タイトル:Many Honeyマスター:間宮邦彦

シナリオ形態: ショート
難易度: やや易
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/12/23 15:26

●オープニング本文


「もーやだ‥‥」
 心底うんざりとした声で、彼女はベッドに倒れ込む。
 ベッドへ辿り着くまでの間に辛うじて衣服は脱ぎ捨てたものの、髪も身体も汗と埃と乾いた血でかなり汚れていた。
 頭の片隅で──掛け布団が汚れるなぁ──と思いながらも、身体を起こすだけの気力はもう残っていない。

 彼女の名は野宮音子(のみやおとこ)。齢二十二を数える。

 能力者になって二年、その間に数多くの戦場に立ってきた。
 傭兵生活は、それまで生きてきた二十年が霞む濃さだと断言できる。
 戦場は何処だろうと、常に死と隣り合わせだった。
 自分が今五体満足で生きているのは、奇跡に他ならないとさえ思うほどに過酷な日々。

 その生活に、彼女は耐え切れなくなった。

 戦うことに疲れた彼女がカンパネラを訪れたのは、今から四ヶ月ほど前。
 呆然と立ち尽くすほどの衝撃を受けたことを、彼女は今でも鮮明に憶えている。
 平和と喧騒、安穏と緊張、呑気と活気が混在し満ち溢れたカンパネラは、戦いの場から距離を置きたかった彼女には、正に打ってつけだった。
 学園の空気を、彼女はすっかり気に入っていたのだ。
 以来彼女は、聴講生として学生寮の一室を借り受け、居ついていた。

 学園で生活するようになってしばらくは、仕事を全くせずにのんびりとした日々を過ごしていた。
 それはある種、心を癒す為でもあり、現実からの逃避でもあっただろう。
 しかしカンパネラで出会った人々との交流で、少しずつ、彼女は失っていた気持ちを取り戻すことができた。
 そしてつい最近、ようやく再び戦いに赴けるほどに立ち直るに至り、依頼を受け始めた。
 ──のだが、ご覧の有様である。
 ベッドに突っ伏したまま、音子は思い出したくもない記憶に苛まれていた。

 手に残って消えない、命を消し去る感触。
 例えそれがキメラでも、無感動ではいられない。
 鼓膜に貼り付いて消えない、人々の悲鳴。
 どう足掻いても、助けられない状況がある。
 網膜に焼き付いて消えない、仲間の血飛沫。
 一瞬の判断の迷いが、味方の生死をも左右する。

 復帰後の依頼は全て、辛うじて仲間の迷惑にならずに済んだ、という体たらくの連続だ。
 著しく集中力を欠く彼女に、仲間の傭兵は怒りを通り越して憐憫を感じていたようにすら思う。
 今日もキメラに止めを刺すのを躊躇い、不必要な反撃を受けてしまった。
 決意と行動が一致しないことに、彼女は焦りと怒り、自嘲と諦念を抱きつつあった。
「もーやだ‥‥」
 後ろ向きな台詞を繰り返し、枕に顔を押し付ける。
 誰に見られているわけでもないのに、目に滲むものが零れるより先に、拭き取ってしまいたかった。
 しゃくり上げそうになるのを必死に堪え、息苦しくなるのも構わずに、顔を押し付け続ける。
 やがて、
「シャワー‥‥は、明日でいいや‥‥」
 血と汗と埃に塗れたまま、彼女は泥沼に沈むように、真っ暗な眠りへと落ちて行った。

   ※   ※   ※   ※   ※

 翌朝。
「癒して元気づけてもらおう」
 小気味良い音を発てて、シンクにフルーツ牛乳の瓶を置く。
 風呂上りで身も心もある程度さっぱりした音子は、これ以上ない名案を閃いた、とばかりに明るい表情をしていた。
 窓の外に広がる青空にも負けないほどの晴れやかさだ。
「そうと決まれば依頼だよね‥‥でもさすがに本部からは回せないよねぇ‥‥学園の掲示板に張り紙とか? 生徒会に話を通せばいのかな‥‥雑用部?」
 そこで独り言は一時中断し、メイクを整える。
 次いで着替え。
 扉を開け放ったクローゼットの前で思案すること十数分。
 黒のニーハイ、乳白色と明灰色のツーWAYワンピース、薄い灰地に淡いピンクの花柄のパーカー、黒のカーディガンを身につける。
「どんな人に癒してもらおっかなぁ。可愛い女の子、癒し系男の子、お姉さま系、イケメンパラダイスもいいし、渋いおじさまっていうのもアリだなぁ‥‥いやいや待って待って、発想がおかしい。癒しじゃなくて、いやらしいになってる」
 ふるふると頭を振り、邪念を追い払う。
 ドレッサーの引き出しからお気に入りのアクセサリーを見繕って、外出準備完了。
「‥‥まぁ、細かいことは歩きながら考えようっと」
 白いミドルヒールのパンプスに足を入れ、音子は颯爽とした足取りで自室を後にした。

