●リプレイ本文
美環 響(
gb2863)は支援物資の点検をしている配達員の中に見知った顔を見つけて肩を叩いた。
「お久しぶりです。調子はどうですか」
額に皺を寄せていた古川一樹(gz0173)は響の微笑に表情を和ませた。
「順調ですよ。すでに何班かは出発をしていますし」
それから古川は、響の不思議な感情を讃える瞳から視線を逸らし、木箱を指先で叩いた。
「この仕事が成功すれば何人もの命を救える。失敗するわけにはいかない。そんなことを考えると、どうしても緊張してしまいますね。いつもどおりにやればいいとわかっているのだけれども」
「この依頼の成否で北京の未来が決まるというわけですね」
響が自問自答するように呟くと同時に、背後から堺・清四郎(
gb3564)の低い声が聞こえた。
「戦争での一番の被害者は、どんな時代でも民間人なんだよな」
平時でも鋭い清四郎の目がいっそう吊り上がっている。二人は清四郎がなにかを思いつめているように思えた。
戦争は戦うものよりも民間人のほうが割を食う。彼らの被害をできるだけ軽くするためにも、今回の任務は絶対に成功させなければならない。清四郎は暗い瞳の奥でそのようなことを考えていたのかもしれない。
「そうですね」
響が頷き、清四郎と連れ立って持ち場に戻っていった。
「この間の温泉よかったわねー。またいきましょーね♪」
騒々しく轍を描くタイヤの音に、ナレイン・フェルド(
ga0506)の楽しげな声が混じった。
フェルドは三人で温泉に入ったことを思い出しながらしばらく軽快にハンドルを操っていたが、ふと『探査の眼』と双眼鏡で周囲を警戒している響や、助手席で銃を構える清四郎を一瞥して表情を引き締めた。
「二人と一緒だと遊びにいくみたいで‥‥。私ったら不謹慎ね」
「そんなことはないですよ。僕もまたみんなで温泉に入りたいです」
響の答えに清四郎が僅かに頷いて見せた。三人は親交が深いらしい。
三人の乗る車両を先頭に、トレーラーを含む四台の車両は一直線になって進んでいく。出発してからしばらくは逆三角形の隊列を取っていたものの、急に道の悪くなったために隊列の変更を余儀なくされていた。
後ろから二番目を走るトレーラーには、古川と城谷木の二人の配達員と鳳覚羅(
gb3095)が乗っている。
城谷木は梅干のように顔全体に皺のある老人で、ビーストマンらしい。覚醒をすると全身から白い毛が生え、猿に似た容姿に変化する。能力者なのでそれなりに戦闘はこなせるが、椎間板ヘルニアを患っていた。
「ビーストマンですか。となると全員が前衛なんですね」
「そうだね。というよりもマタンゴの配達員の中にスナイパーは一人しかいないんだよ」
古川が苦笑しながらいうと、覚羅が苦笑を返した。
「俺がスナイパーだったらもっと安心できたんでしょうね」
二人の会話を聞いているのかいないのか、城谷木は「ふにゃ」とか「むにゃ」と要所要所に相槌を打つのみで、まともに言葉を発しない。「喋ると疲れるから喋らないらしいよ」と古川が覚羅に耳打ちをした。
覚羅はしばらく考えていたが、我慢し切れなかったように小さく噴き出し
「ところで北京の状況は酷いらしいですね」
「うん。相当なものだと聞いている。俺はいったことがないんだけど、城谷木さんはありますよね」
「ふにゃふにゃ。もにゃも」
「なるほど。想像以上に貧寒が酷いな。これは頑張らないと」
「もにゃ!」
変なコンビだ、そう思いつつも覚羅は表情を変えずに
「支援物資を心待ちにしている人達がいることでしょうから頑張りましょうね」
と表情を引き締めた。
一直線に進む列の最後尾にはD班が控えている。
