●リプレイ本文
静かだった。
日中のデパートで人々の喧騒が聞こえてこないというのは、真夜中に訪れる時よりもよっぽど不気味に思えた。
館内がかなり乱雑に散らかっているのは、キメラの突然の出現で、人々が雪崩を打って逃げ出したせいだろう。
此度のキメラは流動体。スライム型というよりも、アメーバ状に近いらしい。となれば、隠密行動はお手の物というわけだ。知能の程度、感知能力の種類などがわからない以上、相応の用心をしなければならない。
行動の最終確認をし終えた八人の能力者たちは、作戦の成功と互いの無事を各々の言葉と行動で示すと、それぞれの役割へと向かって行った。
『どうですか?』
無線機から聞こえてきた水無月・翠(
gb0838)の問いに、ティル・エーメスト(
gb0476)は少々難しい表情を浮かべた。
「使っていないよりはマシ、という程度でしょうか‥‥」
彼は今、モニター室にいる。
店内の各所を映す幾つもの監視モニターの前に立ち、『探査の眼』を使った状態で映像を見ていた。
翠に答えた言葉は、その効果についてであった。
カメラ越しの映像という時点で得られる情報が限られているせいか、『探査の眼』は本来の力を発揮できずにいた。
『そうですか。では私と交代しましょう。今からそちらに向かいます』
モニター室へは五階の従業員通用口から行けるので、交代するのも簡単だ。
「了解です」
無線機を口元から離し、ティルは再びモニターへと注意を傾ける。
モノクロの画面はどれもが静止画のようで、とてもそれが映像だとは思えないほどだ。
それほどまでに、動きがない。
探索をしている仲間達も、それぞれに思うところがあるようだった。
「静かね‥‥本当にいるのかしら、キメラ」
「出て行ったという報告はありませんし」
「何処かに潜んでいるのだろうな」
ケイ・リヒャルト(
ga0598)、皇 織歌(
gb7184)、桑原将監(
gb8070)の三人は、二階の紳士服売り場から探索を始めていた。
館内には緩やかなBGMが流れているのみで、その他の物音と言えば、自分達の発てる音しかしない。
売り場を一通り回ってみたが、襲撃もなければキメラの痕跡すらも見当たらなかった。逃げ遅れた一般人が立て篭もってやしないかとトイレにも捜索の手を伸ばしたが、収穫はない。
「次に行くか」と桑原。
「三階は子供用品ね」とケイ。
「個人的には、一番気になるところです」
皇は視線を上にやる。
逃げ遅れる可能性が高いのは、やはり子供だろう。但し子供の場合、大人しく隠れていられるかどうか、という問題もあるが。
念入りに探すことを心に留めながら、皇はエスカレーターへと足を乗せた。
地下一階では、瞳 豹雅(
ga4592)と佐賀重吾郎(
gb7331)が行動を共にしていた。
豹雅は猫科の動きを連想させるしなやかな跳躍で陳列棚に飛び乗ると、周囲をぐるりと見渡す。だが、目ぼしいものは見当たらない。
「誰かいませんか? 生きてるなら息してくださいな」
器用に棚の上を飛び移りながら声を掛けて回るが、反応を感じることはできなかった。
「バックルームに行くか」
売り場に収穫なしと見た佐賀の言葉に同意して、二人は従業員通用口へと向かった。
所狭しと荷物が置かれた通路を、全方向に対して警戒しつつ進んでいく。
「‥‥どうにも罠くさいな」
一通り見て回ったところで独白した佐賀に、豹雅は視線で問い掛けた。
「キメラ共がこちらに気付いていないとは考え難い。にも関わらず襲ってこないということは、何処かで罠を張って待ち構えているとは考えられねーか?」
「有り得ますね」
「ま、だからなんだってことはねーんだけどな。どうせ斬り砕くだけだし」
そう言って大振りの薙刀を肩に担ぎ、佐賀は不敵に笑うのだった。
洋食店に踏み込み、中の様子をつぶさに観察する。
特に異常は見られなかったが、ここでもやはり、料理や食材などが無残に転がっていた。
それらを見て、鴉(
gb0616)は悲しみと苛立ちを覚える。
安らかなひと時を踏み躙られた人々や、犠牲者の遺族のことを思うと、自然と手に力が入る。
しかしそれも僅かな間のことで、鴉は息を吐き出して心の乱れを鎮めた。
注意力を散漫にするわけにはいかない。
向かいの店舗を探索し終えたティルが、こちらと同様に得るものなし、といった表情で出てくる。
「ネズミ一匹、いる気配がありません」
怪訝そうなティルの感想に、鴉も同じ思いだった。
「ですよね。いくらなんでも静か過ぎる」
