●リプレイ本文
「遅くなってしまったな」
車から降りた時枝・悠(
ga8810)が周囲を見渡しながら零すと、
「陽が落ちる前には片付けたいですね」
バイクを降り、AU−KVに身を包んだ常世・阿頼耶(
gb2835)が西の方角を見て応えた。
太陽は見えないが、周囲は既に薄暗くなり始めている。日暮れまであまり余裕はなさそうだった。
「にしも、竜型キメラと生身でやるのか‥‥」
気が進まなさそうに呟いたのは、ユウ・ナイトレイン(
gb8963)だ。
「まぁ最悪、キメラは放置でもええみたいやし」
髪を後ろに束ねて覚醒の準備に入る冴木氷狩(
gb6236)に、ユウは「まぁね」と相槌を返す。
「まずは‥‥ふたりをたすけナいと‥‥いそぎマしょう」
言うなり、クラリア・レスタント(
gb4258)はその意思を示すように覚醒し、紅の瞳を石段の上へと向けた。
「話を聞いた限りだと、じゃじゃ馬娘と護衛さんは本堂に隠れてそうやね」
「連絡がつかない以上はそう考えるのが妥当だな」
凛とした立ち姿の鳳凰 天子(
gb8131)が、思案顔で氷狩の後に続ける。
「お嬢さんの救出は、二人に任せたよ」
ヒューイ・焔(
ga8434)がそう言うと、クラリアと天子は静かに頷きを返した。
「それじゃ‥‥そろそろ行こう、か‥‥」
柔らかな口調で霧島 和哉(
gb1893)が促し、作戦は密やかに幕を開けた。
◆
息を潜めて音を立てぬように石段を登り、山門が見えたところで一行は戦闘班と救出班の二手に分かれた。
寺の周辺は身を隠すには事欠かない。草木を利用しながら、彼らは慎重に境内の様子を窺う。
境内には巨大な竜型キメラが鎮座していた。
「ん〜‥‥想像以上の大きさやねぇ‥‥これ、生身でやりあう相手とちゃうやろ‥‥」
氷狩の感想は尤もだ。
目算で体長は六メートル、尻尾は三メートル、翼は片翼だけで四メートルはありそうだ。硬そうな鱗が全身を覆い、丸太のような六本の足を持ち、尾には凶悪な棘が生えている。
遠目でも迫力はかなりのものだった。だが、今のところは随分と大人しい。
和哉はゴーグルの望遠機能を利用し、木陰から周囲をじっくりと観察する。
一同は、何故こんなところにキメラが居座るのかと疑問に感じていた。
その原因を探ってみるが、
「目ぼしい物は‥‥見当たらないね‥‥」
これといって気になる物はなにもなかった。
「近辺にも特に目立つものはないですね」
周辺を歩き回ってきたユウも、小声で皆に報告する。
「取り合えず、状況に変化があるまでは待ちましょうか」
何が起きても即座に対応できるようにライスナーを構えながら、阿頼耶は木の幹に背を預けた。
◆
境内を外側からぐるりと回り込み、クラリアと天子は本堂を挟んでキメラとは反対側に来ていた。
荒れ放題の寺を見て、天子が呟く。
「まるで廃寺ではないか‥‥お嬢さんは何故こんな所へ」
「願掛けにしても、ここでなければならない理由があったんでしょうね」
本堂までの空き地を素早く駆け抜け、二人は裏口から内部へと潜り込んだ。
感覚を研ぎ澄ますと、確かに人のいる気配がする。
「花織さん泰時さん、助けにきました‥‥」
クラリアの小声の呼びかけに、物音が続いた。
二人には見えないが、「誰?」と驚きの声を上げそうに花織の口を、泰時が咄嗟に塞いでいたのだ。
気配を頼りに進むと、丁度廊下に顔を出した青年と目があった。
「澄川の親父さんの依頼?」
気怠げな小声で、泰時が訊いてきた。
天子は首肯し、視線で「花織は?」と問い掛ける。
泰時も無言で、襖を静かに開けた。
