タイトル:天国の景色マスター:御神楽

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/06/25 02:15

●オープニング本文


●事の発端
 最前線は流動的で、前線は毎日のように一進一退を繰り返している。
 当然、競合地域や前線付近での物価は、天井知らずに上昇したりして、住民の生活は厳しくなる一方で――ところが当然、これをチャンスと見る者達もいるわけで。
「構わん、あるだけ買い占めろ!」
 電話口に向って、髭面の男が叫んだ。
 高級そうな葉巻を吹かしながら窓から外を眺めている。
 窓の外、屋敷の正門付近、自動小銃を構える私設警備員達の前に、避難民達が押し寄せていた。今にも衝突しそうな、一触即発の危い雰囲気だ。
「ふん、好きなだけ喚け」
 葉巻を磨り潰し、男はにやりと笑った。
 やがて、最寄の警察署から署長が現れた。引き連れた警察官がびっしりと正門を塞ぎ、警察署長が難民達を説得する。
「群集で押しかけるのは暴力と同じです。以前と同じように代表者によって交渉すべきです。それに、諸君は難民、外国人なのですよ。今ここで騒動を起こせば、立場が悪くなってしまう。それで困るのは、皆さんではないですか――」
 紳士的な態度とその言葉に、少しずつ解散していく群集達。それでも数人が、正門の前に居残っている。
『ケーン様、いらっしゃいますか?』
 手元の通信機が鳴り響く。
「どうした?」
『代表者が数名残っております。もう一度面会をと求めてきておりますが』
「断れ」
『しかしそれは‥‥』
「聞こえなかったのか? 断れ」
 受話器をおき、一方的に会話を打ち切る男。
 暫くして、警察署長も引揚げた。あれだけの事を言っておきながら、警察署長もケーンのやり口には口を噤んでいる。ケーンと「仲良く」なってから、懐は常に暖かい。彼は「友人」の味方だからだ。
 後には、不満そうに座り込みを続ける数名の代表者が残されただけだった。


●天誅
 その日、エミールは警備依頼を受諾し、難民キャンプにいた。
 数日の警備を終えた最終日、彼女はテントの中、コーヒーを口にしていた。
「――という事なんですよ、酷すぎます」
 溜息をつき、肩を落とす初老の女性。
 白髪交じりの頭を傾け、机の上で組まれた己の手を、じっと見詰めている。
「ふぅん‥‥」
 コーヒーを飲みつつも、女性の話に耳を傾けるエミール。
 難民達の話によれば、この地域に屋敷を構えるケーンなる資産家は、幾つかの倉庫を持っている。
 その倉庫は生活必需品、特に食料によって満杯になっていた。バルカン半島における攻防戦によって発生した避難民達が、この地に難民キャンプを構えたのはただの偶然であった。が、彼等はその話を聞きつけ、ケーン氏のもとへ交渉に訪れた。
 そこで聞かされた言葉は、耳を疑うものだった。
「悪いが、物資は売らんよ」
 一瞬きょとんとした代表者達が、尚も食い下がる。
「何も我々は、タダでくれと言っている訳じゃない。きちんと代金はお支払いするし――」
「十倍」
「は?」
「国内――いや、地域価格の十倍の値を支払って頂けるなら、売っても構わんよ」
 代表者は絶句した。
 十倍と言う法外な価格もさる事ながら、彼等は難民だ。取る者も取り合えず逃げて来た者達に、そんな金があろうものか。よしんばあったところで、少しも買えば資金が底を突くだろう。
 ありとあらゆる言葉に動じず、ケーンは帰れと告げる。
 私設警備兵が姿を現したかと思うと、両脇を拘束し、代表者たちを摘み出してしまった。
 そして遂に、交渉にすら応じなくなってしまったのだ。
 売却を拒否するその理由は、簡単だった。
 実際に十倍もの高額に高騰するかどうかはともかく、彼は、物価の上昇はまだ続くと睨んでいる。最終的には政府やその他の大組織を相手に一括で売却、それも時価で売れば良いと考えていた。
 経済という存在をコントロールするのは不可能である。だが、流れを読む事は可能だ。 
 値段を吊り上げずとも、価格の天井を見極める事さえ出来れば十分過ぎる利益をあげられるのだ。それも時価で売却するのだから、対外的には極めて良心的に写るだろう。難民如き発言力の無い者達が幾ら喚こうが、彼にとっては何ら問題では無いのである。

