●リプレイ本文
悲鳴が聞こえてきた。
苦痛に満ち、絶望に溢れ、心を磨り潰す悲鳴が。
「行きましょう。元より罠は覚悟の上です」
辰巳 空(
ga4698)の言葉を受け、全員が覚醒状態へ移行する。
状況は極めて不透明だ。中の様子はまだ確認できていない。だからと言って突入を躊躇うわけにもいかなかった。
バイク形態のAUKVに、皓祇(
gb4143)とドクター・ウェスト(
ga0241)が乗り込む。
中の様子がわからなくとも、基本方針は変わらない。キメラと滝口を引き付ける班と、人質を救出する班。
皓祇とドクターの人質救出班はやや後方に陣取り、残りの六人がシャッター前に待機する。
ドクターが頷き、それが合図となった。
ブレイズ・S・イーグル(
ga7498)と堺・清四郎(
gb3564)がシャッターを斬り裂き、他のメンバーが残骸を蹴り飛ばして倉庫内へと突入する。
途端、途轍もない無い悪臭が襲い掛かってきた。
肉の腐った臭いと、血のすえた臭いと、濃密な獣臭さが混ざり合った異臭だ。普通の人間ならば、数分と耐えられないだろう。
吐き気に耐えながら、一同は素早く視線を走らせる。
倉庫内にはまるで獣が食い散らかしたかのように、元々は人間であっただろうモノの残骸が幾つも転がっていた。
そして、映像にあった四体のキメラと、滝口の姿も目に留まる。それに加えて──大型のキメラも。
背丈は三メートルほど。悪魔じみた顔に、恐ろしく太い腕と鋭利な爪、丸太のような尻尾には刃のような棘が生えている。
人質は倉庫の奥の薄暗がりの中に転がされていた。
そこまで辿り着くには、どう考えてもその大型キメラが邪魔だった。
「遅かったなぁ〜能力者の皆さんよぉ!」
揶揄するように声を張り上げる滝口。
奴は若い女性の顔を鷲掴みにし、宙吊りにしていた。もう片方の手にはナイフが握られており、生々しく血が滴り落ちている。
女性の身体は正視に耐えかねる有様だった。原型を留めているのは頭部だけで、あとはもう無残という言葉すら陳腐に思えるほどの様相だ。
「暇だったからまた一人潰しちゃったじゃねぇかぁ〜」
愉悦に満ちた滝口の声。表情がグロテスクに歪められる。
「くっ‥‥」
ドクターが歯を食いしばっている。見れば、ぶるぶると身体を震わせていた。
滝口が宙吊りにしている女性の姿──二十代ほどで、ストレートの長い髪──が、ドクターに過去の光景をフラッシュバックさせたからだった。
「‥‥許さない!」
覚醒による眼の輝きが、感情の昂りに呼応するように強さを増す。
「ここまで下衆な奴は久しぶりに見たぜ‥‥」
心の底から込み上げてくる嫌悪感を、清四郎は吐き捨てた。
それ以上の言葉は、もはや不要だ。
確認済みのキメラ共へ猛然と突撃するのは、イーグル、サイオンジ・タケル(
ga8193)、清四郎、杠葉 凛生(
gb6638)の四人。
須佐 武流(
ga1461)と辰巳 空(
ga4698)は大型キメラへ突っ込む。
やや間をおいて、仲間が道を拓くことを信じ、皓祇の操るAUKVが疾駆する。
「ははははははは! さぁさぁ、盛り上げてくれよぉ?」
滝口の哄笑が、耳障りに響いた。
「狙うのはアレだな‥‥」
蠍型キメラと相対したイーグルは、最も脅威であろう尾針を鋭く見据える。
先制はキメラからだった。
顎、鋏、尾針による三連撃を、イーグルは弾き、いなし、かわす。その勢いを利用して蠍キメラの側面に回り込むと、尻尾を斬り落とすべく剣を振り下ろした。
だがキメラもただ黙って斬られはしない。素早く身体をずらし、体表の甲殻を削り取らせるに留める。イーグルの体勢が僅かに泳ぎ、そこへ顎と鋏による連撃をキメラは繰り出す。