モニター室にいる翠からも、変化を告げる報告は入ってこない。
ただただ穏やかな音楽が流れ続けているのみで、これではまるで、
(「俺達が闖入者みたいじゃないか」)
と、そう思った矢先だった。
発信機が音を発て、ケイの声で朗報がもたらされた。
『三階の女子トイレで、女の子を発見したわ』
女の子の年齢は、八歳前後だろうか。
個室の中で気を失っているところを見つけたのだが、何度か声を掛けたり身体を揺すってみても、意識を取り戻す気配はなかった。
「困ったわね」
頬に手を当て、ケイが呟く。
「取り合えず連れ出して、外で待機してるUPC軍に預けませんか?」
「そうね。負ぶって戦うわけにもいかないし」
皇の提案が無難だろうと判断し、ケイは女の子を抱き上げた、その直後。
──何かの、這いずるような音が聞こえた。
反射的に武器を構える皇。
そして一瞬、我が目を疑う。
トイレ中の床、天井、壁が変色し、不気味に蠢いていた。
「出るわよ!」
ケイはいち早く判断して走り出したが、その目の前で出口を遮るように黒く濁った粘液が垂れ塞がった。大人の掌ほどもある眼球が二つ、ぎょろりとケイを睨む。そのおぞましさたるや、常人ならば腰を抜かしかねないほどだった。
「避けて下さい」
背後から、皇のおっとりとした声。
ケイは振り返ることなく、身体を横にずらした。
と同時に、轟音と共に彼女のガトリング砲が火を噴く。
「そんなに私達を召し上がりたいのでしたら、鉛弾のフルコースなど如何でしょう?」
雨霰と浴びせられる弾丸に、出口を遮断していたキメラは一瞬で千切れ飛んだ。
「行って下さい」
「OK、ありがと!」
子供を抱え直し、ケイは全力で走り出す。
出入り口の一匹は蹴散らしたが決して倒したわけではなく、見る間に元通りになっていく。
加えて、邪魔をするのは一匹だけではなかった。
壁や天井、床に張り付いて擬態していたキメラが、ケイに追い縋るのをガトリング砲を乱射させて足止めする。だが数が多く、全てを相手にすることはできなかった。
がら空きの背中を見せるケイに、キメラの魔手が襲い掛かる。
閃光が、走った。
ケイの背中まで届きかけていたキメラの身体は、本体から切り離されて床に落ちた。
「間に合ったな」
短く息を吐き、刀を構えた桑原がケイとキメラの間に入る。
「ありがとう、助かったわ」
「礼はいらん」
その遣り取りをしている間に、ガトリング砲の轟音を響かせながら皇も脱出してきた。
「織歌、この子をお願い。キメラはあたしが足止めするわ」
物理攻撃が効き難いのは明白だった。桑原に切り捨てられた部分や、皇によってバラバラにされた身体でさえ、すぐに戻っていく。
「わかりました。外に届けたら、すぐに戻ります」
ケイの手から子供を受け取った皇は、そう告げると同時に『竜の翼』を発動し、瞬時にこの場を離れていった。
それを見送った後、ケイはエネルギーガンとアラスカ454を構えてキメラへと向き直る。
「さぁて、と。今度はこっちの番よ?」
続々と姿を現すキメラ共に向けて、彼女はサディスティックな微笑みを浮かべた。
片や桑原は、無表情なまでに冷静な様子で、キメラの群を見据えている。
「自分が突っ込んで隙を作る。止めは頼むぞ」
「OK。任せて」
キメラの数は、六体ほどか。
数の上では不利だったが、他の階に回っていた仲間もすぐに駆けつけるだろう。
それを待つ間にキメラに分散されてしまっては困る。
この場に引き付けておく意味も含めて、桑原は単身、キメラの中へと突撃していった。
戦闘の音が、大分はっきりと聞こえてくる。
五階からはティル、鴉、翠の三人が駆けつけてきていた。
エスカレーター横の案内板で、トイレの位置を確認すると、
「すいません、先に行きます」
そう言い残して、鴉が風のように駆けて行く。
一方でティルはとてとてと、重装備の翠はのしのしと後を追うように走る。
途中で音もなく走る豹雅が追いついてきたところで、戦いの場へと辿り着いた。
丁度、一体のキメラを片付けたところのようだった。
鴉がスパークマシンαで生じさせた電圧により、キメラの動きが止まる。そこへ桑原が刀を振り下ろし、眼球を貫くように床へと串刺しにした。そして止めに、ケイがエネルギーガンとアラスカ454を連射し、一気に仕留める。
「ふふ、エネガンに身も心も焼かれる気分はどう?」
止めを刺されたキメラは、蒸発するように薄い煙を上げて消えていった。
「人数も揃ったことだし、さっさと片付けてしまいましょうか」
