●リプレイ本文
廃病院の地下。
暗闇の中で、懐中電灯の光がリヴァル・クロウ(
gb2337)の手元を照らしていた。
「こんなところだな」
作業を終え、小さな金属の扉を閉める。
「実際に使えるか試しておくか」
と胸中で呟き、彼は地下を後にした。
■
普段は暗く静かな場所が、今宵は激変していた。
集まったのは大勢の若者。
各々手にした明かりが、周囲の闇を押し退けている。
少し離れた場所で、野宮 音子(gz0303)は溜め息をついていた。
「ネーコ」
声を掛けたのは、優美な浴衣姿の百地・悠季(
ga8270)。
「どうしたの? 主催者がそんな顔してちゃダメよ?」
「‥‥そう、ですよね‥‥」
沈んだ声で、ぽつりと零す。
視線が追うのは、諌山美雲(
gb5758)と諌山詠(
gb7651)の夫婦。
「美雲ちゃんが結婚したなんて‥‥」
身篭っていることも同時に知って、更に驚かされた。
しかも美雲が紹介してくれた彼女の夫は、礼儀正しい美形の好青年。
文句等つけようもなく、その場は取り繕うので精一杯だった。
要するに、彼女は拗ねているのだ。
それ察した悠季は、音子を背後からそっと抱き締めた。
音子の戸惑いは無視し、腕に少しだけ力を込める。
たわわな胸を背中に押し付けると、音子が弛緩するのがよくわかった。
その姿勢を続けること数十秒。
「‥‥ありがとうございます。もう、大丈夫です」
若干のぼせた声だったが、落ち着きを取り戻す音子。
「ん。よし」
身体を離した悠季はその表情に、満足そうに頷いた。
気を取り直した音子は、皆を集めた。
驚かし役を希望した数名は、既に廃病院に潜んでいる。
「ペアはもう大体決まってるし、籤は順番決めに使お?」
用意してきた割り箸をカラカラと振る。
とそこで、
「ちょっと待った!」
弓亜 石榴(
ga0468)が声を上げた。
「ん?」
「音子さん、なんで浴衣じゃないの?」
思わぬ問いに困惑する音子。
何故私だけ、と疑問に思った瞬間、音子は背筋に悪寒を感じた。
見れば、石榴がにやりと微笑んでいる。
「浴衣の用意してあるから、着替えてね♪」
そう言って音子の手を掴み、有無を言わさずマイクロバスの方へと引っ張って行く。
「音子ちゃん、かわいそうに‥‥」
同情しながらも、新井田 銀菜(
gb1376)は石榴を止めはしない。
賢明だ。
しばしの沈黙の後、車内からくぐもった声が聞こえてきた。
『自分で着るから!』
『手伝ってあげるって!』
『や、そこはっ』
『やっぱり下着付けてる! 脱がせてあげるね!』
『自分で、せめて自分で!』
『遅い!』
『待って待って!』
『ククク‥‥知ってるよね? 私からは逃げられないって』
『誰かー!!』
石榴を知る者は合掌し、よく知らない者は只、唖然。
しばらくして戻って来た音子は、表情が憔悴し切っていた。
対して石榴の方は艶々である。
手にしたカメラに、音子の痴態を収めたのだろう。
「お嫁に行けない‥‥」
嘆く音子の頭を、銀菜は優しく撫でてあげた。
音子の復活までどうしようか、となったところ、リヴァルがすっと皆の前に進み出た。
「皆、聞いてくれ」
何やら真剣な表情の彼に、全員の注意が集まる。
「──どうやら、この付近で失踪者が出ているらしい。しかも地元住民の話では、全て女性なのだとか」
途端、不穏な雰囲気が漂う。
「判っている事は、失踪当日の夜、失踪者数と同じ回数のサイレンの音を聞いた、という証言のみである。諸兄は大丈夫だとは思うが‥‥気をつけてほしい」
息を呑む気配が伝わってきた。
「これは何か起きますね」
不安を煽るような発言をするソウマ(
gc0505)。
しかも、
「忘れられない夜になりそうですよ」
なんてことをボソリと付け加えた。
「確かに。あの廃病院、なかなか賑やかですしね」
頷き、ソウマに続く美雲。
病院の方を指差し、
「ほら、あそことか。そこにも。う〜ん‥‥帰れ、って言ってますね‥‥」
何かがいることを仄めかす。
「へ、へえぇ〜? 結構雰囲気ある話っすね」
ガスマスクのキャニスターからモシュウウと、蒸気を吐きながら言ったのは、紅月・焔(
gb1386)だ。
小声で「こいつは、何とも、カエリタイ‥‥」とも呟くが、幸い誰の耳にも届かずに済んだらしい。
「うぅ〜怖いぃ」
東青 龍牙(
gb5019)は既に涙目だった。
しかし同行者のリュウナ・セルフィン(
gb4746)は元気一杯で、
「わくわくするなりよー!」
目がきらきらと輝いている。
「ほんとに幽霊がいるのカナ?」
首を傾げるラサ・ジェネシス(
gc2273)は、不安そうに瞳を揺らしていた。
