●リプレイ本文
変哲のない罅割れた石の続く遺跡の内部の一寸先に口を開ける漆黒の闇は微かに渦を巻き、極楽ではないどこかに続いている。その先に開けるのは賽の河原か地獄か冥界か、すべてを圧倒する冥府の怪物や巧緻を尽くした罠の数々がなくともただ一歩を進めるだけで全身に悪寒を生じさせ違和感を与え露出した肌を苛む。
外の光はとうに姿を消して頼りないランタンだの懐中電灯だのが道を照らす。酸素が薄い。自然に唇が開く。周囲の壁は微動だにしないまま徐々に近づくと思いきや離れて通常の感覚に戻りまた押し潰そうと迫ってくる。その周期が短くなればそれは遺跡の内に秘められた魔力とも魅力ともつかないなにかに囚われた証左となる。
が、先頭を歩く美環 響(
gb2863)は平常を保っているようで、朧な明かりに照らされて浮かび上がる細い縄に気づいて足を止めた。事前の打ち合わせどおりにM2(
ga8024)が家庭用工具セットを手に進み出る。
用いた『GooDLuck』が功を奏したかそれとも純粋にM2の地力か、罠は容易に無効化された。念のために皆を下がらせてから縄を切るも周囲の沈黙は破られない。
M2は胸を撫で下ろしてから罠を解除した印にペイント弾を壁に撃ち込んだ。これは遺跡の景観を壊す所業ではあるが必須の行為ともいえる。この印に背を預けていれば罠を気にせずに済むのだ。
列の後ろで『探査の眼』を発動させている美環 玲(
gb5471)のさらに後ろ、すでに漆黒に紛れた三叉路には瞳 豹雅(
ga4592)と蛇穴・シュウ(
ga8426)とのつけた印が刻まれている。これは迷わずに遺跡を出るための配慮だった。
どれだけ深い闇でも時間を経れば目が慣れて物の輪郭を視認できるように、時間をかけて遺跡を進むにつれて能力者たちの肌に生じていた粟は消えていき、罠の解除も順調に進んでいたが、油断をしたとも思えないのにロゼア・ヴァラナウト(
gb1055)が罠にかかったのはどういう理屈か。たとえば森に一枚の木の葉を隠すように陳腐な罠を連続で設置し、児戯に等しい罠の数々を故意に変化に乏しいと思わせるように使い回して油断を誘ったと推測できる。が、響は微塵も油断をしていなかった。となるとやはり罠自体が巧妙だったのが大きな理由だろうか。
何の変哲もない壁だった。色が褪せているとか材質が違うとか切れ目があるとか出っ張りがあるということもなく、遺跡に入ってから延々と繰り返された模様があっただけにもかかわらず、微かに体重をかけただけで壁が回転した。
常人よりも遥かに皮膚の丈夫な能力者であるから果たして傷を負ったかは定かでない。が、狭い通路をものともしない瞳の迅速な行動とヒューイ・焔(
ga8434)の膂力により壁は回転を止め、玲の細い手に引かれながらロゼアは無事に通路に戻った。「すみません」ロゼアは頭を下げたが誰にも非はない。ただ運が悪かっただけに相違ない。
と、なおいっそうの集中力を発揮しながら進む響の鼓膜を嘆息に似た微かな吐息が揺らした。
朝霧 舞(
ga4958)から水を受け取った発掘隊の女の顔は血に塗れていたが彼女の顔に傷はなかった。返り血だ。血の主は朝霧により治療を受けている。朝霧の指が動くたびに男は呻いた。男の本分か性格か、身を挺して女を守ったことが全身に走る裂傷から窺える。特に酷いのは腹の傷だ。夥しい血液に隠れているが男の裂けた部分には黄色い膿が溜まっていた。傷がさらに深く長ければ腹圧により腸を滴らせていたかもしれない。
「冷たいココアはいかがですか」男の意識はしっかりとしているらしく、ロゼアの言葉に小さく頷いてココアを受け取ると流れ出した血液を補うように一息で飲み干した。
能力者たちはすでに遺跡の中腹まで達していただろうか。
要救助者を連れて戻るとすると存外に時間を要するがかといって放置するわけにもいかず、玲の女性らしい文字と装飾と線とで描かれた世界にひとつだけの可愛らしい地図と、瞳やシュウの目印を頼りに出口に向かった。
遺跡の入り口には行方を絶った発掘隊のテントがある。応急処置は済んでいるから手早く負傷者二人を預けて早々に遺跡に戻る。やはり唐突に下りる黒の帳に恐怖はあるが、最初と比べると幾分か慣れている。
丁寧な準備と弛まぬ集中力により能力者たちは遺跡を順調に進み、やがて最深部の神殿に到達した。
先頭の響は慎重だった。勘は悪くない。『探査の眼』も常用している。にもかかわらず木乃伊の吐く酸を受けてしまったのはなにゆえか。おそらくは神殿に入った瞬間に体が沈んだことと、キメラの能力が高かったことによる。
