●リプレイ本文
破砕。侵入。阿鼻叫喚。
『虎』が4階オフィスの硝子を破ってくると、人々は恐怖に呑み込まれた。悲鳴が重なり我先にとエレベータに殺到する人々。そこに『虎』は襲い掛かり、蹂躙していく。階段を下ろうとした人間も『人型』に両断された。そして室内で蹲っていた者は。
「に、逃げ‥‥脚、脚が! 誰か助‥‥あああああ!?」
不良社員が腰を抜かし、その体に『虎』が覆い被さった。至近からそれを見てしまった瓶底眼鏡の女は目を背ける。が、それも無駄だ。次に襲われるのは女なのだから。
「私、は」
何とかなる訳がない。女は祈る暇もなく目を瞑り――、
金属音!
いつまでも訪れない『次の瞬間』を訝った。
「‥‥?」
「すまない。もう少し早く来れたら怖い思いをさせずに済んだのだが」
目を開けるとそこには4つの人影。
「賢木君」
「ルコク、頼む!」
「下階は制圧完了。要救助者はどう?」
「俺の目の前で怪我などさせるか」
「当然だな」影の1つが曲刀を振り上げる! 「キメラ‥‥生きて帰れると思うな‥‥無辜の民を傷つけた罪、魂で贖え!」
一気に人影が散る。四方で獣の断末魔が轟き、眼鏡の女は肩を縮こまらせた。女の傍に残った男が手を伸ばす。
「大丈夫か」
「っ」
「名前は」
「メリッサ」
熱に浮かされたように女は懐のハンカチを差し出した。男が受け取る。
「もう心配ない。俺は」
西日が声の主を照らす。女が顔を上げると、男は額の血を拭い不敵に笑った。
「俺達は、傭兵だ‥‥」
●ロケハン
「カーッ!」
監督の声が響くと、そこら中で死んでいた人間が起き上がり、笑顔を見せた。ヤナギ・エリューナク(
gb5107)は大量の血糊を垂らし、息を吐く。
「やーな役だねェ。でもま、良いドラマに仕上げてみせますかっと」
「イイ死に方だったスよー」
「ご苦労様‥‥ドリンク、ありますよ‥‥」
殆ど出番のなかった植松・カルマ(
ga8288)と終夜・無月(
ga3084)が声をかける。ヤナギは適当に応えてスタッフに訊く。
「これどんな音響使ってンの?」
ノートPCで音を引っ張り出させるヤナギ。それを聴き、彼はくしゃっと髪に手をやった。
「‥‥もうちょい此処エッジ効かせてさ、次できゅーん! なんつって。ギャップで攻めたがいいカモ?」
「どういう事?」
「だからー」
瞬く間に監督達と深い話に持ち込んでいくヤナギ。見ていた無月達は呆れるしかなかった。
「あ、遅れましたけど、皆さんおはようございます! 今日はよろしくお願いしますね」
元気に言ったのは神翠 ルコク(
gb9335)だ。柔軟体操中の彼女の前を通り過ぎんとしていたレヴィ・ネコノミロクン(
gc3182)が勢いに圧されて振り向けば、白い鎖骨を露わに上目なルコクと目が合い、
「っ」
「?」
「やぁあん可愛いぃ〜」
衝動的に抱きつきかけ辛うじて自制するレヴィである。沙玖(
gc4538)がジト目を投げかけた。
「‥‥」
「いや、別に。がん、ばれ?」
「きみも目が綺麗よ。今のままじゃ持ち腐れだけれど」
沙玖がそっぽを向く。と、そちらには榊 兵衛(
ga0388)とクラリッサ・メディスン(
ga0853)。賢木とメリッサ、ドラマで結ばれる2人だが、面識の無かった沙玖にすら2人の空気は理解できた。
「何だか、いいですよね」
ルコクの穏やかで淋しげな声が、沙玖とレヴィに届いた。