体捌きが間に合わず、剣で防ぎ後退するイーグルの姿は劣勢に見えた。
キメラもそう判断したのだろう。
イーグルが鋏をかわして状態を反らした直後、止めとばかりに尾針を繰り出してきた。
致死性の一刺しがイーグルを貫く──キメラはそんな幻を見たかもしれない。
しかしイーグルの姿は、キメラの視界から忽然と消える。力強く踏み込む音が、キメラの斜め後から発せられた。
イーグルは尾針の攻撃を横でも後でもなく、前方の斜め下へと避けた。幾本かの髪の毛が針を掠ったほどの、寸前の見切り。
負ったリスクに相応しい決定機を、彼は得ていた。
身体を覆う紅い闘気が、一層の輝きを増す。
「ヴォルカニック──」
低く構えた姿勢から電光石火の勢いで跳び上がり、
「──ランチャー!」
尾の付け根へと剣を叩きつける。小気味良いとさえ言える音を発てて、蠍の尾が両断された。
迸るキメラの絶叫。それを不愉快だとばかりに、空中で器用に身体を回転させたイーグルの踵落しが見舞われた。
崩れ落ちるように地に伏すキメラ。
そこからは一方的だ。鋏を力任せに叩き折り、頭部を切り落とす。
「よし‥‥次だ」
動かなくなったキメラに背を向け、イーグルは味方の元へと走った。
体を槍の様に突起させてきたゼリーキメラの攻撃を半身でかわし、タケルはワイズマンクロックを飛ばす。
「‥‥頼むぞ、賢者の時計よ」
キメラは機雷の軌道から外れようとしたが、追尾機能がそれを許さなかった。ぞぶん、と体表に食い込むと同時に、眩い雷撃が放たれる。キメラは苦悶の呻きを上げ、激しく体の形状を変化させた。
焦げるような臭いが、タケルの鼻をつく。
見れば、雷撃の中心部が変色し、そこだけ形が変わらなくなっている。
いける、と胸中で呟き、タケルは手元に戻ってきた機雷を油断無く構え直した。
狂ったような勢いで迫り来る、幾本もの槍。それらを冷静に捌き、再び機雷を飛ばす。必中の軌跡を描き、二度目の雷撃がキメラに炸裂した。
焼け焦げた部分が増えたことで、目に見えて槍の数が減る。
「止めだ」
攻め時と判断し、機雷へと力を注ぎ込もうとした──その直前。
タケルは反射的に頭を傾けていた。彼の顔があった場所を、拳大の何かが貫く。
そして連続で響く、無数の射出音。キメラが自身の身体を弾丸として飛ばしたのだ。
避け切れる数と速度ではなかった。
タケルは咄嗟にワイズマンクロックを飛ばしていた。手を伸ばした僅かに先で、キメラの弾丸と機雷がぶつかり合い、雷撃が迸る。
キメラの視界から、タケルの姿が雷撃によって隠される。
認識の空白は、反応を鈍らせる。
それはほんの僅かだったが、決定的だった。
タケルは雷撃の中を突っ切り、キメラへと飛び込んでいた。振りかぶった大鎌は、力強く輝いている。タケルの全身が、雷撃の余波を浴びて輝いていた。
「朽ち果てろ」
キメラの焼け焦げた部分へ向けて、鎌を一閃させる。確かな手応えと共に、死神の刃がキメラを両断した。
タケルは鎌を手放し、機雷を帰還させる。溶けるように崩れ落ちるキメラに最後の雷撃を喰らわせると、キメラの息の根は完全に止まった。
「うおらあああ!!!」
清四郎は巨躯を震わせ、白髪を振り乱して雄叫びを上げる。
それは周囲の大気を振動させるほどの、鬼気迫る気合だった。
跳び上がろうとしていた蚤キメラが、生物的本能による恐怖を叩き起こされて怯む。
とは言え、時間にすれば一瞬のこと。
しかしその一瞬で充分だった。
蛍火が輝きを増し、振り下ろされた刀の白銀の軌跡が宙を裂いて飛ぶ。
予想外の射程からの斬撃に、キメラは防御もままならなかったのだろう。真正面から直撃し、薄汚れた青緑色の体液が飛び散った。
