タイトル:Black Dayマスター:久米成幸

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 9 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/04/22 10:53

●オープニング本文


 二月十四日のバレンタインデーから始まり日本では三月十四日のホワイトデーから四月十四日のオレンジデーまで様々なイベントが一ヶ月毎に行われているが韓国には四月十四日にブラックデーなるものが存在する。
 日本と違い韓国のバレンタインデーやホワイトデーは男女を問わずに贈り物をする日である。
 ゆえに日本と比べて韓国では恋人を作る記念日が一日多いわけだがどちらの日にもプレゼントを貰えずに一人寂しく過ごす男が四月十四日は黒い服をきて互いに励まし合いながらブラックコーヒーを飲むようになった。
 この色も空気も黒一色の記念日がラストホープにまで蔓延したのはどういう理屈だろう。
 それほどまでに独り身の能力者が多いということかもしくは既婚者の嫌がらせであるか‥‥。
 問題はブラックデーが歪曲して伝えられたことである。
「なにい。独り身の男が暴動を起こす日だと」
「カップルを合法的にぶん殴れる日がくるとは! やっぱり神様は俺たちを見捨てちゃいなかったぜ!」
 僻みや妬みは非常に強い感情を喚起する。
 果たしてブラックデーはイカ墨でイカ墨を洗う凄惨な一日になりそうなのであった。

 時を同じくしてラストホープの片隅にある鷺乃神社は縁日の準備に大忙しだった。神社の境内は掃き清められテントが境内から石段を通って下の広場にまで溢れている。まさか神を供養する場にイカ墨の飛び交うことになるとは箒を手に境内を走り回る宮司にも想像はできなかった。

●参加者一覧

/ 神無月 紫翠(ga0243) / ナレイン・フェルド(ga0506) / 神崎・子虎(ga0513) / 崔 南斗(ga4407) / 白虎(ga9191) / 紅月・焔(gb1386) / 美環 響(gb2863) / 美環 玲(gb5471) / 天原大地(gb5927

●リプレイ本文

 ――世界を黒に染め上げる日がきた。イカ墨を持って集合せよ。
 ネットに書き込まれたこの過激なレスを見て、鷺乃神社の前に集まった恋人のいない男たちは、誰もが首を捻った。
 巨大な鳥居の前の広場に並んだテントから流れる香ばしい匂いといい、そこいらを歩き回る男女二人連れといい、周囲は黒一色どころか桃色の空気に満ちている。
「縁日ですか‥‥。平和ですね。ただ混乱の予感が‥‥、するのは‥‥、何故でしょう‥‥。外れて欲しいんですが‥‥、こういう時に限って‥‥、よく当たるんですよ。‥‥はあ」
 艶のある長い金髪を陽の光に反射して煌くのに任せながら独り言ちているのは、神無月 紫翠(ga0243)だ。
 女性にも見える端整な顔から想像するに、相当に女に好かれそうではあるものの、隣に異性の姿はない。
 同様にナレイン・フェルド(ga0506)も整った顔立ちだが、一人だ。とはいえ時折は道ゆく寂しい男たちから声をかけられている。神無月もそうだが、二人とも男には見えない。おっぱいがないので男と知れるだけだ。

「やっぱり縁日といえば林檎飴よね」
 ナイレンの手にはベビーカステラも見える。ベビーカステラとはカステラと名がついていながらもカステラとは実はまったく関係のないお菓子で、別名はち○ちん焼きという。卑猥な意味はないが伏字にしてみた。
 ナイレンはちん○ん焼きを頬張りながら、とあるテントに顔を出した。
 巨大な水槽の内部には子供の玩具だの化粧品だのが並び、水槽内から伸びた紐が柱に括りつけられている。典型的なくじ引きの店だ。二、三度くじを引いたナイレンは、子供に大人気の「それいけスチムソンマン」に登場する侵略魔王ブライトン星人のぬいぐるみを手にテントを出た。
「最近の私ってついてないのよね」とナイレンは呟いたけれども、このぬいぐるみは当たりだと思う。

