●リプレイ本文
ビアホール「ホフブロイハウス」の中は異様な熱気に包まれていた。
「妙‥‥ですね‥‥」
従業員に紛れて動き回る終夜・無月(
ga3084)。エプロンと三角頭巾を着け、今は偽名で通している。して、店内の様子を眺めてみれば、どうにも筋肉質な男達が目につく。
「計画通り‥‥」
アルコールのたっぷり注がれたグラスを傾け、大泰司 慈海(
ga0173)が笑みを浮かべた。言うまでもない。これは彼が仕掛けたのだ。
彼は、幾つかの手段を用いてボディービル大会をやると偽宣伝を打った。その結果、少なくないボディービルダーが酒場に集まり、体感温度は急激に上昇しつつある。
――が、問題は。
「確かに‥‥暑苦しくはなりましたけど‥‥チョコが溶ける様子は、ありませんよ‥‥やっぱり」
扇子をぱたぱたと揺らす神無月 紫翠(
ga0243)。
ぎくりと苦笑を浮かべる慈海は、しかしと腕を揺らし、拳を握り締めた。
「だ、だがこの空気、熱気! 少なくともチョコを渡す等という雰囲気ではなくなった!」
「えぇ‥‥まぁ、それは‥‥」
「それはそうと」
店内を見回しつつ、蓮角(
ga9810)が顔を寄せる。
対外協力者たる神無月を除き、彼らは皆しっと団の団員である。友チョコに名を借りた、男女間の買収工作を粉砕する為、こうして目を光らせているのだ――が。
「今のところ、チョコは出回っていないようですね」
ハリセンを握り締める蓮角。
事前情報によれば、友チョコの配布があった筈だがと、大泰司も、同じく店内を見回した。とにかく、まだならまだで、こうして監視に徹するまでだ。
「暖かい焼きそばだよ〜、美味しいよ〜♪」
ホールの隅に、矢神小雪(
gb3650)の炒める焼きそばの、何とも良い香りが漂う。
「おにーさん達、どぉ?」
「ん?」
呼び止められて、三枝 雄二(
ga9107)が覗き込む。
小さな台の上にはホットプレート等が置かれ、彼女が前日に準備した焼きそばや稲荷寿司、果てはおでん等が所狭しと並べられている。
「そうっすねぇ、今日は酒を飲みに来たし‥‥」
「良いから何かつまめ。酒だけじゃ体に悪いだろ」
小雪の隣、居丈高に続ける矢神志紀(
gb3649)。黒いスーツにエプロンがよく似合うものの、その態度を見るに、販売員として満点とは言い難い。しかし、彼の目的はとにかく第一に妹の保護である。問題無い‥‥と言えば問題無い。
実際、『悪い虫』を警戒して、こっそり銃まで持ち込んでいる。もちろん、模擬弾でこそあるが。
「解ったっすよ。食べるから、そう睨まず」
苦笑交じりに応じる三枝。
覇気には欠けるが、強い流れを美味く受け流す柔軟さが垣間見える。
「売れてよかったね、お兄ちゃん!」
「そうだな」
満面の笑みで兄を見上げる小雪。
答えておいてから、志紀は黙って頷いた。
元々軽食も出ないビアホール。アジテーター以外の参加も多い今日は、こうした軽食もよく捌けた。
「私にも焼き鳥を頂けますか?」
「は〜い、ありがとう御座いますっ」
クラーク・エアハルト(
ga4961)の注文に、小雪はせっせと焼き鳥を詰める。笑顔でそれを受け取って、彼はそのまま席へ戻る。
「やれやれ‥‥このボディービルダー集団もしっと団関係者の仕業ですかね」
大きなビールジョッキは、これで二杯目。
頬も赤くなり、のんびりとして気分の良い酔い心地だ。
「別に良いんじゃないでしょうか?」
美環 響(
gb2863)が微笑む。
その手にはスケッチブック。もっとも、筋肉をスケッチしに来たつもりではなかったのだが、どこを向いても眼につくので仕方ない。
「禁止はカップル参加だけですから、楽しんだものが勝ち、ですよ」
「そういう事です」
机にちょこんと置かれる小袋。
「これは?」
紙袋を抱えたユーリ・ヴェルトライゼン(
ga8751)が、響の隣に立っていた。置かれた小袋は手のひらサイズで、青いリボンで口が結ばれている。
「胡桃のブラウニーです。良ければどうぞ」
「では、喜んで頂きます」
小さく目礼を返し、響はスケッチブックを脇に置くと、その小袋を受け取った。ユーリは振り返り、再び別の袋を取り出す。
「それからメイにはチョコタルトを」
「‥‥メイってゆーな」
振り返った先で、M2(
ga8024)はふくれていた。
「‥‥ん? メイはメイだろう」
本名由来のそのあだ名、M2にとっては、妙に小恥ずかしいのだ。あまりに可愛いからと本名を秘しているのに、冷静な表情でそう言われてしまえば返す言葉が無い。お菓子も、美味しいし。
(‥‥何だか、これ以上反論するのも面倒だし‥‥許可しよう。あくまで彼限定だけど‥‥)
