タイトル:黒白に沈む放浪者マスター:京乃ゆらさ

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/10/23 00:32

●オープニング本文


 少女は不確かな浮遊感に抱擁されていた。
 何かつらい事があった筈なのによく思い出せなくて、どうしようもない焦燥感がさらに心を殺して。
 友達が、死んだ筈なのだ。ちょっと前に。ずっと前に。それからがんばって、がんばって、何かを手に入れた。でも、手に入れた筈の何かを思い出す事もできない。
 ――彼女はバグアの側から‥‥。
 銃? 剣? 物騒な物を持った誰かが何かを言っている姿が脳裏を過る。彼女って誰。私って誰。自問すれば必ず、頭の奥から自然とその光景が浮かんでくる。人が『彼女』を殺す光景が。
 その『人』は、腕や顔や脚や、身体の周りに何かを纏ったような人で。その人達が、『彼女』を殺していた。
 これは何だろう。見た記憶はないのに、観る事ができる矛盾。でも妄想でそんな事ができる筈がない。ならばこれは、実際に自分が経験した事に違いないのだ。であるならば、やるべき事は決まっているのではないだろうか。
 だって、人が殺されているのだから。『彼女』が殺されているのだから。
 ――事故‥‥?
 ほんの頭の片隅で、警鐘が鳴り響いた気がした。しかし圧倒的な現実感には勝てるわけがない。
 ――私は、『彼女』を助ける為に戦う。

 ‥‥でも、『彼女』って誰?

 ◆◆◆◆◆

 町は、静かな混沌に叩き込まれた。
 23時を越えた頃だろうか。堂々と、いや滔々と宙を滑るように町に侵入した天使は、胸に抱いた少女の無意識を反映するかのように、狙いも何もなく翼を払った。羽根が鋭く飛翔する。次々と建物に突き刺さり、ガラスが甲高い音を立て歩道に落ちた。
 一瞬の無音が通りを支配する。直後、悲鳴。
 我先にと逃げ惑う人々。元々大きな街とは言えない為、数は少ない。その少数の夜遊び組がまろびながら天使から離れていくのを、少女は無機質な天使の腕の中で眺めていた。
「‥‥何だっけ」
 ここまでどうやって来たのかも覚えていない。確固たる思いがあった筈なのにそれすら掌から零れ落ちそうで、もはや全てが夢幻のよう。少女は緩慢に瞬きする。合わせて天使が宙を滑り、1人の女に肉薄した。眼前に迫った黒髪。それを伐採でもするように、天使の銀糸が横に薙いだ。ごとり、と落ちる首。少女はその首を一瞥し、次に左の方に目をやった。
 噴水。広場。
 備え付けられたベンチの1つに、何か黒い影が蹲っていた。目を凝らしてみるとそれは何かを守るかの如く背を丸めた女と、その下から手を必死に伸ばそうとする女の子。天使に抱かれた少女はその2人を見た瞬間、激しい嘔吐感に襲われた。
「な、んで、わたし、こんな‥‥」
 ただの人を■しても意味がない。傭兵だ、傭兵を■して『彼女』の居場所を吐かせ、そして取り戻すのではなかったのか。そうだそうだ。だったらこんな所に用はない。早く傭兵を誘き出して■す計画を考えないと。
 少女が天使の腕の中で身じろぎをした。「もっと落ち着ける所に行って」。そう、命令しようとした。それを。
『――■■!!』
 天使は、拒絶した。
 広場へ翔ける。天使が翼を広げた。ベンチの2人の小さな祈りが少女の耳朶を打つ。やめてやめてやめてやめて。叫んだ筈の言葉は誰の耳にも届かない。天使の翼が2人を引き裂く。粘つく液体が降り注ぎ、少女の額から鼻梁に垂れ、口内に流れ込んだ。
 鉄の味が鈍く広がる。
「あ、あぁあ‥‥」
 少女が唾を吐き出そうとして、胃の中の物までぶちまけた。だが、天使は止まらない。噴水の真上で留まるや、四方へ死の翼を振り撒いていく。混沌が大きくなるにつれて周囲の悲鳴も大きくなる。その声が、さらに少女の脳を殺していく。
「わたしは‥‥」
 少女――ナナ・アラストル(gz0223)が最後に聞いたのは、天使の愉しげな哄笑だった。