 掲示板の書き込みが原因なのか、鷺乃神社には不思議な人が多く集まっている様子だ。たとえば黒いゴスロリ服に身を包んだ美少女。美少女と書いたが実は少年だ。少女にしか見えないけれど。
 ふにふにした頬っぺたは、人間なら誰しもが突いてみたくなること請け合いだ。が、その正体は、しっと団総帥である白虎(ga9191)と本日限り手を組んだ神崎・子虎(ga0513)だった。
「そこいく寂しいお兄さん♪ 世の幸せカップルに今日だけでも鉄槌食らわしたくないかなー?」
 神崎は可憐な少女に扮して、イカ墨入りの水鉄砲を次々と通行人に手渡している。
 ちなみにしっと団とは、カップルの撲滅を軸に活動をするテロ組織である。ずいぶん珍妙な活動内容ではあるものの、なんとラストホープに拠点まで存在するというのだから世も末だ。

 テントの並ぶ一角に小さな喫茶店があり人を呼んでいる。
 店長の崔 南斗(ga4407)の出すコーヒーは最高級品のキリマンジャロで、客からは好評を博しているようだ。狭いテント内には人が溢れ、南斗一人ではとても手が回らない。
「こんにちは‥‥。お手伝いしますよ‥‥」そこに現れたのは神無月だった。
「あ、‥‥そうそう、これどうぞ‥‥。気にいったなら‥‥、コ−ヒ−のお供に」
 南斗が、神無月の手作りのパウンドケ−キとクッキ−を受け取り、微笑みながら口に入れた。
「美味いな」歯応えのあるにもかかわらず、舌の上で程よく蕩けるクッキーはコーヒーによく合う。南斗は礼をいって神無月のクッキーをさっそく客に配り始めた。
 神無月も店員として接客に当たる。魅力のある微笑が喫茶店をいっそうに居心地のよい空間に昇華した。美味いコーヒーに魅力的な店員とマスターとがいる喫茶店に客の入らない理由はない。

 もともとブラックデーには、コーヒーを飲む習慣があるけれど、南斗の店に集まっているのは、若い女性が多かった。縁日は歩きながら左右に並んだ店に顔を出してまた歩き出すのが常で、寛げる空間はあまり存在しない。
 宮司と御巫も顔を出して、南斗に礼を述べながらコーヒーの香りを楽しんだ。
「とても美味かったです。おいくらでしょうか」
「お代はそちらの箱に好きな額を入れてください」
「任意なのですか。お賽銭と同じですね」
 宮司は軽口を叩き、御巫と連れたってテントを出ていった。
 他の客も気さくに立ち寄り、気軽に出ていく。お代も個人の裁量に任されている。というのも、本日の売り上げはすべて孤児院に寄付されることになっているのだった。趣味と慈善事業とが兼ねられているのかもしれない。

 この良心的な店に、ナイレンが入ってきた。
「マスターさん、私にも一杯いただける」
「ナイレンさんか。いらっしゃい。なににする?」
「そうね。マスターのお勧めを所望するわ」それから店内を見回し「盛況みたいじゃない」
「おかげさまで。ブラックデーにちなんで出したから、その影響かもしれないね」
 相変わらず客は多かったものの、神無月が接客慣れしていたことと、コーヒー以外に出すものが特になかったため、南斗はゆっくりと店を歩き回りながら愛想を振り撒き、時折はナイレンの悩みに耳を傾けている。
「私には一生恋人が現れないのかなあ‥‥」
 理由は自分でも理解しているようだが、それでもやはり人に相談をすると気が楽になる。
 南斗の声は静かで心地よい。大した答えは出せずとも、ナイレンの心は束の間の平穏に満ちた。
 神無月は女性客に囲まれて少々辟易している様子ではあったが、笑顔は崩さない。そつのない接客でありながら無愛想でもないので、女のみならず男からも好かれているようだった。もちろん別の意味でも。