 エミールは、経済だ何だの詳しい事は知らない。ただ、おそらくそのケーンという男は、投資家として優秀なのだろうと想像した。想像して同時に、どうしようもなく腹が立った。
「がめついやっちゃなあ‥‥」
 立ち上がるエミール。
「すまないね、愚痴ばっかり聞かせてたような気がするよ」
「ええってそんなん。気にせんといて。何も力になれんけど、愚痴ぐらい聞くよってに」
 小さく笑い、テントから出るエミール。
 そしてそのまま、立ち止まった。
 周囲がにわかに慌しい。
「何かあったんか?」
 難民を掴み、問い掛ける。
 驚いたように振り返った難民の一人が、怪我人だ、撃たれたと騒ぐ。まさか――ハッとして駆け出した。ざわめきの中心には、医療テントがあった。満足に器具も無い中、町医者が無償で診察をしていた。そんなテントが、騒ぎの中心だった。
 薄汚れた白衣を着た男性が、椅子に腰掛けている。
 だが、その診察の手は止まっていた。
 眼の前には、血塗れの少年が寝かされていた。
「先生、治療は?」
「もう、必要ない‥‥」
 直後、母親と思しき女性が泣き崩れる。
 医者は己の膝を叩き、顔を伏せた。
「倉庫に盗みに入ろうとしゃあがったんだ。そりゃあ、悪い事さ。だけどよ、不法侵入だからって、正当防衛だからって、納得できるか‥‥!」
 彼等の言葉を聞きながらも、ぷいと背を向けるエミール。
「待ってくれ、傭兵は何でも請け負うんだろ?」
「頼む、何とかしてくれよ!」
「このままじゃ泣き寝入りじゃねえか!」
 周囲から投げかけられる、声。
「傭兵は何でもやる人間とは違う。それに、金にならん仕事はやらんのや。それに、何とかって、どないせいっちゅうねん?」
 冷たくあしらい、サングラスを掛けなおすエミール。ベレー帽を被ってジャケットを羽織り直すと、その表情が隠れた。
「――ま、せいぜい頑張りや」
 その取り付く島も無い言葉に、ある者は唖然とし、ある者は罵声を投げかける。仕事は今日で終わりだからと付け加え、一切顧みず、難民キャンプを後にするエミール。
「‥‥」
 八重歯が唇を噛みしめ、血を滲ませた。
 その瞳がぎらぎらと、正面を見据えている。やがて、その猛禽類のような瞳に、薄っすらと十字星が浮かんだ。

●参加者一覧

黒川丈一朗(ga0776
31歳・♂・GP
アイロン・ブラッドリィ(ga1067
30歳・♀・ER
金城 エンタ(ga4154
14歳・♂・FC
張央(ga8054
31歳・♂・HD
蛇穴・シュウ(ga8426
20歳・♀・DF
水流 薫(ga8626
15歳・♂・SN
筋肉 竜骨(gb0353
24歳・♂・DF
鴉(gb0616
22歳・♂・PN

●リプレイ本文

「みんなが‥‥みんなが笑顔でいられる明日が‥‥欲しくて、僕は戦って‥‥いるんです‥‥なのに‥‥なんでっ!」
 ぬかるみ気味な地面に膝をつき、金城 エンタ(ga4154)が、己の膝を握り締めていた。
「なんで子供が撃たれなきゃいけないんです、死ななきゃいけないんですかっ!」
「なぁ、アンタ、ちいとばかり話しせんか‥‥?」
 エンタの嗚咽の合間を縫い、彼の耳に響く囁き。
 眼を転じると、エミールがじっと、彼のことを見つめていた。

