●リプレイ本文
●「恨み、晴らさでおくべきかなのですよぉ」
静かに寄せる波の音が耳に心地良さを届けていた。軽い足取りと共に係船柱の上に立ったエレナ・ミッシェル(
gc7490)は、興奮と不安で逸る鼓動を抑える様に静かに呼吸をした。
「んー。割と普通の漁村だと思いますけど。特にキメラが好き好んで住み着くようには見えませんよね‥‥」
「いたって普通の漁村だねー。お、釣竿とか網とかはっけーん」
港の中をぐるりと散策し埠頭へと戻って来た知世(
gb9614)と桜夜(
gc4344)は、世間話でもする様な足取りで片付けられた漁師道具を覗き込んでいた。遠くから人手を求める声が聞こえると、二人は顔を見合わせそちらへと走り出す。
「あぁ‥‥また海なのですよぉ」
トライク形態のバハムートに腰掛け、洗車したばかりのボディを撫でながら宇加美 煉(
gc6845)は溜息を吐き出した。係船柱から飛び降りたエレナが、海へと視線を向けた宇加美に声を掛ける。
「漁港を挟む様にして、左手には陸地から繋がった長い岩山、右手には短い岩山が突き出してますね。漁師さんに教えて貰った通り、左手の岩山の根元には海中洞窟の入り口が見えます。あそこに入られたら、ちょっと困っちゃいますね」
「左の岩の先端近くなら、クリオネに最も近い場所から攻撃が出来るのですよぉ。その為の準備に、男子二人が向かったのですよぉ」
真面目な話も程々に、いつしか二人の会話は『クリオネを食べる』という奇妙な方向へと逸れてしまっていた。
「クリオネという生き物は、これでも一応貝の仲間なのですよぉ。貝は貝らしく、お刺身にしてあげるのが一番なのですよぉ。前に頂いた貝は美味しかったのですけどねぇ」
「わっ! クリオネちゃんのお刺身ですか?! 良いですね! 私もお願いしたいです!」
宇加美の言葉にエレナが嬉しそうに笑った次の瞬間、耳障りな鳴き声が幾つも重なり、漁港全体をビリビリと震わせ二人は口を噤んだ。驚いた表情を浮かべるエレナに対し、幽霊の様な気配を漂わせた宇加美が、水面から高く跳ね上がった生物へ向けて静かに呟く。
「漁師の人達と家族の恨み、それから私の個人的な洗車の手間の恨み、晴らさでおくべきかなのですよぉ」
●「それも、主に仕える執事の役目に御座います」
「私、ジョン・ポール・ミュンヒハウゼン。とある紳士に仕える執事に御座います。主の命により、此度の依頼にお力添えをさせて頂きたく参りました」
漁業組合の会長と思しき老人の男と、彼らにキメラ退治の依頼をした女性、そして女性同様に家族を失った遺族達の前で、J・ミュンヒハウゼン(
gc7115)が一礼をした。その完璧なまでの仕草に呆気に取られる市民に対し、宇治橋 司郎(
gc2919)が複雑そうな笑みを浮かべる。
「ホールへの避難誘導は終わりました。他に何か手伝う事があればお手伝いしますよーっ」
「まだ何かあるー? 何もする事無いよねー?」
避難の手伝いに加わっていた知世と桜夜が詰め所のドアから顔を覗かせて尋ねる。
「お帰り。大体の話は俺達で終わらせた」
宇治橋の言葉に礼を言い、手が足りている事を確認すると、二人は少し離れたパイプ椅子の上にちょこんと座った。それを見計らっていたかの様にミュンヒハウゼンが会長へと口を開く。
「つきましては、不要になりました『魚のワタ』等がありましたら、譲って頂ければと思います。其方を使い、キメラの群れを誘き寄せます」
「そりゃぁもちろん、うちは加工もやってますんで山のように余っちょりますが。‥‥最近の軍人さんは『魚のワタ』を運ぶのも仕事なんですかぇ?」
「ありがとうございます。直ぐに伺わせて頂きます。勿論それも、主に仕える執事の役目に御座います」
微笑むミュンヒハウゼンの語尾を掻き消すかの様に、詰め所の薄いガラスがビリビリと音を立てて震える。何度目かも解らないその音が聞こえた瞬間、女性達は悲鳴を上げて耳を両手で覆った。
●「俺の背後に立ったのが運の尽きだったのさ!」