「なんだか騒がしいわね」
 唐突にナイレンの呟いたのは、どこからともなく聞こえてくる怒声と、人々の走り回る大きな足音とに気づいたからだった。ナイレンの声を合図に、物音は雪崩のように喫茶店にまで押し寄せた。
「どけどけ、おらあ!」
「なんじゃわれぼけこらっ。ちんたらしてんじゃねえぞ」
「ああん? てめえ誰に口利いてんのかわかってんのか、おおっ?」
「侍らす女もいねえへっちょこもっちょり坊主だろうが!」
 とてもお下品でお耳障りの声にお顔を顰めてお首を振ったナイレンに、なにやら黒いものが触れた。と見る間に液体は滴り、音を立ててコーヒーに混じる。続けて放たれたイカ墨はナイレンのご尊顔を瞬く間に汚した。
 美しい銀髪からイカ墨を垂らしながら振り向いたナイレンの顔は、吽形を彷彿とさせる。が、こめかみに青筋を浮かべながらも、艶やかな唇は弧を描き、目は怒りに震えながらも細められていた。
「ふふっ。お仕置きされたい子は誰かしら」
 いうが早いか椅子から跳ね上がり、ナイレンは喫茶店から飛び出す。全身から放たれる怒気は、漫画にありがちな効果音さえ聞こえてきそうなほどに濃厚で、顔を踏み潰された美女は怒声を飛ばす前に失神した。

 外は凄まじい臭気と地獄を思わせる暗黒とに満ちていた。
 まるで別世界か、もしくはナイレンが色を失ったか、並ぶテントはおろか、大地まで黒に沈んでいる。
 よくよく見ると漆黒に染まった大地には、同じく黒色の人間が積み重なるように倒れている。もしやこれは、バグアの舞い降りた日に降り注いだと中国奥地の呆けた村長の力説した黒い雨か。
「幸せカップルに混沌をプレゼント、なのさ♪」
 もちろん黒い雨ではない。死屍累々の暗黒世界を創造したのは、ゴスロリ萌えっ子の神崎だった。いや、一人ではこの凄惨な所業は説明がつかない。しっと団あたりが絡んでいるに違いなかった。
「おどれ、なにさらしてんじゃ」とはいわないが、これを上品にした言葉を発しながらナイレンは走り出した。
 途中で玩具の景品の「特大お医者さんセット」を引っつかみ、そこいらに転がる人間からイカ墨を補充して、ナイレンは神崎に突進する。その動きは、古今東西の妖怪の頂点に位置する以下略が降臨したとしか思えない。

 飛び出していった吽形を見送って、南斗は笑い声を上げた。
「はは。若い奴らは賑やかだな」
 その背後に忍び寄る小さな影は、しっと団総帥の白虎だ。例に漏れずに彼も女の子のような外見で、
「こんなに可愛いのに誰も萌えてくれないのはおかしい!」
 というのが平和な縁日を地獄絵図に変えた理由らしいが、まあ可愛いので許す。
 白虎は至極愉快そうに南斗にイカ墨をかけると、高笑いをしながら店内の客を次々と墨に染めていった。
 自分だけならまだしも、客にまで被害が及んでは、マスターとしては黙っていられない。
 はしゃぎ回る白虎を追ってテントを飛び出した南斗は、阿形のような顔で猛り狂いながらも、
「おやじ。水鉄砲くれ。二挺」
 しっかりとお金を払って水鉄砲を購入し、白虎を追いかける。

 ちなみに店員の神無月も当然ながら騒動に巻き込まれている。白虎の残虐非道な攻撃を受けながらもどうにか脱出した神無月の背中に、「大往生」と達筆な字が躍った。神無月は能力者であるから、気づかれずに字を書くなど不可能に近い。であればやはり犯人は能力者ということになるのだろう。
「我に書けぬものはなし」
 笑顔のまま怒りを発する神無月と対面したのは、天原大地(gb5927)だった。
 大地は巨大な筆を薙刀のように構えて殺気を放った。が、集中をした神無月は、これ見よがしに動く筆ではなく、大地の腰に差された小さな筆に集中していた。大地の動きは西部劇に登場するガンマンのようだ。
 素早く腰の筆に手を伸ばしたと見えた次の瞬間には、筆が何本も矢のように飛んだ。
 神無月は身を屈めて躱しながら、眼前に迫る筆の一本を扇子で叩き落とす。
 驚く大地を尻目に、神無月はテントのひとつに飛び込んで距離をとり、
「ふう。皆さん元気ですね‥‥。後始末のこと‥‥、考えてないのでしょうか」
 背中に書かれた流麗な文字を見て、呆れたように首を振った。

