●リプレイ本文
ジーザリオの運転席から降り立ったロジー・ビィ(
ga1031)が、乾いた風に艶めく銀髪をなびかせながら、目を細めている。数十メートル先に、目的のライブハウスの入ったビルが見えた。幾度の雨や風に打たれ、壁はすすけたように黒く変色している。
「飯田さんと内通者さんの所業がバレてしまいましたのね」
風に乱れた髪を撫でつけながら、ロジーが呟いた。わりと真面目っていうか、その美しい横顔には、むしろ若干の深刻さすら帯びているように見え、けれどどういうわけかその手には、プラスチック製のポップなぴこぴこハンマーが握られていた。「こうなれば」と、彼女はまた、わりと真面目に言う。
それから、バッと勢い良く一同を振り返り、「最後までお付き合いする所存ですの〜!」ぴこぴこぴこぴこ! とかもう、一気にライトな感じになった。
「うんうん」
空閑 ハバキ(
ga5172)が柔かそうな金髪をふわふわ揺らしながら、軽やかに頷く。「動いたのはコッチだから、助けるのがスジってものだよね」
それから、ね? と、背後に立っていたむっちりとした逞しい腕を組み合わせ、得体の知れない威圧を発散しながらそこに立つ、ウィリ(
gc6720)を振り返った。何気なく話を振られた彼は、艶やかさすら感じられる黒いスキンヘッドの頭皮をさっと撫で、「そうらしいな」とか何か、肩を竦めた。それから時々利き手を、リズムを刻むように動かしながら、「ただ俺はこの依頼に関してはまだまだビギナーだからな。ジャパニーズマンみたいに、雰囲気ってやつを窺いながら、臨機応変に対応させて貰うさ」と黒人に特有の、軽快なリズムで話して、ニヤ、と微笑んだ。
「ムードムード、ムードが大事。仲間、仲間、仲間も大事」
歌うように言ったハバキが、へーい、とか言って、やたら大量の荷物の整理をしている鐘依 透(
ga6282)を見やった。見やったけど、彼は全然気づいてなくて、めちゃくちゃマイペースに荷物をより分けると、「そうですよ」とか何か思いっきり場の雰囲気を誠実に変えて、飯田を振り返った。
「仲間は助けないと。ね? 飯田さん?」
「あ、うん」
とか思いっきり全然思ってませんが何か、みたいな顔で飯田が頷いていたけれど、彼はもうすっかり「これ、貸したげます」とか何か寄り分けた荷物の中から軽そうで扱いやすそうな長弓「淡雪」や、弾頭矢やらを、凄い生真面目な顔で押しつけていて、「あうんどうも」とか、さほど有難そうでもないリアクションにも全然めげない。むしろこのわりと明らかに出ている温度差は、見ていて意外と胸がきゅんと、甘酸っぱい。
何か分かんないけど、何か、いいな、とか何か、それをぼーっと見ていた佐藤(gz0425)の足元を、風に押されて、かさかさ、と茶色い紙屑のような物が過ぎて行った。何となくそれを目で追って顔を上げると、そこに、セシリア・D・篠畑(
ga0475)が立っていた。
というより、物凄い近くに立っていた。
咄嗟にあ、近い。と微かに身を仰け反らせてしまうくらいには眼前に彼女の顔があったのだけど、その表情はびっくりするくらい、ぴくり、とも動かない。「え、あの」とか何か佐藤が言おうとしたら、まさにそれより数秒早く、「‥‥佐藤さんは、この車の周辺で周囲警戒と車両安全を図って下さい‥‥」と、またもびっくりするくらい感情の起伏を感じさせない淡々とした様子でセシリアが言う。え、この近さなのに、何でそんな無表情なんですか、っていうか何でそんな完全にノーリアクションなんですか、ってこれはもうむしろ、そもそもまず人間として認識されてないんじゃないか、という予感がしたので、おずおず、と後退しようとしたら、とん、と何かにぶつかって、え、と振り返るとそこには御巫 雫(
ga8942)が泰然自若として立っていて、何でもいいけど凄い近かった。
「佐藤」
雫の透き通った凛とした声が、言った。
「あ、はい」