そんな彼女を安心させようと、エイミー・H・メイヤー(
gb5994)は、
「安心したまえ。我ら、女性の為のゴーストバスターズの敵ではないさ」
と勇ましく告げる。
「紳士として、レディを守るよ!」
夢守 ルキア(
gb9436)もそれに続き、小柄ながらも凛々しい立ち姿は実に頼もしかった。
「お待たせしました。もう大丈夫です」
立ち直った音子が一礼をして仕切り直し、籤を皆に引いてもらう。
「最初は俺達か」
隣の星月 歩(
gb9056)を見ながら、麻宮 光(
ga9696)は肩を竦めた。
歩の怯えっぷりに、安心しろとの気持ちを込めて手を握ってやると、
「お兄ちゃん‥‥」
ほっとした笑顔を浮かべて、歩は息をついた。
ちなみに籤を引く段階になって、最上 空(
gb3976)が体調不良を訴えて参加を辞退したのだが、その演技が余りにも怪しく、誰もが「何か企んでるな」と気付いていた。
「じゃあ、麻宮君ペアは出発して下さい。ルートが分かるように床に目印が付いているので、その通りに進んでね」
音子の言葉に頷き、二人は病院に向かって歩き出した。
だが数歩で、光が足を止める。
訝しげな目つきで前方のやや上方を見やり、彼はライトを向けた。
「ぅわぁぁ〜!!」
真っ先に悲鳴を上げたのは、安藤ツバメ(
gb6657)だった。
それを皮切りに続々と悲鳴が上がる。
「く、首吊り!?」
「そう見えますね‥‥」
驚く新条 拓那(
ga1294)の隣で、石動 小夜子(
ga0121)が硬く頷く。
皆の視線の先には、赤い染みのついた白いワンピース姿の女性。
屋上から、首を吊っていた。
しかも彼らは、壁に浮かび上がる血文字も見つけてしまう。
『呪 殺 逃げ』
「ひいぃぃ!」と叫び声を上げ、エイミーに抱きつくラサ。
驚きも収まらぬ内に、今度は女性を吊るす縄が切れて、落下した。
だが落下地点に行ってみると、血痕はあるものの死体はなく、代わりに地面に『こ わ いよ』という血文字が記してあった。
「銀ちん! 帰ろう!」
「な、なに言ってるんですか、あ、あかりん! こ、これからですよ!?」
必死に訴える社 朱里(
ga6481)に、銀菜は青ざめた笑顔に歯の根のかみ合わない口調で強がって見せた。
「ぎ、銀ちん怖いの苦手だよね!?」
「苦手ですけど、楽しいですから!」
嗚呼、何故言い切った。
「これ、演出だよな?」
腕に縋りつくツバメをあやしながら、仄歌(
gb7458)は音子に訊ねる。
「だと思うよ? 多分‥‥」
音子は曖昧に答える。彼女も仕掛けの内容は知らないのだ。
「手の込んだ仕掛けで、面白いね」
周囲を観察していた番 朝(
ga7743)が、楽しそうに呟いた。
「まぁここにいてもしょうがないし、行くとするよ」
光も動じた様子はなく、歩の手を引いて再度病院に向かう。
と言っても、ほんの数歩で玄関だ。
壊れたドアの隙間を潜り、院内へと。
その時。
サイレンが鳴り響いた。
ひび割れた音が木霊する。
静寂な荒地に場違いな、無遠慮な音色。
ある者は恐怖し、ある者は不敵に微笑んだ。
サイレンは十四回。
肝試しに向かう女性と同じ数だけ、鳴り続けた。
それは、肝試しの始まりを告げる鐘の音でもあった。
■
院内にも煩いくらいにサイレンが響く。
潜むのは白虎(
ga9191)、悠夜(
gc2930)、石榴、空、それと霽月(
ga6395)の五人。
リヴァルはと言えば、次なる役目の為にゴール地点の裏口へと向かっていた。
「しっと団の名に賭けて、肝試しデートなんて完全粉砕だ!」
小声で気合を入れる白虎。
別の場所では悠夜もまた、『お客』が来るのを待っていた。
「へへっ、夏と言えば肝試しだよなぁやっぱ。張り切って驚かしてヤルぜ♪」
そうとは知らず、朽ちた建物の中を光と歩は進む。
歩は光の腕を決して離すまいという風情だ。
心霊の類よりも、暗闇に対する不安が強く見える。
「大丈夫か?」
「う、うん」
歩とは対照的に、光は実に平然としていた。
廊下に血の足跡を見つけても驚きもしない。
「‥‥っ!」
一方で歩の方は敏感に反応し、光の腕をぎゅっと掴む。
「なんともないって。血糊だろ」
「そう、ですよね‥‥」
励まされつつも、所々にある呪いの言葉や手跡、どこからか聞こえてくる不気味な声が、歩の気力をごりごり削る。
驚かす側にしてみれば良いお客さんだろう。
そして遂には立ち止まり、
「お、お兄ちゃん‥‥」
縋るような目で光を見た。
どうやら怖くて動けないようだ。
「しょうがないな」
光は優しく苦笑し、訊く。
「おぶるか? お姫様抱っこするか?」