●参加者一覧

ロッテ・ヴァステル(ga0066
22歳・♀・PN
幸臼・小鳥(ga0067
12歳・♀・JG
アグレアーブル(ga0095
21歳・♀・PN
翠の肥満(ga2348
31歳・♂・JG
龍深城・我斬(ga8283
21歳・♂・AA
エレノア・ハーベスト(ga8856
19歳・♀・DF
ファブニール(gb4785
25歳・♂・GD
杠葉 凛生(gb6638
50歳・♂・JG

●リプレイ本文

 昏く、紅い世界が視える。
 いつから私の世界はこんな色になったんだろう。
 組織に入った時? 何かを失った時? ううん、きっとそれは。

●街の灯
 深夜の騒乱に集中を乱す事なくアグレアーブル(ga0095)は過去報告書に目を通す。彼女の顔見知りたるロッテ・ヴァステル(ga0066)や幸臼・小鳥(ga0067)、またファブニール(gb4785)等、ギリシアに頻繁に赴いていた傭兵の直感がこう伝えていたのだ。
 強化人間ナナ・アラストルが絡んでいるに違いない。
 アラストル。ギリシア語で復讐者。自身の決意を表した偽名にアグレアーブルも興味を抱く。が。
「だからと言って」
 粉塵が風に舞う。龍深城・我斬(ga8283)がぎり、と奥歯を噛み締めた。
「無力な民間人殺して回るのが戦争ってか? そんなの俺は認めねぇ! いくぜ皆!」
「まあ待て。見たところ敵は方々に散っている。効率的にやらねぇとお前さんの言う『民間人』も助けられん」
「んな事解ってる! ‥‥すまん」
 杠葉 凛生(gb6638)に諫められ、我斬が深呼吸する。どこかで火災も発生したか、焦げ臭い空気が肺を満たした。
 と、町から車が飛び出してくる。凛生が停めた。傭兵だと告げて安心させ、訊く。
「敵は虎と天使と蛇みてぇな女だけか? 何か知っていたら教えてくれ」
「お、俺は知らねぇ。ただ女がどうとか他の奴が‥‥」
「そうか。助かった」
 車が動く。と、すれ違うように2台のバイクが徐行してきた。ロッテ&小鳥組と翠の肥満(ga2348)&エレノア・ハーベスト(ga8856)組。翠が車体脇のベオウルフを脚で叩く。
「いやはや。楽しそうな事ンなってますな」
「うー‥‥キメラがいっぱい‥‥ですぅー! 急いで‥‥向かわないとぉー」
「さっきからちらちら見えとるけど」エレノアが翠の後ろから宙を見た。「あれ。あん時見た天使やろか」
 アフリカ進攻の前後か、エーゲ海上で見た姿を思い出す。
 ファブニールがロッテに、先程凛生が聞き出した『女』の存在を伝える。ロッテは腰に回された小鳥の腕の感触を確かめ、首を傾げる。
「あの娘らしくないわね」
 ファブニールが唇を引き結ぶ。
「‥‥はい」
 今まで己の歩いてきた道を、ナナと対峙してきた事を後悔はしない。だが他に道はあった筈だとも考えてしまう。だから、辛い。
「今はやるべき事をやらないと、ね」
 ロッテはファブニールの背を叩くや、グリップを捻った。

●成功争い
 一行は大通りを南下する。目指すは中央広場。深夜にも拘らず建物の陰から時折覗く燐光が気味悪く、『女』もそこにいる筈だと思えた――が。
「!?」
「チィ‥‥!」
 突如物陰から溢れた殺気に反応する凛生。バイクと影が重なるより早く銃撃が影を捉えた。銃声銃声。
 咆哮が轟く。虎か。我斬が雷の如く影へ迅るや五指の爪を振り上げた。血飛沫が街灯に煌く。
「ここは任せろ!」
 左右から膨れ上がる殺気。アグレアーブルと凛生が同じく留まる――間もなく右から肉薄する影3つ。凛生が地獄の番犬を使役する。銃声。間髪入れず強欲の銃弾。この闇夜で連続命中。傾ぐ敵。アグレアーブルの銃撃が加わり、直後、自身すら弾丸となって突っ込んだ!
「――障害は速やかに排除する」
「いつまでもそこに突っ立ってんじゃねえ。『解って』るな?」
 冷徹な凛生の声が大通りに響くや、アグレアーブルの真横を抜けた銃弾が影の額を穿った。咄嗟にアグレアーブルが腰を捻って脚爪の追撃を見舞う。
「信頼して頂けたようで感謝します」
 無表情で皮肉を吐いて次の虎に向かい――怖気が、走った。
 跳び退るも遅い。妙な倦怠感が彼女を蝕む。不可視の衝撃が降り注いだ。アグレアーブルが苦痛に眉を歪めた、瞬間。
「僕のアーさんいぢめる奴ァ誰だ! そこか!!」
「‥‥そんな関係やったんならうち変わろか?」
 愉快な身元不詳がウィリー状態で乱入した。急停止。後輪をぶん回して石を拾うやビル3階へ投擲する。ついでエレノアが刀を抜くや、軽く振った刃から衝撃波が迸った。気配が遠ざかる。
「今のが蛇みたいのでしょ多分。あっちは僕らが」
「了解。それと」
 改めて虎2体と対峙する3人。その中でアグレアーブルは闇に消える翠達へ返事した。
「私は、翠さんのものではありませんので」