●参加者一覧

弓亜 石榴(ga0468
19歳・♀・GP
如月(ga4636
20歳・♂・GP
百地・悠季(ga8270
20歳・♀・ER
最上 憐 (gb0002
10歳・♀・PN
新井田 銀菜(gb1376
22歳・♀・ST
大槻 大慈(gb2013
13歳・♂・DG
橘川 海(gb4179
18歳・♀・HD
諌山美雲(gb5758
21歳・♀・ER

●リプレイ本文

「おかえりなさいませっ、ご主人さまっ」
 皆に促されて自宅の扉を開いた瞬間、野宮 音子(gz0303)は驚きで息を呑んだ。
 出迎えてくれたのは、腰に大きな赤い蝶のリボンと、白いソフトチュールたっぷりのパニエが特徴的なメイド服姿の橘川 海(gb4179)。白ニーソが艶かしく、鼻血ものの破壊力だ。
「すっごく恥ずかしいんですから、あんまり見ないでくださいっ!」
 照れくさそうにスカートの裾を引っ張る海の仕草に、音子はあっさりKOされた。
 仰け反った音子を、きぐるみ姿の大槻 大慈(gb2013)が受け止める。
「っと。大丈夫かネコ姉ぇ?」
「‥‥大丈夫じゃないかも」
 しかし後ろに皆がつかえていることだしと、気を取り直す音子。隅々まで綺麗にされた廊下を進み、リビングへのドアを開けると──
「あ、ネコさん、おかえりなさ〜い。夕食の準備が整ってますよっ♪」
 猫耳猫尻尾を付けたメイド服の冴木美雲(gb5758)の歓迎で、再度KOされた。
「ネ、ネコちゃん、気を確かにっ」
 倒れそうになる音子を支え、新井田 銀菜(gb1376)は必死に呼び掛ける。
「あ、ありがと‥‥」
 銀菜の腕に縋って、音子はなんとか意識を保った。
 不意に、袖を引っ張られる。見ると、手荷物を抱えた最上 憐(gb0002)がこちらを見上げていた。
「‥‥ん。音子。部屋。適当に。借りるね」
「え? あ、うん、いいよー」
 なんだろうと思いながらも了承する。
 寝室に入って行った憐を見送った後、音子は改めて室内を見渡した。
 整理しているつもりだったが、それでも目を見張るほど綺麗になっていた。飾り付けされていることもあるのだろうが、それ以上に部屋が清潔な輝き放っているように見える。部屋の中央の硝子テーブルには海の手によるフラワーアレンジが飾られており、文字通りの華やかさをも演出していた。
「おかえり。すぐに食べられるから、席についてて」
 キッチンから顔を出した百地・悠季(ga8270)が、タオルで手を拭きながら一同を促す。彼女もまた、橙の地布に下衣装は桃色のフリルエプロンというデザインのメイド服姿で、それにシニョンにした髪のおかげでうなじが晒され、非常に艶かしかった。
 音子、三度のKOである。しかもそこへ、
「お、かーわいいっ♪」
 弾むような弓亜 石榴(ga0468)の声。
 見れば、ウサ耳メイド姿の憐がいる。
「猫耳じゃないんですね?」
 という銀菜に、
「‥‥ん。ネコ耳より。ウサ耳の方が。好き。長いし」
 と答える憐。
 音子は、畳み掛けられるようにKOされていた。大慈にしがみつき、グロッキー状態だ。
「昼間も散々萌えまくってたのに、ネコ姉ぇ死ぬんじゃないか?」
 大慈は割と本気で心配していた。
「っと、そうだ」
 ぽん、と手を叩き、思い出したように石榴。
「音子さん、買ってきたコレに着替えなきゃ!」
 ざっ、と紙袋やら箱やらを差し出され、音子は露骨にたじろいだ。歯噛みして何事か言いかけるが、言葉にならずに消えていく。
 そしてやがて、
「わ、わかったわよ‥‥」
 それは、石榴には敵わないと悟っている、弱々しい呟きであった。
 大人しく荷物を受け取り、寝室に入る音子。
 しばらくして出てきた音子の姿は、
「やー、これで女性陣は全員メイド姿だねー♪」
 石榴が嬉しそうに手を叩く。
 言葉の通りなのだが、音子のメイド服だけはセパレートタイプでお腹が丸出しな上、胸元も大きく開かれてスカートも短く、しかも下着はまかり間違っても見せられないデザインだった。
 これら全て、日中の買い物での石榴の見立てである。