 比較的平和な一角を歩いているのは、美環 響(gb2863)と美環 玲(gb5471)の二人だ。苗字といい顔といいどう見ても双子か姉妹にしか見えないが、そう質問しても本人たちは神秘的な笑みを浮かべるのみで明確な答えは返ってこない。それだけでなく玲は「A secret make a woman woman」と流し目をくれる。日本語で頼む。
 足首まである艶のある長髪や清雅な動作からどこぞのお嬢様を思わせるが、満面の笑みで甘いものを食べ歩く素振りは決してお高く留まっていない。温室栽培の花というよりは、高原にひっそりと咲く清々しい生花だ。
 二人はただ歩くだけで絵画になり映画になる。まさかこの二人だけはイカ墨には染まるまい。染まるに決まってるだろう常識的に考えて。花を踏み潰すのは無粋だけれど、愛でるのはいいことだ。

「なんか騒がしいですね」
 響が呟いた途端に、前方から次々と悲鳴が上がった。逃げてきたカップルたちはみな全身が真っ黒だ。
「胸騒ぎがいたしますわ。たいしたことではないようですが‥‥」
 カップルを見送って首を振る玲の背後に、一人の男が現れた。男は腰に据えた風船を玲に放り投げる。
 響の身のこなしは相当に速い。優しく玲の肩を押し、手を引いて転ばないように配慮をする。その動作は優雅で流れるようだったけれども、代わりに自分がイカ墨を被っては仕方がない。
 大地はイカ墨塗れの響を確認すると、巨大な筆で再び玲を狙った。が、日傘にいなされて蹈鞴を踏み、腰の風船が破裂をして大地も真っ黒になった。玲は大地の姿を見てくすくすと笑いを洩らす。
「ああ。そういえば今日はブラックデーでしたか」
 響の声に玲は笑いを止めて顔を向けた。
「なんでも恋人のいない人たちが集まってコーヒーを飲む日だとか」
 顎に手を当てて知識を披露しているさまは素敵だ。これでイカ墨を滴らせていなければ完璧なのだが。
 その響の顔にイカ墨が踊った。柔らかい感触の後に「華」の字が浮かぶ。
「美男子に華。我ながら風流だ‥‥」
 大地は満足そうに頷くと、最後に風船を放り投げて去っていった。
 玲は日傘で墨を弾いたが、響は直立不動のまま再び墨を被る。
「ふふふ‥‥。玲さん、いきましょうか」
 響は不敵な笑みを浮かべて般若の面を装着すると、倒れて微動だにしない男の手から水鉄砲を拝借した。
「男の人って、こういうの、いくつになっても好きみたいね」
 玲は走り去る響を見送ってから独り言ち、被害が広まらないように一般人を誘導して避難させ始めた。

