●オープニング本文
前回のリプレイを見る「なんか騒がしいな」
ホテルの窓から街を見下ろして、美作泰時(みまさかやすとき)は訝しげに呟いた。
時刻は午前。現在位置は、澄川花織を送り届けるべき市から、数十キロ手前の街だった。
ロビーに下りた泰時は、ホテルのフロントに表の騒がしさを訊ねてみた。
「なんでも、飛来する大量のキメラが確認されたようです。襲撃に備えて、街の防備に当たっているUPC軍が迎撃の準備をしているとかで」
泰時の胸中で不安が首をもたげた。
嫌な予感というのは、得てして的中するものだ。
同行する傭兵達のところへ急ぎ、彼は手早く事情を説明する。
「もしもの場合を考えて、さっさと街を発った方がいいと思う」
花織の護衛が彼の役目であり、花織を無事に親元へ届けることが傭兵達の任務だ。
キメラに背を向けることに抵抗はあったが、果たすべき役割というものがある。
「準備を整え次第、出発しよう」
泰時の言葉を受け、傭兵達は支度を始めた。
街を経ってから数十分。
UPC軍から拝借した大型の軍用トラックに乗り込み、一行は街道を順調に走行していた。
泰時は荷台の後方に座り、空を注意深く監視していた。
そしてやがて、不安が現実になったことを知る。
「来たか‥‥」
吐息混じりの呟き。
晴れ渡る青空に、一筋の黒い帯。
それは徐々に輪郭をはっきりさせ、ほどなくして誰の目にも明らかとなる。
数の見当がつけられないほどの、キメラの群。
全て体長一メートルほどのドラゴン型で、しかし中に一体だけ三メートルほどの大きな個体が混じっており、その背には人型の何かが乗っていた。
「‥‥バグアか?」
だとすれば、厄介極まりないことになるが。
キメラ共の標的が彼らの一行であるのは、既に明白だった。
高度を下げたキメラの群が、見る間に距離を詰めてくる。
そこへ、無数の羽音に混じり、耳障りな声が響いた。
「このニオイ‥‥キサマらでマチガイないな‥‥!」
キメラの背に乗っていたのは、大きな曲刀を手に直立するトカゲだった。
言ってしまえば、リザードマンだ。
そいつの声は怒りに滾り、傭兵達を睨みつける視線には復讐の火が猛っていた。
「ワガ同胞をウバったムクイを、ウケるがいい!──イケ!!」
号令一下、小型のドラゴンキメラたちが一斉にトラックへと襲い掛かる。
それは、正に嵐だった。
迎撃に当たる傭兵達だが、明らかに手が回りきらない。
身は守れても、トラックが守りきれていなかった。
運転席も容赦なく襲われており、運転席の傭兵が片手で対処するも、追い払うのが精一杯だ。
タイヤをやられれば走行不能になる。
そうなれば瞬く間に無数のキメラに群がられて、全滅は必至だろう。
なにより厄介なのが、リザードマンの指示が巧みなことだった。
完璧な統率を持って動く小型のドラゴンキメラに、傭兵達は翻弄されるばかりだ。
何度目かの花織の悲鳴が、耳を突く。
泰時の胸中が、定まった。
「──すみません。花織を頼みます。必ず、親父さんの元へ帰してあげて下さい」
荷台を蹴り、泰時は空中へ身を躍らせた。
傭兵達は、曲芸を見る。
小型ドラゴンキメラを踏み台にして空中を走り、泰時は後方で高みの見物を決め込んでいたリザードマンへ辿り着き、飛び掛っていた。
泰時の一閃を受け止めたリザードマンだが、勢いに押されて中型ドラゴンキメラの背から、泰時ごと転落する。
キメラの群の統率が、一気に乱れた。
と同時に、ミラーでその様子を見てしまった花織の絶叫が、傭兵達の鼓膜を叩く。
「泰時!! 止めて、今すぐ車を止めてよ!!」
運転席の傭兵に掴みかかる花織。
しかし、止めれば全滅は免れないだろう。
逆に言えば、リーダーが離れたことで小型ドラゴンキメラの群は二分され、統率もない。
逃げ切るなら今しかなかった。
「泰時を助けないと! なにしてるの!? 早く止めなさいよ!」
花織が、何かに気付いたように息を呑む。
「──まさか、見捨てる気じゃないでしょうね? 絶対に許さないからね!?」
決断が、迫られる。
●リプレイ本文
──鮮血の花が咲く。
あと少し。
もう少し。
ほんの数メートル。
ほんの数秒。
声も聞こえ、
顔も見えた。
何が悪かった?
