●リプレイ本文
肌に沁みこむ強い陽射しは微かに湿気を帯びていくらか気持ちの悪いけれども、溌剌とした鮮やかな緑の葉の隙間を縫って地面に木陰を作るのは平凡でありながらどこか懐かしさを感じさせる雰囲気を湛えている。可愛らしい柄の着物の裾からブーツを覗かせる水無月 蒼依(
gb4278)は、紫色のポニーテールを可憐に揺らしながら、極彩色の蝶々の可愛らしい花弁の上に震えるのを眺めたり、存外に凶悪な面構えの蜂の立てる羽音に驚いたりと、まるでピクニックにきた少女を思わせる振る舞いを見せていて、反対に厳つい表情のゴルディノス・カローネ(
ga5018)の説く講義を拝聴しながら歩いている新米配達員二人とは纏う空気がかけ離れている。
「敵と遭遇したとき、君たち運び屋がすべきことはなにか。戦うこと? 否。逃げること? 否」
トレンチコートにスーツ姿のゴルディノスは、矢継ぎ早に質問をする。
「『被害』を避けて目的地まで到着できる隙を見つけること、だ。敵を見、ルートを見、機を見たまえ」
マーガレット・ラランド(
ga6439)も教育には熱心で、
「初心忘れるべからず、です。熟練者だって油断をすれば平凡なキメラに重傷を負わされることがあります」
「そんなことがあるんですか‥‥」
「ええ。ありますよ。そういえば瀕死のマタンゴ配達員さんを救助したこともありましたね」
ふいに顔を伏せたラランドの言葉に、新米配達員が息を呑む。マタンゴの仕事はバグア支配地域を主に配達地域に定めているから尋常な仕事ではないとの考えはあったが、熟練の配達員の怪我を実際に目にしたものから改めてそのことを聞かされると、マタンゴに入ったことを後悔しそうになる。同じ新人でも能力者である井上パーマと違って、新人二人にはキメラに抗う術がない。ラランドはそんな二人の心情を読み取ったように
「萎縮することはないのですよ。自分の力を信じて前に進みましょう」
「利用できるものはなんでも利用するんだ」ゴルディノスが続ける。「この場合は我々がそれに相当するね」
もちろん能力者と一緒のときばかりではないから、己の力のみで危機を切り抜ける必要もある。
真面目な顔で考え込んだ新米二人の耳に、蒼依ののんびりとした声が届いた。
「景色の良いところがあると聞いてますから、楽しみですね」
顔を上げた新米たちの表情が相当に強張っていたのだろう、
「あんまりこうやって歩くことがないので‥‥、すみません」
蒼依は至極申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「そうですよね。なんだかとても気持ちがよいですし。思わず眠くなっちゃいます」
神様でも思わず突っ込みを入れてしまいそうになる助け舟を出したのは冴木美雲(
gb5758)だった。わざと皆の読みを外した高度なボケであると思わせておいて、そのじつ彼女は真面目だった。さすが天然。可愛い。
「まあ、互いに新人がいるんだ。頑張ろうな」との櫻井 蓮(
gb7162)のフォローに新人たちが顎を引いた。
時枝・悠(
ga8810)は新米の緊張の緩みかけたのを見てさらに二人の緊張を解くために話題のひとつでも出そうと考えたが、結局は口を開かなかった。そういうことはあまり得意ではないらしい。
時枝はパーマのファンキーなパーマを見てパーマの話題も考えたが、これもまた口には出さなかった。
とまあそんな感じでとても楽しそうな一行の先頭を歩いていたソリス(
gb6908)がぼそりと呟いた。
「やっぱり出てきますよね‥‥」
指導だから出なければ困るのだがともかくキメラの数は四体で、見た目は野生の獣と変わらない。
