タイトル:【AL】夜明けマスター:京乃ゆらさ

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/03/20 00:35

●オープニング本文


『――諸君、今朝の体調はどうかね。爽快な目覚めだった者、憂鬱だった者、いつもと変わらぬ景色だった者。様々いるだろうが、平穏無事に迎えたかった朝だったという事は共通していると思う――』
 アロンソ・ビエル(gz0061)はスピーカーから流れるお偉いさんの演説を聞きながら、海を眺めていた。
 ピエトロ・バリウス要塞改め、産業府ピエトロ・バリウスに程近い港湾部。地中海は冬から春へと姿を変えつつある。それが、一目で分かった。
『――昨日より今日、今日より明日。今日の非番を恋人と過ごしたかった者もいる。明日の勤務中、こっそり同僚と酒を飲みたい者もいる。いやなに、私も今日副官に隠れてこっそり食堂で唐揚げを食おうと思っているんだがね。そんな私達にとって、希望の朝である――』
 アロンソは北西を見つめる。その先に母国がある筈だが、当然ここからは見えなかった。
 ――帰るか。
 何でもないように、ふと思った。実際何でもないのだ。いつだって行きたい所に行けるし、なりたいものになれる。機知に富んだ郷士はいつだって騎士になれる。それは、滑稽な事ではないのだ。
『――この式典は形式的なものに過ぎない。この記念碑が真実完成するのは1年後か、2年後か‥‥あるいはもっと先か。またその時にも式典はあるだろう。その時、私のこの演説など誰も覚えておらんだろうな。だがそれでいい。歩き始めたのがいつだったかなど問題ではない。その時、地に足をついて歩いているという事実が、大切だからだ――』
 アロンソは踵を返し、戻っていく。
 式典――モニュメントの建設開始を記念したそれはおそらくもうじき終わり、すぐにでも実際に作業が始められるだろう。そっちにはその頃にでも行けばいい。それまでは馴染みの兵に挨拶でもしていよう。
『――‥‥と私の話はここまでにするか。そこで副官が唐揚げの件で怒っているしな。おっと、ちなみにこのモニュメントは通称を絶賛募集中である。一応私は「La Tagigo」と仮名をつけてはいるがね。エスペラント語で「夜明け」の記念碑だ。我こそはという者は名前を考えるのもいいかもしれんな。では諸君、早速歩き始めよう』
 潮騒。
 海風は、歩き始める人々を祝福しているようだった。

 KVや土木建設用の重機がそこかしこで駆動音を響かせる。産業府へと生まれ変わる為の工事が各所で行われている中、アロンソはアフリカ戦線で共に戦ってきた兵卒や世話になった傭兵に挨拶する。
 かつて犠牲を払いながらもここに橋頭堡が築かれ、人類のアフリカ進攻が始まり、戦線が欧州からアフリカへ移っていった。それに伴ってスペインにおける異星人の脅威は小さくなり、そこでアフリカに渡ってきた。己に何ができるのか、確かめるように。
 茫漠たる砂漠や遥かなる草原、深遠たる熱帯林、険しい山々。自然との戦いでもあった。また敵の策略にはまりUPCアフリカ軍との関係が崩れかけた事もあった。それでも、戦い続けた。自分自身、特別な事などできない。けれど現場の、最前線の兵と共にある事だけはできた。そして、生き抜いた。
 この地は、第2の故郷になった。
 アロンソがゆっくりと基地を回って外に出る。1個小隊程度の兵達が何らかの作業を開始すべく、動き始めている。中心にいたのはララ・ブラント少尉、もとい中尉だった。
「中尉」
 軽く目礼すると、中尉も微笑んで返す。が、それはほんの僅かな事で、次の瞬間には彼女は既に眉尻を上げて部下に命令を飛ばしていた。
 甲高い声が、突き抜ける空に吸い込まれていく。
 ――そろそろモニュメントの方に行ってみるか‥‥?
 公募していたモニュメント案は、傭兵から提案された階段を模したものに決まっていた。産業府中央区の広場にこの戦線で死した者達全ての名を刻んだ台座のような慰霊碑を作り、その上に軍人や傭兵、さらには生き残ったこの地の人々などが瓦礫を1つ1つ積み上げていくのだ。そうして大きな弧を描いた1つの階段、あるいは凸凹した坂道とも言えるかもしれないが、それを作り上げる。
 太陽に目を細めながら下から見上げるそれは、きっと壮大だろう。
 そんな、完成した時の事を思い浮かべながら、アロンソは1歩1歩を踏み締めるように歩き始めた。

●参加者一覧

/ ロッテ・ヴァステル(ga0066) / 幸臼・小鳥(ga0067) / 月影・透夜(ga1806) / 智久 百合歌(ga4980) / 舞 冥華(gb4521) / 愛梨(gb5765) / 杠葉 凛生(gb6638) / ムーグ・リード(gc0402

●リプレイ本文

 滑走路の一角に、20人前後の兵が集まっていた。
「よし、こんなもんか。抜かりはないだろうな? 各自最終点検してくれ」
「了解」
 小山のように積み上げられているのは銃や剣や盾やシャベル。兵達がそれを1つ1つ点検するのを月影・透夜(ga1806)はじっと見つめ、自身も銃を手に取った。銃身をずらして外し、薬室を確かめる。各部を軽く拭い、弾倉の方も点検すると、組み立て直してボルトを引いた。
 問題なし。兵達も終了しているようだ。
「行‥‥」
「がらくたー。がらくたほしーかも。冥華のがらくたあるー?」
 号令をかけんとした時、どこからともなく舞 冥華(gb4521)が現れていた。透夜が僅かに目を細め、
「冥華のガラクタ?」
「ん、けーぶいの手とかふはつだんとか。でもほんとはにゃんこみさいるきぼー」
「にゃん‥‥あぁストレイ・キャッツか。‥‥ないな、ここに『ガラクタ』は何1つない」
「りょかい。むー、どっかにおちてるはずだから見つけたらおしえてほしーかも」
 とてとて走り去っていく冥華。透夜は呆然とそれを見送ると、咳払いして兵に振り返った。
「皆、未来を信じて、足掻いて、そして繋いだ。俺達が持っているのはそんな、戦友の志そのものだ。それを忘れるな」
 銃を振り上げる。
「――行くぞ」
「「「おお!!」」」

