●リプレイ本文
真っ赤な月の妖しげな光に照らされながら、その城は立っている。はっきりとした輪郭を伴っていなくとも今にも崩れ落ちそうなほどに危うくバランスをとっているのが遠目にもわかる。貧相ながら天守閣が月にかかっているのは長い年月を経た建築物に特有の美しさがあった。が、楊江(
gb6949)は同時に寒々しさも感じている。
今回が初任務ということもあるのだろう、楊の顔は緊張で硬く強張っていた。
「いやはや、雰囲気ある所ですねえ‥‥」
抹竹(
gb1405)の声が不気味な余韻をもって響いた。幽霊などの怪奇現象を信じていなくてもどこからか不気味な視線を感じてもおかしくはない空気に満ちている。もっともそれはキメラの禍々しい視線かも知れないけれど。
「いかにも出そうな感じですが、相手がキメラなら、駆除するだけ、ですか」
鍋の底のような地形だからか城の周囲は風が渦巻いている。
「放棄されてるのが惜しいくらいの城だな」
ぱたぱたと服の風にはためくのに任せながら紫藤 文(
ga9763)が呟いた。
城内も外観と相違のない不気味な様を呈しており、歩くたびに廊下の軋むのが不安に拍車をかける。また、風の音の低くなった代わりに鼠の天井裏を走り回るのも耳に届いて気持ちが悪い。
鼠の食べているものを想像するのもまた不快だ。
怪奇現象や目的の場所について抹竹が尋ねると、研究員のオメメ・パッチリーは鬼非鬼 つー(
gb0847)の背中から顔を覗かせておずおずと答えた。相当に雰囲気に呑まれているようで、声が震えている。
「私は現場にいなかったのですが、なんでも化け物が宴会をしていて、それを見た研究員たちが全身に穴を開けられて死亡したとか‥‥。死因は大量の出血によるものらしいです」
「宴、会?」楊が首を傾げる。
「騒いで人間を引きつけるつもりなのか、それともバグアが戯れで作ったのかは知りませんが」
ふうん、と頷いて抹竹が話題を変えた。
「しっかし、こんなところくんだりまできて、なんの研究なんでしょうかねえ‥‥」
「ほ、本当に、こ、こんな不気味なところに、製薬会社が、な、なんの用があるっていうんだろう」
楊も同様の疑問をパッチリーに向ける。パッチリーは少し考えてから口を開いた。
「もともとこの場所はペペロチ石油の会長宅でしてね。株価を扱う方なら聞いたことがあるとは思いますが」
パッチリーの言葉に抹竹が頷いた。
ペペロチ製薬がペペロチ石油の子会社にあたるということはよく知れ渡っている。
「ペペロチ石油は新進上場企業として一世を風靡した時代もあったのですが、次第に株価は下落し会長は辞任、それに伴いここから必要な機材や資料を移して閉鎖したものの、まだ必要な資料が残っていまして」
今回の目的はその資料ということだ。もしかするとここを再利用することをも考えているかもしれない。もちろんパッチリーがすべてを話したとも思えないけれど、すべてを聞く気は抹竹にはなかった。企業秘密もあるだろう。
能力者五人は研究員を中心に進んでいった。アーヴァス・レイン(
gb6961)は研究員の護衛を務めている。
アーヴァスも今回が初任務だが楊よりも落ち着いているように思えた。
剣術の心得のあることと冷静沈着な性格がそう思わせるのだろう。
道中にキメラの気配は微塵もなかった。
城内は水を打ったように静まり返り、鼠はおろか、紫藤や抹竹や楊のランタンの明かりを反射する埃さえも息を潜め、以前にここで人の幾人も死んだとは到底思えないほどに平穏な空気が流れている。
「異常はないです、今のところは」
『探査の眼』を使用しながら先頭を歩く楊の声が深閑とした城に響く。どうやら楊はキメラの奇襲に備えながらもキメラとの戦闘時を想定して、戦いやすい広い場所を頭に留めている様子だ。
研究室は地下にある。月の光さえも満足に届きはしないが、明かりは準備してある。進むのになんの支障もない。
往路ではキメラも姿を見せなかった。宴会の物音も聞こえない。紫藤は聴覚索敵技術を有していて、物音を聞き取って索敵を行う特殊なスナイパーだから聴覚には優れているはずだが、なんの異音も聞き取れなかった。
目的の資料は相当に多く、広い城内のあちこちに散らばっているため非常に時間を要したものの、やはりキメラに出くわすことはなく、無事にすべての必要書類を集め終えた一行は、来た道を戻り始めた。
何時間かが経過しているにもかかわらず、城内はやはり不気味である。
第六感とでもいおうか、証明のできぬ不快や恐怖が、城を一目見たときからパッチリーの肌に浮かびっぱなしだった。能力者ならいざ知らずただの研究員であるパッチリーは、見えぬ力に押し潰される気管と肋骨との軋む音、不快な口内の粘つきなどに敏感な神経を逆なでされ、今にも叫びだしそうなほどに恐怖の増幅するのを感じていた。