溜息交じりにタルトを受け取るM2。
しかしユーリの配って歩くこのお菓子、こうした状況下にあっては、その包装だけで反対派の目を引くものだった。
「メイのリクエストに答‥‥」
ユーリがそう言い掛けるや否や、まさしく音速の素早さで蓮角達反対派が駆けつける。彼らの前に立ちはだかるクラリス・ミルズ(
ga7278)。手にするのは巨大ハリセン。
「ちょっと! そうは問屋がおろさないわよ〜!」
言うが早いか両手に掴むハリセンを振り上げるも、ユーリが手のひらをかざし、その動きを制止する。
「何よぅ、命乞いなら‥‥」
「これはチョコではなくて、チョコタルトですよ」
「ん?」
きょとんと、蓮角は首を傾げた。それに対して、苦笑交じりに始まるユーリからの説明。
「パイの上に盛り付けをしたケーキのようなもの、ですよ。それに男同士です。これはあくまで、日ごろの友情に感謝してのものですから、隊の仲間全員に配っているのですが‥‥」
「うっ!」
動きを止め、うなる蓮角。
何より、これをバレンタイン的なチョコと捕らえるべきかどうかが難しい。彼は、料理が得意というクラリスをちらりと見やった。
「うーん‥‥セーフ!」
彼、いや、彼女はセーラー服を揺らし、腕を横に振るう。
実際、ユーリの論によればバレンタインと直接関係が無い。チョコそのものではないし、何より男同士。一応の筋は通っている。彼らはひとまず、得る所が無いままに警邏へと戻っていった。
●バレンタイン仲裁宣言
「我等の闘争が、魂が! 連中如き隠微の徒を凌駕せしめるその時を!」
会場から野次の飛び交う中、演説台に立つ蛇穴・シュウ(
ga8426)は声を上げ、腕を振るう。
「我等の意思が、拳が! 連中如き惰弱の‥‥」
「くっくっく‥‥この調子なら、バレンタインなんぞ一撃粉砕やな」
中止派の演説を聞くエミールは鷹揚に頷き、腕を組む。
「やぁ、ご機嫌ですね」
声に振り返る。
張央(
ga8054)が普段と変わらぬ笑みを浮かべ、そこに立っていた。
「あぁ、張か。アンタはどっちや?」
どっち、とは、言わずもがな。中止派か推進派かという事だ。その言葉にさてと首を傾げ、彼は腰掛ける。演台の方を見やれば、シュウも演説を終えて壇上から降りるところだった。
「甘いものが好きでして。だから中止になっては困るのですが‥‥しかし、毎年女性で混み合いますからね」
多少は数が減ると良いなと、彼は言外に語っていた。
「あはーん、同志ツルペタ――」
演説を終えたシュウは上機嫌に。ビールジョッキ片手に、千鳥足気味で歩く。そのままエミールの背から近寄って、ぐりぐりと頭を撫で回す。
「――じゃないツルニさーん、ホールドアップですよー?」
「じゃかーっしゃーッ!」
涙目混じり、ツルペタとの言葉に反応して、吼えるエミール。
「あらん? 男なのに怒るんですか?」
「むぐ‥‥それは‥‥!」
「むふふ、相変わらず背中がお弱いようで‥‥寂しい同士で暖めあいましょーよー‥‥うぇっぷ」
完全に酔っている。
どおりで、演説のノリも良かった訳だ。もっとも、彼女自身、実は日和ってるだけなのだが。どちらかといえば、馬鹿騒ぎになれば楽しそう、なんて、そんな理由で一席ぶってみただけだった。
「お酒は節度を守るものですよ? ‥‥さて」
立ち上がる張が、懐から小包を出した。
「エセトリュフです。知り合いの親戚が作っていましてね、感想を聞かせてくれと」
「ふーん?」
興味深そうに小包を摘み上げるシュウ。
さて、実際にその『エセトリュフ』とやらを作ったのは誰なのか‥‥。
ともかく彼は、その小包を置いて演台へと向かう。だが、自ら演説を打つ為ではない。演台そのものには、既にツィレル・トネリカリフ(
ga0217)が入っている。
「皆、まずは日刊ラスト・ホープの三面を。そして、今日までに、何度バレンタインを中止にすべく動いた者達が居たかを、その結果を、考えてみて欲しい」
ツィレルの声がビアホールに響く。
静かに滑り出した演説に、少し毛色が違いそうだと人々の関心が集まった。その瞬間を狙って、彼は二の句を紡ぎ出す。
「はっきりと言おう、バレンタインを中止にすべく暴れたとしても。愛し合う者達の事を真摯に思い、行動した聖人の意思をないがしろにするこの悪しき習慣は断ち切れぬのだ。また‥‥」
そんな彼の両隣には、獄門・Y・グナイゼナウ(
ga1166)と張央が立つ。
二人ともツィレルの考えに賛同しており、だからこそ、今後想定される事態に備えて待機しているのだ。