 20人程の男達が徒党を組んで練り歩いていく。手には各々銃や剣を持っており、なかなか穏やかでない。
 それをロッテ・ヴァステル(ga0066)ら3人はぽかんと眺めていたのだが、
「‥‥ふぇえ!? ま、待って下さいですぅー、あれ‥‥」「先頭の男、月影サンだな」
 幸臼・小鳥(ga0067)が不意に驚愕し、アロンソが苦虫を噛み潰したように言う。ロッテも小隊における片翼の姿を確認し、眉を顰めた。
「何をしているのかしら‥‥」
「ももももしや‥‥クーデタ‥‥的なぁー‥‥?」
「それはない」「あの人数でやらかすつもりなら逆に尊敬するわよ」
「ですよねぇー」
 えへへぇーと薄い胸を撫で下ろす小鳥だが、結局透夜が何をしているのかは解っていない。小鳥がいい事思いついたとばかり、アロンソの腕を引いた。
「折角ですし‥‥一緒にモニュメントの方に‥‥行きましょうですぅー」
「‥‥透夜の監視も含めて?」
「ちちち違いますぅー!」
 ロッテは必死に首を振る小鳥の肩に手を置き、言った。
「まぁ、それは冗談として。モニュメントに行くのは賛成よ。いいわよね、アロンソ」
「ああ」
 3人が透夜の物々しい集団からやや離れて後ろを歩く。何故か小鳥だけは、自分が悪い事をしているかのようにびくびくしながら。

●通過儀礼・1
 ムーグ・リード(gc0402)は掌より少し大きい瓦礫を手に立ち止まり、瞑目して深呼吸した。
 騒々しい工事。人々のざわめき。北から訪れる風。それに乗って微かに聞こえる海鳥の声。戦の空気などどこにもない。平凡な、日常だ。
「‥‥変ッテ、イキマス、ネ」
「ああ」
 隣の杠葉 凛生(gb6638)が言葉少なに同意する。ムーグは横目に凛生の表情を窺おうとし、やめた。瞼を閉じたまま続ける。
「忙しイ、毎日、デ、腐ッテ、マセン、カ」
「‥‥腐ってるな、ああ腐ってる。こちとら若くもねえってのに、こうも肉体労働してりゃあ筋肉が腐ったように凝って仕方ねえ」
「‥‥」
「――でも、ま。こういうのも、悪くない」
「‥‥私、モ、今ガ、トテモ、楽しイ、デス」
 粗雑な言葉の端々に感じる想いが、どうしようもなく心地良い。意味もなく体を預けたくなる衝動を抑え、ムーグは目を開いて慰霊碑の段を上り始めた。
 まだ殆ど瓦礫の置かれていないまっさらな土台。そこに確かな1歩を刻み付けるのだ。
 腰を屈め、瓦礫を置く。手を放すその前に、瓦礫を持つ自らの腕に目を落した。
 ――コノ、手、デ‥‥。
 ずっと引鉄を引いてきた。背負うと決めた命を、土に還った同朋の心を、守る為。そう信じながら、ずっと殺し続けてきた。そんな手で、未来への礎を作る。それが、何故か今になって胸の奥に鈍い炎をチラつかせた。
 敵も味方も、死んでいった。殺していった。死に触れすぎたのだと、思った。
 ――私、ハ‥‥。
 胸の奥の炎が舌なめずりして燃え上がらんとする。それを止めてくれるのは、
「後ろがつかえてんだ。早くしろ、ムーグ」
 やはり凛生だった。凛生は自らの瓦礫を置くと、そっと手を重ねてきた。
 視線を上げる事もできないムーグ。けれど、何故か凛生の事が解った。表情も、言いたい事も。
 ――コノ、手モ、心モ、洗イ流ス、事ハ、デキ、ナイ。
 だから忘れないようにしよう。この地で眠る、全ての命を。
 凛生を見る。思った通り苦りきったような見守るような、そんな表情だった。ムーグが瓦礫を手放して立ち上がると、凛生は段へ戻りながら言った。
「1つの区切りとして、目に見える形にする事も大切だな。さっきのお前を見て、改めて実感した」
「‥‥ソンナ、ニ、変、デシタ、カ」
「いいや」
 ムーグも降壇し、振り返る。
 そこには、兵達が1人ずつ瓦礫を置いていく光景がある。それを見て、ムーグは無性に叫びたくなった。

