検査、してもらった方がよくないですか」
「え」
「大森様も言うほど変な事はしないとおもうんです、たぶん」
「いやたぶんって」
「私は、岡本さんの体が心配です」
 ガスマスクの中から、切実な声が聞こえ、岡本は何か、嬉しいような、照れるような、甘酸っぱい気分になる。「じゃああれですよ、最悪、検査はしますけど、大森さんではなくて、ですね」
「岡本! 日本にはこんな素敵な言葉があるんだ。嫌よ嫌よも好きのうち! どーん」
「いやもうどーんちゃいますって」
「岡本さんは、なんでそんなに大森さんが嫌いなんですか? ちょっと変わっているかもしれませんが、そういう人だと割り切ってしまえば、結構面白い人ではありませんか」
「でも、大森さんのこと、そんなに、知らないですよね?」
 とか言ったら、ガスマスクの風海が、物凄い無言でこっちを見た。暫く、見詰め合う。
「私も。かつては神童と囃された反面、変人扱いされた過去があるんです。素顔を注目されると、それを思い出して呼吸困難になっちゃうんです。岡本さん。大森さんはきっと、岡本さんと仲良くなりたいんですよ」
「ん、あれ誤魔化しました?」
「確かに科学者というだけで一歩引く所はあるが、しかし貴様は今までに実際、何かされたことがあるのか? 大森という男、不器用なだけで、ただ友人が欲しいだけかもしれぬ。私も同席し、何かあれば力になろう。一度ちゃんと話をしてみるといい。案外自分から歩み寄れば、向こうも反応が変わるかもしれん。その手の輩は、想定外の行動を取ると弱いものだ」
「ですです。それで、岡本さんの検査が無事終了したら、花火でも打ちあげましょうよ。私、花火持ってるんで。どかーんと」
「かざねさん、あれですよね、僕の体、結構どうでも良いですよね、実は」
「それはいいですねー、楽しそうです」
 アルフが、のんびりと呟いた。