「とにかくだ。当事者の飯田はともかく、ULT職員はここで大人しくしているとよい。まぁ、付き合ったついでだ、外で何か変わったことがあったら、連絡を頼むぞ」
「雫さん」
「何だ」
「あのー。近くないですか」
「あと、救出目標が衰弱している可能性もある。救急キットならあるが、必要があれば、そちらの手配も抜かりなくな」
「あ。なるほどそうですか、この距離感間違った感じについては全く触れない感じで」
とか何か言ってたら、何かとん、と肘の辺りに触れて、振り返ると、双眼鏡と無線機を押し出しているセシリアの姿があった。
「‥‥この双眼鏡と無線機をお貸ししますので、存分に利用して下さい。存分に」
って押しつけられてもどうしたら、みたいに周りを振り返ったら、今まさに、飯田に閃光手榴弾を手渡している毒島 風海(
gc4644)と緋本 せりな(
gc5344)の姿が見えた。
「あとですね。はい、コレ」
風海が、荷物の中から、ブブゼラを取り出し、飯田に渡す。それをわりと無言のノーリアクで受け取った飯田は、ゆらーとか顔を上げて「ねえ、風海さん」とか何か、言った。
「はい何でしょう」
「ブブゼラなんだ」
「はいブブゼラですね。え見て分かりますよね」
「いや見て分かるね、分かるけどあんま意味分かんないよね」とか何か手元のブブゼラに視線を落とした飯田は、またすぐ顔を上げた。「いや、そうだね。ありだね。ブブゼラあるね、何きみ凄いね」
「とにかくさっきも言いましたけど、僕らは近くで隠れてるので飯田さんが一人で来たぞー! というような感じで、ですね、はい。大きな音が鳴る武器や道具で正面から暴れて下さい、ええ。飯田さんが敵の気を引いて『音』を誤魔化してくれてる間に僕と雫さんがこっそり動きます」
透が、きっと何度目かになるだろう説明を、飯田に向け、行った。
「僕と雫さんがこっそり動きます」
そして何故か、そこのとこだけ二回言った。自分に言い聞かせているのかも知れない。
「そういうことですね。飯田さんの背後からは私とせりなさん、ウィリさんがコッソリ影ながらバックアップ! してついていきますが、とりあえず1人を装ってください。1人で来いって言われてますし、コレ吹いて、閃光手榴弾を思い出したように時々投げてれば、適当に誤魔化せるでしょう」
とか何か説明を付け加えた風海が、それから徐に佐藤の方を見た。「あと、何か、愉快ですし」
すっかり佐藤は、あれ何だろう、ガスマスクがこっちみてる。凄い見てる。どうしよう。凄い何か企まれてる気がするんだけど、どうしよう、みたいな不穏さを感じた。
「風海さんの背後は私が守ろう。何かあっては我が家にとっても事だからね」
せりなが、明らかに不穏な空気を発しているとしか思えない友人の状態を知ってか知らずか、うんうん、と腕を組みそんなことを言う。それからふと今気が付きました、みたいに飯田を見やり、「あ飯田さんね。そうね、まぁ、ヘマはやらないよ。そちらもよろしく頼むね」とか何か、一応、みたいに付け加えた。
「あれ? そういえば佐藤くん。ステージ衣装は?」
徐にハバキが言った。
「え?」
目が合うと、彼は、柔かそうな金髪を揺らしながら、「いやワンピースがどうとか、聞いたんだけど」と、悪戯っぽく軽やかに笑う。そしたら今度はすぐ背後から、「うむ。ワンピースではなく、セーラー服だな」とか何か、雫の声が答えた。振り返った。目が合った。
「セーラー服だな」
「え何で二回言ったんですか」
「とにもかくにも、ジーザリオはこの辺りの物陰に隠しておきますから、佐藤はきちんと見張りをお願いしますわ!」
ぴこぴこ! と、ロジーがピコハンを叩きながら軽快に言う。
「あ、はいわかりました」
「そんで俺ら、仲良し三人組の、セシー、ロジー、俺、がこっそり裏口から侵入するからね!」
宣言したハバキが、覚醒状態に入る。「不審者はすっかりチェック、ビビビー」とか何か言いながら、バイブレーションセンサーを発動した。