それは、出口まであと少しというところでのことだった。
――いる。間違いなくなにかがこの廊下の先にいる。
食器と箸との触れ合う音、手を叩く音、まるで機械の出しているような不自然な笑い声、衣擦れの音から畳を擦る裸足の些細な音までが実感を伴って聞こえるに従い、能力者たちを緊迫が包み込んだ。
往路では聞こえなかった物音が、静寂に紛れるように高鳴りを増している。
パッチリーを手で制止して武器を抜くアーヴァスの目が、廊下の角から現れた女人を捉えた。
女は着物を着ている。もとは艶やかであったろう着物は埃と血痕と唾液とに塗れ、生気のない青白い腕はつーの提灯の明かりに浮き上がり尋常でないものを感じさせる。
「一見様はお断りしているはずですけれども」
人間の声ではない。どれだけ流暢に外国語を嗜んでもその国の者からすれば発言に違和感を拭えないのと同様に、キメラの発する言葉は正確ではありながらも不自然に耳に届いた。
「この私を抜きに酒宴とはどういう了見だ」
と、つーがなぜか仁王立ちでいい放った。彼は「酒は天下の美禄」を地でいく男だ。
「呼ばれもしねえ宴会に来たのは悪かったが、人んちで勝手に宴会してんのもどうかと思うぜ」
とトンファーを器用に回転させながら抹竹が続ける。二人の言動はあまりにも人を食っていて愉快だ。
女人はやはり不自然極まりない声で高らかに笑うと、片手に控えた盆を優雅な物腰で床に置いた。異様な雰囲気は掻き消え、代わりに殺気が冷え冷えと廊下を伝った。触れてもいないのに女人の長い髪が持ち上がっていく。
「お殿様のご酒宴に乱入するなど正気の沙汰とは思えませんね。狼藉の過ぎるのではありませんか」
「ふざけやがって‥‥。こいつは私に任せてください」
抹竹の言葉に紫藤が頷いた。紫藤は得意の聴覚索敵技術で廊下の先にキメラを感じている。
「ん。音で数の予想はできるな。‥‥位置は反響次第か」
紫藤は耳を澄ませながら覚醒をした。紫藤の右の眼球が赤く染まり目の周囲にもやはり赤い幾何学模様が浮かぶ。
「ここは頼んだぞー。へますんなよ」
微笑しながら紫藤が側女の横を通り抜けた。続いて楊とつーとが側女を無視して真横を駆け抜ける。
側女は標的を抹竹に定めたようで、髪の毛を不気味に揺らして微動だにせずに三人を素通りさせた。
やがて側女はゆっくりと抹竹に向かって歩き出した。と見る間に髪の毛で廊下の壁を引っ掻いて耳障りな音を立てながら高く跳躍する。天井に額を擦りながら抹竹を飛び越え、切れ長の瞳孔をパッチリーに向けた。
「これまた糞狭い所で‥‥。通り抜け禁止!」
勝負は一瞬で決着した。抹竹のトンファーの一撃に側女の背骨は砕け散り、臓物は軒並み破裂してヘドロと見紛う臓器の数々が廊下に降り注いだ。
側女の細い腹は奇妙に窪み、蒟蒻のように捩れて自身の臓物に血だらけの顔を突っ込んだ。
しかし一撃で強靭なキメラの肌の裂けるはずがあろうか。パッチリーの目では捉えきれなかったが、抹竹は瞬時に何発もの攻撃を叩き込んでいたに違いない。また、アーヴァスの援護射撃も一役買っている。
「悪いが研究員には一指たりとも触れさせはしない」
アーヴァスが内臓の海に悶絶する側女に吐き捨てた。それは死出の旅を控えた側女の最後に聞いた言葉ではない。なんと側女は常人にはあるまじき生命力により、未だ髪を操る力を残していたのだ。
が、複雑に蠢く黒髪はなにものをも傷つけることはかなわなかった。抹竹の砕天に毛ほどの傷をつけたのみだ。
抹竹は側女の髪を砕天で絡めとると二刀小太刀を抜き、『流し斬り』で不気味な笑みを浮かべる側女の顔を両断した。髪の毛も同様に切り裂かれ、ぱらぱらと床に舞い落ちる。
「髪は女の命って、こんなわさわさ気持ち悪い女がいてたまるかよ」
抹竹とアーヴァスとが死闘を繰り広げているのと同時刻に、楊と紫藤とつーもそれぞれのキメラと対峙している。
「ほっほ。人間四十年、下天の内をくらぶれば、君幻のごとくなり、とな」
殿様が暢気に敦盛のアレンジを舞うと、浪人が景気よく手を叩き、妙齢の美女がお淑やかに口元を押さえて笑った。迷い込んだ人を襲う以外は、このような酒宴を延々と続けていたに違いない。
人の姿はしていても、なんとも蒙昧なキメラ共だ。
「一度興を得て飽き足るもののあるべきか」
暢気なものだと呆れるほかない。なにしろ殿様キメラは楊の銃撃に全身を貫かれながら歌を口ずさんでいるのだ。おそらくは録音されている音声を流しているだけなのだろうが、陳腐な演出だと苦笑するほかない。
「できる‥‥、できるぞ。私でも戦える!」