「ッたくぅ‥‥こんな真夜中にお祭り騒ぎ起こしてくれちゃってさ!」
「遠当て、十束剣斬り裂け」
 翠閃から放たれた閃光が宙を翔ける。それが正面ビル2階をぱっくり引き裂き、壁と共に敵を薙いだ。落下する蝮女。翠が速度を緩める。
「よっしゃハーベストさん、ゴーでっせ!」
「はいな。蛇だけに毒とか持ってそやね、牙やら息やら気ぃつけた方がええかもしれん」
「僕に不可能はなぁい! ふははははー!」
 小跳躍、ふわと道路に着地するエレノアの背で素晴らしき精神論が木霊する。
 街灯に冷たく照らされた蝮女。落下の衝撃で挙動が鈍い。なら。
「このまま‥‥これで沈め、蛇女!」
 体勢を立て直すより早くエレノアが駆ける。真正面に踏み込み反転、演舞の如き動きから遠心力を加え袈裟に斬り下ろす。迸る緑血。間髪入れず一閃するや回転、右の翠閃で再び斬った。
「終りまへんえ」
 同時に左の剣が煌く!
 斬。流麗な連撃が斜めに敵を断つ。翠が口笛を吹き辺りを見回した。気配多数。騒ぎすぎたか。
 本番だぜ。翠が口角を上げる。
「さあさあキメラの皆さんよ、翠の肥満様がピカピカの斧ォ引っ提げてご登場だ! 精々華々しくくたばってくれよォ!?」
 光届かぬ暗闇へ、竜殺しを担いだ翠が翔ぶ!

●独裁者
 中央へ急行したバイク――ロッテと小鳥、ファブニールは狂える天使の無差別な攻撃を目撃した。残酷な翼の欠片が降り注ぐ。噴水は水を零し、建物は辛うじて耐えている有様。街灯に照らされた路面は凸凹で所々紅い染みが広がり、壊れたベンチには祈りを捧げる骸が重なっていた。
「堕天使が‥‥!」
「いきますよぉー!」
「待って下さい! 何か持ってませんか?」
「むー? ここからでは‥‥まず引き摺り下しましょぅー」
 小鳥が降車後2丁拳銃の弾を確認する。ロッテがバイクを停めた。準備、完了。
「じゃあ」
 3、2。
「Aller!」

 連続する銃声!
 敵が背を向けた刹那、小鳥が陰から躍り出て双銃を撃ちまくる。銃弾が次々羽を穿つがそれだけで落ちる気配はない。敵がゆらと向き直り、翼を振った。飛翔する羽根。小鳥が腕で顔を庇ったその時、射線にファブニールが割り込んだ。
「この力は誰かを守る為に! お前の攻撃など僕が全て受け止める!」
 守る者の矜持。それが圧倒的な咆哮となって敵を縫いとめる。その隙に小鳥が撃つ撃つ撃つ。再装填、狙いを付け直した時、高度が落ちたのが判った。噴水直上、ビル4階分。まだ引きつけられる。
「こっち‥‥ですよぉー?」
「やっぱり、何か抱いてる。ナナさん?」
 盾の後ろで敵を凝視するファブニール。埒が明かないとばかり敵自ら翼を畳む。ファブニールへ突撃を敢行しようとした。次の瞬間。

 陰から陰へ隠密の如く蠢くロッテ。敵は小鳥達に集中している。なればこの時を使って自身の最高の技を叩きつける。その決意が彼女の体を動かす。路地裏、三角跳びで縦に駆け、突き刺した短剣を支点に鼠返しをオーバーハング。10秒で4階程度の屋根上へ移ったロッテは、身を潜めて広場を見る。
 敵は地表に誘き寄せられ、暫くして滑空の体勢に入った。その刹那。
「待ってたわよ!」
 ロッテが跳ぶ!