「え? えっとじゃあ‥‥だっ、じゃなくて、おんぶで‥‥」
緊張と照れに戸惑いながら、しどろもどろに答える歩。
それを微笑ましく思いながら、光は彼女を軽々と背負った。
「ありがとうございます‥‥」
安堵の声が、光の耳元で呟かれる。
それをくすぐったく感じつつも、光は「当然だ」と答えた。
その後は順当にルートを踏破し、出口まで後少し。
動じない光と安心感を得た歩の前には、数々の仕掛けも役目を果たせなかったようだ。
「‥‥誰かいますね」
歩が言う通り、出口の前に人影が。
──リヴァルだ。
二人に先んじて、口を開く。
「おめでとう。ゴールだ、と言いたいが、実は出口が変更になった。ついてきてくれ」
用件だけを告げて、リヴァルは歩き出す。
軽く肩を竦め、素直についていく光。
「何かあったのか?」
「‥‥聞かないほうがいい」
何気ない問いに対し、やけに重い声を返された。
「そ、そうか‥‥」
「出口変更の件は、出発を控えている者達にも伝えておいてくれ」
「‥‥あぁ、了解」
漠然とした不安に囚われながらも、新しい出口へと辿り着く。
「では今度こそおめでとうだ。楽しめたか?」
「そうだね。程ほどには」
「怖かったですけど、いいこともありました」
「それならば良かった。では」
軋むドアを開けるリヴァル。
軽く礼を告げ、二人は廃病院の外へと踏み出した。
■
次のペアは諌山夫妻。
仲睦まじく腕を組む二人は、特に緊張した様子もない。
真夜中の廃病院でも、二人はほのぼのとしている。
「詠さんは、こういう所は平気?」
「雰囲気あるとは思いますが、ワクワクもしますね。美雲さんは?」
「私も平気かな。っていうか、見慣れちゃってるから何とも思わないって言うか‥‥」
答えた美雲は、少し歯切れが悪い。
「普通の女の子らしく怖がる方が、良かったよね?」
そう言って、決まり悪そうに苦笑する。
「‥‥ふむ」
問いには答えず、妻が何かに躓いて転ばぬよう足下に注意を払う詠は、
「安心して下さい、というのも変かもしれませんが、美雲さんはそのままで十分に素敵ですよ、と」
さりげなく告げた。
「何といっても俺の奥さんなんですから、ね」
「詠さん‥‥」
立ち止まり、夫を見つめる美雲。
場違いな空気が流れ出す。
その時、二人は物音を聞きつけた。
詠が音の方向に提灯を向ける。
走行音と共に近付いてきたのは、四十センチ程の巨大ゴキブリだった。
「‥‥!?」
幽霊の類ならば平気だろう。
しかしこんな物は想定外だ。
美雲は驚きと嫌悪で硬直する。
そんなことには委細構わず突っ込んでくる巨大ゴキ。
咄嗟に回避しようとした美雲だが、足がもつれてよろめき、転び──はしなかった。
詠が彼女の腕を引き、しっかりと抱き寄せる。
「ありがとう、詠さん‥‥」
「転ばれると、シャレになりませんから、ね」
そう返しながら、足下を走り回る巨大ゴキを爪先で引っくり返す。
裏返しになったそれは、ただのラジコンだった。
よく見れば紙で偽装しているに過ぎない。
暗がりだからこそ騙せたわけだ。
(それで終わりだと思うなよぉー!)
と意気込んだのは、誰あろう白虎である。
コントローラーを置いて、釣竿を手に取る。
ぐいっと持ち上げ、吊るしたマネキンを美雲たちの方へ漂わせる。
マネキンと言っても、胴体部分は風船に布をかけて偽装した物だ。
『僕の名前を言ってみろぉー!』
マネキンの内部に仕込んだ無線機から、ノイズ混じりの声が発せられる。
二人は一瞬びくりとしたが、それ以上の反応は引き出せなかった。
「なんだ、マネキンですか‥‥」
美雲はほっと息をつき、
「あれ、でも後ろの方は‥‥ああ、本物ですか。道理で妙にリアルだと思いました。顔の潰れ具合とか色々‥‥」
などと続ける。
「え?」
驚いたのは白虎の方だ。
「あ、その人、マネキンが気に入っちゃったみたいですよ?」
告げると同時、胴体代わりの風船が何故か弾け飛んだ。
『なっ、内臓が、内臓が、ないぞおおおおおお!?』
台詞と共に逃げるマネキンの首。
遠ざかる小柄な足音。
「座布団没収ですね、と」
何気に詠は手厳しい。
「さっきは恥ずかしいところを見られちゃったね」
美雲は照れ笑いをしながら詠から身を離した。
「いえいえ、とても可愛らしかったですよ、と」
二人はその後の仕掛けも掻い潜り、無事にルートを回り終えたのだった。
一方、院内では。
空が撮影の成果を確認していた。
彼女は秘密の撮影係として暗躍していたのだ。
暗視スコープ付きで暗闇での盗撮、もとい撮影もばっちりのデバガメ君一号を手に、闇に潜んで参加者を激写する。
それが彼女の目的だった。
