●リプレイ本文
塹壕周辺に、低く太い鼻歌が、響く。
「フンフ〜♪」
鼻歌交じりに破損箇所をチェックしているのは、寿 源次(
ga3427)だ。途切れた鉄条網をペンチで繋ぎ直す一方、事実上地下になっている休憩用の部屋に水が入り込んだりしないよう、軽く土嚢を積んでいる。
「雨が降らないといいのだがな‥‥」
曇りがちな空を見上げて、御山・アキラ(
ga0532)が呟いた。
スコップを地に突き刺し土を掘り返す。塹壕は最前線。塹壕内部も含め、あちこちに、穴がある。雨が降れば、水が溜まり、ぬかるむ。だから、余裕のある今のうちにという考えだ。
塹壕は静かだった。
聞こえるのは鼻歌や、話し声、土を掘り返す音ぐらいなもので、現段階では、異状なしと言えるだろう。
「塹壕戦か‥‥余り良い思い出はないな‥‥」
煙草の紫煙を漂わせるファファル(
ga0729)が、脇からぶら下げていたサブマシンガンを持ち上げ、岡村啓太(
ga6215)へ手渡した。
「ありがとう、大事に使わせてもらうよ。そしてちゃんと返す。最後まで生き残って、必ずな」
●夕刻
誰かが二人、双眼鏡を覗いている。
ひょい、と降ろして裸眼で辺りを見回すのは、諫早 清見(
ga4915)と、黒崎 美珠姫(
ga7248)の二人だ。
彼等の警戒は、まず八人をABの二班に分けた上で、三時間毎に交代して警戒にあたるというもので、そのAB各班でも更に二人組みを組んで警戒に当っている。初日はともかく、長丁場になると予想されている以上、休憩をとる工夫は欠かせなかった。
「少々貧乏くじには聞こえるけど‥‥」
「貧乏クジでも歓迎よ。最善を尽くすわ」
諫早と黒崎の二人が、顔を見合わせて頷き、笑う。
「誰かがやらなきゃならないなら、やるだけだからね」
それに、と付け加え、諫早が再び双眼鏡を覗きこむ。
「何もなくても、歌があるから」
塹壕の隅から隅へ、ぐるりと移動しながら、二人は双眼鏡を手放さない。
途中、ファファル、啓太のペアと擦れ違い、二組は、互いに様子を確認した後、再び別れた。
「‥‥ん? ねぇ、あれ」
美珠姫がふと異変に気付き、清見に声を掛ける。清見もまた双眼鏡を覗いて、同じ方角を見やった。森の中、非常に気付きにくいが、確かに何かが動いている。
――キメラだ。
大声を上げるでなく、美珠姫が無線機を手にした。
コーヒーを片手にくつろいでいたA班が、無線機を手に立ち上がる。
「どの辺りに来たの?」
アサルトライフルを肩にかつぎ、香倶夜(
ga5126)は問い掛けた。
遠くからでは、その総数までは解らないが、複数の影が動いている事は確かだ。森の中をがさり、がさりと動き、無防備にも近寄ってきている。こちらを警戒する様子はというと、おざなりであると言って良い。
「さぁ、騒がしい団体さんのご来場だ。気を抜くな!」
「こんな時こそきみの腕が頼りになる。宜しくな」
気を引き締めるファファル。彼女の肩を、源次が軽く叩いた。
キメラの姿が森の外縁に達するに至り、傭兵達は駆け出す。
綾野 断真(
ga6621)やファファルは、素早く銃座に駆け寄り、ライフルを構えた。小枝を踏み折り、キメラが飛び出す。狼のような外見のキメラが、森林を駆け抜けて襲い掛かる。
銃声が響いた。
脳天を貫かれ、狼がもんどりうつ。
「来ましたね‥‥」
断真がアイアンサイトを覗き込み、冷静に狙いを定める。続く二匹め、三匹めの狼。それらもまた、次々とライフル弾の餌食となり、引っくり返る。
だが、キメラというものは、一撃二撃だけで始末出来る程柔でも無い。