能力者たちは知る由もないが、発掘隊の女が大蜥蜴に壁に打ち付けられた際にできた穴から砂が入り込んで神殿のある広間の床に広がっていた。その砂は異常に柔らかく、今までの石の床との変化が惑わしとなった。
溶けた服の袖から覗く艶やかな皮膚は瞬く間に水脹れに覆われて悪臭を伴う煙を上げる。痛みに顔を顰める響の口から思わず声が洩れたのは酸による痛みではなく脇腹を抉った槍の穂先のせいだ。音もなく現れた酋長のような身なりのキメラは、槍を素早く引くと同時に大きく仰け反った。響の攻撃は空しく空を切る。
神殿に続く通路は非常に狭い。一人ずつ順番にしか通れないのはもちろんのこと、腰を屈める必要さえあった。そのため響がキメラの集中攻撃を受けても全員で援護をすることができない。それでも響の後ろにいたM2の動きは迅速で、響が反撃を試みたときにはすでに神殿前に降り立っていた。が、響を守るどころか大蜥蜴の舌により派手に弾き飛ばされ、倒れたところに酸を吐きかけられてしまった。
どちらも致命傷にはならないが転倒をさせられては響の援護は不可能だ。
優勢なのはキメラのほうだ。能力者たちは一人ずつ広間に足をつけてキメラに対するが、キメラの動きが尋常でない。また予想だにしていなかった砂による影響で存分に力を発揮できていない。それでも能力者たちは奮闘する。
反撃のきっかけを作ったのは朝霧だ。大蜥蜴が朝霧の大きな胸を締めつけようと伸ばした舌を避けて銃弾を撃ち返した隙に、ヒューイが番天印に貫通弾を込めて『両断剣』で威力をさらに強化した一撃を大蜥蜴に放った。
大蜥蜴が背骨を撃ち砕かれて無様に落下してくるのを見計らって、M2がブレイクロッドを突き出した。防御の体勢さえとれない落下中を狙ったM2のタイミングは完璧だったが、大蜥蜴は唾液に濡れる舌を伸ばして虎視眈々と相打ちを画策していた。もしロゼアのペイント弾が大蜥蜴の視界を塞がなかったら、死にはしないまでもM2はそれ相応の傷を負っていたに違いない。ブレイクロッドは蜥蜴の舌を滑るように一直線に走り、前歯を砕いて食道を抜け胃を貫いた。そのまま火にかければさぞ美味な大蜥蜴キメラの丸焼きが堪能できただろうが、覚醒により性格の豹変した朝霧が痙攣を続ける大蜥蜴の頭をブーツの踵で踏みつけて、「わきまえなさい」引き金を引くと蜥蜴の背中は無数の穴の開き熱で爛れて無残な様を呈した。いくら大きな胸が好きだからといってもセクハラはよくないですよね。
一体を倒して残りは三体、木乃伊二体に酋長一体、いずれも攻撃は鋭い。砂に慣れているせいもあるだろう。高速で接近する槍の穂先はシュウの美しい体を削り取るように容赦なく突き出される。奇妙な体の木乃伊は酸を吐き続ける。
それにしてもこのキメラ、全身を包帯に巻いている。全身を包帯に?――、煙に巻くという表現があるから包帯を巻きつけている平凡な木乃伊とも読み取れるが、そうするとやはり全身に包帯を巻いたとするほうが適切であるし、これはやはり間違いを認めるしかないのだろうか、いいや、そんなことはあってはならないのだ、たとえ自尊心などという扇風機の弱と同程度の存在意義に欠けるものに囚われていたとしても、間違いではないと断言できるのだ。
なぜならばキメラは実際に包帯を全身の肉で包んでいたからだ。肉まんを思い浮かべると話は早い。人肉をミキサーで押し潰して粘土状にしたものを包帯に塗りつけた姿は醜悪で鈍重に思えるが、人が汗を流すように酸を四方に撒くことができる上に攻撃を脂肪で吸収することさえ可能だ。
が、どれだけ奇を衒おうとも一撃離脱を繰り返す瞳の着実な戦法の前には食べられるしか法はない。木乃伊は自分で腹の肉を千切って瞳に投擲したが、瞳は残像を残して木乃伊に接近し、ミラージュブレイドを眼球に突き刺した。
ただでさえ素早い瞳の動きは『限界突破』でさらに洗練された。キメラ肉まん敗れたり。
もう一体の木乃伊とは玲が対峙している。こちらは平凡な木乃伊で、乾燥した皮膚は風雨にさらされてところどころが剥げており、眼球のない目は深い黒を讃えている。さすがに目が見えないわけではないだろうが、玲の機械剣は面白いように木乃伊の体を傷つけていく。もちろん反撃を受ければ回避するのは容易ではない。しかしそこはロゼアの援護によって不安はないし、もしロゼアの銃弾により木乃伊の動きが止まらずとも、玲には『自身障壁』とバックラーとがある。もちろんこの小さな盾とこの特殊能力とがキメラの吐く酸に有効かどうかは微妙だが‥‥。