中を覗くと、仏頂面の少女がこちらを見上げている。比較的綺麗な畳みの上に足を投げ出して座っており、ブーツは脱いでいた。
よく見ると、左の足首が腫れ上がっている。
「アレが降りて来た時に、驚いて捻ったみたいでさ」
本人には聞こえない囁き声で、泰時は天子に告げた。
「抱えて逃げることも出来なくはないんだけど、あんまり腕力に自信なくてね。あと、どうしても井戸水を汲まないと帰らないって駄々こねてさ」
ここは既に囁き声ではなくなっていた。その代わりに、騒ぐなよ、との意味を込めて、花織に向かって自分の唇に人差し指を当てる。
丁度抗議の声を上げかけていた花織は、それも封じられた格好となって更に憮然とした。
「一緒に退避しては貰えないだろうか」
花織の横に膝をつき、天子は落ち着いた声で語りかけた。
「‥‥水が欲しいのよ。井戸水。ほっとけばその内あのキメラもどっか行くんじゃないの?」
「そうとは限らない。ここに長くいては、いつ戦う必要が出てくるとも知れない。貴女の救出は父上からの申し出だ。少し我慢してくれれば、安全な場所へ必ず送り届けると約束する」
天子の真摯な口調に、花織の視線は落ち着きをなくしていた。
泰時は柱に背中を預け、傍観に徹している。花織も頭ではわかっているのだ。だが意固地になっている彼女を説き伏せるのは、気心の知れている彼では逆に難しい。見ず知らずの人に迷惑を掛けている。その良心に訴えかけるのが最も手っ取り早かった。
畳み掛けるために、クラリアも花織の傍らに腰を下ろした。
「お願いします。貴女を無事に助けるのが『お父様』からの願いなんです。井戸水は私が汲んでおきますから、どうか」
深く頭を下げるクラリア。
顔を見なくとも、花織が逡巡が伝わってくる。父親の存在を出され、明らかに揺らいでいた。
やがて、溜め息と共に「わかったわよ‥‥」と花織が呟く。
クラリアと天子はそれと気付かれぬよう、ほっと一息を吐いた。
「では拙者の背中に」
屈む天子の背に、花織は大人しくおぶさった。
「先に裏口の方に向かっててくれ。俺はキメラを見張ってるから」
そう告げて、泰時は音もなく廊下を歩いていく。
「じゃあ行きましょうか」
クラリアが促して天子が歩き出した瞬間、「あ、ちょっと待って」と花織が口を開いた。
「水筒があるから、渡しておくわ」
何故今。
二人とも同時に思った。
咄嗟に「後でいい」と言おうとしたが、既に花織はバッグに手を伸ばしており、背負われた不安定な体勢から水筒を取り出そうとして──落とした。
ゴトン──コーン‥‥
奇跡的なほどの清清しさで、音が響いた。
◆
「──動いた」
ヒューイが剣の柄を握る手に力を込める。
それまで殆ど微動だにしなかったキメラが、突然首をもたげて本堂の方を見ていた。
水筒を落とした音がこちらに聞こえることは流石にないが、何かがあったのだとは容易に想像がつく。
号令をかける必要もなく、無言の意思疎通で六人は行動を開始した。
機先を制したのは阿頼耶だ。
キメラの足の付け根──鱗の隙間に狙いを定めて、彼女はライスナーの引き金を引く。
狙いは良かったが、着弾の直前にキメラが動いたことで銃弾は体表の鱗に弾かれた。
ダメージこそ負わせられなかったものの、注意はこちらへと向けられる。
そこへ和哉、悠、ヒューイの三人がキメラの正面に陣取り、ユウと氷狩は側面へと回り込む。
その時、キメラの咆哮が大気を震わせた。
遠く、空の彼方まで響くほどの轟き。
胆力のない者ならばそれだけで竦み上がってしまうほどの雄叫びだ。
怯む者は誰もいなかったが、微塵も意に介さなかったのは和哉一人だけだった。