何が足りなかった?
何処で間違った?
どうすれば良かった?
過信はなく、
慢心もなく。
確信があり、
自信もあった。
必ず助けられる。
大丈夫だと、信じて。
必ず助ける。
そう、決めていたのに。
三人の目の前で、鮮血の花が、咲いた。
●決断
瞬く間に小さくなる美作泰時の背中を、クラリア・レスタント(
gb4258)は半ば呆然と見つめていた。
(「どうして? どうしてあんな簡単に、命を捨てるような真似が出来るの?」)
戸惑いを隠せない、そんな彼女の鼓膜を、激しい銃声が叩く。
はっと我に返ったクラリアは、慌てて銃を構え直した。
今は動揺している場合ではなかった。
指揮官とはぐれた事でキメラ共の動きは統率を失っていたが、それでも数の暴力は絶大なままだ。
一時の気の緩みも許されない。
「泰時殿も無茶をする‥‥」
飛来したキメラを切り落としながら、鳳凰 天子(
gb8131)も苦々しく呟いた。
そこで再び、激しい銃声。
ファルロス(
ga3559)の『制圧射撃』が、トラックに群がる小型のドラゴンキメラ共を一時的に散らせる。
仲間たちと話し合う猶予が必要だった。
「どうする?」
「助けよう」
冴木氷狩(
gb6236)の問い掛けに、時枝・悠(
ga8810)が即座に答える。
「全員で?」
「‥‥三人で」
悠長に考えている暇はない。
救出に向かうのは、ヒューイ・焔(
ga8434)、ファルロス、悠に決まった。
ファルロスが閃光手榴弾のピンを抜く。
氷狩は運転席の天井を叩き、ユウ・ナイトレイン(
gb8963)に呼びかけた。
「合図があったらスピードを少し落としてくれ!」
「了解! ──聞こえたろ? ちゃんと助けるから大人しくしてくれ」
「‥‥それならいいのよ」
ユウの腕や襟から手を離し、澄川花織は不安げながらも助手席に戻った。
「仲間は見捨てたくありませんからね」
常世・阿頼耶(
gb2835)のライスナーが火を噴き、キメラを翼を撃ち抜く。
「全員で行きたいところだが、せっかく泰時殿がくれた機会を無為にする訳にもいかんしな」
一閃させた天子の機械剣が、キメラの腕を切り飛ばす。
救出に向かう三人が、荷台後方に並んだ。
「四方を固めるぞ!」
氷狩が声を飛ばし、運転席側手前に天子、後方にクラリア。助手席側手前に氷狩、後方に阿頼耶が陣取る。
「降りる時、援護を頼む」
『了解』
悠の要請に、四人はしっかりと頷いた。
「──行くぞ」
ファルロスはバックミラーに映るようにハンドサインを示し、閃光手榴弾をキメラ共の中へと放り投げた。
身構える一同。
一瞬の後──地上に炸裂する、小さな太陽。
網膜を焼かれたキメラたちが一斉に怯んだ。
ユウがトラックの速度を緩める。
「行ってくる。そちらは任せた」と悠。
「真に危険だが、ご無事で」
「気をつけて! 必ず生きて又会いましょう!」
荷台から飛び降りる悠たちの背に、天子とクラリアがエールを送る。
遠ざかる彼らの姿を視界の隅で見ながら、クラリアは胸中で呟いた。
(「これが終わったら彼に聞いてみよう。何故、あんな真似をしたのか」)
●激突
荷台から飛び降りた直後、ファルロスはトラックを追うキメラ共へと『制圧射撃』を喰らわせた。
せめてもの支援だ。
そしてすぐさま、先行する二人を追いかける。
決断が早かったとは言え、泰時との距離はかなりある。
追いすがるキメラ共は極力相手にせず、全力で走る。
視線の先には黒い塊。
無数のキメラ共の群れ。
その中心に、泰時がいるはずだ。
ヒューイは番天印とホーリーベル、悠は紅炎と月詠、ファルロスはシエルクラインをそれぞれの手に構えた。