運転席に座っているのは林・蘭華(
ga4703)で、その横には双眼鏡で周囲を警戒するリゼット・ランドルフ(
ga5171)がいる。車内は静かで時折蘭華が無線機に語りかける声のみが響いている。
「こちらD班。後方異常なし。前の方はどう?」
「俺らのとこも異常はねえな。もっとうじゃうじゃいるかと思いきや数は少ないのかね」
一人称が俺の乱暴な口調は勅使河原 恭里(
gb4461)のものだ。B班には運転を担当するクラリア・レスタント(
gb4258)もいるが、彼女は覚醒をしないと口が利けないため、代わりに恭里が他の班との連絡をこなしている。
クラリアは「文字は目に見える声」だと考えている。複雑な境遇の末に言葉を失った彼女の心境を察することは常人には不可能であるが、恭里は大して気にも留めずにアサルトライフルで警戒を続けている。
なにも恭里が非情ということではない。恭里にも恭里のみにしかわからない苦悩があり、外見の華やかな蘭華にもある。時勢を考え見ると仕方のないことなのかもしれない。
「北京は父の故郷なのよ‥‥。軍人だったけど、病気で私が十八の時にね‥‥」
無線機から口を離した蘭華がふいにぽつりと言葉を洩らした。
双眼鏡を膝まで下ろして自分を見やるリゼットとは視線を合わさずに、蘭華は無表情のまま口を閉ざした。
英国のお姫様然としたリゼットも外見には似合わない性格を持っている。それは蘭華とは正反対に明るく前向きな性格だけれども普段の調子は出ないらしく双眼鏡を弄びながら無機質なトレーラーを見つめていた。
「最後の最後まで私や母の事を案じ‥‥、故郷の事を思っていたわ」
「お母さんも?」
「母は今、疎開して私の帰りをいつも待ってくれているわ」
蘭華は微かに微笑を浮かべながらリゼットの下半身に目をやり「仕事ね」と呟いた。
リゼットの膝の上に置かれた無線機から、恭里の声が洩れていた。
「ん。なんだか不気味な空気ねー。寒気がする」
フェルドの声に響の声が混じった。
「あれはキメラかもしれません」
最前列を移動していることに探査の眼と双眼鏡が加わり、最も早くキメラの存在に気づいたのは響だった。
フェルドが頷いて車両を停め無線機を口に近づける。
「もにゃもにゃ」城谷木の声の後に覚羅が「了解です」と答えた。
響とほぼ同時に気づいたのはB班の運転手を務めるクラリアだ。
「‥‥てキ!」
瞬時に覚醒をしてキメラの存在を示唆し、恭里が無線機でD班のリゼットに通信を行う。
その間にもキメラは奇怪な動きでトレーラーに向かって坂道を下っていた。
キメラは両手を前に突き出してバランスを取りながら、伸びきった足で地を蹴って跳ねるように近づいてくる。
顔は巨大なお札に隠されて見えないが、蛇のような掠れた呼吸音が聞こえた。
キメラはいかにもキョンシーといった風貌と行動で、目新しい箇所は見当たらない。
「こい。カンフー映画に付き合ってやる!」
叫ぶ清四郎の言葉に同意しながら、フェルドが小銃をキメラに向け引き金を引いた。
その横を蘭華が『瞬速縮地』でキメラに向かって走る。並んでフェルドが駆け出した。
二人に当たらぬように、清四郎が真デヴァステイターでキメラを撃つ。響もアサルトライフルを取り出して、キメラに狙いを定めた。トレーラーを中心に動く能力者はそれぞれの役割をしっかり頭に入れているようだ。
トレーラーとトレーラーを囲む車両は、キメラからすると城に見えたかもしれない。城を守るのは優秀な能力者たちだ。キメラがそれなりの戦闘能力を持つとはいえ、二体で城を落とすのは難儀に過ぎた。