ぐらりと傾くキメラの体。
痛みが怒りを呼び覚ましたのか、目に攻撃的な光が戻り、喰い散らかすべき人間の姿を探す。
だがそれすらも遅い。
既に清四郎はキメラの側面に回り込んでいる。そして全力を注ぎ込んだ渾身の一撃が、キメラを一刀の元に切り捨てた。
完全な勝利だった。けれどもその余韻に浸ることもない。
刀に付いた体液を振り払い、清四郎は人質たちの姿を捜し求めて走り出す。
死角から撃ち出された凛生の銃弾が、蜘蛛キメラの脚を見事に砕いた。
しかしキメラはさして痛手を負った素振もなく、網状の粘糸を吐き出しながら凛生へと肉薄する。
凛生はキメラと一定の距離を置こうとするのだが、粘糸の網に苦労していた。網の広がりが大きいので、大袈裟に避けないと絡め取られてしまう。回避の都度、体勢が崩れるので、効果的な反撃も行えない。
「ちっ、厄介だな‥‥」
満足な遮蔽物もなく、あまり動き回れば粘糸の被害が仲間に及ばないとも限らない。
(「これは早々に仕留める必要があるな」)
凛生は銃から刀へと持ち変えた。
吐き出される粘糸の網。凛生は今度はそれを避けようとはしない。代わりに刀で絡め取った。切り裂こうとしたのでは、成否に関わらず全てを避けきることはできない。
そしてもうひとつ、彼には考えがあった。
凛生はキメラへと一気に接近した。
迫り来る凛生に、キメラは粘糸ではなく脚による攻撃を繰り出す。先端が鋭く尖っている脚。それが四本、微妙にタイミングをずらしながら凛生を襲う。
(「避け切れんな」)
冷静に判断し、腹を据え、蹴り足に満身の力を込め、キメラへ飛び込んだ。
キメラの間合いが狂い、凛生の胴体を狙った刺突は彼の手足の肉を多少削ぐに留まる。
無防備な懐を晒すキメラ。凛生はキメラの口を貫くように、斜め上から刀を突き下ろした。刀はキメラを貫通し、床へと突き刺さる。
標本のように縫い付けられたキメラは、抜け出そうと必死に足掻いたが無駄だった。凛生の刀に絡まっていた自らの粘糸が、それを許さなかったのだ。
「手間かけさせやがって」
銃を手に、凛生が冷ややかに見下ろす。
響き渡る銃声。
キメラが動かなくなるまで銃弾を撃ち込むと、凛生は上着を翻し、物言わぬ死骸へ背中を向けた。
大型キメラに向かって走る武流と空。
一人は滝口に向かうべきかと考えもしたが、まずはこのキメラを抑えなければ、ドクターたちが人質の下へ辿り着かない。
二人は視線を交わし、頷き合った。
そして同時に、スキルを発動させる。
「お?」
素通りされた滝口が、素っ頓狂な声を上げた。
(「待ってろ。すぐに相手してやるさ」)
胸中で呟きながら、武流は一瞬で眼前に迫ったキメラへ意識を集中させる。
キメラの目は、『瞬天速』を使った武流を追えていない。
武流はキメラの脚を踏み台に跳び上がり、がら空きの顎へと強烈な蹴りをお見舞いした。靴に取り付けられた爪が肉を引き裂き、蹴りの衝撃が脳を揺らす。
キメラの巨体が揺らいだ。
そこへ『瞬速縮地』で猛然と突っ込んできた空が、キメラの膝の裏へと刀を打ち込んだ。
咆哮のような悲鳴を上げ、キメラは床へと倒れ込んだ。
そのタイミングを見計らい、皓祇のAUKVが駆け抜ける。
AUKVが停止するのも待たずにドクターは飛び降り、人質達へと駆けつけた。全員が傷だらけで意識を失っているようだが、命に関わりそうな外傷はない。
人数は‥‥五人に減っていたが。
「よし、人質はもう大丈夫だ。コウシ君、思う存分やりたまえ!」
バイク形態からアーマー形態へと変形したAUKVを装着する皓祇に、ドクターは『練成超強化』を施す。
「少し退いてもらいます!」