彼らに気づいたキメラが、おぞましい羽音を立てて向かってきたからだ。
小型のドラゴンキメラなど、彼らの敵ではない。
どうということもなく切り捨て、撃ち落とす。
しかし、三人の脳裏に焦りの感情が浮かぶ。
昔、誰かが言った。
「戦争は物量が多い方が勝つ」
その真偽は別として、圧倒的物量が脅威であるのは確かだった。
一体を片付ける前に、次のキメラが襲いかかってくる。
走る速度が鈍る。
手が追いつかなくなる。
それでも地力の絶対的な差で、キメラの群を突き抜ける。
そこで、彼らは目にする。
リザードマンの曲刀を躱した泰時が、死角から突撃してきた小型キメラに体当たりされて態勢を崩す。
そこへ中型キメラから炎のブレスを浴びせられ、視界が覆われる。
それを利用して回り込んだリザードマンが、泰時を逆袈裟に斬り上げた。
刹那の静寂。
そして咲く──鮮血の花。
「──────っ!!」
声にならない絶叫を迸らせたのは、誰だったのか。
悠の左半身に浮かび上がる炎を模した真紅の文様が、激しく明滅した。
紅炎の輝きが一際強くなる。
脇目も振らずにリザードマンへと突撃し、渾身の一撃を叩き込む。
金属の激突する甲高い耳障りな音が響き渡った。
「このニオイ‥‥」
「‥‥中々に斬り甲斐のあるお仲間だったよ」
凍てついた声で、彼女は告げた。
リザードマンの無機質な瞳が怒りに燃え滾る。
「コロす!!」
「こっちの台詞だ」
激しく切り結ぶ両者。
主人の援護をしようと動く中型キメラ。
そこにヒューイが飛び込んだ。
番天印をカミツレに持ち替え、『流し斬り』で側面に踏み込み、『二段撃』で立て続けに斬りつける。
「死亡フラグってのはなぁ‥‥ぶっ壊すためにあるんだ!」
赤い粒子が、軌跡を描く。
キメラは身を捻って躱そうとしたが、思わぬ方向から飛んできた銃弾に意識を奪われ、動きを止めた。
その隙に、鱗に覆われていない腹部を狙った斬撃が炸裂する。
悲痛な声を上げてよろめくキメラ。
「だから、絶対に死なせねぇぞ!」
一気に仕留めに向かうヒューイ。
大勢は決している。中型キメラに関しては時間の問題だろう。
ファルロスは『援護射撃』を中断すると、『制圧射撃』で小型キメラを牽制しながら、泰時の元へと走った。
肩から脇にかけての無残な切り傷。
地面に倒れた彼から、生命の息吹は殆ど感じられない。
(「それでも、まだ助かるかもしれない」)
祈りにも似た思いを胸に、ファルロスは救急セットを取り出そうとするが、
「ちっ、鬱陶しい」
群がるキメラ共が激しく邪魔をしてきて、治療どころではなかった。
「あれを使う!」
声を張り上げ、ファルロスは二人に伝えた。
代名詞だが、分かるはずだ。
その物の名前を出しては、リザードマンにバレてしまう。
こちらを振り返らずに二人が頷くのを確認し、ファルロスは閃光手榴弾のピンを抜いた。
炸裂させるまでの間、『制圧射撃』を駆使して周囲のキメラを追い払う。
「──行くぞ!」
告げて、投げる。
身構えた次の瞬間、眩い閃光と強烈な爆音が周囲を埋め尽くす。
その隙に、ファルロスは泰時を抱き上げて走った。
距離は少しでいい。元より走って逃げられる状況ではない。
泰時を地面に下ろし、手榴弾が効いている間に、ファルロスは出来る限りの応急手当を施した。
朦朧としていたキメラ達が我に返ってきょろきょろと見回し、やがてファルロスたちを見つける。
現状、尽くせる手はない。
あとは、自分達が生き残ることに、全力を注がねばならないのだ。
「‥‥生き延びろよ」
最早死人と変わらぬ血色の泰時へ、ファルロスは小さく呟いた。
●撤退