 御巫さんの白い着物を黒く染めて、神崎はにんまりと笑った。
「幸せカップルに混沌をプレゼントなのさ♪」
 御巫さんの隣には軽装の男が同様にイカ墨に染まって立ち尽くしている。ちなみになぜこの御巫さんに彼氏がいるのかというと、彼女は本職の御巫さんではないからだ。正月や祭りの日にはアルバイターが御巫に扮する。
 神崎は至極楽しそうにスキップをしてその場を離れようとしたけれど、背後から首根っこをつかまれてしまった。
 振り向いた神崎の目に映ったのは、腕まくりをした御巫さんだった。袖から伸びる腕は神崎の太ももほどに太く、剛毛が密集している。なんとこの御巫さんは、男ながら御巫のアルバイトに応募したボディビルダーだったのだ。
 ビルダーにつかまれて動けない神崎の顔に、御巫の隣にいた男がバケツでイカ墨をかける。
「うぷぷっ。やめろー」
 目に入ったイカ墨を拭いながら可愛らしく暴れる神崎の頬とビルダーの頬とが触れ合った。相当に毛深い男だ。女装をする際に剃ったはずだが、僅か二、三時間の間に髭が生えている。
 じょーりじょーりと音を立てながら、ビルダーは黄ばんだ前歯を剥き出した。
「僕ちゃんも男の子でしょう。ぐふふふ。仲良くしましょうよ」
 神崎は甲高い悲鳴を上げて男の腕を逃れた。動転する二人を尻目に、スカートをはためかせながら走り出す。
「酷い目に遭ったなあ、もう」
 逆に混沌をプレゼントされた神崎は、物陰に潜んでイカ墨を吐き出した。頬が熱を持っているのが自分でもわかった。ボディビルダーに惚れたわけではないことを彼のために特筆しておこう。
「最終兵器の標的はまずあの女装御巫だな」
 独り言ちる神崎の背後に忍び寄る影は、吽形のナイレンだ。
 ナイレンは巨大注射器をこっそり伸ばして神崎を狙う。が、ただでやられる神埼ではない。ナイレンに気づいていない振りをして、ちゃっかり水鉄砲の照準をナイレンに定めている。
 ナイレンは素早く避けたが、そのせいでナイレンの攻撃も神崎には当たらなかった。だが、第二射は神崎の胸元を捉えた。イカ墨が神崎の柔肌に潜り込み、それはもう卑猥なのだが、あらゆる意味で割愛せざるを得ない。

「ちくそー。こうなったら」
 ナイレンから逃げた神崎は、しっと団総帥の白虎に連絡を取ったものの、荒い息しか聞こえない。それもそのはず、白虎は、神崎を追っている吽形と並ぶ、伝説の阿形と死闘を演じているのだ。とはいえ白虎は善戦している。
「くっ。すばしこい奴らめ‥‥!」
 南斗はイカ墨騒動の元凶である白虎の口の中にどうにかしてイカ墨を入れるつもりなのだが、小さな口にはなかなか命中しない。それどころか、逆に白虎にしてやられているのが現状だった。
「やったな、こいつ!」
 こうなっては釜山の狙撃手も形無しかと思いきや、さすがにスナイパーだけあって狙撃が上手い。要領をつかんだ後は続けざまに白虎に口にイカ墨を命中させる。激しい運動をしている最中だから、口を閉じれば息苦しくなる。背に腹は変えられないと口を閉ざすも、今度は鼻に命中させて口を開かせれば問題ない。
「このこのこのっ!」
 とまあこんな感じなので、神崎に返答できないのも仕方がないのだった。
 大人げない南斗の猛攻に肝を潰しながらも、白虎は身軽な動きで南斗を翻弄しながら立ち上がり、水鉄砲自体を投げつけた。南斗は躱したが体制を崩して見知らぬ女にイカ墨をぶっかけてしまった。
「あ‥‥。ごめん‥‥」冷や汗を流して謝罪をする南斗を尻目に、白虎は走りながら神崎に無線を入れた。
「もう持ち堪えるのは無理みたいだ。そろそろいくよ!」
「あいあいさ☆」

 よくわからないが、しっと砲というものは、圧縮された空気を利用して大量のイカ墨を噴出する兵器らしい。
「しっと砲発射用意。電影クロスゲージ明度20」
 事前に打ち合わせをしてあったのだろう、白虎の声に続いて神埼が声を上げながら準備を整えていく。
「エネルギー弁閉鎖。エネルギー充填開始。エネルギー充填120%♪」
「セーフティーロック解除。対ショック、 対イカ墨防御」
「ターゲットスコープをオープン☆」
 神崎に頷いて、白虎が天空を指差した。
「しっと砲、発射ーっ!」
 凄まじい轟音の後に近くのテントが吹き飛び、地面を削りながらイカ墨が周囲に飛散する。直撃したら臓物も飛散するのではないかと思うのだが、美少女二人組はまるで頓着せずに第二弾を装填している。
 ここで止めねば阿吽形像の名が廃る。いけ! 阿吽形像! しっと団を潰滅させろ!