氷雨とプロテクトシールドを手に、キメラの真正面に立つ。
そこへ、空気が唸りを上げるほどの勢いで、キメラの前足が振り下ろされた。
硬質な物が激突しあう耳障りな音が、周囲に響き渡る。
和哉の覚醒よって生じる、氷霧の虚像が美しく舞い散った。
地面に足が沈むほどの一撃をしっかりと盾で受け止め、和哉は耐える。
その隙に懐に潜り込んだのはヒューイだ。
カミツレを手に、がら空きの前足の付け根へと剣を打ち込む。
渾身の一撃。
ダメージを与えられはしたが、重く硬い感触に手が僅かに痺れた。
「鱗の隙間でもこの硬さか」
反撃を受ける前に離脱し、ヒューイは剣を握り直した。
反対の左前足側では、悠が探るような動きで軽い攻撃を何度も仕掛けていた。
黄色く染まった左目で、油断なくキメラを見つめる。
本堂から引き離す為にキメラの行動を観察しているのだが、狭い範囲では動き回るものの、境内の範囲から出そうな素振りは感じられなかった。
同様に氷狩も、本堂へ注意が戻らないように攻撃しつつ、キメラの様子を注意深く見ているのだが、やはりいまひとつ掴めないでいた。
当たれば脅威だが、避けるのはさほど困難ではない大振りの攻撃を掻い潜り、イアリスで翼に斬りつける。手応えはあるが、飛べないほどに傷を負わせるのは難儀しそうだった。
「ちっ、流石に硬ぇな‥‥」
金色の鋭い目つきで、苛立たしげにキメラを睨む。
反対側で氷狩と同様に翼を狙うユウも、ダメージの通らなさに歯噛みしていた。
『流し斬り』を用いて、二刀小太刀で立て続けに斬り付けるが、薄らと傷を負わせる程度しかできない。
彼もまた戦いながらにしてキメラの動きを探り見ていた。
居座る理由はなんなのか。
守るべき物があるようにも見えず、いまいち見当がつけられない。
とは言え、当面の目的は時間稼ぎである。
彼らが注意を引き付けている間に、クラリアと天子が花織の避難を済ませられれば勝ちなのだから。
◆
「ばーか」
物音を聞いて引き返してきた泰時が、花織を見るなり疲れた声でぼやいた。
廊下に転がる水筒を拾い上げ、蓋をきっちりと締める。
「ご、ごめん‥‥なさい‥‥」
青ざめる花織。流石に自らがしでかした失態の大きさには自覚があるらしい。
「──外の様子は?」
聞こえてくるのは銃声、咆哮、剣戟の音。
既に訊くまでもなかったが、天子は泰時に確認する。
「キメラには気付かれたけど、君らのお仲間さんが注意を引き付けてくれてるよ」
「急ぎましょう」
告げて、クラリアは走り出そうとしたが、コートの袖を花織が掴んで引き留めていた。
「なんですか?」
「これ、今外で、キメラが暴れてるんだよね?」
「そうですが‥‥」
何を今更と思い、クラリアは小さく首を傾げる。
「井戸は境内にあるの。壊されたら汲めないじゃないっ」
途端、焦りを露わにする花織。
本来ならば途中の坂にも井戸があったのだが、そこはとっくの昔に壊れて汲めなくなっていた。
「‥‥何故そこまで拘る?」
かねてからの疑問をぶつける天子に、
「‥‥このお寺は、お父様とお母様の思い出の場所なのよ」
花織は躊躇いがちに、訥々と語り出した。
ゆっくり話を聞いている場合ではなかったが、無理を通そうとして暴れられるのも厄介だろうと判断し、二人は大人しく耳を傾けることにする。