「OK! Io comincero´ I’addestramento pratico!」
ゴルティノスがイタリア語を発した。さあ、実地研修を始めようといった意味らしい。
天然さんの冴木さんが「あなたたちは私の後ろに下がっていてください」と新米二人に指示を出す。もとより二人が前に出る心配はない。想像を絶する恐怖に腰の抜けているのだ。
能力者たちは、新人二人の護衛をする班と、パーマのサポートをする班との二班に分かれた。
「おほおおお。こええー。まじでこええよ。なんだこれ。膝が笑ってら」
どこか達観したところのあったパーマが及び腰で叫んだ。彼の言のとおりに膝がずんぼら節を舞っている。
「‥‥ん。大丈夫。いざとなったら。私達が。守る」
パーマの隣で最上 憐(
gb0002)が小さな胸を叩いた。パーマからすれば自分の子供であってもおかしくはない年齢の少女であるが、キメラとの戦闘の経験も能力もすべてにおいてパーマを遥かに超越する。
「はは。こんなに小さいってのに、本当に能力者ってのは凄いもんだな」
「‥‥ん。お弁当。出るなら。はりきって。頑張る」
近頃の能力者は天然しかいないのだろうか、と、巨大なパーマをなびかせながらパーマは心中で呟き、雄叫びを上げながら前に飛び出した。そのパーマを『瞬天速』で追い抜いた最上は、猪の眼前まで移動すると、瞬く間に猪の鼻先から掻き消えた。パーマの驚く間に猪の横に出た最上は、自身の身長よりも長い巨大な鎌を豪快に振るう。
鎌は綺麗な弧を描きながら塵埃を真っ二つに区切り猪の腹部を掠めた。斫っただけであるにもかかわらず猪の分厚い腹はぱっくりと裂け、派手に血飛沫が上がった。最上の腕に相応の衝撃が走る。
「‥‥ん。キメラでも。側面や。死角からの。攻撃は。有効」
最上が崩れ落ちた猪の吐いた酸を避けながらパーマに諭す。
「こうなった以上はやるしかないよな!」
威勢よく叫んだ櫻井の髪は知らぬ間に金色に変わっている。目つきも凶悪な色を宿し、キメラ以上に獰猛だ。
キメラに向かって走り出す櫻井に当たらぬように、ゴルディノスがKar98改で援護射撃を行った。
櫻井はゴルディノスの援護により体勢の崩れた巨大兎に肉薄しつつも『流し斬り』に『両断剣』を重ねる。風が唸り兎の左腕が肘から刎ね飛ばされた。兎は苦悶の表情を浮かべながらも拳を突き出したが、櫻井には当たらない。
兎と対峙する櫻井のクロムブレイドの届かぬ位置を虎キメラが駆け抜ける。引き締まった細い足が躍動し、強靭な筋肉が高速での移動を可能にする。が、素人目にも蒼依のほうが軽やかだ。
「えっと、ちょっと後ろにいてくださいね。すぐ終わりますから」
跳ねるように向きを変えた虎を正面に捉え、瞳と髪とを金色に煌かせた蒼依が体を回転させた。見た目も美しいが威力も高い『円閃』と呼ばれる技が虎の喉元を掠める。さらに蒼依は『二連撃』で追い討ちをかけた。
ゴルディノスの援護射撃も的確だが冴木の矢も面白いようにキメラの体を地面に縫いつけていく。
さらに冴木は新人二人の護衛をこなしながら、パーマの手助けまでしているから驚嘆に値する。最上に腹を抉られた猪の顔面に無数の矢が突き刺さり、そのうちの一本は頭蓋骨までをも砕いた。
パーマは能力者の援護を受けて、喜び勇んで機械剣を振り回している。能力者だから一般人と比べると動きは速いし威力もあるが、まるで仲間の連携を考えていない。
恐怖が興奮に塗り潰されているだけで、パーマも気づかぬうちに冷静な思考を失っているのだ。
が、時枝の華麗な動きは視線の端に捉えている。