「エミールさん、先日の不義理はごめんなさいね」
「ん、いや、気にせんといて‥‥」
 蛇穴・シュウ(ga8426)の言葉に、首を振るエミール。
 別の依頼での事であるが、色々事情もある。エミール自身、あまり細かい事は気にしないタチだ。
「不法侵入と窃盗未遂で死刑は重過ぎる、ね。いや、まぁ、ありがちって言えばありがちだけど、さ」
 ひょいと肩をすくめる水流 薫(ga8626)。
「だけど、ねぇ?」
「少年が撃たれた、なーんて、弟がいた身としてはな‥‥」
 応じた鴉(gb0616)が苦笑した。言葉が過去形になっているのは、その弟も既に居ないからだ。
「難民生活は私も経験がありますが‥‥」
 溜息交じりに眼を伏せるアイロン・ブラッドリィ(ga1067)。あれほど不安で、極限状態に追い込まれたことはない。そんな人々の足元を見る――なんともやりきれなかった。あまり過激な事を望みはしないが、かといって、見てみぬ振りもできなかった。

「黒川丈一朗(ga0776)さん‥‥と言ったね。それで用件は、自分を雇えとか?」
 ケーンの言葉に、丈一朗が小さく頷く。
「羽振りが良いと聞いたんでな。ラストホープに帰る前に一稼ぎしたいんだ。能力者の傭兵を、バグア以外で雇える機会なんてそうないぞ」
 口元からぷかりと煙草の煙を吐き、丈一朗は続けて喋りだす。
「報酬は現金で。前金と後払いで、それぞれ同金額でな」
「ふむ‥‥」
 身辺が騒がしいのは確かであったし、能力者の力というものを、自身の眼で確認しておこうという心理も働いた。そして、丈一朗が睨んだ通り、ケーンは金を基準にして損得で物事を考える男だ。感情で動く人間は信用ならないと考えている。
 ケーンが頷く。
「宜しい」
 身辺警護を主な任務として、彼は私兵に雇い入れられた。


●一日目夜
 難民キャンプに、甘みのある香りが漂っていた。醤油や黒酢の入り混じった香りだった。容器を手に順番に並ぶ難民達。ほぼ立ち食い状態のまま、彼等は受け取った水ギョーザを口に運ぶ。
「なんと無残な‥‥私もっと早く来ればよかたヨ」
 怪しげな訛りで、張央(ga8054)が水ギョーザを配っていた。
 愚痴をこぼしていた難民が、溜息混じりに水ギョーザを受け取った。
「人の心忘れる、きっと報いあるヨ。今に天罰下るネ。驕れる者久しからずヨ」
 人の良さそうな笑顔を浮かべる張央。
 が、周囲からはそれと解らないものの、その脇には銃が吊り下げられている。手伝いのシュウも同じように銃を隠し持っている。
 焼け出された難民達の気持ちというものを、シュウも解らないではない。
 まな板の隣に置かれる材料。材料や道具も、全て自前。張央が自腹を切って10万程都合した。買える分量はタカが知れている。それでも、不満のガス抜きぐらいには、十分な筈だと思われた。

(これほどの資産を持ちながら、苦しんでいる人達に目も向けない‥‥なんとも狭量ですね)
 並ぶ倉庫を眺めながら、アイロンは心の中に呟く。
 ドアを開いて中に足を踏み入れ、隠れ潜む素振りも見せず、うず高く詰まれた荷に手をつける。そして、わざと荷の山を突き崩した。
 盛大な音が鳴り響き、複数の足音が彼女の元に迫る。
「動くな!」
 ライフルを構えるケーンの私兵。
 既に覚醒を解除しているアイロン。小脇に抱えていた物資を手放さず、懇願するような声を絞り、叫んだ。
「お願いします、私達に食料を分けて下さい!」
 足元を弾丸が跳ねた。
「ケーン様、また盗みです。如何致しますか?」
 通信機で連絡を取っていた隊長がちらりとアイロンを見やる。
「解りました。では、後ほど警察に引き渡すという事で‥‥」
 その言葉と共に別の私兵が銃を振るい、彼女を銃底で殴りつけた。乱暴に引きずって外へと連れ出して行く。これぐらいの仕打ちは覚悟の上だ。まずは、奴等に捕まってしまわなくてはならない――うずくまるアイロンは、一人、笑みを噛み殺した。