「お父様、健康にだけは運がなくて‥‥どんなに気を遣っていても何年かおきに重い病気にかかって、お父様は諦めていたけど、お母様はなんとかしようと必死になってた。結局その無理が祟ってお母様は身体を壊して死んじゃったけど、お母様は亡くなる直前にここの水を汲んでいて、その水を飲んだら、絶望的と言われてたお父様の癌が治ったのよ。そりゃあ偶然なんだろうけど‥‥でも、もしかしたらなにかあるかもしれない。お父様、私には隠してるけど、また何かの病気にかかってるのはわかってる。私だって役に立ちたい。でも私にできることなんて、他になんにも思いつかない‥‥水ひとつ汲めないなんて、情けなさすぎるよ‥‥」
長い長い独白に、泰時は長い長い溜め息を返した。
それから、花織の頭を優しく叩く。
涙ぐむ花織の目尻を、指で拭う。
「‥‥水は汲むから、安心しろって」
「任せてください。私たちがなんとかします、必ず」
花織の手を取り、クラリアは真摯な瞳で彼女の目を見つめた。
「おぬしにできることは他にいくらでもある。今大事なのは、無事な姿をお父上に見せて差し上げることだ」
少女を背負い直し、凛々しい口調で、天子が諭す。
「わかった‥‥ありがとう。任せる」
濡れた声で答え、花織は天子の背中にしっかりとしがみついた。
「水は俺が汲むよ。悪いけど二人は花織を安全な所まで運んでくれる?」
「いえ、泰時さんには避難先で花織さんを護衛して頂きたいので、私がやります」
「──了解。じゃあ頼むよ」
水筒をクラリアに手渡し、泰時は軽く頭を下げた。
◆
AU−KVの脚部にスパークが生じる。
『竜の翼』を使った阿頼耶は、キメラとの距離を一気に詰めた。
他に気を取られているのと、接近が一瞬だった為に、キメラは阿頼耶の密着に気付いていない。
彼女は貫通弾を装填したライスナーを構え、『竜の息』を発動させた。
練力が流れ込み、腕がスパークする。
「どんなに固かろうが、これならどうだぁっ!」
発射された弾丸はフォース・フィールドを容易く破り、こちらの攻撃を阻み続けてきた鱗をも貫いた。
ゼロ距離から射出された貫通弾は、深く深く傷を穿った。
キメラが苦痛にのたうつのに巻き込まれぬよう、阿頼耶は一足飛びに離脱する。
効果覿面だった。
これまで小五月蝿い虫でもあしらう様な余裕を感じさせたキメラの動きが、明らかに変化した。
射殺さんばかりの眼光が阿頼耶を捉え、猛然と突進してくる。
会心の笑みを浮かべ、阿頼耶はキメラの誘導を試みることにした。
山林の勾配へと誘い込めば、あの巨躯ならばさぞかし動き難いことだろう。
そんな時、無線機からクラリアの声が聞こえてきた。
和哉たちが再度キメラの注意を引いた隙を見計らい、無線機を手に取る。
「どうかしました?」
『そちらから二時の方向に井戸が見えると思います。そこからキメラを遠ざけてもらえませんか?』
「了解です」
理由は訊かない。必要もなければ時間も無駄だ。
仲間が求めるならば、応えるだけ。
井戸と対角線になる位置に回り込み、ライスナーに貫通弾を装填する。
それから再び『竜の翼』を発動させ、阿頼耶は果敢にキメラへと突撃した。
通信を終えたクラリアは、キメラが井戸から離れるタイミングを見計らっていた。
そして充分に距離が開いたと見るや、『迅雷』を使って井戸までを一息に駆け抜ける。
全身から放たれるほのかな光が美しい軌跡を描いた。
つるべを手にとって桶を急いで落とし、慌てずに素早く水を汲み上げる。
それを桶から水筒に移し変えて、任務完了だ。
蓋をきつく締め、水筒をしっかりと握り、再度『迅雷』を用いて、クラリアは花織の元へと急いだ。
坂を駆け上がる途中、天子は風のように走るクラリアと擦れ違う。
交差した視線は一瞬だったが、言葉は不要だった。
機械剣βを手に、天子は仲間達の姿を探す。
境内からは移動していたが、キメラがでかい上に戦闘の音も派手と来ている。見つけるのは容易かった。