「まったく、とんだバカップルですね! 醜態はしっかりカメラに収めましたよ!」
なんてことを言いながら、ニヤリと微笑む。
発言の内容はアレだが、考え方によっては親切なカメラマンである。
■
三番手は、ルキアたちの三人組みだ。
出発前にエイミーは、音子の前で優雅に一礼をした。
「音子嬢、今回は素敵な納涼企画に、ご招待ありがとだ」
「いえいえ、こちらこそ来てくれてありがとね」
彼女の麗姿にふやけた笑顔を浮かべながら、音子もお辞儀をする。
「それじゃ行こっか」
ルキアの促しに、しかし、ラサが躊躇う。腰が引けているらしい。
目敏く気付いたエイミーとルキアは、
「こわいのか? おいで」
「ほら、手ぇ繋ご」
二人一緒に手を差し伸べた。
ラサはその手を喜んで握ると、意を決した様子で病院に頭を下げた。
「お邪魔しマス」
楽しくて堪らないといった笑顔を浮かべながら、ラサたちの来訪を待ち侘びる者がいた。
悠夜である。
(お! 来た来た、何も知らずにノコノコと♪ たっぷりと極楽恐怖を味わうがいい♪)
ルートを回っている途中、
「ん? ずいぶんあちらは賑やかだな」
無人の病室を見つつ、エイミーが呟いた。
「ひっ」と小さく悲鳴を上げるラサ。
抱きつかれたエイミーは、
「大丈夫。あたしに任せておけ。もし襲ってきても、ゴーストなんてちょちょいのちょいだ」
頼もしいその言葉に、ラサは安堵の表情を浮かべる。
とその時、ルキアが目を輝かせた。
ラサの肩を叩き、振り向かせる。
「?」
ラサの目に映ったのは、ドーランの塗った顔を懐中電灯で下から照らした、ルキアの不気味な表情。
「っ!?」
驚愕に引き攣るラサ。
「変装技術そのイチ、さ!」
にやりとするルキア。
「ルキア嬢。ダメじゃないか」
「あはは、ごめん。チョットした悪戯だよ。ラサ君もごめんね」
快活に笑いながら謝るルキアに、
「う〜酷いデスよぅ‥‥」
ラサは涙目で唇を尖らせるのだった。
それからまた少し経った頃、
「‥‥足音、多い気がする」
ぽつりとルキアが呟いた。
ラサはすかさず彼女を睨み、
「またルキア殿でショウ?」
と指摘する。
「バレちゃったか」
即座に見抜かれてしまって残念そうだ。
フラメンコ用の釘が入った靴の小刻みなステップで、足音を演出していたのだ。
「もう騙されませんヨー」
ラサが得意げにそう言った直後、
『カン、コロン』
と乾いた物音が鳴り響く。
ラサは身を竦ませ、再度ルキアを見たが、
「いや、今のは私じゃないよ」
と返されてしまう。
確かに何かを仕掛けるような仕草はなかった。
恐怖にラサが不安を覚えると、前方でぼうっと光が灯った。
気付いたエイミーとルキアが身構えた直後、
「ホラホラ〜、幽霊だぞ〜。恐いぞ〜♪」
との掛け声と共に、悠夜がその背中に透き通る少女を生やして飛び出した。
「ぅきゃぁぁぁぁ! お化けデス!?」
幽霊(?)を目の当たりにして、恐慌するラサ。
その姿を見て、ご満悦の悠夜。
だが、
「おのれ、女性を脅かす輩にはこうだ!」
気合と共にピコピコハンマーを構えるエイミーと、
「お前の首を狩ってやるっ!」
ホッケーマスクを被って血糊付きチェーンソー(玩具)を振り回すルキアを目にし、
「ゲッ! マジか!? ここは戦略的撤退に限るぜ!!」
大慌てで引き返した。
逃がすのは癪だが、ラサを置き去りにするわけにもいかない。
無事に追い払えたことでよしとして、二人はそれぞれの武器を収めた。
ルートも大体回り終えた頃、ラサがきょろきょろとし始めた。
「どうしたんだい?」
訊ねるエイミーに、
はい、チョット‥‥」
と上の空で答えるラサ。
ある病室に視線を定めると、バッグから線香の束を取り出した。
「それなーに?」
見慣れない物に、ルキアが首を傾げる。
「線香デス」
「センコウ?」
「死者を供養する為のものデス」
「ふーん?」
死者の冥福なんて感情の無いルキアには興味がなさそうだ。
ただ邪魔をしては悪いと思い、大人しく見守ることにした。
病室に入り、引火しそうな物が近くにないか確認した後、ラサは線香に火を灯す。
そっと床に横たえて、黙して祈りを捧げ始めた。
「成仏してくださイ‥‥」
隣に立つエイミーもまた、胸の前で十字を切る。
「アーメン」
不気味でしかなかった空間に、ひと時、厳かな空気が流れた。
月明かりに照らされる病室で、画像を確認する空。
「ふむ。この写真は音子にでも売りつけますかね」
エイミーに抱きつくラサの画は、確かに音子好みの構図だった。
■
その頃病院前では、四組目が出発しようとしていた。
諸々の事情で、銀菜、朱里、悠季、ソウマ、音子の五人がひとつのグループだ。