 屋敷の屋根を何者かが走る。鴉だ。
 警備兵が周囲に居ない事を確認すると、そっと窓を開いた。就寝前のワインを呷っていたケーンが、驚き、振り返る。
 男は小太りで、その顔はマスクに隠れていており、唯一口元でだけ、皺が寄っている事を認められた。とは言えその実、この出で立ちはアイロンの協力による変装だ。腹部にはタオルが仕込まれ、口元はメイクで整えられている。実際の鴉は、もっと優男な風だ。
「私の名はブラン。親バグア派の強化人間だ」
「何‥‥?」
 息を呑むケーンを相手に、鴉は続ける。
 自分の属する親バグア勢力に協力しろ、と。その内容は、UPCに渡るのを避ける為に食料売却を引き伸ばし、生身の人間を寄越せという過激なものだ。
「高値でも人が欲しい。うるさいものが売れるんだ、良いだろう? だが怪我があれば格段に値を下げるぞ」
 人身売買とは、余りに危険な賭けだ。だが今の彼には、手元に捕らえた盗人がある。少なくない逡巡が彼の表情に浮かぶも、最終的に結論を下したのは、金だった。鴉がごとりと置いたケースの中に、札束が詰まっていた。この金も、アイロンの都合したもの。
 100万いえば、彼のような資産家には大した額ではない。されど、人を用意すれば金を準備するぞという証明としては、十分だった。
「宜しい、人間でも何でも用意しよう」
「よし。ところで、警察の関係者で仲間に取り込める者はいないか?」
 眉を持ち上げるケーン。頭に思い浮かんだのは、あの警察署長だ。しかし、あの署長は小物だ。信用ならない男で、こんな綱渡りに参加させては、事を仕損じると思えた。
「さぁ、心当たりは無いな‥‥」
「そうか? なら仕方ないな」
 承諾したケーンに念書を書かせ、口外すれば地獄を見るぞと念をおし、鴉は屋敷を立ち去った。


●二日目夜
 私兵向けにと宛がわれた部屋で、丈一朗が煙草を揉み潰した。
「そろそろか‥‥」
 立ち上がり、廊下へと出る。窓に寄りかかってうとうととしている私兵を見つけると、彼は問答無用で拳を叩き込んだ。流れる電流に悲鳴一つあげられず、身体を折り曲げて崩れる私兵。無線機を取り出すと、彼は待機している仲間達へと連絡を入れた。
「おっ、連絡が入った、ね」
 通信機を手に、薫がにやりと笑みを浮かべる。
「隠密ってのは柄じゃないんだけど、一つ間違えれば台無しになるからな」
 応じて、筋肉 竜骨(gb0353)がセリアティスを握り締めた。
 覚醒と共に逞しい肉体がますます逞しく盛り上がり、彼はセリアティスを肩に背負い、夜の屋敷へと駆け出した。
「さて、それじゃ俺も行くか」
 スコーピオンをホルスターから抜き、薫も後に続く。
「少し眠っててもらおうか!」
 飛び出す竜骨に、私兵が驚き、銃を向ける。
 しかし、傭兵の素早さに対応できる訳も無い。セリアティスの柄で殴られ、気を失って昏倒する。立ちはだかる私兵を次々と気絶させ、突き進む竜骨。とある部屋を蹴破った。中で腰掛けていたのは、アイロンだ。
 銃底で殴られた部分が、少しあざになっていた。
「助けに来たぜ」
「有難う御座います。後は皆さんの動き次第、ですね」