「──ちょっと‥‥まさか三人だけ!? 全員で行くんじゃないの!?」
閃光と爆音が収まり、恐る恐る荷台を振り返った花織は、金切り声を上げた。
「無茶を言うな」
ユウは努めて冷静に答える。
トラックは再び全速力へ。
「止めるなり引き返すなりして、全員で行ってよ!」
「今止めたら、あっとう間に敵に囲まれてこっちが危険だ。救出に出た仲間にも、彼にも迷惑がかかるぞ。なにより君が危険にさらされる」
「そんなのどーだっていいわよ!」
まるで駄々っ子だ。
再びユウに掴みかかるが、温室育ちの細腕でどうにかできる相手ではない。
ユウは根気強く説得を続ける。
「彼は君を守るために一人で敵に向かっていったんだ。なのに君が怪我をしたんじゃ意味がない」
「それなら私を守りながら、全員で泰時を助けに行きなさいよ!!」
あまりに身勝手な物言いに、痺れを切らしたのは荷台の氷狩だった。
「うるせぇ! あの三人が行ってダメなら、全員で行っても同じだ! 喚く暇があったら神にでも祈ってろ!」
助手席の天井を叩きながら、怒鳴りつける。
花織は驚いて身を竦ませたが、それで引き下がることもなかった。
「そんなのわかんないでしょ!? とにかくあんたたち全員で行きなさいよ!!」
「──いいか、よく聞け。今、全員で、君たち二人を助ける為に動いてるんだ」
一瞬の隙を見出し、ユウは花織を正面から見据えた。
透き通った青い瞳に見つめられ、花織は言葉を詰まらせる。
「俺たちを信じてくれ。泰時は必ず助ける。心配いらない」
真摯な感情を込めた言葉を受けて、ユウから手を離す花織。
「‥‥‥‥わかったわよ‥‥」
あまり納得した様子はなかったが、自分の要求が通る見込みはなく、また自身の力ではどうにもならないことは理解できたらしい。
助手席に座り直すと、目をぎゅっと閉じて祈るように手を組み合わせた。
「神様‥‥」
荷台の上は、地獄絵図の様相を呈していた。
四方八方から絶え間なく襲い来るキメラ。
四人は自分の身よりも、トラックを守ることで精一杯だった。
身体は満身創痍だったが、その甲斐あってかトラックは走行に支障がない。
だが、いつまでこの状況を乗り切れるだろうか。
銃撃を掻い潜ってきたキメラの突撃を、阿頼耶は盾を構えて体ごと防ぐ。
後ろ足を踏ん張って衝撃を押し殺し、盾に激突して荷台に着地したキメラを、渾身の力で蹴っ飛ばす。
「ダメだ、キリがないっ」
半分に減って統率を失っても、それでも尚、絶望的な物量。
四人では明らかに手が足りていない。
「使います!」
クラリアは声を張り上げ、注意を促した。
片手には閃光手榴弾。
出し惜しみしている余裕はない。
片手が塞がったクラリアをフォローするために、阿頼耶は意識を集中させた。
ミカエルの頭部がスパークする。
『竜の瞳』を使った状態で、貫通弾を装填したライスナーをぶっ放す。
クラリアを狙うキメラ共を、次々に撃ち落とした。
「──行きます!」
投擲した閃光手榴弾が、群の中で炸裂した。
多くのキメラを怯ませることに成功したが、効果範囲外のキメラが入れ替わりで押し寄せてくる。
「銃は使わん主義だが、この際仕方ない」
ケルビムガンを抜き、天子は立て続けに引き金を弾いた。
狙った獲物には当たらなくとも、その背後のキメラに流れ弾が当たることもある。
適当に撃つだけでも効果があった。
不用意に近づいてきたキメラは、機械剣で切り伏せる。
氷狩のばら撒く弾丸が、一斉に火を噴く態勢に入っていたキメラ共を薙ぎ払った。
妙な編隊を組んでいたので勘で狙ったのだが、功を奏したようだ。
しかし、その攻撃でアサルトライフルの弾が切れる。