「ヴァレンティヌスの処刑は悲劇である。しかし、人類がかつてのローマ帝国と同じにまで追い詰められれば、似た悲劇は各地で起こるだろう。ならば、己の欲望のままに今日のいびつなバレンタインを享受して良い訳が無い! 己の欲望のままに、鬱憤を晴らす為に暴れて良い訳が無いのだ!」
バンと、演台に平手を打ちつける。
「私はここに、バレンタイン仲裁を宣言する!」
言い終えた途端、会場は騒然とした。
「くっだらなぁい! 引っ込んでなさいよ!」
ぶっきらぼうながら、どこからともなく女性の野次が飛んだ。
それを契機に、一斉に飛び交う野次、怒号。時折座布団までも飛ぶ。
何やら痛そうな物体は獄門がアーマージャケットで受け止め、食べ物が飛べば張央が綺麗にキャッチする。
「謹聴、謹聴‥‥っと、駄目ですね。どうも聞いていないようで」
飛んできたパイを受け止め、かぶりつく張央。
座布団を叩き落しながら、獄門は正面へと向き直る。
「同志ツィレルの言うとおり! 能力者は人間。その最大の武器は隣人愛であ‥‥」
野次の中、声を張って演説を続けるも、形勢は不利だった。
「我ら人類がライトスタッフである事を、バグアどもに見せつけてやろうではないかー! こんなご時勢だからこそ、世界に人の心を‥‥あうっ」
飛来したしょうゆ煎餅がおでこに直撃する。
「予想以上に手厳しいねェー?」
いつの世でもそうだ。
中道的な、或いは理想主義的な穏健派は、左派からは右派と、右派からは左派と批判される。もちろん、過激派からは惰弱の謗りをうける。すべからく世の中とは結論を出したがるもので、和解をと叫ぶ者の肩身は狭い。
しかし問題はそれだけではなかった。
「もっと面白い事言え〜!」
「結局推進派だろー!」
「独り身の僻み! バレンタイン賛成ぇ!」
元よりお祭り騒ぎのつもりで集まった者が多いからか、空気も日和見的に染められている。野次しか飛ばしていない観客も多く、この野次の嵐も、演説内容として過激さに欠けたが為の反応なのかもしれない。
「おいし〜! げっぷ!」
隣に演説の喧騒を聞きながら、火絵 楓(
gb0095)は幸せ一杯の顔を上げる。
彼女の姿はまさしく、そう、巨大な鳥。
解る者なら、それが『ピンクの鳥のトリっカーくん』と解るであろうが、多くの人間は一体何者かと遠巻きに眺めるばかりだ。
「喜んでもらえて幸いです」
彼女が食べているのはユーリ作のガトーショコラ。
「うん。これぞバレンタインデーの本来あるべき姿よ」
うんうんと鷹揚に頷くのは、藤田あやこ(
ga0204)。彼女もまた、友チョコを推進する為、何種類かのチョコを持ってきている。
「だいたい告るのに、何で女子だけが一方的に贈呈するのよ。不公平よね〜」
それはもう、結構ひねくれた理由でリネーアの事を恨み、バレンタインデー粉砕を目指す彼女だが、その趣旨はバレンタインデーを友チョコウィークに変えようというのだから、どちらかと言えば穏健派だ。
「ふむ‥‥ばれんたいんとは、女性がチョコを送るもの‥‥と」
そんな彼女達の会話を横に、風間 静磨(
gb0740)はメモをとった。
どうにも田舎暮らしが長かったせいか、こういったシティライクなイベントにはとんと縁が無かった。知らないことは学ぶ。それが彼のスタンスだ。
(‥‥けど『コクル』って何だろ?)
ただひとつ問題があるとすれば、そもそもの予備知識があまりに不足している事だった。
演説の続く中、拝聴する側としては様々な感想も飛び出す。
中には無意味なアジもあるが、半数以上の参加者は、隣の人達と言葉を交わすのが中心。M2も、先程受け取ったタルトを小さく切り分けながら、ぼんやりと演説を眺めている。
「というか、中止って叫んでる人達、将来恋人ができたらどうするんだろう‥‥」
「そういえばそうねぇ‥‥本当にどうするのかしら?」
のほほんと演説を聞くナレイン・フェルド(
ga0506)。
「断じて受け取りはしなぁーい!」
「あら?」
突然の大声。
ちょこんとソファの後ろから顔を出すのは、白虎(
ga9191)。何を隠そう――いや別に隠していないが、とにかく。かのしっと団総帥とは彼の事だ。
ところが勢い良く飛び出したは良いが、彼はそのまま、じっとタルトを見つめる。
その様子ににっこりと笑みを浮かべて、葛城・観琴(
ga8227)はチョコスナックを手ににじり寄る。
「良ければ、いかがですか?」
「うぅ‥‥っ!」
もちろん、『にじり寄った』ように見えていたのは白虎だけで、葛城自身には、悪意なぞ全く無い。あくまでのんびりまったりとした心持ち、博愛の精神に沿ってチョコチップを薦めているのだ。
