●リプレイ本文
●19時15分:絶賛準備中
遮蔽物のごく少ない、草野原の小さな丘の上。
鋭く尖った風が、せわしなく動く人影の隙間を刺して行く。
「しかし、いやー。良かった良かった! 4人、集まってくれれば観測も十分なデータが取れるからねー」
本当に助かるよー! そうしきりに謝辞を口にしながら、てきぱきと動き回っているのは、カンパネラ学園天文部顧問の八重田、その人である。
此度の依頼に参加の手を挙げたのは4人。各々が空を眺めたり、準備に動いている。
「天体観測も本当に久しぶりだ。小学校の課題でやって以来になる」
人影の中で頭一つ抜きん出た体躯の白鐘剣一郎(
ga0184)が、テントの設営を終えたところで、誰ともなしに語った。厚いダウンジャケットに身を包んだ姿は、備えも万端といったところか。
テントは釧(
gb2256)が持参してきた。サイズはそれほど大きいわけでなく、もっぱら面々の荷物で早々に埋まっていた。
テントの中で荷物の整頓を終えたようで、釧が外に顔を覗かせる。防寒装備に女性らしさはあまり見られないが、観測にはかえって良い結果に繋がっただろう。依頼から参加してきた4名に、顧問である八重田、部員の2名の姿をぐるりと確認して呟く。
「人気が無いのは‥‥天文部ですか、先生ですか?」
八重田は歩を止めて頭を掻きながら、ハハ、と枯れた笑いを添える。
「いやー、面目ない。僕はー空の魅力を伝えられるほど饒舌じゃないからねー」
「勿体無い、です。こんなに綺麗な空‥‥なのに」
「そうだな‥‥こうして星を眺める事も、最近は本当になくなってしまった」
剣一郎と釧の声に、全員の視線は天頂の遠くを仰ぎ見ている。時刻は19時を過ぎた辺り。西の空のわずかな明るみを残して、全天に星が瞬き始めていた。
その言葉に頷きながら、火を入れたばかりのランタンを片手にみづほ(
ga6115)はテントの入り口に腰を下ろす。
「この状況で星を見れるなんて、少し贅沢ですね」
ランタンのそばで、観測用の筆記具などを確認していく最中、ふと。思い出したように顔をあげて、目の前を駆け抜けようとした八重田を呼び止めた。
「八重田さん、記録の書式についてなんですけど」
「ああ、うん、ごめんね。準備が終わったら詳しく説明するから、もうすこーし待ってて貰えるかな」
八重田は一人、方々に三脚を立て上げていた。雲台の上には無骨なフィルムカメラが載せられていて、それぞれが天をにらめつけている。
そんな三脚群の一つの隣で、幻堂 響太(
gb3712)は大きく地平線を360度、見渡していった。
「遮るものがない夜空って、癒されるよね。街の暮らしは窮屈になっちゃうよ」
昔は森で暮らしていたという響太は、久々であろう開放感に満足気な表情だった。
「みんな、楽しんでもらえそうで何よりだね。今日の流星群は条件も良いから、期待してもらって構わないよ‥‥さて、準備は整ったかな? じゃあ観測についての詳しい説明をするから、集まってー」
八重田の挙手で、散り散りになっていた部員も集まってきた。
その後、30分に渡って実際の観測方法の説明が行われた。
書式については、顧問八重田謹製の記録シートが使われる。
縦横に罫線の引かれた表形式で、左から時間、方角、明るさを筆記するようになっている。
「口頭で説明すると難しくなっちゃうから、簡単に実演するねー」
そういうと、八重田は明後日の方向の空を見上げて声を張り上げた。
「ハイ!」
声に反応して、部員は手元の時計を確認する。
「北西、2等です‥‥とまあ、こんな感じで、見つけたら時刻を記入する為の発声、その後に大まかな方角。これは本当に大雑把で構わないからね。北で観測中に左手に見えたら北西、右に見えたら北東、真ん中は北。それくらいの認識でいいよー。明るさについてはーえっと」
テントの中の荷物から引っ張り出した、これまた顧問八重田謹製の星座早見盤がそれぞれに渡される。
「星座の中で一番明るい星に、等級を書いてあるんだ。それを目印に使ってね。今日の天気なら、全部見えるはずだから」
早見盤は蓄光タイプのもので、暗闇の中で薄ぼんやりと数字を浮かび上がらせていた。
「それじゃみんな、寒さに負けずに頑張っていこー」
開始時刻も迫れば、シートの上に寝袋が用意され、いよいよ観測が始まる。
●21時02分:一回目観測(書記:部員アルファ(仮名))
観測中、参加者は東西南北の4箇所と書記を、1時間ごとにローテーションする。
5つのうち4つに依頼参加者が入り、残った1箇所を部員たちが交互に受け持つ形になった。
残った部員と八重田は、天文部のもう一つの活動である流星の撮影のため、カメラのシャッター開放に走り回ることになる。
空に音はない。とっぷりと暮れた闇の中で、7人は無言で佇んでいる。お目当ての流星が一つも流れないまま、観測開始から早くも30分が経過していた。