合流するなり、声を張り上げて救出完了を告げると、皆の戦意が目に見えて向上するのがわかった。
牽制や誘導、様子見に徹していた仲間達の意識が、殲滅のそれへと切り替わる。
天子自身もそこに加わりたいところだったが、自身の体調を冷静に見た場合、得策とは思えなかった。
そこでキメラの背後に回り込み、万が一にも尻尾の攻撃を喰らわないように『疾風』をかけつつ、『エアスマッシュ』で相手の体力を削る作戦を採る事にした。
「それにしても、なんでこんな所にこんなキメラがいるんだ‥‥野良とは思えんが、この寺に何かあるのか?」
大暴れするキメラを見据えながら、天子はぽつりと呟く。
「まぁ、終わってから調べればいいことか」
天子は疑問をそう締め括り、機械剣βの柄を持つ手に力を込めた。
氷狩は何度となく翼を斬りつけ続けていた。
幾筋もの傷跡が刻み込まれてはいるものの、しかし、どれも決定打には至っていない。
撤退も視野に入れていた彼だったが、皆の様子を見る限り、倒せない相手ではない、との思いもあった。
「──そんなら、本気で潰しにかかろうか」
イアリスを握り直し、好戦的な笑みを浮かべて、氷狩はキメラへと突撃した。
これまでは打ち振るわれる翼の攻撃は避けるだけだった。
だが今度は違う。
直撃すれば全身の骨が砕かれてしまいそうな攻撃を既の所でかわすと同時に、氷狩はイアリスを突き上げた。
剣を持つ右手の手首を、左手できつく握る。
猛スピードで振るわれた翼。
点による攻撃は翼を貫き、踏ん張る四肢と手首に尋常では衝撃が走るが、氷狩は全身全霊で剣を支えた。
衝撃が通り過ぎると同時、おぞましい音を立てて、一直線に翼が裂けていた。
手首にかかった負荷を癒す為に『活性化』を使いながら、もはや用を為さなくなった翼を見て──
「ざまぁみろ」
氷狩は会心の微笑みを閃かせた。
ユウは呼吸を整え、二刀小太刀を構え直した。
他の仲間が注意を引くのに任せ、翼を潰すことに集中する。
一撃一撃の効果は薄かったが、繰り返し同じ箇所へ攻撃することで下地は準備できていた。
もう少しで翼の機能を奪えそうなところまできていたが、その後がなかなか続けられていなかった。
そこへ、丁度クラリアが駆けつけてくる。
「戦況は?」
オルカを構える彼女に、
「悪くはないね」
ユウはクールに答える。
「もう少しで翼が落とせそうなんだ。協力してくれないか」
「もちろんです」
快諾するクラリアに、手短に作戦を説明する。
頷きあい、二人は散開した。
クラリアは側面の足に向かい、鱗の上でも構わずに斬りつけた。
煩わしそうな素振りの後、足が振り上げられ、踏み下ろされる。
無論、大人しく踏まれるのを待つわけもなくクラリアは身をかわすと、翼の根元へと潜り込んだ。
そして入れ替わりにユウが駆けつけ、踏み下ろしたばかりで硬直状態の足を踏み台にして、キメラの身体を駆け上がり、翼の根元へと登った。
キメラが気付き、振り落とそうと身をよじるよるのも構わず、
「今だ!」
掛け声と共に、無防備な翼の付け根へと渾身の力で斬撃を叩き込む。
下からは、クラリアが『円閃』と『刹那』を込めた渾身の力で、オルカを振るう。
鈍い音と共に、二人の手に確かな感触が伝わってくる。
と同時に、空気の唸りをユウは耳にした。
「あぶない!」
クラリアの声。
ユウは咄嗟に小太刀を交差させた。
そこへ、轟音を伴って振るわれた尾の一撃が見舞われる。
直撃こそ小太刀によって防いだものの、ユウの身体はキメラの上から大きく弾き飛ばされていた。
空中でなんとか身を翻し、滑りながら地面に着地するユウ。