 屋敷の隣に、トラックが横付けされた。
 積荷は私兵。全て気絶させられ、手足は縛られている。
「それじゃ、これが手紙」
 鴉が懐から手紙を取り出し、丈一朗に手渡す。
 竜骨は荷台から顔を出すと、声も上げずに豪快な笑みを浮かべた。
「こいつらの事は任せておけ」
 親指を立てる竜骨。ゆっくりと、トラックは屋敷から離れていった。向かうのは街の郊外。人目に付きにくい場所へ兵士ごと置き去りにしてくる手筈だ。ケーンを屋敷から連れ出すまでの間おとなしくしていて貰えれば、それで良い。
 砂利を蹴って走るトラック。
 その音に、ふと、ケーンが眼を覚ました。
「‥‥誰かいるか。何の音だ?」
 常夜灯のスイッチを入れるケーン。
 ドアをノックする音に、胸騒ぎでも覚えたのか、神経質そうな声で入れと命じる。ドアを開いて足を踏み入れたのは、丈一朗だった。傍らには、シュウの姿もある。
「ポストにこの手紙が入っていた」
 手紙には、難民達に事が露見してしまった事、資産については保証するという事、保護する為に指定場所で待っていろとの旨が記されていた。どういう事だ、私兵どもはどうしたと喚くケーン。
「どこへ行ったのかは解らない。ただ、難民に傭兵が味方しているらしいな」
 丈一朗は、決して嘘をついていない。
「能力者と言ってもこの程度か‥‥役立たずめ!」
「まぁまぁ、抑えて抑えて」
 飄々とした声が、廊下から聞こえる。シュウだ。護衛に遣わされたのだと告げるシュウに疑いの眼差しを向けるケーン。
「ご自分でどうにかできるというのなら、ま、帰りますけど?」
「くっ‥‥!」
 手早く着替えたケーンが、手荷物一つで屋敷を飛び出す。
 玄関に横付けされていた車へ乗るようにと促すシュウ。運転しているのはエミール、助手席には、エンタが腰掛けていた。
「貴様はクビだ!」
 動じる様子も無く肩をすくめる丈一朗。
 むしろ好都合だったからだ。
「これにサインして頂けませんか?」
 エンタから差し出された書類に、ケーンは首を傾げる。
 その書類は食料物資の類を、全て難民に開放すると誓約するものだ。資産の保障や、新たな地位のポストを約束する、とエンタは念を押した。彼は断るが、難民を宥める一時的なものだと言われれば、止むを得ない。
 最早、彼には選択肢が残されていないのだ。


