●リプレイ本文
●二礼二拍一礼
鷺乃秋宵祭の開始は八時からだが、すでに広場のテントからは香ばしい匂いが漂ってくる。
「まずは相撲からですか?」
尋ねる巫女に頷き、宮司は人気の疎らな境内を見回した。
御神籤はすでに並べ終わり、境内の落ち葉や砂利などの清掃も済ませてしまった。
昨日まではあれほど時間に追われていたのに、今は手持ち無沙汰でまったりお茶などを啜っている。
「ともかく、大事な一日目だ。無事に成功するように」
ふいに境内の空気が変わったような気がして、宮司は口を閉ざし、鳥居を見やった。
巫女も宮司を追って、科を作りながら歩く妙齢の美女に視線を留める。
女性は、艶やかに着こなしている着物を揺らしながらゆっくり歩いてくると、拝殿の前に止まり、二度丁寧にお辞儀をし、それから拍手を二度、最後にもう一度頭を下げて石段を下りていった。
「美しい方ですね」
耳元で囁く巫女に、
「若い女性が二礼二拍一礼を知っているとは思わなかったよ」
宮司が感嘆した。
けれども当の本人の秘色(
ga8202)は、
「祭りとくれば血が騒ぐというものじゃ。ガッツリ楽しむぞえ」
先ほどの雰囲気はどこへやら、「親父。ビール一丁!」と大声を上げ、テントに顔を突っ込んだ。
次に石段を上がってきたのは、やはり着物だが、胸を覆い隠す晒が印象的な水無月 霧香(
gb3438)だった。
彼女も参拝に訪れたのかと思いきや、きょろきょろと辺りを見回して宮司に視線を留め、
「なんで神楽舞がないねん! 踊るやつがおらんならうちが踊ったる!」
怒ったようにいいながら近づいてきた。宮司は驚いて巫女たちと顔を見合わせる。
「あんた、巫女やな。ちょうどいいわ。横で舞わせたるさかい、準備しといてや」
怪訝そうな顔の巫女の背を押し、それから少し考えて、
「その前に衣装が必要やな。あんた、予備の袴くらいあるやろ? うちに貸して」
「み、見たところ、貴方は巫女ではなく傭兵でしょう? なぜ神楽など」
「傭兵は実力やっていうけれども、実力があっても守れんこともあるからな。こんな時ぐらい神様に祈っとっても罰は当たらんで。ほら、はようはよう」
霧香に急かされた宮司と巫女数人は、逃げ出すように駆けていった。
●相撲大会とフラグと
小学生の部や中学生の部は何事もなく終わったが、成人の部では大波乱が起こっていた。
「ぐぬぬ」と顔を染める大柄な男は、実力はあったものの、髪に金属を仕込んで頭突きをかまし、相手を流血させて角界を追放された問題児で、今日は思う存分に一般人で憂さ晴らしをしようと相撲大会に出場したわけだが、なんと中性的な顔立ちの小柄な美環 響(
gb2863)に土俵外に押し出されてしまったのだった。
「き、きさん、なんばしよるとか!」
ふらふらと立ち上がった元力士を支える、これまた元力士の緑茶海が地団駄を踏んだ。
響はULTの能力者ではあるが、覚醒はしていない。にもかかわらず元力士を投げ飛ばしたのは、どういう理屈であるか。横綱から解説に転身した烏龍茶海は、
「響の山は、体の使い方が上手です。元力士とはいえ、衰えた体では、現役の能力者には敵わないでしょう」
かくして因縁の対決となった響の山と緑茶海の決勝が、行司の合図によって火蓋を切られた。
「んー。凄い」実況が土俵を見て唸ると、烏龍茶海は客席を見て、「凄いですね」そう頷いた。
客席は、盛り上がっていた。――というよりも、秘色の周囲だけ盛り上がっていた。
「そこじゃ! 気張れいっ!」