「ほぁ〜‥‥改めて言うのもなんですが、雰囲気抜群ですねっ」
廃病院を見上げ、銀菜が感心する。
「中に入るまでも無く鳥肌が‥‥!!」
自らの身体を抱いて震える銀菜に、音子が目敏く目を光らせる。
「銀菜ちゃんっ、私があっためてあげるよっ」
飛びつこうとする音子の頭をすかさず叩く悠季。
「こら。見境無く発情しないの」
「うぅ、スミマセン‥‥。てか今更ですけど、その浴衣素敵ですよね」
「あぁこれ? つい最近手に入ったのよ。見せびらかすのに丁度いいと思ってね」
色っぽく微笑んで、悠季は浴衣の裾を翻しながらくるりと回って見せた。
艶やかなその仕草に、音子たちは惜しみなく拍手を送る。
「ふふ、ありがとう。それじゃ、そろそろ行きましょうか」
悠季の号令で、病院に向かう五人。
と。
「あ、ネコ姉ぇ、ちょっとゴメン」
美雲が音子を呼び止め、肩の辺りを払う仕草をした。
「髪の毛でもついてた?」
「ん、何でもないよ。知らない方が良いと思う」
言外の意味を察し、青ざめる音子。
「な、なんでもないならいいんだっ」
声を上擦らせて、音子は現実から目を逸らした。
その遣り取りをカメラに収めていたソウマは、内心でニヤリと微笑んだ。
「今回は凄い映像が撮れそうな予感がしますね」
自らのキョウ運が引き起こす事態にも期待しつつ、彼はカメラをしっかりと握り直した。
「うぅ‥‥刀がないと心細いなぁ‥‥」
朱里は恐々とした足取りで、常に警戒しながら進んでいた。
先頭を悠季が颯爽と歩き、その後ろに朱里、銀菜、音子が続き、更にその後ろからソウマが皆を撮影しながらついてくる。
左右の二人にしがみつきながら歩く銀菜は、血文字や手跡などに敏感に反応していた。
「ネコちゃん、随分と本格的な場所を見つけてきましたよね‥‥」
「えへへ」
褒められたわけでもないのに、デレデレの音子。
銀菜にしがみつかれて、すっかりのぼせ上っているらしい。
そんな一行を、物陰から窺う者が一人。
白装束を身に纏った石榴だ。
雪女のつもりなのだが、本人が色々と生命力に溢れすぎている為、単に色っぽいだけだった。
石榴は標的を音子に定め、彼女が通り過ぎた瞬間、
「悪い子はいねがー!」
と叫んで襲い掛かった。
雪女っぽい格好をして、何故なまはげなのか。
それはともかく。
「ひゃぁぁぁぁ!?」
悲鳴を上げる銀菜と、
「──ひぃっ!?」
驚きと恐怖の余りに目を回す朱里。
音子も驚きはしたが、振り返ると同時に見えた顔と声で石榴だと気付いた。
だが銀菜にしがみつかれ、身動きが取れなかった。
その結果。
石榴によって着せられた浴衣が、その石榴の手によって乱された。
なんという早業にして神業。
「この格好はまずいって!」
音子の抗議も虚しく、あられもない格好を激写する石榴。
ソウマも役得とばかりにしっかりとフレームに収めている。
そしてもう一人、暗闇の中で空もまた、シャッターを切りまくっていた。
「くっくっく! この写真は高く売れそうですね!」
愛くるしい顔立ちに似合わぬ、邪まな笑みだ。
音子の痴態と、銀菜や朱里が怖がっている様子を存分に撮った石榴は、彼女らが反撃に出る前に、素早く撤収に転じた。
とそこに、ソウマが立ちはだかる。
「っと、逃がさないつもり? ってうわぁ!」
ソウマの顔を見て思わず仰け反る石榴。
少年の端整な顔が、いつの間にか大怪我をして血塗れになっていた。
「び、びっくりした‥‥って、どうせマスクでしょっ?」
さっと手を伸ばし、石榴はソウマの顔をぐいっと引っ張った。
案の定、すぽっと抜けてしまう。
「ふふん♪ 石榴様を驚かそうなんて甘いあま──っ!?」
マスクを剥ぎ取った後には、のっぺらぼうが待ち構えていた。
跳ね上がる動悸に、心臓を押さえる石榴。
「よ、よくもぉ〜」
「いたいけな少年の悪戯です。許してくれますよね?」
悔しそうに歯噛みする石榴に、ソウマはマスクを脱ぎ、しれっと小悪魔的な微笑みを返す。
「これで勝ったこと思わないことね!」
わざとらしく捨て台詞を残し、石榴は小走りに暗闇の中に消えて行った。
後に残されたのは、半べそになった銀菜と朱里、別の意味で泣き崩れる音子と、撮れた映像に満足するソウマ。
ちなみに悠季は平然としていたが、邪魔するのも逆に野暮よね、と考えて傍観していたのだった。
■
五組目は、リュウナと龍牙組だ。
「にゃー‥‥出そうなりね」
病院内を見回しながら、リュウナはむしろ出てくることを期待しているようだ。
「わ、私はリュウナ様のお側から離れませんから! リュウナ様も私のお側から離れないで下さいね!」
「龍ちゃんは怖がりなりねー。でも安心するのら。リュウナが対お化け用のアイテムを持ってきたなりよ!」
