タイトル:【BH】もしもマスター:御神楽

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/02/23 01:38

●オープニング本文


●犬小屋
 雨の中、イリナは外を眺めた。
 ぐるぐると大きな寝息をたてるジルが、雨に濡れている。
 首が、三本もある。炎を吐き、雷を放つ。キメラと呼ばれるバグアの怪物だという事は、幼い彼にも理解できた。
 けれども、誰一人居ないこの死者の街で、イリナにとってはケルベロスが、ジルだけが、心の拠り所だった。少しおっかなくても、心強い味方だった。イリナは、この街を逃げ出したかった。生まれ育った大好きな街ではあったが、今ではもう、その面影が残ってはいなかったから。
 じっと、自分の着ている服を見る。あの人達は、少なくとも悪い人達では無い筈だ。服や食料を置いて行き、助けが来ると教えてくれたのだから。
 だが‥‥ジルは、他者に牙を剥いた。自分の制止すら、聞き入れてはくれなかった。ここから逃げ出したいが、ジルはどうすれば良いのだろうか。考えれば考える程、どうすれば良いのかが解らない。
「‥‥」
 眼を転じる。庭の隅には、既に家主の居らぬ犬小屋があった。
 ジルの小屋だ。


●痕跡
 そして――
「こいつは‥‥」
「ヘルメットワーム、か‥‥?」
 イリナが言う『北東の森』にあったものは、ヘルメットワームの着陸と思しき痕跡だった。それも、たった一機。何らかの攻撃活動を目的として飛来したものとは考えづらい。
 やはり、彼はヨリシロでは無いのか――軍上層部に再び懸念が過ぎった。
 だが同時に、彼以外に手がかりが無いのも事実だった。
 多少意見が分かれた面はあるにせよ、最終的に、軍はイリナ保護の決定を下したのである。無論、保護とはいえ、バグアの意図すら解らぬ現在、保護は慎重に行わねばならない。保護にあたり、軍は様々な付帯事項をつける事とした。
 それでも、これは極めて危険な、リスキーな作戦だった。
 空気感染の可能性が低く、細菌をどの程度滅菌処理すれば良いか確認したとはいえ、実際にどういったルートで感染したのかは、未だ不明。
 蚊から採取された人間の血液には細菌が存在していた。とはいえ、蚊による媒介だけでこんな爆発的な感染を見せる訳が無い。感染者との接触による感染拡大を考えてみても、空気感染しないのであれば、計算上、かなりの初期感染者が居た事になる。
 誰が最初に感染したのか。
 そして、どういった方法によって感染が拡大したのか。例えば、結果的に大きな差異は無かったものの、バグアにかかれば、電磁波の照射による変質ぐらいは仕込める筈だ。
 バグアの狙いが推察できれば、その『仕掛け』の手がかりになるかもしれないが、現段階では情報が不足していた。事実上、八方塞りだ。


●依頼
「これより、依頼を説明させて頂きます」
 集まった傭兵たちの前で、モーリスが軽く頭を下げた。
 まず、保護にあたっては、専用の隔離車両が準備された。内部は狭く、お世辞にも居住性が良いとは言えないが、滅菌装置や空気清浄機を兼ね備えねばならず、止むを得ない。
 この車両で後方の研究施設まで移送し、軍の施設へ運ばれる事となる。
「まず、ケルベロスを連れていく事は認められません。これまでの情報を鑑みるに、あのケルベロスがイリナを保護しようとしているのは事実としても、制御下にあるとは考え辛い為です」
 互いに顔を見合わせあう傭兵達。
「また、可能性は低いものの、少年がヨリシロである可能性を完全否定する事はできません。従って、少年がヨリシロであると判断できる場合、保護命令はその時点で撤回されます」
 モーリスは、さらに言葉を続ける。
「それだけではありません、このまま保護するのが危険と思われた場合、傭兵の皆さんは、独自の判断で保護作戦を中止して下さい。以上です」
 一気に言い終えて、モーリスは小さく溜息をついた。
 今回で円満解決といけば良いが、おそらく、そう簡単には行かないのだろうな‥‥そんな事を考えていると、余計に気分が塞いだ。