「ほんでは、そんなお前に釣られクマー作戦、開始しましょうか」
どちらかと言えば、のんびりとした様子で風海が、言った。
●
周辺に生息していたキメラを、ウィリが発動したバイブレーションセンサーで回避しながら、風海、せりな、ウィリ、飯田の四人は、ライブハウスの入り口付近に辿り付いた。
「キメラは後でお片づけってことか」
壁に巨体をくっつけるようにして、入口を見やるウィリの言葉に、こくん、と反対側の壁に体を引っ付けた風海が頷く。
「侵入までは、とにかく静かにが得策ですんでね」
もそもそも、とガスマスクの内側でくぐもった声が言う。「飯田さんが突入して轟音出しまくってさえ下されば、あとはこっちのもんってことです」
「突入したら派手に音を鳴らしてやろう。姉さんがブブゼラと花火セットを貸してくれたんだ」
せりながそっと、地面に置いた自分の荷物に目配せする。「でも‥‥花火はいいとして、このブブゼラは‥‥これは、これは吹いていいんだよね、風海さん!」
とかちょっといきなりテンション上がった感のある彼女を、ガスマスクの双眸でじーっと見つめた風海は、はいと冷静に頷いて、飯田を見た。
「強化人間と人質を確認したら、状況をそれとなく物陰の私に教えてください。情報伝達を使って、裏口から入り込んだB班に知らせますので。あとはB班が強化人間引き離したら、C班が突入して人質を確保します。いいですね」
一方、その少し前、セシリアとロジー、ハバキの三人は、素早くライブハウスの裏口へと回り込み、今まさに内部へと侵入しようとしているところだった。
「やばいね」
壁を背にしゃがみ込んだハバキが、言った。何もない空に、何かを感じ取っているように視線を彷徨わせ、「何かが、近づいてる」と、うわ言のように呟く。
「キメラですの?」
ピコハンを二刀小太刀「花鳥風月」に持ち替えたロジーが、白い肌に輝くような緑色の瞳をすっと細める。
「たぶん」
ハバキは臨戦態勢でその場に蹲る、ロジーとセシリアを、見た。肩を竦める。「この状況じゃ残念なことに、キメラしかないような気がするね」
セシリアが警戒するように背後を振り返る。
「‥‥姿は‥‥まだ、ありません」
「皆、大丈夫かな」
無線機を見つめながら、ハバキは呟く。通話したいのは山々だったけれど、危険を知らせる為の通話で、危険にさらしてしまったら、と思うと、手が竦む。
「今は、それぞれの成功を祈るしかありませんわ」
ロジーがそっと裏口のドアを開いた。さっと顔だけを中へ通し、様子を窺う。錆びたシンクの台、埃を被った白いタイル張りの床、微かな油のような匂いが、尾行を突いた。そこは元、厨房として使われていた場所のようだった。
「そうだね、今は皆がそれぞれに頑張ってるのを信じるしかないよね」
ハバキは頷いて無線機をポケットに押し込む。
さっと立ち上がったロジーが素早く内部へと体を滑らせた。床に散らばった得体の知れないガラスや、ゴミ屑をうっかり踏み込んで、余計な音を立ててしまわないように慎重に進む。
セシリアとハバキが後に続いた。右手の壁に添うようにして、ロジーとセシリアが、左手の壁に添うようにしてハバキが、進んでいく。
前方の壁に、ぽっかりと開いた長方形の穴があった。扉の類はついていない。厨房からライブハウスへと続く出口だ。ハバキは、また何もない空をじっと見据える。壁や床から、何者かの蠢く気配を確かに、感じた。
すぐ近くに敵がいる。
微かな灯りが漏れ出す、あの穴の先に、きっと人質と強化人間がいる。
ロジーやセシリアを振り返ると、丁度同じタイミングで振り返った彼女達と、視線が合う。
恐怖なのか、それとも愉快さにも似た興奮なのか、得体の知れない感情の高揚に、胸がどくどくと鼓動を打つ。確実に意味なんて無かったけれど、三人は微かに頷き合った。そうしなければ、早まった鼓動が、間違って口から飛び出してもおかしくないような予感がした。