傭兵達は皆、塹壕の持ち場持ち場へ回り、木々を抜けてきたキメラへと弾丸を叩き込んでいく。中には、長距離での射撃を突破したキメラも居るが、多くは鉄条網に足止めをされているうちに、全身に銃弾を受け、倒れていく。
キメラの群れは、昆虫方と狼型が肩を並べて駆巡っているような状態で統一感は感じられず、また、群れそのものが統率されている様子も無く、襲撃は散発的だった。
「妙に弱いわね?」
金色の髪を揺らし、首を傾げる香倶夜。
「もしかすると、傭兵がいる事を知らなかったのかもしれませんし、逆に言えば、次は大戦力を投入してくるでしょう」
引揚げるキメラを遠目に眺め、断真は告げた。
ともかく、初回の襲撃は、想像以上にあっさりと終ったのである。
●塹壕の夜
踏み固められた土を歩いて、彼等は辺りを見回した。
日は暮れ、空には月が輝いている。先の襲撃から数時間、時刻は日付変更線を越えつつあったが、大きな動きは見られなかった。彼等は夕方の18時頃に食事を済ませ、休めるうちに休憩を――と、眠れなくとも、横になっている。
今度は、A班が警戒を担当している。
それぞれ双眼鏡を手に、あるいは眼をこらしつつ、塹壕を歩く。
暗視ゴーグルがあればどれだけ楽だったか、と思わないでもないが、自国の兵士にも不足がちだ、と言われれば、無理は言えなかった。
「んーっ‥‥」
屈伸交じりに身体を伸ばすアキラ。
褐色の首筋をぐっと張り、やがて息を吐きだすと、左右の肩を鳴らした。すぐ横では、断真が辺りを見回していた。
敵の襲撃は無く、その事を話題にしようかと口を開きかけた時だ。
虫の羽音が、耳を突いた。
「敵襲ッ!」
無線機目掛けて、アキラが叫ぶ。激した表情が、覚醒状態に入ると同時に落ち着き、抑揚が失せていく。瞳を蒼く輝かせて、断真が応じた。
「夜襲ときましたね!」
手にした照明弾を、音がした方角目掛けて放つ。
上空へと登った照明弾のパラシュートが開き、周囲を照らす。浮かび上がったのは、森の中から眼を光らせるキメラの、群れ。傭兵達が手に手に得物をもって散らばり、頭一つと銃口だけを見せ、周囲への射撃を開始する。
飛び交う弾丸。反撃のように飛来した火炎弾が、土嚢を弾き飛ばした。
「随分と派手に‥‥!」
近寄るキメラ目掛けてS−01を放つ傍ら、周囲を見回す美珠姫。
照明が消える寸前、眼をこらしてざっと見回しただけでも、その数は10、20を越えている。塹壕側で守りに強いとは言え、これを簡単に退けるのは容易ではない。
香倶夜がアサルトライフルで動きを止めたキメラ目掛け、源次が、超機械を構えてトドメをさす。
「くっ、飽きずによく来るッ!」
美珠姫が見回した時に見たとおり、数が多い。
「‥‥そろそろ頃合か」
照準を覗いていたファファルが、ふと銃座を離れる。もちろん、逃げる訳では無い。手を伸ばした先には、有線通信機の受話器があった。皆で相談した通り、小型とはいえ、キメラの数が多い。つまり、支援砲撃を要請する条件は揃ったという事だ。
「支援砲撃要請を頼む」
静かに告げた先から、騒がしい物音と共に返答が返ってきた。
彼女は、先方の求めに応じて座標を指定し、受話器を置く。
「支援砲撃はまだかよ。このままじゃ押し切られちまうぜ!」
頭を引っ込める啓太。キメラの射撃を避けてから、再び攻撃に転じる。事前に諫早が想像していた通り、一度は突破された鉄条網付近には、敵キメラが集中していた。岩肌等の遮蔽物も多く、傭兵達も思うように攻撃を与えられない。
飛び出したキメラが鉄条網に突っ込み、力任せに引き千切ろうとする。
「正気か?」
敵の眼の前で動きを止めて、とまでは口にしない。
