●リプレイ本文
イタリア半島南部、前線近くの野営地には、普段と違う明かりが溢れていた。
仮設の兵舎も並ぶ野営地から響くのは、演奏‥‥音楽だ。
中でも気を引くのは、近年の流行曲以外の、明るく、時に微かな哀愁を誘いもする民謡だった。粗末な壇上を、軍用の大型ライトが煌々と照らしている。空がさわやかな青色をしていても、民謡が奏でられていようとも、間違いなく、ここには戦場の空気が残っていた。
野営地に響くのは、民謡「アビニョン橋の上で」だ。
兵士達は飲物を手に聞き入り、或いは手拍子を合わせ、壇上を見上げる。
ステージは、傭兵達が現地入りした後に組み上げたものだ。
基礎部分は現地の兵士達が準備していたが、最後の仕上げや、ライトのセッティング等は、銀野 らせん(
ga6811)も含め、彼等全員で協力して完成させた。
「ほむ。やはり前線は、何処も同じく酷いですネ」
演奏を終えた赤霧・連(
ga0668)が、小さく一人ごちた。
カウボーイハットを頭に、エレクトーンから指を離し、彼女は兵士達をちらりと見た。原曲通りの民謡は、ともすれば、兵士達に望郷の念を起させたかもしれない。皆沈んだ表情こそしていないが、心此処にあらずと言った風で、どこか遠くを眺めているかのようだ。
「俺は、この仕事が出来て凄く嬉しいと思ってる‥‥」
彼女のエレクトーンに合わせて唄った諫早 清見(
ga4915)が、笑顔を見せた。
傭兵としての実績を積む傍ら、彼は音楽系のタレントも目指している。彼が見回してみても、ステージ周囲に集まっている兵士達は、まだ元気を取り戻しているようには見えなかった。
弾ける様な音が、一瞬、響く。小鳥遊神楽(
ga3319)がエレキギターの弦を押さえている。
「まさか、こんな機会が訪れるなんて思っても居なかったけれど‥‥せっかくの機会だもの。思い切り、今の自分に出来る最高の演奏をしてみせるわ」
「兵隊さんも、苦しい戦いを続けてきたのですから、出来るなら私達で励ましたいですしね」
同じようにギターを抱えて、樹エル(
ga4839)が頷く。楽器を扱う事に関しては経験も豊富で、彼女は様々な楽器を持参している。
音楽はまだまだ続く。
演奏もパーティーも、まだ始まったばかりだ。
●ちょっとお行儀が悪くても
一方、屋台にも似た仮設カウンターにも、兵士が集まっていた。
演奏の続くすぐ隣、ステイト(
ga6484)が包丁を振るい、兵士からのリクエストに答えている。
「忙しそうだな、大丈夫か?」
「大丈夫です。疲れた人達の為に、できる限りの事をしたいですからね」
カルマ・シュタット(
ga6302)の心配に、ステイトが余裕を見せる。
音楽や料理に特別な技術を持たないが故に、彼は裏方や手伝いに徹している。そしてその気配りは、普段の大雑把さからは思いも寄らない程細かな点に目の付いた、的確なものだった。
辺りに机のようなものは幾つか置かれているが、椅子らしきものは見当たらない。より大勢が参加できる立食パーティー、或いはダンスパーティを意識したもので、赤霧や、樹エル(
ga4839)の発案だ。
兵士全員が一度に参加する事は無理と見て、その事もきちんと配慮されている。
流石に、複数回に分けて実施するのは難しいと言われたものの、こうした形式であれば、兵士達が出入りするにも自然で、盛り上がった際の熱気が失われる事も無い。多少行儀が悪くとも、前線は前線。それほど気にする者は居ない。
「お、お仕事は大変でしょうけど‥‥今日は楽しんでくださいね」
カウンターの中、少女が走り回る。
レア・デュラン(
ga6212)だった。若干12歳ながらも喫茶『ルーアン』の店長を務めており、ステイトもまた、同店の店員(アルバイト)である。実家から差し入れた菓子類やテーブルワイン――デュランの父親曰く、フランス男性を高揚させんならこれが一番!――もあってか、会場はさながら場末のバーと言った所で、兵士達の愚痴や世間話に懸命にふんふんと頷くその姿は、本当に酒場のマスターのようだった。
ふと、音楽の様相が変わる。
「伝えたい想いがあるんだ
キミがただそこにいる、そのことは
ボクの夢にさえ力をくれてる」
最初、緩やかに唄っていたそのリズムが早まり、加速する。
「素直に願いと向き合えば
その声にその歌にキミの命は
輝き出せる また立ち上がる
必ず応えてくれるから――」
●Tres bon
アップテンポに終わる諫早の「いのちのうた」に背を押されて、会場の雰囲気が少しずつ動き始める。
続くのは、赤霧の民謡だ。今度は、原曲通りの演奏とは違う。
「オ・パ・キャマラード――」
盛り上がりに、赤霧が目配せする。樹から、小さな頷きが返ってきた。