時枝の遠距離から『ソニックブーム』でキメラの足を止め、素早く接近してから斬撃を加える一連の動作はやはり歴戦の能力者だけあって洗練されており、無駄も隙もまるで見当たらない。
あれだけ速ければ威力は大したことがなさそうだが、井上では薄皮を剥ぐ程度の威力しかないのに対し、時枝の刀は悠々と骨を断ち切っている。最上もそうだが、その小さな体のどこにこれほどの力が潜んでいるのだろう。
ちなみにパーマは己の力のみでキメラにダメージを与えていると勘違いしているけれど、実際はラランドの『練成強化』と『練成弱体』とがあっての威力だ。
また、ラランドは的確に支援を行いながら、スパークマシンでも攻撃をしている。
「多数の敵を把握して動きを読み、武器の射程分だけ距離をおきます。敵との接触を減らせば危険も減りますね。射程に捕らえたら素早く攻撃」なぜか下着姿ではあるが、最上の時と同様に実演が入ると非常に理解しやすい。
百聞は一見にしかずという。女の子の下着姿がどれだけ魅力的かを人伝に聞くよりも、実際に目で見たほうがその魅力を存分に堪能できるとかいう話ではなくて、戦闘の話だ。
話が少し逸れた間に、ゴルディノスの『影撃ち』が虎と兎とに直撃した。堪らず前のめりに倒れこんできた兎に、冴木の居合いが炸裂した。兎の首は綺麗に両断されて地面に転がるのと同時に、最上が『瞬天速』で再度キメラに近づいてカウンター気味に両足を薙ぎ払った。
最後の一体となった馬に、ソリスの特殊な武器が襲いかかる。ソリスの獲物は奇剣「シザーハンズ」といい、巨大な鋏のような外見だが、分割して二本の剣としても使えて汎用性が高い。
能力者からすれば非常に呆気なく終わったように思えるが、新人たちには凄まじい死闘に感ぜられた。パーマなどは特に熟練の能力者たちの軽やかな動きはもちろん、同じ新人である櫻井の動きに脅威を覚えた。
「ちっ。俺はまだまだファンキーじゃねえな」
一行はキメラとの戦闘を無事に終えて泉に寄った。泉の周囲は特に緑が豊かで涼しく、戦闘に高まった熱を冷ますにはもってこいの場所だ。未だ日は暮れていないけれど西に傾いてはいて、冷たい風が各々の頬を撫でる。
蒼依はビニールシートをリュックサックから取り出して木陰に敷き、弁当とジュースを取り出した。
「みなさまもこちらでゆっくりなさってはいかがですか?」
「お言葉に甘えさせてもらおう」
ゴルディノスがシートに腰を下ろすと、皆が倣った。座りきれなかった者もビニールシートの近くに陣取る。
「しかし支配地域にまで郵便だなんて、命知らずの連中もいるもんだ」
白米を飲料水で流しこみながらいう櫻井に、冴木が首肯した。
「そりゃ新人もめったに入らないですよね」
‥‥なんかこの人とんでもないこといった気がする。
「困ったものだね。明日を支えるのは次代の者たちだ。新人の育成は重要だというのに」
ゴルディノスが鋭い眼差しをパーマに向けた。
「‥‥ん。治療するよ。意外と。結構。沁みるかも」
「あ、ありがとうございます」
能力者の護衛は完璧であったから、膝の擦り傷は戦闘時に負ったものではない。激しい戦闘に再び恐怖がぶり返したせいで、途中で転倒してしまったのだった。
最上は救急セットで新人を治療をしながら、まったく手のつけられていない弁当に視線を落とした。
「‥‥ん。無理にでも。お腹に。なにか。入れたほうが。いいかも」
「あ、はい。でも思い出しただけで食欲が‥‥」
確かに相手がキメラとはいえども凄惨な戦闘をじかに見たあとだ。食欲がわかないのも無理からぬことだろう。
「‥‥ん。動物キメラは。結構。美味。今度。機会が。あれば。食べる?」