ビールを飲みながらつまみを頬張り、秘色が野次を飛ばすと、まるでファンクラブのように秘色の周囲に座る男たちが「気張れ! 気張れ!」と調子を合わせる。宴会場を彷彿とさせる様相を呈している気さえする。
彼らの隣では、神無月 るな(
ga9580)が響を応援している。
「恋人か?」と実況が茶化すが、烏龍茶海は、秘色を盗み見することに夢中で、聞いていなかった。
「悪いですけど、優勝は僕のものです」
男女問わずほいほい声をかけてしまいそうな微笑を浮かべる響の山に、緑茶海が頬を染める。
響は、不敵な口調で挑発したつもりだったが、なんと緑茶海は興奮してしまったのだった。
触れ合う体、飛び散る汗、何者も邪魔のできない閉鎖された土俵の中で、魅力的な響と二人きり‥‥。
「うほっ。よか男ばい」
盛大に投げ飛ばされて地面を転がった緑茶海は、気絶してなお満足そうな表情であった。
金一封を受け取った響は、烏龍茶海の勧誘から逃れ、神無月の隣に腰を下ろした。
「凄かったです。格好よかった」
神無月に微笑みかけられた響は、照れくさそうに頭を掻いた。
●天地の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
「おっし。年に一度の大祭や。しっかりいこうや! 神様が見てくれとったら、シェイドのど真ん中にまぐれ当たりでもするかもしれんで!」
煌びやかな衣装に着替えた霧香が、不承不承の体で太鼓の前に座る宮司にいい、それから自分の横で待機する巫女を確認して、「ほんじゃあいこか」片手を挙げて合図した。
宮司は存外に上手く太鼓を叩き、宮司の隣の男たちが低い声で流麗に歌う。
霧香は微笑みながら、軽やかな動作で立ち上がった。
それは、描写に足る言葉の喪失するほどに華麗な舞だった。
由緒ある浦安の舞を、傭兵のような血生臭い人間がかくも美しく優雅に舞うとは考えもしなかった宮司が、扇を滑らかに振る霧香に目を奪われ、思わず太鼓の縁を叩いてしまったほどである。
「しっかりせいや!」
とはいわず、僅かに苦笑したまま舞い続ける霧香の姿を見ようと、大勢の人が詰めかける。
口調から霧香を粗雑な人間であると勘違いしていた巫女たちは、舞い終えて汗を拭う霧香を口々に褒め称えた。
「素晴らしかったです。アルバイトの巫女たちに指導を願いたいほどですよ」
宮司の絶賛を聞きながら手を漱いだ霧香は、「アンコール! アンコール!」と叫び続ける客を尻目に、「ありがとな」そう呟いて、満足そうに境内を出た。
●ダンプカーからの逃走
御神輿は、小さな神社に鎮座していたとは思えないほどに豪華だった。
黒く塗った質のよい木材を四本も台座に使い、随所に金の装飾を凝らしている。
御神輿を見て感嘆している鷺宮・涼香(
ga8192)に、褌に鉢巻姿の胸毛の凄いおっちゃんが声をかけた。
「あんたも担ぐのかい。いいねえ。祭りは花がなくっちゃな」
自前の赤い法被に白いハチマキ姿の鷺宮は、
「私、子供のころによく担いでいたんですよ。今日は童心に返って楽しませて頂きます」
鷺宮の隣では、秘色が襷がけで裾を捲くった大胆な格好で、
「若い者には負けられぬわい!」
「あんたが年寄りなら、俺は明日には老衰だな」「がはは。ちげえねえ」「ぶうっはっは」
おっさん連中の笑いが、祭りを一層盛り上げる。
「それじゃあ、いくぞ。ホイヨ、アラサ、ドッコイ、チョッコイ、アラ、ソイソ」
奇妙なかけ声が、広場に響く。御神輿はやはりそれなりに人目を引くらしく、人だかりが御神輿を囲むように移動しながら囃し立てたり、一緒になって声を出したり、歩いていたおっさんが着物を脱ぎ去って列に加わったりした。