リロードする間すら惜しんで、氷狩はハンドガンへと持ち替えた。
自身を狙う敵は後回しにし、トラックや運転席を狙うキメラを最優先で撃ち落として行く。
だが、その包囲網は徐々に絞られて来ていた。
「仕方がない‥‥使うぞ!」
こちらの手持ち最後となる閃光手榴弾を、天子は取り出した。
これを使えば、あとは敵を大きく牽制する手段はなくなる。
しかし、使うべき時が今を置いて他にないのも事実だ。
手榴弾の特性を理解したのか、明確な意思を感じさせる動きで、キメラが天子に殺到した。
『エアスマッシュ』を連続で放って切り落とし、仲間からの援護を受けて、時間を稼ぐ。
「喰らうがいい!」
放り投げ、目と耳を塞ぐ。
何度目かになる、閃光と爆音。
効果はてきめんだが、やはり、先程と同じことが繰り返される。
入れ替わるように群がるキメラ。
しかしそれでも、怯む者も絶望する者も、ここには一人もいない。
牙を剥いてくるキメラを、クラリアは紅の瞳で鋭く射抜いた。
「迂闊な! オルカ!」
盾で捌き、『抜刀・瞬』でシエルクラインをオルカへと瞬時に持ち替え、同時に『刹那』を発動させる。
一瞬で翼を両断されたキメラは、無様に地面を転がった。
その時。
「──あれは‥‥UPC軍だ!!」
ユウが声を張り上げた。
前方に数多の車両が見えた。
誇らしげに掲げられた旗には、UPC軍のマーク。
「救援か!」
ハンドガンから更にイアリスへと持ち替えていた氷狩が、腕に噛み付いているキメラを刺し殺し、振り払う。
「助かった‥‥」
ミカエルの各部から火花が飛び散る阿頼耶は、安堵し切った表情で膝をついた。
状況を察したのだろう。
キメラ達が一斉に身を翻した。
だがそこに、無数の火線が浴びせられる。
軍の一斉射撃は、瞬く間にキメラ共を駆逐していった。
●空白
「来たぞ」
トラックを視界に捉え、悠は静かに言った。
自身もそうだが、ヒューイもファルロスもぐったりしている。
身体の傷はさほどでもないが、精神的な疲労が限界に近い。
彼らから少し離れた位置には、無数の死骸が転がっていた。
数えるのも馬鹿らしいほどの小型ドラゴン。
それから中型ドラゴンと、リザードマン。
そして三人の傍らには、横たえられた泰時。
数メートル手前でトラックが停止し、助手席から転がり落ちるような勢いで花織が飛び出してきた。
脇目も振らずに泰時の元へ。
──絶句。
膝をつき、彼の肩を揺さぶる。
「‥‥泰時?」
頬に手をあて、その冷たさに驚く。
「すまない」
努めて平淡に、ファルロスは言った。
ヒューイは口を真一文字に結び、きつく拳を握り締める。
「泰時殿に救われたか‥‥」
少し離れた場所で、天子は静かに呟き、黙祷した。
(「死んだら、そこで終わりじゃない‥‥どうしてあんな簡単に自分を棄てられたの?」)
クラリアは胸の前で、ぎゅっと手を握った。
聞きたかった。なぜ自分の命を粗末にしたのかを。
花織の硬直が解ける。
皆が見つめる中で、彼女はそっと静かに、泰時に口づけをした。
それからゆっくりと立ち上がり、一同へと振り向く。
「‥‥私を助けてくれて、ありがとう」
頭を下げて、彼女は言った。
「泰時を助けようとしてくれて、ありがとう」
声を震わせて、彼女は言った。
「大丈夫‥‥わかってる‥‥本当は、ちゃんとわかってる‥‥」
なにが、とは、誰も口にはしなかった。
彼女の足元に、水滴が落ちる。
零れ落ちる、涙。
それと同時に、空が唸った。
いつの間にか、黒い雲。
そして降り出す、雨。
それはまるで、痛みを洗い流そうとするかのようで。
いつまでも激しく、降っていた。