●参加者一覧

ベーオウルフ(ga3640
25歳・♂・PN
シェスチ(ga7729
22歳・♂・SN
聖・綾乃(ga7770
16歳・♀・EL
月村・心(ga8293
25歳・♂・DF
水流 薫(ga8626
15歳・♂・SN
玖珂・円(ga9340
16歳・♀・ST
風花 澪(gb1573
15歳・♀・FC
ハイン・ヴィーグリーズ(gb3522
23歳・♂・SN

●リプレイ本文

●もしも
 街の中、二台の車が道路を走る。
「いくら元人間とはいえ‥‥こう何度も邪魔されると、鬱陶しいんだよね‥‥」
 ハンドルを切るシェスチ(ga7729)。彼らは二台の車に分乗し、イリナの家へ向けて最短距離を走っていた。隠密性といった細かい事は気にしていない。当然、彼らの眼前には次々とリビングデッドが姿を現す。
「元々は人間‥‥か」
 現れたリビングデッドをショットガンで吹き飛ばし、ベーオウルフ(ga3640)は溜息を漏らした。それでも次々と現れるリビングデッドに、月村・心(ga8293)はアサルトライフルの弾丸を浴びせ掛ける。
「しかし、とんでもないウィルスだな」
 撃ち漏らしたリビングデッドについては車で弾き飛ばしての強行軍だ。その度に、車体が揺れる。
 轢かれ、道路に打ち付けられても起き上がるリビングデッド。
「‥‥このウィルス、もしかしたら、人体にとって無害な菌を変異させたりするものかな。それなら、どこかに本体があるかもしれませんし‥‥意外と、大量の人間を体良く制御する為だったのかもしれません‥‥」
 シェスチの言葉に、月村はリビングデッドを見やる。
(決して死なない兵‥‥いや、既に死んでいる兵か‥‥決して使えない事は、無いのだろう。良い金になりそうなのだがな‥‥?)
 しかし、彼のその思考をさえぎるように、ベーオウルフは溜息を吐く。
「今は眼前の事に集中しよう。俺も思うところはあるが、現在は、何を言っても想像と可能性の域を出ない‥‥思考停止しているように思うか?」
「‥‥さあな」
 ふとしたベーオウルフの声に、月村はガスマスクの中で笑った。
 彼にとっては、些細な事だ。他人が何をどう考えていても、さして重要な事ではない。彼にとって重要な事とは、如何に問題を解決するかだけだ。
「地図だともうすぐですね」
 前を走る車両。
 ハンドルを握るハイン・ヴィーグリーズ(gb3522)が、歯をかみ締めた。直進上にその家がある。問題は、その庭先に、三つ首の怪物が起き上がったからだ。
「‥‥探す手間が省けたというものね」
 しれっと言い放って、玖珂・円(ga9340)がエネルギーガンを構える。
 ケルベロスに睨み据えられる只中、傭兵達は次々と車を飛び降り、戦闘態勢を取る。と同時に、ケルベロスの口元から炎が漏れ出た。火炎弾――咄嗟に、ベーオウルフは叫ぶ。
「射撃戦をやらせる訳にはいかない、白兵戦でいく!」
 この作戦の目的は、イリナの保護にある。
 射撃戦主体で戦えば、ケルベロスはあの場を動かない。そうなれば、必然的にイリナから引き離せなくなってしまう。
「なるほど道理だ」
「それじゃ、いっくよ!」
 ベーオウルフに続いて、月村や、大鎌「リィセス」を構えた風花 澪(gb1573)達が突っ込んでいく。
 傭兵達が散った後に着弾する火炎弾。
 その爆発音に気付いたからだろうか。民家のドアが開き、中から顔を出す、イリナ。
「イリナ君‥‥約束通り、迎えに来ました」
 聖・綾乃(ga7770)が、イリナに声を掛ける。
 そのイリナの目の前にはケルベロスが立ちはだかり、傭兵達の接近を拒んでいる。
「ジル! 止めてよ、皆は僕を攻撃しに来たんじゃないんだ、ジル!」
(やはり制御下には無いようね)
 エネルギーガンの引き金に手を掛けつつ、円はその様子に歯噛みした。
 しかし、相手のケルベロスは、その巨体に似合わず、かなり素早い。彼女が引き金を引いた瞬間に身を屈め、射線から身体を逸らしても見せる。
「‥‥報告どおり、強力なキメラですね」
「感想も良いけど、こっちもこれから大変だ、よ」
 ハインの言葉に反応して、水流 薫(ga8626)が呟く。ショットガンへの装弾音が響いて、ハインは顔を振り向けた。眼前に迫り来る、人、人、人――全てが、リビングデッドだ。彼等――と呼ぶのが正しいかも解らぬそれ等は車を追い、或いは戦闘の喧騒を聞きつけ、家々の裏側から次々と集まって来る。
「一体なら溶けたチーズ並みに脆いけど」
「フォースフィールドが無くても、数だけはとんでもないですね」
「まったく、この数だと、ホラー映画の登場人物の気持ちが解ってくる、ね」
 二手に分かれ、ハインは道路を駆ける。
 彼の手には大型のサブマシンガン。
「さぁ、近寄って来い‥‥」
 その動きに引き寄せられ、リビングデッドが殺到する。ハインは頃合を見計らい、自らの瞳をスカイブルーに染めると同時に、体内のSESを活性化させた。
 強弾撃を用いた銃弾が次々と発射される。
 一発一発の威力が弱くとも強弾撃を用いた弾丸なら、フィールドを展開しないリビングデッド相手には十分だ。次々と吐き出される弾丸に薙ぎ倒されていくリビングデッド。
 この銃の装弾数を考えれば、絶え間なく攻撃を仕掛けても、十数秒は保つ。
 ある程度の錬力を残す事は考慮しつつも、彼は、弾丸と同様、強弾撃を途切れさせずに迎撃する。
 なんとか数分は持たせられる――彼は、そう確信していた。