列はかなりの速度で広場を一周して石段の下に戻ると、
「コイショ、コイショ、ドッコイショ」
何度か神輿を掲げ、それから広場を出た。
「重い神輿をみんなで担いでこそ、ですね!」
鷺宮に同意するように、かけ声が高まる。
「きたぞおっ」「うおおおお」「いそげえ」「ぎゃああああ」
大通りに出た途端に、背後から聞こえる声がさらに熱を帯びた。
何事かと振り向いた秘色は、巨大なダンプカーが突っ込んでくるのを見て仰天した。
「なんじゃ、あれは」
「最初は、どこぞの馬鹿が祭りを荒らすために車で煽り始めたんだけどな、いつしかそれが習慣になったのよ」
神輿はダンプカーに轢かれぬように速度を増し、全力疾走に近い格好で広場に駆け込んで石段の前に停止した。
●御神籤
豪快な御神輿を見ながら、
「お祭りって独特の空気があって、普段とは違う世界にいるような気持ちになれるんですよ」
淡雪(
ga9694)が藤村 瑠亥(
ga3862)の顔を覗き込んでいった。
黒の布で設えた浴衣を着た藤村は、初めて見る神輿の迫力に感動しながら微笑んだ。
「確かに凄い迫力だな。でも」
藤村の視線が、神輿から隣を歩く淡雪に向く。
「綺麗だな。似合ってるよ」
藤村の視線を受けた淡雪は、白い羽織り物を捲り、頬を綻ばせながら紅葉柄の浴衣に視線を落とした。
カップルである。その仕草、表情、口調のどれを見てもカップルである。
宮司は千切れそうな血管を抑えながら、仲良く歩く藤村と淡雪を盗み見ていた。
淡雪は、宮司の前で立ち止まり、御神籤に手を伸ばした。
「なんだかとっても緊張します。瑠亥さんはなにが出ましたか?」
「中吉だよ。まあ、これくらいが妥当か」
藤村の言葉に元気づけられるように淡雪は筒を振った。が、出てきた紙を開いた途端に表情が強張る。
「私は凶でした。‥‥酷い」
結果は、宮司の妬みが形になったようであった。
けれども淡雪は、藤村に慰められてすぐに気を取り直したようだ。
「なんだか逆効果だったな」
自分が操作したわけではないのに唸る宮司の前に、今度は響と神無月の二人が現れた。
「これまたカップルか! うぬぬ」
宮司は羨ましそうに指を銜えながら、頭の中で絶叫した。
響は、『GooDLuck』を発動した後に
「我に天上天下無敵の幸運を」
と祈る用意周到振りを見せたが、結果は中吉、神無月は吉だった。
「ご存知ですか? 中吉よりも吉の方がいいんですよ」
響の薀蓄に、神無月が目を見開く。
「大吉、吉、中吉、小吉の順番なんです。わかりにくいですよね」
静かに会話をしながら去っていく二人と入れ替わるように、ほろ酔い気分の秘色が御神籤に手を伸ばす。
未だ数時間しか経っていないのに、宮司、烏龍茶海を魅力した美貌の持ち主である。
彼女は大吉をいとも容易に引き当て、鼻歌を口ずさみながら木の枝に結んで拍手をした。
この宮司、ただものではない。
●出店
淡雪が、藤村に手招きをし、店先に並ぶ奇妙な物体を見せた。
「なんだい、これは」
首を傾げる藤村に、
「チョコバナナっていうんです。皮を剥いたバナナに薄いチョコが塗ってあって、甘くて美味しいの」
淡雪の説明を聞きながら、藤村は物珍しそうに匂いを嗅いだ。
藤村は祭りが初めてとあって、先程から奇妙な食べ物のオンパレードに舌を巻いてばかりいる。
「特にりんご飴がお勧めです。昔は赤と緑が主流だったけど、最近は色々な色があるんだよ♪」
「へえ。そうなの‥‥、っと、すまない。構わないか?」
