●リプレイ本文
雲ひとつ無い月夜。
皺の寄ったローブを風になびかせ、数体の人影が、岩肌を這うように走って行く。
岩の陰から顔を出し、双眼鏡を覗き込む何物か。それは、スカーフで顔を覆う緋室 神音(
ga3576)だ。事前には、現地服、女性にはチャードルをと申請していたが、結局チャードルは被っていない。
今時チャードルなんて流行らない、とは依頼者の弁だが、なるほど確かに、チュニジアでは、チャードル姿の女性はさほど見掛けなかった。
それに、素早い動きの必要な傭兵稼業にとっては、スカーフ姿の方が動き易いという利点もある。
「さて‥‥警察署長の真意を確かめに行きますか」
一方、船を利用した海路班もまた、落ち合う場所を決め、イカ釣り漁船と別れて三隻のボートに分乗する。向う先はエル=タルブの海岸。時刻は、午前0時前だ。
エル=タルブまでの往路は、陸路共々、晴天の海の穏やかさだった。
事実、晴れている。
もしもの為にと用意した雨具は、幸いな事に不要で済みそうだった。
「風が冷たい‥‥」
それでもふと、月森 花(
ga0053)が呟く。
普段の明るい表情をふと曇らせ、気を引き締めて、エル=タルブを見詰めた。
「敵の膝元への潜入になるけど‥‥皆、気を引き締めて行こう‥‥」
終夜・無月(
ga3084)の言葉に、海路を進んだ三人は、静かに頷いた。
●午前零時
海路班と陸路班、それぞれの腕時計が、ほぼ同時に午前零時を差した。
それぞれ、最終的には徒歩での移動となる。
遠くから眺めたエル=タルブは、酷く暗かった。
だが、それは侵入後も相変わらずで、その感をより一層深めるばかりだ。
明かりが殆ど見られず、街全体がひんやりとした空気に包まれていた、とでも言えば良いだろうか。
「思ったよりも酷いようだな‥‥」
呟いたのは、ジーン・ロスヴァイセ(
ga4903)だ。
齢68歳を数えて尚かくしゃくとした、元気な女性、と呼ぶべきか。その動きは、年齢を感じさせないほどに慎重で、安定している。
「それにしても静かですねぇ」
平坂 桃香(
ga1831)が応じて、暗視ゴーグルを持ち上げた。
ローブ状の、現地でポピュラーな服装に、スカーフマスク、今持ち上げた暗視スコープにしても、スカーフマスクの隙間から飛び出ているような状態。まるで、過激派か何かだ。
といっても、彼女自身、自分達の事をそんなものだと思わないでも無い。
UNKNOWN(
ga4276)も、同じように現地の服装をし、暗視ゴーグルで周囲を見回している。本来なら全員に支給を、と提案した暗視ゴーグルだったが、貸りようにも、彼等が持っていないのでは仕方ない。
ふと、平坂が足を停めた。
コツリ、コツリと、足音が、近づいてくる――。
物陰から物陰へ、素早く移動するのは宗太郎=シルエイト(
ga4261)だ。
ターバンからはみでた黒髪を壁に触れさせるほどに、壁へぴったりと近づき、影へ隠れている。
「‥‥どうにも、胸騒ぎがおさまりませんね」
それも、当然と言えば当然か。
こうも露骨に敵地へ潜入するとなれば、様々な危険があると想像するに難しくない。
終夜は、肩から布鞄をかけて、シルエイトの後に続く。
ふと、視線をあげた。先頭を行く月森は、真黒な外套を着、頭にはフードを被っている。
じいっと、周囲を見回す月森。
ふと彼女も、あの足音を耳にした。さっと首を振り、後方の終夜を見る。
彼女の視線に、手で制す仕草で応じる。近づく足音を、物陰からそっと見詰めた。
姿を現したのは‥‥人間。
街に入ってから、初めて見た人影。服装から察するに、それは警察官と思われた。長期的なバグアの占領地が、如何なる状態に置かれているのかについて、良い噂を聞いたためしが無い。
だが、眼の前に現れた二人組みの警官は、顔付きこそ生気が無いものの、姿格好については、想像よりもきちんとしていた。
「‥‥」
皆、ひっそりと息を潜め、警察官が通り過ぎていくのを待つ。
肩から掛けられているのは、サブマシンガンだ。警察官の巡邏にしては、えらく重武装で、過剰武装と言っても良いぐらいだ。
聞き耳を立てれば、彼等の会話も聞こえてくる。
「あそこンとこからさ、煙草かっぱらってよ‥‥」
「売ってくれよ。ディナールなら持ってるから」
「そんな紙屑で売れるかってんだ」
「フランだってある。一箱だけでもさぁ‥‥」
不満気な顔のまま、二人組の警察官はぼそぼそと会話を続ける。足音は遠ざかり、やがて、十字路を右に曲がって行った。
気配が消えてから、ひょいと顔を出したのは、クレイフェル(
ga0435)だ。
「警官がかっぱらったって‥‥どういうこっちゃろ‥‥」
「それは後にしよう。今は指定の場所へ急ぐのが先決だ」