「‥‥うーん。羨ましい、のかな」
 人混みに紛れ、愛梨(gb5765)は遠めから2人の男を見つめる。同僚の彼ら――凛生とムーグは少なくとも愛梨からすれば見るからに特別なカンケイで、なんというかこっちが逆に恥ずかしい。別に手を恋人繋ぎしているとかではないのだが。
 ――信頼して‥‥補い合ってるって、見えるから?
 自分が何かしている訳でもないのに視線が泳ぐ愛梨である。
 ――ぅ‥‥知らないや。あぁもうゴチソウサマっ!
 いたたまれずに視線を逸らし、慰霊碑に目を向けた。歩いていく。黒っぽい石が鈍く陽光を反射していて、近付く程にどこか空気が張り詰めてくる気がした。
 傍で立ち止まる。愛梨の背より高いそれは、無言で何かを主張しているようだった。
 見ず知らずの誰かの名が、1人1人刻まれている。そっと触れてみた。熱い。反射的に手を引っ込める。深呼吸し、改めて触れる。瞬間的に、幾つもの光景が脳裏を過った。
 その「あたし」は意味も解らず光に包まれていた。その「あたし」は崩れる防壁から逃れんと数人の部下に指示していた。その「あたし」は敵陣を崩すべく真っ先に突っ込んでいた。その「あたし」は地上の友軍に暴虐の光を撒き散らす4体のタロスを掻き回して挑発していた。その「あたし」は、異形の化物に囲まれていた。
 愛梨が目を見開いて慰霊碑を見上げる。唾を飲み、ゆっくりと指先で刻まれた名をなぞってみた。石が、脈動した。
 ――そ、か。大変、だったよね。あたしにできる事、ないかな。
 応えなんて返ってくる筈がない。こんなものはただの思い込みだとも、解っている。でも、きっといたのだ。今見たように、生ききった人は。
「お供えとか‥‥あった方がいいかな」
 大したものは作れないけど、ないよりは良いに違いない。
 愛梨はそう思うや、基地の厨房へ駆け出した。

「整列。各自所定の位置につけ」
「了解!」
 透夜の号令一下、20人の兵がバラバラとモニュメントへ駆け寄っていく。周囲のざわめきが静寂へ変った。
 透夜は横目に凛生達を見ながら最後尾で登壇する。壇上で円を描いて居並ぶ兵達。透夜も配置につくと、徐に言葉を紡いだ。
「どこかの誰かの未来の為に、俺達は戦ってきた。ここで散った奴らはただの犠牲じゃない。俺達に思いを繋げてきた凄い奴らだ。だから、俺達はそれをさらに未来へ繋げる。それが俺達の責任で、喜びなんだ。そうする事ができる幸せを、忘れないでいよう」
 捧げ銃、と号令をかけると、一斉に各自が得物を体の前へ上げ、銃口や剣先を天に向けた。
 ――後は任せてくれ。‥‥いや、違うな。宇宙や他所の地は任せてくれ。お前達はここを頼む、戦友。
 永く、短い静止。たっぷり間を取って「やめ」と透夜が合図し、銃を瓦礫の上に重ねた。兵達も武具を置いていく。透夜は回れ右すると、静寂のまま見守る人々に頭を下げた。
「邪魔をしてすまなかったな。ありがとう」

 アロンソは透夜達の儀式を見届けると、流石月影サンだと呟いた。
 一般的に「エース」像というものがあれば、おそらくトップクラスに入る程「まさにそれ」と感じる「エース」なのではないかと、アロンソは思う。充分な力を持ち、それでいて硬軟織り交ぜた動きができる。そして何より、志を正面から解する器がある。無論それは双翼たるロッテとて同様だが。
「はふ‥‥よかった‥‥ですねぇー」
「あら。やっぱり疑ってたのね小鳥は」
「にゃぁ!? 違い‥‥ますぅー」
 必死に弁解する小鳥。わたわた両腕を振っていると、何故か躓いてべしゃっと顔から地面に突っ込んだ。1歩も動いてないのに。永遠の謎である。
「大丈夫、か?」「あうぅぅ‥‥」
 小鳥が涙目で赤くなった鼻を押える。そんな騒ぎに気付いたのか、降壇した透夜がやって来た。
「こんな所でまで何をやってるんだ‥‥」
「やりたくて‥‥やってるわけではぁー‥‥」
「そんな事より、さぁ、私達も行くわよ」
 ロッテが透夜に目配せして待ってもらうと、小鳥の腕を引いて慰霊碑へ向かった。アロンソが追従し、3人は1段ずつ踏み締めるように登壇する。
 壇上から見渡す景色は先程より数m高くなっただけなのに、不思議と様変りして見えた。散漫だった空気が引き締まり、見つめられているような、試されているような、そんな印象を受ける。不意に体が震えた。
 ロッテが、周りにいる1人1人の顔を確かめる。皆、戦友だ。ここに眠る彼らも同じく戦友で、ここでは何もかもを超越して1つだった。そしてこれからも1つであればいい。そう思った。
 小鳥が誰かに何かを語りかけるように屈んで目を瞑る。ロッテは手に持った瓦礫を胸に抱いた。そっと、銃の上に重ねる。から、と小鳥の語り掛けに応えるように音を立てた。
「‥‥ラ・ソメイユ・ペジーブル」
 静かに眠れ、魂の同朋よ。

●これから
「もにょれんろ、もにょめんとーのがーらくたー。くろにゃんこーのふはつだーん、にゃんこせんせーおるすばーん」
 謎の歌を口ずさみながら冥華は厨房の裏口を(勝手に)開けた。すると、
「‥‥‥‥あ」
「ん?」
 ぼふーん!
 気付く間もなく大音声と共に何かが爆発していた。溢れた黒煙はものの見事に冥華の全身を包み、冥華は咳込みつつ何とか這い出る。
「うー、けほっ、冥華しらないうちにせんじょーにきてた‥‥」
「‥‥確かに戦場かも」
 零れる涙を拭い、冥華が下手人――愛梨を見上げ、次に黒煙の原因を探す。むしろ探すまでもなくオーブンだった。焦げ臭さの中に微かに甘い匂いが隠れている。
「くっきー?」
「そうだけど」
「くっきーばくだん?」
「‥‥この惨状じゃ否定できない」
 嘆息して愛梨がミトンを手にはめ、オーブンを開ける。中は、小麦粉の礫が弾けたような状態だった。取り出す。辛うじて幾つかがクッキー的な原型を留めていた。冥華がひょいっと横から1つを摘むや、愛梨が止めるより早く口に放り込む。
 舌に触れた途端に鼻腔へ抜ける強烈な苦味。冥華が眉を顰め、しかし噛んだ瞬間、仄かな甘みを発見した。それは咀嚼するごとに広がっていき、飲み込む頃には苦味を何とか誤魔化せる程度の味になっていた。
「‥‥どう、かな」
「すいもあまいもかみ分けたまだむのよーな?」
「意味解んない」
「大人になりきれぬしょーじょのよーな?」
「マダムと逆じゃないのそれ。‥‥でも、うん。ありがと」
「おー、冥華かんしゃされた」
 クッキーが人を病院送りにするレベルではない事に安堵したのか、微笑む愛梨。冥華はもはやここに用はないとばかり基地内へ入った。