そして件の2人は。
「何故、今、注目されているんだ」
「さあ?」
くすくすとクラリッサ。兵衛が参ったように頭に手をやって苦笑する。
「しかし。今更だが、どう考えても俺の柄じゃないだろう」
「たまにはいいでしょう?」
「‥‥まぁ、全力は尽すが、な」
期待しないでくれよと兵衛が椅子に座った妻の肩に手を置く。クラリッサは首を傾けて頬で彼の温もりを確かめ、視線を交した。
●2人の距離
『その後私はエミタ適性検査を受け、傭兵となった。180度変わった人生。苦しい訓練も、頭の片隅に残る彼の姿を思えば耐えられた。そして』
騒音が本部を支配する。
装備をつけたまま歩く者。戦友と談笑する者。依頼人と打ち合わせに行く者。人々の運命が交錯するここで女――メリッサはあの時の彼を探していた。
これが恋なのか、それすら解らない。確実に言えるのは、再び会って話がしたいという事だけ。
「なーにやってんのよ。ストーカー?」
「関係、ありません」
「何、好きなヤツでもできた? 昔から仕事一筋って感じで嫁の貰い手いねーとか心優しい俺は心配してたんだが!」
「知りません!」
からかってくるカルマにメリッサが声を荒げ――たその時、視界隅に何かが映った。見覚えのある黒髪が颯爽と歩いていく。認識するや、メリッサは急いで背を向けた。肩越しに彼を見つめる。
「何、お前の好きなの、あいつ?」
「静かに」
胸が早鐘を打つ。息をするのも憚られるような面映さを堪え、彼を目で追う。
何やら友人3人と受付へ行くようだ。そのうち隣の少女が彼の腕に絡み、満面の笑みで彼を見上げた。彼は首を振って眉を歪め、しかし次には決意新たにという様子で逆の手で力瘤を作る。
その光景はあまりに自然で。メリッサの心を抉るのに充分すぎた。
「‥‥、大丈夫。別に、感謝して、お礼、言いたかっただけで」
自分に言い訳する、その背を。
「いやいい子ぶってんじゃねーよ!」
カルマが、思いきり押し出した‥‥!
突如突っ込んできた女を受け止めたのは男――賢木左近その人だった。腕の中に収まった女の顔を見ると、
「‥‥メリッサ、だったか」
「っ‥‥覚え、て」
「その、だ。し、知り合いに同名の奴がいて、な。それで覚えていた」
「そう、ですか‥‥」
腕の中で落胆するメリッサ。その横顔は今にも消えそうで、左近が「あ、いや」と言い直しかけたところで、少女がメリッサを突き飛ばした。悲鳴を上げ倒れるメリッサ。左近が「ルコク!」と叱責するも少女は敵愾心剥き出しでメリッサを見下す。レヴィと沙玖が少女を止めると、ルコクは宣戦布告の如く胸を張った。
「いきなり出しゃばって、何。僕の居場所を取るな‥‥この人の隣は僕がいる、僕がこの人の矛であり盾なんだ!」
「ルコク」
「はは、なにその格好。傭兵になったみたいだけど、ちゃんと戦える? 僕はずっと一緒にいた、ずっと一緒に戦ってきた。満足に実戦も経験してない素人は引っ込んでて!」
「ルコク!」
「っ‥‥賢木君、この女の味方?」
「そんな問題じゃない!」
「そんな問題だよ!!」
走り去るルコク。左近がすまないとメリッサに謝り、少女を追っていく。
メリッサは床に尻をつき下を向いたまま。残されたレヴィと沙玖は、彼女が自ら立ち上がるまでその場で見守っていた。
「‥‥あの方、誰、なのですか?」