『活性化』でダメージを癒しながらも、力なく垂れたキメラの翼を見て、赤い瞳を不敵に輝かせた。
「これでもう、逃げられることはありませんね」
半ば勝利を確信したクラリアの声が、頼もしく響く。
キメラは明らかに焦り始めていた。
正面で立ち回っていたヒューイには、その焦りが手に取るように把握できていた。
こちらの誘いに乗せられて繰り出した攻撃を回避し、懐に潜り込んでは、鱗に覆われていない部分へとカミツレで斬りつける。
最初の頃こそ回避し切れずに受けに回る場面もあったが、繰り返す内にキメラの動きも鈍り始め、攻撃も単調になってきた。
いける。
その思いに呼応するように、ヒューイを赤い粒子が包み込む。
この好機に畳み掛けない手はなかった。
「喰らえ──『重破斬』」
静かな気合いと共に、『流し斬り』と『両断剣』を併用したカミツレの一撃を、前足の間接へと叩き込む。
破格の威力を持ったその一撃は、足の機能を完全に砕いていた。
咆哮にも似た悲鳴が、キメラの口から迸る。
「‥‥あと少しだ‥‥頑張ろうか」
一旦キメラから離れた和哉は、炎帝の腕輪と炎剣ゼフォンを装備し直した。
そして再びキメラの真正面へと立ちはだかる。
キメラは明らかに和哉の存在を疎ましがっていた。
鉤爪と噛み付きは盾で防がれ、挙句顎にカウンターをくらう始末。
他からは翼を、足を傷つけられ、キメラの苛立ちも頂点に達していた。
一気に片付けてしまおう。
そう考えたかは定かではないが、キメラは大きく息を吸い込んだ。
ブレスの予備動作だ。
それを見た和哉は、防御体勢を取るどころか、
「全ての絶望を、焼き払う‥‥極炎の意思‥‥。今、だけで‥‥いい、から‥‥僕に‥‥力を‥‥」
『竜の翼』、『竜の爪』、『竜の咆哮』を発動させると、吐き出された氷のブレスの中へ、ダメージも厭わずに突っ込んだ。
激痛が彼を苛むが、それも一瞬のこと。
氷の嵐を抜けた先には、がら空きのキメラの顔が眼前にある。
驚愕に目を見開いたように見えたのは、気のせいか。
「行くよ‥‥擁霧。‥‥偽・極炎の一撃(フレア・ストラッシュ)!」
AU−KVへの囁きと共に、加速を乗せた刺突が眼球を貫いていた。
深手を負わせられ、キメラは狂ったように暴れ始めた。
傷ついているにも関わらず翼を振り回し、尾を振り乱し、地団駄を踏むように足を鳴らし、闇雲にブレスを撒き散らす。
「鬱陶しいな‥‥」
悠は冷静に隙を窺いながら、重要器官のありそうな辺りを狙い、体奥を目掛けて刀を突く。
何度目の突きかいちいち憶えていないが、
「思ったほど効果はない、か」
斬るよりは効果的にダメージを与えているが、致命傷には程遠いようだった。
悠の攻撃はメンバーの中で最も重いはずだが、それを何度くらわせても弱る気配がないのは、流石と言うよりは呆れるしかないほどだ。
危険だが、やはり分かり易い場所を狙うしかないだろう。
そう思うに至り、悠は落ち着いてキメラの動きを見極めた。
一見無秩序に見える暴走も、注意深く見れば平時よりもパターンが読み易い事に気付く。
ブレスを吐き切った隙に、死角から忍び寄った悠が口内へ突きを繰り出す。
口内に深手を負えば、ブレスを吐くにも支障が出るはずだ。
そうして正面からの攻撃を封じ、狙うのは、残るもう一つの眼球。
心臓や肺に刀が届かないのなら、次なる標的は脳というわけだ。
ぎこちない動きの前足の鉤爪を月詠で軽くいなし、悠は高く速く跳躍した。
地上三メートルほど。
まさか、という驚愕の色が、キメラの瞳に浮かぶ。
悠は空中で姿勢を変え、キメラの鼻先の鱗に手をかけた。
「これで終わりだよ」