 小鳥達の目にはほんの影にしか見えなかったそれはしかし、彼女達の勝利を決定付ける一撃となった。
 突撃体勢となった敵が動き出す。直後脇から現れた影が敵の真上を取った。影――ロッテが右脚を伸ばして前宙する。遠心力たっぷりの脚爪が闇に輝き、余韻も慈悲もなく敵頭部へ突き刺さる!
 轟音。敵とロッテが重なって路面へ衝突し、土煙が広場を覆う。その中で立ち上がったのは蒼髪の傭兵。そして、もう1人。
 天使から這い出るように幽玄と現れた、復讐の少女だった。

●サーカス
「重くて痛ッたいぞこの一撃ィイイイ!!」
 爆砕。
 翠が飄々と振り下ろした斧が虎顔面を叩き潰す。脳漿が特殊スーツを濡らすに任せ、翠は路地奥、腕を掲げた蝮女を見据えた。
「本命はお前じゃ! 下が蛇て。下半身蛇て!」
「なんや倒す対象が増えた気ぃするけど、今は」エレノアが周囲の虎を牽制する。「とりあえず不問にしとこ」
「そりゃありがたいですな!」
 縮地宜しく翠が蝮女に肉薄。そこに迫る不可視の揺らぎ。半身ずらすも臓腑を抉る不快感が翠を蝕む。食い縛り、振り上げる!
 鈍い感触。路地の壁すら壊す勢いで回転した。背を掠めて蝮の尾が翻る。それだけで心臓が急激に軋んだ。猛毒を意識するも翠は斧をぶん回す。
「往ねや!」
 横から縦へ。筋肉の切れる音がした。構わず叩き落す!
 直撃。体の半分が挽肉となった蝮女2体目を一瞥した。直後、空から虎が急襲する。エレノアが敵を貫いた。翠が前転して斧を構え直す。エレノアが背中合せで逆を見る。
「翠の肥満はん、騒ぎ過ぎやわ」
「大活躍への布石っちゅーヤツでさぁ」
 翠がキメた。と同時に。
「翠さん、やはり変わりないですね」
 虎の包囲を破るべく、3つの影が突っ込んだ!

「誘い出して集めたいところだが、できねえか?」
「無理、でしょう」
 1体を屠ったアグレアーブルが答えると凛生が嘆息した。が、我斬も彼女に同意するや「仕方ねえか」と凛生が付近の塀に上る。徐に手前の敵集団を狙うと、制圧射撃に移る。
「お前らは奥の集団をやれ、俺がこっちを止める。路地のお2人さんはさっさと蛇女でも見つけやがれ!」
 凛生が吼える。しかし。
 塀に上ったおかげか、視界右に、人の姿が見えてしまった。体が思考と同時に動く。虎と人の間に割り込んだ。
「そこのお前、とっとと地下にでも篭ってろ!」
 迫る虎。凛生が1人で立ちはだかる!

 銃声銃声。傾ぐ敵体躯。アグレアーブルが間合いを詰める。敵は彼女の肉を喰らわんと獰猛な牙を突き立てた。彼女は口腔へ銃把を押し込み、捻った勢いのままに腹を蹴り上げる。
「――速攻です」
「当然だ!」
 アグレアーブルが確実に敵を殺すとすれば、我斬は無差別に吹き荒れる。敵集団へ突っ込むや両の爪で回るように斬りつける!
 左、転じて右を裂くも背後から体当り。体勢を崩すがそれすら利用し前転一閃。牙の反撃をスウェーで躱し、バネの如く振り上げ葬った。
「てめぇらの報い、今ここで味わえ!」
 斬。血潮が顔を染めた。我斬は次へ跳ぶ。
 一気呵成の攻めが集団を崩す。後に残ったのはもはや、残党狩りでしかなかった。