●制裁
 競合地域へと差し掛かり、車は停車した。
「ど、どうした?」
「降りろ」
 エミールの一言に、眼を見張るケーン。
 隣ではシュウがライターを探してポケットを叩いて、やがて諦め、銃を引き抜く。
「火が無いや‥‥まぁ、彼方にはこちらの火で」
「どういう事だ‥‥」
「私がこの世で一番嫌いなものはバグアです。二番目に嫌いなものは、連中の作り出した状況に便乗するゲス野郎です」
 何が起こったのかを理解したケーンが、ドアを開き、転がり落ちるように車を降りる。続けて降りる三人の傭兵。その様子を、遠くから薫と張央が眺めていた。
「こうも見事に嵌ってくれて、感謝します‥‥これで、心置きなく‥‥っ!」
 SMGの銃底が、エンタの言葉と共に思い切り振り下ろされる。
「盗みを働いたのは奴等だ、俺が何の法を犯した!?」
 痛む肩を抑え、後ずさるケーン。
「彼方が、もう少しだけ優しければ‥‥!」
「ま、待て!」
 容赦なく、エンタは銃を振るい続ける。
「あの子は‥‥盗みに入らなかった‥‥」
「やめてくれ! わた、私が悪かった! 私が悪かっ‥‥!」
「死なずに済んだ、筈ですっ!」
 大きく振り上げ、彼は力いっぱい銃を振り下ろした。
「助けてくれぇ!」
 泥水に汚れながら、血の混じる己の頭を抱え、ケーンが顔を伏せる。続く衝撃を彼は恐れたが、何時まで待てども、何もおこらない。そっと瞳をあげる。エンタはエミールにタックルされ、二人共々、地に倒れていた。
「もう良い‥‥もう良いんだ」
 ゆらりと顔を上げるエミール。
「約束しろ、あの誓約書は撤回しないと」
「解った、約束する!」
「なら行っちまえ!」
 腰を抜かしたまま後ずさるケーン。
 そんな彼を、シュウが持ち上げた。残る左目で、ぎろりとケーンを睨みつける。
「人は法に従って生きるべきですよ、人道にもとるゲス野郎を守る結果になるものだとしてもね」
 時折躓きながらも、ケーンは一目散に駆け出した。
 元はといえば、完全に私的制裁、ヤクザな理屈。処遇はお天道様に任せるのが筋ではないか、とも彼女は思う。良いのかと問われて、エミールは通信機を手にした。
 泥水にへたり込んだまま、張央へ通信回路を開く。
「――あぁ、良えんよ。奴は反省すると言うた。もし、もしそれが本当やと言うんなら、構わへん‥‥」
『そうか』
 万が一始末するならと申し出ていた張央だったが、その必要も無いかと思われた。やや暫くして、ケーンが走ってくるのが見えた。彼の前に立ちはだかり、薫が姿を現す。
「ここは戦場真っ只中、このまま荒野を行っても野垂れ死ぬだけです、よ? 国内――いや、地域価格の十倍の値を支払って頂けるなら、売っても構いません」
 いつか聞いたその言葉にケーンは言葉を詰まらせ、懐から出した財布を丸ごと投げつけ、薫がキャッチした。声を荒げ、ジーザリオへ向かうケーン。
「覚えていろ‥‥奴等を許しはしない! 屋敷に戻ったら、小うるさい難民共々、必ず‥‥!」
 乾いた銃声が響いた。
 張央が銃を構え、静かに佇んでいた。
「上海にも色々な奴がいましたがね‥‥」
 裏社会を生きてきた彼は知っている。人それぞれに過去や主義があるものだ。だが、それでも確かな一線が存在している――やむを得ぬ結末だったろう。決して、皆が望む結末ではなかったかもしれないが。
 ふと、香港ノワールを思い出した。彼自身は、上海の出身だったが。


「拉致監禁の噂があるので調査に来ました。が、どうやら本当だったようです、ね」
 難民達を前にする薫。
 その腰には銃が吊り下げられており、物資を受け取る難民達を眺めている。武装している彼が見渡している以上、列を乱したりするような事はそうそう起こらなかった。
「人間笑顔が一番ってものよ!」
 力自慢に荷物を配る竜骨。
 彼等の立場は、あくまで無償で協力に訪れたフリーランス。
 他にも鴉が、ケーン直筆の誓約書をマスコミに届けている。無論、あの変装は解き、すらりとした細身のままで訪れていた。丈一朗によるバグアに協力していた疑惑に対する言及もあった。
 一方、ケーンの遺体は遠く離れた競合地域で発見された。
 その遺体を見て、警察署長は己の置かれた立場を理解したのだろう。息を呑み、親バグア派に殺害されたとして早々に処理してしまった。
 そして――物資の譲渡を記した書類のサインもまた、ケーン直筆によるものだ。死の直前に書かれたそのサインに、遠くはなれた競合地での射殺体。バグアに協力していたのではないかという疑惑と、物資を無償提供するような慈善家という二つの顔を与えられて、ケーンはこの世を去った。
 傭兵の存在は噂だけに終わり、もちろん難民に嫌疑は掛けられていない。
 後日、粗末な墓に花が添えられていた。
 誰が置いていったのか、それは誰も知らない。