早く。合図を。
今か今か、と飛び出していけるその時を、全てを解放し暴れ回れるその瞬間を、三人は息を潜め、待つ。
更にその少し前には、ライブハウスの入ったビルと、隣のビルとの隙間の通路には、隠密潜行と探査の眼を発動する雫と、その後ろをひたひたと、格好からしてもう盗賊感満開で歩く透の姿があった。
二人はC班として、トイレの窓や換気口の傍に待機し、轟音と共にこっそりと潜入しておく手はずになっていた。けれど、想定していたよりも通路は狭く、いつキメラが出てくるとも限らない状況でもあるから、気は抜けない。
今回ばかりは雫も、多少の緊張を感じているらしく、そろそろ、そろそろ、と辺りの気配を神経を尖らせ察知しながら、小さく歩みを進めている。彼女が壁に添って動く度、ばいんばいん、と豊満な胸が揺れる。とか、別にイヤラシイ意味ではなく、透は凄い、気になった。状況が状況だけに、ああ、あの大袈裟な胸の揺れでキメラに気付かれたらどうしよう、であるとか、最悪あの胸の動きがキメラを呼んだらどうしよう、とか、あり得ない心配すらしてしまう。
ああ早く轟音よ轟いてくれ‥‥! とか何か、最早若干追いつめられているかもしれない、くらいの感じになってきたまさにその時。
「あったぞ、窓だ」
と、潜めた声ながらも、雫が、水面にプハッと顔を上げた人の如く、勢い良く言った。
「ああ、これですね、トイレの窓だ」
それで透も、人生でこんなにトイレの窓が見つかって嬉しいことは、後にも先にももうないかもしれない、というくらいには、喜んだ。
「よしここから潜入」
とか何か勢い良く言って、ふと動作を止めた。雫を見た。むしろ、雫のそのどちらかと言えば豊満な胸の辺りを見た。「できるかできなかは、微妙ですね。窓枠を外せば、何とかなりますかね」
むう、と顎を摘む。
「鐘依」
「はい、何でしょう」
「現物を見て思ったが、やはりこの窓はきつい」
「ええ、でしょうね」
と思わずまた、その胸元辺りを見てしまう。それはもう、女性の胸、というよりも、何らかの果実のようだった。
「それから鐘依」
「はい、何でしょう」
「遠慮なく、見過ぎだ」
「え」
何を、と思い、すぐにあ、と思い至る。「ああああ。す、すいません。うっかりもうメロンか何かと」
指摘されたことで、すっかり今まで意識していなかった事を意識してしまいました! みたいに、透は耳まで赤くなりながら、目を逸らす。「すいません」
「とにかく、私はあの非常階段から二階へ侵入し、換気口から華麗に登場することにしよう。事前に見せて貰った内部の資料では、換気口はちょうどあのライブハウスへ通じているようだったからな」
とか何か言いながら、彼女はすっかり、ハイヒールブーツの紐を解き、脱ぎ去ると、それらを首から下げて非常階段へと続く梯子を掴んだ。
「では、また後で会おう。検討を祈る」
ひたひた、と彼女が梯子を登って行く。
「はい」
と、透は微かに頷き、自分が侵入するべき窓の下にうずくまった。それから思い立って、そっと窓を触ってみた。やはり、鍵がかかっている。
「音が鳴ったら、まずは、あの窓を割って。鍵を開いて」
また壁と同化するように蹲りながら、ぶつぶつとこれから自分がすべきことを呟いた。
早く。合図をくれ。
二刀小太刀「疾風迅雷」をぎゅっと握りしめる。
そこでペチャ、と何か微かな音が聞こえた気がして、透はハッとして振り返った。じり、と何かが近付いてくる確信にも近い予感が、頬の産毛を逆立たせる。
早く、合図を。
その時、酷い悪臭と共に、通路の先の道路を、茶色いキメラらしき物体が横切った。こちらに気付くな、という祈りもむなしく、キメラが透の姿をはっきりと認識した。
ずるずる、じりじり、とこちらへ近づいてくる。
透は震える手で、傍らに置いてあったエネルギーガンを掴んだ。
早く。早く。
早く、ゴーサインを出してくれ!