アキラの銃からばら撒かれた大量の弾丸が、キメラの肉を割き、動きを止めた。弾が切れた銃からマガジンを落とし、新たなマガジンを差し込む。
――と、傭兵達の耳に、空気を切る音が響いた。
先に聞いた虫の羽音とは全く違う、独特の響きだ。
とっさに頭を伏せる。
伏せて、耳を塞いだ。
直後、大量の土ぼこりを巻き上げて、爆風が広がった。先程要請した砲弾は土を抉り、木の枝を折り、キメラの中央集団に直撃した。多少の遮蔽物などものともしない大火力が、小型キメラを薙ぎ払った。
●黄昏時
夜空は薄っすらと暗がりに包まれていき、傭兵達は、少しぼうっと、空を眺めていた。
塹壕へ足を踏み入れてから、既に数日が経過している。疲れてヘトヘト‥‥という程ではないが、数日着替えも無く、服はくたびれ気味で、絶え間ない緊張下にあるという事は、傍目にも嫌と言うほど解った。
昼間には、少し雨が降った。
皆、雨合羽の裏にはしっとりとした湿気を、足元には多少のぬかるみを、それぞれ感じている。
「お疲れさん。異常はないかい?」
雨上がりの靄に、コーヒーの湯気が混じっていた。
カップを手にしていていたのは、啓太だった。
「ま、先はまだまだ長いんだ。これでも飲んでリッラクスしてくれ」
「ありがと‥‥良い香りね?」
受け取ったカップに顔を近づけ、アキラが首を傾げる。キリマンジャロ産のコーヒーは、既に生産がストップしている。アフリカがバグアの制圧下に置かれた以上、それも止むをえない。
ふと、歌声が響く。
アカペラ調に、何ら楽器もなく、ただ清見の声だけに頼って、その歌声は響いている。
「これは現実なのか? それとも単なる幻か?」
狂詩曲――名曲だ。
皆、透けるかのように良く通る歌声に身を任せていた。
「‥‥今のところ動きはなし‥‥か」
つぶやくファファルが、小箱を取り出し、叩く。
だが、お目当てのものが出てこない。
くしゃり、と、彼女は箱を握りつぶした。既に三日、煙草は、吸い尽くしてしまった。――と、ぽんと空を飛んだ煙草をキャッチして、彼女は啓太を見た。
「良いのか?」
「俺は吸いませんから」
仮にも料理人の端くれ。うどん屋再開の為にも、味覚を潰す訳にはいかないのだ。
「皆さんっ、マカロンができましたよ!」
突然、悪戯っぽい笑みを浮かべたのは、黒崎だ。菓子のマカロン改め、ロシアン・マカロン。この恐るべき兵器には、甘いマカロンのみならず、辛いものと苦いもの、それぞれ一個づつが混入している。
まずは休憩中のB班それぞれに取らせ、自らも適当なマカロンを手にし、口へと放り込む。
「‥‥ん?」
黒崎はきょとんと、狐につままれたかのような表情で、首を傾げる。
つい釣られて、清見も首を傾げる。どうも、全員ハズレだったようで、美味しい美味しいと平気な顔で食べている。となると、外の四人が二つのアタリを食べる事になる。心の中で手を合わせ、黒崎は外へ顔を出した。
先程と同じように皆へ声を掛け、マカロンを載せた皿を差し出した。
もしもの時に備え、紅茶だって準備済みだ。
(ロシアンとか不吉な言葉も耳にしましたが‥‥)
断真は苦笑を噛み殺してマカロンを手に取った。何故なら、彼女の提案は、自分には思いつかなかったような気づかいだ。だから苦笑よりも、流石だ、という思いが先にくる。
ぽん、と口に放り込む。
――どうやらハズレだ。
「いただきまー‥‥苦っ!!」
ハズレ、と思った瞬間に、隣の源次が口を抑えている。
「源次が大当たり!」
笑顔の香倶夜紅茶を差し出すと、うっすらと涙を浮かべて、源次が一気に飲み干す。蘇った源次が、冗談めいた抗議を口にしようとした。その時だ。皆の表情が、俄かに険しさを増して、森を睨んだ。