距離をとってスコーピオンで着実にキメラの体力を削る楊の動きは地味ではあるものの堅実だ。初めてとは思えないほどに落ち着いて対処しているところを見ると、さすがは能力者と感嘆せざるを得ない。
紫藤が楊を見て微笑んだ。苦戦をしているようならば援護をするつもりだったが、その必要は微塵もない。
「それじゃここら辺で死合うとしますか、侍さん」
侍は刀を帯びていない。代わりに特殊な礫を投擲するのだ。が、どれだけがむしゃらに投げようとも、紫藤には掠りもしなかった。紫藤の華麗な身のこなしに隙はない。
むろん闇雲に避けるのみではなく、紙一重に躱しながら流れるように攻撃に移行している。
二挺の拳銃による接近戦と聞くと理解に苦しむが、実際に目にすると悪くない。それどころか魅力的ですらある。
紫藤は回避と牽制とにより序盤は浪人キメラの観察に集中したが、やがて礫に特殊な効果がないことを確認すると、腰を屈めた。紫藤の足が畳に傷跡を残しながら素早く動く。浪人の礫はあらぬ方向の壁を砕くのみだ。
短時間の間に浪人に勝ち目のないことは明白となった。しかし紫藤は油断をせずに、『二連射』に『急所突き』と『強弾撃』とを加えた容赦ない攻撃を浪人に叩き込んだ。脆い浪人の死骸は描写をするのも躊躇われる。
つーと向かい合う着物の女人は端整な顔をしているが、まるで生気がない。人形のようだ。女人の獲物は琵琶らしい。琵琶を分割すると、血に塗れた鋭い刃が顔を出す。いったいその刀で幾人の人間の肌を切り裂いたことだろう。刀を振り被った女人の目は爛々と輝き、小さな口が捩れて凄まじい形相に変わった。形のよい舌が妖しく蠢く。
つーも尋常ではない。彼は覚醒をすると瞳が銀色に変化し、額には角が生える。
雲はみな 払ひ果てたる 夏風を 松に残して 月を見るかな――、つーの詠む歌が風雨を透くようにぽつんと部屋に漂った。暢気なものだが、決して油断をしているわけではない。ただ余裕があるだけのことだ。
美女の刃をのらりくらりと回避しながら『瞬天速』で死角に移動したつーは、鬼包丁とゲイルナイフとを振るった。
「月見ばと いひしばかりの 人は來で 槙の戸叩く 庭の松風」
藤原良経の歌を詠みながら行われるつーの攻撃はえげつない。完全に相手を翻弄しつつも、自分は反撃を受けないように完璧に立ち回っている。やがてつーは美女キメラの攻撃を鬼包丁で受け止めると、『瞬即撃』でキメラの腕を刎ね落とし、『急所突き』にて鬼包丁を突き出した。
人間のものとは思えない硬い肌を易々と突き破り、鬼包丁は肋骨を砕いて心臓まで達した。
鬼包丁を引き抜くと、「紅葉」というつーの呟きどおりに、美女の胸から血が迸り、紅葉のように畳に広がった。
「白玉か 何ぞと人の 問ひしとき 露とこたへて 消なましものを」
戦闘を終えたつーは、ぴくりとも動かない美女キメラの近くに屈みこむと、未だ脈動する紫色の心臓に口をつけた。
雑食である人間の肉は非常に臭くて脂っぽいが、それを逆に好む者もいる。または背徳による快感を美味と勘違いしているか――、それは本人のみぞ知るところだけれど、つーは肉片を吐き出して唇を舐め、
「ふむ。やはり人間のとは違うな。肴にならん」
興味をなくしたように美女キメラから視線を逸らした。
「んー。製薬会社と怪物の巣とを考えると、ちょっと嫌なフラグが浮かぶね」
キメラの全滅をして少し顔色の戻ったパッチリーに紫藤が笑いかけると、パッチリーはひゃあと飛び上がった。
苦笑する抹竹にウインクをして見せてから、紫藤はふいに真面目な顔に戻り、
「‥‥仇はとったからな」
と、キメラの被害に遭った者の残骸に黙祷をした。
抹竹の提案で宴の催される運びになるはずだったけれども、飲み食いのできそうなものはこの城には存在しない。キメラたちの酒宴の肴は、動物の死骸や人間の死体などで、立派な皿には載っているもののさすがに食指は動かず、能力者たちは再びパッチリーを護衛しながら外に出た。
「おかげさまで、研究が捗りそうですよ」
「いや。大したことはしていない」
アーヴァスが静かな声で答えた。パッチリーが書類の入った鞄を持ち上げて微笑みながら迎えの車に乗り込む。
楊は無言だった。おそらくは、自分にもできることがあった、との実感を噛み締めているのかもしれない。背筋の凍るような城を先頭に立って警戒をし、キメラ一体に堂々と戦ったその姿は、ただのジャンク集めをして生計を立てている者には不可能だ。すでに彼は立派な能力者である。
パッチリーは鞄を大事そうに抱え車に揺られながら、小さくなる城を振り返った。
ランタンの明かりの中で、アーヴァスの義手である右腕を上げて手を振っているのが見えた。