銃を構える。ぎりぎりまで覚醒を待つ。
「鐘依!」
頭上から、異変に気付いたらしい雫の声が飛んだ。今しも覚醒せんと小銃バロックを構えている。
もう駄目だ!
透はエネルギーガンに指をかけ、覚醒した。
そのまさに瞬間、どだあああああん、と凄まじい轟音が、建物内から響いた。
同時に、頭上から、凄まじい勢いで弾丸が降ってくる。雫の発動した制圧射撃だった。
「今だ!」
風海から伝わった回線が、その言葉を告げた時、B班の三人は解き放たれた解放感を起爆剤にして、凄まじい勢いで厨房を飛び出し、フロア内部に飛び込んでいた。
突然飯田から投げつけられた閃光手榴弾の音と光に、一体何が起こったのか分からずに居る強化人間の隙を突き、周囲の音を気にせず暴れ回れる快感に私今、目覚めました! と言わんばかりに、ロジーが花鳥風月をガコガコとカウンターにぶつけながら、相手に突進していく。
その間にもまた、飯田が透から借りた弓で、弾頭矢を打つ。ぼう、とステージに近い部屋の隅でぼう、と火が上がる。それをぴょおんと飛び越え、まるで火の中から現れたかのような派手さでステージへと飛び乗ったハバキが、自分のベルトに引っかけたけもしっぽ風アクセサリーをマイクに見立てて、「てってれー! ハバキ、歌いますっ!」と高らかな宣言をした。
ふり、と腰を振ったかと思うと、あれ何処のカラオケですか、みたいなノリで軽やかに歌い出す。けど、思いっきり何か呪歌だった。
強化人間はすっかり不意を突かれた調子で、体の麻痺に、怒りよりも戸惑いを覚えているようだった。
「よし、それなら俺の歌にも聞き惚れてもらおう」
待ってましたとばかりにステージに飛び乗ったはウィリで、こぶし効かせて熱唱中のハバキの隣で、声を張り上げ歌い出す。優しさすら感じさせる太く深みのある声は、しかし、びっくりするくらい音程を外していた。え、音程って何でしたっけ、といった様子だった。
「俺の歌はしびれるぜ? ん? ひどい歌だ? ハハハ。どうだ楽しいだろう」
「ええ、確かにこれは痺れますよ」
エネルギーガンを構え、練成弱体を発動した風海が言うと、
「ああ、いっきに動きを封じてやるぜ〜」
ウィリが歌詞に混ぜて歌い上げ、びっと親指を立てる。
「二人がいれば心強いよ、さあ、行っちゃえー! セシー! ロジー!」
ぴょおんぴょおん、と飛び跳ねながら、観客を煽るかのように手を降るハバキの視線の先で、その間にも、トイレの窓から侵入していた透が、高速機動を発動し強化人間の傍に倒れ込む人質を抱え上げ、走り去って行く。
出入り口の辺りまでやってくると、すかさずせりながその前を、風海がその背後を、挟み込むようにして護衛した。一気に、出口へと駆け出して行く。
「ほうら、おいでなすった」
外の眩しさに目を細めながら、せりなが面倒臭そうに鼻を鳴らす。じりじり、とライブハウスを囲むように土色のキメラが近づいていた。酷い悪臭が辺りに立ち込めた。
「バグアめ。こんな悪趣味なキメラを置くなんて。私は汚いものは嫌いなんだ! さっさと浄化してやろうじゃない」
せりなが炎剣ガーネットを振り回し、強刃を発動した。「そちらにも色々あるんだろうが私の知ったことではない。容赦なく潰すから覚悟しろっ。さあ、透さん、行ってくれ」
「頼んだ」