人波に流されかけて、藤村が咄嗟に淡雪の腕を掴んだ。
淡雪はまったく気にしていない様子で、金魚掬いの出店を指差し、藤村を引きずる。
金魚掬いとは、水槽に入れられた金魚を、ポイと呼ばれるプラスチックの輪に紙を貼った道具で掬う遊びだ。
ちなみにポイには裏と表があり、表の方が掬いやすい。
が、二人は金魚が欲しいというよりは、楽しむために顔を出したのだから、そんなマニアックな知識は必要なく、二人は和気藹々と声をかけあいながらポイを操り、破れたポイを相手に見せて笑い合っている。
「瑠亥さん! そこの赤い金魚さん、とれそうですっ」
淡雪の指の先を追って、藤村が機敏な反射神経でポイを操ったが、金魚は尾を激しく振ってポイから逃れた。
これもマニアックな知識だが、金魚は頭から掬うほうが簡単だ。
「‥‥これは、難しいな」
破れたポイを店主に返し、淡雪のお椀を見ると、なんと三匹も泳いでいるではないか。
「なんで掬えるんだ」
藤村は、しきりに首を傾げた。
心地よい時間を過ごす二人の背後で、秘色が次々に焼き鳥だの焼き烏賊だのを購入している。
「ふふ。活気があってよいものじゃのう。酒が進むわい」
店先に立ったまま、焼き鳥を続けざまに口に放り込む秘色に、
「姉ちゃん、いける口だねえ。ほら、サービスだ。どんどん食いな!」
店主は次々と焼き鳥を差し出したが、鬼の形相を浮かべる妻に耳を引っ張られ、店の裏に消えた。
「あんたは、美人が相手だとすぐそういうサービスをするんだから」
怒り狂う妻を気にせず焼き鳥を食べる秘色の横に、妙齢の女性三人が顔を出した。
「いらっしゃいませー。焼き蕎麦は如何ですか?」
笑顔を浮かべて店に戻った店主の妻に、巨大な綿飴を食べている滝岡海(
gb0746)が首を振った。
「焼き蕎麦はちょっと、いらないかなー」
「焼き鳥もありますが」
「ん。どうするー?」
「焼き蕎麦か‥‥。なんか嫌なこと思い出しちゃった」
大地守(
gb0745)が顔を顰める。焼き蕎麦に纏わる嫌な体験が、先月の依頼にあったようだ。
「じゃあ、焼き鳥でいいんじゃない?」
二人の意見をまとめた女性は――、なぜか鳥の衣装を身に着けている火絵 楓(
gb0095)だ。
「姉ちゃん、あんたとんでもない格好をしてるね」
店主に微笑み、「型抜きに失敗しちゃって」楓が頭を掻く。
「海は綿飴でいい。これもっと買ってくる。あと25は食べるんだ」
とんでもないことを口走りながら駆け出した滝岡を、
「私はカラオケ大会の申し込みをして、滝岡さんと待ち合わせ場所にいってるね」
楓が追いかけていく。
大地は僅かに首を傾げて二人を見送り、それから店主に焼き鳥を注文した。
「中吉か。微妙だなあ」
鷺乃神社の御神籤には、大吉、吉、中吉、小吉、凶しかないので、中吉はちょうど真ん中に当たる。
鷺宮は、すぐに御神籤の結果など忘れ、カラオケ大会に向かうために、石段を下りていった。――途中で小石を踏んで、危うく落ちかけたけれども。
鷺宮が悪態をつく横で、滝岡が、この綿飴ふわふわしてて美味しい、と綿飴を凄まじい勢いで頬張り、大地は控えめに昼食代わりの焼き鳥を口に運んでいる。二人の横では楓が、カラオケ大会のためのアイドル衣装に着替え、なにを歌おうか考えていた。
●カラオケ大会前編
「お集まりの皆様、こんにちは。司会進行をやらせて頂きます、IMP所属の加賀 弓(
ga8749)と申します。どうぞよろしくお願い致します」
