●リプレイ本文
「試食‥‥ですか?」
新条 拓那(
ga1294)の申し入れに、担当者は暫し、きょとんとした。
「あ、え、えぇ、勿論構いませんとも!」
ワンテンポ置いて、大喜びで提案を承諾した担当者。席を立ち、携帯を手にその場を後にし、奥へと引っ込んだ。
「試食だそうです。えぇ、本店で構いませんね? これはチャンスですよ!」
担当者は小声のままマーロンへ告げ、携帯を閉じた。
会社側の目的は、簡単に言えば公告効果である。となれば、本店で試食してもらえば、シャッターチャンスを窺うのも容易だ。
もっとも、彼等自身はそんな事は露知らず、お菓子を貰う以上は、きちんと味を見ておきたかった、という事である。レーゲン・シュナイダー(
ga4458)に至っては、これから臨むであろうお菓子を想像してか、口元が緩みっぱなしだ。
どちらにしても、ナミュール社の計算と、彼等の思惑は見事に合致し、一行は本店へと移った。
●菓子選び
――ナミュール社の直営菓子店。
その本店は、ベルギー共和国の都市ナミュールにあった。街中にはフランス語やドイツ語等、複数の言語で記された看板が並び、店内の案内板の言語は、それらに輪を掛けて充実している。
「‥‥凄い量だな」
愛輝(
ga3159)が、一人ごちる。
店内に足を踏み入れた彼等を待ち受けていたのは、お菓子、お菓子、お菓子の、山。
様々なお菓子が所狭しと並べられているその雰囲気は、一見すると雑貨屋のようでもあり、なるほど確かに、庶民派の製菓業というに相応しかった。
眼鏡を揺らし、菓子の山に眼を輝かせるレーゲン。
「プレゼントに選ぶ前に、試食させて頂けるんですよね?」
「どうぞ、お好きなだけ試食なすって下さい」
担当者のその言葉に、満面の笑みを浮かべる。
その担当者が、ホワイトデーについて一通りの知識を述べる。バレンタインデーに関するヴァレンティヌウス司祭の殉教や、その一ヵ月後に、当事者の二人が改めて愛を確認した事等だ。
「せやけど私にしたら、知り合いとお菓子を交換するもん、って印象の方が強いな」
クレイフェル(
ga0435)は日本への留学経験があり、当然、と言うべきか否か、日本における"元祖"ホワイトデーも経験している。
「そもそもホワイトデーって、和菓子の老舗が『バレンタインのお返しにマシュマロ』って発案した所から来てるんやろ? 白くてふわふわーのマシュマロで、女の子の想いの詰まったチョコを包み込む‥‥せやから、元祖っていうか、元々は、マシュマロがホワイトデーの贈り物な訳や」
――と、そういった意味があるからこそ、彼はマシュマロの前を素通りしていく。
彼がホワイトデー経験者なのは確かだが、それと恋人の有無は別問題。本命チョコとは縁が無いさけなぁ、とは彼の弁だ。
「なるほど、言われてみれば、確かにホワイトデーというのは日本ならではか」
クレイフェルの解説に、白鐘剣一郎(
ga0184)が頷く。彼は留学経験も何も、日本生まれの日本育ち。古流剣術を修めた生粋の日本人だ。春先らしい、控えめな明るさのジャケットを着込み、店内を見回している。
「ラストホープで日本の方に聞かされるまでは、私も知りませんでした」
レーゲンは目移りを隠しもせず、幸せ一杯といった風だ。
お菓子を、それもイベントである以上は、おそらくはコレと狙った美味しいお菓子を食べるイベントという時点で、彼女にとっては十分だ。十分どころか、素晴らしさも有り余って釣銭が戻ってくるぐらいだろう。
「それにしても、これだけあると何を選んだものか悩む」
白鐘は微かな苦笑を浮かべていた。
こういったイベントに縁の無い生活を送ってきたが、折角の機会でもある。選ぶ以上は、しっかりと選ぶ心構えで訪れている。
「えぇ、まるでお菓子御殿ですね」
驚き半分、落ち着き半分に、石動 小夜子(
ga0121)が呟いた。
「それにしても、私のような者が宣伝の役に立つのでしょうか‥‥?」