歌詞はそのままに、ただひたすらに、優しく、力強く、それでいて、愉快な「クラリネットをこわしちゃった」、彼女自身も大好きな曲。まるでスキャットのようにも聞こえるアップテンポに押し上げられ‥‥そして続く、ダンス。その流れのままに、音調はディスコミュージックへと移り行く。
樹の音感が機微を捉え、反応する。
弥が上にも、場の雰囲気が明るくなる。
「ほら、疲れただろう。お茶でも飲んで少し休憩しよう」
壇上の彼等に掛けられた声は、カルマからだ。
緑茶の入れられた紙コップを手にし、彼等傭兵による、仮設の音楽隊へと差し出した。
「ありがとう」
少し肩を揺らして、赤霧や諫早が手を伸ばす。
手渡して、カルマは兵士達の様子を見回した。
「バグアがいるからこそ、こんなにみんなが大はしゃぎするのかもしれないな‥‥」
「そうかもしれないね」
カルマの言葉に、諫早が頷く。
音楽にテンションを上げた兵士達は、うっすらとアルコールも入り、踊り、しばしの息抜きを楽しんでいる最中だ。傭兵達が一息つく合間を、小鳥遊や樹がリクエストに応じ、ダンスミュージックで支えていた。
「こっち向いて」
ふと飛び交った言葉に、樹が振り向く。
「ん?」
何かが光った。一瞬の事にきょとんと、しかし直後には、苦笑するしか無かった。長期化する戦いが故の鬱積か、はては地中海の風土に馴染んだか、インスタント写真を手に、兵士が陽気に逃げて行く。
盛り上がりを見せるステージを眺めながら、ステイトは料理を続けている。
「はい、お味噌汁なども作っておきました、あったまってください」
振るわれた包丁が作り出すのは、フランス兵達には馴染みの薄い、日本料理。野菜の漬物や魚料理、味噌汁等の、簡素で味わい深い料理が次々と完成する。酒の肴としては漬物等が人気だったが、全体としては、名前ぐらいしか耳にした事は無い一連の料理を、興味深そうに味わっている。
中には、どうしても馴染めないという兵士も居たが、ステイトの料理は、彼の腕前もあり、大いに好評だった。
そして、ルーアン地方支部と書かれた看板にも、それとなく人目が集まっている。
「最後に、あたしのオリジナル曲を聴いて。これでみんなを力づけける事が出来たら嬉しいかな」
小鳥遊のよく通る声が、スピーカーから響く。
彼女には、インディーズのギタリストとしての演奏経験があり、一人の演者として、プライドがある。幾ら前線慰問とは言え、無様な舞台を見せる訳には行かない。だからこそ、今日の為に特訓を重ねて来た。
「‥‥」
すぅ、と、酸素で胸を満たす。
「突き進め! 切り開け! 明日を!」
赤霧の電子オルガンに、樹のギターが重なる。
「友と共にいざ進もう! 今はその手に思いを込めて!」
バックミュージックを背景に、小鳥遊の歌声が弾けた。演奏は佳境だ。
「友を信じていざ進もう! 僕らはいつも一人じゃないから!」
ぴたり‥‥と演奏が止まる。
直後に、万感の拍手が沸き起こった。くるくると踊っていた兵士達も足を止め、盛り上がりの余韻を残したまま、演奏に手を叩く。ここまでの盛り上がりを見せれば、もう何も問題は無い。明日からまた、彼等にとっての、非日常的な日常へと戻る。時折のこうした楽しみを糧に戦いへと戻るのだ。
ただ。
「Allons enfants de la Patrie――」
ふと、さえずりが耳をくすぐった。
傭兵や、或いは一部の兵士には聞きなれない音楽だったかもしれない。だがそれは、大多数の、駐留兵の中核を成す彼等フランス軍ならば、誰もが一度は聞いた覚えのある曲だった。
国歌であり、軍歌であり、革命歌、La‐Marseillaise。
レアもまた、ノルマンディー出身のフランス人だ。
その彼女の小さな歌声に合わせて、樹がギターの弦を揺らした。諫早が透き通る声をマイクに吹き込む。と同時に、周囲の兵士達が、一人、また一人と口ずさむ。歌詞を知らない兵士達、おそらくはフランス以外の兵士達もまた、この戦線で戦うフランス人の背を叩くように、共に口ずさんだ。
その光景は、『カサブランカ』のワンシーンを思い出させた。
違うのは、今、彼等の敵は同じ人類であるドイツ人ではなく、バグアであり、そしてこの土地は、彼等の奮戦により、まだバグアの手には落ちていないという事だ。
そして、彼等の元を訪れた傭兵達の慰問が、もしかすれば最良の補給となるかもしれなかった。
後日、イタリア戦線にある噂が流れた。
ラ・ピュセル――戦場に、兵士達にとってのラ・ピュセルが現れると。
噂は噂。尾ひれも付けば内容もちぐはぐで、およそ信憑性には乏しいが‥‥ちょっとした噂は、噂故に、噂なればこそ、兵士達の心を軽くした。