均整の取れた体を金箔の散りばめられた豪華な浴衣で包んだ加賀が、可憐な顔を観客に向けて頭を下げた。
IMPは、名古屋生まれのプロデューサーが生み出した、「アイドルマーセナリープロジェクト」の略称で、主に各地でコンサートを行ったり、CMにも出演しているほか、ラストホープのローカルラジオで紹介されたこともある、傭兵のみで構成された革新的なアイドルグループだ。
加賀はそのメンバーとあって、容姿の優れているのはもちろん、言動にもそつがない。
「それでは早速ですが、一人目に登場して頂きましょう。鷺宮さんです」
昨年は、酔っ払ったおじさん連中しか出場しなかったのに、今年は美女ばかりがエントリーしているなあ、と宮司が司会の加賀や鷺宮を見て頬を綻ばせた。
赤い法被が目に鮮やかな鷺宮が中央に進み、近頃流行りのツンデレ振りを遺憾なく発揮する。
「しょ、賞金に釣られたんじゃないんだからねっ!」
「嘘つけー!」「毎月賞金の十倍を上げるから結婚してくれー!」「うはっ。鷺宮たん可愛すぎる」
その場の勢いのみで反応する観客に、
「‥‥嘘です。正直に申し上げると、見事に釣られました」
「鷺宮たんのためなら死ねる!」「お前の命なんかいらねーよ。鷺宮たんをよこせ」「うるせー。俺の嫁だ!」
鷺宮は、喧嘩を始めた観客を無視して、マイクを口元に近づけた。
かえる なぜなくの そんなんしらんやん
じっちゃの めがねをかけた いるかの おまわりさん
こねこちゃんと いちゃいちゃ こまったな
あさからばんまで がっこうで なかよくあそびましょう
童謡を、足踏みを交えて声高らかに歌い上げる鷺宮に、観客がウェーブを作って応える。
鷺宮の凛とした声が、なぜかカラオケ大会の審議席に座っている、烏龍茶海を感動させた。
「素晴らしい歌声に拍手をお願い致します」
加賀が自分も拍手をしながら鷺宮を称賛した。
続いて登場したのは、午前中に神楽を舞った霧香だ。
宮司と巫女が、着物を着崩して色気を醸す霧香に一層大きな拍手を送る。
「作者不明、『エヌイーイーティー』いっくでー」
霧香の元気な声で、場はさながらライブ会場に変貌する。
筐体から流れる乗りのよい曲に体を揺らしながら、霧香がぐるんと腕を回して右肩を露出した。
モニタに映る くたびれた顔 分厚いカーテンが光を遮る
ひたすらにキーボードを叩き マウスを高速で動かす
ハードディスクは埋まるけれど 心は埋まらない
ただひたすらに 虚しさだけが積み重なっていく
親が死んだらどうするの 年金さえ払っていない
悶えて泣き叫んで それでもまたパソコンを起動する
ああ 働きたくない 働きたくない
半狂乱で飛び跳ねる観客の中にあって、淡雪は目をぱちくりさせて隣に座る藤村を見た。
「なんか凄いねー。この次は私かあ」
「淡雪なら大丈夫だよ。俺が応援してるから」
淡雪が笑顔で藤村に手を振り、加賀からマイクを受け取った。
「歌が好きです! 歌うことで誰かを幸せにできればいいなあって思います」
蛍が落ちてて だから悲しくて 沈みゆく街角で 月を見ていた
視界の片隅で 散る落ち葉 とても寂しそうだった
雑草を踏んで 何もできなくて 赤く染まる草を 一人見ていた
視界の片隅を 歩く人々 普通に草を踏んでいた
秋の夜長に似合う穏やかな曲調が、淡雪の可愛らしくもよく通る声で一層引き立ち、霧香の激しい歌声で熱狂していた観客は、急にしんみりと緩やかに体を揺らして聞き入った。
烏龍茶海が盛大に鼻水をかむと、客席からも鼻を啜る音が聞こえた。
「えへへ。どうでした?」
僅かに頬を紅潮させる淡雪に、