本部、一室。空部屋を勝手に借りたレヴィ達はメリッサが落ち着くのを待った。そして出た質問が、これだった。
「ああ、あいつは神翠という。よく左近と一緒にいるが」
「私、は‥‥」
先程言われた事が心を蝕む。
ずっと、少女は役に立ってきたのだ。一方で自分はまだ救助された者でしかない。時という如何ともし難いものが横たわっている。
声を殺して胸の痛みに耐える。ついて来ていたカルマが謝った。眼鏡を机に置き溢れそうな涙を抑えるメリッサに、沙玖が言う。
「あー、そうだ、な。化粧でもしてみたらどうだ。左近はその辺鈍いからな、意識させればいける、かも?」
沈黙。それをあっけらかんと破ったのはレヴィだ。自らのポーチを出し口紅をメリッサに放る。
「悩む暇があったら行動すればいいのに」
まだ会話もしてないんだから、と。
「そんな単純な事では‥‥」
慌てて受け取り、言い差した直後。本部に、緊急依頼のコールが鳴り響いた。
●溢れる距離
夜の街が炎に包まれていた。正確に言えば街の端の小屋1軒しか実際には燃えておらずCGで街を包む予定だが、1軒でも雰囲気は出る。
傭兵数組が到着するや、迅速に救助と討伐に乗り出す。彼らもまた燃え盛る小屋の脇を抜け街へ入る――瞬間だった。
「危ねェ!」
「っ!?」
メリッサを突き飛ばすカルマ。直後、カルマの上着がパッと裂けた。同時にカルマが爪を振るう。跳躍して躱す何者か。その陰を追って一行が小屋に目を向ける。
「てめー。誰だ」
『救いを‥‥もたらす者‥‥』
「救い? 死を以て苦悩から解放してくれるって事?」
模造二刀小太刀を構えレヴィが口角を歪める。後ろで纏めた髪が風に靡き、火の粉が舞った。沙玖は左近の左隣で曲刀を下段に、油断なく周囲に気を張る。
「キメラではない?」
「バグア人、かもしれません」
右隣で扇を構えるルコク。左近の槍が煌いた。後方のメリッサが超出力銃を小屋へ向ける。震える銃口の先、敵――無月は、炎を背に仮面の裏で唇を横に広げた。
哄笑。憫笑。いっそ申し訳なさそうに失笑へ。
「何が可笑しい!」
『それも解らぬ愚物‥‥か‥‥』
無月が左腕を掲げるや、炎の中から『獣』が飛び出す!
「ぎ――gyあぁあaaAああアアア!!」
『獣』に引きずり出された犠牲者――ヤナギの断末魔が木霊する。カルマ、レヴィ、沙玖が『獣達』と対峙した。各々の得物が紅に照らされ宙を踊る。
3人が抉じ開けた道へ突っ込む左近とルコク。無月へ肉薄する。
「賢木君!」「おう!」
『諦めろ‥‥貴様達に未来など無い‥‥』
「そんなの、僕が切り開く! 僕の守りたい方の為に!」
激突!
互いが互いの死角を補い、無月と斬り結ぶ2人。刃が煌き砂塵が舞う。延々と続くと思われたそれはしかし。
『遊びは‥‥仕舞いだ‥‥』
「ッ!?」
無月から溢れ出る殺気。炎が煽られ小屋が半壊した。刹那、神速の抜刀が2人、もとい辛うじて左近の前に出たルコクの体を襲った。
左近とメリッサの前で血糊を噴き、くずおれるルコク。永遠とも思える空白。びしゃ、と生々しい音がすると、同時に、左近とメリッサの体は勝手に動いていた。
「ぉ、おぉお、ぉぉおおおおお!!」
2つの体それぞれに2つの心が同居する。それが定めの如く、初めて共に戦う2人は体を合せた。
銃撃が無月の脚を止める。槍が無月の脇を貫いた。黒刀が左近の頬を掠める。鍔元を柄で弾くや、2人の力が無月を直撃する!