気になったお菓子を少しずつ試食させて貰いながら、ワンピースをなびかせ、しずしずと歩きまわる。奥ゆかしそうな雰囲気を、その歩き方にも漂わせている。もっとも、自分が宣伝の役に立つのか心配してしまう辺り、控えめで、真面目の上に生を感じさせる程のものだ。見た目から感じる雰囲気は、間違いではない。
「うん‥‥これは彼女に合いそうだなぁ。するとこっちはあの子で‥‥」
一方新条は、また別の意味で、真面目に悩んでいた。
知人の女性にプレゼントするにしても、誰に何を送ると喜ばれるのか悩む。それが、彼にとってのホワイトデーの楽しみ方、醍醐味である。
‥‥と、そんな中で、一番最初に違和感を持ったのは、愛輝だ。彼は、知人達に配るプレゼント、お菓子を選んでいる最中だった。お返しといった習慣だけに限定せず、日本のバレンタイン等にも見られるような、広義の意味での好意、友愛の印として利用された方が良いだろう、と、彼自身が考えた結果だ。
そして、その違和感の矛は何か‥‥彼は店内に意識を張り巡らせる。
正体は直ちに知れた。
店内、柱の影に人が隠れた。手元で光を反射したのは、レンズ。簡単に考えれば、カメラマンだろう。
気付かぬ振りをして、愛輝は菓子へ視線を落す。
「そういう事か‥‥」
多少の悪戯心が湧いたとて、非難される事は無いだろう。
愛輝が立ち位置を替えてみたところ、カメラマンがこっそり移動している事も見て取れた。これで、黒だ。
変化は一瞬。瞳を真紅に染め、愛輝が跳ねた。
常人に反応しきれる速度ではない。はっと気付いたカメラマンが逃げようとするが、あっさりと回り込まれ、尻餅を付く。
「何をしている?」
「え、えぇと‥‥」
「あ、写真撮ってる人が居ます!」
素っ頓狂な声の主は、レーゲンだ。
指差しての指摘に、カメラマンがびくりと跳ね上がり、だらだらと冷汗を垂れ流す。
「お邪魔にならないようにしなくては‥‥!」
が、続いた言葉は酷く勘違い。カメラマンの視界からつつと離れ、彼女なりに気を使っている。その時のカメラマンが心を代弁して曰く、これが天然というものか‥‥閑話休題。
「全く、何を撮影するつもりだったんだ?」
「どーも話がウマイと思ったら‥‥」
小さく溜息をつく愛輝に、遠くから眺める新条。
「ま、いっか。今はお菓子の方が重要だし♪」
それでも別段、気にする風は無い。彼等二人だけでなく、他の皆もカメラマンの存在には気付いたが、皆、実害が無い限りはほどほどに放って置こうと考えた。
●プレゼント
お菓子を前にしたクレイフェルの眼は、真剣そのものだ。
試食用のお菓子を手にしてはじっくりと眺め、ひょいと口へ放り込む。
「うーん‥‥」
最後にぺろりと唇をひと舐めし、顎に手を当てる。端から見れば、真剣そのものに見えるが、何故そこまで真剣なのかは不可解、というよりも、少し不思議か。
「おいしくないんですか?」
石動の声に、はたと気付く。
「や、お菓子を作るのも、食べるのも大好きなんや。せやしつい真剣にな」
パッと笑顔を広げて、指で頬を掻く。
お菓子の選び方は、人それぞれ。
クレイフェルは自分で作る参考にも、と思って選んでいるし、愛輝は世話になっている人へプレゼントする為、メッセージカードも手に取っている。石動の場合は、味から、甘いものを好んでいる、といった風だ。
百人いれば、百通りの楽しみ方がある、という事だろうか。
「基本的に皆、好き嫌いはないはずだが‥‥」
店員におススメを問い掛けて、白鐘が悩む。兵舎で面識を持った知人の女性達それぞれにあったものを選ぶとなると、中々大変だ。そう簡単に選べるものではない。それでも、店員との相談で菓子を選んでいく。彼は、簡単に妥協するような性格ではない。
顎に手をやり、長身の背を屈め、ショーウィンドーを前に眼を細める。中々難しいと思えていた菓子選びも、思っていた以上に悩み甲斐がある。
(彼女には、こちらのが似合うだろうか?)