「綺麗な歌声だった。さすがいつも歌ってただけある」
藤村が拍手をしながら答える。周囲からも小さな拍手が沸いた。
「次は仲良し三人組の登場です。火絵さん、大地さん、滝岡さんで、『風に戸惑う僕』」
昨日のことは 忘れてしまったよ 風に戸惑う僕
捨てられて 自殺を考えた でも生きている 死ぬのは怖いから
どうして浮気をしたの 挙式まであと三日
どうして出ていったの 指輪代がもったいない
君は覚えていない プラットホーム 二人で手を繋いでた
十年前のこと まだ覚えているよ 風に戸惑う僕
ふりふりの衣装を着て切ない失恋ソングを歌う楓に、観客は笑ってよいやら泣いてよいやら困ったような視線を向けていた。けれども、烏龍茶海は「いいうだだなあ」と訛りながらしきりに涙を拭っている。
加賀が烏龍茶海の反応を見て、
「これは高い点数が出るのではないでしょうか。楽しみに待ちましょう。次は、響さんの登場です」
神無月の声援に背を押され、響が壇に上がった。
「これまた美しいだんせ‥‥、女性?」
「男です」微笑む響に烏龍茶海が「歌もできるのか」驚いて見せると、「優勝を狙います」響がマイクを受け取って頷く。
あなただけの月になりたい 疲れたあなたの寝顔を照らすの
あなただけの月になりたい 真っ暗なあなたの道を照らすの
満ちては欠けてゆく それが月の運命
何度姿変えても あなたの傍にきっといるよ
あまり有名ではない曲だが、深く心に沁み込むような深い歌詞に響の声が合わさり、聞く者の心を鷲掴みにする。
譬えは悪いが、擦り剥けた皮膚に唐辛子を塗りたくる感覚に近い。
神無月がうっとりとした表情で、歌い続ける響を見つめた。
●日没
太陽が徐々に高度を下げ、海の彼方から、淡い橙色の光を鳥居に投げかける。鳥居は全身を赤く染めながら、下に立つ男女を覆い隠すように、境内に長い影を落とした。
穏やかというよりもどこか寂しくて悲しい雰囲気が、鳥居を境に変わる。
鷹代 朋(
ga1602)は、烏谷・小町(
gb0765)の美しい着物姿を想像していたけれど、実際の小町は朋の想像を遥かに凌駕している。テント同士を繋ぐ紐にかかる提灯に照らされた小町は、ある種の神秘的な空気を纏っていた。
隣を歩く人が美しいと、逆に自分の格好が気にかかる。ストライプシャツに淡い水色のセーター、ホワイトジーンズの普段着を見下ろして、朋が少し恥ずかしそうに顎を掻いた。
「なー、聞いてるー?」
自分の服装に気をとられていた朋は、慌てて小町の顔を見た。
「待たせてもーたかな、いうたんやけど。それやったらごめんなー」
「いや。全然待っていないよ。それにしても、うん、普段の服装もらしいけど、思ったとおり、似合ってる」
「和服を着るんも久しぶりやなあ。最後に着たんはいつやったっけ?」
津波のような人の流れを掻い潜り、二人は出店を見ながら会話を楽しむ。
「場所を確認してから、なにか食べよう。時間ギリギリだと人が多くて絶対に辿り着けないと思うから」
彼らの目的のひとつに花火がある。
どこか花火のよく見える場所はないかと尋ねる朋に、
「それだったらやっぱり、鳥居の上とか建物の上だね」
店主が答えた。
「あまりに近すぎると、音がうるさくて、綺麗な形が見えないから、ある程度は離れたほうがいいよ」
店主と話す小町の横で、朋が射的を始めた。二人の横では、笑顔の淡雪を隣に射的に熱中する藤村がいる。
「あまり誉められたものでは無いな、これが得意でも」
藤村が自嘲しながら、次々と的を倒していく。同様に朋も正確な射撃を見せた。