●ジル
「チッ‥‥」
 月村が口元を歪め、地を蹴って飛びのく。だが、その動きはやや緩慢で、背に浮かぶ炎の翼も、のろりと蠢いた。その原因は、感染を警戒して着込んだ化学防護服にあった。ガスマスクはともかく、能力者といえど、身体の動きを阻害されては、素早く動き回るのは難しい。
 ケルベロスの振り下ろす前脚を、ゲイルナイフで斬り付けるも、やはり、動きにキレが無い。
「こいつは意外と厄介だな」
「こっちだ。どうした、かかって来い」
 じりと後ずさる月村に代わって、ショットガンによる銃声が響く。
 ベーオウルフはわざとケルベロスの眼前を駆け抜け、ケルベロスの攻撃を誘う。唸り声をあげるケルベロスの牙が、その背を追って空を切る。
 飛び込むような前転。
 辛うじてその攻撃を避けたベーオウルフだが、その動きの隙を狙って、ケルベロスの前脚が振り上げられ、ベーオウルフに迫る。まさにその時だ。
 轟音と共に飛んだ衝撃波が、ケルベロスの前脚をしたたかに打ち付けた。
 澪の、大鎌の柄を振るってのソニックブーム。寸間置かず、白刃がケルベロスを捉える。
「えーいっ!」
 だが、踏み込みが一歩足りない。
 命中した刃はケルベロスの表皮を裂くに留まり、大ダメージを与えるまでとはいかなかった。無論、今の彼女は致命打を狙っていなかった。あくまで牽制、仲間の援護だ。
 吼え猛り、牙を剥き出して威嚇するケルベロス。
(そうだ。もっとこっちだ‥‥)
 攻撃をしのぎつつ、じりじりと後退するベーオウルフら、傭兵達。
 傭兵達は数の利を生かし、皆で牽制を仕掛け、攻撃は遮蔽物に身を潜める等してやり過ごす。こうして、一歩、二歩と、気付かぬうちにケルベロスは前進して行く。
 その隙を見逃す訳にはいかない。
 綾乃と澪が、同時に駆け出す。
 その動きに気付いてか、ケルベロスの首が一頭、その後を追う。
 側面から回り込むようにして駆ける二人が、イリナとジルの間に自身らを滑り込ませる。慌て、飛び戻ろうと踵を返すケルベロス。その足元に、エネルギーの奔流が突き刺さる。
「そうは行かないわ」
 次々とエネルギー弾を放ち、行動を阻害する円。
「早く少年を回収しろ!」
 動きに躊躇が見えたケルベロスの後ろ足を、月村が切り刻んだ。後ろ足を蹴り上げる反撃を、先程とは違う動きで受け流す。
 綾乃は朱凰、氷雨の二刀流で、イリナに背を向けたまま語りかけた。
「一緒に来て貰えますか?」
「‥‥うん。け、けど‥‥」
 ケルベロスの、ひときわ大きな雄叫び。
「前にも言いましたが、彼とは住む世界が違うンです‥‥一緒には、生きて行けませんよ?」
 イリナが何を言いたいのかは、解る。
 しかし、それで済まされぬ事情が迫っているのだ。
「‥‥ジルはどうなるの?」
「私達がジル君――いえ、キメラを倒すところを、あなたに見せたくはありません」
「‥‥」
 押し黙るイリナ。
 綾乃は刀を鞘へと戻すと、躊躇する少年の手を握り、庭を横切るように走り出した。
「ま、待って!」
「いいえ待ちません! ココはもぉ‥‥貴方が一人で生きいける街じゃありません!」