ぐったりとした人質を連れ、透が迅雷を発動する。この場所から出来るだけ遠く、あの車両のある場所まで、人質を離すため走って行く。
「今日もすっかりガスマスクの私には、臭いかどうか実のところ分からないんですが」
その背中を見ていた風海が、すちゃ、とエネルギーガンを構えすぐさま弾丸を放った。「とりあえず何か、援護射撃」
それから照準を変えつつ、「あと思ったんですけど、この状況だと逆に、私普通っぽい格好ですよね」とか何かどさくさに紛れて言ってみたら、もう完全にせりなに聞かれていて、「うん、それだけはないからね、風海さん」とかすかさず、言われた。
その頃、ライブハウス内ではセシリアが、強化人間に飛びかかるロジーに向け、練成超強化を発動していた。覚醒の影響で羽根のような蒼い闘気を発散させるロジーの体に、虹色の光が飛んで行く。ばちゃあ、と沢山の色の絵具をひっくり返した時のような、鮮やかな発光が起こり、次の瞬間には剣劇を発動した彼女の花鳥風月が、強化人間の体に食い込んでいた。
ずさ、と刃が抜かれたかと思うと、すぐさま次の攻撃が、そしてまた、攻撃が、攻撃が、攻撃が、攻撃が。幾度となく彼女の刃が、強化人間を打つ。
「‥‥自爆の隙は与えません」
セシリアがすかさず電波増幅を発動する。覚醒の影響で赤く変化した彼女の瞳に映る映像紋章の配列が、その並びを変えた。引き金に指をかけると、黒色のエネルギー弾が飛び出して行く。
その間にも、対象をもう一体の強化人間へと変えたロジーが、流し斬りを発動し、素早く両の腕を斬りおとしていた。さあ、眠って貰いますわよ、とでも言わんばかりに、彼女が後頭部に柄の強打を浴びせようと振りかぶった。
それに気づき、咄嗟に強化人間が逃げ出そうとした、まさにその時。
ガガガガガ、ゴッ、と凄まじい音が頭上で響き、え、と二人が思わず見上げた。天井のはめ込みが、何か、落ちた。っていうか、そのはめ込みと一緒に何かが落ちて来た。思いっきり強化人間の頭上に落ち、フォースフィールドに弾かれ、一瞬波乗り状態になった彼女は、最終的にベキイイインとはめ込みと共に地面へ着地した。
「うむ。道に迷っていた。遅れたな」
雫が、すっかりいつもの泰然自若でそこに立っていた。「でも、上から振って来たら、予想GUYだろ、流石に。何だ、何を見ている」
思わず逃げることも忘れ、呆気に取られている強化人間の背後から、えいや、とロジーは花鳥風月を振り下ろした。
●
飯田がライブハウスから出て来たその時、丁度、目の前に、ロジーのジーザリオが、せりなの運転によって乗りつけられていた。
中には、人質と透、佐藤が乗り込んでいる。
「もうこっちに動かしていいよね」
運転席から降りながら、せりなが風海に手を上げた。
風海は、さ、とその小柄な体を飯田の前に滑り込ませた。
「私が言うのもなんですが、相手はサイコの集団ですから。わざと逃して何か仕込んでおく、とも考えられますしね」
「なるほど、それもそうね。はい、これブブゼラ。役に立ったよ、ありがとう」
「ちゃんと吹いてましたっけ」
「うん、ちゃんと吹いてましたよ」
「そうですか‥‥フヒヒ」
とかわりとばれないけど、完全にガスマスクの中はあくどい顔で風海が笑った頃、ライブハウスから、セシリア、ロジー、ハバキ、雫、ウィリの五人が上がって来た。
「強化人間は気絶させておきましたわ。直に目覚めるでしょう。物陰からでも観察して」