 場面は変わって、境内の中。宮司や御巫さんたちの隠れる社務所の前で、響と大地とが対峙している。
 互いに相手の力量を把握しているから、迂闊には手が出せない。
 大地の巨大な筆が揺れ、それに合わせて響の体も左右に動く。と、響の体の動きが徐々に緩やかになりまた速くなり、前後にも大きく揺れ始めた。大地の飛ばした小さな筆が霞のように掻き消え、響が大地の眼前に現れる。響の長い髪の円を描くのと同時に大地も回転をしたが、いつの間にやら大地の顔には横縞の線が描かれていた。
 外套を使い目をくらます技法は古今東西今昔より使われてはいるけれども、長い黒髪を使った上に得意の奇術をも用いた響の動きは、熟練の能力者といえども容易に見極められない。
 大地は煙に巻かれながらも反撃をしたものの、大執筆と名づけられた筆は水を押すように手応えがなく、やがて大地はイカ墨塗れになったまま大地に伏した。勝負は宮司の瞬きの間に決着していた。

 響は肩で息をしながら、イカ墨を吐く大地を見下ろした。
「人の幸せを壊しちゃ駄目ですよ。というより、まさか人を墨だらけにしてただで済むとは思っていなかったでしょう?」
 無言で倒れる大地に首を振り、
「この世にも地獄があることをたっぷりと感じてもらえたようですね」
 死闘に勝利した響は境内を立ち去った。
 至極もっともな意見ではあるが、事の発端は神崎と白虎であるし、大地は面白そうなので参加しただけだった。
 娯楽にしてはあまりに真剣だと考える読者もいるだろうが、話せば長くなるので割愛する。やっぱり少しだけ話すと、楽しむ以外に自己鍛錬を兼ねているのだ。僻んでいる様子はなかった。
 大地はゆっくりと立ち上がると、針鼠のような髪を振って小さく溜息をつき、
「少し調子に乗りすぎたっすかね」
 苦笑しながら左頬の傷あとを指で掻いた。
「んー。騒動もそろそろ終わりかなあ。片付けは大変そうだ」

 ナイレンは荒い息を吐きながら、累々と重なるイカ墨の山にただ一人佇み、境内を見回した。
 鳥居の下に広がる光景は、世紀末を思わせる。屋台は軒並み倒れ、あちらこちらからイカ墨を吐き出す音が響く。
「もう! 完全に落ちちゃったわ」
 化粧直しにかかったナイレンの背後にぬすっと立ったのは、これもやはりイカ墨に染まった神無月だった。
「みなさん‥‥、楽しめたようですね‥‥」
 瞬時に危険を察して逃走を図ったナイレンの裾をつかみ、
「逃がしませんよ。‥‥世の中そんなに‥‥、甘くないですよ」
 神無月は笑顔を浮かべている。とても美しい笑顔だ。が、内面は非常に黒々としているのだった。
 彼はおそらく怒り狂っても美しい笑顔を浮かべ続けているに違いない。つまりはそういう笑みを今浮かべているのだろう。怒っても笑顔の人ほど怖いものはない。それは人が能面に不気味なものを感じるのと似ているかもしれない。似ていないかもしれない。よくわからない。
「はいっ!」と景気のよい返事が響き、倒れていた黒だかりの山が緩慢な動作で動き始めた。