 立ち上る紅茶の香りを楽しみながら、智久 百合歌(ga4980)は卓の上の用紙と睨めっこしていた。
「通称、ねぇ。折角だから考えてみようと思ってはみたものの」
 肘をつき、ペンを指揮棒のように宙で振る。4拍子の小気味良いアクセント。そのうち逆に通称でなく曲の方に意識が向いてきて、目を瞑って鼻歌で主旋律をつけてみるとどうしようもなく気分が乗ってきた。
 むずむずと弾きたい欲求が鎌首を擡げてくる。禁断症状。自分でもそう思うが仕方ない。職業病である。
「‥‥演っても大丈夫、よね」
 周囲の様子を窺いつついそいそとケースに手をやり、慈しむようにそれを開く。そして本体に手を伸ば――
「う? 百合歌がなんかしてる。おかし? 冥華にかくれてつまみぐい?」
 びくぅ!
「あ、あぁらどうしたのかしら何も隠してないわよ今ちょっと考え事をね、してたのよーほほほ」
 一瞬でケースを閉じて卓に座り直す百合歌である。別に悪い事はしてないのに妙な気分になった。百合歌が咳払いして用紙を指差す。
「これ、折角だからってね。Tagigoってエスペラント語じゃない? だったら同じくそれで他に言葉がないかなぁって思うのよね。それにしても『エスペラント』って素敵よね、それ自体が希望の人って意味なんですって。それで今考えてるのがね、KreoとMovado。前者が創造や始まりや信念を意味する言葉で、後者がたゆまぬ前進って意味。どっちがいいかしら」
「‥‥お、おぉ‥‥」
 喋り終えた百合歌が表情を凍らせたまま冥華を見つめる。何でこんな言い訳じみた解説してるのかしら、などと自問しながら。
「冥華むずかしーのわからないけど百合歌のすきなのがいーかも」
「そ、そうよね、ごめんなさい」
 ぎくしゃくと卓に向き直ると、百合歌は胸に手を当てて深呼吸した。
 ――私、は。
 通称を考えているようで違ったのかもしれない、と思った。これからの、自分。それを考えていたのではないか。
 夜明け。創造。良い言葉だ。でも、その一瞬だけの印象が強い。それは例えば、男女が結婚まで盛り上がって3年で別れる事に似ていると思う。結婚で最も大切なのは、手を取り合って進み続ける事。じゃないとこれから先ずっと幸せでいられない。幸せは、互いの努力で掴んでいなければならないから。
 そうして私は、今まで進み続けてきたのだ。人類全体だって、それに変りはない。
「私は‥‥Movadoかしらね」
「ん、それがいー」冥華は適当に頷くと、思い出したように言った。「冥華のにゃんこみさいるみつけたらおしえれー。もにょめんとにぽいするー」
「ミサイル? 了解、見つけたら連絡するわ。ありがとう」
「むむ、またかんしゃされた」
 走り去っていく冥華。台風一過ね、と百合歌が苦笑して用紙に記入し始めると、今度は別の台風がサロンを訪れた。