清四郎と響の射撃を掻い潜って接近した蘭華は、『獣突』で片方を吹き飛ばし、続く『流し斬り』でお札ごと顔面を切り裂いた。キメラは無様に転がりながら腕を伸ばしたが、清四郎は転倒するように攻撃を避け、
「狙いがわかりやすすぎるんだよ!」
と叫びながら蛍火でキメラの足を切り裂いた。
転倒するキメラの後頭部に瑠璃瓶を突きつけた覚羅が目を輝かせた。
「後ろががら空きですよ」
瞬く間に全滅したキメラと能力者の戦闘をトレーラーの周囲で見守っていたリゼットは、ふいに独特の呼吸音を聞いて背後を振り向き、飛び跳ねるキメラを確認して無線機を持ち上げた。
「反対側にキメラが出ました」
「こっちも出たぜ。トレーラーの横だ。迎撃する」恭里が早口で答えた。
リゼットがカプロイアM2007で近づくキメラ二体を狙い撃つと、トレーラーの横では別の二体のキメラに古川がヴァジュラを振るい、城谷木が咆哮を上げながら喉笛を噛み千切った。
「まずはてめえらで腕慣らしだ」
恭里がメタルナックルでキメラの腹を殴り、クラリアがフリージアで手足を撃ち抜く。
が、キメラは殴られた反動で回転し、突き出した腕を恭里の顔面に押し当てた。
凄まじい打撃音が響き、恭里とクラリアが転倒する。
悪態をつきながら立ち上がる恭里の隣で、クラリアが口元を拭った。口内を切ったらしい。
回転を続けるキメラの顔からお札が剥がれ落ちた。お札の下には顔がなかった。アスファルトで擦られて半円になった林檎の果肉を彷彿とさせる、不気味な顔だ。
奇妙な呼吸音は、黒子のように見える鼻の穴と風船に切れ目を入れたような口から洩れているようだ。
「キもちわるイ」
クラリアがささくれ立つ顔に向けて弾丸を撃ち込んだ。
思わず顔を抑えようとキメラが腕を曲げた途端に、骨の折れる音が聞こえた。キメラの肘が裂け、金属製の骨と思しきものが突き出した。ついで鎖骨が飛び出し膝も石榴のように割れた。
キメラが全身の間接を伸ばしていた理由は、既存の映画を模していたわけではないらしい。
全身を血で染めながら形容しがたい声を発するキメラに、前方に現れた二体のキメラを倒した能力者たちが殺到した。まずはフェルドが『疾風脚』と『瞬即撃』で後頭部を蹴り飛ばし、蘭華が『流し斬り』で太い腕を骨もろとも切り裂いた。すでに満身創痍のキメラは、津波に似た能力者の猛襲にただ身を捩るばかりだった。
一人最後尾で二体を相手にしていたリゼットは、突き出された掌底を避けられずに肩を打たれたが、すぐに体勢を整えて『豪破斬撃』により淡く光るベルセルクを『急所突き』でキメラの首に刺し込んだ。
引き抜かれるベルセルクの刃と同時に鮮血が噴き出し、ついで笛の音が傷口から洩れた。
返す刀で残りの一体にベルセルクを振るったリゼットの一撃は避けられ、再び掌底がリゼットを襲ったが
「てめえの相手は俺だよッ!」
恭里がキメラの肩を引いて向きを変えさせ、無防備の腹に拳をめり込ませた。
キメラは苦悶しながら体をくの字に折り曲げて大量の吐血で地面を染めた。
「この黒炎の翼を見た以上はただで終わると思わないでね?」
覚羅の『両断剣』と『流し斬り』に切り裂かれたキメラは、清四郎の蛍火に切り裂かれながらも再び回転をしてクラリアに両腕を叩きつけようとしたが、同様に体を回転させたクラリアの一撃は避けられなかった。
「廻ル!」
『円閃』の遠心力にカウンターの要素の加わった強力な一撃がキメラの醜悪な顔を胴体から切り離した。
さすがに埋葬まではしないがフェルドはキメラの遺体に向かって目を伏せた。
「どうか安らかに眠って」
青い薔薇を餞に目を瞑るフェルドの隣では、響が祈りを奉げている。
「汝の魂に幸いあれ」
不思議そうな顔をする清四郎に微笑を浮かべ