新人はぽかんと口を開けたまま硬直した。ちなみにこれは冗談ではなく、最上であれば実際に食したこともあるのだろう。なにせ彼女はその小さな体に似合わぬ大食漢である。胃はブラックホールに近いとも形容される。
少し離れたところでは、ラランドが泉の水を汲んで作ったビーフシチューを食しながらパーマと会話をしている。
「そういえばパーマの中はどうなってますか。弁当箱が入っていたり」
喋り終わる前にパーマが当然のようにパーマの中から弁当を取り出したのを見て、ラランドは目を輝かせた。
「覗いちゃっていいですか? 分析マニアの血が騒ぎますね」
これは冗談のつもりだったけれど、パーマは頓着せずにラランドに頭を向けた。
ラランドに髪を見せながらパーマが時枝に声をかけた。景観を楽しんでいた時枝は
「私か? 嫌いな食材も苦手な食材も特になし」
突飛な回答を期待していたパーマの不満そうな顔から視線を逸らした時枝は
「つまらない? ほっとけ」
「あ、じゃあソリスさんは食べられないものとかありますか」
ぼんやりと泉を眺めながら弁当を食べていたソリスは、ゆっくりとパーマを振り向いて
「‥‥好き嫌いは特にありません。このお弁当、おいしいです」
ソリスや時枝の様子を見て、退屈そうな顔をしていた櫻井が笑顔を浮かべた。
「さて、笛の練習もしなきゃ駄目ですね」
蒼依の忍刀「鳴鶴」は仕込み刀で、普段は横笛として使用できる。
「うーん。まだまだですね」
と自ずから評したが、泉の水にも負けぬ透き通った音色は人を癒す。それは古今東西の笛の名手に比べれば稚拙であろうが、うら若き蒼依が名人の域に至るには時間が足りない。
「そんなことありませんよ。とても心地よかったです」
ラランドが頷くとソリスも「とても綺麗でした」といった。
皆も同意であろう。が、冴木だけはなぜかコーギーの抱き枕を胸に小さく寝息を立てている。
「彼女はどうも天然なのかな」
「‥‥ん。美味しそうな。寝顔。ちょっと。食べたい。かも」
蒼依は冴木を見て微笑を浮かべた。
泉での休憩を終えて目的地まで進む。やがて小川に架かった瀟洒な橋を渡ると、小さな集落に至った。
能力者に見守られながら新米二人とパーマとは封筒を取り出して、待機していた配達員に手渡した。
礼を述べに戻ってきた新人たちに、ソリスと時枝とが頷く。
「でもまだまだ新人だからな。訓練は欠かせない」
パーマの言葉にラランドが人差し指を立てた。
「駐車場で走り回る車を避けながら郵便物を拾い集める訓練なんかいいと思いますよ」
「ジーザリオなら死にはしませんしね」最後の最後まで冴木は天然ボケをかました。
ゴルディノスは弾けるような笑顔を浮かべて能力者に別れを告げる配達員に歩み寄った。
「運び屋にとってもっとも大事なことはなんだと思うね?」
「そりゃもちろん、荷物を必ず届けることだ。手紙ってもんはとにかく重いからな」
このような時代だから、手紙の重さは筆舌に尽くしがたい。ゴルディノスはぽんぽんと肩を叩いた。
「上出来だ。次に会うときには一流の運び屋になっていることを願うよ」
丁重に頭を下げて別れの挨拶をする新人配達員たちをぼんやりと眺めながら、冴木は両親に思いを馳せた。
彼女の両親はバグア占領下の函館に住んでいるらしい。実は両親はとうに死去しているのだが、冴木はそれを知らず、いずれはマタンゴに手紙を配達してもらうことがあるかもしれないなどと考えているのだった。
「それでは」と迎えの車両に乗り込む配達員に走り寄った冴木は、「これからも頑張ってくださいね!」そう激励をした後に、「ところで手紙はどこで差し出せばいいんですか?」と尋ねた。
手紙はラストホープの営業所まで。新人二人が貴方の手紙を確実にお届けするでしょう。