「しょもしょもアロンソさんが‥‥悪いんですぅー! 悪いんですぅー!」
「え」
 卓に着いて10分弱。魔弾組の4人が兵達の話で盛り上がっていたところ、小鳥が突如として起立してシュプレヒコールを上げた。
 グラスが叩きつけられ中のミルクが零れる。
「らからぁー‥‥悪いんですぅー!」
「えーと、何がだろう」
「そっ‥‥わ、私が‥‥転ぶのがですぅー! たぶん‥‥アロンソさんのせい‥‥なのぉー!」
 トンデモ理論だった。
「落ち着け小鳥」
「というか貴女‥‥そのミルク‥‥アルコールでもないのに何ででき上がってるの」
「できっ‥‥できちゃってなんか‥‥ないですぅー! ない‥‥ですぅー‥‥」
「こらこら怪しい言葉を選ばない」
「新しい子供を‥‥選ぶぅー‥‥?!」
 盛大に空耳までし始める小鳥である。ロッテが水を持ってきて無理矢理飲ませると、漸く小鳥はくずおれるように着席した。
 3人の嘆息が見事に重なる。透夜が疲れたように水を口に含んだ。
「場に酔ったのか? それにしても何というか‥‥あれだが。ストレスでも溜まってるんじゃないか」
「そうは見えないけど‥‥」
 ロッテは卓に突っ伏して眠る小鳥の横顔を見やり、彼女の吐き出した言葉を反芻する。
 子供。家族とも言い換えられるだろう。もしかしたら慰霊碑が小鳥の心の何かに触れたのかもしれない、と思った。
 彼女の横顔は同年とは思えぬ程幼く、体も小さい。そんな頼りない体で、ずっと頑張ってきたのだ。戦争がほぼ終結し、年が明け、張り詰めていたものが切れても不思議ではない。
「家族、ね‥‥」
 ロッテが独りごちる。
 思えばこれまで小鳥とは姉妹、あるいは保護者のように付き合ってきた。なんとなく収まりが良かったからいつの間にかこの形に落ち着いていた訳だが、もしそれが小鳥の――無自覚の深い思いを反映していたとしたら?
 そこまで考えると、胸の奥がどうしようもなく軋んだ。無性にかき抱きたくなり、けれど我慢して起さないよう頭を撫でた。
「‥‥少し休んで‥‥ゆっくり暮してみるのもいいかもしれないわね‥‥」
「だな」
 透夜がふと微笑し、次にアロンソに目を向けた。
「のんびり暮すならアロンソの村でいいだろう。丁度帰るらしいしな」
「な、なあっ!?」
「お前にとっても丁度いいと思うぞ。この2人がいれば今までとのギャップも少なくなる。穏やかすぎて落ち着かないという事もなくなるだろう」
 一理ある。が、透夜をよくよく見ると目元だけ笑っていた。してやったりといった表情だ。
「成程ね‥‥いいかもしれないわ。‥‥私も‥‥久しぶりに寄ってみたいしね」
「ふぇ‥‥あろんそさんの‥‥村ぁー‥‥?」
 小鳥が突っ伏したまま焦点の合わない目で虚空を見つめ、えへぇーと顔を綻ばせた。
「思えば遠くに‥‥来たものですねぇー‥‥懐かしい‥‥ですぅー」
「決定だな」「ぐ‥‥」
 有無を言わせず決まる運命である。アロンソが何とか反撃せんと話を変える。
「そういう月影サンは予定でもあるのか? 世界各国に嫁を作るとか」
「ほう。よりによって、お前が、そんな話を、したいか?」
「あいやうんすいません」
 クーデタは一瞬で鎮圧されていた。
「‥‥まあ、俺は暫く世界を回ってみるつもりだ。残党狩りに限らずまだ傭兵の必要な場面は多い。それに、人類の足元が確りしてないと飛び立てんからな」
「飛び立つ、か」
 復興。回復。人はその先に何かを見ていないと努力し続ける事はできない。戦後からの回復の先に、透夜は未知への挑戦を描いているのだろうと、ロッテは思った。
「俺の力が必要になったらいつでも呼べ――戦友」
 2人の男が視線を交し――た、その時。
「ふふ、じゃあ私も時々招待してほしいわ」
 背後から素早くアロンソに忍び寄った百合歌が、肩に手を置き。
 ちゅ‥‥。
 腰を折って横から頬に唇を押し当てていた。
「!!!?」「ゆっ‥‥!?」
「またあそこで演奏したいし、ね」
 微笑して百合歌がアロンソから離れる。刹那、彼女の双眸がロッテを射抜いた――気がした。
「あ、あ、あ、貴女何をしt‥‥」「あぁらあら、そこの人が怒る前に私は退散するわね、それじゃ♪」
 ころころと笑って狐のようにサロンを出ていく百合歌。後に残されたのは何やら火薬庫のような空気に包まれた4人である。
「‥‥、あー、ごほん。まぁその、何だ。‥‥親父ぃ! 酒だ、有りっ丈の酒を持ってこい!!」
 現実逃避するようにアロンソが叫んだ。

●通過儀礼・2
「久しぶり、かな」
 愛梨はややビターなクッキーを包みに詰め、産業府から少し出て道を外れた木陰に来ていた。
 木の根元には幾つかの石。バグアに改造された子供達の墓だった。そうと知らなければ判らないであろう、小さな墓。けれど決して砂が溜まって埋もれる事はない。何故なら、少女が砂の死角となる窪みを選び、行き場のない精一杯の思いを込めて立てたから。
 ――ちょっと失敗しちゃったけど、これ。
 愛梨はクッキーの包みを墓の前に置く。踵までぺたんと地につけ、両膝を抱くように屈んだ姿は、そのまま消え入りそうな儚さを湛えていた。
 傍には誰もおらず、次第に赤みを帯びてきた太陽が見ているだけ。産業府の重機の音が遠く響いた。
「‥‥名前」
 それすら知らない。知らないから、確かな存在として呼びかける事もできない。できるのはただ彼らが本当に生きていた事を覚えていて、彼らの笑い声や甘える声、元気な声や涙する声を想像する事だけ。
「これから、きっと‥‥きっとここは賑やかになってくよ」
 子供達にとって、アフリカは生まれた頃からバグアのものだった。人が日の光の下で堂々と騒ぐ光景を、思い描く事すらできないかもしれない。だから、せめてこうして自分だけでも来て、周りの喧騒を伝えて――できるだけ一緒にいてあげよう。
 もしかしたらそれを自己満足だと言う人もいるかもしれないけれど、その時はそれの何が悪いのかと、言い放ってやる。
「そういえばね、あたしの同僚なんだけど、ムーグっていうおっきな人が‥‥」
 1つ1つ、愛梨は子供達に語りかける。彼らの寂しさが、少しでも紛れるように。