最初の5分は、他愛の無い会話があちらこちらと賑々しく飛び交っていた。5分後には言葉はぽつりぽつりとなり、その5分後には、時折誰かが欠伸やくしゃみをする程度になった。更に5分後、会話らしい会話は全くなくなった。
既に現在、誰一人として言葉もなくただぼうと空を見上げている状況に、違和感を覚える者は居なくなっている。
いつまでこの沈黙が続くのか、若干の不安を込めた言葉を八重田が吐こうとしたその瞬間、北の方角から高らかな声があがった。
「ハイ!」
響太の声は、かすかな興奮の色を露にして、その後思い出すように続けていく。
「えっと、北‥‥1等、かな」
依頼にあるところの任務を一つこなした達成感、そして念願の流星を見ることの出来た喜びに、響太は一つ息を吐いた。
「あっ」
「‥‥はい」
直後、南に位置しているみづほと、それにやや遅れて釧の声が通った。
「南西‥‥マイナス、1等」
「釧さんと同じ流星だったみたい‥‥んと、高さってどうやって測るんだろ」
みづほの零した疑問に、書記を行っている部員が答える。
「観測データは、流星の数と時刻が一番重要なので、そのほかのデータは大まかで大丈夫ですよ」
「もし天頂に流れた時は、自分の方角とあわせて天頂、と答えてくれればいいからねー」
八重田が続けて答えを付け足す。
ほんの数秒の間に二つの流星を観測し、全員の表情に余裕が生まれた。その後またすぐに無言になっていったが、先ほどまでのそれとの雰囲気の違いは明らかだった。
結局、一回目の観測終了までに、またいくつか流星を捉えることは出来たが、一人、東の空を無言で眺める剣一郎だけは運悪くそれらを一つも見ることが出来なかった。
一回目観測終了
発見数:6
累計発見数:6
●21時38分:二回目観測(書記:響太)
先ほどの観測中、第一声を含む3個の流星を観測した響太は、書記に回って上機嫌で夜空を眺めていた。
時折、手元に用意された目覚まし時計で時刻を確認しながら、あがる声を、降る星を待っている。
その場の誰もが同じ思いではあったが、中々に流星は現れず、追い討ちをかけるように冷え込みは激しくなっていく。
厚く着込んでいる部員たちも、時折体を震わせている。冬場の観測は、最早気候という見えない敵との戦いに他ならない。
勝利条件は観測をやり遂げること。寒さに対する挫折は敗北に値し、油断と眠気はすなわち死に直結する。
単純に、観測対象である流星を望むと同時に、目の覚めるような一撃を欲していた。
そしてそれは叶った。
「捉えた」
静かに、しかしはっきりと鋭く。それは他の誰でもない剣一郎の一声だった。
「違った‥‥『はい!』だったな‥‥南、マイナス2等、だな。大きかったぞ」
「南、マイナス2等‥‥っと」
「これが流星か」
待ち続けること1時間強。念願の流星を瞳に映した剣一郎は、その大きな余韻に浸りながら呟いた。
観測開始早々の大きな流星に、わずかな期待もあったが、その後はあまり奮わない結果となった。
二回目観測終了
発見数:6
累計発見数:12
22時半からの三回目の観測においても、やや増加が見られるだけで、大きな動きはないまま時間を迎えた。
三回目観測(書記:釧)
発見数:9
累計発見数:21
●23時33分:休憩中
待ちに待った休憩時間。各々体を大きく伸ばして、観測の疲れをほぐしている。
釧は紅茶を水筒から、響太は事前に仕込んでおいた豚汁を温めて振舞う。
みづほも同様に、ポットセットをあたためたミルクを振舞っている。
依然厳しくなるばかりの冷え込みも、お互いに手持ちのものを振舞いあい、静かな星空の時間を共有する彼らにはお膳立て程度でしかないのかもしれない。
「こういう時間は好き‥‥です」
そう言って、釧は紅茶で温まった体の底から、息を吐き出した。
響太は部員たちと連なって豚汁を腹に収めつつ、時折気にするように空を眺める。
その隣では、八重田の色々な天文現象の解説に聞き入る剣一郎の姿があった。
「まあー、日食月食の類以外は、みんな地味だからさ。普通の人は食いつき悪いんだよー」
「なるほど‥‥昔、学校で習った気もするな」
一方で、釧はみづほに、持参した細身のプレッツェルを勧めたが、みづほは苦笑いを一つ返すだけ。
「最近、あまり動けてないもので‥‥」
女性共通の悩みに、素直に納得した釧は、しかして気に留めることもなく口に運んでいく。
「さて、体も温まったし、一つ気合を入れて行きましょう」
部員ベータ(仮名)がすっくと立ち上がって宣言するも、現状3時間で21個という数字は、今後の観測に大きな影を落としている。
●24時21分:四回目観測(書記:みづほ)
「はい。北、0等」
「あ、ハイ! 南東、3等です」
「え、今二つ流れたんだけど、八重田さん!」
「タイミングは同時かな? それならそのまま一つずつ報告して大丈夫だよ」
日付をまたぐのと同じくして、穏やかだった夜空は豹変し始めた。