「わっ! クリオネってあんなに高く飛ぶんだね!」
「大きいやつの速さは丁度、小さいやつの倍程でしょうかぁ」
「ハラペコだってのに、よくあんな速さで泳げるもんだよねぇー」
左の陸地に陣取り、回遊するクリオネキメラの群れを眺めながら、エレナ、桜夜、宇加美の三人がそれぞれのんびりとした感想を述べた。表情や口調は緊張していないものの、武器や装備をセッティングする手には無駄な動きが一つも無い。
ブラッディローズのマガジンを外し、貫通弾を装填するエレナ。トライク形態を解除し、豊満な胸を器用に人型形態のバハムートを装着させる宇加美。大水青のコンディションを確認し、先端へと移動する為の安全なルートを叩き込む桜夜。口にはしないものの、それぞれが成すべき役割を確かに理解していた。
「こちら宇治橋。C1にて待機完了。リーダーキメラは四十秒後に海中洞窟より姿を現す予定。宇加美の初撃と同時に各自攻撃を開始する」
「こちらジョン・ポール・ミュンヒハウゼン。了解致しました。B2地点より『魚のワタ』を投下後、攻撃体勢へ移行致します」
入り江の先端に立ち、ビニールの袋で密閉した『魚のワタ』を詰めた布袋を手にしたミュンヒハウゼンが、無線機を使い宇治橋と最終の確認を行った。ミュンヒハウゼンの動きが歌舞伎の見得を思わせるものへと変り、同時に練成強化を発動させる。スニーカーの底で悪い足場を確認していた知世の髪が静かな様子で漆黒に染まると、藍色の霧が体を纏った。
「さて、この漁村を荒らす巨大なクリオネさんを退治しましょうか」
知世が声を発した瞬間、不気味な程の静けさが当たり一帯を包み込む。その数秒後、岩と海水の隙間から高く跳躍をしたクリオネキメラが耳を劈く程の鳴き声を発した
「フッ‥‥。俺の背後に立ったのが運の尽きだったのさ! なんちゃってー♪」
ブラッディローズを構えたエレナの右眼に十字の紋章が浮かび上がった。
●「命が消えるという意味を、その身に刻め」
『ギャアアアアアアアア!!!!!!』
海面から十メートルの高さまで跳躍したクリオネキメラのリーダーが、大きく頭部を開き攻撃の意思を剥き出しにした。肌から人の温かさが消え、髪と瞳が深く暗い黒へと変化した宇治橋が、貫通弾を装填させたバラキエルの銃口をリーダー格のクリオネへと向ける。左眼の色が青い光を点し、前髪の一部が白のメッシュへと変化した桜夜は、同時に隠密潜行を発動させ、続いて洞窟から飛び出す小型のクリオネをミュンヒハウゼンが待つ先端へと誘導する為に待ち構える。長い髪が狐の様な耳と尻尾を形作る宇加美は、竜の角を発動させた。
「上手くいってくれよ‥‥」
宇治橋の弾いた貫通弾が、リーダー格の消化器官を貫いた。瞬間、耳を割くような奇声を発したクリオネが、空中で一度大きく体をくねらせる。反撃回避の為に後ろへと下がった宇治橋と入れ替わる格好で宇加美が、白鴉から強力な電磁波を発生させる。
「まずは大きいやつから狙うのです。電子レンジで温め殺すのですよぉ」
衝撃により上空へと打ち上げられたクリオネが、反撃をする隙も無く電磁波に絡め取られる。舞姫を構える知世の反対側へ周る様に、宇治橋がバッカルコーンへと銃弾を撃ち込む。
「チャンスは一度。落とせば逃げられるぞ」
「流石にAUKVは浮かなそうですからねぇ。普段はどちらかというと沈むのに苦労する訳なのですがぁ」
クリオネの消化器官が内部から破裂するのを確認すると同時に、電撃と銃弾の雨が停止する。最後の足掻きをする様に、潰れたバッカルコーンを知世に向かって伸ばそうとした。
「家族を失った悲しみ。愛する人を失った悲しみ。‥‥命が消えるという意味を、その身に刻め」
刹那を発動させた知世がクリオネの翼足を切り落とす。塊と化したクリオネは、悲鳴を上げる事無く波打つ海の中へと落下した。
●「にゃははー早くくたばれー♪」
「はーい、今だけこっち向いててねーっ♪」