 通称募集用紙を提出後、百合歌はモニュメントへ向かう。
 1700時。いつの間にかもう陽が傾き始め、橙の光が工事だらけの産業府を照らしていた。百合歌は急いで瓦礫を探すと、慰霊碑の傍に座り込んで瓦礫を置いた。
「さて、と」
「お前さんはまた何を始める気だ?」
 凛生だった。隣ではムーグが飽く事なく人々が瓦礫を重ねてモニュメントを形作っていく姿を見つめている。
「ちょっと、ね。重ねる石に曲を刻んでおこうと思って」
「曲?」
「えぇ。さっき名前考えてる時に浮かんだのよね。それに、ここなら慰霊碑も、皆の営みも見えるでしょ?」
「ほう。イメージが湧くってやつか」
「そ。だから‥‥ふふっ」
「?」
 意味ありげに含み笑いすると、ばっちんとウインクして言った。
「貴方達2人の邪魔はしないから、安心して」
「‥‥、あー。何だ。話しかけちまった俺がしくじったって訳かい」
「ご愁傷様です♪ 人妻を甘く見ちゃいけないわ」
 苦虫を100匹噛み潰したように頭を掻き毟り、凛生はムーグを連れて離れていく。百合歌はそんな2人を楽しげに眺め、そして碑に向き直った。
 ――始まりの大地。生まれ変るこの地に贈る‥‥いえ、この地が奏でる音を記録する。
 複雑な技巧はいらない。ただ雄大なこの自然の奏でる音を、この地に代って弾く。聖歌のように重厚な通奏低音。初めは絡みつく糸のように陰鬱な旋律に低音は隠され、聞き取る事ができない。しかし確実にあり続けている。そしてその旋律が別の旋律に塗り替えられた時、低音は輝き始める。
 大地の声。鳥や風の音。野生動物の営み。中音から高音へ、高音から中音へ。流れるような旋律の中で、通奏低音が耳でなく体の芯に響いてくる。
 それこそ、大地そのものだった。
「‥‥?」
 気付けば傍に包みが置かれている。
 軽く肩を回して新鮮な空気を吸い、包みを開けてみた。焦げた香りがふわっと漂ってくる。百合歌は苦笑してそのクッキーを口に放り込むと、再び楽譜を刻んでいく。

 愛梨は慰霊碑の献花台についでとばかりクッキーの包みを置き、残りを人々に配って回る。
 手放しで絶賛する程デキの良いものではないが、真心だけは込めてみたつもりではある。そのおかげか、受け取った人はやはり一応笑顔にはなってくれる。その微苦笑を見る度、愛梨の胸にも苦いものが走った。
 ――これからは、家事とかも覚えていかなくちゃ‥‥。
 運動も勉強も戦争も、何でも標準以上であるように努力してきた。ただ1つ、家事を除いて。それはもしかしたら、無意識に家庭というものを忌避してきたからかもしれない、と愛梨は敢えて自己分析してみる。
 ――家庭、かぁ‥‥。
 愛梨が物憂げに嘆息した時、不意に周りがざわついた。人々の目があからさまに一点に集中している。その視線の先を追っていくとそこには、
「にゃんこみさいるのせていー? 冥華のくろにゃんこ、かくのーこにつんでたからもってきた」
 両手で弾頭らしき物を抱えて覚束ない足取りでやって来る、冥華がいた。むしろ冥華が弾頭に操られているような気さえしてくる。
 愛梨が駆け寄って支え、尋ねる。
「何これ。ミサイルの弾頭?」
「ん、冥華のにゃんこみさいる。ぜんぶはおっきくてもてないからだんとーだけもってきた」
「へぇー。中はちゃんと抜いてるのよね」
「‥‥ん?」
「え?」
 咄嗟に跳び退る愛梨である。冥華が真直ぐ愛梨を見つめたまま、
「冥華しんよーされてない?」
「あ、違う、違うの。条件反射的な。そう、あたしの持った所が熱くて」
「くろにゃんこのとこ?」
「そう」
「さすが冥華のにゃんこみさいる。ししてなおじょーねつをもやすとは。ひーろーもびっくり」
 むふーと何やら上機嫌になって登壇する冥華。微かな罪悪感を胸に、愛梨も上った。
 壇上のモニュメントは朧げながら1段目らしき形が見え始めていた。1段を作るだけでどれ程の人がここに上ったのだろう。少しずつ、少しずつ人の力が集まり、進んでいく。
 ここにいる時、人は独りではない。それが実感できた。
「ん、さいごのおつとめ。がんばれー」
 冥華が弾頭を置く。側面に描かれた黒猫が心なしか任されたと自信満々頷いているように見えた。愛梨が屈むと、固定する為に塗布されたらしい薬品か何かの臭いがした。零れ落ちないようしっかりと見定め、瓦礫を積む。から、と物寂しげな音がした。
「きっと歩いていける、よね」
 ううん、歩いていこう。この道の先が至高天に繋がっているのか、今は解らないけれど。

●ドン・キホーテの帰還
「冥華あいどるさんだからおうたうたう」
 降壇早々言うや、冥華はとててーと近くの兵の許へ行って機材調達をお願いした。
「冥華のおねがい。だめ?」
「いえ光栄っす! Mayさんの手伝いができるなんて俺ぁ‥‥俺ぁ一生の自慢ができるってもんでさぁ!」
「ん、いそげー」
「了解!」
 何やら生き甲斐を与えられたように張り切って働き出す兵。何あれ、と愛梨が呆れているうちにその兵は同志を呼んで作業に入り、中央区は突如妙な熱を帯び始めた。
 冥華はそれを気にも留めず、どこで歌おうかとフラフラ歩く。と、前方に座り込んで何かしている百合歌を発見した。
「百合歌ー、冥華のおうたてつだえー」
「あら。歌?」
「げりららーいぶ。えらい人のつまんなーいお話だけじゃかわいそかわいそーだから冥華がぼらんてぃあ。ぎゃらはなーしのじぜんじぎょー」
「成程ね。じゃあ伴奏としてお呼ばれしようかしら」
「うちあわせはあっちの人にまかせた。ばりばりー」
「えっ? ばりばりって何?」「冥華しーらない」
 その後も適当に彷徨い歩いて何人か引っ張り込んでいく冥華。そのうちあれよあれよと準備は整い、気付けば冥華は即席ステージの脇に待機していた。
「Mayさん声の調子とか大丈夫っすか?」
「ん、まかせろー」
 冥華が自分の荷を探り、ボロボロになった朱の唐衣を手に取る。それをぎゅっと胸にかき抱くと、思いきり顔を埋めた。
「彼女」の――「ともだち」の匂いなど、残っている筈もない。今や彼女が確かにいたという証は、思い出の中にしかなかった。
『冥華、妾にお前の歌を聴かせてたもれ』
 ――ん、がんばる。
 夕焼けは刻一刻と隠れていき、次第に夜の帳が下りてくる。そんな夜と反比例するかの如く、冥華のステージは幕を開けた。