一般人とは比べ物にならない命中率に、射的屋の店主は、「商売が上がったりだな」と笑った。
朋と小町は、祭りの定番である紐籤の前に移動した。
「当たりが入ってないってわかってるけど、どうしてもやっちゃうんだよね」
朋が、紐のついたゲーム機だの玩具だのが入っているケースを指差しながら、小町にこっそり耳打ちをする。
客は店主に金を払い、テントの柱に括りつけてある紐を引く。紐の先に繋がっている景品は、滅多に当たらない。
「カラオケ大会なんてやってるんやー?」
ふいに立ち止まった小町の視線を追って、朋が笑った。
「出ないの?」
「ん。別に音痴やとも思っとらんし、下手といわれたこともないんやけど、なにを歌えばいいかわからんしなー」
●カラオケ大会後編
歌い終わった響は、そのまま壇上で、神無月を待った。
「お次はデュエットです」司会の加賀の声に、観客が拍手を打った。
神無月が拍手を受けて「なんだか緊張します」小さく笑う。
緩やかな曲の調子が次第に速度を増し、低いドラムの音が響く。
最初は穏やかに、ギターの激しい旋律で鋭く変化する音楽に、響の声と神無月のよく伸びる声が混じった。
「素晴らしい歌声に拍手をお願い致します」
拍手を受けながら再び烏龍茶海の勧誘を逃れ、響と神無月が席に戻った。
「続いては、秘色さんです」
一層大きな拍手が会場に響いた。酒を掲げながら、秘色が笑顔を浮かべて壇に上がる。
燃える篝火 心を染める
祭囃子に浮き立つ足音
追いかけ 追いかけて 駆け上る石段
届いた背に 大輪の炎花が咲く
初の演歌ながら、その高い歌唱力と拳を振り回す過激な動作が観客の心を惹きつける。
歌い終えた秘色は、満足そうに客席に戻ると、酒を呷った。
「ぷはー。ひと唸りした後の一杯は、また格別じゃのう♪」
周囲の客に囲まれて拍手を受ける秘色に、霧香が抱きついた。
「じょうずー!」
「あっはっは。愛いやつ愛いやつ」
霧香の頬にキスをする秘色を横目に、加賀が壇の中央まで歩いた。
「最後は私が、新曲を披露させて頂きます。出会い〜Memories〜」
降り注ぐ光の中 僕らは出会った
運命なんて言葉で終わらせない この奇跡を
ゼロから始まる物語 キミと共に刻もう
想い出なんて無くても これからがある
キミと出会い生まれた 名もなき日記
二人で綴っていこう 大切な日々を 白紙の頁(ページ)に
この安定した魅力的な歌声を、なんと形容すればよいのか。烏龍茶海の言葉を借りるのであれば、
「ちゃんこ鍋は、優れた料理人の作ったものより、妻の作るもののほうが美味い」
よくわからない彼の言葉でもなんとなく頷けるほど、加賀の歌声は素晴らしかった。
「うまい人だらけやなあ」
小町が朋に向かって呟きながら拍手を送る。
かくしてカラオケ大会は盛況のまま終わり、花火までの短い間、宮司や巫女、酔っ払いたちがマイクを占領した。
華やかで騒々しい祭りは、収束に向かっていく。
●喧騒の後に
「残りの時間は、境内に座ってお話でもしませんか?」
神無月の提案に、
「そうですね。そろそろ花火が上がるようですし」
響が答え、二人は並んで、日の落ちた薄暗い境内に続く石段を上っていった。
「お祭りの最中の境内が昔から大好きなんですよ」
「いいですよね。騒々しさから障子一枚隔てているような」
「騒と静の境目が見えるような不思議な感覚ですね♪」
二人の間を、緩やかな時間が流れていく。次第に口数は減っていったが、不思議と退屈ではなかった。