『が、き、貴様‥‥!』
「私は救いなんていりません。ただ当り前の幸せが傍にあったら、それだけで生きていけます!」
苦悶。腹を押え黒刀を一閃、砂塵に紛れ跳ぶ無月。炎の屋根に立ち、無言で振り返る。肩を重ねて見上げる2人。無月はその姿を脳裏に焼き付け、消えた。
「終っ、た?」
「ルコク!」
左近が地に伏した少女へ駆け寄ると、少女は薄く笑った。致命傷は避けたか。メリッサの治療で顔色が良くなると、億劫な様子でルコクはメリッサの頬を拭った。そして懐に手をやり、口紅を取る。
「‥‥さっきの、悪くなかった。僕には劣るけど」
絶対負けないから、と。ルコクがメリッサにルージュを引いてやる。
そこに至って漸く気付いた。ルコクの容態を見るべく左近とメリッサは触れそうな程間近にいる事に。瞳が互いの姿を映し、引き結んだ唇が妙に蟲惑的に主張する。「す、すまん」と身を引く左近に俯くメリッサ。それを見、後退りかけていた左近は逆に腕を伸ばした。
唐突なキス。
強引に寄せられた唇が2人を繋ぐ。慣れてなくて、歯が当って少し痛くて、それだからこそ愛おしい。そんな、交わり。
「い、行こうか。これからも、背中を護ってくれるんだろ?」
こく、と彼女。いじらしい唇が再び彼の口を塞ぐより先に、彼女は小さく独りごちた。
「‥‥私だって、恋をする」
●リアルな距離
――零れ落ちそうな想い 抱きとめて――
画面の2人の唇が重なり、一瞬の空白を挟んで流れるバラード。ハープの旋律が緩やかに上下し、和音が単音となって1つずつ紡がれる。『メリッサ』と『左近』が名残を惜しむように離れようとした直後に画面は暗転、無音の中でその言葉が踊った。
『‥‥私だって、恋をする』
「やー」
「お疲れ様ー」
最後の演技から3時間。大雑把に演出を組み込んだテープを貸し切ったバーで観た第一声が、カルマとレヴィのそれだった。
「一仕事の後の一杯は違うねェ! 音の方もまぁイケると思うゼ」
「ヤナギサンかっけー。プロパネェ!」
役者というより音響の方で頑張ったヤナギの努力の甲斐もあり、要所で重低音の利いたBGMといいEDの入りといい、良いデキとなっていた。
カルマとレヴィに煽てられ、ヤナギは発泡酒を飲み干しウイスキーを頼む。レヴィがついでにコニャックを持ってこさせた。
「がんがん飲んじゃおう♪ あ、会費‥‥経費で落ちるよね」
「スポンサーが泣くな」
緑茶をグラスで飲む沙玖。何故バーに緑茶があるのか。緑茶割りが人気だからだと思いたい。
「今日はお疲れ。しかし、良い曲だな」
画面からは未だED曲が流れ続けている。それに耳を傾け、沙玖はふと後ろを向いた。そこには兵衛とクラリッサが何を喋るでもなく座っており、少しだけ、胸が痛んだ。
――家族、か。‥‥、‥‥。
家族と団欒を過ごした日は最早遠い過去のよう。だから。
「夫婦って、素敵ですね」
「? ‥‥ああ」
いつの間に隣にいたのか、ルコクがやはり兵衛達を眺めて。いいなあ、と言葉を繰り返す。その表情は沙玖にとっても馴染み深いもので、きっと同じなのだと、感じ取った。
「神翠、は」
「なーにやってんスか! 盛り上がっていきゃっしょーよォ!」
しんみりした2人の肩を叩いたのはカルマだ。ヤナギ達の方へ無理矢理連行し酒を飲ませようとする。が、厨房を借りていた無月がやって来るや、料理を乗せた盆で律儀にツッこんでやった。
「さぁ‥‥飲まなくてもいいから‥‥どんどん食べて下さいね‥‥」
「あ、はい!」
胸の内を見せる事なく。ルコクは元気にピザを切り分けた。
「なあ、クラリー」
首を傾げて兵衛を見つめるクラリッサ。兵衛は妻の前髪を横にやり、白い頬に触れた。
「ドラマのストーリー。もしかして‥‥」
「何でもない、ありきたりなお話でしょう?」
「いや、そういう‥‥」
食い下がらんとする兵衛の唇に、クラリッサが人差し指を押し当てる。
「悪い」兵衛は苦笑して杯を傾ける。「俺達も行くか?」
「ええ」
クラリッサの髪を撫でる兵衛。誰も見てないと思ったからこそやったのだが、それを見逃す彼では、ない。
「キター! 皆さんナデナデ頂きましたー! ヒューゥ熱いねぇ、俺にも幸せのお裾分けプリーズ! 割と切実に!」
「おま‥‥」
指笛を鳴らして2人の回りを跳び回るカルマ。ならばお前も誰か見つけろと兵衛が反撃すると、カルマは意気揚々とカウンターに上った。
「えー、俺の名演技に惚れた人、素直に挙手! はーい! 手ェ挙げたらもれなくらぶらぶデートよ!?」
‥‥敢えて明記はしまい。
ともあれ画面のEDが終り、「朝まで飲もー」とレヴィが皆を盛り上げていく。彼らの打ち上げは、始まったばかりである。
ちなみにドラマは好評を博し、どこぞでは役者の正体について議論が交されているとかいないとか。