「戦うしか方法はありませんでしたが魂には救いがあってもよいと思います。偽善だとわかってはいても、祈らずにはいられないのです」
響の微笑にはどことなく自嘲の色が読み取れた。
響は戦闘のたびに祈ってきた。彼が祈る理由はわからない。憐憫の情が抑え切れないのか、それとも彼のいうようにただの偽善なのか。もしかすると当人にさえわからないのではないか。
リゼットは救急セットを広げて自分と恭里の傷を治療しながら、祈る二人の顔を見た。
彼女が思ったことも、彼女にしかわからないに違いない。人の心は存外に深い。
「どうやら無事たどり着けたようですね。後少しです。急ぎましょう」
覚羅が無線機に話しかけると、全ての班から返答があった。どの班も逸る気持ちを抑えているのが感じられた。
北京の疲弊は想像を遥かに超えていた。どの顔も人形のように無表情で、頬は削げ唇は乾いて所々から血が滲んでいた。着ている服も相当に酷い。小さな子供でさえも目を爛々と輝かせていることが皆に強い印象を与えた。
到着した一行を出迎えるように瓦礫の山から次々と住人が顔を現した。
飼い犬に捨てられて山野を死に物狂いで駆け回り永住の地を得られずに痩せ細る犬、もしくは無造作に積み重ねられた冷蔵庫や洗濯機といった無機質のものを思わせる彼らに、一行は声を失った。
酷く嗄れた声を発した老人に、蘭華が近づいた。
そういえば蘭華の父は北京に住んでいたのだっけ。
リゼットは蘭華の背中を見つめながらぼんやりとそんなことを考えた。
瓦礫の奥にはトレーラーが何台か停まっている。双眼鏡で確認をすると遠くのほうから一台のトレーラーがジーザリオに囲まれて入ってくるのが見えた。古川の無線には非常に聞き取り辛くはあるが壊滅した班の情報も入ってきている。古川は城谷木と何事か話し、響に歩み寄った。
「救援にいってきます。車両を一台借りますので」
「では私たちも」
前に進み出たフェイドに首を振り、古川と城谷木は別の配達員と合流して北京を出ていった。
「忙しいものだな」
「俺たちも忙しくなるけどな」
清四郎に恭里が笑いかけ、大きく肩を回しながらトレーラーを開けた。
すでに到着していた配達員と一緒に次々と積荷を下ろしていると、無表情だった住民の顔に微かな笑みが浮かんだ。配達員や能力者たちの顔も満面の笑みで占められている。
物資を配り終えて諸々の作業を終えた能力者たちは、それぞれが物珍しそうに北京を探索し始めた。
探索といっても観光ではなく警備に近い。キメラが侵入してくる可能性が残されていた。
が、それほどの心配はいらないように思えた。何班が北京に入ったのかはわからないが、それぞれがかなりの数のキメラを倒してきているだろう。バグアが増援を考えるにしても、猶予は十分にある。
「支援物資、か。昔はがっつく身だったが、今じゃそれを護衛する身になるとはな。なんの皮肉だか」
ふいに恭里が呟いた。彼女の声は、住人の歓声に紛れながら、滔々と響く。
「俺の周りにいた奴らは、ほとんど戦火や飢えでどっかに逝きやがった。こんな思いをするのはもう俺だけでいい。こんな戦争、早く終わらしてえ。そのためにも今できることを一つずつ片付けるのが先決だよな」
近くで子供に折り紙を教えていたクラリアは、自問自答する恭里の声を聞きながら綺麗な鶴を織り上げた。
「わー。すごーい」
「お姉ちゃん、僕にちょうだい」
「駄目っ! 私に折ってくれたんだから!」
微笑むクラリアの手から折鶴を取った少年に群がる子供たちの喧騒を聞きながら、恭里は乱暴に鼻を擦った。
「うるせえ餓鬼どもだぜ、まったく」
真一文字に結ばれた口角が僅かに吊り上がっていることに気づき、クラリアは目を細めた。