暗視ゴーグルを掛け直し、終夜が囁いた。
●死んだ街
「少し出かけてくる」
弱い蛍光灯の明かりに照らされて、署長は疲れた顔を見せた。
当直の警察官が顔を上げ、不思議そうに署長を見上げる。
「自宅だ。娘の着替えとかを取ってくる」
「それでしたら、他の者が‥‥」
「いや、良いんだ。散らかっているしな」
そうですか、と答える警察官はいぶかしそうな顔をしたまま署長を見送り、署長は一人、静まり返った街へと歩き出していった。
「大丈夫、人影は無いみたいです」
親指を立てる平坂。
「ん‥‥なら私は、ロープを張ってこよう」
小さく頷き、緋室がタッと駆け出した。
「あとは海路班待ちか‥‥」
腕時計を見やり、ロスヴァイセは拳銃を引き抜く。S−01にセットされたペイント弾を確認し、マガジンを戻す。海路班が警察官をやりすごした時間と多少前後して、彼等も警察官をやり過していた。
そして、同様の違和感を抱いたのである。
「どちらにせよ、海路班を‥‥」
「母さん」
言い掛けたUNKNOWN(
ga4276)の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んだ。
声の主は、シルエイトだった。何故家族に見立てたかのように呼ぶのか、それは定かではないが、とにかく、彼はUNKNOWNの事をそう呼ぶ。
いずれにせよ、これで海陸両方から潜入した全員が揃った事になる。
多すぎず少なすぎず。
ここまでは、ほぼ計画通りに事が運んでいる。
残るは、署長との接触、そして帰路だ。各自は、事前の相談通り、接触予定の空き地を中心に移動し始めた。彼等は、それぞれが互いの死角を補いつつ、即座に反応できるような位置へと散らばり、隠れ潜む。
月森や終夜は狙撃も可能な場所、平坂やシルエイトは周囲を警戒しやすい場所、といった感じで、空き地のすぐ近くには、UNKNOWNとクレイフェルが潜んだ。
「一体何を要求されるんでしょうね」
ぽつりと、クレイフェルが呟く。
時刻は午前2時も後半。3時は、すぐそこだった。
ジャリ。
靴が砂を擦る音に、皆が注目する。
小さな髭を口の上に乗せた男が。大きな旅行鞄を引きながらやってくる。落ち着き無く周囲をきょろきょろと見回し、男は空き地の中へと足を踏み入れた。
再び、ジーンが時計を見やる。時刻は、午前2時51分。約束の時間に対して、およそ10分前だ。
空き地の中で立ち止まった男の挙動を、終夜が、スナイパーライフルで見つめた。
ひとしきり周囲を見回し、男は空き地の隅へと移動する。おそらく、空き地に面した道路から見え辛い死角に移動したのだろう。その後数分‥‥男は拳銃をチェックしたり、タバコに火をつけたりして過ごし、じっと、ただひたすら待っていた。
時間だ。
再び、砂を擦る音が響いた。
「――呼んだかね?」
姿を見せたのは、UNKNOWNと、ターバンを目深に被るクレイフェルだ。
「君達がそうか?」
署長の言葉を前に、UNKNOWNが首肯する。
隠れ潜んで署長を観察していた限り、署長は酷く落ち着きが無かった。だが、何故落ち着かないのか‥‥その理由を察するまでには至らなかった。それは、UNKNOWNだけではない。他の全員も、ほぼ同じ印象を持った。
「そうか‥‥なら、逃がした彼は、チュニスまで辿り着けたのだな」
男の独り言に、二人は答えなかった。
そうではないか。今ここで、あの男が息絶えた事を伝えて、どうなるというのか。
「私はイスカリオテ‥‥君は、何を捨て、何を求めにきた?」
白く、顔を隠すだけの面をゆっくりと外し、UNKNOWNが問い掛ける。
その奇妙な言い回しを放つ口は、鋭い言葉で署長に探りを入れる。その言葉に、少し怪訝な顔をした署長ではあったが、やがて、眉間に皺を寄せ。
「街の様子から察しているかもしれないが‥‥今、この街は警察国家のようなものだ。そして御覧の通り、私は警察署の署長。比較的、自由に振舞える」
旅行鞄をゆっくりと引きずり、署長が眼の前まで歩み寄った。
「これは、私の集められる限りの情報だ」
片膝を付き、ぐっと、鞄を押し出す。
クレイフェルが鞄の取っ手を掴み、ひょいと持ち上げ‥‥られない。それは単に不意を突かれたからからだが、鞄が、妙に重い。
「ただの情報ではないように見えるが‥‥?」
「‥‥」
UNKNOWNの問いに、署長は押し黙る。冷汗が一筋、頬を伝った。
「答えられないというなら、確認させて戴くが」
「待て、解った!」
慌てて割り込む。
「娘だ! ついでと思って連れて行ってくれ、頼む!」
署長さん、声が大きいがな――思わず覚醒を解きそうになって、クレイフェルは冷汗をかいた。
●交渉決裂?