自信たっぷりの声に、龍牙は目を輝かせた。
「流石はリュウナ様です!」
「まずはー、ニンニク!」
意気揚々と取り出したそれはしかし、
「──ふにゃ! コレ、ラッキョウなり!? 間違えたなり!?」
「リュウナ様‥‥」
龍牙の眼差しは一転、不安に染まる。
「心配ないのら! 他にもまだあるなりよ? 十字架ー!」
「‥‥孫の手です」
「にゃにゃ!? お、お線香ー!」
「蚊取り線香ですね」
「銀の弾丸!」
「普通の弾です」
「白木の杭は‥‥白く塗った釘じゃダメ?」
「駄目だと思いますよ‥‥というかリュウナ様、それドラキュラ対策です‥‥」
がっくりとうな垂れながらも、龍牙は律儀に指摘してしまう。
(うぅ、私が頑張らないと‥‥)
悲壮な思いで、そう決意する龍牙だった。
些細な仕掛けにも二人で一喜一憂しながら、辿り着いた中間地点。
驚きすぎて疲れた龍牙のために、ちょっと休憩しているところだ。
龍牙は転がっていた丸椅子を立てて埃を払い、腰を下ろす。
「はぁ‥‥やっぱり怖いです‥‥」
何度目かの弱音。
「って!? 今の音は何ですか!?」
「うにゅ? なんか聞こえたなりか?」
リュウナは気づかなかったようだが、龍牙は確かに耳にした。
素早く視線を走らせる龍牙。
「何か動いた!?」
明かりを向けるが、何もない。
そこで彼女の忍耐力は限界を迎えた。
じっとしていられず、リュウナの手を取って早足で歩き出す。
「は、早く帰りましょうリュウナ様!」
「龍ちゃん待つなりよ〜」
慕う少女の訴えに耳を貸せず、龍牙は脇目も振らずに足を進める。
けれどもプレッシャーは増大するばかりだ。
──何かが追っかけて来てる!?
後ろからひしひしと感じる。
気のせいだとは思えない。
怖いが気になる。でも振り返りたくない。
そんな葛藤をひたすら繰り返していると、
ネェ‥‥オネェチャンタチ、イッショニ‥‥アソボ?
疑いようもなく耳に届いた、甲高い声。
「にゃっ。なんか聞こえたなり!」
立ち止まり、周囲に視線を配るリュウナ。
前と左右にいなければ、残るは後ろだ。
振り返ろうとするリュウナを、しかし、龍牙が遮った。
「振り向いてはダメです! リュウナ様!」
身を呈した行動は咄嗟のことで、元から余裕がなかったこともあり、龍牙は自分のことを考えていなかった。
結果、もろに後ろを見ることになった。
懐中電灯の光が、暗闇を押し退ける。
その先にいたのは、土気色の肌をし、血に汚れた白いワンピースを着て、今にも崩れそうな形にくしゃりと髪を結われた女性だった。
意図せずして、目があってしまう。
そして女性は、微笑んだ。
虚ろに歪んだ表情で、ニタリ、と。
「ぃにゃぁぁぁぁぁぁ!!」
建物中に響き渡る悲鳴を上げ、龍牙はリュウナの手を掴んだまま全力で逃げた。
リュウナは半ば引きずられる格好だ。
廊下の奥へと走る二人の姿を見送る女性。
その姿が見えなくなったところで、今度は満足げに、霽月は微笑んだ。
■
「本当に大丈夫か?」
「え? だ、大丈夫だよ!」
仄歌の気遣いに威勢よく答えるツバメの目は、血走っている上に隈まで出来ていた。
今日の事を意識しすぎて、一睡もしてないせいだ。
緊張し過ぎなのは明白だが、本人が言い張る以上は仕方がないので、仄歌は別の話題を口にした。
「今日はなんか、いつもより可愛らしいな」
ツバメは普段着と違い、キャミソールとフレアスカートにニーソックスの組み合わせだ。
靴はなぜかスニーカーだが。
「た、たまにはこういうのも‥‥どう?」
「似合ってるよ。ポニテもいいな、好きだぜ俺」
一瞬で顔を真っ赤にするツバメ。
しれっと言ってしまう辺り、仄歌は大した男である。
会話も一段落したところで、二人は出発する。
ところがツバメは、緊張のあまり手足の動きがあべこべになっていた。
「‥‥本当に大丈夫か?」
「だ、ダイジョブダイジョブ。とにかく入ってみようよ」
心から心配する仄歌に、強がり全開のツバメだった。
しかしその強がりも、あっさり吹き飛ぶことになる。
「のわぁぁ〜!」
「ぎゃー!」
「へぶぅ!」
「にゃー!」
響き渡るツバメの悲鳴。
仄歌が仕掛けを悉く避ける一方で、彼女は面白いように引っかかる。
機会があればツバメを驚かすつもりの仄歌だったが、中止せざるを得ない。
それよりも、驚き疲れて肩で息をするツバメにそれとなく手を貸す。
「あ、ありがと‥‥」
仄歌はツバメを気遣いながらでも、不意に現れた蒟蒻なんかはひょいっと避けてしまう。
(ベタだけど割と効くよな、蒟蒻)
暗がりであんなものが肌に張り付いたら、それは驚くだろう。