援護を受けた皓祇は一足飛びにキメラの元へ踏み込むと、渾身の力を以って刀を振り下ろした。
まだ膝立ちだったキメラにかわせる訳もなく、真っ向から斬撃を浴びて、その巨躯が『竜の咆哮』の力で後退する。
「一気に決めましょう!」
二刀流になった空が、追い討ちを仕掛けた。
唸りを上げて地を凪ぐ尾の一撃を跳んで避け、深々と斬りつける。横合いから豪腕が振るわれるが、空に到達する前に武流が蹴り飛ばして軌道を逸らした。
その隙に皓祇が間合いを詰め、キメラの足の甲へと剣を突き立てた。そしてくるりと反転し、「武流さん! 空さん!」と呼ぶ。
両手で手招きの動きをする皓祇を見て、二人は察した。
短い助走をつけ、皓祇に向かって走る。
低く広く構えられた両手に、二人の足が乗った瞬間、皓祇は思い切り手を振り上げた。
一瞬の重みと反動。
空中高く跳び上がった二人の下には、キメラの頭があった。
「くらえ!」
雄叫びはどちらのものだったか。
空の紅の軌跡を描く刃が、武流の高速スピンによって凄まじい勢いのついた蹴りが、キメラの頭部へと炸裂した。
完膚なきまでに潰されたキメラが、地響きをたててゆっくりと倒れ伏す。
これで、全てのキメラが片付いた。
「ははははははは! 強ぇぇ〜! お前ら強すぎ!」
配下のキメラは全て死んだ。残るは滝口ただ一人。盾にできる人質もおらず、逃げるような隙もない。
それでも尚、彼は笑う。
そんな滝口の足を、エネルギーガンの一撃が貫いた。人質の治療を終えたドクターが放った一発だった。
「滝口‥‥いつまで笑っていられるか試してみようか──ん?」
怒りを押し殺したドクターの声に、疑問が付け加えられた。
滝口の足が、銃撃ひとつで千切れかかっていたからだ。
「‥‥強化人間じゃないな? 洗脳者か?」
ドクターの言葉は質問という形を取っているが、それは確認と相違ない。
「痛てて‥‥へひひひひひ‥‥まぁ、そうなるねぇ」
片足で器用に立ち続けながら、滝口は痛みに頬を引きつらせて尚も笑い続ける。
「ひひひひ。割と楽しめたぜぇ? 人間を解体すんのに比べりゃ──」
唐突に、滝口の軽口が止まった。
「なんだよ‥‥最後まで喋らせろよなぁ‥‥」
「すみませんが、人間としてあなたを許せませんので、ここで眠ってください」
皓祇の刀は、滝口の心臓を貫いていた。刀が引き抜かれると、滝口はそのまま崩れ落ちる。床に大量の血が広がり、瞳から光が薄れていく。
「へひ、ひひひ‥‥ま、まだ遊び、足りねぇんだけどな‥‥いいや‥‥先に、地獄で待ってるぜ‥‥ひゃはははっ」
息も絶え絶えに言葉を搾り出すが、その直後、かっと目を見開き、一度だけ大きく痙攣して‥‥滝口は絶命した。
「わかってはいるが、やりきれんな‥‥」
犠牲者のことを思い、清四郎は嘆く。その背には救出することの出来た生存者を担いでいるが、助けられなかった者がいるのも事実だった。
「あぁ。胸糞の悪い男だったな‥‥」
唾棄するように、凛生が呟く。
「こんな奴がいるのも、別段珍しい事ではないさ」
人間なんてそんなものだ、とタケルは告げる。
「それに、俺達に出来ることはやった」
そう続けて、彼は出口へと歩き始めた。
タケルなりに気遣ったのかもしれない。
「五人助けられたんです。今はそれを喜びましょう」
空の言葉に頷いたのはドクターだ。
「そうだね。これから彼らには心のケアが必要だが‥‥それは専門家に任せよう」
意識を取り戻した時、人質だった彼らの目には、世界がどう映るのだろうか。
少なくともそれが、この倉庫の中のような光景でなければいい。
そう願いながら、彼らは帰るべき場所へと、足を向けた──