リーダー格が攻撃により打ち倒された十秒後、海中洞窟から顔をだした小型のクリオネに向けて桜夜が隠密潜行からの影撃ちを放った。リーダー格との連携が断ち切られた事に混乱したクリオネ達は、鳴き声を上げて桜夜の攻撃が発射された方向へ向かって移動を開始する。
「‥‥頃合ですね」
クリオネ達の動きがバラバラになるのを見計らっていたミュンヒハウゼンが、断崖の上から『魚のワタ』の入った袋を海面へ向かって投げ込みカトブレパスで破壊した。瞬間、海面から漂う体液の匂いに釣られたクリオネ達が、『魚のワタ』へ向かって突進する。
「来た来たっ! 一撃で仕留めるよ!」
クリオネ達の動きと共に断崖を移動したエレナは、最も高く跳ね上がったクリオネに向け、ブラッディローズから貫通弾を撃ち込んだ。影撃ちのダメージを受けていたクリオネの消化器官が弾け飛ぶ。
「にゃははー早くくたばれー♪」
武器をFEA−R7へと持ち替えた桜夜は、貫通弾を込めた一撃を最もダメージの大きいクリオネに向けて撃ち込む。背後から弾を受けたクリオネは、弾け飛んだ消化器官と共に海面に浮かび上がる。
「これで最後です」
電波増幅を乗せたカトブレパスの一撃を、『魚のワタ』に食らい付いていたクリオネに向かって打ち込む。クリオネの断末魔が消えると同時に、辺りからの静かな潮騒の音が耳へと心地良く届いた。
●「住民の心が穏やかになる日を、心より願っている」
「あぁ、そうじゃ、確か‥‥最近、急に小魚が多く獲れるで、食べ切れんやつを海に返しとったですよ」
「恐らくジョンの推察通り、それがキメラを引き寄せる結果になったのかもしれない。通常ならありえない事だが、大規模な戦闘から漁場への影響が出ていたとも可能性もある」
「‥‥あぁ、ワシは何という事を‥‥あぁ‥‥」
キメラ討伐の報告と共に、宇治橋から状況を伝えられた会長は後悔と共にその場に崩れ落ちた。その体を起こし、ズボンの裾の埃を掃ったミュンヒハウゼンが穏やかな口調で告げる。
「町の方の責任は何処にもありません。全ては戦闘が原因で引き起こされた結果ですから。念の為、ULTの科学者や専門家と共に警報警備装置等含めた対策を行える様、こちらからかも働き掛けを行います。今後の被害を防ぐ事が、何よりの故人への慰めになりますかと‥‥」
「ここに居る住民の心が穏やかになる日を、心より願っている。帰還するまでの僅かな時間だが、手伝える事があれば言ってくれ」
二人の言葉を受け、会長と共に報告を聞いていた遺族達が口々に「ありがとうございます」と言葉を繰り返す。ミュンヒハウゼンが差し出した白い百合の花束を受け取った老婦人の目から、一粒の涙が零れ落ちた。
「‥‥ねぇ、マズイよ。今は行っちゃダメだよ」
「だって、もうオジサンに言って始めちゃったもんー。仕方ないっしょ?」
詰め所の向こうからコソコソと聞こえた声に気付いた宇治橋がドアを開けると、「わっ!」と言う声と共に知世と桜夜が雪崩落ちる。「‥‥何してるんだ」と呆れた様子の宇治橋に気まずそうにした知世に対し、港を指差した桜夜が悪びれもせずに言った。
「今、港の所で倒したキメラが引き上げられたよー。中に亡くなった人の遺留品がちょっとだけ残ってたから、後で見に来てくれってさー。あと、宇加美のお狐さまとエレナが、クリオネを食べちゃってもいいよねーって」
二人の言葉に、緊張と悲しみで満ちていた詰め所の中に小さな笑いと溜息が生まれた。
●そして、それから
「やっぱり、お持ち帰りはダメだったみたいですね」
「仕方ないのです。お刺身は鮮度が命なのですよぉ」
係船柱に腰を下ろし、明るい中年の漁師が捌いたクリオネの切り身を、醤油の垂らした紙皿の上に付けて宇加美とエレナが刺身の様にして食べる。味らしいものは何もないものの、ナタデココに似たコリコリとした触感が口の中一杯に広がる。
「んーマズくはないですよね?」
「そうですねぇ、ダイエットにも良さそうな味ですねぇ」
見た目からは想像がつかない二人の食事風景に、漁師は終始驚きながらも豪快な笑いを浮かべていた。