「ぎにゃー!」
こんな風に。
微笑ましく思いつつ、仄歌は蒟蒻のぬめりを拭き取ってあげるのだった。
最上階の順路を歩いていると、ツバメがふと立ち止まって仄歌の袖を引いた。
「どうかした?」
訊ねる仄歌に、ツバメは緊張した面持ちで口を開く。
「屋上行かない? ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど‥‥」
仄歌は軽く首肯した。
埃の積もった階段を上り、錆び付いたドアを力任せに開けて屋上に出ると、生温かい風が吹き抜けた。
二人でフェンスの近くまで行って下を覗き込むと、光の塊が見える。
皆がいる場所だろう。
短い沈黙の後、ツバメがゴクリと息を呑み、仄歌の名前を呼ぶ。
振り返った仄歌の顔を、真っ直ぐに見つめた。
静寂。
そして、彼女は言った。
「私と‥‥ちゃんと付き合ってくれない‥‥かな?」
「‥‥ぇ?」
沈黙。
告げられた言葉に戸惑う仄歌。
しかし徐々に顔を赤くして、辺りを見回した後、覚悟を決めた表情を浮かべた。
そして、真剣な声で応える。
「うん、いいよ。──これからも、よろしくな」
その瞬間、ツバメに満面の笑顔が咲いた。
勢い良く抱きつくツバメ、しっかりと抱きとめる仄歌。
「‥‥ありがと♪」
甘酸っぱい時間が、二人の間をゆっくりと流れる。
その様子を物陰から撮影していたのが、勿論、空。
「なんというバカップル‥‥恐ろしいです‥‥」
辺り一面に漂うラヴ臭に、空は驚愕を必死に押し殺していた。
■
「少しだけお邪魔します」
建物に向かってお辞儀をする小夜子。
「いやぁ、雰囲気あるねぇ」
感心を示す拓那。
廃墟自体は戦いの中で数多く見てきたが、やはり真夜中の病院には特別な空気が感じられる。
そんな拓那の指に、柔らかな感触がそっと触れた。
小夜子の手だ。
「‥‥逸れないようにと、思いまして‥‥」
「そうだね、繋いでおこうか」
恥ずかしそうな小夜子に、拓那は朗らかに微笑んでみせた。
のんびりとルートを回りながら、二人は雑談を交わす。
「俺はお化けとか見たこと無いから、むしろ見てみたいんだよ。気のいい奴なら友達になりたいね。色々賑やかで面白いんじゃないかな♪」
「ふふ、拓那さんらしい、素敵な考え方ですね」
「そうかな?」
ちょっと照れくさそうに、拓那は頬を掻く。
「もしお化けになれたら何したい? 俺は壁抜けとか出来たらいいなって思う。そう考えると何となくお化けも楽しそうじゃない?」
「でもそうすると、触れ合うこともできなくなってしまいますよ?」
小夜子は拓那と繋いだ手を持ち上げて言った。
「あぁそっか。それは困るなぁ」
絡めた指の温もりを感じながら、それは頂けないな、と拓那は思った。
「‥‥ん? なんだろ、あれ」
リネン室に差し掛かった辺りで、拓那が異変に気付いた。
空気の冷たさと、足下を漂う白い煙。
正体を探るより先に、二人の視界の中で、ぼんやりと光る玉が動いていた。
「人魂‥‥?」
視線をやると、漂う人魂の中に、うっすらと女性の姿が浮かび上がっている。
「‥‥!?」
硬直する拓那。
拓那にしがみ付く小夜子。
小夜子を庇うように拓那が腕を回すと、
「いちまーい、にまーい‥‥」
と不気味な声が聞こえてきた。
数えながら、すすすっと滑るような足取りで近付いてくる女性。
息を呑む拓那。
より一層身体を寄せる小夜子。
「きゅうまーい‥‥シーツが足りなーい」
「──って、弓亜さんか!」
「あら、バレちゃったか」
「そりゃ判るよー。全く、驚かせてくれるなぁ」
あっけらかんとする石榴に、拓那は苦笑する。
「どうせその肩越しの不気味なのも、驚かし役の誰かなんだろ〜?」
「え?」
きょとんとする石榴。
顔色を変えたのは小夜子だ。
拓那から離れ、眼差しを研ぎ澄ます。
「ちょ」
「動かないで下さい」
声を発しようとする石榴に真剣な声で告げ、小夜子は静かに近付いた。
拓那の指摘した、半透明の人物へ。
張り詰めた空気が漂う中で、その何者かへ小夜子はそっと語りかけた。
「もう、お休みなさい‥‥」
次の瞬間ゆらりと空気が震え、氷が溶けて消えるように、張り詰めた空気も解けていった。
「‥‥ほ、本物?」
興奮を隠し切れない様子で問い掛ける拓那。
その問いに、小夜子は無言で微笑んだ。
ほう、と息を吐き、石榴が額の汗を拭う仕草をする。
「石動さん、やるね‥‥」
「皆さんには内緒ですよ?」
小夜子は唇の前に人差し指を立てて、軽く片目を瞑った。
■
フシュウウ、と焔のガスマスクから蒸気が吐き出される。
(この薄暗い中に番長と二人‥‥女の子と、暗い中に、二人!)