 左右の重機からライトが照射され、足元からは即席フットが冥華を照らす。
 たった3方向からの頼りなげな照明。それがまた逆に冥華の素朴さを引き出し、おしゃまで可愛らしいダンスを演出していた。
 キャッチーな旋律。舌足らずな冥華の歌声。抑えの効いた、それでいて軽妙な百合歌のヴァイオリン。いわゆるスルメ曲的な、癖になる歌だった。
「‥‥随分、趣、ハ、変リ、マシタ、ガ」
 これはこれで良いものだ、とムーグは思う。何せ周りの兵や、ここに集った生き残りの同朋達が破顔して楽しんでいるのだから。楽しみを楽しみとして受け入れられる。それは人として大切な事だ。
「‥‥私、モ、何カ、演ッタ、方ガ、良イ、デショウ、カ」
「お前、何かできるのか」
「‥‥‥‥、‥‥角、笛‥‥?」
「なに?」
「‥‥クーズー、ノ、角笛‥‥」
「すまん、意味が解らん」
「(´・ω・)」
 ムーグが世の無情を嘆くように遠くを見た。
「ま、まあ飲もうぜムーグ。少し離れりゃあ邪魔も入らん」
 凛生が懐のスキットルを取り、誘うように中のウイスキーを揺らした。

♪ふたり手と手 つなぎ 前だけむき つきすすむの じぶんたちがきめた道を

 Mayの歌は続き、熱狂は加速していく。


 遠く賑やかな歌が響く。冥華のライブはIMPの他ユニットのカバーも含め、2時間を越えて尚盛り上がっていた。
 そしてそれに負けず劣らず、サロンの会合も酒が入って4時間以上が経過していた。
「さて。そろそろかしら」
 ロッテがグラスに残った赤ワインを飲み干し、卓に置いた。
「何がだ?」
「今日の最終便」
「え?」
「小鳥、用意するわよ」
「え?」「にゃぁっ!? なな‥‥? は‥‥なるほどぉー! 急いで支度‥‥しますぅー!」
 いそいそと荷を整理し始める2人と、「そうか」なんて言ってすっかり見守る雰囲気な透夜。知らぬはアロンソばかりである。
「どこか行くのか?」
「だから、最終便。イベリア航空の」
 時計を見ると、2100時過ぎ。ここの場合は昼夜問わず船も飛行機も運航しているが、欧州入り後に民間機を利用する場合は確かに最終便近くなるだろう。
 アロンソが壊れた機械のように口を半開きにして繰り返す。
「え?」
「いいから来なさい‥‥旧友に話したい土産話も山ほどあるでしょう。善は急いだ方がいいわ」
「ですねぇー‥‥アロンソさんには‥‥ご飯を奢ってもらわないとですしぃー。早く行った方が‥‥いいですぅー」
「え? まさか俺の村か?! だ、だが落ち着いてほしい、ここで問題なのは当の俺が全く準b」
「煩いわよ、男なら5分で済ませなさい!」
「り、了解!?」
 まろぶように駆け出していくアロンソ。透夜が追い討ちをかけた。
「あの様子じゃ逃げ出しかねん。2人ともすぐ追った方がいいんじゃないか?」
「確かに‥‥流石透夜だわ」
「では‥‥またぁー」
 2人がサロンを飛び出していく。透夜はその背を見送ると、独りグラスを傾けた。

♪とびらの先にまつ みらい 信じて 歩きつづけよう 必ず この先にある 大切ななにかに出会えるから

 舌足らずな歌声が響く。
 独りでその声を聴いていると、何故か無性に観に行きたくなった‥‥。

‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥
‥‥

●夜明け
 ライブが終り、多くの人々が寝静まる。それでも基地の空き部屋を借りて石に楽譜を刻み続けた百合歌は、翌未明、数時間ぶりに席を立って伸びをした。
 節々が悲鳴を上げる。凝り固まったものが氷解していく痛気持ち良さに、思わず艶かしい声を漏らした。
「ふ、っうぅん‥‥やだ、年甲斐もなく頑張りすぎちゃったかしら‥‥って年甲斐って何よ、私はまだ全然いけるわっ」
 独りごち、自らツッこむ百合歌である。
 急に恥ずかしくなって水を飲むと、ヴァイオリンと楽譜を刻んだ瓦礫を持ち、足早にモニュメントに向かった。
 外は、春の兆しが見え始めているとはいえまだ朝夕は肌寒かった。人影は殆どなく、歩哨や夜間に到着した荷を運ぶ者達だけが時折姿を見せる程度。百合歌は冷たく真新しい空気を存分に味わい、中央広場へ足を踏み入れる。
 未だ夜も明けぬ彼誰時。夜に彩られた雲がやや駆け足で流れていく。所々から漏れてくる灯りを頼りに歩を進め、慰霊碑まで辿り着いた。胸に手を当て、目を瞑る。ゆっくりと1段目に足をかけた。
 1歩1歩、逸る心を鎮めるように。
 眼前に現れたのは、2段目が少しずつ形になりつつあるモニュメントだった。それを見た瞬間、ぞわ、と何かが体を駆け巡る感覚を覚えた。
 重い。体が上手く動かない。崩れそうな脚を叱咤し、百合歌は綺麗に重ねられそうな場所へ近付く。
 これがきっと20年戦い続けた歴史の重みの一端なのだと、思った。人間が全力で戦い続ける事のできる耐用年数は15年などと実しやかに言われたりするが、それより5年も長く戦ったのだ。そして、これからは復興という名の戦いが続いていく。
「でもこれからの戦いは、その先に夢があるわ」
 だからきっと、耐えられる。いえ、喜んで生きていける。
 百合歌が瓦礫を重ね、手を合せる。慎重に降壇し、ケースからヴァイオリン――「Janus」を出した。
 楽譜は心に刻まれている。たった18時間弱とはいえ全身全霊を込めて大地を感じ、瓦礫に残したのだから当然だ。
 弦を構え、そっと引いた。
 薄明に響く、謡う音色。絶望から希望へと変りゆく旋律の中、不変の大地はただあり続け、人々に恵みと試練を与える。
『――――』
 不意に、低く包まれるような声が加わってきた。弾きながら振り返る。そこにはムーグがいた。
 音楽の事など知らないのだろう。しかしこの大地の事はよく解っている。だから、歌える。百合歌の思い描いた曲の根底にはアフリカが流れているから。朴訥とした、声楽として考えると上手いとは言えない低音。なのに、心に響いてきた。
 百合歌が微笑し、低音部を任せて主旋律に集中する。透き通る高音。空に一筋の光が差し、それが見る間に増えて地平線を照らし出す。茜色の空が夜をみるみる呑み込んでいく。高音が最高潮へ達した。
 そしてモニュメントに最初の光が辿り着き、曲は終りを告げた。