似合うだろうか、喜ぶだろうか‥‥そんな風に考えながら選ぶ事に夢中で、自分でも気付かなかったのだろうか。
ふと、口元が綻ぶ。
楽しい笑顔というよりも、幸せそうな笑顔だ。
「うん、これだな」
意を決して、最後の一つを手に取る。
残念な事はロシアンチョコレートの存在で、やはりベルギーにとっては遠い国なのだろうか。フランス系等のチョコは見付かるのだが、ロシアン‥‥となると、取り扱っていなかった。
「皆どうだ? 良さそうな物は見つかったか?」
「ん、甘いものは苦手なので‥‥自信はありませんね」
皆からの助言を頼りにしつつ、愛輝は菓子を選んだが、如何せん、自分の味覚でこれと決められた訳ではないから、多少自信が持てない。
「俺は、それで良いと思うぞ。それよりも大切なのは、気持ちの方だろうからな」
愛輝は眼を伏せるように俯き加減に、頷いた。それとも、頷いた、風に見えたのだろうか。表情までは崩していないが、眼元が、心なしか小恥ずかしそうにも見えた。
彼が先程手にしたメッセージカードには、親しい知人達への一言が書き添えてある。
一枚一枚丁寧に、それぞれ、渡す人の事を考えて。
一見ぶっきら棒にも見える彼は、しかし、彼なりに考えてプレゼントを選んでいる。既存品である以上、本当にお返ししたい人へは送れないというような、古風なところまで見せている。
「で、これは俺から二人へ。誕生日おめでとう&これからよろしく&いつもありがとう、だよ!」
場を明るくする、新条の声が響く。
新条がぽんと手渡したのは、石動とレーゲンの二人。レーゲンへは、フランス菓子のマカロンにヒヤシンス、石動に送ったのは、ホワイトチョコのトリュフ――あのコロリと転がるチョコレートに、桃の花。
大きすぎない、控えめな花を添えて、お菓子を手渡す。
それぞれ、相手の誕生日を意識しての誕生花だ。
その気の利かせようは、人によっては気障に見えたかもしれない。だが、実際にそうとは感じさせないのは、彼の物腰が自然だからだろう。彼自身、己をフェミニストと自負する程では無いにせよ、紳士的たらんと心がけている。
「いつも兵舎でお世話になってるお礼です♪」
「私、殿方から贈り物を戴くのは初めてです‥‥その、私からのお礼にこれを‥‥」
「二人とも、有難うだよ〜」
受け取った二人の、返礼の贈り物。けれどそれは、まったく違う反応だった。
レーゲンの渡したものは、飴の詰め合わせだ。色彩豊かに散りばめられた棒付きの飴を纏め、英字新聞を外側に、内側へセロファンを仕込んであて、まるで花束のような包装だった。オマケに本物の、控えめなかすみ草も添えられている。
対する、石動は緊張のあまり手は震え、心臓が波打ち、無作法にならぬようにと気をつける余り、手から取り落としそうにさえなる。渡したプレゼントは、無地の白布に赤リボンで包装されたマシュマロ。
「おねーさん、手ぇ出して」
「はい?」
にんまりと笑うクレイフェルに、レーゲンが両手を差し出す。
「ハイ、どーぞ」
「うわぁ、有難う御座います」
ちょこんと乗せられたのは瓶詰め。レーゲンのお菓子好きを知ってか、中のキャラメルは甘さたっぷりだった‥‥と、クレイフェルがひょいと身を乗り出す。
彼が眼にしたのは、石動が新条に渡した御菓子だった。
マシュマロと言えば、そう。
その意味から、彼は貰った事は無い。
彼自身は、本命や友達とか、贈り物の意味を気にする方では無い。気にする方では無いのだが、ここまで直球だと少し気になる。
じいっと、新条の手にあるマシュマロを眺め、新条、石動と、順に顔を見比べる。
石動を見た途端に、彼女が顔を赤くする。
「わっ、私、何か無作法を‥‥?」
おろおろと落ち着きを失う石動。
当の石動がマシュマロの事を知っていたのか、それは解らなかった。
●ところで記事の事だけど
カメラマン達が、悔し涙を流している。
撮影は見付かってしまったし、少し脅かされたり、天然攻撃くらったり、それでも引っ込みが付かないで、隠れて撮影を続けていて。
その上手元には、クッキー。数人は泣きつつぼりぼりむさぼっている。
『お仕事お疲れ様です。お菓子があるのですが、御一緒に如何ですか?』
試食会の終了後、しずしずと近づいてきた石動が言い放った一言。
手には、クッキーの詰め合わせだ。
どうも彼等にとっては、敵に情けを掛けられた、と感じたらしい。なのにその笑顔が良かったものだから、頷いてホイホイお菓子を戴いてしまった訳で。
きっと写真も没だろう。
そう思っていた。のだが。
「何だ、こういう写真を待ってたんだよ!」
大喜びしたのはマーロンだ。
「ギャップが良い! もっとスマートなのを想像していたが、いや、私が甘かったなあ!」
そこにあった写真は、ふと、カメラマンの存在すら忘れ、菓子選びを楽しんでいた白鐘の横顔。造花やセロファンで装飾した、乙女チックな包装菓子を手にするクレイフェルや、他にも、かさばらん程の巨大缶―もちろんお菓子の詰め合わせ―を手にするレーゲン等も写っている。
皆、カメラに気付いていたとは思えない自然な楽しみ方だった。
後日――『傭兵達の意外な休日、意外な一面』『戦いだけでない、イベントの楽しみ方さえもプロ』と、何だか景気の良い文言が紙面を囃し立てていて、もちろん、ホワイトデーに関する記述も載っているし、ナミュール社の宣伝だって忘れていない辺り、ちゃっかりしている。そして、彼女彼等の写真が、雑誌の紙面に彩りを与えている。
――というより、むしろ此方がメインだった。
この宣伝でどれほどの売り上げが伸びたか、具体的な数字は解らない。
ただ、ナミュール社から粗品が送られてきた辺り、悪くは無かったのだろう。
それからこの写真、少しばかり人気を博したようで、一部でスキャンや切抜きが流行ったとかそんな話もあったりするのだが、それはまた別の話‥‥