「ほら、いいから座って」
 その悠季が、盛り上がる一同を窘めるように再度促す。
「‥‥あんたもほどほどにね」
 写真を撮りまくる如月(ga4636)をちらりと見やり、悠季は溜め息混じりに言った。
「わかってます。大丈夫ですよ。公序良俗に反するものは撮りませんから」
 真顔で告げて、シャッターを押し続ける如月であった。
 ちなみに石榴も撮りまくっているが、こちらは危険なアングルでも果敢に挑戦していた。
 そんな戯れの間にも、次々と料理がテーブルに並べられていく。
 メインは二品。
 悠季お手製のデミグラスソース風半熟オムライスと、海お手製の南瓜のグラタン。
 海のグラタンの出来も素晴らしかったが、悠季のオムライスはより一層の逸品であった。
 悠季が音子の為に、腕によりをかけて作ってくれたものである。
 音子の好みを的確に捉えた味付けと、丁寧に仕上げられたふわふわの半熟卵は、今後これを超えるオムライスに出会うことはないだろうと思わせるほどだった。
 全員で舌鼓を打ちながら、オムライスもグラタンも絶賛の嵐である。
 和気藹々としながらも、各自が平らげるまではあっという間だった。
 大慈は憐が食べ過ぎないか心配していたが、そこは流石に憐も空気を読んで自制していた。
 よって、おかわりとして作ってあった分は、満場一致で憐に譲られた。
「‥‥ん。ありがと。美味しいから。嬉しい」
 大満足の憐であった。

 露出度の高い格好をガードする意味も兼ねながら、大慈を後ろから抱え込む音子。
 遠慮なく抱きついているのは、「今日はぬいぐるみだと思ってくれ」と言ってもらったからだった。
 音子はもふもふの感触を存分にもふる。
「それにしても随分と買ったなぁ」
 部屋の隅に置かれた荷物の山を見て、大慈がしみじみと呟いた。
 荷物持ちをしただけに、感慨もひとしおだ。
 如月も写真を撮る手を止めて、何度も頷いている。
 頼りになる荷物持ちが二人もいたのと、はしゃぎまくって買い込んだのとで、結構な量だった。
 特に服が多い。
 美雲とは服のセンスが似ており、彼女が可愛いと思うものは音子にもストライクだった。
 銀菜は落ち着いた服を見立ててくれて、この冬の着回しは既に完璧だ。
 ちなみに美雲も、お揃いの服やアクセを結構買っている。
 大満足の買い物であったが、しかし単純に楽しかっただけではなかった。
 身に着ける羽目になった下着を選ぶ際、石榴に試着室で散々弄ばれたのである。
 試着室内で繰り広げられた光景は、とても良い子に見せられるものでなかった。
 故に、音子は半ば石榴の言いなりなのだ。
 服以外では、如月のアドバイスを受けながら、用途に合わせた包丁を何点か買っていた。
 勉強になることも沢山聞けて、ちょっと周囲を置いてけぼりにしてしまったくらいである。
 買い物以外で印象的だったのは、買い食いに奔走する憐の姿だ。
 『瞬天速』を使ってまで食べることに努める憐に、音子は感心にも似た畏敬を抱いたものである。