「‥‥ほ、欲しくないのにゃー、欲しくなんかないのにゃー! チョコをもらう奴は敵なのだぁー!」
「まぁそう仰らず。これはチョコではなくて、チョコスナックですし‥‥ね?」
あくまで柔らかな笑顔で迫る葛城。
その笑顔は果たして冷徹な計算の答えか、或いは自然に生まれる微笑みなのか。外からその内実を窺い知る事ができぬ上、この笑顔で諭されれば、どのような理論でも説得力を持っているようにも思えて。
「世間の風潮に流されるな!」
「はっ!?」
壇上より続く、声。
偶然か否か。ちょうど演説台に入っていた大泰司は、平手を打ち付け、拳を握り締めて訴えかける。
「愛の無い茶色い菓子に何の意味がある? そこにあるのは憐憫の情のみ。
今まで純情を貫いてきたキミ達のハートを、こんな事で汚してはならない。
チョコが食いたいなら自分で買え!」
「お菓子が無いなら血をすすれ!」
「違ぁーう!」
誰かが飛ばした合いの手に彼が突っ込みを入れれば、それを合図に言い争いも始まる。のんびりと喧騒を楽しむ者達を除けば、会場はヒートアップするばかりだ。
●地獄変
「独り、なんてのは疾うの昔に慣れた筈だったんだけどな‥‥」
「どうしました。たそがれてますね」
カウンターに寄りかかるアッシュ・リーゲン(
ga3804)の隣で、クラークが同様にグラスを傾けた。大ジョッキが重厚な音を立ててテーブルに叩き付けられる。
「居心地の良い場所は離れ難いって事なんだな、やっぱり‥‥」
何だか、どことなく渋い。
「皆、暇を持て余しているんでしょう」
とは伊藤 毅(
ga2610)の弁。彼に、三枝とジェームス・ハーグマン(
gb2077)の知人同士、男性三人で連れ立って来た身分。無論の事ながら彼女はいないものの、かといってバレンタインデーを腐す事もない。
「それだけ元気があるんでしょうか?」
そう呟いて首を傾げるジェームズ。
「君くらいの年だと、もっとこういう事に興味ありそうだけど、随分落ち着いてるっすねぇ」
感心したような三枝の言葉に、ジェームスはにこりと微笑んだ。
「えぇ、本国に許婚がいますから、基本的に関係はありませんね」
「許婚かあ。いや、たいしたものっす」
「‥‥!!」
がたり、と音を立ててアッシュが立ち上がった。
きょとんとする周囲の傭兵達をよそに、大ジョッキを一気に飲み干すと、ずかずかと演台に歩み寄る。
「この間のクリスマスでも、似た様なヤツらに言ったが‥‥テメェらは努力が足りてねえんだよ。努力が!」
ハリセンで演台をバシバシと叩きつつ、アッシュは吼えた。
「だいたいその根性が気にくわねェ! オンナがいない? だからどうした!? おまえらがまず戦うべきは、その卑屈な根性! そういう負け犬根性に張り付いてりゃ、毎年同じ事を繰り返す事になる」
力強い指摘に、一瞬、気圧される会場。
「それでも駄目だったら、ウチの店にでも来な。愚痴ぐらいは‥‥」
「違う! 違うのだ!」
「うん?」
新たな声に、ざわつく会場。
ちまい白虎が駆け足に、壇上へと上がる。アッシュの隣で、ジャ○プを束ねた足置き台に上り、丈を増やす。
「カップル撲滅やバレンタイン根絶が本当に出来るなんて、誰も思っちゃいないさ。でも、善きにせよ悪きにせよ、僕たちの行動は世界に刻まれる」
一団の総帥らしい、落ち着いた演説。
後は、威厳のある表情、ついでに力強い声、それから重厚な弁舌が‥‥そうだ、あと身長も欲しい。惜しいかな、後これだけ揃えば完璧な演説と言えただろう。
「そう! 僕たちは存在する事に意義があるのだっ、共に戦おうー!」
「おぉー!」
「その通りだ!」
賛意によって向けられる野次。
アルコールも入っているせいか、威勢の良い事を言えば反応も大きい。傭兵以外も含め、会場における多数派は中止派でも推進派でも、或いは積極的中立派でもなく、極端に言えば日和見主義者達だった。それも、良い意味での。
しかし中には、ちょっと違う方向で気合の入った者もいる。
「手作りチョコは、カカオ豆から自分で作ってこそ手作りだぁ!」
力強く宣言したのは、古末 菜(
gb4030)。飛行帽の耳を揺らす彼女は、その言葉にホール中の視線が集まるに及んで、一瞬で沸騰する。
「えと‥‥そ、その‥‥」
顔を隠し隠し、小走りに逃げて、カウンターの方へと走っていく菜。
皆、暫くはその動きを眼で追っていたが、やがて悟って、大口を開けて野次を飛ばし始めた。
「‥‥恥ずかしいっ!」
頭を抱えてカウンターに倒れこむ。
「けれど、チョコレートへの情熱は、よく解りました〜」
「え?」
半ば涙目の顔をあげれば、そこではチョコレートレシピ片手にした立花 ひな(