 綾乃の言葉が響き渡る。
 その庭を走る姿は、傭兵達全員から確認できた。
(できれば彼がヨリシロか確認もしたいが‥‥そんな隙は無いな)
 わき道から現れたリビングデッドの頬を銃底で殴り付け、ベーオウルフは伊達眼鏡を揺らす。振り向き様、ケルベロス目掛けてショットガンの引き金を引いた。胴を引き裂く散弾。
 だが、その巨体さ故に、一発や二発で痛撃を与えるのは並大抵の事ではなかった。
 そうした攻撃をものともせず、ケルベロスはイリナへの接近を試みる。
 しかし傭兵達とて、黙って素通りさせる訳が無い。
 月村と澪がその行く手に立ちはだかり、ケルベロスを行かせまいと武器を振るう。ケルベロスの攻撃は、心なしか手ぬるかった。それはそうだろう。このケルベロスは、理由はともかく、イリナを守るように行動している。
 火炎弾や電撃を放とうものなら、綾乃が連れるイリナを巻き添えにしかねない。
 イリナを放り込むようにして、綾乃は車へと飛び乗る。
「久しぶり‥‥」
 そんなイリナの姿を見て、シェスチは微かな笑みを浮かべた。
「とりあえず、元気そうで何より‥‥だよ」
「何時までも時間は稼げない、よ。早く!」
 薫の言葉に、シェスチが顔をあげる。
 ぐっと、アクセルを踏みしめるシェスチ。
 タイヤが地を擦った。
「ちょっと揺れる‥‥舌噛まない様に、しっかり掴まっててね」
 シェスチが言い終えるより早く、四輪は道路を走り出す。
「こンの‥‥っ!」
 綾乃が、追いすがるリビングデッドの首を刎ねた。
 車上の薫が、ショットガンでリビングデッドを殴打する。再び掲げての銃撃で弾切れと知って、腰から、新たにイングラムを引き抜いた。次々と迫る死体の群れを相手に、満足にリロードする時間すら無い。
 とにかく突っ切るしかないのだ。その間隙を得る為に、彼はイングラムから弾をばら撒いた。
「さて、我々もさっさと撤退しましょうか」
 その後姿をちらりと眼で追い、ハインは落ち着き払った態度で告げる。
「‥‥賛成だ」
 じりじりと後退しつつ、周囲を見回すベーオウルフ。
 ケルベロスもさる事ながら、リビングデッドの数も徐々にではあるが、しかし確実に増えている。無理は禁物と思えた。
 戦闘開始時とは逆に、彼等は一斉に車へと駆け寄っていく。
「そうと決まれば長居は無用だな」
 先程運転を担当していたハインが武器を手にしている事もあり、運転席には月村が滑り込んだ。エンジンの回転音に重なって聞こえる、ハインの警告。
「照明銃を使います」
 光の筋が闇夜に飛ぶ。
 彼らの車を追おうとしていたケルベロスの眼前に、周囲を照らす強い光源が展開された。閃光弾よりは弱いものの、僅かな隙を作るには十分だった。
「これで‥‥」
 強弾撃や狙撃眼を併用しての、弾頭矢。
 ジルの周囲に次々と爆発が巻き起こる。彼の放った矢の狙いは、むしろ周囲の建造物にあった。破片を飛び散らせ、植木を倒し、ケルベロスの前進を何としても阻まんとするその攻撃。
 眼前から迫るリビングデッドの群れを銃撃で蹴散らして、車は急発進した。