続きはまた後で――と、誰かが口にする。
最早、襲撃慣れしている。
奇襲はお断りだし、敵に攻撃の隙など、与えはしない。
これまで通り、皆が配置について待ち構える。
「飽きずによく来るッ!」
持って移動したカップに、紅茶が揺れていた。ぐっと飲み干し、超機械を構える。
森全体が揺れて、鳥が飛び立つ。キメラではない。ただの野鳥だ。地を蹴って、キメラが繁みを飛び出したのだ。長距離からの狙撃が、キメラを近付けまいと撃ち抜いていく。
「敵を近寄らせるな‥‥火力で押しつぶしてやれ」
金色の瞳をスコープに押し付けて、ファファルの狙撃銃がキメラを撃つ。とはいえ、距離が近くなれば、狙うに難しい。地を這い、鉄条網に取り付いたキメラに対しては、香倶夜のアサルトライフルや、美珠姫の小銃等がこれを撃ち、近寄せまいと弾幕を張る。
「どう思います、この数‥‥」
「‥‥そうだな」
断真の問いに、アキラが逡巡する。
どん、と、地響きがした。
どうやら迷う必要は無くなった。木々をなぎ倒し、巨大な熊が姿を現したのだ。それも、普通の熊とも思えぬ、巨大な牙、爪をちらつかせて。支援要請を発すると同時に、数名の傭兵は、得物を持ち替えた。
「こっから先は1歩も通さねぇ!!」
啓太が叫ぶ。
その熊は巨体を活かし、鉄条網をものともせずに近寄る。
そして、それに率いられるようにして、ちらほらと、小型のキメラが歩み寄りつつある。
「‥‥!!」
狼男が、熊の前足を切り裂いた。
清見だ。表情ひとつ動かさず、再びのファングを繰り出さんとして、駆ける。しかしそれ以上に早かったのは、相手の熊だ。払われた前足が彼の肩をしこたま打ち、弾き飛ばす。
追撃を狙い、熊が拳を振り上げる。
その熊の喉元を、強弾撃で強化されたライフル弾が、一直線に貫く。
「砲撃まであと少しだから!」
塹壕から上半身を晒し、絶え間なく、引き金を引く香倶夜。
転がり込むようにして、塹壕へと身を隠す清見。
瞬間的に発動していた獣の皮膚が、辛うじてその身を守った。とは言え、肩は血に滲んでいる。さっと駆け寄った源次が超機械をかざし、練成治療を行う。
「大丈夫ですか?」
エマージェンジーキットを辺りにぶちまけ、美珠姫が応急処置を始める。
「頭を下げて下さい!来ます!」
断真が言い終えたとほぼ同時に、爆音が響いた。
直撃弾は少ないとは言え、大型の榴弾砲だ。キメラも、ただで済む筈が無い。しかし、それでも尚、数十秒続いた爆炎の中から、熊が雄叫びを上げて飛び出す。力任せ、強引に突進する姿勢で、塹壕へと雪崩れ込もうとする。
人影が、無言に跳ねた。
イアリスを握り締めた、アキラだった。
その、A Killerにふさわしい冷たい瞳をして――いや、それ以上に冷たい瞳を見せて、彼女は熊の脳天を叩き割る。
熊の巨体が、どうと倒れ、勢いそのままに、塹壕へと突っ込んだ。
そしてそれっきり、二度と動かなかった。
●スペイン戦線異状なし
開口一番。アキラが呟いた。
「やはり、閉じこもる戦いは性に合わない」
「私も同じだ‥‥やはり塹壕というのは苦手だな‥‥」
敵の大掛かりな攻勢は、どうやら落ち着いたようだった。各地の塹壕は小康状態に入り、従って、彼等傭兵も御役御免。後方から訪れた伝令が、バイクから降り、敬礼を見せている。
「ほら、約束通りちゃんと返すぜ」
サブマシンガンを手に啓太が告げ、マカロンを手に立ち上がる。
「こいつには何度も命を救われた。本当に助かったよ。ありが‥‥辛ッ!」
のたうちまわる啓太。
幸いな事に、きちんと味覚は戻っていた。