のっし、と小柄ながら異様に威圧感のある一歩を踏み出し、翠が告げる。
彼女らの背後には、佐賀、次いで戻ってきた皇の姿もある。
「さあ、僕らが相手です!」
勇ましくティルが宣言し、総力戦が幕を開けた。
「斬って斬って斬り砕いてやるぞ!」
佐賀の戦いっぷりは豪快の一言に尽きた。
キメラからの攻撃を受けても怯むことはなく、二メートルもある薙刀を振り回す。
チャンスと見るや、『豪破斬撃』と『流し斬り』を発動させ、跡形もなくなれとばかりにキメラを斬りまくる。
一方で、周囲の玩具類も無残に壊滅していったが、当人に気にしている素振は無かった。
その佐賀とは対極に位置する戦い方をしていたのが、豹雅だった。
舞うようにしなやかな攻防を繰り広げながらも、彼女の武器が周囲に被害を及ぼすことは殆どない。
殆どというのは、機械剣αの太刀先の長さを把握するまでに、少々床や柱などを削っていたからである。
それにしたところで、華麗極まる戦い振りだった。
キメラに隙が生じた一瞬に、残像が出そうな程の勢いで斬って斬って斬り飛ばす様は、見ていて爽快だった。
キメラの不規則な動きに、タイミングをずらさせれて回避し損なった翠だったが、もろともせずに反撃を繰り出した。
周りに被害を出さないように斧を振い、キメラに叩きつける。
彼女に連携して、ティルも白銀の直刀にて攻撃を加えていた。
互いに物理攻撃な為、一撃一撃の効果は薄いが、二人がかりならば知覚攻撃に勝るとも劣らない。
翠が敵の注意を引き付ければ、ティルが斬りつける。
キメラがティルへと襲い掛かれば、翠が斬りつける。
息の合ったコンビネーションに翻弄されたキメラは、完膚なきまでに叩きのめされ、形を失った。
何体か片付き、数で上回れば後は一方的だった。
程なくして最後の一体を仕留めた佐賀が、
「見たか! これぞ、絶頂斬砕流!」
と勝ち鬨を上げたことで、戦闘に幕が下ろされた。
息を吐き、ティルは仲間達を見回した。
「皆さん、ご無事ですか?」
傷を負った者は何人かいたが、どれも軽傷の類だった。
それも鴉が甲斐甲斐しく応急処置をして回っているので、結論としては被害などないようなものだ。
「一応最後に、見回りしましょう」
豹雅の提案に、皇とティルが同行を申し出る。
鴉が負傷者の治療を粗方終えた頃、豹雅らも見回りを終えて戻ってきた。
「なにもありませんでした。これで解決ですね」
そう言って、ティルは晴れやかな笑顔を浮かべた。
「では、出ましょうか」
翠の言葉で、腰を下ろしていた者も立ち上がり、一行はデパートの出入り口へと向かって行った。
外で待機していたUPC軍に任務完了の報告をしている最中、鴉がふと視線に気付く。
気になって目をやれば、小さな女の子がこちらの方を見ていた。
「助けたのって、あの子ですか?」
ケイの脇腹を肘で軽く突き、聞いてみる。
「ん? あぁ、うん、そうよ。まだ救急車に運ばれてなかったのね」
鴉に答えながら、女の子に向かって笑顔で手を振る。
それが恥ずかしかったのか、女の子はちょっとだけ大人の影に隠れてしまった。恐らくは母親だろう。視線を上げれば、泣き顔で深々と頭を下げていた。
気付いた仲間達も、頭を下げたり手を挙げたり敬礼したりと、思い思いの方法でそれに応える。
「大丈夫みたいだね」
ほっと胸を撫で下ろすティル。
「無事で良かったですね」
翠の呟きは、全員に共通した思いだった。
「キメラも駆除できたしな」
桑原に取っては、そっちの方が重要そうである。軍人気質が故だろうか。
「戦時下でこんなこと言うのも温いかもしれないですけど、やっぱりこういう日常って守りたいですよね」
鴉が感慨深げにデパートを見上げていた。
傾き始めた陽がガラス窓に反射し、眩く輝いている。
「温いということはないと思います」
落ち着いた口調で、皇が。
「そもそも、その日常を取り戻す為に拙者ら、能力者の存在はあるんだからな」
ぶっきらぼうだが、同意を示すように佐賀が。
二人の言葉が嬉しくて、鴉は目を閉じて微笑んだ。
「まぁ、なるようになりますよ」
細い目を更に細めて、豹雅がマイペースな口調で言った。
「はは、そうですね」
頷き、鴉は目を開けた。
「それじゃあ、帰りますか」
役目を終えた以上、残る理由もない。
軍の人々と挨拶を交わし、一行は車に乗り込もうとする。
その背中に、
「ありがとぉ、おにーちゃん、おねーちゃん!」
小さな、しかし一生懸命な声が、届いた。
それはほんの些細な言葉ではあるが、全ての苦労が報われるような、最高の報酬だった。