●脱出
 イリナを乗せた保護班の車を追い、併走する。
「リビングデッドはこっちで蹴散らす。先にいけ」
 月村が強くアクセルを踏み込み、先方の車を追い越す。傭兵達の車は前後に並び、街の大通りを直進していた。
 迫るリビングデッドを銃で撃ち散らしながら、車はただひたすらに走る。
「次から次に‥‥!」
 もぐら叩きの要領でリビングデッドを黙らせる円。
 バックミラーに写る後部車両を見やる。イリナがバグアに拉致されていた可能性は、高い。
 本来ならばキメラたるケルベロスの撃破によって、リビングデッド化が解除されるのではとも思えたが、今の彼女には、それを確認する術は無い。
 とにかく、相変わらず数の多いリビングデッドではあるが、街への侵入からケルベロスとの戦闘まで隠密性を度外視した強行突破を図った事もあって、リビングデッドの多くは一度そちらへと集まっていた。
 期せずして、追撃の数が減っていたのだ。
 しかし――
「‥‥右前方、ビルの裏」
 何かに気付いて、機器を手にした円が声をあげる。
 傭兵達には、その断片的な言葉で十分だった。一斉に身構えたその先、建物を打ち崩しつつ現れる、ケルベロスの巨体。
「回り込まれたか!?」
「油断したわね」
 ベーオウルフは、円の一言に思わずムッとする。
 その大柄な見かけによらず、彼はどうにも、彼女のような高圧的な人物は、苦手だった。
「突破するしかないか?」
 左右に素早く視線を転じる。
 十分に広い脇道は無く、あったところで、どこにリビングデッドが潜んでいるか知れない。このまま進むしかないのだ。
 地鳴りのような唸り声。
 ケルベロスの口元から小さく漏れる放電。その破壊力は折り紙つき。一撃で、こちらの車両を破壊しうる攻撃だ。
「くっ‥‥」
 背に手をやるハイン。弾頭矢は既に無い。
 しかし、そんな彼らの車両の中、後部座席から一人の影が飛んだ。澪だ。
 距離を推し量り、ボンネットを蹴って飛ぶ。相手がこの攻撃を用いようとしたその瞬間を、彼女は待ち望んでいたのだ。破壊力絶大ながら、準備行動に大きな隙が生じる、この一瞬を待ち望んでいた。
 不敵な笑みを浮かべる澪。ふわふわの白いコートが、風を受けてたなびく。

 前脚――いや、首を獲れる。

 白刃の飛ぶ直前、綾乃は、イリナに覆い被さった。
 イリナの視界が綾乃に覆われる。直後、ケルベロスの喉から吐き出される、獣特有の、悲鳴にも似た音。イリナが息を飲んでいるのが、綾乃には解った。
「‥‥恨んでくれても良いんですよ?」
「ジル‥‥?」
「でも、これだけは忘れないで。貴方には、生きて欲しいの‥‥」
 豪破斬撃を用いての、すれ違いざまの一撃は、確かにケルベロスの頭部を叩き割っていた。澪が全身に浴びた返り血こそが、その証明だった。
 振り向こうとするイリナを、綾乃が押し留める。
 これ以上、街や、ジルを彼に見せる事は無い――そう思ってか、シェスチはただひたすらにアクセルを踏み込んだ。