 縁日はめちゃくちゃになったにもかかわらず、店を出していた人や観光客、宮司や御巫に至るまで、どの顔にも笑みが浮かんでいた。バグアの脅威により、世界は鬱々とした空気に沈んでいる。そんな最中のお祭り騒ぎだから、喜びはすれども怒り狂う者は少ないのかもしれない。清掃に関しても、積極的に手伝う者が多かった。
 ナイレンも片付けに取りかかったが‥‥、彼はなにを勘違いしているのだろう、チアリーディングの服にポンポンを持ち、「雨乞いよー」と軽快に舞い始めた。
 玲も同時に雨乞いの儀式を行っていたが、奇妙な格好のナイレンを一瞥して日傘で背中を突いた。
「あれ‥‥。こういう格好じゃなかったの?」
 神無月は目を炯々と光らせながら首を振り、ポンポンで頭を掻きながら走り去るナイレンを笑顔で見送った。
「掃除が‥‥、終わったら‥‥、美味しいお茶と‥‥、お饅頭を食べましょう‥‥」

 大地はイカ墨合戦の時と同様に、とても真面目に掃除をしている。のみならず覚醒さえしている。
 その動きは合戦の非ではない。てきぱきとイカ墨を掬い、気絶している人を助け起こし、社務所に運ぶ。社務所の前には御巫さんたちが待機していて、怪我人を診ていた。重傷者はいないようだ。
 宮司はというと、南斗と白虎と神崎とをやんわり注意していた。
「あまりはしゃぎすぎないでくださいよ」
 白虎は小さい体をさらに縮めて頭を下げている。普段からこうしていればさぞかし女性に好かれるだろうに。
「楽しかったからいいですけれど、掃除はしっかりしてから帰ってくださいね」
 南斗は被害者なのだが、律儀な性格なのか、
「それはもちろん。きたときよりも美しく」
 神崎は‥‥、神崎は南斗の背後に静かに移動してから、物陰を目がけて走り出した。
「あはは♪ 怒られるのは嫌いだよー」
 笑いながら逃げていく神崎と同時に、南斗の姿も掻き消えた。『隠密潜行』で気配を消して神崎の先回りをしたらしい。南斗に引きずられて戻ってきた神崎を、宮司は優しげな笑顔で迎えた。「君は居残りね」

 丁寧に水洗いをし始めた南斗は、ふいに神社の建物を見上げた。
「屋根の上までとなると大変だな‥‥」
 なぜだかわからないがスクール水着に着替えて掃除をしていた白虎が空を見上げた。
「ご無礼の段は平にお詫び申し上げるゆえ、雨を降らせていただけないものだろうか」
 祈るように呟く南斗の顔に、どこからともなく水が注がれた。
「うぷっ。なんだこれは」
 境内を見回した南斗は、ホースを持ったナイレンを見て手を振った。
「おいおい。よしてくれよ」
「いいじゃない。どうせイカ墨塗れでしょ。みーんなまとめて綺麗にしてあげるわ♪」
「くそー。しっと団を舐めるなよ」
 白虎が宮司の持つホースを奪ってナイレン目がけて水をかけると、ナイレンは白虎に水を集中させる。
 真面目に掃除をしていたはずなのに、いつの間にやら延長戦に突入していたようだ。
「あははー。望むところよー!」
「やは。みんな真っ黒だねー♪ とりあえずイカ墨スパゲッティでも食べ」
 イカ墨スパゲッティの乗った皿を持って、意気揚々と現れた神崎の顔に、白虎の発した水が綺麗な放射線を描いて直撃した。思わずスパゲッティの皿を放り投げようとした神崎は、南斗に宥められて思いとどまったが、今度はその南斗にナイレンが水をかけたから、騒ぎは収まるどころか加熱してしまった。
「やれやれ。掃除が終わったら甘いコーヒーでも淹れてやろうと思ったのに‥‥。まあ、こんなブラックデーなら寂しさも紛れること請け合いだな」
 南斗が笑いながら呟く横で、玲は長い溜息をついた。
「どうして男ってこう‥‥。馬鹿みたい。あなたたち、真面目に片付けなさい!」
 玲の声が響く境内に佇む鳥居は、ナイレンたちの水かけ合戦により、暮れた空に浮かぶ夕日に照らされて煌き、小さな虹があちらこちらに顔を出して、祭りの後の静かでありながらどこか哀愁の漂う雰囲気を彩った。

 水も滴るいい女もとい、いい男たちは、黒い日も普段と変わらずに元気のようです。おしまい。