●殺人狂時代
 少女――ナナは片脚で器用に立った。
 瞳には何もなく、茫漠とした笑みを浮かべるだけ。3人が踏み出すと、不意にナナは口を開く。
「みんなじゃまする。わたしのおねがい」
「ナナさん‥‥しっかりして‥‥下さぃ!」
 小鳥の言葉が届くより早く、失った脚の付け根から何かが伸びる。ロッテがミドルで迎撃し、ファブニールが盾で防いだ。その間にナナはソレを支点に移動、自身が武器そのものとなったように突っ込んでくる!
「ッもう一度問います! 貴女はルカさんを覚えていますか、貴女の大切な友人を!」
「ジャマさセナい! 私の色をトり戻スカラ!」
「思い出すんだ彼女の名を! 思い出を! 貴女だけは決して忘れちゃいけない!」
「――■■!!」
 風切音。ロッテが屈む。頭上スレスレを通った鋭利な何かが小鳥の腹部に突き刺さった。吹っ飛ぶ小鳥。気を取られたファブニールだが何とか盾で防ぐ。細剣で反撃。敵が跳んだ。ロッテの短剣が追う。壁に激突し蹲る小鳥へ敵が中空から突っ込む。ロッテが軌道に飛び込む。
「私達はルカを救えなかった――だけどね」宙で投げ、斜めに蹴り落とす! 「今の貴女は、彼女の遺志をも踏み躙っているのよ!」
 直撃。流星の如く瓦礫に突っ込むナナ。触手と片脚で尚も立つ。『立たされる』。
「るか‥‥わたしのいろ‥‥ぁああ、あぁあ■■■」
「来なさい。全ての仇はここにいる。応えて、あげるわ!」

 ――■■あ■■■■■■■■■■■が■■■わた■■■■■■■■や■■!!?

 直線的に飛び込むナナ。ロッテが構えた。速度自体は大した事ない。ならば。
「今は眠りなさい! ラ・ソメイユ・ペジーブル」
 小鳥の銃撃が脚を砕く。ファブニールがロッテの前に進み出るように細剣を突き出した。腕で受けるナナ。もはやロッテしか目に入らないのか、ファブニールとぶつかりながら駆け抜ける。泰然と構えたロッテ。慈愛を与えるが如く清廉とした、一筋の蹴撃を、腰へぶち込んだ。
 沈黙。数瞬、ナナの体が不規則に回って飛ばされる。壊れた噴水に激突し、吐血して倒れ伏した。
 が。それでも震える手足で立ち上がらんとするナナ。意識はきっとない。小鳥が顔を歪めて懇願する。やめて、と。だが答えはない。そして。
「■‥‥」
 瓦礫を支えに起き上がり、口を開きかけたその時。

「それで赦すと、思うか?」

 刹那の煌きが背後からナナを穿つ。
 それは残敵を掃討し、駆けつけた龍深城我斬の爪。
「狂うってのァ悲しみも罪悪感も忘れ楽な道に逃げる事だ。だからって、罪から逃げられる訳じゃねえけどな」
 ごぽ、と。ナナの口から命が零れた。

●『喜劇』
「我斬さん!」
 止まった時を戻すようにファブニールが激昂しかける。その鼻先を抑える形で我斬が吼えた。
「るせぇ! 俺は敵を排除しただけだ、他に何かあるか。お前の胸の内を、こいつに殺された人の墓前で言えるか!?」
 我斬の迫力にファブニールは口を噤む。彼とて最大多数の幸福を望むのだ。何が言える。何ができる。
 ――今まで救えなかったのは、自分だ。誰を恨む筋合いもない。ただ手遅れだった。それだけだ。
 夜目に鮮やかな鮮血が溢れる。
「――貴女が、殺したのは」
 遅れて到着したアグレアーブルが広場の惨状を見渡す。壊れたベンチの死体が目に入り、心の何処かを奔流が駆け抜けた。だがそれを叩きつける相手は、もはや。
「その血は、貴女の血であっても貴女のものじゃない」
 己の不幸を免罪符に命を奪った事、懺悔しなさい。アグレアーブルが冷淡に言い捨てた時、翠、エレノア、凛生も姿を現す。僅かに眉を顰め、凛生が懐の煙草を銜えた。何かを隠すように煙を吸う。
「‥‥幸せな奴だ」
「っ、しあ‥‥何が‥‥ですぅー‥‥!?」
「狂えたまま逝ったんだろう? 幸せ以外の何物でもねえさ」
「そん‥‥そんなのぉ‥‥いきて、いきて‥‥」
 詰る小鳥。倍以上歳の離れた凛生に返せる言葉が浮かばない。肩を震わす彼女をロッテが抱いた。我斬に向き直る。
「本来は私やファブニールがしなければいけなかったかもしれない‥‥感謝、する、わね‥‥」
「そう、か」
 珍しく悔恨の念を滲ませるロッテの表情。我斬はどうしようもないしこりを取り除こうとするように重い息を吐いた。

 かくしてギリシアの町は静寂に包まれた。全ての『敵』を、排除して。