「良い、曲だったな」
 凛生とムーグは目の下に隈のできた百合歌を見送り、慰霊碑の前に佇んでいた。
 朝焼けが碑を照らし、刻まれた名を浮かび上がらせる。凛生は碑の上に完成したモニュメントを幻視した。ムーグが曲の余韻を噛み締め、
「‥‥ハイ。コノ、瞬間、ヲ、絶対ニ、忘レ、マセン‥‥」
「‥‥何だ、今からその調子じゃ困るぞ。きっとこれから、もっと多くの忘れられんものができる」
 何の気負いも衒いもなく、ただ真直ぐに凛生はそう言う事ができた。
 薄く笑い、隣の男を見やる。彼はその言葉を受けてそんな将来を思い描いたのか、溢れる感動を抑えるように片手で目元を覆い、嗚咽を堪えていた。
 最近、ムーグは以前に増して感動屋になった。それも無理からぬ事だと、凛生は思う。それに、そんな彼がいたからこそ己も彩りを取り戻したのだ。現代社会に塗れ、妻をこの手にかけ、逃げるようにただバグアを憎み続けた。そんな底の無い漆黒だった世界を照らしてくれたのは、曇りのないムーグの心だった。
「美しいな。本当に‥‥」
「‥‥サバンナ、デ、見ル、夜明ケ、モ、美シイ、デスヨ」
「ほう。なら今度遠出してみるか。そういや、お前のキリンも早いところ連れてきてやらねえとな」
「‥‥ココ、デ、放シ飼イ、ニ、シタラ、怒ラレ、マセン、カ」
「こんな広大な大地が広がってるってのにか? ハ、まあいいじゃねえか、それくらいよ」
「‥‥デス、ネ」
 凛生が笑う。釣られてムーグも笑った。何という訳でもないのに、抑えようもなく楽しくなった。胸の奥からどうしようもない衝動が溢れてくる。
 生きている。
 最も原始的で、最も尊い衝動だった。
 2人の笑い声が早朝の産業府に響き渡る。歩哨が何事かとこちらに目を向けた。
 太陽が次第に姿を現し、地上に光を齎してくる。凛生は目を細め、モニュメントを仰いだ。
「さて。今日もひと働きするか」
 凛生の目には、高く聳え立つモニュメントの姿が確かに映っていた‥‥。

<了>

1990年   バグアによるアフリカ大陸への小規模進攻の開始
        ピエトロ・バリウスがアフリカ各地を転戦する
1999年   バグアのアフリカ攻勢が本格化、間もなく完全制圧される
        その中でピエトロ・バリウスは人的被害を最小限に抑える撤退戦を指揮
2006年   ピエトロ・バリウス、UPC欧州方面軍軍団長へ昇進
2010年5月 UPC軍、及び傭兵による北アフリカ進攻作戦、決行
        チュニジアに橋頭堡を築く事に成功するも、ピエトロ・バリウスが暗殺される
        アフリカにおける彼の功績を鑑み、橋頭堡(のちの要塞)に彼の名を冠する
 同 11月【Roller for African Liberty】作戦開始
        ヨリシロとされたピエトロ・バリウスが人類の前に立ちはだかる
        欧州方面軍軍団長の後任は未だ決まらぬも、ウルシ・サンズが主導的立場を取る
2011年6月 UPC軍、及び傭兵によるアフリカ奪還作戦、決行
        ピエトロ・バリウスの撃破には失敗するも、アフリカ戦線における一時停戦に勝ち取る
        また北アフリカのほぼ全域の奪還に成功
 同 11月【the Counterattack of Observed people】作戦開始
        同時期、後方復興事業となる【Aiding Line of Africa】作戦も開始される
 同 12月 バグアによる一方的停戦破棄
        敵がPB要塞を急襲するも、人類側は辛くも要塞の防衛に成功
2012年7月 【the Counterattack of Observed people】作戦終了
        アフリカのほぼ全土を奪還する
 同 8月 UPC軍、及び傭兵による地球奪還作戦、決行
        マダガスカル決戦においてピエトロ・バリウスを撃破
 同 11月 PB要塞を産業府ピエトロ・バリウスと改名、要塞から復興の象徴へ役割を変えていく
2013年3月 アフリカ戦線の勝利を記念したモニュメント、通称「Movado」の建設を開始
        たゆまぬ前進を誓い、復興作業が本格化
201X年   産業府がメガコーポレーションとしての活動を開始
202X年  「Movado」完成

                     〜『現代に続く20年戦争の功績と爪痕』(202X年出版)「アフリカの章」より抜粋〜