「お待たせしました。食後のデザートですっ」
 海が運んできたのは、余裕で別腹を発動させる威力を持ったチーズケーキだ。
 程よい焼き具合と芳醇な香りが、実にそそられる。
 悠季が淹れてくれた紅茶と一緒に、その類稀な美味を味わいながら、
「そういえば」
 と如月が切り出した。
「喫茶店のウェイトレスさん、綺麗でしたね」
「何を言い出すかと思えば‥‥」
 思わず笑ってしまう音子と、
「もぉ、味の感想はないんですか?」
 ちょっと呆れたように、銀菜。
「や、勿論美味しいですよ。喫茶店で食べたケーキにも負けてないです」
 しっかりと堪能するように、目を閉じる。
「如月さんってほんと甘い物好きなんですねぇ」
「ふふふ、甘党男子ですから。ネコさんも甘い物好きでしたよね?」
「うん、でも、あんまり量は食べられないんですよ。沢山食べられる人が羨ましい」
 と言って向ける視線の先には、当然憐の姿が。
 それを物欲しげな視線と勘違いしたのか、
「‥‥ん。食べる? まだ。あるよ。直ぐ。無くなるけど」
 主賓である音子に気を遣って、自分の分のケーキを差し出す憐。
「んーん、大丈夫。憐ちゃん食べていいよー」
 音子の言葉に、ほんの少しだけ安心した気配を見せて、憐はケーキを平らげた。
(でもほんとよく食べる子だなぁ‥‥喫茶店やカラオケで、メニュー全部制覇してたもんなぁ)
 噂では聞き及んでいたが、目の当たりにするとまた新たな感慨を抱かざるを得ないところだ。

「あー、ちょっと喉が枯れ気味かも」
 石榴は喉を手で押さえ、あーあーと声を出していた。
 カラオケで中心になって盛り上げたり、激しい曲や絶叫系を歌い倒したせいだろう。
「すっごいハイテンションでしたよねっ」
「銀菜ちゃんもね」
 音子のイメージでは活発だけども割と大人しい印象だった為、驚いたものである。
「っていうかみんな歌巧すぎ。如月さんの洋楽とか、すごいかっこよかったし」
 ちょっと唇を尖らせて、むくれたように音子が言う。
 確かにメンバーの中では音子が一番下手だった。
「そんなに上手だったんですか?」
 パーティ準備の為にカラオケには行かなかった美雲たちは、興味深そうに耳を傾けていた。
「うん。石榴さんは綺麗な歌声だったし、大慈くんは張りのある安定した歌声だったし、銀菜ちゃんは見かけによらず低音がすごい伸びやかだったんだよー」
 憐はと言えば、マラカスやタンバリン片手に、ひたすら食べまくっていた。
「今度はみんなで行きたいですね」
 美雲の言葉に同意しかけて、音子はちょっと躊躇った。
「‥‥絶対私が一番下手だしなぁ」
「まぁまぁ、拗ねないで。こっちにおいで」
 色っぽい仕草と声で音子を招く悠季。
 拗ねてないと反論しかけた音子だが、そんな気も失せて吸い寄せられるように素直にすとん、と座らされた。
 背後に回った悠季が、音子の髪にゆっくりと櫛を入れる。
 ゆるゆるとやわやわと、それは心を溶かし夢見心地に誘うグルーミングだった。
 それが終われば、今度は悠季が正座をし、耳かき片手にぽんぽん、と太腿を叩いた。
「えーっ、い、いいの?」
「遠慮しないで、どうぞ」
 流石に照れながら、それでも甘えて横になる。
 やわらかで滑らかな太腿の感触に、音子の中で真っ当でない気持ちが湧き上がるが、耳をくすぐる感触に、それも容易く解きほぐされていった。
「あー‥‥気持ちいい‥‥」
 とろん、と音子の声がとろけた。
 耳掃除を続けながら、悠季は無言で目配せする。
 心得た、という表情で美雲は頷き、音子の様子にまだ気付いていないメンバーに囁いて回る。
 小声で言葉を交し合う一同。
「自分は大槻君の所に泊めてもらうので」と如月。
「六時に海岸に集合ですね」と美雲。
「んじゃ、明日の朝にまた会おうぜ〜」と大慈。
「おやすみなさーい」と銀菜。
 男子二人を見送って、音子の部屋には女性陣のみとなった。
 石榴としてはここからが本番のつもりだったのだが──
「いやー、見事に寝ちゃってるね」
 悠季の膝枕で、心地良さそうに寝息を立てる音子の頬を、石榴は指でぷにぷに突く。スカートをめくるのは‥‥やめておいた。
「もう、起きちゃったらどうするんで──」
 石榴の行為を注意しようとした美雲。彼女はケーキの皿を台所に運ぼうとしていたのだが、うっかりと躓いてしまった。
 宙を舞うケーキ皿。全員の脳裏を、惨事が過ぎる。
 が、床にぶちまけられる寸前のところで、憐、海、銀菜、美雲本人がアクロバティックな体勢で受け止めることに成功していた。
「あ、あぶなかったぁ‥‥」
 へなへなとへたり込む美雲。
「なにをやってるんだか」
 くすくすと笑いながら、さわさわと手櫛で音子の頭を撫でる悠季。
 夜は、ゆったりと平和に更けていった。