モシュウウ、と焔のガスマスクから激しく蒸気が吐き出される。
一人で盛り上がる焔に対し、朝は興味津々な様子で周囲の様子を探っている。
夜目が利くお陰で明かりが届きにくい範囲でも比較的見えるので、仕掛けにもすぐ気付く。
おまけに、いざ驚かそうとしても、驚きこそすれ怖がるまでには至らず、仕掛けをしげしげと観察されてしまうので形無しである。
もっとも、朝はそれで楽しそうなので、本来の主旨から外れていないのが救いだろうか。
病棟を歩いていると、朝が誰もいない空間に向けて、にぱっと笑って手を振った。
その仕草を目にした焔は、若干挙動不審になる。
「番長? そ、そこには誰も居ないッスよ? 居ないッスよね? 居ないって言って? ネ?」
半ば懇願するような彼の言葉に、しかし朝は、
「小さい子がいたんだ」
さらっと言って笑った。
けれどすぐに顔を曇らせ、
「‥‥あの子達も一緒に楽しめたら良かったのにな」
と残念そうに付け加える。
「そ、そうっすネ! 残念っすよねぇ!」
あははは、と乾いた声で笑う焔だが、目は全く笑っていない。
空虚な笑い声を上げたまま、心ここに在らずな足取りで先へ行こうとする焔。
その途端、朝は反射的に手を伸ばし、必死に焔の服の裾を掴んでいた。
見れば彼女の表情は、まるで捨てられた子犬のようだ。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに我に返り、手を離した。
「‥‥ごめん」
「い、いや、別にいいッスよ?」
先程よりも動揺する焔。
しばらくぎこちない時間が続いた後、朝がぽつりと呟いた。
「‥‥裾、掴んでていいか?」
「全然オッケーッス!」
歯でも光らせそうな勢いで、親指をグっと立てる。
そのまま数分ほど歩いた後、
「ば、番長」
何やら決意した声で、焔が呼びかけた。
「なんだい?」
「て、手でも、いいんスよ?」
声を裏返しながらも思い切った焔に、朝は、
「いいのかい?」
と即座に答え、嬉しそうに照れるではないか。
その瞬間、焔の中の何かがボシュッと着火し、ガスマスクが盛大にパージされた。
「え、ええ! 自分の手で良ければ、握るなり握り潰すなりお好きにどうぞ‥‥! って、あれ!? 今何か飛んでった!?」
飛んで行ったのは彼のガスマスクだが、興奮で全く気付かない。
「ま、どうでもいいっすね。よっしゃ、行きましょう番長!」
「うん」
握られた手を幸せそうに見つめ、朝は小さく微笑んだ。
そんな二人を、空が涙ながらに撮影していた。
「酷すぎます‥‥ここまでバカップルだらけとは!」
義憤に燃えながらも、彼女は撮影をやめない。
仲睦まじく歩く二人を、ひたすら激写しまくるのだった。
■
「よし、これで全員無事に戻って来たわね」
音子の呼びかけに、皆が返事をする。
「良かった。リヴァルさんが出発前にあんなこと言うから、心配だったんですよ?」
ふくれる音子に、リヴァルはしれっと答える。
「うむ。全て誤報だったようだ」
「そんなあっさり」
「状況設置だけでも、随分と変わるだろう?」
「‥‥まぁ確かに、盛り上がりましたけどね」
その点、非常に有難かったと言えるだろう。
「さて、それじゃ帰りましょうか」
ぞろぞろと移動し始める一同。
その中で小夜子は足を止めると、病院に振り返って「お邪魔しました」と丁寧にお辞儀をした。
どこまでも礼儀正しい女性である。
霽月は皆と一緒に歩きながら小さく、
「うむ‥‥あの小さな子、可愛かったな‥‥」
と呟いた。
丁度隣を歩いていた朱里がびくっと震えるのを見て「なんでもないよ」と取り繕っておく。
「楽しかったぞ。ありがとな」
通りがけ、朝が音子に無邪気な笑顔を見せた。
抱き締めたくなるのを堪え、音子も笑顔を返す。
それに続き、ラサもやってくる。
「とても怖かったですヨ。でもお二人とこれて楽しかった──」
無垢な微笑みを浮かべる少女に、辛抱堪らなくなり音子が抱きつこうとした瞬間、ラサの視線が音子の背後、病院の方を見て‥‥倒れた。
正確には倒れる寸前に音子、エイミー、ルキアの三人が抱きとめていたが。
きっと何かを見たのだろう。
そんな風に皆がどよめく中、焔はふと、自分が素顔を晒している事に気付いた。
「やっべ、病院の中かな。取りに行かないと‥‥」
焔は焦りながら集団から抜け出し、病院へ戻った。
彼の不在に気付いたのは、皆が車に乗り込み、さあ帰ろうかという段階だった。
ぎゃあぁぁぁぁぁ‥‥
遠く響く悲鳴に、朝が「あ、焔君」と呟く。
車内で、顔を見合わせる若者達。
様子を見に行きたがる者は‥‥いなかった。
余談。
ソウマが投稿した写真と映像が後日、心霊番組で特集されて大騒ぎになったのだが、それはまた別の話である。