gb4759)が、落ち着き払った態度で紅茶を注文していた。
「私もお料理は好きなんです。だからほら、可愛いチョコレートやお菓子のレシピが集まるので、バレンタインデーは好きなんですよ〜♪」
「けれど、今年は‥‥大騒ぎに‥‥なりそうですね‥‥」
笑顔で応対し、紅茶を準備する無月。
今のところその正体に気付いた者は居ない。
(‥‥妙だな)
ふと、そんな事を思う。先程からあわや衝突か、すわ喧嘩かと一触即発になろうとも、喧騒片耳にやんやと楽しんでいる者達が多い。それにそもそも、店主さえもさほど気にしている様子が無いのだ。
そしてあのビラ。待ち受けていたかのような街の受け入れ態勢。
「なるほどね‥‥」
何となく理由が見えてきた気がして、無月は思わず呟いた。
「‥‥うんっ、私にもトマトジュース、一杯下さいなっ」
ひなの言葉に少し自身を取り戻して、菜は、再び笑顔を見せた。
一方ところ変わって屋台。
屋台では、注文を受けた小雪が一生懸命手羽先を暖めていた。その場で作るだけの設備は無かったが、昨晩から準備しておいた新鮮な手羽先だ。
「お待たせしました〜」
「ありがとうございます。やっぱり友情っていいですわよね♪」
微笑んで、ソフィリア・エクセル(
gb4220)は手羽先を受け取った。
さっそく口を付けようとするも、ふいに、演台が空いた。
「あら。演台が開いていますわ‥‥ちょっとごめんなさいね」
「大丈夫だよ、暖めておくからっ」
小雪に小さくお辞儀をして、彼女は演台へ向かっていった。
「‥‥」
そんな彼女の様子を、一人の男が壁から見つめる。
瓶底めがねも特徴的な佐渡川 歩(
gb4026)だ。彼女居ない暦イコール、年齢。バレンタインを粉砕する為なら悪魔とであろうと手を組む。そう公言してはばからなかったのだが。
「何て素敵な女性なんだろう」
はぁと溜息を吐く。
壁に隠れてじっと見つめるその様子が、まるでストーカーのように見えようとも、彼はそんな周囲の視線に気付く事も無く、何時途切れるとも解らぬ溜息をつく。
「ハードル、高いでしょうね」
「‥‥っ!?」
何時現れたのか。
彼も気付かぬうちに、森里・氷雨(
ga8490)が後ろから同様に覗き込む。
「あ、あなたは一体‥‥」
『俺
氷雨
彼女?
まぁ
当たり前に
いる
てか
いない訳ないじゃん
みたいな』
「携帯電話に何打ってるんですか?」
常人を超えた、まさしく能力者相応の素早い動きでキーを押す氷雨。
「うん、解ります。こういう秘めた想いも」
「い、いや、そういう訳じゃ‥‥」
「あ、ほら。始まりますよ」
「えっ!?」
向き直る佐渡川。
「皆様の心が少しでも癒されるよう‥‥歌わせて頂きますわ」
壇上では、ソフィリアがすうと息を吸い込んでいた。今まさにさえずろうとする彼女を見つめる佐渡川。
他の客達も多かれ少なかれ彼女の方へと意識を向けている。
さぞかし良い声だろうというその予想は正しかった。
「‥‥」
綺麗に滑り出す歌声。
ただし‥‥
「ぁぁあのォねぇ〜、これあぁあぁぅあげるぅうぅぅううぅ〜♪」
阿鼻叫喚。
歌というものは、素地としての歌声さえ良ければ、それだけでも聴けるものだ。本来。
「てぇづくェりぃのちょォぉォうぉくォけぇえェきぃィイぃぃ〜!」
それをどうやればここまで。
どうやれば、こんな歌になるのだろう。
並ぶ音程という音程をすべからく外し、リズムはといえばまるで歯車の外れた機械仕掛けのブリキ玩具。声は良い。本当に声だけは良いのに。もう、ここまで来れば一種の才能だ。
●ファイト・クラブ
部屋の隅に転がされた、土気色をした佐渡川の死体を横目に、傭兵達は机を囲んで酒を呷っていた。
もちろん、響のように、アルコールを好まない者もいる。
その辺りは人それぞれと言ったところだろう。
「バレンタインねぇ〜私の場合は‥‥どっち側が良いと思う?」
「‥‥渡す側で良いのでは?」
風間の言葉に、つい苦笑するナレイン。
生真面目に「ばれんたいん」なるものの正体を探った結果、女性が男性へチョコを送るらしい、という事までは理解している‥‥のではあるが。
かくいう彼自身、ナレインが配っていた柿ピーチョコを受け取っている。
さっそく味をみようと綺麗に包装された小袋を手に取り、彼はリボンの結び目に手を掛けた。まさにその時だ。
「バレンタイン‥‥くだらん」
壇上から響いた言葉に、動きを止め、振り返る。
「誰が作った規律だ。我々はそんなモノを受け入れた覚えはない。確かにそれが正義なら、我等は悪だ」
静かに演説を始めたのは、秋月 祐介(
ga6378)だ。