「‥‥動向調査を。‥‥恐らく帰るでしょうから」
「ええ、新たな情報の一端となれば良いのですけれど」
ロジーとセシリアは顔を見合わせ、頷き合う。
「しかしまあ、追うにしても深追いはやめなよ。何がでてくるかわからない。監視役やらなにやらが待機してる可能性だってあるしな」
ウィリが腕を組みながら、子供たちを見つめる牧師のような温かみをその茶色い瞳に浮かべ、言う。
その間にも風海は、車から降りた佐藤に近づき、飯田が吹いたと思われるブブゼラを手渡していた。「あ、佐藤さん、これ、音でないんですよ、何でですかね。見てもらえます?」
「え?」
「いえ、ですからね、音がね」
「ねえねえセシー、救った彼の具合はどうだろう?」
ハバキが救出した人質の傍に駆け寄り、セシリアを呼んだ。ロジーは、飯田を引っ張り後部座席の傍へと連れて行く。「飯田さん‥‥追跡中の格好ですけれど、ゴスロリ服はお気に召さなかったようですので、今回はナース服と兎のヘアバンドを用意しましたの。今回こそは着て頂きますわよっ!」
「え、あうん。でも女装が趣味なのは俺じゃなくて佐」
「‥‥そうそう、佐藤さん。前回以前救出した民間人から話を聞けそうな流れでしたが、その辺りはどうなりましたか?」
「え」
とブブゼラを今まさに、吹こうとしていた佐藤は、セシリアの言葉に振り返る。「あ、そうですね。それは、えーっと」
そのままちら、と飯田を見やった。
その時バンと車の後部座席が開いた。つい今の今まで、ぐったりとしていた人質が勢い良くドアを開け、外へと飛び出して来たのだ。そのまま、ぼんやりとそこに突っ立ていた飯田の手を取り、緊急事態にすぐさま気付いたロジーが覚醒し、飛びかかるのを、牽制した。
飯田の、こめかみにあてた、拳銃で。
「動くな。彼を、殺すよ」
静かな声で人質の彼が、いや、人質だった彼が、言った。その場がしん、と静まり返る。
じりじり、と人質だった彼が、飯田を盾に取ったまま後退を始めた。
「彼は、内通者じゃなかったのか‥‥!」
「内通者だったよ、確かにね」
ウィリの言葉に飯田が平然とした様子で答える。
「そう。内通者だった。でも、寝返ったんだ。苦痛や、痛みと引き換えに、僕は強化人間になることを選んだ」
「最低ですね」
風海が言った。
「知ってる」
「いえ、自分がですよ。こういう可能性も考えていたんですがね、うっかり油断していましたよ」
「それくらい利口な君達なら分かるだろ。この場は、どうすべきか。武器を下せ!」
ぐい、と飯田のこめかみに拳銃を突きつけながら、元内通者の強化人間が、声を荒げる。ぐ、とロジーとセシリアは、それでも注意深く襲いかかる機会を窺っていた。
同じく、エネルギーガンを構えた透は、それを打ちこむ機会を窺いながらも、逡巡している。もう悪さはさせたくない、のと‥‥でも殺したくも無いのと‥‥。
一方は、仲間の男性で、もう一方は、仲間の男性の仲間だった男性だ。どちらも自分と同じ人間だったのに、どうしてこんな悲しいことが起こるのか。悪いのは全てバグアではないのか。どうして、それで人が死ななければならないのだ。
その時、ズキューンと、銃声が響いた。
ハッと振り返ると、ハバキが口惜しそうに唇を噛んでいる。