観測を再開して20分、この時間だけで観測数はそれまでの累計数に並んだのだ。1分に1個は確実に流れているペースになる。必然的に、書記のお姉さんことみづほも大忙しだった。
「灯りが強すぎるから」と言う八重田のアドバイスで、テントの生地越しに記録シートを照らしながら、ミスのないように確認しながら書き進めていく。
「南東が3等、北が0等‥‥と。急に出てきたね」
「ハイ! 南東、1等! そうだね、もうこれで俺、合計20個だよ」
「はい。北西、マイナス1等だ。」
「‥‥はい、東、天頂近く、一等‥‥です‥‥これだけ出れば、願い事も叶う、かも‥‥知れません」
「えっと、南東、北西、東天頂、ね‥‥戦友がお星様にならないように祈りましょう」
最後までそんなペースが続き、1時間の中で5分以上声があがらなかったのは一度きりだった。
四回目観測終了
発見数:41
累計発見数:62
次の1時間でも徐々に数を増して行き、書記に回った剣一郎は空を見上げる暇もないほどにまでなった。
「同時に発見すると大変だな‥‥」
ようやく一息ついたところで、三脚群から戻ってきた八重田が顔を覗かせた。
「うんうん‥‥白鐘君も手際が良くて、ばっちりだねー。うちに入らないかい?」
五回目観測(書記:剣一郎)
発見数:66
累計発見数:128
●26時10分:休憩中
人間が休憩に入ろうとも、星に休息の時間などは存在し得ない。
「知ったこっちゃねえや」と言わんばかりにせっせと流れる星を見るたびに、響太やみづほが癖のようにハイ、と声をあげる。
その様子に八重田は引き笑いをこらえつつ、釧の紅茶を口に運ぶ。
「休憩が終わったら嫌でも数えなきゃならないんだからー、休憩中くらいは忘れていいんだよ」
しばらくの間、みな無言で空を見上げた。まばゆく光りながら右へ左へと空を裂いていく星の明るさと、深夜のラストホープ、公園の一角の静けさとが、不思議なアンバランスさとなって押し寄せる。
やがて、誰しも空に見入っていた。
●27時27分:六回目観測(書記:八重田)
最後は、四人それぞれ最初の位置に戻っての観測になった。
とは言っても、8時間近く経過した夜空は星座の位置を大きく変えている。オリオン座は大きく西へと傾いでいた。
流星の数も、一回目の観測とは比べ物にならないほどの量になっている。
「はい、北東、マイナス‥‥はい、今度は東だ」
一回目では全く恩恵を受けられなかった剣一郎も、視界に入る流星の一つ一つを的確に捉えている。
「北東のはマイナス1等くらいかな? 大きかったね」
響太の声色も弾み、順調にゲームを進められているような、そんな調子で微笑んでいた。
「‥‥はい、西、3等、です」
「はいっ。南東、2等です」
釧の報告にも言いよどみが少なくなり、みづほも方角のアバウトな感覚が身についたらしく、逡巡する間もなく次々と報告を続けていく。
夜空は、まるで小ぶりの雨のような勢いの流星に彩られ、静かに輝いていた。
六回目観測
発見数:90
●27時50分:撤収作業
「6時間で218個、時間平均36個ってところかな。いやー今日は本当に助かったよ! みんなも楽しんで貰えたかな」
準備作業の時と同じように、三脚の撤収に走り回りながらも、ちぐはぐな間延びした口調で八重田が4人の方に顔を向ける。
「今度は友人を連れてきます、ね」
同じ学園で、青空洗濯同好会の代表を務める釧が、小さく会釈をしながら答えた。隣でテントの撤収を終えた剣一郎にも頭を下げる。
「色々と‥‥ありがとう、ございました」
「力仕事なら任せて貰おう。こちらこそ温かい茶を振舞って貰ったことだし、な。
さすがに寒かったが、良い経験になった。ありがとう」
剣一郎は言葉の前半を釧に返し、後半を八重田に向けて微笑んだ。二人とも、まぶたがやや下がってきている様子だ。
「すごく楽しかったよ。星を数えるのも面白かったし、空を眺めるのも」
響太は豚汁の容器などを片付け終えたところで、小さく欠伸を一つ漏らして夜空を仰いだ。未だ空ではいくつも星が流れている。観測が終わった今となっては、一つの幻想的な瞬間に他ならなかった。
「幻堂さん、豚汁ごちそうさま。とってもおいしかったです」
響太に片手をそれぞれ差し出す部員アルファアンドベータ(仮名)。すっかり冷え切った手のひら同士で、軽く握手を交わした。
「偶然チラシを見て参加しましたが、流星もいっぱい見れましたし、夜空も満喫して、満足です」
みづほは先ほど、水筒に残っていた牛乳を沸かし、今はゆっくりと冷ましながら口をつける。吐く息の白い蒸気が、低い空に消えていった。
「みんなお疲れ様。これにてカンパネラ学園天文部、流星観測会を終了します。それじゃ解散!」
誰も彼もが家で暖かく眠る、こんな寒い夜。
お疲れ様でした、と声を揃えるメンバー達の頭上を、ひときわ大きい輝きが巡った。