ライトの光を怪しく反射するメガネ。ゆっくりとした身振りを加えつつ、彼はニヤリと口元を歪めていた。
「誰が為すとも分からぬ計画を支援するのか。ただ集まって気炎を上げ、我等の姿を晒す事か。我等のやるべき事は‥‥」
「結論を言いなさい、結論を!」
カウンター席から野次るアンジェリカ 楊(
ga7681)。
「黙れ! 貴様とは話をしていない。邪魔をしないでくれ、貧乳」
「なっ‥‥! 貧乳は蔑称よ! 微乳と呼びなさい!」
「ありがたい、私が差別主義者である事は君が保証してくれるという訳だ。ならば問おう。君の微乳は一体どこの誰が保障してぐッ!」
顔面に大ジョッキ・ハンマー。
めり込んでいる。
クリーンヒットだ。沈黙する秋月。その瞬間、ファルル・キーリア(
ga4815)が飛び出した。撃沈された秋月を押しのけ、壇上へと駆け上がる。
「みんな。ヴァレンタインは最悪よ。チョコレート争奪戦だとか、私はそんな事には一切興味は無い。こんなイベントはもう見捨てるしかない。こんなイベントはもう中止よ!」
「スクラップあんどスクラップ!」
「うるさいっ! 世の中には色々な格差があるわ――」
何者かによる合いの手をピシャリと遮って、ファルルの演説は続いていた。
しかし。
「――持ちたる者、持たざる者。モテる者、モテざる者。豊かな人、貧しい人」
「胸の事かー!」
「貧乳!」
観客が胸の話題に触れる度――あくまで話題的な意味で――こめかみに血管が浮かび上がる。
「‥‥違うわよ。貧乳ってゆーな、微乳って言え」
「ナイチチ!」
「‥‥くっ」
そんなやりとりを溜息混じりに眺める葛城。
「胸の大小と恋人の有無に、相関関係なんて無いんですけどねぇ」
白ワインをちびりと口に含み、自嘲気味な笑顔を浮かべる。
その落ち着いた様子に頷いて、ひなもまた、感心しての笑顔を浮かべる。
「やっぱり、チョコレートを頂ける方達は落ち着いてますね‥‥」
「そうかしら?」
「友チョコだけでも交換できると違う、そんな印象はあります〜」
のほほんとした態度とは逆に、冷静な瞳がホールの中を見回していた。貧乳コールの嵐に包まれているホールも、先程までは飢えた狼の巣に近かった。本当は彼女が欲しい。本当はチョコが欲しいという点において、中止派は脆弱かもしれなかった。
「やーい、貧乳!」
「おっぱい! おっぱい!」
余りに続く貧乳コールに腹を立て、アンジェリカは血染めのハリセンを振り上げる。
「だから、貧乳って言うなって言ってるでしょお! 微乳って言いなさいよ!?」
「貧乳のくせに生意気だ!」
「引っ込め、貧乳!」
「馬鹿、元々引っ込んでるだろ」
「アンタ達ねえっ!」
ハリセン片手に観客に飛び掛るアンジェリカ。ファイターの面目躍如。強烈な一撃が能力者の頭を叩き伏せる。
その一撃が契機となった。
「何をするだァー!」
「やっちめぇ!」
やられた側とその仲間たちが新聞紙を手に反撃に転じる。
このままじゃ乱闘になると見て立ち上がるエミール。
「ちょっと待‥‥」
「おー、やれやれーい!」
エミールの背中から誰かが勝手に煽り立てる。愕然として振り向いても誰もいない。煽られたと思った傭兵がエミールにヘッドロックを仕掛ける。反撃する。騒ぎが大きくなる。
「やはりこうなりましたか‥‥」
困ったような笑顔で手帳を閉じる神無月。
迫りくる攻撃を、近くの傭兵を盾に防ぎ、時計を眺める。まだまだ夜は長そうだった。
「なーにやってるんだか‥‥」
伊藤が、椅子に寄りかかって脚を組んだ。
馬鹿騒ぎを肴に楽しむ。これほど美味い酒は無い。
「もう一杯いくかな」
「伊藤さん、三枝さん、何か、騒ぎがこっちの方へ迫ってきてますけど」
「‥‥仕方ない。よし、後退するぞ」
ジョッキを手に移動する伊藤。
三枝やジェームスもその後に続く。無意味な争いに巻き込まれるつもりはないのだ。
「仕方ない。そろそろ止めてきますか」
飲み干したジョッキを机に残し、立ち上がるクラーク。
付き合おうと言って、アッシュが続けて立ち上がる。
こうして騒ぎが広がるにつれ、ホール内は参加者とそれを制止する者達、そして横で見て楽しむ観戦者に分かれていった。
「ク、ククク‥‥面白い、面白いじゃないか」
ずるずると起き上がる秋月。
「ここで戦力を磨り潰すというのなら、それも良い。重要なのは戦力の数ではない。だが‥‥無意味に磨り潰されていくのを見るのは、とても悲しい事ではないか」
ひびの入った眼鏡を掛けなおして、喧騒の渦中で立ち上がる。
演台に片肘を突いて、彼は宣言した。
「諸君、宴はまだまだ続くぞ。ここで終わらせるには早い! 手段を問わずに帰投せよ!」