「だから、動かないでよ。次は、間違いなくこの人を、撃つよ。ほら、そっちの君も、そんな物騒な武器は下ろして」
せりなへもすかさず牽制を行っておいて、彼またじりじりと後退る。
「どうか、彼の言うことを聞いてくれ」
懇願というには全く覇気の足りない声で、言い、一同を見渡す。「俺も命は惜しいからさ。頼むよ」
その間にも、彼と全員との距離は、どんどんと開いて行く。そこへ、ぶおん、と凄まじい音と砂埃を立てながら、一台の車が走り込んで来た。
ずしゃあ、と飯田と強化人間の前に急停車したかと思うと、バタン、と内部から開いたドアへ、二人が吸い込まれるように、消える。
「ジーザリオに!」
ロジーが慌てて車に乗り込もうとしたその時、「待って下さい」と、佐藤の声が響いた。
「待て、だと。何を言っている貴様!」
噛みつかんばかりの勢いで、雫が言った。「無視だ、無視! とにかく、あの車を追わなければ」
「飯田君からの伝言があります」
「伝言だと?」
「伝言ですって」
その言葉に動作を止めたロジーと雫が、佐藤を見た。同じく車に乗り込もうとしていた、ハバキやセシリア、今にも覚醒状態に入ろうとしていた風海やせりなやウィリも、じっと動きを止め、佐藤を見ている。
「小芝居を打って申し訳ないけど、より有益な情報を得るためには、こうする方が良いと思った、とのことです」
あえて事務的に、佐藤は言った。
「彼に、発信器を付けました。勿論、バグアのジャミング下ではすぐ電波を見失いますから、今、UPC軍が秘密裏に彼らの車を追跡しています」
「何を、言っているんだ、貴様」
しかし雫のその問いには答えず、佐藤は、「セシリアさん」と、顔をそちらへ向けた。
「セシリアさん。以前に救出した民間人はどうなったのか、と聞いてらっしゃいましたね。確かに、救出した民間人からは、飯田君の父親や兄のこと、その組織の内部のことや、風貌などは、聞けた。けれど、あるいは、民間人が口を割るのは、彼らの想定内だったのではないでしょうか。そうなれば、根城を移している可能性が出てくる。彼らは中々に狡猾で、周到です」
「なるほど。しかし分かりませんね。今しも車内で殺されて終わりかもしれませんよ」
風海の言葉に、佐藤は頷く。
「まあ、その可能性はなくもないでしょう。ただ、彼の兄は、彼が大層邪魔なんだそうですよ。ですから、彼を自分の手で始末したいと思っているようですね。彼の兄は、内通者を餌に飯田君をおびき出し、自分の元へ浚ってくる作戦を立てた。だから、それに乗ることにしたんです。その方が、むしろ、情報を得られるのではないかと飯田君は考えた。そういうことです。そして皆さんは、内通者の彼の救出を全力で成功させた。例え、元内通者の彼に、何らかの監視がついていたとしても、これで相手を確実に油断させることができたはずです。皆さんのこの救出作戦をおとりに、UPC軍が追跡を成功させたら、彼の兄側の組織が分かるでしょう。だから飯田君は、まだ自分を許してくれるなら、助けて欲しい。そして、次へ続く情報を必ず見つけて欲しいと」
「くそ、そんな馬鹿な作戦があるか! ああ、そうだ。強化人間だ。奴なら居場所を」
雫がライブハウス内へと取って返そうとしたその時、大袈裟な破裂音が鳴り、激しい爆風が入口からぶわ、と飛び出して来た。
「自爆ですね」
熱風のに髪を煽られながら、佐藤が呟いた。