気の合う男女というものは、ただ寄り添っているだけでいいのかもしれない。
並んで座る二人を、提灯の投げかける明かりが優しく照らした。
「けほっ。けほっ。なんだか煙くないですか?」
神無月の言葉を受けて、響が周囲を見回し、落ち葉を団扇で煽る宮司を見つけた。
「なにをしてるんですか?」
尋ねる響に、
「秋といったら焼き芋でしょう。おひとつ如何ですか?」
空気の読めない宮司が親指を立てて笑った。響と神無月は彼を無視した。
花火は、どこから上がっているのだろう。小さな打ち上げ音に続いて、若干控えめな花火が、夜空に大輪の花を咲かせる。その色は様々で、一般的な薄い黄色に加え、目に鮮やかな緑や赤がひっきりなしに夜空を彩った。
「綺麗ですね。花火も綺麗ですけど、るなさんはそれ以上に綺麗です」
ふいに呟いた響の言葉に、神無月が目を見開いて、再び花火に目を戻しながら薄く笑う。
ここちよい雰囲気に浸る二人に、霧香が徐々に近づいていく。
「さっきのカラオケ大会で、るなちゃんを見たけどなあ。男連れやったし、からかったろおもたんに」
霧香は、出店で買ったとうもろこしを食べながら、きょろきょろと風景だの人だのを見て広場を歩き回り、花火を背景に二人の近くを通り過ぎたが、神無月には気づかずにそのまま歩き去った。
広場や境内から少し離れた場所には、藤村と淡雪が座っている。
「地元民だけが知る、いわゆる穴場らしい」
と藤村のいうとおり、周囲には人が少ないものの、花火の迫力を一番に味わえる絶好の場所だ。
「秋の花火もいいものですね‥‥。ちょっと寒いけれど♪」
「そうだね」
微笑みながら藤村が差し出した上着を羽織りながら、
「瑠亥さん、今日は誘ってくれてありがとう!」
微笑む淡雪の顔が、花火を受けて暗闇に浮き上がる。
「こちらこそ。今日は楽しかったよ。初めてだったが、いいものだな、祭は」
金魚掬いやカラオケ大会の様子を思い浮かべたのだろう、藤村が寂しそうな笑みを浮かべる。
何事かいいかけた淡雪の声は、後ろで騒ぐおっさんの声に掻き消された。
「たまやー! かぎやー!」
おっさんの笑い声に、秘色の声が混じる。
秘色は、やはり酒とつまみを足元に広げ、周りを囲むおっさん連中と一緒になって騒いでいた。
さらにその横では、
「きゃははははっ」
楓が型抜きに失敗した鳥の着ぐるみのまま、両手に火のついた花火を持って駆け回っている。
秘色と一緒に酒を呷っていたおっさんの一人が、楓から花火を受け取って走り出し、呆れ果てる大地の隣で滝岡が腹を抱えて笑っていた。
「いいぞ! もっとやれい!」
秘色に煽られ、楓が両手の指に限界まで花火を挟み、両手を羽ばたかせながら一層速度を上げて転んだ。
地獄絵図の草原から離れた境内は平和だった。朋が店主や宮司から聞いた花火のよく見える鳥居の脇に陣取り、焼き蕎麦だのお好み焼きだのたこ焼きだのを小町と食べながら花火を見上げている。
「そういえば、関西の烏賊焼きは粉モノだって烏谷さんがいってたな」
小町は朋の声が聞こえなかったように花火を見上げ、
「花火って夏の風物詩やけど、秋に見ても綺麗なもんは綺麗やね‥‥」
朋は同意し、「来年も一緒に来られるように、これから一年頑張るとしますかね」小さく心に誓った。
花火が花を開いて瞬く間に消えていくように、楽しい時間は瞬く間に過ぎ去っていく。
鷺宮は一人で花火を見ながら、ゆっくりと両手の親指と人射し指でカメラのフレームを作った。
「ぱちり」
呟いて、微かに苦笑する彼女の心のアルバムに、鮮やかな思い出は残ったのだろうか。