「こっちだ、こっち〜」
 手を振る大慈の元へ、ダッシュで突撃する音子。
「寒い!」
 第一声がそれである。でもってきぐるみの大慈を抱き締めて、暖を取る。
「ちょっと寒いけど、早朝の海って気持ち良いですね♪」
 伸びをして、美雲は大きく息を吐き出した。真っ白な吐息が溶けて消える。
「温まるぞ」
 持参した温かいお茶を、悠季は寒がるメンバーに配って回った。
 魚介類が落ちてないか探す憐。
 銀菜に背後から抱きついてなにやら微妙な手つきでもにょもにょしている石榴。
 日の出までもう少し。
 打ち寄せる波。吹き抜ける風。
 音は確かに溢れているのに、しかし感じるのは、静謐さだった。
「海を眺めてると、落ち込んだ気持ちも癒されるんだよなぁ」
 視線を水平線に向けながら、大慈はぼんやりと呟く。
「そうだねぇー‥‥」
 茫洋たる海を見つめ、音子もまたぼんやりと。
「ネコさん」
 傍らに寄り添ってきた美雲が、静かに語りかけた。
「私、思うんです。普段でも仕事でも、気負わず等身大の自分で居れば良いんじゃないかなって‥‥」
「‥‥うん。そうだよね」
 込み上げてくるものに少しだけ言葉を詰まらせて、音子は深く頷く。
「年下なのに、ちょっと生意気でしたね」
 苦笑して、可愛らしく舌を出す美雲の頬に、音子は微笑んで手を伸ばした。
「そんなことないよ。ありがとう」
 本当は美雲の頬にキスでもしたかったのだが、流石に自重した音子さん。偉い。
 バイクに腰掛けていたライダースーツ姿の如月が、バイオリンを片手にゆったりとした足取りで音子に歩み寄る。
「一杯辛い思いをしてきた。あなたも自分らも。でもね、一人で抱え込んじゃダメですよ。いっぱい誰かに愚痴って、泣きついて、時には暴れてみたり。それでいいんです。だって、強い人なんかいないんですから」
 音子はもう、海を見ていなかった。きぐるみの後頭部に、顔を押し付けているせいだ。
「相手がいないならいつでも自分がなりますよ、殴られようが泣きつかれようが愚痴られようが、ね?」
 そう告げて、如月はそっと音子の手を取り、小さな包みを握らせた。
 なに? と鼻声で訊く音子に、後で開けて見て下さい、とだけ答える。中には鈴の髪飾りと携帯の番号、「イライラしたらいつでも愚痴を」とのメモが入れられていた。
「──あ、ほら、太陽が昇りますよっ?」
 弾むような、海の声。冷たい夜にも昇ってくる太陽にも負けないような、明るい声。
「おはようございますっ。今日も一日がんばりましょうっ!」
 背中を押す、力強い声。
「バカヤロー!」
 唐突に響く、太陽に向けた石榴の声。
 音子は思わず噴き出し、声に出して笑っていた。

 やがて、澄んだ音色が続いた。如月が柔らかな音楽を奏でている。
 まるでドラマのワンシーンのように、空気が変わっていく。
 石榴の魔の手から逃れてきた銀菜が、色んな意味で頬を紅潮させながら音子の隣にやってきた。息を整えると、真っ直ぐに音子の目を見つめ、いつもの、いつも以上の、お日様のように明るい笑顔を浮かべる。
 必要な言葉は、言ってくれた人がいる。ならば、余計な言葉を重ねる必要もない。
「私からのクリスマスプレゼントです」
 最高の笑顔と共に、オルゴールを手渡す。
 大事に大事に受け取った音子は、そっとハンドルを回した。
 やがて流れ出す、クリスマスソング。
 如月が旋律を揃えた。
「‥‥みんな、ありがとう」
 涙声を振り絞り、音子は言った。
「みんな、ありがとう。すっごい嬉しい。──大好き!」