適所適所に潜み、じっと気配を殺し、辺りの動きを探っている。
ライフルのスコープを双眼鏡代わりにし、終夜は周辺の道路を丁寧に見回していた――と、一箇所で動きを止め、その脇道をじっと睨む。暗所から、警察官が姿を現した。その様子を見る限り、特別の目的があるとは思えない。だが、向う先は空き地。
(どうする‥‥?)
スコープから顔を離し、空き地を眺め、周囲を見回す。誰かが、飛び出した。シルエイトだ。音も無く飛び掛り、警察官の後頭部を殴りつける。
「‥‥悪いな」
浅黒い金髪の――つまり覚醒状態のシルエイトが、ぐったりと崩れる警察官を支え、そっと道路に寝かせる。
「いつか必ず、悪夢から開放してやるからな‥‥」
「私は、ここを離れる気はないぞ」
多少語尾を荒げて、署長が告げる。
共に脱出する事を促す彼等の誘いに、署長は頑として応じなかった。
情報を持ち帰るは良い。娘の事も頼みたい。だが、自分には責任がある。ここを離れる訳には行かないし、ここから逃げ出して生きていくだけの図太さも、持ち合わせていない――と。
「どうしてもですかな?」
「あぁ」
「――お前の不幸は、私が来た事かも、な」
UNKNOWNが指を弾いた。
署長が反応するよりも早く、がくりと、身体が二つに折れる。クレイフェルの当身が、鳩尾にめり込んで、署長は気を失った。
●逃亡
クレイフェルが、署長の身体を肩に持ち上げた。
「荷物が増えちゃいましたね」
いたずらっぽく、月森が笑う。
とりあえず、急いで街を出よう――終夜がそう提案しかけた矢先、街に大声が響き渡った。
「侵入者だ!」
声の方角へ、振り返る。
先ほど意識を断った警察官の方角に、数名のざわめきが聞こえる。気絶した警察官を、見つけられたのだ。
「のんびり帰る訳には、いかなくなったな」
「仕方ないさ」
ジーンの言葉に、緋室が応じる。全員、殺害してどこかに押し込むなんて、そういう考えは持ち合わせていない。生きた人間なんて、そうそう隠しきれるものでもない。
誰が指揮を執る訳でもなく、傭兵達は駆け出す。
「止まれ! 止まらんと‥‥うわっ!」
追いすがる警察官が、ロープに足をひっかけ、盛大に転んだ。
後に続いていた2,3名の警察官もまた、彼の身体に足を取られ、折り重なるように転倒する。
もちろん、全てを止められる訳ではないが、一時的な足止めには、これで十分だ。
駆け出す周囲から人の声が聞こえ、エンジンの音が鳴り響く。そのエンジンの音が、近づいてきた。瞬天速を発動し、誰かが飛び出す。テロリスト改め――平坂だ。曲がり角から飛び出してきたジープが、驚き、急ブレーキを踏み込む。
「ちぇすとぉ!」
「え!?」
停車したジープ目掛けて、一挙に飛び掛る。彼女の目に飛び込んだのは、何が起きたのか解らない、といった警察官の表情だ。
ごきん。
げんこつが、相手の顔面にめり込んだ。
そのまま二人、三人と殴り飛ばす。
弾かれ、車から落ちる男。手応えからして、無茶苦茶痛かったろうとは思うが、今は非常時。リズムに乗る「鈍痛」の連呼が、ふと頭の中をよぎったが、頭を振るい、音楽を意識の外へ追いやった。
頭を抑え、ふらふらと起き上がる警察官を尻目に、傭兵達はジープへと乗り込む。乗員過剰だが、贅沢は言っていられない。
タイヤを空回りさせ、ジープが走り出す。
「逃がすな!」
「追え!」
道から、警察官や、同型のジープが飛び出してくる。
「ここはボクが引き受けるよ」
瞳を、冷酷な金色に輝かせ、月森が身を乗り出す。
S−01を構えるや否や、一発、ジープのタイヤを撃ち抜いた。脇から飛び出す警察官に向けては、ロスヴァイセがペイント弾を叩き込んで行く。顔面にペイント弾を受け、引っくり返っていく警察官達。
素早く的確な射撃を叩き込ロスヴァイセ。
だがそのロスヴァイセに、先ほどまでの老女らしさは欠片も残っていない。シワも無く、30代‥‥ともすれば20代後半にも見える容姿で銃を振るう。その様は、まるで、歴戦の女傭兵、と言っても差し支えないようにも見えた。
「海までは!?」
「あと少し!」
ハンドルを握り締めて、シルエイトが叫ぶ。
(やらせるかよ! 託された想いは‥‥絶対に貫いてみせる!)
心の中に声を響かせて、アクセルを踏み込んだ。
やがて数分も立たずに、彼等は追撃を振り切り、海岸線へと出た。
あとはボートへ分乗して船へ戻り、一目散に逃げるだけ――終夜はふと、旅行鞄を見た。
署長はまだ気絶したままだ。おそらく、目を覚ました後は多少面倒な事になるだろう。だがそれでも、この旅行鞄の中で眠る少女が孤児となってしまう事だけは避けられる。それだけは確実だ。
任務をほぼ完璧に――或いは必要以上に成功させて、傭兵達は一路、チュニジアへ戻っていった。