実質キメラを束ねているのは、大柄な酋長だろうか。その筋肉質な体に相応しい巨大な槍を携えて、シュウ、響、ヒューイの三人を相手に善戦している。酋長が動くと人骨の首飾りが太陽光を反射して妖しく煌く。人間の姿をしていながらもその目が妙に円らなのと唇が尖っているのとを考えると、ベースは人間でなく鳥かもしれない。であれば死体を漁って肋骨を蒐集するのも頷ける。工芸品を作る知能があるわけではなく、ただの習性だろう。
響は浅からぬ傷を負ってはいるもののなぜか優雅だった。それは左手に握られていたレインボーローズがいつの間にか小銃に変化しているせいだろうか。余裕があって奇術を披露しているというよりは、しみついた習慣が無意識のうちに奇術を見せているらしい。その響の前にはシュウが仁王立ちしている。
皆の壁となるその姿は頼もしくも感じるが、もちろん防戦一方ではなく、酋長の隙を窺っては『流し斬り』で機敏な動きを見せたり、『両断剣』による強烈な一撃で片腕を切り落としたりと忙しない。
もっとも安定をしているのはヒューイだろうか。大蜥蜴を撃ち落した正確な狙撃はもとより、細身の剣を操る姿も様になっている。またその攻撃は確実にキメラの寿命を奪っているのだ。
果敢に槍を振るっていた酋長は、ヒューイの着実な攻撃とシュウの怪我を恐れぬ果敢な攻め、響の遠近織り交ぜた変幻自在の戦法に傷つき、しまいには戦闘を終えて集い始めた瞳や玲によって膝を突き、M2のブレイクロッドに頭蓋骨を割られ、ロゼアの銃弾に槍を取り落とし、朝霧に喉を撃ち抜かれて派手に神殿へと続く階段に激突した。
ぴくりとも動かない酋長の首から舞った肋骨は、天井から降り注ぐ複雑な光に輝きながら砂に塗れた。
静寂が、今にも崩れ落ちそうなほどに疲弊した神殿と、砂に埋もれた瀟洒な噴水の頭を出す広間に満ちた。少々血生臭くはあるものの、砂により凹凸を刻む紋様といい、褪せながらもなお色彩に富んだ壁画といい、静かな威厳を讃える遺跡の最深部は奇妙な魅力と荘厳とを披露しているが、能力者たちは慌しい。
玲は響やM2、シュウの手当てに大忙しだし、ヒューイは砂を掻いて遺体を掘り出している。
響の腕の火傷は重傷に見えるが、「これなら傷跡も残らずにすぐに治りますわ」と玲のいう通りに、能力者でなくても治癒後に皮膚が突っ張ることはなさそうだ。
白衣の天使を思わせる玲に礼を述べて響は広間の入り口に向かい、『ロウヒール』を使ってどうにか満足に動けるようになったM2が遺体を移動させるのを手伝ってから「汝の魂に幸いあれ」と黙祷を捧げた。
シュウは怪我など慣れっこなのか、それとも玲の応急処置がよかったのか、軽やかに階段を上がって神殿を写真に収めている。これは決して観光気分で浮かれた挙句の行動ではなく、志半ばでキメラに命を絶たれた発掘隊の無念を察した上で偉業を讃え、彼らの功績を示すための行動か、もしくは単純に遺跡調査のための撮影だ。
今回の依頼の内容が遺跡の調査であることを考えると後者に思えるが、前者が正しいに違いない。
「怪物はキメラでしたね。古代バグア文明ではないでしょうけど」
瞳の独り言に「豹たんは事前に発掘隊の資料を見たんじゃなかったっけ」とヒューイが質した。
「儀式を執り行う場と墓地の両方の役目を果たしているのではないか、ってことくらいしか書いてなかったです」
「神殿の奥に墓はありませんでしたよ」
カメラを片手にシュウが階段を下りてきて会話に加わった。
「専門家じゃないのでなんともいえませんが、儀式の道具らしきものが収められていました」
「宝石かしら」玲が目を輝かせると「財宝が眠っている可能性はありますからね」と響が答える。
朝霧が口元を押さえて小さく笑った。戦闘中は冷酷だった目が細まり緩やかな弧を描く。
「やたら体力と幸運に恵まれた考古学者とか出て来そうだよね」
M2も笑顔を浮かべた。どことなく悲しそうに見えるのはやはり発掘隊の壊滅のせいだろう。発掘隊の無念は推して知るべしだ。見るも無残な遺体に心を痛ませながら、能力者たちは静かに帰路についた。
往路と同様の列を組んで、M2とヒューイとが遺体を担ぎながらゆっくりと遺跡を戻っていく。
やがて夕日に染まった砂漠に出ると、一同を風が出迎えた。
死者を悼むように吹く寒風は砂を巻き上げ、テントをはためかせる。
能力者に救助された発掘隊の生き残りである男女が、怪我を押して近づいてきた。しばしの哀悼の後に、能力者たちが手伝って遺跡の入り口近くに遺体を埋め、遺品をひとつ残らず発掘隊に手渡して一息つく。
朝霧は、こんもりと膨らんだ土に水をかけながら、遺跡を見遣った。
夕日に照らされた遺跡はセピアに染まってどこか懐かしい雰囲気を讃えながらも不気味な口を開けていた。