冷たく告げて、鱗を掴む手に満身の力を込めて、思い切りに引く。
もう片方の手で、紅炎を突き出す。
手応えは僅かなものだった。
すっ──と刀はキメラの眼球に沈み込み、やがて切っ先から伝わる感触が変わる。
確信を得た悠は、キメラの顔を蹴って離れた。
空中で身を捻り、鮮やかに着地する。
血と体液と脳髄に濡れた刀を一閃し、穢れを振り落とす。
背後から聞こえる、途切れ途切れの、鈍い、呻き声。
キメラは短い硬直の後、静かに、されど大きく身体を傾け──地響きを立てて崩れ落ちた。
◆
辺りは大分暗くなっていた。陽は落ちかけ、刻一刻と夜の気配が濃くなっていく。
救出も成し遂げ、キメラ退治も無事に終えた後、一同は車の周りで一休みしていた。
「なにか心当たりはないんですか?」
傷ついた仲間の手当てをしながら、ヒューイが泰時に問い掛ける。
「んー‥‥」
上着のポケットに手を突っ込み、車のボンネットに腰掛けた姿勢で、泰時は目を閉じた。
何故あんな所にあんなキメラが飛来し、居座ったのか。
「‥‥本堂の中が、外観の割には綺麗だった印象はあるね」
「人が住んでいたと?」
天子の驚きに、泰時は首を振る。
「そこまでじゃないかな。綺麗は言い過ぎた。誰かが居た形跡はあった、って程度。隠れている間に色々歩いて回ったけど、特に怪しい物も見当たらなかったし」
「バグアでしょうか‥‥」
警戒心を滲ませて阿頼耶が呟き、
「可能性が‥‥ないとは、言い切れないかな‥‥」
「洗脳者や強化人間がいたかもしれんね」
和哉、氷狩と続く。
「となると、この寺は潜伏場所か襲撃拠点か‥‥?」
顎に手を当てたヒューイが、独白気味に零す。
「本堂を調べましょうか?」
ユウの提案に首を振ったのはクラリアだ。
『花織さんを無事に送り届けましょう』
メモ帳にはそう書かれていた。
「それがいい。私たちも消耗しているし、元々の任務はその子の救出だ」
なにより寒いし、と付け足し、悠は手に息を吐きかけた。
真っ白な塊が広がり、中に消える。
「戻ってからUPCに報告すれば、後は上が判断するやろうしね」
氷狩の言葉に、泰時が頷く。
『花織さんの思い出も守れたし、早くお父さんに会わせてあげたいです』
全く被害がなかったわけではないが、本堂は無事だったし、水を汲むことが出来た。やるべきことは充分以上にやれたと言える。
「そうだな。それじゃあそろそろ戻ろうか。お嬢さんもお疲れのようだし」
暖房の効いた車の中では、花織が暢気に寝息を立てていた。
それを見て、天子が言ったのだ。
民間人には辛い体験だっただろうから、致し方ないかもしれない。
「ま、悪い子ではないみたいやけど」
微笑む氷狩に、泰時は「根はいい子なんだよ」と続けた後、
「無鉄砲でわがままだけどさ」
と付け足した。
温かな笑いが広がり、安らぎが訪れる。
和やかなひと時だった。
だがこの時、一行には新たな脅威が迫っていた。
空から飛来する、無数のキメラの群。
それは体長一メートルほどの、小型ドラゴンのキメラたちだった。
無数とは、ほぼ文字通り。
パッと見では数え切れないほどの数だ。
その群の中に、一体だけサイズの大きいキメラが混じっていた。
そしてその背には、人型の『何か』を乗せている。
キメラの群は一直線に仙遊寺を目指していた。
あの竜型キメラの咆哮によって召集されたのだが、能力者たちにそれを知る術はない。
迫り来る脅威は、程なくして彼らの身に及ぶだろう。
襲い掛かる無数のキメラの群から花織を、自分自身を守り抜き、街へと帰りつかなければならない。
救出作戦は、まだ本当の終わりを迎えてはいなかった。