帰投を促すその演説に、少なくない乱闘者が眼を向けた。そうして集まる視線を前に口端を吊り上げ、右手を掲げる秋月。
「そして、地獄を作るぞ、諸君」
乱闘が止む様子は無いが、離脱するには好都合だ。
彼は人と人の合間を縫い、出口へと向かって歩いて行く。
「待ちなさい」
何者かが襟首を掴む。
貧に‥‥アンジェリカだ。
「君は‥‥」
「ちょっと。逃げる気なの?」
「はい。そこまで」
横合いからの声にきょとんとして振り向く。
葛城が笑顔でアンジェリカから秋月を引き離す。
「胸の事は私から言って聞かせておきますから、ちょっとお貸し下さいな」
「え、けど‥‥」
有無を言わさず、葛城はアンジェリカから襟首を受け取ってそのまま秋月を引きずって喫茶店へ向かう。別に逆ナンという訳ではない、ただ、バレンタイン当日の予定なんかを聞いてみようと、ふと、そんな事を思いついたから。
騒ぎが広がったのを見て、ソフィリアは屋台へと歩み寄る。
「さてと、そろそろ良いかしら」
矢神兄弟に頼んで屋台の裏へと回ると、大きな紙袋をひとつ取り出した。そう、しっと団が散々警戒していたソフィリアによる友チョコは、このようにして秘匿されていたのである。
騒ぎが大きくなって誰もがそちらに注目、或いは参加している間隙を縫って、ソフィリアはチョコを取り出した。
「わ〜いソフィリアちゅんのチョコだ〜キュホ〜イ♪」
相変わらずトリっカー君スタイルの楓は、チョコを受け取ってバタバタと羽ばたいた。まずは自分の懐へ入れてから、さっそく彼女のチョコ配りを手伝いだす。ただ、中には受け取ろうとしない者もいて。
「やっぱり、知らない方からもらうのは、ちょっと‥‥」
困った顔をして首を傾げるひな。
「はいはいそういう子には‥‥お姉さん、ものすっごくサービスしちゃうんだから〜♪」
「え‥‥えぇ〜!?」
羽根を広げ、一足に飛び掛る。
逃げようとするひなに抱きつくや、ひなが何と言おうと放しはしない。
「や、やめて下さい〜!」
ひなが眼を廻した頃、先程まではぎゅうと掴んで話さなかった楓が、案外あっさりとひなを解放する。というのも、その懐にはちゃっかりチョコをねじ込んであった。おそらく、ひなが気付くのも帰宅後になるだろう。
張やユーリら、元より受け取るつもりだった傭兵達に次々とチョコを渡していく二人。
そんな中、『その男』は突然現れた。
「このチョコを作ったのは誰だあ!」
板チョコを手に、配布会場に乱入する影。先程まで携帯を弄っていた氷雨だ。
「女将を呼べえ!」
「どうかしましたか?」
ソフィリアはきょとんと首を傾げ、楓と顔を見合わせる。
「このチョコは偽者だ、食べられないよ」
ぶしつけな態度に思わずムッとする楓。
「どういう事よーっ!」
「チョコってものは本来、天然の良質カカオを使うものだ!」
説明をしながら、自然な所作で楓からチョコを受け取る。
ぱくりと一口かじって、首を振る。
「それがどうだ、このチョコは! 養殖カカオを使って‥‥こ、これは!?」
わざとらしく驚く氷雨。
「まったりとしてコクがあり、シャッキリポンとした歯ごたえ‥‥!」
突然始まる某対決の如き品評に、戸惑い、たじろぐ。その瞬間を、氷雨は見逃さなかった。当然の勢いを以ってして『おかわり』を掴み、ガツガツと喰う。
「しかし、所詮はこの程度だ‥‥!」
「何枚も食べといてそれは酷〜い!」
ぷうと頬を膨らませ、楓の羽根が氷雨を叩く。
だが、そんな抗議もどこ吹く風。氷雨は流しの美食評論家を気取り、背を向けて歩き出す。
ここまでは完璧だった。
「ふ。来月の今日、また来て下さい。俺が本当のチョコをご馳走してあげますよ」
「ふーん‥‥」
「それじゃ」
軽く手を掲げて帰ろうとした彼の首襟を、数人が掴んだ。楓だけではない。
そのまま後ろ引きに引き倒し、数人で取り囲む。
「ホワイトデー」
誰かが、ボソリと呟いた。
「うっ‥‥」
「ホワイトデーに三倍返し」
白日――俗にホワイトデーと呼ばれるものの起源は中国の故事に由来する。
当時、とある郡司が賄賂を受け取っていると噂された。その事を皇帝にとがめられた郡司は決して賄賂ではないと誓い、その誓いを白日の下に示すため、受け取った贈り物を必ず三倍にして返すようにしたという。
その事を聞いた皇帝は以下略。
――民明書房刊『ばてれんたいん暗殺拳闘法』より抜粋。
「大丈夫ですよ、まだまだありますから」
やれやれと首を振るソフィリア。
「あの、一枚下さい」
控えめにそっと伸びる腕。
その腕の主を見て、ソフィリアはあらと首を傾げた。
腕の主が、しっと団員の一員である筈の蓮角だったからだ。何故と眼で問われ、彼は恥ずかしそうに頭を掻く。
「‥‥何だかんだ言っても欲しくない訳じゃあ無いんですよ」
彼は、騒動が拡大するこのチャンスを窺っていたのだ。
「仕方がありませんわね」
「は、あはは‥‥」
蓮角の手に置かれるチョコの包み。
にへらと様相を崩した蓮角がチョコを見ると、そこには一枚のメッセージチョコが差し挟まれていた。
『拾う神もなく、今後あなた方には未来永劫捨てる神ばかりがつき纏うのですわ』
「こ、ここここれは‥‥」
「このチョコこそが、敗者たるあなた方に送る、『ぶっち義理チョコ』ですわ」
「馬鹿な‥‥こんな‥‥!」
暗い闇を含む笑み。
笑みは薄っすらと、ソフィリアの顔に浮かび上がった。
その凄惨な笑みで見つめられて、震え、後ずさる蓮角。手にしたそのチョコが、今となっては劇物にすら見える。
しかし、その瞬間、雷鳴のような轟きと共に、蓮角の顔は床にめりこんだ。
「遊んでんじゃないわよ〜!」
クラリスのハリセンだった。強烈な一撃は蓮角を叩き伏せたが、一歩間違えば、彼の手にしたチョコを粉砕し兼ねないものだった。その様子を見咎めて、藤田が思わず立ち上がる。
「貴女、ちょっとねえ」
気迫に怯むクラリスに歩み寄って食べ物を粗末にする気かと食らいつく。
加速する混乱。
「このままじゃ‥‥」
いつの間にか蘇っている佐渡川が、人ごみを駆け抜ける。
「このままじゃいけないっ、貴女みたいな人が、こんな場所にいてはいけない!」
駆け抜ける影には誰も気がつかなかった。そう、ソフィリアだけを除いて。ふと彼女が振り返ったその時、佐渡川はぎゅっと手を握った。
「早く避難するんです!」
佐渡川は、その手を決して放さず、また、足も止めなかった。
行く手を阻む――というか進路上にいただけ――男たちを振り払い、彼は店を飛び出して夜のミュンヘンを走る。初めて握った女性の手は暖かく、どこか骨太にも感じた。
「推進派も中止派も関係無い。僕は、僕はただアナタとの愛に生き――」
正面から伝えようとして、佐渡川は振り返る。
「うーん、悪いけどそういう趣味は無いなぁ」
「‥‥」
大泰司だった。
佐渡川――再起不能。
●The Great War
戦いは、虚しい。
死屍累々の転がるビアホール。
「これは‥‥屍累累ですね‥‥一応片付けておきましょう‥‥」
もう大分客の減ったビアホール。うんと小さく頷いた神無月は、慣れた手付きで死体を店の隅に積む。粗大ゴミとして出しておこうかと聞いてはみたが、店主によればその必要は無いとの事だった。
彼はそうして店の隅へ積み上げると、満足そうな表情で店を後にした。
「来年もまたやってくんねえかなぁ」
店主は、電卓を片手に被害計算をする一方で、入場料に頬を綻ばせている。もちろん、他所のホテルや食堂なんかもカモが大量でぼろ儲けだ。
「友チョコっ貰うのってこんなに楽しいんだから、バレンタインってイイよね〜♪」
「ね〜♪」
楓にぎゅうと抱きつく菜。
そうして、喧騒に直接参加しなかった殆どの者達もまた、無傷で戦場を後にする。
「く、くくく、今のうちに笑うが良い。まだまだ真の恐怖はこれからだ‥‥」
死体の中から誰かの声が聞こえたが、そんな言葉、今更気にも留めない。
勝ち組の余裕とでも呼ぶべきか。
「何て事だ。戦いを未然に防げないとは」
「今回はちょっと分が悪かったねェー」
ツィレルの言葉に、獄門が腕組みして頷く。
そんなホールの中、辛うじて形を保っている演台に、風間が立った。
胸に手を当てる。その手にはチョコレートが握られているが、口をつけた様子は無かった。
「ばれんたいんが‥‥恋人同士専用のイベントだったなんて‥‥」
喜んで受け取った。
そのチョコを目の前にしても、食べる事が叶わない。
何か少し、イベントの趣旨や内容を勘違いしている気がしないでもないのだが、仕方が無いではないか。
「チョコレートを二人締めしようとしているカップル達に僕が言いたい事はただひとつ‥‥滅びよ‥‥!」
戦場跡地と化したホールをゆっくりと見回し、風間は虚しそうな表情で顔を伏せる。
後に第一次ビアホール・バレンタイン紛争と呼ばれるこの闘争劇は、その後、傭兵の関与有る無しに関わらず延々と続けられていく事となる。
一言の貧乳から始まったこの紛争は、中止派と推進派の複雑な力関係から瞬く間にビアホール内全域に波及。クリスマス――ではなくて。24時までには乱闘も終わるさ。と。誰もがそう笑って乱闘に加わって行ったのだ。
CTSの世紀、一回目の今日は――‥‥
彼のジャケットから、はらりとメモが舞った。
『結論。ばれんたいとは混沌を呼ぶ怖いもののこと』